優雅な形をした小さなガラス瓶で、蓋は宝石のような形にカットされている。中身は澄んだ薄いピンク色で、香水よりも少し濃い色をした小さな薔薇やラインストーンが底に沈んでいた。窓辺に置いて、太陽の光にきらきらと光る様子は、見ているだけでうっとりしてしまう。
しかし、香水と言うのは本来飾って鑑賞するためのものではない。貰ったその日に一度開封してしまったから、さっさと使わないまずいだろうし、パメラに会った時に感想も言いたい。
せっかくだから一度くらい使ってみよう。そう思ってそっと蓋を開けてみた。色々な花や果物の混ざった香りが、ふんわりと瓶の口から漂って来る。とても素敵な香りだ。さあ付けてみようと、レイチェルは自分の手首へと持って行き、スプレーを押した───のだが。
「……あれ?」
1回。2回。3回。シュッシュッと空を切る独特の音はするのに、何故だか一向に自分の手首に香水がつかない。おかしい。最初だから、なかなか出てこないのだろうか? それならばもう一度、とレイチェルはスプレーを構えたが、やっぱり空を切る音がするばかりだ。
「……レイチェル」
「え?」
不良品なのだろうかとレイチェルが首を傾げていると、セドリックが困ったように名前を呼んだ。その声に振り向いてみると、なるほどその理由は判明した。レイチェルの手首へとかかるはずだった香水はソファの隣に座っていたセドリックの肩口を湿らせ、生地の色を少し濃くしていた。どうやら香水が出る方向が逆だったらしい。不良品出なかったことは間違いないが、何度も押したせいで、結構な量がかかったはずである。
「えっと……ごめんねセド」
ケホケホと咳き込むセドリックに、レイチェルは申し訳ない気持ちになってその背中を擦った。霧が目に入ったのか、セドリックは少し涙目だ。もっと早く言ってくれればよかったのにとも思ったが、口をつぐむ。どう考えたって気づかなかった自分が悪い。
「フローラルな香りがする」
自分のシャツの袖を嗅ぎながら小さく呟くセドリックに、レイチェルは苦笑した。「付け過ぎないように」とパメラのクリスマスカードに添えられていた言葉を思い出す。セドリックが少し腕を動かす度に濃く香るこれは、まさにその付け過ぎの状態だろう。そうか、こうなるのか。気を付けよう。今の状況をレイチェルは勝手に教訓にすることにした。それはそうと。
「……セド、3時からジョンの家に行くんだっけ?」
「そうだった。まずいな。着替えなきゃ」
世の中にはユニセックスの香水もあるにはあるが、これはどう考えてもそうじゃない。一体どうしたのかとからかわれることは間違いないだろう。セドリックもそう思い至ったのか、立ち上がって自分の部屋へ行こうとした。レイチェルはその背中を見送りながら、ぽつりと呟く。
「……髪についたとしたら、着替えただけじゃとれないかも」
レイチェルの言葉に、セドリックは時計を見る。レイチェルもつられて壁を見上げた。待ち合わせの時間はもうすぐだ。今からシャワーを浴び直している時間はない。悲劇的な表情をするセドリックに、レイチェルは罪悪感が湧いて来た。「ごめんね、セド」
「……いいよ」
着替えたものの、まだほんのりと香水の残り香を漂わせたままセドリックは暖炉からジョンの家へと向かった。それを見送って、レイチェルは今度こそ香水を自分へと振りかけ、手首へと顔を寄せてみた。
「ちょっとならいい香りだけど」
やっぱり、女の子向けの香りなせいだろうか。セドリックが付けていると少し違和感が合って───面白い。本人に聞かれれば顔を顰められそうなことを考えながら、レイチェルはソファに寝転がって読書に耽ることにした。
「おかえり、セド。楽しかった?」
「……ただいま」
数時間して、セドリックはジョンの家から帰って来た。やっぱり友人達に香水のことで相当からかわれたらしく随分と疲弊している様子だ。ソファに座ったセドリックは、小さく溜息を吐き出した。
「……ジョンに『香水の香りが移るなんて一体何してたんだ』って言われた」
「…………何それ」
「あの……………本当にごめんね」
「……レイチェルのせいじゃないよ。悪いのはからかってくるジョンなんだから……」
しん、と気まずい沈黙が流れる。本当に申し訳ない。俯くレイチェルに力なく笑いかけると、セドリックはテーブルに置きっぱなしになっていた香水瓶を手に取った。そしてキラキラと瓶の底で揺れる花をしげしげと眺めて、小さく溜息を吐く。
「レイチェルが付けるならいいと思うけど、僕が付けるのはやっぱり変だよ」
「そうね」
他には一体何を言われたのか気にはなったが、それ以上追及することはせず肯定だけを返す。セドリックの疲れ具合を見るに、レイチェルには言わないだけで────もしかしたら言いたくないのかもしれない────きっともっと色々なことをからかわれただろうことは想像がつく。
疲れにそっと瞼を閉じるセドリックに、レイチェルはせめてもの労いにと温かい紅茶を淹れるため黙ってキッチンに向かった。