いつまで私は、こんな関係を続けるつもりなんだろう。
「恋人」を、本来なら信頼して気を許せるはずの相手を疑うなんて、本末転倒もいいところだ。
自分でもわかっている。ただの私の考えすぎだった、なんて可能性は低いこと。たとえ、浮気でなかったとしても、ビルが私に“何か”を隠していることは間違いない。
ビルと付き合う前の私が今の私を見たとしたら、馬鹿じゃないのって眉を顰めるだろう。信用できない相手となんて、さっさと別れればいいじゃないって。まして浮気なんて、自分が本命でもそうじゃなくても最低。相手を本当に大切に思ってたら、そんなことするはずない。そんな相手と一緒に居るだけ時間の無駄、なんて。
「そう思ってたはずなのになあ……」
なのに現実は、こうしてグズグズと悩んでは何もできずに足踏みをしている。まさか自分が『浮気されてもそれでも彼が好き』なんてラブソングに共感する日が来るなんて、思いもしなかった。
とは言え、きっとそう遠くない日に限界は来るのだろう。私が耐えられなくなるのが先か、それともビルが私に事情を話してくれるのが先か、もう用がなくなって別れを切り出すのが先かはわからないけれど。
火遊びを楽しむ女にはなれそうもないし、本命の相手からビルを略奪する、なんて負けん気やバイタリティもない。となれば、もう別れるしかない。ほとんど答えは出てしまってるのだけれど。自分から浮気の証拠を突きつけて別れを切り出すのか、それともビルが自分から打ち明けてくれるのを待つのか。……本音を言えばビルの口から話してほしいとは思う。でも、その日まで疑い続けると言うのも、何だか嫌だ。だとすればやっぱり、自分で浮気の確証を得るしかないのだろうけれど。
私の仮説────本命の彼女をイギリスに残して来ていると言うのが正しいとして、どうやってそれを証明すればいいのだろう?
真正面から本人に聞いたところではぐらかされるに決まっている。だとしたら何か2股の証拠を掴むしかないのだろうけれど……それもやっぱり、難しい。だって、相手はここには居ないのだ。そもそも、本命がイギリスに居るんじゃないかと考えたのも、ビルに他の女性の影が見えないせいだった。いや、もしかしたら他にも浮気してる可能性もゼロじゃないけれど……少なくともビルの部屋には私以外上げていないはずだ。バスルームに私の化粧品を置いても嫌な顔をしなかったし、次に訪ねたときも特にそれを隠したり、他の誰かが使った形跡はない。他にも誰か連れ込んでいたとしたら、どんなに綺麗に掃除したって髪の毛の一本くらい落ちていそうなものだけれど、それもない。
恋人同士のやり取りがある手紙? でもそんなもの、浮気するとしたら真っ先に気を使って隠すものだろうし……。
「レイチェル」
「…………いらっしゃい、ビル」
そう言えば今は仕事中だった。店の前の掃除をしていたはずが、すっかり箒を掃く手は止まってしまっている。ビルのことを考えていたせいで幻覚を見ているのかと思ったけれど、パチパチと瞬きをしても目の前のビルは消えない。
「どうしたの? もしかして、これから食事……?」
「ううん。今日は違うんだ。……何だか、元気ない?」
「えっと……大丈夫。元気よ」
ランチにしては遅い訪問を不思議に思って問いかければ、逆に質問し返されてしまった。
考え事の内容が内容だったから、たぶん暗い顔をしていたのだろう。とは言え、まさか本人に向かって、貴方と他の女の関係の証拠を掴む方法について考えていました、なんて言えるはずもない。心配そうに表情を曇らせるビルに曖昧に笑ってみせると、どうやら誤魔化されてくれたようだった。
「これを渡しに来たんだ」
そう言ってビルが差し出したものを見て、私はまたしても目を白黒させた。ふわりと、柔らかな花の香りが鼻をくすぐる。私の顔のすぐ前にあるのは、一抱えもある大きな花束だった。この香りと淡いピンク色の花弁は、薔薇だろうか。……いや、そんなことよりも。
「い、今、これ、どこから出したの?」
「秘密。びっくりした?」
悪戯っ子みたいな口調に、私は素直に首を縦に振った。後ろ手に取り出したように見えたけれど、花束の大きさからして、明らかにビルの背中には隠せそうにない。手品か何かだろうか……? 手先が器用なのは知っていたけれど、まさか手品まで使えたなんて。
「仕事先で見つけたんだ。綺麗だったから、レイチェルに見せたくて」
「ちょっとは気分が明るくなれば良いな」なんて、ビルがニッコリ笑ってみせる。そんな真っ直ぐな言葉に、胸が軋んだ。その気持ちを嬉しいと思うし、素直に喜びたいのに────何だか、さっきまでの自分が彼を疑っていたことが、後ろめたく感じてしまう。
「ありがとう。お店に飾らせてもらうわ。せっかくこんなに綺麗だから、皆にも見てほしいもの」
「うん。そうして。……それと、土曜日の夜って、まだ空いてる? よかったら、映画でも見に行こう」
「……ええ。大丈夫」
特にこれと言った予定もないので断る理由もないけれど、急なデートの誘いなんて珍しい。それに、珍しいと言えばこんな風に仕事中にちょっとしたことで会いに来るのも。ランチを食べに来ることはあっても、わざわざ仕事を抜けて会いに来るなんて、今までなかったことだ。
「何が見たい映画はある? 考えておいて」
「わかったわ。楽しみにしてる」
「お店が終わる頃に迎えに来るから。待ってて」
「ええ」
「じゃあ、僕はこれで。またね」
そう言って私の頬に軽くキスをして、ビルは仕事へと戻って行った。とは言っても、私が彼のオフィスがどこにあるのかさえも知らないわけだけれど。
次に会うのは土曜日。2人で映画に行くのなんて久しぶりだ。何を着て行こうかな、なんてぼんやりと考えていると、ふと視線を感じた。
「ねえ、今の彼はあなたの恋人?」
「え? ええ、まあ……」
「いいわねぇ!素敵な恋人で」
「愛されてるわね、お嬢さん」
どうやら、さっきのやりとりの一部始終を見られていたらしい。テラス席の女性客達に微笑ましそうな目を向けられて、私は曖昧に笑みを浮かべた。花束は綺麗だけれど、抱えたままでは掃除ができない。とりあえず空いている花瓶を探そうと1度店に戻って────思わずはあ、と溜息が出た。
「愛されてる、かあ……」
実際、そう見えるんだろうなと思う。たぶん、実際に私が第三者としてこの状況を見たら、羨ましいと言うだろう。突然会いに来てくれて、大きな花束をくれる。映画のワンシーンみたいなロマンチックなシュチュエーションも似合ってしまう、情熱的で素敵な恋人。
「……素直にそう信じていられたら、よかったのにね」
出会った頃から、ビルは変わらない。優しくて、私を気遣ってくれる。変わってしまったのは、それを不安に思う私の方。たぶん、ビルのことを疑う前の、ううん、ビルと出会った頃の私だったら、今の出来事は今すぐ世界中に自慢したいくらいの幸福な出来事だったはずだ。
ビルの恋人になれて、こんな風に甘い言葉と贈り物をもらって。あの頃の私から見れば、今の私はきっととても、幸せなのに。
どうしてこんなに、寂しいんだろう。