食べ頃を過ぎた今なら

3年ぶりに訪れても、リトル・ウィンジングの街はやっぱりほとんど変わらない。

彼女と別れ、私は懐かしい道を1人のんびりと歩いた。勿論、何もかも全てが同じなわけじゃない。知らない家が少し増えて、いくつか新しいお店もできて、私が住んでいた家にも新しい住人が住んでいた。けれど、それくらい。この街は相変らず息苦しいほどに清潔で、退屈なまでに穏やかな時間が流れている。毎日通ったプライマリー・スクールも、お兄ちゃんとよく一緒に行ったお菓子屋さんも────それに、彼と最後に話した公園も。

まるで、ここだけ時間が止まってしまったみたい。

誰も居ない公園は、寂しいほどに静か。ブランコも、滑り台も、建て付けの悪いシーソーも、何もかもがあの時のままだ。ペンキさえ塗り直されていなくて、ところどころ剥げかけている。
……少しくらい変わってしまっていればよかったのに、と思う。だって、この場所だけが変わらなかったところで、もうあの頃に戻ることはできないのだし。ここに来て、あれはもうとっくに過去の出来事だと実感できれば、スッキリした気分になれるような気がしたのに。
そんな感傷に浸っていた私は気づかなかったけれど、どうやら誰も居ないと思ったのは私の勘違いだったらしい。遊具の影になって見えなかったけれど、ベンチに男の子が1人座っていた。かつて、ハリーと私が仲違いしてしまったあのベンチに、ハリーと同じ黒髪で眼鏡をかけた男の子が。
無関係の彼には言いがかりもいいところだけれど、そんなところまであの頃と同じでなくたっていいのにと、何だか溜息を吐きたくなってしまう。どうやら、手紙を読んでいるせいか向こうは私の存在には気がついていないみたいだけれど。

……あんなに嬉しそうな顔してるってことは、彼女からのラブレターなのかな。

こっちを一瞥すらしないほど熱心に手紙を読んでいるその男の子は、私と同じか、少し年下くらいに見えた。家だと落ち着いて読めないから公園でこっそり読んでいるとか、そんな感じなのかもしれない。ぼんやりとその様子を眺めていた私は、その横顔にハッと息を呑んだ。手紙を読む彼の顔。クシャクシャの黒髪の間から覗いたそこに、薄い稲妻型の傷跡を見つけてしまったから。

「……ハリー」

思わず口をついてしまった名前に、男の子が顔を上げる。眼鏡の奥の瞳が、不思議そうに瞬いた。
やっぱり、ハリーだ。見間違えるはずがない。こんな風に鮮やかな、美しい緑の瞳をした男の子を、私は他に知らない。

「………………レイチェル?」

ハリーだと確信を持って名前を呼んだ私と違って、彼の方は半信半疑と言った様子だった。信じられない、と言いたげに大きく目を見開く。私がハリーを忘れようとしていたように、ハリーにとっても私は忘れ去りたい存在だったのかもしれない。勝手なもので、そう考えるとほんの少し胸が痛かった。

「……会えるなんて思ってなかった」

あまりにも突然の再会には、嬉しさよりも戸惑いが強かった。ついさっき、消息不明だと聞かされたばかりの人間が、まさかこんなに近くに居るとは思わなかったから。その場に立ちつくした私に駆け寄ったハリーは、「レイチェル」ともう1度確かめるように名前を呼んだ。

「聞いて。僕、ずっと君に謝りたかったんだ。あのときは、本当にごめん。僕……」

どこか焦った様子でそう口にするハリーを、私はまるっ映画かドラマでも見るような気分で眺めていた。私の好きだった緑の瞳も、稲妻型のような傷跡も。目の前に居る男の子は確かにハリーだったけれど、私の知るハリーとは随分と印象が違っていて、知らない男の子のように見えた。

「……私、」

だからだろうか。目の前の出来事は不思議と現実味がなくて、頭の片隅はひどく冷静だった。体は確かにここに居るのに、心だけが取り残されているみたい。まさかハリーに会えるなんて思っていなかったから、会えたらどうするかなんて考えてもみなかった。

「……私こそ、ごめんなさい」

でも────1つだけ確かなことがある。謝るべきなのは、ハリーじゃない。
謝るべきだとしたら、私の方だ。傷つけたとしたら、私の方だ。私は確かにあの日ハリーの言葉に傷ついたけれど、きっとそれよりも前に、私はハリーをたくさん傷つけていた。自分が大好きな人を傷つけていることに、気付いてさえいなかった。

「あなたが好きだったの」

11歳の私が抱えていたのが本当に恋だったのか、今となってはわからない。きっかけは、ただの好奇心だった。ハリーに優しくしたいと思ったのだって、1人ぼっちのハリーへの同情でなかったとは言い切れない。そうでなければ、珍しい模様の猫を可愛がるような傲慢さだったのかもしれない。

「だから、あなたに手紙をもらえないことが寂しくて、あなたの話を聞こうともしなかった。あなたがどうしてあんなことを言ったのか……何を考えてるのか、聞くべきだったのに。あれ以上傷つくのが怖くて……自分の気持ちしか考えてなかったの。ごめんなさい。今更、遅いかもしれないけど」

でも、今日、あの日と同じ風景を見てわかった。
あの日、あの夕日があんなにも美しく見えたのは、隣にハリーが居たからだ。彼と過ごす時間は、私にとって確かに特別だった。おとぎ話のような純粋な恋ではなかったかもしれないけど、確かにあの日の私はハリー・ポッターと言う男の子のことが大好きだった。

「……僕も好きだったよ。君のこと」

夢見がちで甘やかされ11歳の私は、傲慢で、無垢で、愚かで、どうしようもなく子供だった。
あの日、私がもう少し冷静でいられたなら、きっとハリーの話を聞くことができた。私がもう少しハリーの気持ちに寄り添うことができていたら、優しいハリーにあんな風に誰かを拒絶させることもきっとなかった。あの頃の私がもう少し聡明で優しかったなら、結果はもっと違っていたのかもしれない。

「君は、僕にとって特別な女の子だった」

でも、それも今だから言えること。今の私には簡単なことに思えても、あのときの私にはできなかった。ああすべきだったと後悔したところで、もうあの頃の11歳の私達はどこにも居ない。時間は巻き戻らないし、やり直せない。もう、過去になってしまったから。

「電話や手紙が無理だって言ったのは、事情があったんだ。でも、僕、それをどう説明したらいいかわからなくて……その、今も説明は難しいんだけど」
「うん」
「君に誤解されたくなくて……追いかけたんだ。でも、見失った。僕、あのとき、君の家がどこにあるか知らなかったんだ」
「……うん」

子供だったのだ、2人とも。子供だから、上手く伝えられる言葉を知らなかった。自分とまるで違う相手を思いやる方法がわからなかった。わからなかったから、傷つけてしまった。
でも、子供だったから何も考えずに手を伸ばせた。「大好き」を躊躇わずに伝えることができた。

「……僕、ロンドンに行ったんだよ」
「え?」
レイチェルと最後にここで会ったあの日……僕、ロンドンに行ったんだ」

噛みしめるようにそう言って、ハリーは微笑んだ。はにかんだようなその表情は、やっぱりあの日の11歳だったハリーの面影がある。でも、だからこそ、あの頃のハリーと今のハリーはもう違うのだと言うことをはっきりと感じさせられた。

「……背が伸びたのね」
「君も……その、綺麗になったよ」

照れくさそうにそう口にするハリーにありがとう、と微笑む。ダドリーのお下がりじゃない、きちんとサイズの合った服を着たハリーは、やっぱり結構ハンサムだ。それに、健康そう。もっとも、ハリーが素敵な男の子だって気付いたのは私だけではないのだろうけれど。

「その手紙、誰からなの? もしかして、恋人?」
「恋っ、……そんなんじゃないよ」
「そんなに焦らなくても……別に隠すようなことでもないでしょ」
「本当に違うんだ。からかうの、やめてくれよ。友達とだって、手紙のやりとりくらいするよ」
「別に、からかってるわけじゃないわ。だって……手紙を読んでるときのあなた、すごく優しい顔してたから」

さっきベンチで手紙を読んでいたハリーは、11歳の私には見せたことのなかった柔らかい表情をしていた。嬉しそうな、それでいて穏やかな。

「……僕の、後見人なんだ」
「後見人?」
「うん。父さんの親友で……事情があって、会ったのは最近なんだけど。父親みたいに思ってる」

どうやら本当に恋人からの手紙ではなかったらしい。でも、大切な人からの手紙だと言うのはやっぱり当たっていた。小さく呟くハリーの声は、まるで隠していた宝物について話すような響きをしていたから。

「今は無理だけど、いつか僕と一緒に暮らしたいって……そう言ってくれてるんだ」

……ああ、ほら。それ。また、その表情。ね、ハリー。きっと、自分では気づいていないでしょう。今、自分がどんなに幸せそうな表情をしているのか。

「そうだ。レイチェルは、どうしてこの町に? また、引っ越してきたの?」
「ううん。近くまで来たから、寄っただけ」

そうだった。そろそろ、パパが迎えに来ちゃう。待ち合わせ場所に私の姿がなかったら、きっとパニックを起こすだろう。私はもう14歳になったって言うのに、パパったら相変らず心配性なんだから。

「ね、ハリー。昔、『家族って何なのか』って話したの、覚えてる?」

「送るよ」と言ってくれたハリーに甘えて、2人で並んで道を歩く。「送るよ」なんて、11歳のハリーからは出て来なかった言葉だろうと思うと、何だかやっぱり不思議な気分だった。昔の話なんて忘れてしまっただろうかと思ったけれど、ハリーは躊躇いがちに頷いてくれた。

「今は、私とママはサマセットで、お兄ちゃんはオックスフォードで、それにパパはロンドンで暮らしてるの。結局、離れ離れになっちゃったけど……でも、パパもママも、前よりもずっと仲が良いの」

今日だって、私がパパのところに泊まりに行くからって、ママはあれもこれもってたくさんパパへのおみやげを持たせたし、パパもパパで私をこうやって遊びに連れ出したり、ママへのプレゼントは何がいいかって相談ばかり。

「きっと、離れていてもお互いを大切に想い合えるから、家族なのよ。楽しいことや悲しいことがあったときに、話を聞いてほしいって思えたり……綺麗なものを見たときに、見せてあげたいって思ったり。血が繋がってるかとか、一緒に暮らしてるかどうかって、たぶんそこまで重要なことじゃないの」

この街に住んでいたときの私達みたいに、同じ家で仲良く暮らしている方が他の人からは「幸せそうな家族」らしく見えるのかもしれない。けれど、我が家にとってはこれが1番いいみたい。離れていても、離れているからこそ、大切にできる。離れていても、忘れたりしない。だって、家族だから。

「素敵な家族ができたのね」
「……ありがとう」

私の知るハリーはいつもどこか寂しそうで、自分のことをひとりぼっちだと思っていた。でも、きっと今のハリーは違う。私が離れていた間にハリーの世界はとっくにこの街の外へ広がっていて、ハリーにはもう家族だと思える人が居る。私と過ごした頃よりもずっと幸福そうなハリーの姿はほんの少しだけ寂しくて、でも、それ以上に嬉しかった。たとえ世界中を探しても、11歳だったあの頃のハリーはもう居ない。
私が手を引いて連れ出さなくても、ハリーはきっともうどこにだって行けるのだろう。

「元気でね、ハリー」
「うん。君も」

プライマリースクールに通っていた頃、同じクラスにハリー・ポッターと言う男の子が居た。
いつもどこか寂しそうで、ちょっと変わっていて、でもとても優しい男の子。

私の、初恋の人だった。

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