ノーバートをルーマニアに送るための、真夜中の秘密の約束。そしてそれがバレてしまった罰として命じられた、禁じられた森でのユニコーンの捜索。そこで出会ったケンタウルスによって知らされた、賢者の石を狙う者の目的。石を守るために3人で飛びこんだ禁じられた廊下。フラッフィーが守っていた扉の向こうに仕掛けられたさまざまな罠。悪魔の罠に羽根の生えた鍵、巨大な魔法使いのチェスに毒入り瓶の論理パズル────そして最後のみぞの鏡の前で明らかになった予想外の真犯人と、ターバンの下に隠されていた、これまで見たこともないような恐ろしい顔。そして、賢者の石を守ろうと必死になっているうちにハリーは意識を失ってしまった。次に目が覚めたときには医務室で、ダンブルドアからは思いがけない両親がハリーに遺してくれたものについて知らされた。
ノーバートの一件での減点に、ハリーが医務室に居る間に大敗してしまったクィディッチ。絶望的だと思っていた寮杯は何とグリフィンドールが獲得した。その功労者であるハリーは、学校一の嫌われ者だったはずが一転、またホグワーツの生徒達に噂され、話しかけられるようになった。
目まぐるしく過ぎ去って行く日々の中、ようやくハリーの毎日に平穏が訪れた頃には、6月も終わりが近づいていた。
「結構頑張ったよな、僕たち」
「ウン……何て言うか……思ったよりずっと良い結果だ」
ざわざわと生徒達のおしゃべりが騒がしい中、ハリーとロンは廊下に貼りだされた掲示を見上げていた。学期末試験を受けたときは賢者の石やヴォルデモートのことで頭がいっぱいだったせいか、あまりはっきりと記憶が残っていない。とは言え、ようやくさっき結果が出たところのなので、実際たった2週間かそこらしか経っていないのは疑いようのない事実だった。ハリーは何だか他人事のような気持ちで順位表を眺めた。ハリーもロンも、想像していたよりもずっと良い成績だ。スネイプなんかは、ハリーのことを落第させたくて仕方なさそうだったのに。
「まあ、もちろん誰かさんほどじゃあないけどな」
ロンがチラッとハーマイオニーの方を見て呟いた。ハーマイオニーは今、ハリーの隣で壁に貼られた順位表をじっと見つめたまま、瞬きひとつしていなかった。信じられないと言いたげな呆然としたような表情だったが、しばらくするとフニャッと頬が緩み、かと思えばまた何でもない表情を取り繕おうとと努力している様子だった。どうやら、得意げに見えないか気にしているようだ。言うまでもなく、ハーマイオニーの順位は学年トップだった。
ハーマイオニーは魅入られたように順位表をじっくりと眺めていたが、ハリーとロンの名前に差しかかったところでようやく2人の存在を思い出したらしく、コホンと小さく咳払いしてこっちを振り向いた。
「……まあ、それなりに満足いく結果だったわ」
「“それなりに”?」
「あっ。あそこに居るの、レイチェルだわ」
ロンが眉を顰めたけれど、ハーマイオニーは気にしていない様子だった。ハリーはハーマイオニーの視線の先を追った。廊下の少し先に、同じように上級生たちが順位表を囲んでいる。その中には確かに、ハーマイオニーの友人の『レイチェル』の姿があった。ハリーは小さく心臓が跳ねるのを感じた。……あの女の子も一緒だ。
「ハリー、ロン。先に行ってて。私、レイチェルと少し話してくるから」
「わかった」
ハーマイオニーの言葉にハリーは頷いたが、どうしてかロンはいよいよ不機嫌そうな表情になった。
「ハーマイオニー! 君、まだあんな奴と仲良くしてるのか!?」
「ええ、そうよ。……何度も言ったでしょう、ロン。私とレイチェルの間で納得してるんだから、あなたが心配する必要はないの。じゃあハリー、また後でね」
ロンの不満げな声にも、ハーマイオニーは取り合わない。まだ何か言いたげなロンを残して踵を返すと、さっさと上級生達の方へと向かってしまう。その背中を見てブツブツ言っているロンのただならない様子に、ハリーは困惑した。
「何かあったの?」
ハーマイオニーの口から『レイチェル』の名前が出るとき、大抵はハリーやロンにとっては嬉しくない内容とセットだ。特に、試験前はそれが顕著だった。そもそも、『レイチェル』はハーマイオニーの友達で、ハリーやロンにとっては話したこともない上級生だ。だからハリーも『レイチェル』の話にはちょっとウンザリしていたし、ロンが『レイチェル』の名前に過敏になっていたのは知っていた。けれど────こんなに怒るようなことが、何かあったのだろうか?
「そうか!ハリー、君、あのときまだ医務室で眠ってたんだっけ」
ハリーの質問に、ロンがハッとしたような表情になった。けれど、何か嫌なことを思い出したのか、すぐにまた苦々しそうな表情に変わってしまう。ハリーがわけがわからず戸惑っていると、ロンはキッと目を吊り上げた。
「あいつ、あのレイチェルとか言う女、最悪だよ!あいつ、ハーマイオニーのこと殴ったんだ!」
「えっ」
殴った────? 予想外の言葉に、ハリーはポカンとした。
ハリーの見かけた『レイチェル』と、『殴った』と言う単語が、うまく結びつかない。大人しそうと言うか、真面目そうと言うか、虫も殺せなさそうな人に見えたのに。あのお姫様みたいな人が、ハーマイオニーを殴った……?
「どうして?」
「知るもんか! 」
ロンの話によれば、ハーマイオニーがアンジェリーナ達と話しているとこに『レイチェル』がやって来て────ロンはそのときフレッドとジョージと話していたから会話の内容は聞こえなかったらしい───何か少し話していたと思ったら、急に『レイチェル』がハーマイオニーのことを殴ったらしい。
「なのに、元通り仲直りしたって言うんだぜ。ハーマイオニーはあいつに騙されてるんだ、きっと」
全く信じられないよ、とロンがぼやいた。
あっと言う間に城を離れる日がやって来た。
荷物や教科書や宿題をどうにかトランクに詰め込んで、ハリー達はホグワーツ特急へと乗り込んだ。楽しいおしゃべりに耽るうちに、荒涼とした風景は段々とのどかな田園風景に変わり、そして今はもう窓の外を過ぎ去っていくのはロンドンの都会的な街並みになっていた。
「そう言えばさ、ハリー。結局、あの『ダイアゴン横丁で会った女の子』は見つかったのかい?」
「ううん。でも、もういいんだ」
ロンの質問に、ハリーは首を振った。
以前と同じ会話だったけれど、以前と違って強がりや誤魔化しではなかった。もう一度あの女の子に会いって話したいと言う気持ちがあったのは確かだ。けれど────ここのところ、あまりにもありとあらゆることが起きすぎたせいで、わざわざ忘れようと意識しなくても『あの女の子を探す』なんて考えは頭の中からすっかり抜け落ちてしまっていた。
「うまくいかないよなあ。ホグワーツのどこかには居るはずなのに、見つからないなんてさ。 夏休み、また教科書を買いにダイアゴン横丁に行くだろ? また会えたりして」
「そんなに簡単に行くはずないでしょう」
冗談めかしてそう言ってみせたロンに、ハーマイオニーが溜息を吐く。ロンはたぶんハリーを励まそうとしてくれていて、ハーマイオニーはハーマイオニーでハリーが期待してダメだったら落ち込むんじゃないかと心配してくれている。そんな2人の気遣いが嬉しくて、ハリーは思わずニッコリした。
「2人とも、気にしないで。本当に、僕、もういいって思ってるんだよ」
たった1回だけ。ほんの数分だけ。たったそれだけの出会いだったけれど、親切にしてもらった。また会おうと言ってくれた。だから、ハリーもまた会いたいと思った。もう一度会って、話がしてみたいと思った。そうしたら名前を聞いてみようと。友達になれるかもしれないと。
すぐに会えると思っていた。ハリーを見つけて、向こうから話しかけてもらえるんじゃないかと。でも、そうはならなくて。だからハリーの方から探してみようと思ったけれど、やっぱり見つからなくて。この人なんじゃないかと、似ていると感じた人は別人だとわかった。
「きっと、僕のことなんて忘れちゃったんだよ。でも、それでいいんだ」
ダイアゴン横丁で会ったあの女の子は、結局見つからなかった。やっぱり残念な気持ちはあるけれど、今はもう以前のような、会いたいと言う強い気持ちは溶けてしまっていた。ハリーにとっては印象に残っていた出来事だから、彼女がハリーを覚えていないと言うのは寂しい気がしていたけれど、むしろそれは喜ぶべきことなのかもしれない。忘れてしまったと言うことは、ハリーの感じた「親切」は相手にとっては「当たり前のこと」だったと言うことだ。記憶から零れ落ちてしまうほど、些細なこと。ホグワーツのどこかに、そんな親切な上級生が居る。それでいいじゃないか。たとえ、彼女がホグワーツ生だと騙ったマグルだったとしても、ハリーに親切にしてくれたことには変わりはない。
そう考えると、ハリーは何だかスッキリした気持ちだった。
「あなたが吹っ切れたなら、それでいいの。無理して諦めようとしてるんじゃないかしらって、心配だったから……」
「もしかしたら、忘れた頃にひょっこり会えるかもしれないよ」
「もう、ロンったら! そんな、羽根ペンやインク壺じゃないんだから────」
ガタンと汽車が停車する。迎えに来た家族の話し声。そこに家に帰れるのを待ちきれない生徒達が一斉に汽車を降りる足音が加わって、プラットホームは賑やかさを増した。
ハリー達もそれに続き、雑踏の中を並んで歩く。ふと見知った人物の姿を見つけて、ハリーは思わず立ち止まった。今のハリーが探してしまうのは、あの『ダイアゴン横丁で会った女の子』よりも、むしろ─────。
「アンジェリーナ! アリシア! 元気でね!また新学期に」
こんなにもたくさんの人が居るのに、その声を耳が勝手に拾ってしまう。笑ったその顔に、陽に透けてキラキラと光る髪に、思わず目が引き寄せられる。目が勝手に、彼女の姿を見つけてしまう。
制服から着替えてしまったせいもあるだろうか。別人だとわかっているのに、やっぱり似ている気がする。……いや、違う。
いつの間にか、別人だとわかっていても、ハリーは彼女のことが気になりはじめている。