「好きです、スネイプ先生」

切なげに呟かれた言葉に、眉根を寄せる。
質問があります、と授業後声を掛けてきた生徒に時間を割くことはそう珍しいことではない。教師として当然のことだ。それがたとえ、自分に想いを寄せている少女であっても。
教室を後にした生徒たちのざわめきは廊下の端へと遠のき、光の入らない地下牢に位置するこの場所には魔法薬調合後独特の空気がたちこめている。
たとえ舞いあがる埃が煌めく様を美しいと形容したとしても、愛の告白に似つかわしい場所とは言い難かった。

「君の気持ちに応えるつもりはない、と申し上げたはずだがね、ミス・グラント
「覚えています」
「ならばそう何度も繰り返すのはやめたまえ。聡明なレイブンクローらしくない」
「何度も繰り返すほど、本気だとは考えてくれないんですか?」

教師と生徒の恋愛を夢見、酔ってしまう者は何も彼女に限ったことではない。
事実、忌々しいことに今年度配属されたあの軽薄な防衛術の教師に焦がれている女生徒は一人や二人ではないのだから。憶測で物を言うのは好きではないが、恐らくは彼女もその類に過ぎない。
今はそれが唯一の恋のように感じられたとしても、時が経てば淡雪のように溶けてしまう想い。
─────自分も、そうであったならば、

「ねぇ、先生」

呼び掛けに、何だねと短く答える。
僅かに開いた扉に視線をやり、言外にくだらない用ならさっさと出ていけと促すが、それには気づかないふりを決め込んだのか、首を傾げて少女は微笑む。

「私が生徒じゃなければ、好きになってくれました?」

お決まりとも言える陳腐な言葉に、溜息をつきたい衝動に駆られた。
伏せられた瞳に翳る睫毛は長く、薄暗がりでもそうとわかる白い肌に影を落としている。時折金に光る深紅の髪に縁取られた顔立ちも、少女から女性へと変わろうとしている体躯も十分美しいと言えるだろう。
そして白いブラウスに映える青いネクタイに相応しく、彼女は聡明だ。
だからと言って、それは何の意味も持たない。少なくとも、自分にとっては。

「我輩でなくとも、ミス・グラントならば相手が見つかるだろう」
「誤魔化さないでください」
「…………答えはノーだ。満足かね?」

教師と生徒であると言う関係性を理由にするならば、想いは断ち切れない。
ならば、切り捨てるしかないのだ。彼女が提示するあらゆる可能性を。
期待など持たせることになってはならない。
たとえそれで彼女が傷つき泣くことになったとしても、傷が癒える頃にはきっと想いは薄れている。
好意を向けられている相手に対しては些か残酷な言葉かもしれないが、それ自体に嘘はない。
彼女が生徒でなくとも、自分は彼女を愛すことはなかっただろう。なぜなら、自分は──────、
脳裏に蘇りそうになったものを打ち払うかのように小さく首を振った。
らしくもない感傷を心の中で嘲笑う。
ふいに腰に回された細い腕と、背中に感じた体温に顔を顰めた。

「……離れたまえ、ミス・グラント
「先生、好きな人が居るんでしょう?」

確信を持って紡がれた言葉に、息を呑む。
響く声に、ようやく部屋を支配する静寂を意識した。
振り返ることは出来ない。自分を見ているだろう、真っ直ぐな目を見ることは出来ない。
その聡明な緑の瞳は、思い出させるから。───────若き日の、激情を。

「それも、一生かけて好きな人。違いますか?」

初めて見た日に、あの美しい花の名前を呼んで、肩を掴んだことを彼女は覚えているのだろうか。
柄にもなく足を急がせて、息を切らして。
それともその胸の青を見るたびに、安堵し同時に苦さを噛みしめる自分に、気づいていたのだろうか。

「…………だとしても、君に何の関係があると言うのだね?」
「関係は、ないかもしれませんけど」

でも、嬉しいんです。

冷静を装って放った皮肉にも、彼女は動じない。落ち着いた声色は言葉の通り僅かな喜色を含んでいた。
何故、と口をついてしまいそうになった言葉を飲み込めば、喉の奥に苦さが広がったような錯覚を覚える。
廻された腕を振りほどいて向き直れば、彼女は微笑んでいた。

「だって、先生はその人以外誰も愛さない」
「……ミス・グラント

桜色に彩られた唇が、緩やかに弧を描く。
揺らぐ鮮やかなエメラルド色の瞳に、まるでかつての彼女の残像を見ているような錯覚に陥る。
不必要に名前を繰り返すのは、彼女は違うのだと刻みつけるためだ。
あの若さゆえの愚かさを孕んでいた日々へと引き戻されないようにするためだ。
彼女は、あまりにも似すぎている。その聡明さも、その愚かさまでも。
それゆえに、彼女を愛することはきっとない。彼女だけは、愛さない。
そのことにきっとこの目の前の少女は気づいている。気づかれている。

「私を愛してくれない代わりに、私以外の誰かを愛することもないでしょう?」

だからこそ、記憶の彼女とは違ってこんなにも寂しげに微笑うのだ。

 

 

残酷な等式


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