隠れなきゃ。どこか、あの子達に見つからないところに。

さっきから、一体いくつ階段を駆け上がっただろう? 息が苦しい。心臓が破れそう。
グリフィンドール寮に戻る? ううん、でも、きっとあの子達の誰かが待ち伏せしてる。逃げなくちゃ。急いで。見つかったら何をされるかわからない。走って、走って、走って、逃げて。また、走って。ここはどこ? もうわからない。

「あの子、どこ行ったの?」
「あっちじゃない?」

石像の影で息を殺して、どうにかあの子達をやり過ごすことができた。座り込んだ床が硬くて冷たい。もうすぐ消灯時間だから、戻らなきゃ。でも、まだあの子達が近くに居るかもしれない。転んで擦りむいた膝が痛んで、じわっと涙が滲んだ。どうして、私ばっかりこんな目に遭うの?

帰りたい。こんな場所、もう居たくない。友達が欲しい。それが無理なら、私のこと、放っておいてほしい。あの子達にも、誰にも見つからない場所に行きたい。友達が欲しい。うんと優しくって、うんと賢くって、何でも話せる友達が。

結局、涙が止まるまでじっとそこで蹲っていた。さすがに、あの子達ももう諦めただろう。
ぐすぐすと鼻を啜りながら廊下を歩いていると、見覚えのない大きな扉があることに気が付いた。……さっき何度も通ったはずだけれど、こんな部屋あったっけ? あの子達から逃げようと必死だったから、よく周りを見れていなかっただけかもしれない。
どうしてかわからないけれど、その扉の存在がとても気になった。まるで、その扉が私を呼んでいるような気がして。

「こんにちは……誰か居ますか?」

部屋の中に入ってみると、そこは何だか不思議な空間だった。もしかしたら、物置か何かなのかも。部屋と言うには、あまりに広すぎて、ごちゃごちゃし過ぎている。大聖堂くらいの広さがありそうなのに、あちこちに積み上げられた物のせいで雑然としていた。見通しも悪くて、まるでガラクタでできた迷路みたい。世界中のありとあらゆるものを集めたみたいな部屋だ。たくさんの本や、羊皮紙の束。壊れた家具。たくさんの魔法 薬の瓶。石像。金貨。“迷路”を壊さないよう恐る恐る進んでいくと、視界の端で何かがキラッと光った。近寄って手に取ってみると、その正体は小さなティアラだった。

「きれい……」

繊細な銀細工でできていて、真ん中には大きな宝石が嵌まっている。こんなに大きいから、もしかしたらただのガラスかもしれない。でも、魔法のお城にあるってことは本物の宝石の可能性もある。だとしたら、サファイアだろうか? 深い青だから、きっとフロリナ王女の衣装にぴったりだ。有名なバレエ団だと、どこかのお城から本物の宝石のティアラを使って踊ったりするっておばあちゃんが言ってたもの。

……いつか、舞台の上で、フロリナ王女を踊ってみたかったな。

そう考えたらまたとても悲しくなってしまって、ようやく引っ込んだはずの涙がまた溢れて来る。頬を伝った雫がポタ、と青い石の上に落ちていった。クリスマス休暇はあんなに楽しかったのに、ホグワーツに戻って来てから私はまた泣いてばかり。泣き虫だってからかわれるのは恥ずかしいし、心配させたり困らせたりもしたくないから、ルームメイトにバレないようにすっかり声を殺して泣く癖がついてしまった。だって、バレエが何かもよく知らない子達に、私の気持ちなんてわかってもらえるはずないもの。
1滴。また1滴。涙の粒はサファイアに吸い込まれていく。美しくきらめく青の中に、涙で歪んだ私の顔が映り込んでいる。

本当は、こんな風に1人ぼっちで泣くのは嫌。

バレエが踊りたい。家に帰りたい。それが無理なら、友達が欲しい。
たった1人。たった1人でいいから、何でも打ち明けられる友達が居ればいいのに。そうしたらきっと、こんなに悲しくて惨めな気持ちにならずに済むのに。今の私が望むのは、必要なのはそれだけ。友達が欲しい。うんと優しくって、うんと賢くって、何でも話せる友達が。

「────どうして、そんな風に泣いているんだい?」

ふいに、耳元でそんな声がした。低く響く、男の人の声。
さっきまで、誰も居なかったはずなのに。驚いて取り落としてしまったティアラが、床にぶつかってカシャンと高い音を立てる。私が慌てて拾おうとする前に、骨ばった長い指がティアラへと伸びた。

「丁重に扱ってくれるかな。そう簡単に壊れはしないけれど、貴重な物なんだ」
「ご、ごめんなさい……!」

声は、少し不機嫌そうな響きをしていた。どうやら、ティアラは無事だったみたい。ホッと胸を撫で下ろして、そのまま視線を滑らせた。ティアラに触れて確かめる、青白い、骨ばった長い指。黒いローブの生地と、同じくらい黒い髪。長い睫毛を伏せる横顔は、私よりずっと年上に見えた。

「……あなた、誰?」
「さぁね」

振り向いたその顔は、作り物みたいに整っている。こんな男の子、ホグワーツに居ただろうか? シリウスと同じくらいハンサムだから、こんな上級生が居たら噂になっていそうだけれど。制服のローブじゃないし、生徒じゃないのかもしれない。それに────よく見ると、彼の体はほんの少しだけ向こう側の景色が透けて見えていた。人間じゃない。でも、真珠色じゃないし、ゴーストとも少し違う……。

「あなた……あのサファイアの……宝石の精?」
「まあ、そんなものかな。君の名前は?」

目の前で起きている不可思議な出来事に、涙はすっかり止まってしまった。
やっぱり。聞いたことがある。すごく古くて、大切にされた宝石には、妖精が宿ることがあるって。こんなところに隠されているくらいだもの。きっと魔法の力を持ったティアラなんだ。

「私、レイチェル。……レイチェルグラント
グラント? ……へぇ」

妖精さんが興味を持ったように私の顔をじっと見つめたので、何だかドギマギしてしまった。
妖精に名前を知られると妖精の国に連れて行かれてしまうから、本当は教えちゃいけないんだっけ。小さい頃に、パパがそう言っていたような気がする。でも、グラントは私の本当の名前じゃないから大丈夫だろう。

「……ここは、何のための部屋なの?」
「願いが叶う部屋さ。君はここに来る前に何を願ったんだい?」
「願い……」

妖精さんの長い指が頬に触れて、睫毛に溜まった私の涙をそっと拭う。
私が願ったこと。ホグワーツにはもう居たくない。誰にも見つからない場所に行きたい。それから────たった1人でいいから、友達が欲しい。

「妖精さんは、ずっとここに居るの?」
「そうだよ。眠っていたのに、君の泣き声で起きてしまった」
「……いつも、こんな風に泣いてるわけじゃないわ」

泣き虫だと言われたような気がして、ちょっとムッとした。
この部屋が妖精さんの言う通り、願いを叶えてくれる場所なら。何でも話せる友達が欲しいって願ったら、扉と妖精さんが現れた。だとしたら、この妖精さんが私のお友達になってくれるのかな? ドキドキしながらじっと妖精さんの綺麗な顔を見つめていると、妖精さんはちょっと困ったような顔をした。

「そろそろ戻った方がいい。消灯時間を過ぎると、叱られてしまうよ」
「……また会える?」
「どうかな。この部屋は気まぐれだから。君にとって、僕が“必要”なら、会えるかもしれないね」

本当は「お友達になって」ってお願いしたかったけれど、もしかしたら妖精の世界には人間の友達を作っちゃダメって決まりがあるかもしれない。今部屋を出てしまったらもう2会えないんじゃないかと不安だったけれど、妖精さんの言葉通りなら、きっと私はまたこの部屋を見つけられるだろう。たとえ人間じゃなかったとしたって、今の私には話し相手が必要だもの。

「またおいで、レイチェル

月の光を背にして妖精さんが微笑む。その姿は、ぞっとするくらい綺麗だった。

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