1998年、6月。今度こそ、ドーラはもう戻って来ない。永遠に。
「嫌!」
12時になったら、ホグワーツは戦場になる。成人に満たない生徒は避難するようにと、そうマクゴナガル先生には言われたけれど────ドーラがここに居るのに、知っている上級生達が残って戦うのに、私だけ逃げられるわけがない。
「私も、残る! 一緒に戦う!」
「君はまだ未成年だ。ここには、成人の魔法使いしか残れない」
ルーピンに告げられた言葉に、嫌だ嫌だと首を振る。
「あんたはトロいからすぐやられちゃうよ」ドーラも溜息交じりに苦笑する。けれど、頑としてその場を動こうとしない私を、ドーラがぎゅっと抱きしめた。
「レイチェル。お願い。テディを守って」
耳元で、囁かれる。今にも消え入りそうな声だった。ぎゅっと、胸が苦しいくらいに締め付けられる。けれど、まだ、首を縦に振るわけにはいかなかった。だって、テディには父さんと母さんがついてる。安全だ。でも、ドーラはそうじゃない。それに、ドーラは怒るだろうけれど、私はテディよりもドーラの方がずっとずっと大切だ。そんな私の心の中を見透かしたように、ドーラは静かに首を振った。
「母さん達だって、もう若くない。テディが大人になるまで見守れるかわからない。お願い、レイチェル」
「どうして……」
どうして、そんなこと言うの。それじゃあまるで、これが最後みたいじゃない。最後なんかじゃない。これが最後なんて、嫌だ。だって私は、まだ貴方達に、ごめんなさいも、ありがとうも、何も、言えていない。ひどいことをたくさん言ったのに。まだ、何一つ。
「私、まだ16なのよ。子育てを押し付けられるなんて嫌だわ」
声が震える。少しでも気を緩めたら、嗚咽が混じってしまいそうだった。なんて意地っ張りで、可愛げのない台詞だろう。こんな時にまで、素直になれない。もしかしたら、これが────いや、そんなこと、あるはずがない。私は無理矢理唇の端を持ち上げて笑みを作った。
「貴方がちゃんと、テディを育てればいいだけの話よ」
母さんの育てた薔薇が咲き誇る庭。よちよち歩きのテディの悪戯に、ドーラはおろおろしていて、私はそれをテーブルセットに座って、笑いながら見ているの。
家事魔法はドーラよりも私の方が得意だから、時々なら手伝ってあげてもいい。ねえ、きっと、そうなるでしょ? そんな日が、当たり前になるように。そのために、貴方は戦いに行くんでしょ?
「戻ってきて、ドーラ」
行かないで、と言いたかった。でも、言えなかった。ドーラが今まで何のために命をかけてきたか、知っているから。だから、今、一番大事な局面で、一緒に逃げよう、なんてきっと言ってはいけないと、わかっていたから。
「絶対よ」
だから、戻ってきて。お願い。ドーラの部屋、まだ出て行った時の、そのままにしてあるから。リビングも、キッチンも、ドーラが知ってるまま、何も変わってない。だから、また、当たり前みたいに帰ってきて。テディと一緒に遊びに来て、「ただいま」って言って。
「リーマス」
ドーラの肩を抱く彼へと向き直る。彼の名前を呼んだのは、初めてだった。初めて出会ったのはホグワーツだった。そして今も、私と彼はホグワーツに居る。彼は相変わらず穏やかな笑顔を浮かべて、私も相変わらず意地っ張りで馬鹿な子供のままだ。
「ドーラを……姉さんを、守って」
お願い、と。付け加えた、声が震える。涙で視界が滲んで、彼の顔がよく見えない。
お願い、義兄さん。あなたの大切な子供は私が守るから。私のたった一人の姉さんを、どうか守って。俯く私に、彼はいつかと同じように優しい手つきで頭を撫でた。
「ああ。約束する。命に代えても」
物語の中の、気障なヒーローが誓うような、そんな安っぽい台詞なんかじゃない。彼らは本当に、これから、命をかけるのだ。
お別れの時間は、そう残されてはいない。ホグワーツを発つ他の生徒達と共に、移動キーの光に包まれながら、私はふと、昔の記憶を思い出した。
「ルーピン先生って素敵ね」
かつての平和だった頃のホグワーツ。今よりも幼い私。ざわついた廊下で、ほうと熱っぽく溜息を吐く。闇の魔術に対する防衛術の授業が終わったばかりだった。さっきの授業のノートを見直しながら、隣を歩く友人へと話しかける。
「優しいし、頭も良いし、穏やかで……」
「おじさんじゃない! 私達のパパくらいの年齢よ!」
「わかってるわよ、そんなの!」
信じられないと顔を顰めた友人に、むっと眉を寄せる。私だって、ルーピン先生と恋人同士になりたいとかそう言うわけじゃなかった。ただ、大人の男性に対する憧れみたいなものだった。そう、自分が恋人になると言うよりは、むしろ────
「ドーラがああいう人と結婚してくれたらいいな」
────ああ、そうだ。そうだった。どうして、意地を張っていたんだろう。
優しくて、穏やかで、賢い人。私の夢を素敵だねと応援してくれた人。狼人間だから、何だと言うのか。不満なんて、あるはずないのに。嫉妬して、いじけて、ドーラが仲直りしようと言ってくれるのを突っぱねた。
馬鹿だった。何もわかっていなかった。
闇祓いがどれほど危険な職業なのか。騎士団が、どれほど危険な任務に就いているのか。いつだって、死と隣り合わせだと言うことを、ちゃんとわかっているつもりでいた。つもりでいた、だけだった。
いつだって、ドーラは「ただいま」と笑ってくれたから。また、当たり前のように憎まれ口を叩けると思っていた。仲直りなんていつだってできる。けれどもう、そんな機会は来ないかもしれない。涙が溢れて、止まらなかった。こんな時でないと気づけないなんて、何て馬鹿なんだろう。
ねえ、ドーラ。帰ってきたら私、貴方に、貴方と義兄さんに、ちゃんと伝えるよ。ごめんなさい、ありがとうって。大好きだって。
ねえ、ドーラ。貴方は私の大切な姉さんで、何よりの誇りで、自慢だった。
私は、貴方を────貴方達を、とても、愛していた。