ハリーへのこの感情が恋なのか、そうじゃないのか。
考えてみたけれど、やっぱりよくわからない。仮に恋だったとして、それが一体いつからなのか。少なくとも……出会ったときからではないはずだ。あのときは、ただ迷子の新入生の男の子だとしか思っていなかったから。次にハリーを見たのは、組み分けの儀式のとき。直接話したのは……ハリーが1年生でグリフィンドールのシーカーに選ばれたとき。そしてその日を境に、レイチェルはハリーに苦手意識を持つようになった。
それから……それから、実際に彼の試合での活躍を見て見直したり、パメラに騙されて彼にバレンタインカードを送ったりもしたけれど────やっぱりあれは、今思い返しても恋愛感情ではなかったと思う。ハリーの存在は気になっていたけれど、それは男の子として意識していたことが理由じゃない。トロールと戦ったり、夜中に寮を抜け出したり、あまりにも無茶ばかりだったせいだ。極めつけの、学期末に起きた賢者の石を巡っての冒険。あれをきっかけに、レイチェルはとうとうハリーのことが大嫌いになった。……そう。確かに、大嫌いだった。彼が2年生になっても、それは変わらなかった。だってハリーときたら、夏休みなのに魔法を使ったり、空飛ぶ車で学校に乗りつけたり、継承者を捕まえようと企んだり、めちゃくちゃだったから。本当に、本当に自分勝手に見えて、信じられなくて、大嫌いで……だから、ハリーの質問にも嘘を吐いてしまった。あの夏の日、ダイアゴン横丁で会ったのは自分じゃない、と。
だって、レイチェルが会った小さな男の子は気弱そうで、心細そうにしていて……目の前に居る男の子とは、まるで別人だったから。レイチェル自身ももう、出会った頃とは違っていた。理由はわからないけれど、ハリーがあの日会った女の子を探しているとしたら、それはレイチェルじゃない。あのときのレイチェルは、初めて会ったときのように彼に屈託なく笑いかけることはできそうになかった。自分を嫌っている人間と関わったって、ハリーだって嫌な思いをするだろうと、そんな風に言い訳をして、ハリーに向き合うことをしなかった。

あの頃のレイチェルは、確かにハリー・ポッターと言う少年のことが大嫌いだった。

それはもしかしたら、ダイアゴン横丁で出会った「小さな男の子」と、噂で聞く彼のイメージがあまりに違っていたことへの戸惑いと、失望のせいだったのかもしれない。でも、きっかけや経緯がどうあれ、とにかくレイチェルは彼を嫌っていた。やることなすこと無謀で、無茶ばかり。ホグワーツで起きるトラブルの中心にはいつだって彼が居て、ハーマイオニーまでもそれに巻き込む。彼自身の言動にも、彼の無謀さを受け入れて、それどころか喜んで持てはやす周囲にも、何もかもに苛立っていた。
でも、レイチェルが嫌っていた彼のその無謀さが……勇敢さが、ジニーの危機を救ってくれた。彼が居なければ、きっと今レイチェルはジニーと笑い合うことはできなかったし、こんな風にレイチェル達が当たり前にホグワーツで過ごすこともできなかった。英雄気取りなんかじゃなく、彼は本物の英雄だった。

『あの……大丈夫ですか?』

“有名だからって調子に乗っている”。“規則破りを何とも思っていない”。“特別扱いされるのが当然だと思っている傲慢な男の子”。そんな、彼に向けていた悪感情が消えてしまうと、ハリーはごく普通の、優しい男の子だった。同級生達と揉めていたレイチェルのことを心配してくれた。クィディッチの試合が近いからと、その場しのぎで口にしたありふれた応援の言葉にも、はにかんだように笑う。そんなハリーに、彼のことを何も知らないくせに毛嫌いしていた自分が恥ずかしかった。

『信じてくれて、ありがとう』

他のホグワーツ生達が彼を嫌っていたときに、たまたまハリーの味方をしたからって、レイチェルの過去が全てなかったことにはならない。ハリーはレイチェルに感謝なんてするべきじゃない。そんなこと、してはいけないのに。
レイチェルだって、彼らと何も変わらない。誤解と思い込みで、彼らよりよっぽどハリーを嫌っていた。感謝なんて、される資格がない。そんな風に屈託なく笑いかけてもらう資格なんて、レイチェルにはないのに、ハリーは気にしないと笑ってみせた。

『君、僕の好きだった女の子に似てるんだよ』

もしかしたらそれは、ハリーが言っていたみたいに、レイチェルがハリーの昔好きだった人に似ていることが理由なのかもしれない。その女の子への親しみと、レイチェルの親しみを取り違えているだけ。それでも、ハリーはレイチェルに友達として接してくれた。廊下や図書室で顔を合わせるたび、ハリーが笑いかけてくれると、罪悪感にほんの少し胸が痛む一方で、何だかくすぐったいような気分になった。

『今度はちゃんと支えられた』

レイチェルが気付かないうちに。嫌いだからと目を逸らして見ないフリをしているうちに、いつの間にかハリーはもう出会ったときの小さな男の子じゃなくなっていた。
もしも、レイチェルのこの感情が恋なのだとしたら。ハリーとジョージ、2人のどちらのことも好きなのだとしたら……。ハリーを好きになったのは、一体いつからなのだろう?
ジョージのことだって、最初は苦手だった。ハリーに対してほど嫌っていたわけではないけれど……ジョージも、ただの友人だと思っていた。いつから男の子として意識するようになったのかも、それが恋に変わったのかも、はっきりとはわからない。でも、わかりやすいきっかけはなくても、ジョージを意識してしまっていることは自分でもわかっていた。どれが気まぐれで、どれが意図的だったのかは、本人に聞いてみないとわからないけれど……ジョージの言動に、レイチェルはすっかり振り回されてしまっていたから。喩えるのなら、花の蕾が膨らんでいくみたいに。まだ恋とは呼べなくても、いつか恋に変わっておもおかしくない何かが、自分の中にあることは自覚していた。だからこそ、ジョージをダンスパーティーに誘ってみようと決めたのだから。
でも、ハリーは……ハリーとの間には、きっかけらしいことなんて何もない。ジョージのように、何か思わせぶりなことをされたわけじゃない。恋なのだとしたら、知らないうちに芽が出て、育って、蕾が膨らんでほとんど開きかけているところでようやく気が付いた。……たぶん、そんな感じだ。
ハリーとの数少ない思い出を掘り起こしてみても、これがきっかけだったと思えるようなことは特にない。ハリーの前で感じるぎこちなさや居心地の悪さ、後ろめたさや気まずさ────そう言ったものに対して、レイチェルはずっと罪悪感のせいだと思いこんでいたから。
……ああ、でも。思い返せば、ウッドへの恋心もそうだった。この瞬間からウッドを意識し始めたとか、ウッドが急に魅力的に見えたとか。そう言う、わかりやすいきっかけはなかった気がする。ただ、急に恋心を自覚した。気付かないうちに、いつの間にかそこにあった。朝カーテンを開けたら窓の外に積もっていた雪が、いつから降り始めていたのかわからないみたいに。後から遡って考えてみると、「もしかしたらあのときはもう好きだったのかも」とか、「あのときあんな気持ちになったのはそのせいだったのかも」なんて。そんな風に考えることはあっても、そのときには全然気が付かなかった。

そう言う意味では、ハリーに対しても……ハリー自身の行動じゃなく、レイチェルの行動なら、もしかしたらと思い当たることがなくはない。

たとえば、セドリックと自分を比較して自信喪失している様子のハリーに対して感情的になってしまったとき。たとえば、地面に散らばった荷物を拾い集めているハリーの頭を撫でたくなったとき。……やっぱり、どれもジョージと付き合いはじめるよりもずっと前だ。つい最近じゃない。だとしたら、ジョージのことを意識し始めたのと同じくらいから、気付かなかっただけでハリーに惹かれていたのだろうか? それとも、もしかしたらそれより更にずっと前から?
……わからない。ハリーに関することは、いつだってわからないことだらけだ。

『ジョージと別れて、その彼と付き合いたいの?』

ハリーに向けている感情が恋なのか、それともただの錯覚なのか。そして、恋だとしたらそれはいつからなのか。どれも、今のレイチェルには答えが出せそうにない。それでも、1つだけわかっていることもある。その問いかけに対する答えだけは、考えなくてもはっきりしていた。
ジョージと別れたいなんて、そんなことは考えていない。ジョージに対して、誠実で居たい。ジョージがそうしてくれるように、レイチェルもジョージを大切にしたい。
ハリーのことばかり考えてしまうのだって、ジョージを裏切っているようで息苦しいからだ。苦しいから、楽になりたくて納得できる理由を探してしまう。でも、たとえハリーへのこの感情が恋だったとしても、レイチェルはハリーとの関係に今以上の何かを望む気はない。
だからもう、考えない。今のレイチェルに必要なのはきっと、無理に納得のできる理由や答えを探すことじゃない。後悔したところで、過去はもう変えられない。レイチェルが考えるべきなのは、今、これからどうするかだ。
ハリーとは、しばらく距離を置こう。元々別にそれほど仲が良いわけじゃないから、距離を置くと言う表現も奇妙な気がするけれど……できるだけ、関わらないようにしよう。元々寮も学年も違うのだから、話す機会だってほとんどなかった。そんなに難しいことじゃない。特にハリーは今、課題のことで忙しそうだし。
そうすればきっと、こんな風に気持ちが揺れてしまうようなことだってなくなる。時間が経って気持ちが落ち着けば……きっと、また前と同じに、友人として接することができるようになるはずだから。

 

 

 

レイチェルの気分とは裏腹に、城の中の空気は日に日に楽しげなものへ変わってきていた。
第2の課題まで、あと2週間を切っている。一体どこから漏れたのか、今回の課題の舞台は湖らしいと言う噂はすっかり生徒達の間に広まっていた。

「湖の中って、水中人が居るんだろ?」
「それに大イカも」
「探さなきゃいけないものって何だろう?」
「何かすごく貴重なものじゃない? 珍しい宝石とか!」
「選手達はもう知らされてるのかな?」

朝食のテーブルで、近くの席の2年生達がそんな風に盛り上がっているのが聞こえてきた。
そう言えば、あの広い湖の中から、代表選手達は何を探すのだろう? セドリックも確か、それに関してはわからないと言っていた。あの金の卵のヒントには含まれていなかったのだろうか? もしくは、まだセドリックは全てのヒントを解けていないとか? ハリー……じゃなかった、クラムやフラーはもう知っているのだろうか? 大きな物だとしたら、運び出すのも一苦労だし、そのための対策だって必要だろう。探し物が何かを知っていた方が、きっと課題にずっと有利なはずだ。スニッチのような小さなものだと、きっとすぐには見つけられないから……きっと、何かそれなりの大きさのあるもの。もしくは、最初からどこにあるかある程度見当がつけられるようなもの。植物とか……生き物とか? そう言えば、選手達が湖に潜るのなら、レイチェル達観客はその様子を見ることはできるのだろうか? バグマン氏はどうやって実況するのだろう? せっかくセドリックが頑張っていても、その様子が見れないとしたら寂しい。今度こそ、おじさんやおばさんに写真を送ってあげたいのだけれど。

「クラムとポッターが同点1位だろ? ポッターは上手くやったけど、経験から言って次はクラムが勝ちそうだよな」
「水の中じゃ箒は使えないだろうしなー」

課題の内容もだけれど、その順位もまた生徒達の関心を集めていた。注目されているのは、やっぱり第1の課題で首位に踊り出たクラムだ。クラムが1位だと支持する人達は、第1の課題でも卵が潰れてしまわなければもっと高い点数が出ていてもおかしくなかった、と主張した。

「でも、1位って言ってもディゴリーとはたったの2点差だろ?」

クラムとハリーが首位と言っても、選手達の点差はわずかだ。現状最下位のフラーとさえ、その差はたったの3点しかない。優勝杯の行方はまだまだわからない。今回の課題で更に差がつくのか、それとも順位が大きく入れ替わるのか。誰もが期待と興奮に胸を膨らませ、そこかしこで議論を白熱させていた。この分だと、またフレッドとジョージは賭けの元締めをやりそうだな、と考えるとちょっと不安になる。トラブルにならなければいいのだけれど。

「絶対セドリックが1番よ!」

セドリックは今回もまた、ホグワーツの生徒達の期待を集めている。今となっては2人の代表選手どちらも応援している人がほとんどだけれど、やっぱり優勝の可能性が高いのは上級生のセドリックの方だ、と言う意見が多数派のようだ。たった今も、廊下に高らかに響いた声に振り返ってみると、3年生の女の子達が楽しそうにはしゃいでいた。

「今の点差なんて、ほんのちょっぴりだもの。セドリックなら簡単に巻き返せるわ。今回は1位よ!」
「あんたそれ、単にセドリックのファンだからでしょ」
「って言うか、この間までクラムのサイン欲しがってなかったっけ?」

そう主張した女の子が肩に掛けている鞄には、セドリックのサインが書かれていた。サインに慣れていなかったせいか、文字がところどころよれている。セドリックが今ここに居たら困った顔をしそうだな、なんて考えてレイチェルは思わずクスクス笑ってしまった。

「だって、クラムもかっこいいけど……ちょっと無愛想って言うか……セドリックの方が優しいし!」
「あたしはクラム派だなー。やっぱりかっこいもん」
「私はどっちにしようかなあ……」
「決められないなら、もう2人ともに送っちゃえば?」

廊下の反対側から黄色い歓声が上がったと思うと、まさに今話題の2人が何か話しながら中庭を歩いているところだった。サッと人垣が左右に割れて、周りに居た女の子達が頬を染めてクスクス笑いをしながら囁き合う。一時期のように廊下を歩くたびにサインや握手を求められることはなくなったけれど、相変わらずクラムとセドリックは女の子達に大人気だ。

「この分だと、セドリック宛てのカードの数すごそうよね」

パメラがそう言って肩を竦めてみせる。対抗試合についても勿論だけれど、女の子達にとっては別のイベントへの関心も高まっていた。次の課題まで、あと2週間を切っている。それはつまり、バレンタインデーが近づいていると言うことでもあるからだ。

バレンタインと言えば、レイチェルにとっても無関係なイベントではない。

恋人達が、愛を確認し合う日。もしくは、意中の相手に密かに想いを込めて贈り物をする日。これまでは特にそんな相手が居なかったこともあって、そこまで強く関心を持っているイベントではなかった。去年に至っては、課題に追われていたせいでイベントの存在自体すっかり忘れてしまって、パメラに呆れられたくらいだ。けれど、今年は違う。レイチェルにも初めての恋人ができて、本来の意味でのバレンタインらしい日を過ごすことになるのだろう。ジョージはイベントやサプライズが好きだから、何か準備してくれていそうだし。ちょっと照れくさいような気もしたけれど、楽しみにしていた────はずだった。ほんの、10日ほど前までは。

「はぁ……」

……このマフラーを編んでいるときは、まさかこんな複雑な気持ちでバレンタインを迎えることになるとは思いもしなかった。そろそろラッピングをしなければと取り出してみたものの、一緒に用意していたカードに何を書いたらいいか悩んでしまって、自然と溜息が出た。
少し編み目が不揃いな部分もあるけれど、ジョージに似合いそうな綺麗なピスタチオグリーン。ジョージに喜んでほしいと思って、選んだ毛糸だった。ジョージの顔を思い浮かべながら、1針ずつ編んでいくのだって楽しかった。嘘じゃない。あれから、ほんの10日ほどしか経っていないのに……まさか、自分の気持ちがこんな風に変わってしまうなんて。
バレンタインにジョージに何を贈るべきか、ホグズミードでアンジェリーナ達に相談したこと。ふくろう通販のカタログを見て、どの色の毛糸にするか悩んだこと。マフラーを編んでいることを隠そうとして、ジョージと喧嘩になりかけたときのこと。そのどれもが、遠い昔の出来事のように思える。楽しくて、何もかも順調に進んでいると信じていた日々のことを思い出すと、眩しくて────鼻の奥がツンとした。

……ジョージのことが好きかどうかよくわからなかったのに、付き合ったりするべきじゃなかったのかもしれない。

だから……だから、こんな風にこんがらがってしまったのかもしれない。ジョージとダンスパーティーに行きたがっている女の子は、レイチェルの他にも居たのに。レイチェルじゃなく、その子達の誰かがジョージの恋人になっていたら、こんな風に他の人に気持ちが揺れたりしなかったのかもしれない。

「……レイチェル。何か、悩み事があるの?」

急に声を掛けられて、レイチェルはびくりと肩を揺らした。1人きりだと思っていた部屋には、いつの間にか誰か戻ってきていたらしい。視線を上げると、長い睫毛に縁取られた茶色の瞳が気遣わしげにレイチェルを覗きこんでいた。

「……エリザベス」
「その……恋人同士の悩みなら、私が相談に乗るのは難しいかもしれないけれど……」

私はクロディーヌやパメラと違って、男の子のことは全然わからないから、と。エリザベスが消え入りそうな声で囁く。肩に落ちた髪を耳にかけ直すエリザベスの頬は、ほんの少しだけ赤かった。そんな様子に、知らずに入ってしまっていた肩の力が抜けて、レイチェルは力なく微笑んだ。

「……エリザベスが考えてるようなこととは、たぶん違うわ」

ジョージと付き合っていく上での進展とか……そのことでジョージと喧嘩したとか。たぶん、エリザベスが想定しているのはそんな感じなのだろう。恋人が居るのに、他の男の子が気になってしまう、なんて。誠実なエリザベスは、きっと想像もしないだろうから。

「心配してくれてありがとう。でも……大丈夫。何でもないの」

嘘だ。本当は何も大丈夫じゃないし、何でもなくない。でも、言いたくないと思ってしまった。相談したところでエリザベスを困らせてしまうだけだと思ったし……いや、そんなのは言い訳で、ただのレイチェルのちっぽけな見栄とプライドなのかもしれない。自分でも上手く処理できないこの感情を、エリザベスに知られるのは不安だった。幻滅されたくない。レイチェル自身さえ不可解で不誠実だと思っているのに、他の人に理解してはもらえると信じることはできそうになかったから。

「エリザベスの方は? ……彼と上手く行ってる?」
「え、ええ……」

唐突な話題転換に戸惑ったようだったけれど、エリザベスは躊躇いがちに頷いた。そうだろうな、とレイチェルは微笑んだ。わざわざ聞かなくてもわかっていた。エリザベスは元々美人だけれど、最近は何と言うか、雰囲気や表情が以前よりも穏やかになって……すごく、幸せそうだから。

「聞いてもいい? 元々、彼のことが気になってたの? その、パートナーに誘われる前から……」
「……いいえ。ええと……でも、そうね。印象には残っていたわ」
「どんな風に?」

話題を逸らしたかったのも確かだけれど、エリザベスの話を聞いてみたかったのも本当だ。自分の恋愛について改めて話すのは恥ずかしいのか、エリザベスは動揺している様子だった。けれど、ぽつぽつと言葉を続けた。

「私、人見知りでしょう?それに……初対面の人からは怖がられてしまって……話しかけにくいってよく言われるし……」
「あー……」

怖がられている、と言うのは少し違う気がするけれど、エリザベスは黙っているとちょっと近寄りがたい雰囲気だ。セドリックもそうだけれど、顔立ちが整っているせいで迫力があると言うか……気難しそうだと誤解されてしまう。レイチェルも、エリザベスと出会ったばかりの頃はそんな印象を持ってしまっていた。

「でも、彼は……トムは、最初に会ったときからすごく人懐こくて……驚いたの。でも、それだけだったわ」
「じゃあ……やっぱり、監督生の仕事で仲良くなったの?」
「いいえ。確かに、今年になってから話す機会は増えたけれど……でも、ほとんどは監督生の仕事のことだったから、そんな風には意識していなくて……」

エリザベスの恋人であるトムは、学年はレイチェル達より1つ下だけれど、エリザベスと同じ監督生だ。だから、監督生として関わる中で距離が縮まったんだろうか、なんてレイチェルは想像していたのだけれど。レイチェルの質問に、エリザベスは静かに首を横に振った。

「パーティーに誘われたときも……最初は、断ったの。でも、断ったときのトムの顔が……まるで置き去りにされた子犬みたいで、放っておけなくて……つい、オーケーしてしまったの」

意外な気もしたけれど、レイチェルにはその光景が想像できた。そう言えば、試験前にパメラがノートを写させてほしいと頼むときなんかもそうだけれど……しっかり者で面倒見がいいせいか、エリザベスって泣き落としに弱いのだ。

「最初は、パーティーのパートナーだけ、って約束だったの。でも、彼……一緒に居て、話をするだけで、すごく嬉しそうで……『監督生になったら私と話せると思ったから猛勉強した』なんて言うの。どうして……私なんかのこと、あんなに好きで居てくれるのかしら?」

そのときのことを思い出したのか、エリザベスは困ったような、泣きそうな表情になった。白い頬は林檎のように赤く染まっている。恋する乙女そのものの様子に、レイチェルは思わず口元が緩んだ。可愛い。可愛くて、キラキラしていて────眩しくて、羨ましい。

「エリザベスは可愛いもの。優しいし……エリザベスのことを好きにならない男の子なんて居ないわ」
「そんなことないわ……。初恋の人は、私のことなんて全然意識してくれなかったもの」
「そうなの?」

レイチェルは驚いた。エリザベスの初恋。初耳だ。1年生の頃から、エリザベスは男の子にすごく人気があったのに……もしかしたら、ホグワーツに入る前の出来事なのかもしれない。あのハンサムなお兄さんの友達の誰かとか。それなら、年の離れたエリザベスを恋愛対象にしないのも納得だ。

「今だから言えるけれど……私、レイチェルはいつかセドリックと恋人同士になると思っていたわ」

そんな想像を膨らませていたレイチェルは、エリザベスがぽつりと呟いた言葉によって意識を引き戻された。エリザベスに限って、レイチェルをからかうつもりだとか、レイチェルが本当はセドリックに恋をしていると疑っているわけではないのはわかっているけれど────レイチェルは眉を寄せた。

「それ、本当皆に言われるのよね……」
「貴方達、本当に仲が良いんですもの。セドリックが貴方をとても大切にしていることは、少し見ていれば誰にだってわかることよ」

思わず溜息を吐いたレイチェルに、エリザベスが苦笑した。最近でも、誰かに言われた気がする。そうだ。チョウとか、ロジャーとか、ジョージとか────それに、ハリーにも。胸のあたりがチクリと痛むのがわかって、レイチェルはそれに気付かないフリをして明るい声を出した。

「私も、今だから言えるけど……小さい頃はセドにベッタリだったわ。『大きくなったらセディのおよめさんになってあげる!』なんて……皆にからかわれそうだから、ホグワーツでは言ったことなかったけど」

秘密ねと苦笑してみせると、今度はエリザベスが驚いた顔をした。まあ、エリザベスを驚くのも無理はないのかもしれない。嘘を吐いていたつもりはないけれど、意図的に黙っていたのも事実だ。セドリックとの仲をからかわれるたび、言い続けてきたから。「私とセドはそんなんじゃない」なんて。
嘘じゃない。だって、周囲が期待するような関係は、レイチェルがとっくに壊してしまったから。

「今思えば、たぶんセドも私も恋じゃなかったとは思うけど……結局私、他に気になる人ができて……『やっぱりセディのおよめさんはやめた』なんて……セドのことすごく傷つけたの。セドは優しいから、もう気にしてないって言ってくれるけど……」

もう笑って話せるだろうと思ったのに、やっぱり思い出すと胸に重たいものが落ちる。
昔のことだ。子供の頃の話。たぶん、レイチェルがあの日マグルの村に行かなかったとしても、きっとどこかで終わっていた。でもそれは、勝手に終わらせたレイチェルが言うべきことではない気がした。
……ああ、そう言えば。今の状況って、あのときと同じだ。

『セディ、だいすき。ずーっとずっとだいすきよ!』

セドリックのことが大好きだったはずなのに。セドリックのことが嫌いになるような何かがあったわけじゃないのに。それなのに、レイチェルはセドリック以外の誰かに恋に落ちた。セドリックの手を振り払ってまで選んだはずだったのに、結局もう、今となってはあの青年の顔さえよく覚えていない。ほんの一瞬の熱に浮かされて、大切にするものの優先順位を間違えた。もう、あんな風に後悔はしたくない。
今度は、もう間違えたくない。

「……もしかして君、俺に何か呪いをかけようとしてる?」
「え?」

視界に映る赤が揺れたのは、ジョージが首を傾げたせいだった。
一体何を言われたのか理解できず、レイチェルはパチパチと瞬きを繰り返してジョージの顔を見返した。困惑するレイチェルに、ジョージがニヤッと笑う。

「さっきから穴でも空くかと思うくらい、じーっと俺の顔を見てるから。この後箒に乗るつもりだから、できたらくらげ足の呪いはやめてほしいね」
「ち、違うわ」

冗談めかして肩を竦めるジョージに、レイチェルは慌てて首を横に振った。ジョージの顔を見ながら少し考え事をしてしまっていた自覚はあるけれど、そんなに長い時間見つめてしまっていただろうか。……見ていたかもしれない。でもそれは、呪いをかけようとしていたからじゃない。むしろ、どちらかと言えばその逆だ。ジョージのローブの袖を引いて、レイチェルはすぅっと息を吸った。

「……ね、ジョージ」

ジニーみたいに、たった1人を想い続けられる一途な女の子になれたらよかった。
パメラみたいに、たとえ遠く離れていても恋人に誠実でありたかった。エリザベスみたいに、自分に向けられる愛情を幸せだと笑えたらよかった。そうでなければ、せめてクロディーヌみたいに割り切ることができればよかった。でも、そう願ったところで、現実にはレイチェルにはそんな風にはなれなくて。
だから、せめて、こうなりたいと望む姿に少しでも近付きたいと思った。ジョージのことが好きで、大切にしたいと思うから。ジョージだけを一途に想うことはできなかったとしても、そう見えるように振舞うことならできるかもしれない。波立った気持ちには、気付かれないように。消えてなくなってしまうまで、隠したままで居ようと思った。ジョージの前では、できるだけいつも通りに。これまで通りに。

「その……もう、風邪、治ったから……して?」

キスがしたい、と自分から言うのはやっぱり恥ずかしくて、たぶん今、自分の顔が赤くなっているのがわかってしまう。ジョージが驚いたように目を見開いて、それからふっとその目元が緩んだ。
大丈夫。レイチェルは、一途な女の子じゃないから。だから、ほんの少し後ろめたさがあったとしても……たとえ、もしハリーに恋をしていたとしても、ジョージとキスができる。だって、ウッドを好きだと思っていたときだって、他の人と……セドリックともキスができたんだから。
ジョージの指がレイチェルの頬に、耳に触れる。もう慣れたはずのキスは、久しぶりなせいかほんの少し緊張して、けれどそれも唇が触れるまでの少しの間だけだった。温かでざらついた粘膜の触れ合う感触に、強張っていたはずの体の力は自然と抜けていく。
いつも通りキスができたことにホッとして────何だか少しだけ、泣きたくなった。

 

 

 

土曜日には、姿現しの2回目の講習があった。
今回も、講師のトワイクロス教授の説明はやっぱり抽象的で、ほとんど前回と同じことの繰り返しだった。内容も、自主練習がメインでほとんど変わらない。唯一変わったことと言えば、雨が降ったので場所が校庭ではなく大広間に変更になったことくらいだった。
パメラとエリザベスが励ましたくれた通り、レイチェルが医務室で過ごした分の時間は大した遅れにはなっていないようだった。大広間の中を見渡してみても、成功例はたったの1人すらも出ていなさそうだったから。成功どころか、ほとんど進展さえない。1時間の練習の間、レイチェルも含めた生徒達は勢い余って床の上をつんのめったり、ターンをし過ぎて平衡感覚を失ってふらつくばかりだった。……訂正。それだけではなかった。成功例は見当たらなかったけれど、“失敗例”がどうなるかに関しては、レイチェルも今回実際に目にすることになった。

レイチェル、顔色悪いわよ。大丈夫?」
「ええ……」

講習が終わって大広間から出るとき、レイチェルはすっかり気分が悪くなって口元を押さえていた。心配そうに顔を覗きこむパメラに、力なく頷き返す。
“それ”は、あと10分で練習時間が終わる、と言うタイミングだった。耳を劈くような大きな悲鳴が上がって─────反射的に振り返ったら、斜め後ろでグリフィンドールのケネス・タウラーが“ばらけ”ていた。

「……パメラは、平気なの?」
「まあ、前回でどうなるかわかってたから、見ないようにしてたし。今回は血とかこっちに飛んで来なかったからこの間よりはマシ」

平然とそんなことを言うパメラに、レイチェルは顔を引きつらせた。
前回の練習でも何人か“ばらけ”たらしいとは聞いていたけれど……想像していた以上に酷かった。ものすごく痛そうだったし、すごい量の血が出ていた。しばらく、ステーキは食べれそうにない。教授達が迅速に対処したからすぐ元通りになっていたけれど、あの、ばらけた左足────思い出してしまって、また胃の奥から吐き気がせり上がって来る。レイチェルの顔色がよほど悪かったのか、パメラが慌ててレイチェルを近くのベンチに座らせてくれた。

「おいおい、大丈夫か?」
「ジョージ……」
「医務室行くか?」
「ううん……少し休んだら治ると思うから……ありがとう」

目の前に誰かの靴があったので視線を上げると、ジョージが立っていた。
せっかくの提案ではあったけれど、レイチェルは首を横に振った。さっきは吐きそうだったけれど、パメラが背中を擦ってくれたおかげでどうにか収まったし……医務室に行くほどじゃない。心配ないとわかってもらうために微笑んでみせたけれど、ジョージはいまひとつ納得していなさそうな様子だった。

「ジョージってば、もうちょっと素直に言えばいいのに」

そんなクスクス笑いと共に、ジョージの影から顔を覗かせたのはアリシアだった。隣には、アンジェリーナも居る。2人が現れたことに、ジョージはちょっとウンザリしたような表情になったけれど、アリシアはそんなジョージを意に介する様子もなく、レイチェルにニッコリ笑いかけた。

「偶然通りかかったみたいな顔してるけど、さっきからレイチェルのことずーっと気にしてたのよ」
「え?」

ねーっと声を揃えて顔を見合わせるアンジェリーナ達に、レイチェルはぱちぱちと瞬いた。そう言えば、よく考えてみるとレイチェル達は前の方で講習を受けていたから、後ろの方の────扉から近かったジョージ達の方が先に大広間を出たはずだ。と言うことは……わざわざ、レイチェルを探して引き返してくれたのだろうか?

「そりゃ……まあ、真っ青な顔してる女の子が居たら、心配して当然だろ」
「ふーん?」
「まあ、そう言うことにしておいてあげてもいいけどね」

ニンマリと笑うアンジェリーナとアリシアに、ジョージは疲れたように小さく溜息を吐いた。からかわれることが不本意なのか、ちょっと憮然としたような表情だ。アンジェリーナとアリシアから視線を逸らすと、ジョージは屈んでレイチェルの顔を覗きこんだ。

「さっきよりは、だいぶ顔色マシになったよな」

レイチェルは思わず視線を泳がせた。軽い口調とは裏腹に、レイチェルに笑いかけるジョージの表情は柔らかくて、レイチェルのことを心配してくれているのだと言うのがわかってしまったから。
「辛くなったら医務室に行けよ」なんて言い残すと、ジョージはフレッドを追いかけて行った。その背中が小さくなるのを見送って、アリシアが溜息を吐いた。

「……いいなあ、レイチェル。マイルズなんて、私が青くなって廊下でうずくまってても気づかなさそう」
「そう思うなら別れなよ、アリシア。今更変わんないよ、マイルズのあの性格は」

羨ましそうに呟いたアリシアに、レイチェルは胸がチクリと痛むのを感じた。
今の言葉だけじゃない。さっき、ジョージがレイチェルをすごく心配してくれたと聞いたときもそうだった。ジョージに優しくされると、胸が締め付けられて……どこか、後ろめたいような気分になる。今のレイチェルは、そんな風に大事にしてもらえるような素敵な女の子じゃないと、そう思ってしまうから。
たぶん────ほんの少し前までなら、素直に嬉しいと思えたはずなのに。

レイチェル、もう大丈夫なの?」
「うん。図書室に行って来る」

部屋に戻ってしばらくベッドで休んだら、すっかり気分も良くなった。今日までが返却期限の本があるのだ。エリザベスは自分も図書室に用があるから代わりに返却しようかと言ってくれたけれど、新しい本も借りたい。レイチェルは手の中にある本の表紙を眺めて、小さく溜息を吐いた。『17歳になるまでに身につけたい17の魔法~保護呪文から姿現しまで~』────結局、この本はあまり参考にはならなかった。次に借りる本は、もう少し実践的な内容だといいのだけれど……こんな調子で本当に、今学期中に姿現しを習得することができるのだろうか? 憂鬱な気持ちで廊下を歩いていたレイチェルは、角を曲がったところで向こうから見知った人物の姿を見つけた。

ハリーだ。

レイチェルは動揺して、思わず足を止めそうになった。きょろきょろと周囲を見回してみる。わかっていたけれど、レイチェルとハリー以外誰も居なかった。関わらないようにしようと決めた途端に、2人きりになってしまうなんて、ついていない。どうやらハリーの方は、まだレイチェルの存在に気が付いていないみたいだけれど……。引き返すか、ハリーに気付かなかったフリして通り過ぎるのがいいだろうか? そんな考えが頭をよぎる。けれど、いや、と思い直した。前にそうだったみたいに、ハリーが気にして呼び止めてくるかもしれない。
別に……長々とおしゃべりしなければいいだけだ。挨拶だけしよう。それだけ。友達なのだから、それくらい普通だ。この状況で無視するのもかえって不自然だし、変に意識する必要なんてない。あくまで自然に。友達として声をかければいいのだ。
ただ、名前を呼んで……それで、まあ、何か一言くらい……「課題頑張ってね」とか。それだけ言って、別れればいい。話しかけられても、急いでいると断ればいいんだから。課題、頑張って。課題、頑張って。課題、頑張って。うん、それだけ。それくらいなら、大丈夫だ。
レイチェルは腕の中の本をぎゅっと胸に抱いた。ハリーが近づいてくる。あと5メートル。3メートル。2メートル……。

「ハリー」

緊張でほんの少し声が硬くなってしまった気がするけれど、レイチェルは確かにハリーの名前を口にした。そのはずだった。けれど、考え事をしている様子のハリーの耳には届かなかったようだった。ハリーは足を止めることなく、そのまま前へ進んでいく。レイチェルには気が付かないまま、その脇をすり抜けて────行ってしまう。

「……ハリー!」

ハリーがハッとしたように立ち止まった。きょろきょろと辺りを見回して声の出どころを探したハリーは、やがてレイチェルの存在に気が付いたようだった。あまり眠れていないのか、ハリーの顔は以前見たときよりも更に青白く、表情もどこかぼんやりとしている。

「……レイチェル?」
「あ……」

戸惑ったようなハリーの声に、レイチェルは1歩後ろへと下がった。呼び止めたのはレイチェルなのに、そのことにレイチェル自身も動揺していた。
頭の中が真っ白だ。ええと、そう。何だっけ。何か言おうと思っていたのに。そうだ。『課題、頑張ってね』。そう言って、笑えばいい。それで、予定通りだ。ほら。『課題、頑張って』────。薄暗がりでも鮮やかな緑の瞳が、レイチェルを見返している。笑顔を作ろうと持ちあげたはずの口角は、その瞳を見たら奇妙に引きつってしまった。
……その一言を伝えたら、何か変わるの?

「な、何でもないの! ごめんね、呼び止めちゃって……じゃあ、またね」

羞恥心が、背筋を這い上がる。頬が熱い。ハリーの顔が見られない。
逃げるように、レイチェルはその場を後にした。めちゃくちゃに廊下を曲がったせいで、ここがどこなのかわからない。目的だったはずの図書室のことは、すっかり頭から消えていた。とにかく今は、あそこから離れたくて……あんな風に、知らない人みたいにレイチェルを見るハリーの目を、見たくなくて。
柱に寄り掛かったまま、その場にずるずると座り込む。走ったせいで乱れた呼吸を整えようと、深呼吸を繰り返した。冷えた空気を肺に送りこんでも、頬は燃えるように熱いままだ。さっきの出来事を、なかったことにしてしまいたいと思った。ただ、どうしようもなく恥ずかしくかった。自分でも気付いていなかった傲慢さを、見透かされてしまったような気がしたから。

たぶん────レイチェルはハリーが笑い返してくれることを無意識に期待していた。

応援の言葉を伝えたら、ハリーはきっと喜んでくれるんじゃないかと……前みたいに、あの緑の瞳をキラキラさせて、『ありがとう』とはにかんでくれるんじゃないかと、そんな風に。
馬鹿みたいだ。あのときと違って、今のハリーはホグワーツ中の憧れの人気者で、『頑張って』なんて言葉、ハリーはもうたくさんの人から言われているのに。レイチェルはただの友達で、その他大勢の中の1人でしかないのに。

「どうして……?」

この感情を、レイチェルは知っている。
頭で考えなくても、ただスッと胸に落ちてくるみたいに。パチンと風船が割れるみたいに。唐突に、わかってしまった。
“ただの友達”なら、きっとこんな気持ちにはならない。こんな風に、胸がぐちゃぐちゃにかき乱されて、泣きたくなったりない。
レイチェルの声が、ハリーに届かないことが寂しい。レイチェルの言葉ではきっと、ハリーを励ましてあげられないことが寂しい。ハリーの瞳に、レイチェルがちっとも映っていないことが寂しい。
視界が奇妙に歪む。頬を伝って落ちた雫が、タイルの色をそこだけ濃く染める。……ああ、ダメだ。
気付きたくなかった。たとえ、すぐ消えてなくなってしまうだけのものだとしても。ほんの少し……ほんの一瞬、ほんの一欠けらだけの感情だとしても。それでも。そうだとしても、これは、

どうしようもなく、これは、恋だ。

かけらの心

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