ねえ、聞いてくれる?私が初めてダイアゴン横丁に行ったときの話。

ああ、とは言っても、私の記憶にある限りって枕詞がつくんだけれど。
あれは確か、姉さんの入学準備の買い物だったから、私が6歳の夏だったと思うのよね。で、ほら、私達も経験しているからわかってもらえると思うんだけれど、“入学準備”でしょう?
買わなきゃいけないものは山ほどあるし、教科書や大鍋はともかく、杖やふくろうってすぐに気に入ったものが見つかるとは限らないじゃない? それに制服なんかは、早く行かないと混み合ったりもするし。だから当然、買い物のリストを片手に、パパもママも焦ってたわ。
それに姉さんは、何て言ったって、自分の入学用品を揃えるんだもの。期待と誇らしさでいっぱいの顔で、目をキラキラさせてた。杖も制服も、姉さんが居なくちゃ買えないし、それに羽根ペンだって望遠鏡だって、どうせなら本人が気に入ったものを買ってやりたいって思うのが親心でしょう? 「これがいいの?」「あっちとそっち、どっちにする?」「この鍋はちょっと重すぎるんじゃないかしら」────その日の買い物は姉さんが主役なのは、誰の目にも明らかだった。
そう。つまり、“姉さんが居なくちゃ買えない物”はたくさんあったけど、“私が居なくちゃ買えない物”は何一つなかったってこと。そのときの私はどうしてたかって? 小さな私は、お店の中で騒がないようにロリポップキャンディーを握らされて、もう片方の手はママに繋がれてた。
大きな渦を巻いた、赤と白のロリポップキャンディー。イチゴとバニラの甘い香り。見た目は綺麗で、おいしそうで────でもずっと舐めてると、単調だから飽きちゃうの。
姉さんの買い物も、私にとっては同じだった。だって、私の買い物じゃないんだもの。新品のピカピカに磨き上げられた大鍋が何十個って積み上げられてたって、その一つだって私のものにはならない。
取っ手の柄のつき方だとか、ほんの少しの形の歪みだとか、鍋底の厚さだとか────姉さんや両親と同じように6歳の私に親身になって悩めって言うのは、流石に無茶ってものでしょう。
パパもママも、大鍋をあれこれ持ちあげて、ああでもないこうでもないって唸ってた。それはつまり、そのとき彼らの注意は私から完全に離れてたってこと。6歳の私の手が握っていたのは、ママの柔らかい手でもパパのローブの裾でもない。もう飽きちゃったロリポップキャンディーだけ。いくら何だって、ちょっとあんまりな仕打ちでしょう。
退屈した可哀想な私は、鍋だらけの店から出ることにしたの。そこは裏路地にあるお店だったから、賑やかな大通りまで歩いて行ってね。キラキラ光る大粒のダイヤとエメラルドのネックレスや、本物そっくりの星座図のミニチュアや、可愛いウサギのぬいぐるみ。何十種類もあるカラフルなジェリービーンズ。それに、真っ赤なさくらんぼが乗ったチョコレートサンデーの写真が目立つアイスクリームパーラー。そう言った素敵な物に引き寄せられるままに、何も考えずにふらふら歩いていたの。そうしてたぶん、30分くらい経った頃だったと思うわ。もしかしたら、もっと短かったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。わからないのよね。私はまだ、時計を読めなかったから。
気づいたら私はたくさんの人が行き交う中、道の真ん中に自分が1人ぼっちで立ってることに気づいたの。そう────当たり前だけど、迷子になったのよね。
パパ。ママ。それから姉さんの名前。彼らの名前を呼んできょろきょろ辺りを見回しても、当然誰も居ないし、私を抱きしめてくれない。
心細くなった私は────うん、まあ、泣いたのよね。最初は声を限りにワアワア泣いてたんだけど、と言うかそうしたらパパやママが気づいて駆けつけてくれるんじゃないかって思ってたんだけど、一向に来てくれないわけ。
小さな女の子が泣いてたら、周りの大人も気づくじゃない? まあでも、大体が迷惑そうな顔をするか、関わりたくなくて見なかった振りをするだけ。中には話しかけてくれる親切な人も居たけど、私が泣くばっかりで要領を得ないものだから、困った顔で離れていった。
そのうち泣き疲れて、もう大声を出せなくなって。それでも、やっぱりパパもママも姉さんも見つけてくれなくて。途方に暮れた私は文房具屋の前の段差に座り込んだの。何だか変な泣き癖がついて、ぐちゃぐちゃの顔でしゃくり上げながら、絶望的なことを考えてた。
いつもなら、すぐに見つけてくれるのに、どうしてパパもママも来てくれないんだろう。もしかして、まだ、あの大鍋を前に迷ってるのかもしれない。もしかしたら、レイチェルが居なくなったことに気がついてないのかも。それか、このままレイチェルが居なくなっちゃえばいいと思ってるのかも。パパもママも、姉さんが居ればそれでいいんだ。レイチェルより姉さんの方が大事なんだ、とか。まあそんなことを。
なんだか世界の終わりみたいな気持ちになって、メソメソ泣いて────ああ、ねえ、ちょっと、欠伸なんてしてないで、真面目に聞いてよ。ここからが大事なところなんだから。
そうしたら────“彼”に出会ったの。

 

 

Prolonging the magic

 

 

「どうしたんだい?」

その声がレイチェルの待ち望んでいる人達の誰のものでもないことは、顔を見なくてもすぐにわかった。
レイチェルは今絶望的な気持ちなのだから、放っておいてほしい。聞こえなかった振りをしようかとも思ったけれど、結局レイチェルはゆるゆると視線を上げた。その声がとても、優しい響きをしていたからだ。
顔を上げると、そこには1人の青年の姿があった。レイチェルに目線を合わせるためか、本来ならば長身だろう体躯を、窮屈そうに膝を折っている。

「パパかママは?」

声と同じに優しげな眼差しがレイチェルを見つめている。無言のまま左右に首を振ると、青年は考え深げに視線を落とした。そうしてまた、レイチェルを覗きこむようにして視線を合わせると、小さく首を傾げる。濃い赤毛の髪が、さらりと揺れた。

「喧嘩した? それとも、迷子かな?」

ほんの少しだけ躊躇ったが、レイチェルはゆっくりと首を縦に振った。
もう6歳になったのに────自分ではもう十分お姉さんだとレイチェルは思っていた────迷子になったと言うことを他人に知られるのは恥ずかしかったが、この状況で見栄を張っても仕方がない。

「それじゃあ、大変だ。今頃、君のパパやママは君のことを探してるね」
「……探して、ない」

レイチェルはまた、首を左右に振った。否定の言葉とともに、またぽろぽろと涙が零れる。散々泣いたせいで喉が引きつれて、ガラガラになったひどい声だった。
ぎゅっと唇を噛みしめるレイチェルに、青年は驚いたように目を見開く。

「どうして?」

青年の問いかける声が穏やかだから、レイチェルはぎゅっと胸を締めつけられた。
でも、だって、きっとそうなのだ。いつもなら、レイチェルが迷子になったら、すぐに見つけてくれるのに。レイチェルがこんなに待っているのに見つけてくれないのは、きっともう探していないからに違いない。

「いい子にしてなかったから……悪い子だから、パパもママも、私のこと、嫌いになっちゃった」

待っててねって言われたのに、待たなかった。誰にも何も言わずに、勝手にお店を出て迷子になって。きっと、パパもママも怒ってる。怒ってるから、見つけてくれないんだ。
またしても涙が止まらなくなってしまったレイチェルに、青年は困ったような顔をした。しかし、すぐに何かを考えついたようで、レイチェルの顔の前にすっと手を差し出した。

「見てて」

レイチェルの手よりも一回り以上も大きい手のひらの上には、何もない。空っぽだ。
見ててって、一体何を? レイチェルがきょとんとして青年を見返すと、青年はにっこり微笑んで、ジーンズのポケットの中から杖を取り出した。そうして、杖の先でトントンと自分の手のひらを叩く。

「エイビス」

囁くようにして唱えられた呪文と共に、青年の手のひらの上に小さな鳥が現れた。鮮やかな黄色の羽根に、小さなオレンジ色の嘴。くりくりした真っ黒な瞳。可愛らしいカナリヤは、青年の手のひらの上から飛び立つことなく、ピィピィと美しい声で歌っている。

「はい、どうぞ」
「……触ってもいいの?」
「そうだよ。手を出して」

大抵の女の子がそうであるように、レイチェルも小さいものや可愛らしいものは大好きだった。小鳥は小さいし、可愛らしい。そっと両手を出すと、青年がカナリヤをレイチェルの手の中へと渡してくれる。
皮膚を掠める羽毛がふわふわして、それに温かい。ビー玉のように丸い黒い瞳が、レイチェルをじっと見つめている。レイチェルはカナリヤを飼ったことはないから、こんな風に触れるのは初めてだ。
カナリヤがすり、とレイチェルの手のひらに小さな頭を擦りつける。────何て可愛いんだろう! レイチェルは手のひらの中の小鳥にすっかり心を奪われてしまった。

「君のことが気に入ったみたいだ」

そう話しかけられて、レイチェルはようやく青年の存在を思い出した。
そうして、しばし逡巡した。名残惜しいけれど、きっとこの小鳥は青年に返さなければいけないのだろう。
レイチェルが小鳥を包み込んだ両手を差し出すと、青年は微笑んで首を左右に振った。

「あげるよ」
「……いいの? 本当に? ありがとう!」

レイチェルは青年の顔と、手のひらの中のカナリヤとを見比べた。この可愛い小鳥が、自分のものだなんて! 嬉しくて、思わずピョンピョン跳び上がりたいような気持ちだ。
レイチェルがお礼を言うと、青年の手がレイチェルの頭に伸びる。そうして、レイチェルの髪をくしゃくしゃと撫でた。

「ありがとうがちゃんと言える女の子は、悪い子なんかじゃないよ。だから、きっと君のパパとママは心配して君のことを必死になって探してる」

澄んだ青い瞳が、真っ直ぐにレイチェルを見つめる。そうだった。パパ。ママ。
実を言うと、小鳥に夢中になるあまり、レイチェルは自分が迷子だと言うことも、さっきまでの絶望的な気持ちのこともすっかり忘れていたのだが────青年が言うと、何だか確かにそんな気がしてきた。

「それに、君は笑った方がずっと可愛いよ」

ね、と青年が綺麗に微笑む。ぱちぱちと瞬きをしたレイチェルはまさにその瞬間、それまですっかり見落としていた、とても重大な事実に気がついた。つまり、そう────今レイチェルの目の前に居る青年がとても、ハンサムだと言うことに。

「名前は?」
「…………レイチェルレイチェルグラント
レイチェルか。じゃあ、一緒に君のパパとママを探そう」

青年がレイチェルに手を差し伸べたので、レイチェルはその手をとって立ち上がる。青年の手は、レイチェルの手をすっぽり包んでしまう。パパと同じくらい大きいのに、パパとは違う。触れたてのひらから伝わって来る青年の体温がなぜだかとても恥ずかしくて、レイチェルは自分の頬が熱を持つのを感じた。

レイチェルは何歳?」
「6歳……」
「そっか。じゃあ、僕の妹と同じだ」

そんな他愛ない話をしながら、レイチェルと青年は、夕暮れに染まった道を歩いていく。長い影が2つ、石畳の上に伸びていた。手を繋いで寄り添うように並んでいるのが、仲が良さそうに見えて何だか嬉しい。青年の影がレイチェルのものよりもずっと長いのが、何だかすこし悔しい。

レイチェル! やっと見つけた!」
「あ、パパ!」

通りの向こうからこちらへと走って来る父親の姿を見つけて、レイチェルは青年の手を振りほどいて駆け出した。やって来た父親はレイチェルの視線に合わせてしゃがみこむと、レイチェルを思いきり抱きしめた。そのせいで手の中の小鳥が潰れてしまうのではないかとレイチェルが心配になるほど、きつく。

「どこに居たんだ! どんなに心配したか!目を離したパパやママも悪かったけど……1人で居なくなったりしたらダメだろう!危ないんだから!」
「ごめんなさい、パパ」
「わかってくれたならいいんだ。パパも悪かった。ああ、本当に、無事でよかった!」

汗だくで息を切らしているところを見ると、どうやら必死に探していたらしい。怒ってたから、探してくれなかったわけじゃなかったんだ。レイチェルはそのことがわかって嬉しくなった。
父親に抱きあげられて目線が高くなったせいで、青年と視線が合う。「ほらね」と言いたげにウインクされて、レイチェルもニッコリ笑った。

「君がレイチェルの保護を? 何かお礼を……」
「いえ。大したことはしてないですよ。それに、僕もそろそろ家族のところに戻らなければいけないので」
「そうは言っても……ほら、レイチェル。お前もちゃんとお礼を言いなさい」

ありがとうとお礼を言うと、いい子だと言いたげに青年がレイチェルの頭を撫でた。大きな手のひらが髪に触れて、レイチェルはくすぐったさに目を細める。小さな子猫にでも触れるみたいな、優しい手つきが心地いい。青年が綺麗に微笑む。レイチェルのための、レイチェルだけに向けられた笑み。

「またね、レイチェル

もうお別れなのだと思うと寂しくて、父親の腕の中からレイチェルは青年に手を伸ばした。けれど、そのとき、青年が振り向いたことによってタイミングを失ってしまった。青年と同じ髪の色をした少年が、青年の名前を呼んでいた。バイバイと手を振って、青年が駆けだす。
遠くに見えたのは、眼鏡をかけた男の人や小柄な女の人、レイチェルと同じくらいの小さな男の子や女の子。あれが、彼の家族なのだろうか。

 

 

 

「それがレイチェルの初恋?」

ええ、そうなの。なかなかドラマチックでしょう? 残念なことに、それきり彼とは会ってないんだけど。
あ、でもね、彼にもらったカナリヤは、今でも元気なのよ。ピピネラって名前で、我が家のお姫様なの。相当強い魔法力の持ち主だったんだろうって、パパはいつも感心してるの。

「何で急にその話を私に?」
「それはね、ジニー」

貴方が今朝見せてくれたエジプト旅行の写真。その中に映っていた男の人が、私の初恋の王子様にそっくりだったからよ。
それにね。私の王子様のこと、彼の弟らしい男の子はビルって呼んでたの。確か、貴方の一番上のお兄さんの名前もそうだったわよね?

「ねえ、ジニー。私達、親友よね?」

ねえ、前に貴方のハリー・ポッターへのお見舞いのカードを届けるのに、私のふくろうを貸してあげたじゃない? ああ、ううん、別に今更そんな昔のことで恩を着せようなんて思ってないわよ。
何が言いたいかって言うとね、親友なら、お互いの恋が成就するように協力するべきだと思わない?
ああ、勿論、相手が被ってない場合に限るけど。被るわけないわよね。だって、私の好きな人って貴方のお兄さんなんだから!

ああ、もう、どうして気づかなかったのかしら! 貴方も彼と同じ、こんなに見事な赤毛なのにね!


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