あとはもうくずれていくばかり

秘密の関係ですら、いつの間にかどこかから露見してしまうものだ。まして、隠そうと努力する気もないのだから広まるのは必然で。レギュラスとレイチェルが“仲睦まじい恋人同士”であることは、ホグワーツでは公然の事実だった。

「レギュラス。貴方、親しくしているお嬢さんが居るそうね。確かそう…… レイチェルグラントと言ったかしら」

だから、当然の帰結として────休暇の終わりに、とうとう母の口からレイチェルの名前が出た。
恐らくはもっと早くから知っていたものの、静観していたのだろう。婚約者と顔を合わせたこの機会にはっきりさせておきたかったに違いない。

「彼女と結婚する気はありません。向こうも立場は弁えています。卒業までには清算しますので、母上のお手をわずらわせるようなことにはなりません」

あの日、レギュラスが母に告げた言葉は嘘ではなかった。
母が危惧するように、レギュラスにはレイチェルをブラック家の系譜に引き入れるつもりはない。2人で手をとって駆け落ちなんて馬鹿げたことをするつもりもない。卒業までの間だけ。時が来れば、レギュラスはレイチェルと離れ、彼女以外の少女と番うことになる。ブラック家の更なる繁栄のため。両親の望む相手と。

「レギュラス」

婚約者として引き合わされたのは、どんな少女だったか────。顔すらもおぼろげな輪郭に縁取られたイメージしかない。何もかも、どうでも良かった。大事なのはその出自だけだ。ブラック家にふさわしい家格であること。血を繋ぐだけの能力もあればなおのことよし。そこに人格などは必要とされない。
自分たちは、ただ高貴なる青い血を未来永劫受け渡していくだけの器にすぎないのだから。

「ねえ、レギュラス。聞いてるの?」

生まれついて与えられた役割。周囲に求められる振る舞い。それに応える以外、レギュラスには己の価値がわからない。今でこそ心地良さを感じるようになったとは言え、レイチェルの手をとったのだって最初はつきまとわれるわずらわしさから逃れるためだった。“恋人を作る”程度なら許されるだろうと、家格が低いとは言え曲がりなりにも純血の少女が相手なら、母の癇に障ることはないだろうと────もしもレイチェルが穢れた血ならば絶対に選ばなかった。レギュラスが何かを選ぶとき、それがレギュラスの意志によるものであることの方が稀だ。今までも、そしてきっと、これからも。
兄ならば、自分とは違う選択をするのだろうか。両親が“あの人”に心酔していると知っていて、敵対する騎士団へ加わったあの兄なら。いつかシリウスを当主に据えても不興を買わないよう、両親は忠誠の証にレギュラスを差し出した。どこまでわかっていて、どこまでが覚悟の上なのか。何にしろ、優秀な兄が纏う全能感は、持たざる者であるレギュラスには理解しがたい。
“あのお方”に忠誠を誓い、尽くすことを両親が求めるならそうしよう。たとえ、幼い日に憧れた偉大な魔法使いの真実が、冷酷で残虐な殺人者に過ぎなかったと知ってしまっても。

「もう────」

焦れたような口調と共に、レギュラスの両の頬が小さな手のひらに挟まれる。そして、ぐいと強制的にレイチェルの方に顔を向けられた。瞬間、柔らかい熱が唇を包む。レギュラスの思考を塗り潰そうとするかのようなキスだった。

「ぼーっとしないで、私を見て!」

怒ったようなレイチェルの顔。きつく結ばれた唇は熟れたように赤く、レギュラスは誘われるように口付けた。
頬に触れた手のひら。熱い唇。彼女の全てが、熱を孕んだ柔らかいもので構成されている。
レギュラスにとって不要なものばかりで出来ている、愚かな少女。自分でも気づかず罠を仕掛けて、それにまんまと嵌ってしまった。

愚かだから、自分なんかに恋心を抱いてしまった。

心は体に引きずられる。特にレイチェルと言う少女は、良く言えば素直で世間ずれしていない────悪く言えば、感受性が強く、感情を制御することは不得手だ。“恋人”らしく甘ったるいキスと言葉の応酬を繰り返すうち、レイチェルはそれを真実のものと錯覚してしまった。
そう、錯覚だ。恋なんて感情は、それ自体が錯覚のようなものだとレギュラスは思う。

「ねえ、レギュラス。私のこと好き?」

切なげな視線が、レギュラスを見つめる。潤んだ瞳の中に、映り込んだランプの灯りが星のように煌めいている。頼りなげな細い指が、レギュラスのローブに縋る。
レギュラスは華奢な肩を抱き寄せ、“恋人”として彼女の望んでいる答えを紡ぐ。

「……ああ。君が好きだ、レイチェル

レイチェルのことを、可愛いと思わないと言えば嘘になる。
無邪気な笑顔。繋いだ手の小ささ。無防備な寝顔。抱きしめたときの髪の香りに、甘く胸が締め付けられる。
この感情の名前を、レギュラスは知っている。そして、認めたところで幸福な結末が訪れることはないことも。淡い感情に身を任せるには、レギュラスの抱えているものはあまりにも大きすぎた。
我を通してレイチェルをブラック家に引き入れるのか、手に手を取って駆け落ちするか。
どちらにしても、上手くいくはずがない。周囲の反対を抜きにしても、そもそもレギュラス自身がレイチェルにこの家名を背負わせる気になれない。本人も言っていた通り、レイチェルには似合わない。
まして今のレギュラスは、闇の深淵まで足を踏み入れようとしている。レギュラスがブラック家に名を連ね、死喰い人として闇の帝王の下に侍る限り、レイチェルを隣に置くことはありえない。無理に手元に置いておけば、レギュラスが好ましいと思ったレイチェルの性質は瞬く間に失われるだろう。

「君が好きだ」

レイチェルが好きだ。だからこそ、レイチェルに自分と同じ重荷を背負わせることも、レギュラス以外の何もかもを捨てて全てに背を向けさせることもしたくない。だからレギュラスは、彼女との未来を望む気はない。
今だけだ。卒業までは────タイムリミットが来るまでは、彼女を想っていても許される。
愚かなのは、レギュラスも同じだ。初めから終わりの見えている恋だなんて、無意味だとわかっていたはずなのに。それでも、レイチェルを好きにならなければよかったとは思えない。
大丈夫。“運命の恋”なんて一握りだ。そんなものは作られた物語の中にしか存在しない、ただの幻想だ。この感情は、永遠なんかじゃない。疼くのも、痛むのも今だけ。

そのうちきっと、溶けて消える。

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