それから、残された時間をレイチェルはできるだけビルと過ごした。
ソファに並んで座って、たくさんの話をした。過去のこと。今のこと。それから、未来のことも。
とは言っても少し先のレイチェルの未来の状況────仕事がうまくいってるかだとか、料理は今より上達しただとか、前から欲しいと思っていた家具は買えたのかとか────については、ビルはほとんど教えてくれなかった。知ったら楽しみがなくなるから、と悪戯っ子みたいな笑顔で言うビルにレイチェルは食い下がったが、結局はぐらかされたり諭されたりして駄目だった。その代わり、ビルは自分のことに関しては、隠すことなく答えてくれた。
ビルのこと、ビルの家族のこと。魔法のこと。学生時代の思い出。
それに、ビルとレイチェルのこと。
「私とビルって、付き合ってどれくらい経つの?」
「んー……この間のバレンタインで、ちょうど2年かな。出会ってから付き合うまで、2ヶ月……いや3ヶ月くらいあったしね」
聞きたいこと、知りたいことは、次から次へと溢れて来て尽きることがない。一つ会話を重ねる度に、ビルの輪郭がはっきりしていくようで嬉しかった。2人でただ静かに過ごす時間は、穏やかで心地が良くて。もっと早くこんな風に話をすればよかったと、今更な後悔に溜息を吐く。
「出会ったのは確か、バーで私がビルに声を掛けた……って、言ってたわよね? 詳しく聞いてもいい?」
「もちろん」
前にも聞いた、レイチェルとビルの出会いの話。あの時はからかいと興味本位から出た疑問だったけれど、今では純粋に知りたいと思う。レイチェルの知らない未来で、どうやって2人は出会ったのか。
どうしてこの人が、レイチェルのことを好きになってくれたのか。
「あの日は僕の誕生日だった」
「ビルの誕生日……って、いつなの?」
「11月29日」
ビルの返事に、レイチェルはサイドボードに置かれたカレンダーへと視線をやった。
月を表す数字が11になるには、まだあと2ページも先だ。ああ、自分はビルの誕生日を一緒に祝うことはできないんだなあと、そんな寂しさが胸に落ちる。レイチェルの表情が暗くなったことに気づいたのか、ビルがぽんぽんとレイチェルの頭を撫でた。
「あのとき、僕は一緒に誕生日を祝ってくれるような恋人も居なかったし……待ってレイチェル、嘘じゃないよ。本当だって……イギリスに居た頃に付き合ってた子と別れてから特定の恋人は本当に居なかった……えっと、それで、同僚達が祝ってくれたんだけどね。賑やかなのは楽しかったんだけど、少し疲れたから……1人になりたくて、何となくバーに行ったんだ。そうしたら、君に声を掛けられた」
もう夜も更けた頃になってバーに現れたレイチェルは、観光客にしてはあまりにも堂々とした様子と、女性1人であることもあって、周囲の目を引いたらしい。ビルも、妙な輩に声をかけられるんじゃないかと気になっていた。けれど、誰かを探しているかのように店内を見渡している様子だったので、待ち合わせ相手も居るのだろうと安心したら、真っ直ぐにビルの方に歩いてきた、と。
「レイチェルには想像がつかないかもしれないけど、本当に驚いたんだよ。会ったことないのに、どうしてか僕が魔法使いだって知ってるし……それに名前も。理由を聞いても、はぐらかされて……それで、『知りたかったら、また今度会いましょう』って言われたんだ。それで……何度か会ってるうちに、付き合うことになった」
そんな感じかな、とビルが微笑む。どうやら、それ以上詳しく教えてくれるつもりはないらしい。それはまた、ビルに何か考えがあってのことだろうから別にいいのだけれど────レイチェルは今聞いた話の内容に納得がいかず、思わず眉根を寄せた。
「……やっぱり、何度聞いても私の話じゃないみたいなんだけど……」
確かに恋人同士の馴れ初めとしてはそんなに珍しい話でもないと思うが、ビルの話を聞く限り、その女性は随分と積極的で駆け引きが上手いタイプに思える。残念なことに、レイチェルの知る限り、自分にそう言った才覚はなかった気がするのだけれど。わからないと首を捻れば、ビルがくつくつと笑った。
「確かにね。付き合い始めるまでは、レイチェルがまさかこんなにシャイだとは思ってなかった」
未来の自分が急に積極的な女性に変わったのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
背後から抱きすくめられているせいで、吐息が耳にかかってくすぐったい。そのまま首筋へと降りて来た唇に、レイチェルは思わず身をよじった。
「僕がエジプトで知り合ったマグルの女の子と付き合ってるって言ったら、家族が会いたがっててさ。今度の夏休みに、皆がイギリスからこっちに来るから、レイチェルのことを紹介するつもりだった」
ビルは何てことない口調を装っていたが、その声はどこか寂しそうで、レイチェルは思わずはっとした。
今のビルは、レイチェル以外の知り合いと会うことができない。レイチェルの前で一度だって弱音を吐かなかったけれど、やっぱり自分の元居たところへ帰りたいのだろう。可能ならば、今すぐにでも。そう考えて、レイチェルは胸が締め付けられるのを感じた。けれど、どう慰めたらいいのかわからない。レイチェルが必死に言葉を探していると、ふいにビルがレイチェルの肩口へと顔を埋めた。
「昨日の夜、魔法省から手紙が届いたんだ」
真剣な声に、息を呑む。突然訪ねてきたきり音沙汰がないので、レイチェルも気になってはいた。けれど、何となくビルには聞きづらかったし、もしかしてレイチェルにはわからない魔法使い同士の方法で連絡を取っているのかもしれないと思っていた。やはり、そうだったらしい。あの魔法使いは、一体ビルに何を伝えたのだろう。
「準備ができたらしい。……明日の朝、ここを出て行くよ」
わかった、とレイチェルは短く返事をした。他に何か言おうとすれば、きっと自分でも感情の制御ができないだろうと思ったからだ。ビルも、それきり、その話に関しては何も言わなかった。
一緒に過ごす最後の1日になるとわかっていたけれど、レイチェルもビルも何か特別なことをするでもなく、できるだけいつも通り過ごした。一緒に夕食を食べて、一緒にテレビを見て笑って。
まるで明日からも、今日と同じ日々が続くみたいに。
ただ、その夜は2人で同じベッドで抱き合って眠った。