「またはみ出た」

夏の日差しが窓際から溢れてくる午後。柔らかなソファに体を沈め、レイチェルは難しい顔で唸った。さっきから何度もやり直しているのに、なかなか思い通りにならない。レイチェルが苛々と顔を顰めていると、背後でベルの音がして、玄関ドアが開いた。

「セド、お疲れさま。芝刈り終わったの?」
レイチェル。来てたんだ」
「ママのところに出版社の人が来てるから。邪魔にならないようにね。おばさんはさっき出掛けたわ」

セドリックを振り向いて、レイチェルは暖炉を指差した。そう。ここは、グラント家ではなくディゴリー家である。おばさんに家にあげてもらったレイチェルだったが、そのおばさんはさっきレイチェルに留守番を頼んでダイアゴン横丁に買い物に行ってしまった。キッチンで淹れたアイスティーを片手にこちらへとやってきたセドリックは、肩越しにレイチェルの手元を覗きこむ。

「マニキュア?」
「そう。パメラがくれたの。似合わなかったからって」

真剣に自分の爪を見つめ、小さなブラシと格闘する。またも皮膚へと付着してしまったそれに、レイチェルはむぅと眉を寄せた。またやり直しだ。利き手を使ったときはうまく塗れたが、その逆は慣れていないせいか難しい。除光液によって素の色へと戻った爪に、レイチェルは小さく溜息を吐いた。

「左手だとうまくできなくって……そうだ!セド、やって?」

名案とばかりにぱっと顔を明るくしたレイチェルとは対照的に、セドリックはその言葉に顔を引きつらせた。蓋を緩めたままのマニキュアの瓶をレイチェルが差し出すと、セドリックは焦ったように首を振る。

「ええ……無理じゃないかな。うまくできるとも思えないし」
「だってさっきからもう何度も失敗してるんだもの。ね、お願い。失敗しても怒らないって約束するから」

正直、もうこれ以上自分でやってもできる気がしないのだ。
セドリックは困った顔をしていたが、結局レイチェルの手からマニキュアを受け取った。レイチェルの隣へと腰を下ろし、レイチェルの手を取る。本人にそんなつもりはないんだろうけど、なんとなくその仕草は王子様じみていて、ホグワーツの女の子達が見たら黄色い声を上げるのだろうなとレイチェルはぼんやり思った。
セドリックの手に握られていると、ブラシはますます小さく見える。ぎこちないながらも、とても慎重にセドリックはレイチェルの爪の上にブラシを滑らせ始めた。その表情はとても真剣だ。

「……レイチェルの爪は小さいから塗りにくい」

レイチェルはその手つきをじっと見つめていたけれど、ぽつりと呟かれた言葉に顔を上げた。言われてみれば、確かに。手そのものがセドリックよりも小さい分、レイチェルの爪はセドリックのものよりも小さい。面積が小さければ当然塗るのは難しい。レイチェルは手を動かさないように気を付けながら首を傾げた。

「じゃあセドの爪に塗る? それでもいいけど」

当初の目的とは違っているけれど、それはそれで楽しいような気がする。パメラやエリザベスともよくお互いの髪をいじったり服をコーディネートしてみたりするけれど、他人を着飾ると言うのは面白い。きらきらと目を輝かせるレイチェルに、セドリックはぎょっとしたように目を見開いた。

「そ、……僕が塗っても気持ち悪いだけだよ」
「そんなことないんじゃない? この間フレッドとジョージは塗ってたわよ」

レイチェルは以前見た双子の爪を思い出した。二人が自分で塗ったわけではなく、アンジェリーナがやったらしいけれど。赤や青や黄色、五本全て違う色に塗られた爪はなかなかに二人のイメージによく似合っていた。ような気がする。まあでも、確かに、他の男の子には逃げられたと言う話だから、やっぱり男の子にとってはマニキュアを塗ってみたいと言う欲望はないのだろう。

「女の子って大変だな」

レイチェルがそんな風に納得していると、セドリックがぽつりと呟いた。
女の子って大変。そうだろうか。確かに何度もやり直して苛々はしたけれど、マニキュアは好きでやってることだ。レイチェルから見れば、マニキュアやヘアスタイルに気を配ることなんかより、セドリックが抱え込んでいる色々な用事や役割の方が大変だと思う。
何を大変だと思うかって人によって違うのかもしれない。レイチェルは真剣なセドリックの顔を見つめながら、レイチェルはぼんやりとそう思った。

「ありがとう、セド!」

時間はかかってしまったが、できあがった爪を見てレイチェルは満足だった。
自分の爪を塗るよりも、人のマニキュアを塗ってあげる方が難しい。それなのにこの出来なのだから、セドリックはかなり頑張ってくれた。爪を見せびらかすようにうきうきと手の甲をセドリックに向けた。

「ね、見て。可愛い?」
「え……うん。可愛い……んじゃないかな」
「何それ」

セドリックにしては煮え切らない態度だ。おばさんの紳士教育の賜物か、セドリックはレイチェルが着飾っていたら可愛いと褒めてくれるし、似合っていなかったら「こっちの方がいいよ」とレイチェルが傷つかないよう教えてくれる。なのにどうしたことだろう。レイチェルが思わず真顔になると、セドリックは言いづらそうに言葉を続けた。

「女の子は皆、派手にしたがるけど……僕はそのままの爪の方がいいと思うよ」
「ええー。これ、ダメ? 綺麗な色なのに」

せっかく塗ったのに、テンションが下がるようなことを言わないでほしい。確かに元々パメラが選んだものだけあって少し派手だが、サファイアみたいな艶のある深い青に細かい銀色のラメが散っているのは、夜空みたいでとても素敵だ。今度のお出掛けに着るつもりだったワンピースにもぴったりだろう。眉を下げたレイチェルに、セドリックは困ったように笑ってみせた。

「全部ダメってわけじゃないよ。マニキュア自体は、綺麗だと思うし」
「どんな色ならいいの?」
「えっと……そうだなあ……ピンクとか……?」

それじゃあ大して変わり映えしない。レイチェルは青く染め上げられた爪をしげしげと見下ろした。やっぱり可愛いと思うけれど、セドリックの目にはそうは映っていないらしい。自己満足だと割り切ってしまうこともできるけれど、貴重な意見は聞き入れるべきだろう。

「……じゃあ、次塗るときはそうするわ」

ぽすんとソファに背中を預ける。せっかく綺麗に塗ったのに───半分はセドリックの功績だけれど───すぐ落としてしまうのはもったいない。
ずっと下ばかり見ていたから疲れたのだろう。セドリックはマニキュアの瓶をコーヒーテーブルへと置くと、立ち上がって大きく伸びをした。そしてそのまま自分の部屋へと向かおうとしたセドリックを、レイチェルは引き止めた。

「あ、ダメセド。まだそこに居て」

マニキュアが付かないように注意しながら、レイチェルはセドリックのシャツの裾を掴む。不思議そうにレイチェルを見下ろすセドリックに、レイチェルは小さく首を傾げてみせた。セドリックが部屋に戻ってしまうと、レイチェルにはとても不都合なことが起きる。

「乾くまで暇なんだもの。本読んでていいから、もうちょっと付き合って」
「わかった」

苦笑するセドリックが再びレイチェルの隣へと腰を下ろしたので、レイチェルはその肩へともたれかかることにする。明るい日差しが窓辺に濃く影を落としていた。

幼馴染とマニキュア

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