それ以来、ビルはレイチェルの前で魔法を使うことを躊躇わなくなった。
杖の一振りで食材が宙を舞い、炎が燃え上がり、衣類がひとりでに洗濯機の中へと吸い込まれていく。
そんな摩訶不思議な光景を見て、映画のCGみたいだなと夢のない感想を抱くレイチェルは、つくづくSF映画のヒロインたる素養に欠けている。
だって、“魔法”だなんて! そんなの、童話の中だけだと思っていたんだから、実感が湧かないのは仕方ないじゃないか。いちいち取り乱して叫び出したりしないだけ、レイチェルはこの状況に順応できている方だとすら思う。
レイチェルの中の魔法のイメージと言えば、毒リンゴにかぼちゃの馬車。それから黒いトンガリ帽子に黒い猫にヒキガエル────そう考えてみれば、ビルは随分と現代的だった。少なくともレイチェルの頭の中の魔法使いは何かの牙のピアスをぶら下げていなかったし、穴の空いたジーンズも履かない。
「まさか、箒で空を飛べるなんて言わないわよね?」
冗談半分に聞いてみれば、それは弟のチャーリーの方が得意だと返された。ついでに、彼の仕事はドラゴンの研究だとも。ドラゴン────その単語に、レイチェルはいよいよ自分の理解の範疇を超えていると感じた。恐竜が絶滅してから数千万年が経つと言うのに、どうやら魔法界には未だにドラゴンが生息しているらしい。
「……ねえ、もしかして、未来から来たって言うのも本当なの?」
ビルが魔法使いだと言うことはわかった。信じよう。けれどまだ、未来から来たと言う件については何も説明を受けていない。そんな非科学的なことあるわけないと頭から信じていなかったけれど、もしかして魔法ならそれも「アリ」なんだろうか。ビルによれば、魔法だからって何でもかんでもできるわけじゃないとのことだけれど。
「……信じてなかったの?」
レイチェルの疑問に、ビルはきょとんとした表情を見せた。何を今更とでも言いたげな口調だった。確かに今更だ。だって、レイチェルの常識からすればそれは間違いなく“嘘”か“妄想”のどちらかであって、その真偽を問うようなものではなかったから、聞く必要も感じなかったのである。
「じゃあ、僕が君の恋人だってことも……?」
勿論信じていなかった。ゆっくりと首を縦に振ったレイチェルに、ビルはひどくショックを受けたような顔をした。まあ、無理もないのかもしれない。下手に刺激するのが面倒で、その話題については徹底的にスルーしていたし。
しばらくの間ビルは呆然としていたが、急に真剣な表情でレイチェルを見つめた。
「駄目だよ、レイチェル。見知らぬ男を泊めるなんて、危険すぎる。襲われたらどうするんだ」
「その理屈だと、私は今すぐビルをこの家から追い出さなきゃいけなくなるんだけど」
「そうだけど……」
冷静に矛盾を指摘すれば、窘めるような響きだった口調が動揺するのがわかる。困ったように眉を下げる表情がちょっと可愛い。レイチェルは思わずクスクスと笑みをもらした。ビルはお説教でもしたそうな目でレイチェルを見つめていたが、結局は飲み込むことにしたらしく、複雑そうな溜息を吐きだした。
「……レイチェルが僕を家に上げてくれて、助かったよ。でも……こんなことはもう二度としないでくれ」
そもそもこんなこと、そう頻繁にあることでもない。少なくともレイチェルの人生において、こんな変てこな状況に遭遇したことは未だかつてなかった。そう反論しようかと思ったが、ビルの目を見たら何も言えなくなってしまった。
また、最初に会った時と同じ目だったからだ。大切な、心から愛しいと思っているものをみるような、あの目。
「信じたから泊めてくれたんだと思ってたんだ」
ふいに視線を落として、ビルが拗ねたような口調で言った。どうやら、レイチェルが全くビルの言葉を信じてなかったと知って傷ついたらしい。
何だか少し胸が痛んだけれど、あの状況で疑うなと言う方が無理な話じゃないだろうか。はっきり言って、あのときのビルは、これ以上ない位パーフェクトに不審者だった。
「言っておきますけどね、『未来から来た君の恋人だ』なんて言われて素直に信じる女は、よっぽど純粋で夢見がちか、ちょっと頭がおかしいかのどっちかよ」
ビル達魔法使いの間でははいそうですかと信じられることなのかもしれないが、レイチェルの常識からすれば到底信じられるわけがないのである。そこを責められる謂われはない。
絶対ストーカーか詐欺師だと思ったんだからと、素直にぶっちゃけたレイチェルに、ビルは今度こそ整った顔を引きつらせた。が、ふと何かに気がついたかのようにじっとレイチェルを見つめる。
「じゃあ、どうして、僕を泊めてくれたんだい?」
ビルの疑問に、レイチェルはうっと言葉に詰まった。
確かに、レイチェルの主張は辻褄が合わない。ビルのことを全く信じていなかったし、不審者だと思っていたのに、家に泊めましたなんて。危機感が足りないと言われても仕方がない。実際、自分でもちょっとそう思う。
弁解すれば、あのときレイチェルはビルを家に上げる気なんて全く、これっぽっちもなかったのだ。
それなのに、こうして彼を、ビルを部屋の中に招き入れてしまったのは。
「あなたは本当に困っていそうだったし……それに悪い人じゃないって思えたから」
たぶん、それがビルだったから、なのだろう。
他の誰かが同じように部屋を訪ねて来たとしても、きっとレイチェルは鼻先でドアを閉めて追い返していただろう。レイチェルを見るビルの目は、あまりにも真剣だったから。嘘を吐いているようには、見えなかったから。
「実際、危なくなかったでしょう? ビルは私に指一本触れてやいないじゃない」
それにいざと言う時のために護身用の銃も持っていたし、と言う言葉は飲み込んだ。たぶん、ただでさえショックを受けているビルには言わない方がいいだろうと思ったからだ。
ね、とレイチェルが笑いかけると、ビルは困ったように微笑んでみせた。
「僕はいいんだ。君にひどいことなんてできるわけない……でも、レイチェル、どうか、人並みの警戒心は持ち合わせてくれ」
懇願するようなビルの言葉に、レイチェルは何と返していいものかわからなかった。
それはちょっと無茶苦茶なんじゃないのと反論したい気持ちはあったが、ビルが心からレイチェルを心配してくれているのがわかるから、渋々わかったと頷くことにした。ビルの言い草だと、何だか、自分がか弱いティーンの女の子に戻ったみたいだ。
それがひどくくすぐったくて────そして、何だか少し嬉しくもあるのだった。