ガラスの靴は融けて

何だか前にも覚えのある状況だ。
いきなり自分の部屋の前に立っていた見知らぬ男と言うのは、一般的に言って不審者である。なので当然レイチェルはその男を部屋に上げることに躊躇いがあったのだが、そのまま廊下で立ち話をするような空気でもなかったので、仕方なく男を部屋へと招き入れることになった。2人は今、無言のままダイニングテーブルに向かい合って座っている。2人して深刻そうな表情をしているせいで、なんだか空気がとても重い。
自分の部屋の中に、魔法使いが2人も。お茶の用意をしながら、いよいよレイチェルはこの状況の不可解さを理解することを放棄した。
3人分の紅茶をテーブルに置き、自分も席に着こうと椅子を引くと、男がちらりとレイチェルに視線をくれた。

「ミスター・ウィーズリーと話がありますので、外して頂けますか」

当たり前のように要求してきた男に、レイチェルは正直言って少々気分を害した。
そもそもここはレイチェルの家である。家主に聞かれて困る話ならば、そちらがどこか場所を変えるのが筋ではないのか。そう思いはしたものの────レイチェルを見つめるビルが申し訳なさそうに眉を下げたので、レイチェルは気にしてない振りを装って、リビングを後にした。

「魔法使いって皆ああなの?」

自室の扉を背に、レイチェルは苦々しく呟いた。何と言うか、あからさまに見下されているのを感じる。レイチェルが魔法使いじゃないからか、それともレイチェルが女だからか。わからないが、気分が悪いことだけは確かだ。
それにしても、とレイチェルは背後を振り返った。…………気になる。あの男は一体、ビルと何の話をしに来たのだろう。わざわざレイチェルを追い払ったくらいなのだから、重要な話に違いない。気になる。
どうしても、気になる。

「───局───魔法事故惨事部古代───課所属の────です。まず、状況を確認させて頂きます」
「どうぞ」

長らくこのフラットに住んでいるレイチェルは、この建物の壁が薄いことは知っている。初めの頃は隣人の生活音に悩まされたりもしたものだけれど、たまには役立つこともあるものだ。集音器代わりにガラスのコップを押しあてれば、リビングに居る2人の会話を聞きとるのはそう難しくない。

「こちらの把握している情報では、貴方は1993年の5月16日午後2時頃、数人の同僚と共にサッカラの西方で発見された遺跡の調査をしていた。その際、解除しきれなかった呪いが発動したことにより、1990年8月21日のアレクサンドリアへ。以降、自分の意志で“姿現し”を使用し、カイロへと移動。そのまま同市に留まり、本日に至る────ここまでは間違いありませんか?」
「ええ」
「結構。では、貴方が巻き戻った時間は1000日、誤差はプラスマイナス3時間となります。本来、魔法省に届け出のない時間旅行は違法ですが、今回のケースに関しては例外的な事故によるものであり、貴方の過失ではないと判断されました。よって、魔法省は貴方の本来の時間軸に戻れるよう手助けします」

想像はついていたけれど、やっぱりその件らしい。
内容はこれ以上ないほどSFなのに、淡々とした会話なのが妙におかしい。いかにも事務的な男の口調に、魔法使いでも役人は皆似たようなものなのだなあとレイチェルは妙な感想を抱いた。
そんなことより。

「……戻れるんですか?」
「137年と2ヶ月前にも同様の事例があったとのことです。該当の遺跡の年代から言っても、同種の呪いである可能性が高いと考えられます。記録では前回のケースでは逆行した日数は4200日だったとのことなので、むしろ今回の方が解決は容易かと。詳細はお伝えできませんが、当時の資料が残っていますので今回も同じ手段が適用できると言うのが当部の見解です。ただ、時間や空間の座標を調整するのに時間を要しますので、今すぐと言うわけにはいきませんが。ここまでで、何が不明な点は?」

拍子抜けしたような声で問うビルに、男はやはり事務的に答える。何でもないことのような口調で返された肯定に、レイチェルもまた驚いた。
まさか、こうあっさりとビルが元の未来に帰る方法が見つかるなんて。しかも、こんなに突然に。映画や小説なら、もう少し何か前触れや予兆のようなものがあったりするものなのに。

「では、こちらから質問させて頂きます。同居の女性はマグルですね?」

レイチェルは思わず、コップを取り落としそうになった。まさか、この流れで自分の話題が出てくるなんて。
「ええ」ビルが落ち着いた口調で答える。わざわざ聞かれるまでもない。レイチェルはマグルだ。男だって、きっとそんなことここに来る前からわかっていただろう。レイチェルがマグルだと、何か問題があるのだろうか?

「国際機密保持法の13条はご存知かと思いますが。もし、彼女に貴方が魔法使いであることが知られた、もしくは彼女の前での魔法使用の事実がある場合、機密保持のため忘却術の使用が義務付けられます」

────“忘却術”。その耳慣れない響きに、レイチェルは目を見開いた。
それは、たぶん、またレイチェルの知らない“魔法”なのだろう。会話の流れから察するに、機密保持のために、レイチェルの頭の中から魔法界に関しての記憶をなくすような。
忘れるって、一体どの程度だろう。ビルが魔法使いだと言うことを? それとも、出会いから今までの全て────ビルの、存在ごと?
心臓の鼓動が早くなる。息を飲んで、レイチェルは次の言葉を待った。少しの沈黙の後、壁の向こうでビルの声が響く。

「とんでもない。彼女は、ただの善良なマグルですよ。僕の正体を知らず、住み込みのハウスキーパーとして雇ってくれている……それだけです」
「そうですか」

朗らかな声で紡がれた嘘に、レイチェルはまたしても目を見開いた。
無感動に相槌を打つ男が、ビルの言葉を信じたのかはわからない。もしかしたら必要だから確認しただけで、事の真偽なんてどうでもいいのかもしれない。

「準備に5日ほどかかります。それまでに、貴方も支度をしておいてください」

そうして、バシッと、空気を切るような音がした。それきり、2人の会話は聞こえなくなってしまう。
これで話は終わりだろうか? 状況を探ろうとレイチェルがコップへと耳を引っ付けていると、コンコンと部屋のドアがノックされる。慌ててコップを置いてドアを開けると、申し訳なさそうに眉を下げたビルが立っていた。

「ごめん、レイチェル。嫌な気分にさせたね」
「……別に、ビルが謝ることじゃないでしょ」

言いながら、チラとダイニングの方向に視線を向ける。開け放した扉から室内の様子が見えたけれど、既に男の姿はどこにもなかった。レイチェルには魔法使いの常識はわからないが、他人の家に訪問しておいてドア以外から帰るなんて、ちょっと礼儀知らずなんじゃないだろうか。
しかし、そんな苛立ちを覚えたところでぶつける相手はもう居ない。気を取り直して、レイチェルはビルへと向き直った。

「……あの人、何の用だったの?」

全部聞いていたくせに、素知らぬ振りをしてそんな問いかけをする。
忘却術って一体何なのかとか、あの男に嘘を吐いて大丈夫だったのかとか。聞きたいことはたくさんあるけれど、そんな質問をすれば盗み聞きしていたと白状するようなものだ。それに、どうせなら直接ビルの口から聞きたかったのだ。
ビルの声で、ビルの言葉で。

「あー……結論だけ言うと、どうやら僕は、元の時間に帰れるらしい」
「本当に? おめでとう! よかったじゃない!」

ぎこちない笑みお浮かべるビルに、自分でも白々しいと思うほど大げさに驚いてみせて、レイチェルはにっこりと笑みを浮かべた。そう、よかったのだ。喜ぶべきことなのだ。ビルは、元の時間に帰りたいはずだし、レイチェルだっていつまでもビルを家に置いておけるわけじゃない。だから、これは、ビルにとってもレイチェルにとっても良い知らせだ。

「これでもう、レイチェルに迷惑をかけずに済むよ」

苦笑してビルが言った言葉に、レイチェルは一瞬、一体何を言われたのかわからなかった。
迷惑? 何が? 誰が────ビルが? レイチェルに?
確かに、レイチェルの家はそもそも2人で暮らせるほどの広さはないし、同居人が居ることによって気を遣うこともある。
それでも。

「……迷惑なんかじゃないわ」

確かに最初は、迷惑だと思った。だって、出会った頃のレイチェルは、ビルのことを詐欺師かストーカーに違いないと思っていたから。だから、同じ家で生活していても、決して気を許すまいと思っていた。でも、今は違う。
今ではビルが詐欺師でもストーカでもないことも────とても優しいことも、ちゃんと知っている。

「迷惑なんかじゃない」

あの男の話を聞いて、自分の記憶が消されるのかもしれないと思ったとき。
ビルとの出会いを、ビルの存在を、忘れてしまうのかもしれないと思ったとき。レイチェルは、嫌だと思った。忘れたくないと思った。ビルを忘れるなんて、そんなの、考えられない。

「本当よ」

ビルと出会わなければ、レイチェルはこの先も、魔法の存在も、魔法使いの存在も知らなかっただろう。
ビルとの出会いによって、レイチェルのそれまでの平穏な世界は壊された。確かに驚いたし、信じられないことばかりだった。けれど、出会ったことを後悔なんてしていない。
もう、出会う前には戻れない。

「ありがとう」

はにかんだようにビルが笑った。その表情に、胸が締め付けられる。
……ああ、もう。駄目だ、と思った。ビルがどうしてあの男に嘘を吐いたのか、レイチェルにはわからない。聞くつもりもない。とにかく、ビルが真実を隠したことに、レイチェルはほっとした。たとえそれがビルの生きる世界の決まりごとなのだとしても、レイチェルはビルを忘れたくない。その感情の名前を、理由を、わからないほどレイチェルは馬鹿じゃない。
もう、駄目だ。もう、誤魔化しはきかない。認めよう。

レイチェルは、ビルが好きなのだ。

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