鮮やかなほど嘘くさい

「………………ええと、あー…………そう」

その瞬間、レイチェルはきっとひどく間抜けな顔をしていたに違いない。たっぷりした沈黙の後に、ぎこちない笑みを浮かべてそう返すのがやっとだった。あまりにも予想外の発言だったので、何をどう反応すればいいのかわからなかったのだ。
恋────恋人? それも、未来からやって来た? SF小説の読み過ぎなんじゃないだろうか。そうでなければ、そう言う手口の詐欺か。いかにも好青年然としていて印象が悪くなかっただけに、ショックも大きい。まじまじと見返した青年の顔は、やっぱりいかにも善良そうで、レイチェルは何を信じたらいいのかわからなくなりそうだった。そんなレイチェルの混乱をよそに、青年は更に言葉を続ける。

「それで……その……僕、行くところがなくて……しばらく泊めてもらえたり、しないかな……」
「……は?」

あまりにもな提案に、声に刺々しさが滲み出てしまったのは仕方がないことだろう。
レイチェルはこの青年とは初対面だ。彼の恋人になれるはずもない。自分の恋人を勝手に名乗る相手を、ほいほい家に上げる人間がどこに居るだろう。家に泊めるどころか、今こうやって二人きりで話をすることすら身の危険を心配するべき事態だ。悪徳セールスの方がよっぽどマシだった。
無意識のうちに、距離を取ろうと半歩後ずさる。レイチェルはますますもって不可解な状況をどうしたものかと眉を寄せた。部屋のドアは目と鼻の先だ。しかし今はレイチェルよりも青年の方が距離が近い。隙をついて鍵を開けて、ドアを閉めて───うまく行けばいいが、もしも一緒に部屋に入りこまれてしまったらアウトだ。大声で叫んだら助けは来るだろうか。相手の挙動を警戒しながらタイミングを窺っていると、青年は困ったように眉を下げた。

「やっぱり、無理だよね。ごめん。忘れて」
「え?」

またしても予想外の言葉に、レイチェルは思わず警戒を解いてしまった。もしや油断させるための作戦かと慌てて気を引き締めたが、青年はそんなレイチェルの脇を通り過ぎた。そしてそのまま、先程レイチェルが上ってきた階段を下りていく。レイチェルは呆気にとられてその場に立ち尽くしたが、はっとして階段に駆け寄り、下を覗きこんだ。

「え……あの……どこ行くの? 大丈夫?」

不審者が立ち去ってくれるのだから素直に喜ぶべきなのだろうが、あまりにも青年があっさり引き下がったのでかえって不安になってしまった。何もかもわからない。ちぐはぐだ。未来から来た恋人なんて馬鹿げたことを言ったその唇で、常識人じみた謝罪を口にする。そもそもどうして彼がそう思いこむようになったのかもわからないし、彼がレイチェルの部屋を知っていたのかも謎のままだ。そして、さっきはあんなに必死な目でレイチェルを見つめてみせたくせに、今はもうレイチェルを興味の外へと置いてしまったようだった。レイチェルの問いかけにも、歩みを止めない。

「いや、大丈夫。何とかするよ。本当に、ごめんね」

ちらりと視線だけよこして、申し訳なさそうに笑う。レイチェルの胸がまた、罪悪感に軋んだ。
トントンと、規則正しい足音が遠ざかって行く。そう言えばさっき、行くところがないと言っていなかっただろうか? 荷物の少なさから言って、青年は明らかに観光客ではない。少し歩けばホテルはあるが、わざわざレイチェルの部屋に泊めてほしいと頼みに来るくらいなのだから、そんなお金はないのだろう。レイチェルにとっては慣れ親しんだ町だが、外国人にとってそう治安のいい場所ではない。
いきなり部屋に訪ねて来て、未来から来たなんて突拍子もない虚言を口にして、その上家に泊めろだなんて図々しい頼みごとをする。おまけにレイチェルのことを自分の恋人だと思いこんでいる。いくらハンサムだって、この上ないくらいパーフェクトに不審者だ。
でも────でも、今、笑った顔はどこか寂しそうで、悪徳セールスマンにも、妄想の世界の住人にも、詐欺師にも見えなかった。

「待って!」

気づけばレイチェルは声を張り上げていた。そして、そんな自分の行動に驚いた。
呼び止めて、何ができると言うのだろう? 青年が足を止めて、不思議そうにレイチェルを仰ぐ。このままさようならと見送ってしまえばいい。そうしたらレイチェルは予定通り、快適な部屋の中で優雅な休日を過ごすことができる。不審者がどうなったって、レイチェルの知ったことではない。スリに遭おうが道端で夜を明かそうが、知ったことではないのだ。ああ、でも────。

「…………………………泊まっていく?」

その言葉を口にするには、相当の勇気が必要だった。そして言った瞬間、やっぱり言わなければよかったかもしれないと後悔した。
何を言っているんだろう。見ず知らずの人間を、しかも自分の恋人を自称している男性を部屋に泊めるだなんて。襲われても────いや、それどころか、明日自分の死体がリビングに転がることになったとしても文句は言えない。正気の沙汰じゃない。これがもし他人事なら何て馬鹿なことをと呆れるだろう。けれど、一度口にしてしまった言葉は取り消せない。それに、期待を持たせておいてやっぱりダメなんて言い出す残酷さも、レイチェルは持ち合わせていなかった。

「本当?」

レイチェルの提案に、青年────ビルは、嬉しそうに顔を綻ばせた。ぱっと花が咲いたようなその表情に、レイチェルは思わず心臓のあたりを押さえた。────かっこいい。自分では特別面食いのつもりはなかったのだけれど、これは反則だ。不審者だと知らなかったら、きっと今の微笑みだけで恋に落ちてしまう。
軽やかな足取りで階段を駆け上がってきたビルは、いきなりレイチェルを抱きしめた。そしてそれだけじゃなく、頬にキスまでしてきた。あまりにも突然だったので、レイチェルには抵抗する間もなかった。

「ちょっと!」

そっちは恋人だと思いこんでるから自然なことなのかもしれないが、レイチェルにしてみれば初対面の他人なのだ。いくら何だって慣れ慣れしいと怒ろうとしたが、あまりにも嬉しそうなビルの顔を見たら何だか言葉に詰まってしまった。そんなレイチェルに、ビルはまた蕩けるような笑みを浮かべてみせる。

「ありがとう、レイチェル

…………だからどうして、私の名前を知っているの。こっちはまだ名乗ってないのに。
そう問いたい気持ちはあったけれど、レイチェルはそれを飲み込み、代わりに溜息をひとつ吐き出した。どうせ聞いたところで、またレイチェルには不可解な情報が増えて、混乱するだけだろうと思ったからだ。
ポケットの中から鍵を取り出し、ノブを回す。待ち焦がれたクーラーの冷気が肌を撫でた。

かくしてレイチェルは、自称未来の恋人を部屋へと招き入れることになったのだった。

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