早いもので、ビルとの生活を始めてから1週間が経った。
優秀なハウスキーパーのおかげでたっぷりと読書漬けの日々を満喫したレイチェルは、そろそろ太陽の光を浴びたくなった。どこでもいいから、おしゃれして出掛けたい。映画でもショッピングでも何でもいい。
だがしかし、そこで問題になるのがビルの存在である。
今のところ、食材や生活必需品の買い出しなんかは、レイチェルが出掛けるのではなく、ビルに必要な分のお金を預けて買って来てもらっていた。要するに、レイチェルは常に家に居て、ビル1人で留守番させると言う状況にはまだなっていない。いくらビルの仕事ぶりが信頼に値するものとは言え、流石にそこまで信用してしまうのはまずいだろうと思ったからだ。ちょっとくらいなら大丈夫じゃないかと思う一方で、やっぱり不安は残る。
「ねえ、ビル。買い物に行かない?」
ビルに留守を預けるのが不安ならば、いっそビルを一緒に連れて行けばいいのだ。そう思い至ったレイチェルは、早速ビルの居るリビングへと向かった。掃除機をかける手を止めたビルがレイチェルを振り返る。何だかこの光景にも慣れてしまったなとレイチェルはぼんやり思った。
「いいけど、何を買うつもり?」
必要なものなら僕が買って来るよと、きょとんとした顔をするビルに、レイチェルは考えた。流石に本人に向かってお前に留守番させるのが嫌だからなんて言えるはずもない。とは言え、レイチェルのウィンドウショッピングにただビルを付き合わせるのも可哀想だ。そう考えたところで、レイチェルはふとビルの服装に目を留めた。
「そうだ。ビルの服を買いましょ!」
荷物らしい荷物を持っていなかったのだから当たり前の話だが、ビルは替えの服を持っていなかった。先日イギリスから泊まりに来た兄が置き忘れていった衣類があったので与えていたが、それだってそう数があるわけではないし、第一ビルの方が兄よりも手足が長いせいでちょっとばかり寸足らずだ。名案だとレイチェルはにっこりしたが、ビルは気が進まないようだった。
「いいよ、このままでも。別に困ってないし……」
「お金のことなら心配しないで。私が誘ってるんだもの、私が出すわよ」
「そんなつもりは……」
「いいから!雇用主の言うことは聞きなさい!」
尊大に言い放つレイチェルに、ビルは困ったように眉を下げたが、反論はできないようだった。決まりだ。
じゃあ30分後にね! と一方的に言い残し、レイチェルは着替えのために自室にこもった。
久しぶりのお出かけに、気持ちも弾む。お気に入りのワンピースとミュールを選んで、髪をセットして。そうして鼻歌交じりに化粧を済ませると、ビルを引きずって街へと繰り出した。
「これも似合うんじゃない?」
そうして適当なアパレルショップへと入ったレイチェルは、早速ビルを試着室へと押し込んだ。店員が女性だったのもあって、きゃあきゃあとはしゃぎながらコーディネートを考えていく。イケメンだし手足が長いからどんな服でも着こなせてしまうので、着せ替えがいがある。店員も楽しげで、途中からは半ば仕事だと言うことを忘れているようだった。
店を出る時、大量に衣類が詰まった紙袋を手にレイチェルはほくほく顔だったが、ビルは浮かない顔だった。
「気に入らなかった?」
「そうじゃないよ。ただ……レイチェルにお金を遣わせるなんて」
てっきり買った服が趣味じゃなかったのかと思ったが、返って来たのはそんな言葉だった。
レイチェルが誘ったのだし、元々買ってあげると言う約束で連れ出したのだから、そんなことは気にする必要のないことだ。第一、ビルの仕事ぶりを考えれば、これくらいは報酬の一部として考えてもむしろ安い。
「気にしないで。私も楽しんじゃったし」
それに、自分が買うからこそあれだけビルを着せ替え人形にできたわけだし。
計20着はあったであろうファッションショーの間、ビルは無抵抗だった。「買い物中の女性には逆らわないって決めてるんだ」と疲れたような笑みを見せるだけだった。どうやら普段も妹や母親に似たようなことをされていたらしい。それならばとつい調子に乗ってしまった。
こんな風にショッピングするなんて久しぶりだから、ものすごく楽しいし、満足だ。自分の物でなくても、素敵な物を探したり、あれこれと迷うのが楽しいのである。うきうきと足取りも軽く進んでいたレイチェルは、ふいにビルを振り返った。
「お腹空いたし、何か食べましょ。ビルは何が…………あれ?」
食べたいの、と聞こうとしてレイチェルはそこで立ち止った。ビルが居ない。つい数秒前まで居たはずの人間の姿が消えていたので、レイチェルはきょろきょろと辺りを見回した。まさか迷子になったわけもなし、一体どこに消えたのだろう。
「レイチェル、こっちだよ」
と思っていたら、柱の陰からビルが手招きした。はぐれたわけではなかったことにほっとしたが、まるでかくれんぼでもしているようなその姿に、レイチェルは少々の呆れを覚える。小さな子供ならば可愛らしいが、ビルは歴とした成人男性なのだから、可愛さよりも不審さが勝つ。
「何してるの、そんなところで」
「驚かせてごめん。でも、ちょっと、都合が悪くて」
自分でも自覚はあるのか、ビルは苦笑した。そして、ちらりと何かを気にしているような素振りを見せる。
誰か、会うと都合の悪い知り合いでも居たのだろうか? その視線の先を追って、レイチェルはぱちりと目を見開いた。
「……ビル?」
そこには、ビルが居た。いや、全くもってビルそのものなわけじゃなかった。服装が違うのは当然としても、ポニーテールにしている髪は、長さが足りないように思えたし、顔立ちもビルよりほんの少し幼く見える。ビルだけど、ビルじゃない。まるで高度な間違い探しだ。
「……双子?」
「まあ、そんなものかな」
一番自然に思える可能性を口にすれば、ビルは曖昧な肯定を返す。レイチェルはしげしげとその青年を見つめた。見れば見るほど鏡みたいに瓜二つだ。横に並ばれたら、すぐには見分けるのは難しいだろう。
ビルのそっくりさんはこちらには気がついていないらしく、そのまま通りの向こうへと消えていった。その姿が完全に見えなくなったのを確認して、ようやくビルは柱の陰から出てきた。
「ちょっと理由があって、見つかるとまずいんだ」
困ったように眉を下げるビルに、ふうん、と生返事をする。さっきから言葉を濁しているところをみると、どうやらその理由とやらはあまり追及されたくないことらしい。まあ、レイチェルだって根掘り葉掘り聞き出そうと思うほど強く関心があるわけでもないので、別にいいけれど。
「ねえ、ビル、私、お腹空いたの。チャイニーズでいい?」
「えっ……あ、うん。勿論」
誰にだって、親しい相手でも触れられたくない事情の一つ二つあるものだ。ましてビルとは親しいどころか1週間前に会ったばかりで、ほとんど何も知らないと言ってもいいような間柄なのだし。知っているわずかな事柄さえ、そのどれが嘘でどれが本当なのかさえわからない。だから、まあ、当然なのだけれど。
どうやらビルには何か、レイチェルには言えない隠し事があるらしい。