「どうしたの、レイチェル!」
ずぶ濡れで談話室に戻った私を見て、リリーが驚いて駆け寄ってきてくれた。
リリーはとてもきれい。顔立ちもすっごく美人だけれど、背が高くてスラッとしていて、背筋もピンと伸びている。その上すごく頭が良くて(6年生の女子の中で1番成績がいいんだって!)、面倒見も良くて(これはリリーが監督生だからと言うのもあるかもしれない)、とても優しい。オーロラ姫みたいに、妖精からたくさん祝福を受けたのかもしれない。私が出会った中で1番完璧で素敵な人。
「湖に落ちてしまったの?」
「ううん……湖には自分で入ったの。その……教科書を湖の中に落としちゃって……」
同級生達の意地悪でやられたのだとは言いたくなくて誤魔化したのだけれど、へらっと笑ってみせる私にリリーは表情を曇らせた。そんな表情もきれい。賢いリリーにかかれば、どうやら私の嘘なんてお見通しらしい。リリーは杖を取り出すと、あっと言う間にローブを乾かしてしまった。
「お馬鹿さん。そう言うときは、誰か上級生を呼ぶんだよ」
ソファに座ってクィディッチの雑誌を読んでいたジェームズが、そう言って笑ってみせた。
ジェームズが杖を振ると、私の手の中にあった教科書はふわふわと宙を浮いてジェームズの目の前へと吸い寄せられていく。そうして、もう一振りで教科書は瞬く間に元の新品同然の状態に変わってしまった。まるで、最初から何もなかったみたいに。
「そうよ、レイチェル。そう言うときは私を呼んで。私か……誰か他の、信頼できる上級生を」
「ああ、その通りだよエバンズ! “信頼できる上級生”だ、いいね? レイチェル。僕みたいな」
リリーが自分の意見に賛成してくれたのが嬉しいのか、ジェームズがパッと表情を明るくする。芝居がかったジェームズの口調に、リリーはものすごく嫌そうな顔をした。ジェームズはとても冗談が好きで楽しくて、私にもわかるくらいリリーのことが大好きなのだけれど、リリーはジェームズが嫌いみたい。けれど、私がまたくしゃみをしてしまったせいでリリーはまた心配そうな表情へと戻った。
「風邪を引いてしまうわ。医務室に行きましょう。マダム・ポンフリーが元気爆発薬を処方してくれるわ」
「イヤ。あれ、きらい」
「……元気爆発薬はそんなに苦くないわよ? ね、元気になれるから一緒に医務室に行きましょう」
そう言って優しく微笑むリリーに、私はブンブンと首を横に振った。
魔法薬なんてきらい。魔法薬学もきらい。芋虫を細かく切り刻んだり、汁を絞るなんて気持ち悪い。あんなのが材料なのに、平気で胃の中に入れちゃうなんて魔法使いって本当にどうかしている。
「もう、やだ。毎日、こんなのばっかり……家に帰りたい」
「レイチェル……」
べそべそと泣き出してしまった私に困った顔をするリリーは、私と同じマグル育ち。
もしかしたら、リリーが私のことを特別気にかけてくれているのも、そのせいなのかもしれない。両親や親戚の誰かがマグルだって子はそれなりに居るけど、魔法のまの字も知らずにマグルとして育ったって子はほとんど居ないから。でもきっと、リリーが1年生のときはこんな風じゃなかったんだろう。リリーは1年生の頃からすごく優秀だったらしいから。スラグホーン教授の1番のお気に入りだし。
悪戯された教科書は魔法で元通り綺麗になっても、私の心はまだグチャグチャのまま。
家に帰りたい。早く、クリスマス休暇になればいいのに。マックスに会いたい。犬を連れて来るのがダメだって知ってたら、最初から猫を飼ったのに。嘘。マックスが居ないなんてイヤ。
いつもマックスのフワフワの毛をに顔を埋めて同じベッドで眠っていたから、1人じゃよく眠れない。私が急に居なくなって、あの子は寂しがってないかな? 次に帰ったとき、私のこと忘れちゃってたらどうしよう。
「ミス・グラント。午後の授業が終わったら補習をしますから、いらっしゃい」
入学してもう3ヶ月も経つのに、コガネムシをボタンに変えられないのは私だけ。最初は他の子達のコガネムシだって机の上をコロコロ転がるばかりだったのに、私以外の1年生はどんどん魔法を使いこなしている。授業はとっくに別の呪文に進んでしまっているのに、私だけが初歩の初歩で躓いたまま。マクゴナガル教授の説明こそが呪文みたいで、何を言ってるのかさえよくわからない。
「呪文の発音も杖の振り方もきちんとできているのですから。あとはイメージです。イメージが大切なのですよ」
前に練習に付き合ってくれたとき、リリーもそう言っていた。でも、私だって、ちゃんとイメージしてるつもりなのに。たぶん、リリーやマクゴナガル教授はすごく変身術が得意だから、どうして私ができないのかがわからないんだと思う。
「さあ、ミス・グラント。もう1度です」
マクゴナガル教授に促されるまま、呪文を唱えて杖を振っても、やっぱり何も起きない。
この杖も、何だかすごく嫌な感じがする。ママの形見の杖だってパパが言ってたけど、まるで私みたいな落ちこぼれのチビには使われたくないって、杖が私を嫌がってるみたい。
『あなたのお母様は、変身術が得意な生徒でした。素晴らしい才能を持った魔女だったのですよ』
……マクゴナガル教授は、きっと私にガッカリしてるんだろうな。
初めて会ったとき、そう言って微笑んだ顔は優しかった。きっとママみたいに才能があるって期待してくれていたのに、私はこうやって落ちこぼれてしまってるんだもの。でも、私はママじゃないし。ママは優秀な魔女だったのかもしれなけれど、私は違うみたい。スリザリンの子達が言うみたいに、パパが“マグル”なせいなのかも。
「自信を持つのです。失敗すると不安がっていては、どんな呪文も成功しません」
厳格な表情でそう言い放つマクゴナガル教授に、私はギュッと膝の上でスカートを握りしめた。
自信なんて、あるわけない。こうやって授業でも失敗ばかりで、落ちこぼれだってスリザリンの子達には苛められて。私が杖を振るたび皆にクスクス笑われるのに、一体どうやって自信を持てばいいの?
……本当なら今頃、バレエ学校に入学して、朝から夜まで練習しているはずだったのに。
私の周りで奇妙なことばかり起きたのは私が魔女だからで、私の本当の居場所は魔法の世界なんだって。ホグワーツになら私と同じ力を持つ子がたくさん居て、もう気味悪がられることもないんだって。
私はこの力をコントロールする方法を学ばなくちゃいけなくて、だからこのままマグルの世界では暮らせないんだって。そう言われたからここに来たのに。ここは全然、私の居場所なんかじゃないみたい。
……もう、3か月もトゥ・シューズを履いてない。もう、先生が褒めてくれたみたいに綺麗にピルエットを回れない。体が重くて、鳥みたいに軽やかに飛ぶことだってきっとできない。もう、オデットや金平糖の精どころか、オーロラやスワニルダも踊れない。
本当に、私に魔法の素質なんてあるのかな? あの子達の言う通り、入学許可証が届いたこと自体が間違いならよかったのに。バレリーナになる夢を諦めて、魔女になるために来たはずなのに、まだ1つも呪文が使えない。
私、どうしてここに来たの。一体何のためにここに居るの。