きっと、あの人だと思ったのに。
確かに、ホグワーツで初めてあの人を見たときは違うと思った。いや、正確には似ていると思ったのだけれど、ハリーを見ても気づいていなさそうだったし、ダイアゴン横丁で会ったあの女の子はもっと雰囲気が柔らかかったような気がしたから。それに、向こうだってきっとハリーと会ったことを覚えてくれているはずだと思っていたから。ハリーを見たら思い出して、またあのときみたいに話しかけてくれるだろうから。だから、きっと別人なのだと。
けれど、他の女の子を探してみても、彼女以上に似ている人は見つからなくて。もしかしたら、ハリーと会ったことを忘れてしまっただけなのかもしれない。そうじゃなければ、ロンの言う通り、ハリーに遠慮して話しかけないようにしれてくれたのかも。
だから、きっと、やっぱりあの人だったんだろうと────そう思ったのに。
「おい、ハリー。君も降りてきてくれ! 次のフォーメーションの説明をする!」
「わかった、オリバー!」
地面から聞こえてきた声に、ハリーはふいに思考の海から引き戻され、降下すべく箒の柄を傾けた。
ほんの2週間前では肌を刺すようだった上空は、今こうして叫んでも吐く息が白く曇ることはない。地面を覆っていた雪は溶けて、見下ろす景色にも少しずつ鮮やかな色が混じり始めていた。3月に入り、急速に春の気配が近づいていた。
「本当にいいのかい? ハリー」
「うん。もういいんだ。十分だよ。2人とも、ありがとう」
春の気配が近づいてきている。もう、遠くない日に次の夏が来る。
だからもう、いい加減、ハリーもこの一件に区切りをつけるべきだ。たった1日会っただけ、ほんの少し話した女の子を探すなんて馬鹿げたことは。
『君達にも協力してもらった人探しはもう終わらせる』────その日の練習の後のロッカールームで、とうとうハリーはフレッドとジョージに伝えたのだった。
「それじゃ、もう例の女の子を探すのは本当にやめちゃうの?」
親友のロンやハーマイオニーにも報告しておくべきだろうとハリーが話したところ、ロンもハーマイオニーもひどく驚いた様子だった。図書室だと言うことをすっかり忘れたらしいロンが大声を出したせいで、マダム・ピンスが飛んでくるんじゃないかと、ハリー達は貝のようにピタリと口を閉じてキョロキョロと周囲へを見回した。
何度もあれこれお節介を焼こうとしていたハーマイオニーはともかく、ロンは散々まだ探すのなんてぼやいていたくせに、その心配そうな表情が何だかハリーにはおかしかった。
「だって、手掛かりが何もないんだよ。こんなに探してダメだったんだから、もう見つかりっこないよ」
今度はマダム・ピンスに聞こえないよう、声を殺してヒソヒソと囁く。
ホグワーツで見た女の子達の中で、1番あの女の子に似ていると思ったのがあの人だった。だからきっと、もう1度あの人に会うことができれば、何か変わるんじゃないかと思っていたのに。それなのに、彼女の可能性はないと断言されてしまったことによって、ハリーはすっかり自分の記憶に自信をなくしてしまった。あの女の子に会ったのはハリーだけで、ハリーの記憶しか手掛かりにならないのに、肝心のその記憶が頼りにならないのではこれ以上探したとこで意味はないだろう。もしかしたらフレッドジョージに引き合わされた子達の誰かに既にあの女の子は居て、ハリーが気付けなかっただけかもしれない。もしもこれから2人が探してくれた子達の中にあの女の子が居たとしても、ハリーはやっぱり違うと言ってしまうかもしれない。
ハリーだって心残りがないわけじゃないし、半年以上も探した結果としては肩透かしではあるけれど、ハリーにもうこれ以上、誰かを巻き込んでまでこの人探しを続ける気にはなれなかった。
「でも、ホグワーツに居るのは確かなわけだろ? ハリー、君、こんなに長い間頑張ったのに、諦めて後悔しないかい?」
「レイブンクローの生徒だってことは確かなんでしょう?」
ロンとハーマイオニーはそれでも諦めない様子だった。どうやら2人は、ハリーがあの女の子を見つけるまで探し続けると思っていたようだ。ハリーだって、そのつもりだった。いつかは見つけられるはずだと信じていたから、ずっとあの女の子を探していたけれど。
「そう思ってたけど……僕の聞き間違いだったのかもしれない。もしかしたら、レイブンクローだって言うのは嘘だったのかも」
そう言えば、フレッドとジョージがそんな可能性を冗談めかして言っていたことを思い出した。もしかしたら実はスリザリン生なんじゃないか、と。
だとしたらやっぱりお手上げだ。少ないとは言え、その範囲を絞り込む手掛かりがあったからこそ、あの女の子を探そうと思えたのだ。ホグワーツのどこかに居る誰か、なんて探せっこない。
「でも、貴方とその女の子は初対面だったんでしょう? 嘘を吐く必要なんてないはずよ」
「そうかもしれないけど……僕をからかっただけかもしれないし、そんなの、その女の子にしかわからないよ」
気まぐれに嘘を言ってみただけかもしれないし、レイブンクロー生だと言うのが本当だとしたって、結局その女の子はたぶんもうハリーのことを覚えていないし、覚えていたとしても、ハリーに名乗り出るつもりはないのだ。あの女の子にもう1度会うにはハリーの方から見つけるしかないのに、ハリーの記憶もまたあやふやだったことがわかったのだ。ここから再会できる可能性はほぼゼロだ。頭の良いハーマイオニーならわかっているはずなのに、どうしてかハリーに無謀な人探しを続けさせたいようだ。
「もしかしたら……誰かの付き添いで来てただけで、本当はホグワーツの生徒じゃなかったのかも」
そうだ。その可能性だってある。あの女の子は本当はマグルで、ホグワーツの誰かの妹か何かで────あの日、ハリーの前でだけ、ホグワーツ生のフリをしてみせただけだったのだ。それなら、ホグワーツをどんなに探したところで見つかるはずがない。
「でも……」
「ハーマイオニー。この話は終わりにしよう。僕、もう行かなきゃ。今日もこれから練習なんだ」
何にしろ、ハリーはもう諦めると決めたのだ。これは2人への相談じゃなく、ただの報告だ。
だからもうこれ以上話すことはないと、ハリーは書きかけのレポートを鞄にしまい、脇に置いていたニンバス2000を手にして図書室を後にした。
クィディッチの練習があるのは事実だった。けれど、それが始まるまではあと30分も後だ。いくら何だって競技場に向かうには早すぎる。会話を切り上げたかったせいで予定よりも随分早く図書室を出てしまったハリーは、どこへ向かったものかと当てもなく廊下を歩いていた。ちょっと小腹が空いたような気はするけれど、寮に戻るほどの時間はない。さて、一体どうしたものか。
……そうだ。また、賢者の石の無事を確かめに行こう。昼休みに1度確認はしたけれど、何度行ったって悪いものじゃない。もしかしたらたった今この瞬間、スネイプが三頭犬を突破しようとしているかもしれないし。
「そっちに行くと、4階の廊下よ」
目的地を見つけたハリーが廊下を進んでいると、そんな声が聞こえてきた。ハリーは思わず足を止めた。4階の廊下────たぶん、ハリーのことだ。どうにか誤魔化さないとまずい。ハリーは声のした方を振り向いて、目を見開いた。そこに立っていたのは、ハリーがあの女の子だと思い込んでいた、あのレイブンクロー生だったからだ。
「せ、生徒が入っちゃいけないのは知ってるでしょ……? フィルチに見つかったら面倒なことになるわ」
困ったように視線が女の子の泳ぐ。照れたように少し赤くなった頬を見たら、ハリーもハッと我に返って恥ずかしくなった。驚いたからと言って、ジッと見すぎてしまったかもしれない。
今はとにかく、どうにかこの場を乗り切ることだ。顔を見られてしまった以上、「ハリー・ポッターが立ち入り禁止の廊下に入って行った」なんて先生の誰かに言いつけられたら面倒なことになってしまう。
「アー……えっと、僕、気づかなくて……」
「気をつけてね。罰則なんて楽しくないもの」
本当は、今から正にその立ち入り禁止の4階の廊下に向かおうとしていたのだけれど、それは彼女に知らせる必要のないことだろう。わざとではないのだととぼけてみれば、彼女の顔にほっとしたような笑みが浮かんだ。
「これから、クィディッチの練習? 頑張ってね」
────やっぱり、似ている。
ハリーにニッコリ笑いかけるその顔も、柔らかく響く声も。踵を返して歩いて行くその背中があの日の記憶の中の少女と重なって、ハリーは思わず声をかけた。
「あっ……その……どうもありがとう」
「え? ど……どういたしまして?」
肩越しに振り返って、不思議そうにハリーを見る。そのどこかあどけない表情までも、やっぱりあの女の子を彷彿とさせた。でも────でも、彼女ではないのだ。ハリーは笑顔を作ろうとしたが、どこかぎこちない笑い方になるのが自分でもわかってしまった。
「……あの人は違う」
小さくなっていく背中から視線を外して、ハリーは呟いた。
あの人は、ハリーの探していた女の子じゃない。フレッドとジョージが言っていたじゃないか。夏休みの間はずっとイギリスに居なかったのなら、ハリーとダイアゴン横丁で会えるはずがない。
「あの人は違うんだ、ハリー」
自分に言い聞かせるように。もう1度呟いて、その言葉ごと飲み下す。心臓が引っかかれたようにじくりと痛むような、そこから漏れ出した何かが熱を持つような。そんな不思議な感覚に、ハリーはローブの胸を思わずぎゅっと掴んだ。
決めたじゃないか。もう、人探しは終わりだと。もう、あの女の子のことは忘れるんだ。