アリスの恋(5)

「2人で、これを資料室に置いて来てくれますか」

最悪だ。教授からの頼まれごとなんてただでさえ面倒なのに、一緒に頼まれた相手が嫌いな子だなんて。こんなことなら、モタモタ板書を映したりしてないでチャイムと同時にさっさと教室を出ればよかった。
馬鹿でかい模造紙に書かれたマグルの地下鉄の路線図を資料室に届ける用事は終わったけれど、それでも私はあの子と仲良く並んで廊下を歩いていた。勿論、本意じゃない。行く方向も同じだし、離れて別々に歩くのも却って不自然な感じがする。沈黙が気まずくて、私は何とか会話の糸口を探した。

「あの……レイチェル……えっと……そのノート、可愛いわね」
「ありがとう」
「……どこで買ったの?」

別に答えを知りたいわけでもない問いを、会話を続けるためだけに言葉にする。
確かに可愛いノートだけど、ちょっとおしゃれな雑貨屋さんにでも行けば普通に売っていそうな、ありふれたものだ。けれどその質問は彼女にとっては嬉しいものだったのか、レイチェルはキラキラと目を輝かせた。

「マグルの町!私、今年の夏にロンドンに行ったの!」
「ふーん……そうなの」

わざわざマグルの町になんて行って、何がそんなに楽しいんだろう。私には、彼女の考えることはよくわからない。
──── 夏休みってことは、それってやっぱり、セドリックも一緒だったのかしら。
そんな疑問が頭によぎったけれど、口に出すことはしなかった。別に確かめたいわけじゃないから。私の知らない間に、セドリックが他の女の子と楽しい時間を過ごしていたかもしれない、なんて、そんなこと。

「アリスは確かマグルの世界で育ったのよね?素敵ね!」

そう言って無邪気に笑うレイチェルに、感情が波立つのを感じた。
どうして、あなたが私を羨ましがるの? 羨ましいのはこっちの方よ。貴方は私の好きな人の幼馴染で、学校でだって家でだって、いつだって彼と一緒で、当たり前みたいに彼と話せるんだから。
苛立ちに足を早めたら、廊下の角から飛び出して来た誰かとぶつかった。

「きゃっ……」
「大丈夫?アリス」

衝撃でよろけて転んだ私に、あの子が駆け寄る。平気、と小さく返しながら、羞恥に頬が熱くなるのを感じた。どうしてよりにもよって、嫌いな人間の前でこんなみっともない姿を晒してしまうんだろう。
そんな私の内心になんて気づくはずもなく、あの子は散らばった私の持ち物をせっせと拾い集めている。

「あ、これもアリスの?」

そう言ってあの子が拾い上げようとしているものを目にして、ドキリとした。
私の手帳。落としたはずみで、中に挟んであった写真が、少しはみ出してしまっている。私の、大切な写真────偶然セドリックが映っている、ただ1枚きりの。
ダメ。やめて。その写真を見ないで。
私がセドリックに恋をしていること。レイチェルにだけは、知られたくない。

「触らないで!!」

細い指が、手帳のカバーに触れる寸前のところで、ピタリと止まる。自分の口から飛び出した声がまるで私のものじゃないみたいにヒステリックに響いて、はっと口元を押さえた。驚愕に目を丸くしているレイチェルの顔が、まともに見られない。

「……大事なものなの」

あの子に触れられないように手帳を拾い上げて、言い訳のように小さく呟いた。心臓が、嘘みたいに早鐘を打っている。喉がカラカラに乾いていた。私の剣幕に石のように固まっていたあの子が、我に返ったようにぎこちなく笑みを浮かべる。

「あー……そうなの……じゃあ、私、次は呪文学だから……」

何か気に障ったならごめんねと、困ったように眉を下げて、あの子は急ぎ足で西塔の方へと行ってしまった。
違う。今のは、あの子は何も悪くない。ただ、親切にしてくれようとしただけ。ただの、私の八つ当たり。ごめんなさいを言わなければいけないのは、私の方。拾ってくれてありがとうって、そう言わなきゃいけなかったのに。
次の合同授業のときか、夕食の時か。顔を合わせたら、謝らなくちゃ。その時はそう思ったのに。結局、1日経って、2日経って、1週間が経って、1ヶ月経っても、あの子に話しかけることはできなかった。
時間が経てば経つほど、どんどん声をかけづらくなってしまった。そして、罪悪感も、段々と薄れてしまった。私だけが悪いわけじゃない、大したことじゃないって。そんな風に。わざわざ謝る必要なんてないんじゃないかって考えるようになった。悪いのは自分だってわかっていても、嫌いな相手に謝りたくなんてなかったから。

頼んでもないのに、勝手に人の持ち物に触ろうとしたあの子が悪いって。そう思いこんだ方が、私にとって楽だったから。

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