スリザリンの王子様の存在は、私達1年生の間では組み分けの日から話題だった。

私達よりもずっと年上なのに、他の上級生のように骨ばってゴツゴツしていない、線の細いシルエット。ブルーオパールのような淡い青の瞳。絹糸のようなプラチナブロンド。白い頬に影を落とすまつ毛も同じ色。整った顔立ちは、黙っているとどこか憂いと気品があって、近寄り難ささえ感じるほど。絵本から飛び出してきたような魅力的な王子様。そして、彼は見た目だけでなく生まれも王子様のように高貴だった。何と言ってもあのマルフォイ家の一人息子なのだ。
だから、当然────彼といつも一緒に居る上級生の女子生徒も、私達にとっては気になる存在だった。

「パンジー・パーキンソンって言うんだって」
「そんなに美人じゃないよね」
「恋人って雰囲気じゃないと思うな。ただの友達じゃない?」
「やっぱり家柄の釣り合いかなあ?」

別に王子様と付き合いたいわけじゃないけど、できるなら王子様はみんなのものであってほしい。せっかく絵本の挿絵そのままの存在が、隣に生身の女の子が並んでいると、途端に生々しく現実味を帯びてしまうから。そんなあまりにも身勝手な理由で、彼女は私達にとってはちょっと苦手な存在だった。噂で聞く限りは、性格は……あまり良くはない。ぱっちりとした大きな瞳や、ふっくらした頬。ツンと尖った鼻は愛嬌があって可愛らしいけれど、「美人」じゃない。ぽってりした唇はセクシーだし、思わず同性でもパッと視線が引きつけられるほど………………………胸が大きい。でもそんな理由で王子様が彼女を選んだのだとしたら、何だかちょっと嫌だ。どうせ彼の隣に並ぶのなら、私達が思わず溜息を吐きたくなるような、お姫様のように心が清らかな女の子か、妖精の女王様のように美しい人であってほしかった。彼と同じに、どこか現実離れした、おとぎ話から飛び出してきたみたいな人が。そうしたら、きっと、お似合いだって諦めがつくのに。

「あんた、さっきからずっとここに座ってるけど、大丈夫?気分でも悪いの?」

その彼女がなぜか、今私の目の前に居る。
いや、談話室なのだから彼女が居ても何もおかしくはないのだけれど、急に話しかけられたので驚いた。大きな黒い瞳にじっと見つめられて、思わずたじろいだ。

「あの……違います。ただ、その、ちょっと、課題がわからなくて……」
「あっそう」

どうやら、さっきからテーブルの上の羊皮紙を見つめたままずっと動かない私が気になったらしい。噂で聞いていたより意外といい人なのかな、なんて思いかけた私の印象は次の一言によって裏切られた。

「あんた、こんな問題もわかんないの?」

ストレートな言葉が、心の柔らかいところをグサリと抉る。みんなには簡単に理解できる「こんな問題」でつまずいていると言う自覚があるから、たまらなく恥ずかしかった。ギュッと手の平を握りしめて俯く。……わかっているから、1人で勉強していたのに。いくら本当のことだからって、初対面なのにそんな言い方しなくたっていいじゃない。やっぱりこの人、意地悪だ。

「ちょっと見せなさい。……あー、なるほどね」
「だ、大丈夫です。自分で、」
「別にあんたのためじゃないわ。スリザリンから落ちこぼれが出ると困るのよ」

苦手に思っている相手に自分の頭の悪さを知られて、しかも勉強を見てくれるよう提案されると言うのはひどくみじめだった。けれど、そう言われてしまえば断ることなんてできない。私がバカなのは私の問題でも、そのせいで減点されることは、私だけの問題じゃないのだ。
彼女が隣に座って私の教科書やノートを捲り始めたとき、私はこの上なく憂鬱な気分だった。早くこの時間が終わってほしい。そうでなければ、彼女の気が変わるか、誰かが彼女を呼びに来るかしてどこか行ってくれればいいのに。
……気は進まないけれど、熱心な生徒のフリをして、とってもよくわかりましたと感激してみせて、満足してもらってさっさとお引き取り願おう。確かに、そう思っていたのはずだったのに。

彼女からは、花のような甘い香りがした。

香水? それとも、ヘアコロンだろうか。近くで見ると、彼女の髪はとても綺麗だった。サラサラに整えられて、ツヤツヤと輝いている。
声も綺麗だ。少し高めの、鈴の音みたいな声。アクセントのはっきりとした話し方も、心地がいい。その声を紡ぐ唇は、まるで薔薇の花びらみたいに赤い。俯いているのに、綺麗にカールされたまつ毛はくるんと上を向いたまま。座っているのに、背筋もピッと真っ直ぐ。羊皮紙の上で羽根ペンを動かすその手の指先も、形良く整えられて、淡い色のマニキュアで彩られている。ローブの袖口から覗いた手首は細くて、シンプルな銀の鎖のブレスレットのせいでますます華奢に見えた。

「ねぇ、話聞いてる?」

そう問いかけられて、ハッとした。そして、「ごめんなさい」と謝罪を口にしながら、ひどく動揺していた。
私は今、声をかけられるまで、すっかり彼女に見惚れていたのだ。美人ではないと侮っていたはずの、彼女の美しさに。集中して聞こうと思っていたはずの彼女の説明も、ほとんど耳に入らないほど。

「あんた、さては結構バカね」

「自分でノートにメモしてるじゃない。ほら、ここ。意味わかんないまま書き写したって無駄よ」

「その頭の中、一体何が詰まってるの?」

「わかんないならわかんないって言いなさいよ。ここは?理解できた?」

彼女の言葉は棘だらけで、全然優しくない。呆れた表情も向けられたし、バカって10回以上言われた気がするけど、でも、私の間違いを笑ったり、説明しても無駄だと諦めたりはしなかった。今まではみんな、そうだったのに。私が詰まってしまったところから、伝え方を工夫したりしながら、何度も、根気よく説明をしてくれた。

「……解けた!」
「でしょ?これ、1度理解しちゃえばあとは結構応用できるのよ 」
「ありがとうございました!」

熱心な生徒のフリ、感激したフリ。そのつもりだったはずなのに、いつの間にか私はすっかり彼女の説明に聞き入っていたし、本当に感激していた。理解したらパッと視界が開けたみたい。さっきまで謎めいた言葉の羅列だった文章が、あれもこれも解けそうな気がしてきてちょっとだけワクワクする。勉強が楽しいかもしれないなんて思えたの、初めて。あんなにわからないと絶望的な気持ちになっていたのが嘘みたいだ。

「……実は私も、1年生の頃それ苦手だったの」

あんたほど壊滅的じゃなかったけどね、と付け加えられた言葉はやっぱりちょっと意地悪だなと思ったけれど、もうあまり気にならなかった。言葉には棘があっても、彼女の本質が面倒見のいい人だと言うことは、もうわかってしまった。ちょっとした気まぐれで、話すのも初めての1年生の勉強を1時間も根気よく見てくれる人なんて、きっとそうは居ないから。

「あの……ミス・パーキンソン。ずうずうしいかもしれないんですけど……また、教えてもらってもいいですか?」
「パンジーでいいわよ。まっ、暇なときならね」

それじゃあね、と彼女が立ち上がった瞬間、またフワッと花の香りがした。やっぱり、うっとりするようないい香りだ。
……次に会うとき、真似したいから何の香りか教えてほしいって言ったら、快く答えてくれるだろうか。それとも、嫌がられてしまうだろうか。あのブレスレットも素敵だったけど、私にはまだ似合わないかな。

部屋へと戻っていく彼女の背中を見送って、よし、と気合いを入れて羽根ペンを握った。とりあえず、今はこの課題を頑張ろう。次に勉強を見てもらうときには、もうちょっとスムーズに理解できるように。
噂では成績優秀だと聞いた彼女にも「こんな問題」を苦手に感じていた時期があったと言うことが、何だかとても心強く感じた。いきなり成績を上げるのは無理だけれど、諦めずに少しずつできるようになっていけばちょっとはマシになるはずだ。勉強もだけど、それだけじゃなくて────ふと、パンジーの艶やかな髪や綺麗に整えられた爪が頭によぎった。しげしげと自分の手元を眺めてみる。何も塗っていない丸い爪が目に入る。髪も……ブラシで梳かしてはいるけど、あんな風にツヤツヤしていない。

……私も頑張れば、上級生になる頃にはあんな風になれるだろうか?

おとぎ話のお姫様ほど心が清らかでもないし、妖精の女王様のように美しくはない。けれど、パンジー・パーキンソンは素敵な人だった。努力によって、自分を磨き上げている人。そんな印象。見た目だけでなく、たぶん内面や勉強も。彼女の中にはきっと、こうありたいと言うはっきりとした理想があって、少しでもそれに近づくように。努力している人独特の、キラキラした輝きがあった。堂々として、自分に自信を持っていて。近くで見た彼女は、とても魅力的だった。

いつも隣に居る王子様。ドラコ・マルフォイもきっと、そんな彼女の魅力を知っている1人なのだろう。


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