すこし違うなにか

初めて会話らしい会話をした頃には、もう冬の終わりが近づこうとしていた。

私が転校してきたのは秋学期の途中だったから、つまり私とハリーは数ヶ月の間「おはよう」と「じゃあね」と「このプリント回して」以外の会話をしなかったことになる。まあでも、男子と女子って仲良くなければ元々そんなもの。性別なんて気にせず誰とでも仲良くできるのなんて、一部のとびきり目立つ人気者だけ。そうじゃなきゃ、陰で「媚びてる」「ぶりっこ」なんて言われてしまう。もしくは、「あの子が好きなの?」ってからかわれたりね。そう言うの、もうウンザリ。クラスで透明人間みたく扱われているハリーにほんの少しでも親切にしようものなら、たちまち「レイチェルはハリーにお熱だ」なんて冷やかされるのは間違いない。女の子が集団になったときの団結ぶりって本当にすごくって、マグナ・カルタの条文ですら変えられそうなほど。それが誰かの悪口と男の子に関することだと、特に。

「ひどいよね、急に頼むなんて。あれ、レイチェルなら断らないって思ったからだよ。絶対そう!」
「あの先生、プリントの回収なんかも女子にばっかり頼むよね」
「男子に頼んだらサボって帰るからでしょ。本当サイテー」

今もそう。先生から帰り際に花壇の水やりを頼まれたのは私で、つまり1番先生に対して文句を言いたい気分なのも私なのだけれど、なぜか私より友人達の方がヒートアップしていた。彼女達が先生や男子達への不満を言い立てるのは、ひとえに私への麗しい友情からなんだろう。しかし、そんな女子同士の結束は、いついかなるときでも発揮されるわけではないことも私はよく知っている。

「かわいそう、レイチェル

可哀想だから私も手伝うよ、とはならない。
可哀想って言葉って好きじゃない。だってほとんどの場合は、「自分じゃなくてよかった」と同じ意味なんだもの。今だってそう。この面倒事は私1人きりに与えられた役割で、自分たちには関係ないと線を引く。これは「可哀想なレイチェル」が頼まれたことであって、自分達には関係がないって、そんな風に。

「ごめんね、手伝ってあげたいんだけど……もうパパが迎えに来ちゃってて」
「私も。今日、バレエのレッスンがあって……」

あなたのバレエのレッスンって火曜日だったはずだけど、私ってばカレンダーを読み違えちゃったかしら。
そんな皮肉が飛び出しそうになったけど、グッと飲み込んで笑顔を作った。ええ、そうよね。わかるわ。水やりなんてめんどくさいし、特に今日みたいな寒い日は、誰だって早く帰ってソファでゆったり温かいココアを飲みたいに決まってる。靴は泥で汚れるし、服だって濡れるかもしれないし、嫌よね。私だって嫌だもの。

「大丈夫、気にしないで。すぐ終わると思うし……ママが来るまで、もう少し時間がかかると思うからちょうどよかったかも」

そう言って、思ってもない「いい子」のセリフを口にしてみせて、笑って友人達を見送るしかできなかった。あの子達はあからさまにホッとした顔をして、それから「レイチェルってちょっと優しすぎるわ」なんて怒ったフリをしてみせて、また私を口実に先生の悪口で盛り上がっていた。あーあ。

『緑が豊かで素敵な学校ね』

ママはそんな風に褒めていたけれど、やたらと広い花壇に水やりするのって本当大変。シャワーが水の粒になって葉っぱの上を滑るのを眺めながら、ふぅと溜息が出た。せめて綺麗な花でも咲いてれば、ちょっとは気分転換になったのに。何の花なのかわからないけど、まだ蕾すら付いていない。

大変だから手伝ってよ、って素直に言えるのが本当の友達ってやつなのかもしれない。

でも、あの子達は小さい頃からの友達で、私はたった数ヶ月前に彼女達のグループに「入れてもらった」ばかり。どうしたって、全く同じようにはいかない。たぶん、先生に頼まれ事をしたのが彼女達の中の誰かだったら、頼まれなくても「私も手伝うよ」なんて言ってしまっていただろう。
もっと時間が経って、もっとあの子達との友情が深まったら、こんな風に遠慮なんてしなくなるものかしら。でも、それってあと何年先のこと?
何にしても、優しい女の子のフリをするのって結構疲れる。んん、と凝った首を回していると、視界の端に見覚えのある後ろ姿が目に入ったので、私は思わずその名前を呼んだ。

「ハリー!」

小柄で痩せた体には不釣り合いなぶかぶかの服。お下がりだけど────たぶんあのダドリーって子がすくすくと成長しすぎるせいで────服自体は真新しくてブランド物だから、余計にちぐはぐに見える。重そうなコートを引きずって背中をちょっと丸めて歩いているその姿はなかなか見間違えない。ハリーだ。

「僕に用? えっと、君……」

クラスメイトに声をかけられただけだと言うのに、ハリーはやけに動揺していた。と言うか、オドオドしていた。どうやら私の名前が思い出せないらしく、口をパクパクしている。まあ、驚くのは無理もないのかも。そもそも、大抵のクラスメイトはダドリーを恐れてハリーに話しかけないし。それはともかく、数ヶ月経つのに転校生の名前をちゃんと覚えてないってどう言うこと?

「暇なら手伝ってよ。私みたいなか弱い女の子がたった1人でこんな面倒なこと言いつけられてるのを見て、何とも思わない?」
「いいけど……」

ちょっとムッとしたのもあって、私はハリーに向けて意地悪くそう言ってみせた。別にそのつもりで呼び止めたわけじゃなかったけど、誰かに手伝ってほしかったのは本当。ハリーは驚いたように目を見開いた後、ちょっと迷惑そうな顔をした。意外と表情豊かだ。

「君、見た目と違って結構気が強いんだね」

ハリーが面白くなさそうな表情でブツブツと言った。
なるほどね。お人形みたいに愛らしい私の容姿から、ハリーは中身もお人形みたいにおしとやかな女の子を勝手に想像していたらしい。おあいにくさま。確かに私はいつもニコニコしてるけど、それは大人が言うところのショセイジュツってやつでしかない。だって、愛想よくしておかないと「生意気」「調子に乗ってる」なんて言われちゃうもの。「転校生」って友達を作るのも簡単だけど、敵を作らないようにするのも大変なんだから。……なんて、転校生をやったことがないだろうハリーに言ってもわかりっこないだろうけど。大人な私は、ハリーの言葉に突っかからず流してあげることにした。

「ヒックス先生の宿題のプリントやった?」
「まだだよ。あの先生の書く文字って、1と7の区別がつかない」
「それ、私も思ってた! あれって自分では見分けつくのかしら?」

ちゃんと話してみると、ハリーは思ったよりずっと普通の男の子だった。いつも俯き気味なのと野暮ったい眼鏡のせいでわかりにくいけど、よく見ると結構ハンサムだ。特に、瞳の色がすごく綺麗。あちこち転校して何百人って子と出会ってきたし、パパやママの知り合いってすごく素敵な人が多いんだけど、それでもこんなに素敵な色を持った人ってなかなか居ない。夏の日に透けた葉っぱか、エメラルドみたいに鮮やかな緑色。それに、笑った顔は結構好みかもしれない。実は運動神経もいいみたいだし、成績だって悪くない。乱暴者の従兄の存在さえなければ、きっとあんな風にクラスの皆から避けられることはなかっただろう。

でも、そう。良くも悪くも、ハリーはたぶん本当に、普通の男の子だった。

つまりそれって、あのダドリーに目をつけられる危険わおかしてまで彼と仲良くしたいと思う人間は少ないと言うこと。普通、誰だって、話の通じない乱暴者とは関わりたくない。もちろん、私も。
明日になったらたぶん、「昨日はありがとう」とお礼を言って、それきり。それでもう「終わったこと」にして、ハリーとは関わらないだろうな、なんて思っていた。ただ、元通りに戻るだけ。普通の、大して親しくないクラスメイトの関係に。
次の日学校に来て、“普通ではないこと”が起こっているのを目にするまでは。

「ね、ハリー!ちょっと来て!」

“異変”に気がついたのは昼休みだったから、放課後になって皆が居なくなるのを待って、私はようやくハリーに声をかけることができた。ハリーはまたしても私に声をかけられたことにビックリしていたけれど、私は気にせずハリーの腕を引っ張って廊下を急いだ。

「わ、ちょっと……何? 僕、帰らないと……」
「いいから! 見て!すごい!」

ハリーを連れて行った先は、昨日のあの花壇だった。同じ場所だけれど、昨日とは全然様子が違っている。まだ蕾さえもなかったのに、1晩のうちに花が満開になっていたのだ。それも、ハリーが水をあげたところだけ。種類も全然違う、色とりどりの花が咲き誇っている。まるで、魔法みたいに。

「ハリー、あなたって緑の指を持ってるのね! おばあちゃんが言ってたわ。あなたみたいな人のこと、そう呼ぶの!」
「たまたま、偶然だよ……」

ハリーはそれが自分が原因だとは信じていないみたいだったけれど、私は確信した。
ハリーは普通の男の子なんかじゃない。きっと何か、特別な力を持っているのだ。

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