エンドロールの後のこと

11歳の夏。結局、私はハリーと仲違いしたままリトル・ウィンジングを去ることになった。

記憶の奥底に鍵をかけてしまいこんだ、苦い初恋の記憶。当然、その相手であるハリーについても意識的に考えないようにしていた。リトル・ウィンジングを離れて間もない頃こそハリーへの恋心を捨てきれずに居たけれど、彼のことを忘れて過ごすのはそう難しいことじゃない。だって、ハリーはもう目の前には居ないんだから。
そんな彼の存在を思い出したのは、2人で行ったあの丘を訪ねる機会があったからだった。3年越しに、私はあの美しい場所の名前を知った。ターナーの愛した、美しいリッチモンド・ヒル。100年前から変わらない、のどかな田園風景。あの日の私がまるで世界の果てのようだと感じたその場所は、大都会ロンドンから車をたった30分走らせるだけで着いてしまった。

「せっかくだし、リトル・ウィンジングにも行ってみるかい?友達にも会いたいだろう?」
「……ええ。ありがとう、パパ」

私1人きりの“転校”ではなく、“卒業”と言う形で別れたからか、この街には今も連絡を取っている友人が多い。今日だって、よかったらこれから会えないかと電話してみたら、突然だったにも関わらず喜んでOKしてくれた。それだけでなく、プライマリースクールの頃のクラスメイトの何人かを呼んでくれた。一緒に過ごすことができたのはたったの半年ほどだったけれど、やっぱり友人達との再会は嬉しい。久しぶり、会いたかったと言い合って、私達はメインストリートのカフェでおしゃべりをした。

「ねぇ、レイチェル。ハリー・ポッターって覚えてる?」

甘ったるいチョコレートサンデーを食べながら、彼女達の1人の口から出た名前に、私はギクリとした。もしかしたら、ママにさえ言わなかった私の秘密を────ハリーに振られたことを、彼女達が知っているんじゃないかと思ったから。できるだけ平静を装いながら頷いてみせると、彼女は小さく溜息を吐いてみせた。

「あの子、今どうしてるかよくわかんないんだよね。まだあの家に住んでるみたいだけど、もう誰も連絡取ってなくてさ」
「そうなの? 卒業式には居なかったけど、ストーンウォールに進学するって話だったじゃん」
「でも、通ってないらしいよ。エリックが言ってた。どのクラスにも居ないって」
「私知ってる! 何か遠くの……非行少年を矯正するための学校に入れられたんだって、ママが」
「えー……さすがにそれはデマじゃない? 変わった子だったけど、そんな悪い子じゃなかったよ」
「でも、ママはダーズリーさんからそう聞いたって言ってたのよ!わざわざそんな嘘吐く意味ないでしょ?」
「んー、ダドリーとか、ピアーズの命令で代わりに万引きさせられたとか?」
「あー、ありそう。いっつもダドリー達に追いかけられててさ……可哀想だったよね」

口々にハリーへの同情を示す彼女達の言葉聞きながら、私は黙ってアイスティーをストローで啜った。どうやら、同じ街に住む彼女達ですら、ハリーの消息は知らないらしい。
ハリーとはあれきり、手紙も電話もやり取りをしていなかった。本当に、たったの1通さえも。サリー州、リトル・ウィンジング、プリベット通り4番地。ハリーに会えることを期待して、何度も訪ねたあの場所。彼への宛先は知っていたけれど、私から手紙を出すことはしなかったから。

「じゃあね、レイチェル
「会えてよかった!また手紙書くね」

話したいことはまだたくさんあったけれど、そろそろ暗くなりかけていたので、彼女達とは別れた。パパが迎えに来てくれるまでは、まだ少し時間がある。せっかくだから散歩でもしようかな、なんて考えていると「少し話せない?」と呼び止められた。

「……私さ。あの頃、レイチェルのことすっごい苦手だったんだよね」

彼女と話すのは、いつ以来だろう。
教室でハリーのことで言い争ったとき以来かもしれない。あれからずっと私達はぶつかり合うことさえなく、お互いをまるで空気のように扱っていたから。待ち合わせ場所に彼女の姿を見つけたときは、見間違いなんじゃないかと思ったほど。

「綺麗な大きい家に住んでて、優しそうなパパとママが居て お兄ちゃんだってかっこよくて……いつも新品の可愛い服着てて、顔も可愛くて……おもちゃだってたくさん持ってて、可愛い子猫まで飼ってて……」

難しい表情の彼女に、一体何を言われるのかと身構えてしまったのだけれど……ものすごく褒められているような気がする。いや、あくまで褒められているのは今の私ではなく、この街に住んでいた頃の私だろうけれど。

「私は、女の子っぽい服好きじゃなかったから……ママはレイチェルが遊びに来るたびになんて可愛いのって褒めるし。アニキだって『あんな妹がほしかったー!』なんてうるさいし……」
「そんなの、ただのお世辞って言うか……本気じゃないと思うけど……」
「だとしても、やっぱり傷つくんだもん。レイチェルはいっつもニコニコしててさ……私達がどんなに先生や男子の愚痴言ってても いっつも聞き役に回ってて、全然誰かを悪く言ったりしなくて……レイチェルと比べると自分がみじめに思えて、だから苦手だったの。……レイチェルが悪いわけじゃないのにね」

彼女の目には、かつての私は随分と素敵な女の子に映っていたらしい。でもそれは、彼女の勘違いだ。少なくとも、ありのままの私じゃない。好かれるために周りの顔色を窺って、どうせ仲良くなっても意味がないのだと諦めて、本音を飲み込んでばかりいた、作り物の私。

「私ね。1年生のとき、ハリーと隣の席だったんだ」
「ハリーと?」
「うん」

ポツポツと、彼女は私の知らないハリーのことを話してくれた。彼女がペンケースを忘れてしまったとき、ハリーが鉛筆を貸してくれたこと。彼女が転んで怪我をしてしまったとき、ハリーが保健室まで一緒に付き添ってくれたこと。

「友達だって思ってたのに……ハリーは優しい子だって知ってたのに……私、皆と一緒にずっとハリーを無視してた。ハリーが話しかけてくれたとき、『友達なんかじゃない、勘違いしないで』って言ったの。ダドリー達と関わりたくなくて……最低でしょ」

彼女の行動は決して褒められたものではないだろうし、たぶん幼かったハリーは傷ついただろう。でも、私には責めることはできなかった。私だって最初は、皆と同じにハリーを無視していた。それが正しいことではないと、間違っているとわかってはいたけれど、私にとってその方が楽だったから。

「2人が楽しそうに話してるの見て、ショックだった。レイチェルみたいないい子なら、1人ぼっちのハリーを無視したりしないんだって……自分がすっごい卑怯で嫌な奴に思えて…レイチェルも私みたいに、ハリーを無視しちゃえばいいのにって……そう思って、あんなこと言ったの。本当にごめん」
「……私、そんなにいい子なんかじゃないわ。ただ、いい子のフリが上手かっただけ……私は『転校生』だったから、皆に嫌われたくなかったの」

彼女の思い出の中の私は随分と美化されているみたいだけれど、本当の私は嫌な奴だし、卑怯だし、結構わがまま。「いい子」のパントマイムばかり長けていて、どうしたら私が楽しく過ごせるか、そうするためにはどう振舞えばいいかばかりを気にしていた。どうせ長く付き合うことはできないのだからと、目の前の誰かと真摯に向き合うことをしなかった。その場しのぎの優しさを振りまいていただけで、きっと周りのことなんて全然見えていなかった。
ハリーと友達になったのも、彼女に対してハリーを庇ったのも、私が彼女の言うような優しい女の子だったからじゃない。もしもハリーに不思議な力がなければ、きっとあのまま皆と同じにハリーを省みることはなかっただろうから。

「……私達みんな、子供だったのよ」

子供だったからって、全てが許されるわけじゃない。でも、子供だった。今の私達ならわかることが、簡単にできると思えることが、あの頃の私達にはとてつもなく難しいことに感じられた。
愚かだったのは彼女だけじゃない。夢見がちで甘やかされた11歳の私は、とてつもなく無知で、無邪気で、傲慢だった。そして、自分が傲慢だと言うことすら、気づいていなかった。
あのときは、拒絶されたことに傷ついて、何もかもハリーが悪いのだと思いこもうとした。彼1人を悪者にした方が、私にとって楽だったから。初恋を踏みにじられたのが悲しくて、悔しくて、恥ずかしくて。傷ついたのは、彼への好意のせいだと思いたかった。私は何も悪くない。何一つ非がないのに、一方的に約束を破られて裏切られた被害者なのだと、そんな風に。
でも、きっと、それだけじゃなかった。たぶん、許せなかったのだ。誰もが仲良くしたがっている人気者の私が、ハリーじゃなくたって誰だって友達を選べる私が、せっかく手を差し伸べてあげたのに────その手を、他ならないハリーに振り払われたことが。プライドが傷ついた。私が好きになってあげたのだから、ハリーも私を好きになるべきなのだと、きっと無意識にそう考えていた。1人ぼっちの彼には私しか居ないのだから、彼は私を好きになるに決まっていると、そんな風に。手を伸ばしたのも、ハリーを好きになったのも、私自身が選んだことで、ハリーがそうして欲しいと望んだわけじゃないのに。
あの頃の私は、口ではハリーを友達だと言っていても、ハリーのことを自分のアクセサリーか何かのように扱っていた。いつだってハリーの言葉よりも自分の好奇心を優先して、ハリーの意志を尊重しなかった。不思議な力を持つ特別な友達の存在は、まるで自分も特別になったように錯覚できたから。
ハリーの前でだけは本当の自分を曝け出すことができたのも、ハリーへの信頼からなんかじゃない。きっと、心のどこかではハリーを軽んじていたからだ。ハリーの特別になりたいなんて言いながら、ハリーを自分と対等な1人の人間として見ていなかった。自分では親切にしているつもりでいたけれど、たぶん全然足りなかった。思いやりと、想像力に欠けていた。あの頃の私はいつも、ハリーの語る理不尽をどこか遠い国での出来事か、物語の中の出来事のように感じていた。可哀想だと直接口に出すことこそしなかったけれど、きっと心のどこかではハリーの境遇を他人事と切り離して、憐れんでいた。自分じゃなくて良かった、って思っていた。
そんな、私さえ無自覚だった傲慢さに、ハリーはきっと気が付いていたのだと思う。

だからきっとあのとき、ハリーは私を遠ざけようとしたのだろう。

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