白い石畳の上を、光の粒が跳ね返っている。
晴れた空の下に1人の少女が立っていた。頭上に広がる青とは対照的な、真っ白なワンピース。陽に透けた髪が、サラサラと肩口を流れる。眩しく照らす逆光のせいで、ハリーからはその顔はよく見えない。

『どうしたの? 迷子?』

柔らかな声色で投げかけられた言葉に、ハリーは答えようとした。それなのに、上手く声が出ない。どうして、と思わず喉に手で触れようとしたけれど、ただその場に立ちつくしたまま、指先すらも動かない。けれど、少女はそんなハリーを気にした様子なくハリーに話しかける。

『新入生なの? ダイアゴン横丁は初めて?』

少女がハリーに笑いかけた。表情はよく見えないのに、どうしてか笑いかけられたのだとわかった。彼女が、ハリーを見ている。手を伸ばせば触れられる距離に居る。彼女の姿ははっきり見えているのに、彼女の顔だけが、ぼやけてよく見えない。

『私はレイブンクロー生なの。また会えたら嬉しいわ』

そう言って、彼女が踵を返した。ふわりとワンピースの裾が広がって、柔らかな軌跡を描く。そしてそのまま、彼女はハリーを置いて通りの向こうへ歩いて行こうとする。ダメだ。ハリーにはまだ、話したいことがあるのに。一歩ずつ、華奢な後ろ姿はハリーから遠ざかって行く。

「待って!」

今度こそ、ハリーは声を出すことができた。けれど、彼女は振り返ることなく歩いて行こうとする。ハリーは追いかけようとした。さっきまでは動かなかった足が、今度は動いた。ハリーは地面を蹴って駈け出した。彼女は歩いていて、ハリーは走っているのに、どうしてかなかなか距離が縮まらない。でも、追いついてみせる。ハリーはスピードを上げた。彼女の背中が、少しずつ近づく。もう少し。
ハリーは手を伸ばした。あと少しで、ハリーの指先が彼女の腕を掴む───。

届いた、と思った瞬間、ハリーはホグワーツの廊下に居た。

彼女は白いワンピースを着ていたはずだった。けれど、今ハリーの目の前に翻っているのは制服の黒いローブだった。ハリーが掴んでいるのも、彼女の腕ではなく、彼女のローブの袖だった。掴まれたことに気がついた彼女が、ハリーを振り向く。今度は、しっかりと顔が見えた。あの、レイブンクローの上級生だ。

『ハリー!』

振り返った彼女が、パッと表情を明るくして、ハリーの名前を呼んだ。まるでハリーとずっと前から友達だったような、親しげな響きだ。ハリーを見つめる瞳が、キラキラと輝いている。はにかんだように笑っている顔が────────可愛い。

『ハンカチを拾ってくれたの? ありがとう!』

いつの間にか、ハリーはもう片方の手にハンカチを持っていた。淡い水色に、花の模様の刺繍。どうしてハンカチなんか持ってるんだっけ? ああ……そうだ。ハリーはさっき、彼女が落としたハンカチを拾って、追いかけてきたんだ。

『実はね、貴方は覚えてないかもしれないけど……私、あなたとダイアゴン横丁で会ったことがあるの』

照れたような表情で告げられた言葉に、ハリーは驚いた。驚いたけれど、同時に嬉しくもあった。やっぱり、ハリーが似ていると思ったのは間違いじゃなかったんだ! やっぱり、ハリーが思った通り、この人があのときの女の子なんだ。

「僕……」

ハリーは何か言おうとした。けれど、その声が言葉として吐き出されることはなかった。
まるで誰かがまだ絵の具が乾いていないキャンバスを巨大な筆で擦ったかのように、目の前の全てがぐにゃ、と歪んだ。

 

 

そこで、ハリーは目が覚めた。────つまりは、夢だった。
窓の外の空は、夢の中とは違って紫がかった薄灰色をしていた。……まだ夜明け前だ。ハリーが寝返りを打つと、ギィとベッドが軋んだ。仰向けになったまま、ぼんやりと天井を見つめる。もう一眠りしてもいい時間だけれど、何だか目が冴えてしまった。浅い眠りの後の気だるさだけが重く体に残っている。

馬鹿みたいな夢だ。ハリーは知らず、笑みを浮かべようとして、奇妙に口端が引きつった。

でも、そんな馬鹿げた夢を見た理由はわかりきっていた。明日が、ハリーの誕生日だからだ。
あの女の子に会ったのは、ハリーの11歳の誕生日だった。自分が魔法使いだと知らされた、ハリーのそれまでの人生の中で最も幸福だと感じた日。
夏休みに入ってからと言うものの、ハリーはホグワーツが恋しくて仕方なかった。あの壮大な美しい城も、授業も、初めてできた友達も。そう。友達だ。……どうして、ロンもハーマイオニーも手紙の1通もくれないのだろう? せめてヘドウィグを自由に鳥籠から出してやることができたら、2人の様子を見に行ってもらうことだってできるのに。夏休みに入ってからと言うものの、ダーズリー一家は相変らずハリーに冷たかったし、せめてそんな日々の慰めになってくれるだろうと思っていた手紙も1通だって来ない。まるでホグワーツに入学する前に戻ってしまったようで、惨めさや不安が日に日に膨らむのをハリーも感じていた。そんな鬱屈した気持ちのせいで、あの日のことを夢に見たのだろう。あの日、ハリーの心をほんの少し曇らせていたホグワーツへの不安を晴らして、新学期を楽しみだと思えるきっかけを作ってくれたのはあの女の子だったから。

そして、記憶と違っていた部分はたぶん────認めたくないけれど、ハリーの願望だ。

願望、と言うよりも、幻想が近いかもしれない。こうならいいな、と以前ハリーが思い描いていたこと。
わかっている。あの人は、ダイアゴン横丁で会ったあの女の子とは別人だ。フレッドとジョージがはっきりそう言っていたんだから。あの女の子のことだって、もう探さなくていいと納得したつもりだった。
理解したと思っていたし、割り切ったと思っていた。でも……心のどこかで、やっぱりあのダイアゴン横丁の彼女にもう一度会いたいと思っているんだろうか。2人が同一人物ならいいと、そんな風に期待を捨て切れずに居るんだろうか?

最初にホグワーツで会ったとき、似ている、と思った。

似ているから、気になった。それがきっかけだったことは間違いない。ダイアゴン横丁で会ったあの女の子に似ていたから、本人なんじゃないかと期待した。たぶん────あの女の子に似ていなかったら、こんな風に彼女のことを考えることはなかっただろうとも思う。

「……仕方ないじゃないか、似てるんだから」

ハリーは呟いて、目を閉じた。瞼の裏に、レイブンクローのネクタイを締めた女の子の顔が浮かぶ。
顔が似ていなかったら、なんて考えてみたところで、やっぱり彼女はハリーの記憶の女の子によく似ているのだ。今となっては記憶はもうおぼろげだけれど、少なくとも初めてホグワーツで彼女を見たとき、ハリーはそう感じた。
ホグワーツに入学して、ハリーはダイアゴン横丁で会った女の子を探した。ロンには無謀なんじゃないかと驚かれたけれど、それでもできることならもう1度会って話がしてみたいと思ったから。
廊下で、大広間で、行き交うたくさんの生徒達の中から、1度会っただけの、たった1人を。フレッドやジョージの協力のおかげで、更にたくさん。中には、彼女と似た髪の色、似た背丈の女の子は何人も居た。

それでも────似ている、とはっきり直感したのは、あの人1人きりだった。

あの人のことが気になってしまうのも、結局はあの女の子の影を重ねているだけなのかもしれない。だって、ほとんど会話らしい会話だってしたことがないのだ。名前さえも知らないくらい。
本人が見つからないから、その代わりに? でも、その『本人』のことさえ、ハリーは一体何を知っていると言うのだろう?

ふあ、とハリーは欠伸を噛み殺した。何だか、憂鬱なことばかり考えてしまう。もう一度眠ろう、とハリーは薄いブランケットを手繰り寄せてその中に包まった。
明日はハリーの誕生日だ。ロンやハーマイオニー……そうじゃなくても誰か1人くらいは、きっとそのことを覚えていてくれるだろう。バースデーカードくらいは届くかもしれない。

そうすればきっと、こんな馬鹿げた夢なんてもう見ないはずだ。

真夏の夜の夢

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