冷たい雨とともに、10月がやって来た。
ハリーは何度か廊下や大広間であの女の子の姿を見かけたが、何だかいつもより元気がないように見えた。たぶん、マルフォイのせいだ。……とは言ってもハリーはあの女の子の「いつも」をよく知らないから、気のせいかもしれないけれど。
あの女の子だけではなく、ハーマイオニーも何か心配ごとがあるような様子だった。今も、ハリーの目の前でまた溜息を吐いている。気にしないようと決めたみたいだったけれど、やっぱりマルフォイに言われたことのせいで落ちこんでいるのだろうか? そうでなければハリーの知らないところでまた何か嫌なことを言われたのだろうか? 気になるけれど、ハーマイオニーが話す気になるのを待った方がいいのだろうか?
「あのね、ハリー。聞いてくれる?」
そう思っていたら、ハーマイオニーの方からそう切り出された。真剣な表情だ。一体何があったのだろうか? ハリーは魔法史のレポートを書いていた羽根ペンを置き、背筋を伸ばした。ちょうどついさっきロンは双子に呼ばれて談話室を出て行ったけれど、ロンに聞かれるとマズいことなんだろうか?
「レイチェルがマ……友達と喧嘩したみたいなの」
予想外の言葉に、ハリーはパチパチと瞬きをした。てっきり、マルフォイの話なんじゃないかと思ったのに。その『レイチェル』がひどく落ち込んでいる様子だから、力になってあげたいらしい。相談の内容は理解はしたものの、ハリーは今度は新たな疑問が浮かんだ。
「どうして僕に?」
「ロンの前でレイチェルの名前を出したら、絶対また不機嫌になるもの」
『レイチェル』とハリーが話したこともないのはハーマイオニーも知っているはずなのに。
ハリーが首を傾げると、ハーマイオニーがまた溜息を吐いた。まあ確かに、ハーマイオニーの言っていることは正しい。ハリーはクィディッチの練習があるからよく知らないが、ハーマイオニーは今でもほとんど毎週『レイチェル』と図書室で勉強をしているらしく、その日のロンは大抵機嫌が悪いのだ。
「ロンにも困ったものよね。確かにレイチェルと私は………皆の前でちょっと喧嘩しちゃったけど、ちゃんと仲直りしたもの。本人達がもう気にしてないんだから、ロンがあんな風に引きずることないのに」
「君のこと、心配してるんだよ」
ハリーがそう言えば、ハーマイオニーの頬が薄っすらと赤くなった。
ハリーはロンとは違ってそのとき居なかったから、ロンほど『レイチェル』に対する悪感情はない。そう言えば、結局ハーマイオニーと『レイチェル』は何が理由で喧嘩したのだろう?
「とにかく」とハーマイオニーが言った。
「1人で考えてみたんだけれど、いいアイディアが浮かばなくって。どう思う?」
「仲直りか……」
うーん、とハリーは首を捻った。アドバイスをしようにも、ハリーは『レイチェル』のことをほとんど何も知らない。それに、ハリーは友達と喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。ホグワーツに入学するまでは友達と呼べるような存在は居なかったのだ。
「ええと……君が間に入って取り持つ、って言うのは難しいの? そうじゃなきゃ、そっとしておいた方がいいんじゃないかって思うけど……」
以前、そんな感じのストーリーのアニメを見たような記憶がある。と言うか、喧嘩なんてそれこそ当人同士の問題だから、いくら友達とは言え第三者がにできることは少ないんじゃないだろうか。ハリーが考え考え口にすれば、ハーマイオニーは静かに首を振った。
「それはできないの。私、そのレイチェルの友達とは仲良くないんだもの」
「ああ、上級生だから? でも、友達のことだって言えば、話をするくらい……」
「違うの。仲良くないって言うか、えっと、知り合いではあるの。ただ……向こうは私のこと、嫌ってるから。それに……レイチェル本人から聞いたわけじゃないけど、喧嘩の理由も、たぶん私のことなんじゃないかと思うの」
「あー……」
きっと、ロンと『レイチェル』みたいな状態なんだろう、とハリーは想像した。ロンが『レイチェル』のことを悪く言って、それに怒ったハーマイオニーと喧嘩すると言うのは、今にも起きそうな出来事だ。配役は違うのだろうけれど、『レイチェル』の側にも似たようなことが起きたのだろう。
「だから、私とその人が話すって言うのは無理ね。私も、できたら話したくないもの」
「そんな相手でも、仲直りしてほしいの?」
ハリーは驚いた。友達が落ち込んでいたらハリーだって力になりたいと思うし、しかも原因が自分なら、なおさら気になってしまうだろうけれど────たとえば(絶対にありえないだろうけれど)ロンとマルフォイが友達になって、ハリーが原因で喧嘩をしたとして、ハリーは2人に仲直りしてほしいなんて思うだろうか? いや、たぶん、思わないだろう。
「私だって、レイチェルのその友達のことは大嫌いよ。でも、私にレイチェルの交友関係を制限する権利はないし、そんなことしたって、レイチェルのこと困らせるだけだもの」
そうでしょう?と同意を求められたハリーは、どう返事をしたらいいのかわからなくて曖昧に頷いた。
ハーマイオニーと別れたハリーは、クィディッチの競技場へと向かっていた。
今日もこの後、練習が入っているのだ。あのスリザリンとの練習のダブルブッキング以来、ウッドのクィディッチの特訓への情熱は増すばかりだった。連日の雨の中の練習は厳しかったが、チームの誰もが不満を言わなかった。ニンバス2001はそれだけグリフィンドールチームにとって脅威だった。
それにしても、とハリーは考えた。ハーマイオニーがあんなにはっきりと────いつも嫌みばかりのマルフォイややたらと彼女に突っかかって来るパーキンソンは別として────誰かを「嫌い」だと言いきったのは、驚いた。『レイチェル』の友達と言うことは、たぶん、上級生の女の子だろうけれど……あの、いつもよく居るブロンドの女の子だろうか。それともまさか────あの人が? いや、でも2人ともそんな風には見えない。かと言って、アンジェリーナやアリシアでもないだろう。ハリーの全く知らない、別の誰かだろうか?
そこで、ハリーは思考を止めた。遠くに、グリフィンドールの競技用ローブを着た誰かがが見えた。あの背の高さは、どうやらウッドだ。ウッドもきっと競技場に向かうところなのだろう。
「オリ……」
声をかけようとしたハリーは、ウッドが誰かと話していることに気がついた。ウッドよりも随分と小柄で華奢な影は、どうやら女子のようだ。チームの誰かか、ウッドの同級生だろうか? 話の邪魔をしたくはないけれど、そもそも目的地が同じなのだからウッドの居る方向はハリーにとっても通り道だ。そのまま歩いて行くと、ハリーはようやくウッドの話している相手の顔を見ることができた。
あのレイブンクローの女の子だ。
知らず、ハリーの足はその場に止まっていた。
雨音がうるさくて、声は聞こえない。けれど、話している2人は楽しげで、打ち解けた様子に見えた。今が初対面ではなく、元々の知り合いなのかもしれない。
ウッドの手が、彼女の頭に触れる。彼女が戸惑ったような、照れたような表情になる。
「オリバー!練習、頑張って」
雨の音がほんの少し弱まっている。そんな声が、ハリーの耳にも届いた。競技場へと向かうウッドの背中に、彼女がそう呼びかける。声に気づいて振り返ったウッドが、彼女に向かって手を振った。彼女もウッドに向かって手を振り返す。
────笑ってる。
彼女はしばらくウッドの去った方向を見ていたけれど、しばらしくして何事もなかったように廊下の角へと消えて行った。どうしてかハリーもその場に居たくなくて、急ぎ足で競技場へと向かう。気持ちは逸るのに、どうしてか足は鉛のように重かった。
どうして、あの2人は知り合いなのだろう? あの人はフレッドとジョージの同級生だから、ウッドとは学年が違うはずなのに。寮だって違うんだから、接点なんてないはずなのに。
「……だから何だって言うんだ」
小さな呟きは、地面に叩きつける雨音にかき消された。
マルフォイなんかに泣かされていたから、気になった。きっと何かひどいことを言われたんだろうから、可哀相だと思った。そのせいで落ち込んでいるみたいで心配だったのだから、笑っているのなら、あの女の子が元気になったのなら、安心のはずだ。そもそも、あの人がマルフォイと喧嘩していても、ウッドと仲が良くても、ハリーには関係ない。ハリーとあの人は、友達でも何でもないんだから。
そう言い聞かせるのに────どうしてか、ハリーは締めつけられたように心臓が痛むのを感じた。