不思議なことに、ビルからもらった花束は、いつも生花にしては驚くほどに長く咲き続ける。
せっかくビルが贈ってくれたものだからと、丁寧に世話をしていると言うのも理由の1つではあるのだろう。けれど、それにしても街にあるフラワーショップで買ってきた切り花よりも、明らかに萎れるまでの時間が長い。花の種類に関わらず、ビルがくれたものはみんなそう。まるで、たった今摘んできたばかりのように、鮮やかで生き生きとしている。まるで、何か特別な肥料でも使ったみたいに。

「ビルからお前への愛の力じゃないのか?」
「叔父さんたら、くだらないこと言ってないで。はい、3番テーブルにガーデンサラダと日替わりランチよろしくね」
「いやーしかし、ビルも情熱的だなあ。記念日でもないのに、こんな大きな花束なんて。レイチェルがこれを抱えて店に入って来たとき、てっきりプロポーズでもされたのかと思ったぞ」

やっぱりモテる男は違うんだなあ、なんて呑気にそんなことを言うおじさんに、思わず溜息が出た。
ビルがくれた薔薇は、今日もテーブルの上で優雅に咲き誇っている。仕事先で見つけたって言っていたけれど、こんな綺麗な薔薇、一体どこに咲いていたんだろう。
何だかテーブルの上を見るたびにビルの顔を思い出してしまって、ほんの少し憂鬱な気分になる。浮気されてるかも、とか嘘を吐かれてるかも、なんて。……そんなこと、仕事のときくらい、忘れていたいのに。

レイチェル。待った?」
「ううん」

約束の土曜日の夜。せっかくのデートなのだからと叔父さんが早い時間に上がらせてくれたので、1度家に帰って着替えることができた。ここのところどちらかの家で会うことが多かったから、2人で夜にお出かけするなんて久しぶりだ。そのせいか、服装と言いメイクと言い、明らかに普段よりも気合が入ってしまったせいで、常連客達にはからかわれたけれど。

「……どうしたの?」
「僕の恋人は今日も綺麗だな、と思って」
「ありがとう」

優しく微笑んでくれるビルに、曖昧に笑い返す。
淀みのないその口調に、言い慣れているんだろうな、なんて冷めたことを思ってしまう自分が居て、可愛げがないなと思う。「僕の恋人」。優しい響きで紡がれた言葉に、ちくりと胸が痛むのがやるせなかった。他の誰かにも、同じ言葉を囁いてるんじゃないか、なんて不安に思ってしまう。嬉しいと感じているのだって、嘘じゃないのに。

「それじゃあ、行こうか」
「ええ」

いつもながらの、完璧なエスコート。
付き合い始めた頃はこうやって腕を組んで歩くことも、スマートに褒めてくれることにも、そんな些細なことひとつひとつに舞い上がって、宝物みたいに抱きしめていたのに。ビルに褒めてほしくて、少しでも大人っぽく見せたくて、何を着て行くかで何時間も鏡の前で悩んでいた。ビルに出会った頃とは、香水の趣味やマニキャアの色もすっかり変わった。
情熱的で素敵な恋人。愛されている。ビルを見た誰もがそう言うのだから、たぶん、その通りなのだ。

「ビルも。そのジャケット、よく似合ってる」
「そうかな。ありがとう」

やっぱり、変わってしまったのは私の方なのだろうと思う。

 

 

 

デートだからと言って、あらすじを調べもせずにラブロマンスを選んだのは失敗だった。

2時間近くもある映画の間、画面の中で一喜一憂するヒロインの純真さに、まるで感情移入できなかった。どれだけヒーローがヒロインを省みなくても、ただヒーローだけを見つめて、その気持ちがいつか自分に向くのを信じて待ち続ける。あと、ヒーローがどこかビルに雰囲気が似ていたのも集中できなかった理由だった。
ハンサムで、聡明で、優しくて、そんなだから当然女性にもモテて。けれど、そんなヒーローも結局最後にはヒロインの一途さに心打たれる。
やっぱり、ヒーローに選ばれるためには彼を信じていなければいけないのだと、溜息が出た。

「ビルって、どうして……私を恋人に選んでくれたの?」

フィクションと現実を比べたって仕方ないとはわかっているけれど、何だかヒロインと自分を重ねてしまって、その差に落ち込んでしまう。今私の隣を歩くビルは映画のヒーローにも負けないくらい出来すぎた恋人だけれど、私はヒロインのように美しくもないし、一途でもないし、健気でもないから。ビルには、私なんかじゃ物足りないんじゃないか、なんて。

「どうしたの、急に改まって」
「何となく……聞いてみたかっただけ」

そう答えて、はたと気づく。そう言えば、さっきの映画のラストにこんなセリフがあったっけ。意識していなかったけれど、何だか映画の真似をしたみたいで恥ずかしい。どうやらビルも気づいたらしく、映画のシーンと同じくビルの手が私の頬へと触れた。

「そう言う君こそ、どうして僕を好きになってくれたの?」

そしてヒーローが返したセリフはこうだった。
猫のように楽しげに目を細めるビルは、やっぱり映画に出ていてもおかしくないくらい綺麗な顔をしている。そんな、ちょっと意地悪な表情ですらも魅力的なのだからずるい。ビルが私の言葉を待ってじっと見つめるので、思わず視線を泳がせた。……確かに、自分だけ一方的に聞き出そうと言うのは随分と都合がいい話だ。

「……笑わないでね。一目ぼれ」

そう。一目ぼれだった。それは、ビルがとてもハンサムだったからと言うのもあるけれど────慣れない知らない土地で触れた優しさは、まるで砂粒の中から見つけた宝石のようにきらめいて見えて。ビルの親切が、彼にとって何でもないことだとわかっていたからこそ惹かれてしまった。きっと彼は、あのときそこに居たのが誰だったとしても同じように接しただろうと、わかったから。

「僕も、一目ぼれかな。グラスを割っちゃったって泣きそうに青ざめてた女の子の、笑った顔が可愛かったから」
「……本当に?」
「本当だよ」

ビルがくすりと笑う。私がビルに一目ぼれすると言うのはあまりにも単純明快だけれど、ビルが私に一目ぼれなんて言うのは、何だか信じられない。はぐらかされたのかな、とぼんやりと思った。
叔父さんから前に聞いたことがある。ビルは、他の常連客の女性達からもアプローチを受けていたって。私じゃなくても、ビルなら他にいくらでも好きだと言ってくれる女の人が居るのだろう。私よりも大人びた、綺麗な人も。私よりも純真で、健気で、一途にビルを想ってくれるような子が、きっと。

レイチェル。……何だか最近、何か悩んでる?」
「……ううん。何も」

貴方のことよ、と。素直にそう口に出すことができたら、この胸の中の靄も晴れるのだろうか。本当に、私のこと好きなの? 私は、本当に貴方の恋人なの?って。そう、聞けたなら。
でも────せっかくの楽しいデートなのだから、そんな風に癇癪を起こして、台無しにはしたくない。

レイチェル

額に、瞼に、頬に。音もなく何度も降って来た唇が、柔らかく唇へ触れる。私よりも少し冷たい温度。軽く啄ばむだけだったキスが少しずつ奥へと深く入り込んで、ゆるやかに舌先が絡まる。そのもどかしさと、ざらついた粘膜が触れ合う感触に、自分の体温が上がってしまうのがわかる。

「……今夜は、君の靴を脱がせたいな」

睫毛が触れる距離のまま、ビルが小さく囁いた。暗がりの中で深く色を変えた瞳に、私の影が映りこんでいる。
たとえ、ビルに他に想っている人が居たとしても。今この瞬間、彼の瞳に映っているのは私ただ1人きりだ。その奥に灯った熱の宛先も。ただそれだけのことを、どうしようもなく嬉しいと感じてしまう。

「ダメかな?」

困ったように笑うその顔に、心臓がきゅっと締めつけられる。
もうダメだと、終わらせなくちゃと思うのに。このまま一緒に居たところで、きっと胸の中で燻る寂しさや不安は増すばかりだって、わかってるのに。ビルはきっと、私がビルに振り回されるほど、私のことで困ったり、取り乱してはくれない。一方にだけ傾いた天秤が、今にも壊れそうに軋んでいるのがわかる。わかっているのに、こうやってビルに見つめられると私はまるで魔法にでもかけられたみたいに従順で、ビルを拒むことができない。そんな気分じゃなかったはずなのに、また今日も流されてしまう。ビルを信じることができないくせに、やっぱりビルが好きで、与えられる熱を求めずにはいられない。
もう随分と前から私達の関係は歪で、終わりが近いことなんて、わかっているのに。

今日でなくてもいいと、またいつかと自分を誤魔化して。もう何度も、そんな日を繰り返してばかりいる。

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