あれから5年の月日が過ぎた。ドーラが居ない世界を、私はまだ生きている。
母さんが育てた庭の薔薇は、今年も順調に花を咲かせている。甥っ子がどこかから迷い込んできた猫を追いかける楽しげな声を聞きながら、私はテーブルセットに座って医学書を読んでいた。紅茶がとうとう3杯目に突入しようとしたとき、くいくいとテディが私の袖を引っ張った。一体どこのけもの道を通ったのか、紫色の髪の毛には葉っぱがたくさんついている。
「レイチェル、レイチェル。これ、あげる」
そう言ってテディが差しだして来たのは、薔薇の花束だった。どこからか取って来たのか、なんて答えは決まっている。垣根の辺りからむしって来たのだろう。母さんが知ったらショックで卒倒してしまいそうだ。いや、でもテディのやったことならあっさり許してしまうかもしれない。それよりも。
「大丈夫? 怪我は?」
「ちょっとだけ」
トゲで切ったのだろう。テディはばつが悪そうに小さな手の平を広げた。杖を振って、柔らかな指先に残る傷をなぞる。まだ研修中だけれど、これくらいなら治すことができる。その動作に、テディは目をきらきらさせた。悪戯されないようポケットへと杖をしまうと、テディがくれた花束へと顔を寄せた。
「花嫁さんみたいね」
ピンクにオレンジ、赤、白、黄色。美しく咲き誇る色とりどりの薔薇。結婚式に使うブーケのようだ。枯れてしまってはもったいないと花瓶を探しに家の中へと戻ろうとすると、テディがくいくいと私のワンピースの裾を引いた。
「あのね」
もじもじと恥ずかしそうに手遊びをしている。何だか知らないが照れている。すっかり感情表現が豊かになってきた甥っ子に当惑していると、そのまましゃがむようにと手で示されたので従った。テディは届く位置へと下りてきた私の耳へと口を寄せひそひそと囁いた。
「大きくなったら、ぼくがレイチェルをお嫁さんにしてあげるね」
「本当? ありがとう、楽しみにしてるわ」
「約束だよ」
随分ませたことを言うなとクスクス笑うと、ぱっと顔を輝かせる。そして、それと共に髪が明るいピンク色へと変わったところを見ると、幼いながらに意味は理解しているらしい。一体こんな言葉をどこで覚えたのだろう、と首を傾げる反面、甥っ子の成長は微笑ましい。
「おいで、テディ。もうすぐハリ―達が来るから、お迎えに行こう」
「ハリーが来るの?」
「そう。テディに会いに来るのよ」
いつもドーラの背中を見ていた。ドーラに手を引かれていた。守られてばかりだった私。
だから今度は、私がテディを守ってあげたい。私がテディの手を引いてあげたい。この小さな手を、決して離さないように。
「ぼく、レイチェルが大好きだよ。それから、ハリーも、おばあちゃんも、ヴィクトワールも」
「私も、テディが大好きよ」
はにかむように笑う、ちっちゃな可愛いテディ。悪戯っ子なところは、父親に似たのだろうか。テディベア相手におままごとをしていたのが、たくさんおしゃべりができるようになって、アルファベットも読めるようになった。
「5歳の誕生日おめでとう」
「おめでとう」も、「大好き」も。貴方達に言えなかった分を全部、テディに伝えよう。
貴方達が言うはずだった言葉を、愛を、貴方達の代わりにこの子に伝えよう。貴方達がどんなにこの子を愛していたか、ちゃんと、教えてあげよう。
世界のどこを探しても、ドーラはもう居ない。けれど、ドーラは確かにここに居た。
そして、彼女と、彼女の愛した人が守ろうとした世界は、命は、今も確かにこの場所で続いている。