11月の始まりは、ハリーにとっては憂鬱だった。
ハロウィーンの夜に起きた事件のせいで、ハリーはまたしても噂の中心になった。もちろん、ホグワーツに居る全ての生徒が、ハリーがミセス・ノリスを石にしたと疑っているわけではない。けれど、せっかくのパーティーにも参加せず“全く偶然に”あんな場所に居たと言うのは言い訳としては多少無理があったし、第一発見者のハリーが何か関わっているのではと考えているようだった。壁の文字を見るまで秘密の部屋の伝説の存在すら知らなかったハリーにとっては、不名誉な誤解もいいところだし、クィディッチの試合では屋敷しもべ妖精のドビーの仕掛けたブラッジャーに腕の骨を折られるし、おまけにその骨をロックハートに抜かれて腕をゴム手袋みたいにされるし、11月に入ってからと言うものの、まったく散々な目に遭った。
「ポリジュース薬の調合って、やっぱりとっても難しいわ」
ハリー達が継承者の正体ではないかと睨んだのは、マルフォイだ。それを本人の口から聞き出すため、ハリー達は先週からポリジュース薬の調合に取りかかっていた。もう本は返却してしまったけれど、閲覧禁止の棚ではないと調合方法すら見られない、危険で協力な魔法薬だ。ハーマイオニーが羊皮紙に書き移したレシピは、確かにおそろしく複雑だった。まだ工程の4分の1にすら到達していないのに、この15分ほどの中で、目の前の鍋の中の液体は既に2回も色を変えている。ハリーとロンの2人ではおよそ完成させるのは不可能だっただろうことを考えると、ハーマイオニーがこの「規則破りの密造」に積極的なのは喜ばしいことだった。
「私1人でも、たぶん何とかできるとは思うの……今のところは順調に行ってるわ。でも、材料もギリギリだし、失敗できないでしょう? できたら誰かもう1人、手伝ってくれる人が居たら安心なんだけど」
ハーマイオニーが眉を寄せた。ハリーは何と答えたらいいかわからず、黙りこくった。時々はハリーとロンも手伝ってはいるものの、やっぱりハーマイオニーが1番得意だからと難しい作業はほとんど任せきりだ。ハーマイオニーの負担は大きい。けれどハリーとロンがもっと手伝う範囲を増やすとなると、それこそかえって失敗の確率が上がってしまいそうな気がする。
「レイチェルは魔法薬学が得意なの」
ハーマイオニーがそう言って、ハリーを見つめた。ハリーが一体どう反応するか確かめられているような気がして、ハリーは視線を泳がせた。そして、どうしてハーマイオニーが今このタイミングで話をしたのかも分かった。談話室でパーシーに捕まっていたロンは、しばらくはここに来られない様子だったからだ。
「うーん……ロンは猛反対すると思うよ」
「やっぱりそうよね……」
ハーマイオニーが小さく溜息を吐いた。「『レイチェル』にポリジュース薬の調合を手伝ってもらおう」なんて言ったらロンがどんなに怒るか、ハリーは想像すらしたくなかった。
それに、とハリーは続けた。
「僕も、できたら他の誰かには話したくない。ハーマイオニー、『レイチェル』が君の仲良しの友達なのはわかってるけど……僕達にとっては、そうじゃないんだよ」
ハーマイオニーにとっては信頼できる友人でも、ハリーとロンにとってはよく知らない相手だ。それどころか、ロンは『レイチェル』のことを嫌っている。そんな相手に秘密を共有するのは、ハリーだって不安だし、信頼関係がない者同士では、計画が上手くいくとも思えない。
「だから、やっぱりこの件に関しては、僕達3人だけの秘密にしてほしい」
「ええ……わかったわ」
ロンだけでなくハリーの意志でもあるのだとキッパリ言うと、ハーマイオニーは静かに頷いた。驚いた様子も、不満そうな様子も見せない。元々、ハリーが拒否することを予想していたのかもしれない。
大鍋の中で、ボコボコと薬液が煮立つ。「実を言うとね」ハーマイオニーがぽつりと呟いた。
「私が迷ってたのは、ロンのことだけじゃないの。ポリジュース薬の完成のことを考えたらその方が確実だってわかってるけど……レイチェルのこと、巻き込むのはよくないんじゃないかって。……私達がやろうとしてることを知ったら、絶対心配するし、反対するもの。去年だって……」
ハーマイオニーは何か言いかけたが、そこでハッとしたように言葉を切った。
去年────ロンが怒っている原因の、ハーマイオニーと『レイチェル』が喧嘩したときのことだろうか?ハリーは少し気になったが、ハーマイオニーはそれ以上続けるつもりはないらしく、ハリーに向かって微笑んだ。
「だから……さっきあなたからはっきりダメだって言ってもらって、ちょっとホッとしたの。ありがとう、ハリー」
ハーマイオニーの柔らかな声に、ハリーは何だかくすぐったいような気持ちになった。
別にハーマイオニーを思いやって反対したわけじゃないのに感謝されるのは、何だか落ち着かない。でも確かに、あの『レイチェル』って人は、規則破りなんかは絶対にしなさそうな印象だ。魔法薬の密造を面白がって協力するタイプではないだろうから、ハーマイオニーが悩んだのは理解できる気がする。
「君にばかり任せちゃって、申し訳ないとは思ってるんだよ。僕達にもできることがあったら、何でも言って」
「あら、そう? じゃあ、早速だけど、その袋の中のクサカゲロウをすり潰してくれる? あるだけ全部よ。ペースト状になるまで、細かくね」
ハーマイオニーがキビキビと言った。ハリーはハーマイオニーの指差した先を視線で追って、そこにあった紙袋を手に取った。ハーマイオニーは鍋の中身を薬匙で慎重にかき混ぜながら、真剣な表情で調合手順を読み込んでいる。
「君ならできるよ、ハーマイオニー。だって、君は今まで、どんな呪文だって成功させてきたじゃないか」
ハリーが言えば、ハーマイオニーがパッと頬を紅潮させた。
……そう思ったのは事実だけれど、ちょっと素直に口に出しすぎたかもしれない。静かな個室の中に、照れくさいような、気まずいような沈黙が落ちた。ハリーが材料をすり潰す音、薬液が煮立って跳ねる音────ちょうどそのとき、バタンと勢いよくドアが開いた。
「うわぁ、ハリー。君、それ、何してるんだい?」
「いいところに来た。君も手伝えよ、ロン」
扉の影から顔を覗かせたロンに、ハリーはニッコリした。
2件目の犠牲者、コリン・クリービーが襲われて以来、城の中の空気はますます重くなっていた。
1年生達はすっかり怯えきってしまっていて、磁石のように固まって動いていた。1年生以外も継承者のことは不安に思っているようで、魔除けのグッズが大流行している。マルフォイが得意満面なのが、ハリーには腹立たしくて仕方がなかった。ポリジュース薬の調合はハーマイオニーによれば「全て順調」らしいが、それでも完成にはまだ1か月近くもかかる。早くあいつの尻尾をつかんでやりたいのに────。
「いっけね。杖を置き忘れてきちゃった。僕、取りに戻って来る」
午後の授業に行こうと中庭を通りかかったところで、ロンがそう言った。さっきの昼食の席でシェーマスと悪戯グッズをいじっていたときに、うっかりテーブルの上に置いてそのままになったらしい。全くもう、とハーマイオニーが呆れたように溜息を吐く。
「私、先に行くわ。前の方の席で聞きたいから。ハリー、貴方は?」
「あー……僕はロンを待ってから行くよ」
「そう? じゃあ、また後でね」
次の授業は闇の魔術に対する防衛術だ。今日もどうせ教壇に上がらされてロックハートの寸劇の相手役をさせられることはわかっているけれど、前の方に座って「私の授業が楽しみで仕方ないようだね!」なんてあの白い歯を見せつけられるのは、できることなら遠慮したかった。
「お兄様ったら、『追加でまた何か送ろうか』なんて手紙に書いてきたの。過保護すぎるわ」
「あれだけあれば、もう十分でしょ! それにしても、魔除けのお守りって、なーんか地味な色が多いわよね。 もっとピンクとかオレンジとか可愛い色ならいいのに!その方が、気分も明るくなるじゃない?」
ハリーがベンチに座ってロンが戻って来るのを待っていると、誰かが通りかかった。それも、知っている顔だ。レイブンクローのネクタイを締めた、上級生の女の子が2人。ハーマイオニーの友人の『レイチェル』と、それからよく一緒に居るのを見かける派手なブロンドの長い髪の女の子だ。
「まーた溜息吐いてる。何? まださっきの授業の失敗引きずってるわけ? あなたが失敗なら、私のは何よ?」
「『前衛的で芸術的な代物』……スネイプ教授はそう仰っていたわね」
「やめてよ! 思い出しちゃったじゃない。せっかく忘れかけてたのに」
「あなたは少し切り替えが早すぎると思うわ、パメラ」
『レイチェル』が呆れたように言った。その口調と表情が、ロンに対するハーマイオニーによく似ていた。
一見、何だか正反対の────率直に言えば相性が良さそうには見えない2人だけれど、仲が良さそうだ。ハーマイオニーの言ってた「喧嘩の相手」はこのブロンドの女の子ではないんだろうか? それとも、もう喧嘩はとっくに終わって、仲直りできた後なんだろうか?
「魔法薬学はやっぱり苦手だわ」
小さく溜息を吐いて『レイチェル』が呟いた言葉に、ハリーはあれ?と思った。
ハーマイオニーの話では、『レイチェル』は魔法薬学が得意なんじゃなかったっけ? あのハーマイオニーが言うくらいだから、きっとものすごく成績がいいんだろうと思ったのに。ハーマイオニーの思い違いだろうか? でも、ハーマイオニーのあの記憶力を考えるとそれは可能性が低いような気がする。だとしたら、『レイチェル』が嘘を吐いたのだろうか? だとしたら、一体どうして────?
「おーい、ハリー! どうしたんだよ、ぼんやりして?」
「あ、ウン……何でもない」
ひらひらと顔の前で手を振っているロンに、ハリーはハッとした。どうやら、いつの間にか戻って来たらしい。辺りを見回しすと、『レイチェル』もその友達も居なくなっていた。それどころか、中庭にはもうハリーとロンが居ない。時計を見れば、午後の授業まであと5分しかない。
「急ごう。遅刻なんかしたら、ロックハートに何言われるかわかんないぞ」
「忘れ物したのは君だろ、ロン」
ハリーとロンは急ぎ足で城の中に入り、バタバタと防衛術の教室まで走った。どうにかギリギリで間に合ったものの、途中で動く階段に邪魔されたし、防衛術の授業では今日はロックハートに劇的に倒されるトロール、そしてそれに感謝する村人の2役も演じさせられた。
授業が終わって解放される頃には、すっかりハリーの頭の中から中庭での出来事は吹き飛んでいた。