「ねえ、レギュラス。私と付き合わない?」
異性から交際の誘いを受けるのはこれが初めてと言うわけではない。けれど、それが好意を度外視した打算によるものにしろ、純粋な恋心によるものにしろ────そのどれも、こんな風に天気の話でもするような口調でなされたことは未だかつてなかった。レギュラスは2度、3度と瞬いて、目の前の少女────レイチェル・グラントを見返した。
「……君は、僕のことを好きだったのか?」
「ええ。好きよ」
彼女は一体、どちらなのだろう。レギュラスの問いかけにも、レイチェルは動じない。返って来た言葉は、やはり真剣な愛の告白と捉えるにはあまりにも軽い。そもそも同級生とは言え、レイチェルとは大して親しくもないのだ。スリザリン寮内でもその家名を理由に過度に祭り上げられているレギュラスと違い、レイチェルはこう言っては何だが家柄も学業もパッとしないただの一寮生だ。男子生徒がやたらと騒いでいるので顔は知っていたものの、2人の間には、今まで接点など全くと言っていいほどなかった。それが、何だっていきなり?
レギュラスの中に燻る警戒心に気がついたのか、レイチェルは小首を傾げてみせた。
「だって、ブラック家を継ぐ息子ってきっとレギュラスでしょう? “グリフィンドールの方”が大人しく嫡男の役目を果たすとは思えないもの」
やはり打算の方だったらしい。慣れているとは言え、いや慣れているからこそ辟易する。そんな誘いに自分が乗って来ると思われているのだと考えると、腹立たしささえ感じる。レギュラスは目の前の少女へと向き直り、軽蔑を込めた視線を投げかけた。
「残念だったな。僕の家名が目当てなら────」
「ああ、勘違いしないでレギュラス。逆、逆。うちの家格じゃブラック家と釣り合わないことくらい、わかってるから」
────いくら僕に取り入ったところで無駄だ、と。続けようとした言葉を、レイチェルはひらひらと手を振ることで制した。「……逆?」思わず繰り返したレギュラスに、こくりと頷いてみせる。弧を描く唇から紡がれた言葉は、どこか楽しげだった。
「むしろブラック家くらい釣り合わないからいいの。学生時代にちょっとぐらい“親しくしていた”からって、結婚に繋がりようがないでしょ? さすがのうちの両親だって、ブラック家の跡取り息子様相手に『うちの娘をぜひ……』なんて言う度胸はないと思うし。そもそも私、名家の奥さまなんて息苦しそうでイヤだもん。たとえお誘い頂いたとしても、ブラック家の一員になるなんて遠慮するわ」
その息苦しさの渦中に居るレギュラスを前にして随分な言いようだ。わずかに感情が波立ちはしたものの────肩を竦める彼女は嘘を吐いているようには見えない。そして、彼女の言葉は正しい。ブラック家からすれば彼女の家格はあまりに低すぎて、何をどうしたって縁談が持ち上がりようもない。当人の意志を尊重、などと言うのはあくまでもある程度釣り合いが取れていることが前提だ。
「だからね。さっきの言葉を正しく言い直すと────卒業までの間、私の恋人にならない?」
要するに、彼女はあくまで学生時代に限った割りきった関係を望んでいると言うことらしい。
ニッコリ笑うその顔は、世間一般の価値基準から言えば愛らしい。その笑みに釣られて頷く男も多いだろうが、残念ながら人選ミスだ。レギュラスはそもそも恋人なんてわずらわしい存在は望んでいない。
「それなら、相手が僕である必要はないだろう。君がどこで誰と何をしようが自由だが、そのくだらない火遊びに僕を巻きこまないでくれ」
単に縁談に発展しなければいいのなら、穢れた血でも選べばいい。高貴な血筋が望ましいとしても、ブラック家である必要はないはずだ。どうしてもこの家名にこだわるなら、それこそ兄にでも頼めばいい。女泣かせと評判のあの兄ならば、レギュラスよりは引き受ける可能性も高いだろう。
“在学中に親しくしておけば、あわよくば────”。そんないつもの打算と逆なだけで、結局本質は同じだ。レギュラスを利用しようと目論むのは勝手だが、レギュラスがそれに付き合ってやる義理はない。
「くだらない? それこそ馬鹿言わないで、レギュラス。学生時代なんて、くだらないことをするためにあるのよ。OWLとNEWTの結果だけが大切なら、家庭教師でもつけて引きこもってればいい」
レイチェルはそこで初めて笑みを消した。ムッとしたような表情で紡がれた言葉に、レギュラスはなぜか覚えがあった。…………ああ、そうか。兄だ。シリウスが以前、似たようなことを言っていた。無言のままレイチェルを見返していれば、挑戦的な視線がレギュラスを射抜く。
「“火遊び”って貴方は言ったけど、遊びは子供のうちにしておかないと。大人になってからじゃ、失敗したら大怪我するもの。どうせ私達、卒業後には家のためにって、好きでもない相手と結婚することになるでしょう? もちろん、相手を尊敬する努力も、好きになる努力もするつもりだけど……それが必ず上手くいく保証はないじゃない。だから、悔いのないように学生時代に“恋人との楽しい思い出”をたくさん作っておこうと思って」
弧を描く唇から語られる言葉は、理屈としては理解できないこともないが、その考え方そのものがレギュラスにはしっくり来なかった。結婚相手と上手く行かなかったら? 上手くやるしかないだろう。手を尽くしてどうしてもダメなら、諦めるしかない。初めから終わりの決まっている恋なんて、無意味じゃないのか?
「期間限定ってだけで、誠実にお付き合いしたいの。後腐れなくてラッキー、なんて考える人はお断り。でも、さすがに私のことを本気で想ってくれる人が相手だと申し訳じゃないじゃない? そうなると意外と選択肢ないの。それに、お互いにメリットがあるって思ったから、声をかけたのよ?」
「メリット? 僕に? ……君と付き合うことが?」
「ええ。こんなに可愛い彼女ができるなんて、それだけでメリットでしょ? ……って言うのは冗談。そんなに怖い顔しないでよ」
レギュラスの冷ややかな視線に、レイチェルは肩を竦めた。失礼しちゃう、と唇を尖らせる様子に反省は見られない。どうやら自分の容姿に相当な自信があるらしいが、レギュラスは彼女にとりたてて興味もないし、何よりこれ以上くだらない話に付き合う気はない。レギュラスが踵を返そうとすれば、レイチェルは焦る様子もなくそれを制した。
「だって、決まった恋人が居れば、他の女の子は今ほど寄って来ないと思うし。それこそ、家柄目当ての子とかね。いちいち断るの面倒なんでしょ?『決まった相手が居る』って言えば、向こうが悪者になるから楽だよ? 私は可愛いし性格も良いから、付き合い出したって聞いても、周囲も納得するだろうし。家柄はあんまり良くないけど、マグル生まれってわけじゃないから、むしろ『レギュラスって家柄で人を判断しないのね』なんてプラスになると思うよ。それに恋人同士って言ったって、四六時中ベタベタするのは私も無理だし」
己を指して“可愛くて性格も良い”なんて平然と言ってのける人間が本当に性格が良いかどうかはさておき、レイチェルの言う通り概ね男子生徒からの彼女の評価は高い。スリザリン生からは「血筋は惜しいけれど顔は可愛い」、他寮の男子からは「スリザリンなのに性格が良い」と。
容姿だけで言えば親愛なる従姉達の方がよほど優れていたが、如何せん彼女達はあまりにも“高嶺の花”すぎるらしい。家格の低さからかそれとも生来の気質か、ベラトリックスのような気位の高さも、ナルシッサのような内に秘めた強かさもないレイチェルは、割合男子生徒に人気があった。手が届きやすく、扱いやすそうで都合の良い、美しい人形として。
しかしどうやら、さすが彼女もスリザリン生と言うべきか、男子生徒達が思い描いていたように単に“純粋で可憐”なわけではなさそうだ。意図して無邪気に振る舞っていたらしいことにレギュラスは彼女への認識を少しばかり改め、そして好感を覚えたものの、彼女の提案に頷くことはしなかった。
レギュラスにとっては、やはり恋人なんてわずらわしい存在は不要なのだ。
「ねえ、レギュラス。……あの件、考えてくれた?」
しかし、レイチェルは1度や2度で諦める気は更々ないらしかった。それでも無視を続けていればそのうち他をあたるだろうと思ったのに、レイチェルはしつこかった。人前では完璧に健気な美少女として振る舞うせいで、周囲はすっかりレイチェルを応援する風潮なのが頭の痛いところだ。
結局、およそ3ヶ月にも渡った攻防の末、とうとう根負けしたのはレギュラスの方だった。