アリスの恋(1)

誰にも言えない、秘密の恋をしています。

「アリス。スプラウト教授が、君を呼んでたよ」
「えっ……本当に? あ……ありがとう、セドリック」

急に名前を呼ばれると、心臓が跳ねる。女の子なら、好きな人に話しかけられたらきっと皆そう。
透き通った灰色の目に見つめられると、水槽から出された魚みたいに急に酸素が足りなくなる。セドリック・ディゴリー。彼が、私の好きな人。私と同じ4年生。私と同じハッフルパフ。私と同じで本が好き。
共通点は十分すぎるくらいにあるけれど、私達は仲良しとは言い難い。ひとつは、私がどちらかと言うと内気で、男の子に自分から話しかけられるような積極的なタイプじゃないって言うのが原因。そしてもうひとつ、セドリックが人気者で、誰とでも仲が良いって言うのが大きな原因。ハンサムで優しくて頭も良くて、おまけにクィディッチのシーカーもやっているのだから、誰からも好かれて当然だ。
カナリアイエローの競技用ローブ姿にドキドキする。こんな近くで見れることなんて、めったにないから。きゅっと唇を引き締めた。自分の頬が緩んでいないと言う自信が持てない。

「……クッ、クィディッチの練習、なのっ!?」
「うん。追いこみだよ。試合は来週だからね」
「が……がん、がんばって」
「ありがとう。じゃあ、後でね」

緊張で心臓がバクバクして、不自然なまでに言葉がつっかえる。ああもう嫌。これじゃクィレル教授みたい。もうちょっとうまく話せればいいのに。そうしたらそこから会話が弾んで、仲良くなれるかもしれないのに。せっかくセドリックが話しかけてくれたのに、たった30秒で会話が終了してしまった。
失敗だ、と落ち込む間にもセドリックの背中は少しずつ遠ざかって行く。もう少しおしゃべりしたかったなと寂しい気持ちはあるけれど、呼びとめたところでまた同じことの繰り返しなのは自分でも嫌って言うほどわかってる。

「セド!」

女の子特有のソプラノが、彼の名前を紡いだ。セドリックが足を止めて、肩越しに振り返る。すぐ後ろから声がしたから、一瞬自分が呼んでしまったのかと思ってびっくりした。ぱたぱたと、軽い足音が私の隣を駆け抜けていく。どもってもいなければ、奇妙にうわずってもいない。彼の位置までちゃんと聞こえるくらいには小さすぎず、不自然に廊下に響き渡るほど大きすぎもしない。私がこんな風に呼びたいなと思うような声だった。

レイチェル

セドリックの隣へと駆けて行った女の子が誰なのか、私は知っている。レイブンクローのレイチェルグラント。同級生で、作家のロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘だ。新聞や雑誌で見ただけだけど、顔も良く似ている。
そう言えば幼馴染なんだっけ、と並んだ後ろ姿を見て思った。同学年なら誰でも知ってること。私自身彼女とほとんど話したことがないせいで、あんまり気にしたことはなかったけれど。
私の位置からは、横顔しか見えない。けれど、彼女を目に映して、セドリックの表情がふっと緩むのがわかった。笑った、じゃなくて、緩んだ。そんな感じ。でもそのせいで、かえって親しいんだなってわかるような、そんな。

「ねえセド、明後日の放課後って暇? 何かは教えてくれなかったんだけど、バーベッジ教授が新しい教材を見せてくれるって!」

楽しげに弾んだ声に、今彼女が上機嫌なことが私にもわかった。ホグズミードでデートしてたとか、実はお互いに好きなんじゃないかなんて噂も聞いたことがあるけれど────そのたび私はセドリックの口から否定を聞くまでハラハラしていた────、こうして改めて並んでいるところを見ると、恋人同士と言うよりは、仲の良い兄妹みたいな雰囲気だ。兄に甘える妹。そんな感じ。

「あー……ダメだ。行きたいけど、ジョンの魔法史のレポートを手伝うって約束した」
「なぁにそれ、ジョンのレポートなんでしょ? 自分の力でやらなきゃ意味ないじゃない」
「そうだけど、今回は本当に困ってるみたいだから……放っておけないよ」
「わかったわ。じゃあ、私一人で行く。次会ったとき、報告するわね」
「ごめん。そうしてくれると嬉しいよ」
「セドが謝ることじゃないでしょ」

そう距離が遠くないせいで、わざわざ聞き耳を立てなくても会話は聞こえてしまう。私とは違って、水が流れるみたいに、ごくごく自然に続く会話に、思わず溜息が出た。
いいなあって、思う。いいなあ、セドリックと仲が良くて。セドリックと楽しそうにおしゃべりできて。当たり前みたいに、セドリックの隣を歩けて。ごくごく親しい友達しか呼ばない彼の愛称を、息をするみたいに呼べて。
いいなあ。羨ましい。私も、幼馴染だったら────ずっとセドリックと一緒に居られたら、あんな風に普通におしゃべりできたのだろうか。嫌でもさっきの自分と彼女を比べてしまって、なんだかみじめな気持ちになってきたので、もう行こうと踵を返した。そのときだった。

「セドって本当にお利口さんよね」

溜息と共に吐き出された言葉に、ざわりと妙に心が騒いだ。
もしかしたらそれは、二人にとってはよくあるやりとりなのかもしれない。セドリックを振り向いてみると、何も言わずに、困ったように苦笑しているだけだった。二人にとっては、なんてことない会話なのだろう。でも、どうしても、気になってしまった。まるで小さな棘みたいに。たった一言。でも、その中に含まれた、しょうがないと言いたげな、呆れたような────馬鹿にしたような、響きに。
……何、それ。

「じゃあね、セド」

もう用は済んだとばかりに、彼女がセドリックの隣を離れる。そうして来たときと同じように、私の隣を通り過ぎて行った。その何事もなかったような表情に、胸のあたりにもやもやと苛立ちが広がっていく。廊下の角へと遠ざかっていく足音に、ぎりと拳を握り締めた。

セドリックは優しいのよ。誰よりも、優しいのよ。
優しいから、友達の助けになってあげたいって……それのどこが悪いの。どうして、素敵なことだって誇りに思わないの。あなたの……あなたの誘いなんかより、そっちを優先するのは当然じゃない。ただでさえクィディッチの練習で忙しいのに、あなたのくだらない用事に付き合わせようなんて、何考えてるのよ。ずうずうしい。
幼馴染だかなんだか知らないけど、あなたなんかが馬鹿にしないで。セドリックのこと、馬鹿にしないでよ。
嫌な気持ちが、泉みたいに湧きあがって来て、止まらない。

誰にも言えない、秘密の恋をしています。
誰にも打ち明けたことはないけれど、私は彼が、セドリックが好きで。
だからね。

『お利口さんよね』

ほとんど、喋ったこともないけど。あの子が一体どんな子なのかなんて、全然知らないけど。
でもね。今、わかったの。

私、あの子、だいっきらい。

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