そう。レイチェルの恋人はジョージで、レイチェルの好きな男の子もやっぱりジョージだ。これまでと何も変わらない。何もかもが、いつも通り。
あの日ハリーにジョージとのキスを見られていたなんて、ちっとも気付いていなかったから驚いただけ。それだけだ。動揺してしまったのは、ハリー自身に対して特別な感情があるからじゃない。医務室で見たあの夢だって……ただの夢だ。レイチェルの願望なんかじゃない。だからそう、ハリーはレイチェルにとって、今まで通りただの友達の1人だ。

頭ではそう納得しているはずなのに────どうしてか、視線がハリーの姿を追ってしまう。

たとえば、朝食のときのグリフィンドールのテーブル。たとえば、授業と授業の間の教室移動の廊下。たとえば、昼休み終わり間際の中庭。渡り廊下。図書室。学年も寮も違うハリーとは、それほど顔を合わせる機会なんてないはずなのに。ここ2、3日。正確には、日曜日の昼に医務室を退院して以来、やけにハリーの姿をよく見かける気がする。
実際に偶然行動範囲が重なっている、と言う可能性もあるけれど……たぶん、そうじゃない。無意識のうちに、レイチェルがハリーを探してしまっているからだ。以前、ハリーのことを毛嫌いしていたときもこうだった。意識しないようにと思うほど、余計に意識してしまう。ハリーの姿を見つけるたび、心臓が跳ねる。気まずいような、後ろめたいような、そこに居るのが居た堪れなくなって逃げ出したいような気持ちに。ハリーはこっちに気が付いてさえいないのだから、避ける必要なんてないのに。

「ねえ、レイチェル……レイチェルったら。聞こえてる?」

ひらひらと目の前で動く手の平に、レイチェルはハッとした。怪訝そうな表情を浮かべたハーマイオニーが、レイチェルの顔を覗きこんでいる。唐突に思考の海から引き戻されたせいで、レイチェルはパチパチと瞬きを繰り返した。

「え? ええ……えっと……」

そうだ。いつも通り、ハーマイオニーと図書室で会う約束をしていて────お互い今日中に終わらせたい課題に集中していたはずだったのだけれど。レイチェルのレポートはさっきから1文字も進んでいなかった。向こうの本棚にハリーの姿を見つけて、ついそっちに気を取られてしまったからだ。そして、ハーマイオニーに話しかけれていることにも気付けなかったらしい。

「……ごめんなさい。ぼんやりしてたみたい……何の話だったかしら?」
「土曜日に、姿現しの講義があったんでしょう? どうだった? 詳しく教えてくれるって約束だったじゃない」

キラキラと目を輝かせるハーマイオニーに、レイチェルは視線を泳がせた。確かにハーマイオニーとはそんな約束をしていたけれど、レイチェルの記念すべき姿現しの講習の第1回目の結果は、とてもその期待に応えられるようなものではなかったからだ。

「実は私、体調を崩しちゃって……途中で医務室に行くことになっちゃったの。だから、練習がどんな風だったか、私も知りたいくらい」

もっとも、パメラや他の同級生から聞いたところによれば、あの後も習得に役立つようなアドバイスは特になかったらしいけれど。……ハーマイオニーほど優秀なら、トワイクロス教授のあの説明でも難なく理解できてしまったりするのだろうか? いや、でも、セドリックだってピンと来ていなさそうだったし、やっぱりあの説明は抽象的すぎる気がする。
参考にならなくてごめんねとレイチェルが眉を下げると、ハーマイオニーが心配そうに表情を曇らせた。

「えっ……そうだったの? 大丈夫?」
「ええ。ただの風邪だもの。もう、授業にも普通に出てるし……」

大事をとって入院することにはなったけれど、朝には熱も下がっていたし、すぐに退院できる程度の軽い症状だった。もうすっかり元気なのだと笑ってみせても、ハーマイオニーはどこか気遣わしげな表情のままだった。

「でも……やっぱり、いつもより元気がないように見えるもの。無理しないでね」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫なのよ」

心配そうに眉を下げるハーマイオニーに、レイチェルは微笑んでみせた。
元気がないように見えるとしたら……たぶん、体調よりも精神的なものが原因な気がする。とは、ハーマイオニーには言えない。ハーマイオニーはレイチェルの友人だけれど、それ以前にハリーと大の仲良しだし……ジニーとだって親しいのだ。ハリーのことが気になってしまって困っている、なんて相談したら、レイチェル以上に悩んでしまいそうな気がする。

「姿現しの試験って、成人してから……なのよね?」
「そう。だから、私は夏休みになってからじゃないと受けられないの。セドはもう17歳だから、その気になれば今日にでも試験受けられるはずだけど……」

上級生達から聞いたところ、学期中に受験する場合は学校に試験官が来てまとめて試験を受けられるらしい。けれど、学期末までに免許を取りきれなかった生徒や、レイチェルのように成人を迎えるのが夏休み以降の生徒は各自ふくろう便で申し込んで魔法省に試験を受けにいかなければいけない……らしい。ちょっと憂鬱だ。

「……まあ、焦らず練習期間がたっぷり取れるって前向きに考えることにするわ」

再試験になると1回目より採点の基準が厳しくなったり、更に再々試験になると受験料が追加で必要になったりするらしいし。早く合格したところで結局ホグワーツの敷地内では姿現しは使えないのだし、17歳になってすぐ試験を受ければ皆とそれほど差がつくことはない。レイチェルが目指すべきは、全ての講習を練習に費やせる分しっかり習得して、1発で合格することだ。

「無事に免許を取れれば、夏休みハーマイオニーのお家に遊びに行けるかもしれないもの」
「あっ……そうよね! うちのママ、夏休みにマダム・マルキンのお店でレイチェルに会ったじゃない? パパはあの日会えなかったから、残念がってたのよ」

夏休みにお互いの家に遊びに行く、と言う話自体はこれまでも何度か出ていた。レイチェルとしても、是非ともハーマイオニーのマグルのご両親とも話がしてみたかった。けれど……レイチェルもルーマニアやイタリアに行っていたし、ハーマイオニーも家族旅行の予定があって泊まりはお互いの都合が合わなかった。グレンジャー家には煙突飛行ネットワークは繋がっていないから、漏れ鍋で待ち合わせるならロンドンまではマグルの交通手段を使うことになる。日帰りになると移動だけでかなり忙しくなってしまうと言われたので、これまで機会がなかったのだ。
でも、そんな問題もレイチェルが姿現しを習得すれば解決する。レイチェルがパッとハーマイオニーの家の近くに姿現しをすればいいのだ。そう思うと、憂鬱になりかけていた講習も前向きに取り組めそうな気がした。

「ねぇ、レイチェル。『付き添い姿現し』……で合ってる? あれって、姿現しを覚えればできるようになるの? それとも、また別に免許が必要?」
「姿現しの免許があれば問題ないはずだけど……“ばらけ”ちゃった場合大変だし、免許持ってる人の責任になるから、姿現しが得意な人じゃないとあんまりやらないんじゃないかしら……1人での姿現しも、必要なときしかしないって人も居るくらいだもの」

せっかく免許を取得しても、何度も“ばらけ”の事故を起こしてしまうと────正確には事故を起こしたとき自分の力ではどうにもならなくて魔法省に事態を収拾してもらって事故が記録されてしまうと────免許が失効して、試験を受け直すことになると聞いたことがある。そして、それでも改善されずに事故を起こし続けると、最終的に免許が取り消しになってしまう……らしい。実際にレイチェルの周りではそうなった人の話は聞いたことがないけれど。

「……だから、ハーマイオニーと一緒に付き添い姿現しをするとしたら、まず私が慣れてからね」

好奇心旺盛な彼女が姿現しを体験してみたいと考えるのは当然だし、レイチェルにできることなら協力したい気持ちはある。でも、レイチェル1人での姿現しですらまだまだ成功する日は遠そうなのに、2人でなんて……今は想像すらつかない。レイチェルとしても友人が自分のせいで聖マンゴ送りになることは避けたいし、何より大切な1人娘の体が道の真ん中で真っ二つになってしまったりしたら、マグルのご両親は一体どう思うだろう?
想像してレイチェルが青くなると、ハーマイオニーが残念そうに眉を下げた。

 

 

 

極端な話、それまで1000回挑戦して1度も姿現しが成功しなかったとしても、試験官の前でたった1回奇跡的に成功させることがあれば免許を取得することはできる。
でも、レイチェルの場合それではダメだ。同級生の中には「とりあえず免許はとっておきたいけれど実際使うかはわからない」なんて言っている子も居るけれど、レイチェルの場合は免許をとることが目標じゃない。忘却術士になるのなら、姿現しはできて当然のことなのだ。今はたった1回の成功さえもとてつもなく難しいことに思えるけれど、ゆくゆくは1000回やったら1000回とも当たり前に成功するくらいじゃないと────『“ばらけ”を目撃してしまったマグルの記憶を修正しに行くために姿現ししたら、今度は自分が“ばらけ“てしまってマグルに目撃されました』なんて笑えない。
頑張ろう。自分の進路のためにも、夏休みハーマイオニーの家に遊びに行くためにも────そして、ハーマイオニーを“ばらけ”させずに付き添い姿現しをするためにも。スタートで躓いてしまったことは不安だけれど、まだ巻き返せる。何か役立ちそうな本を探そうと図書室に向かっていると、図書室から出て来たクラムとばったり会った。

「こんにちは、ヴィクトール」
「こんにちは」

そう言えば、クラムはもう成人しているから姿現しをマスターしているはずだ。何か、コツを知っているだろうか?いや、でも、トワイクロス教授のあの感じだと、すごく感覚的なことみたいだから、言葉にするのは難しいものなのかもしれない……。そんなことを考えていると、逆にクラムから質問された。

「ハームオウンニニーを見ませんでしたか?」
「ハーマイオニー? いいえ、見てないけど……図書室のどこかに居るんじゃないかしら?」

今日はハーマイオニーと約束はしていない。とは言え、読書家の彼女は放課後は大抵図書室で過ごしている。最近は特に、ハリーを手伝って課題のことを調べているみたいだし。レイチェルが首を横に振ると、クラムは困ったような表情になった。

「ヴぉく達、図書室で勉強する。約束しました。でも、彼女を見つけられません」

なるほど。待ち合わせの時間を過ぎたのにハーマイオニーが来ない、と言うことらしい。ハーマイオニー達4年生だと、もうとっくに授業は終わっているはずだから……誰かにつかまってしまっているのかもしれない。もしかすると教授に呼ばれてしまったとか。そうでなければ……忙しすぎて約束自体忘れてしまっているのかも。

「それなら……」

ハーマイオニーと仲良しのハリーやロンの方が事情を知っているかもしれない。そう言おうとして、レイチェルははたと口を閉じた。ハリーとロンは、さっき見かけたけれど……そう言えばハーマイオニーから、ロンは彼女がクラムと親しくしているのを良く思っていないと聞いた記憶がある。とすれば、クラムがハリー達に尋ねた場合、後々ハーマイオニーが気まずい思いをするだろうか?

「おやおや。ヴィクトール、こんな所に居たのかね」

どうするのがいいだろうとレイチェルが考えていると、そんな声が響いた。まるで舞台役者のような、朗々とした声。ダンブルドアと同じで痩せて背が高いけれど、ダンブルドアとは違って銀髪や顎鬚は短く切り揃えられている。カルカロフ校長だ。その顔はにこやかに笑顔を浮かべていたが、何だか少しやつれたように見えた。

「Приятелят ми ми даде сладкиши.Да се върнем на нашия кораб и да пием чай.」
「благодаря ви, професоре.Мога ли да поканя приятелите си?」
「разбира се」

聞き慣れない響きの言葉に、レイチェルはぱちぱちと瞬いた。
2人が何を話しているのかさっぱりだ。とにかく、カルカロフ校長はクラムに用があるのだろう。会話の内容はわからないとは言え、レイチェルはこの場から離れた方がいいだろうか……?

レイチェル!」

廊下の向こうから、今度は誰かがレイチェルの名前を呼んだ。その声をレイチェルはよく知っていたけれど、振り向いて姿を確認するまで自分の予想が合っているか自信が持てなかった。なぜなら、彼女が普段こんな風に廊下で大声を出すことなんてないからだ。

「エリザベス?」
「探していたの。寮に戻りましょう」
「え? ええ……じゃあ、ヴィクトール。またね」

視線の先に居たのはエリザベスだった。その表情は険しい。不思議そうにレイチェルを見るクラム────エリザベスはかなり早口だったから聞き取れなかったのかもしれない────に手を振って、レイチェルは彼女に腕を引かれるままに廊下を進んだ。

「どうしたの? 私を探してたって……何かあったの?」

レイチェルとしては、あの場に居続けるのも気まずかったのでタイミングが良かったけれど。あ、でも、結局本を借りられていない……。それに、クラムが探していたハーマイオニーの件も。まあでも、図書室には夕食の後でもまた来れるし、レイチェル自身にハーマイオニーの居場所のあてもないのだ。

「ねえ、エリザベスったら」

それよりも今はたぶん、エリザベスの用事を優先した方がよさそうだ。急ぎ足で前を進むエリザベスは、どこか緊迫した雰囲気で、ギュッと唇を結んでいる。何か怒っているのだろうか? 図書室から随分と離れ、人気が少なくなって来ると、ようやくエリザベスは口を開いた。

「カルカロフ校長と何を話していたの?」
「何って……話しかけられてたのはヴィクトールだもの。私は特に……何も」
「……そう」

レイチェルの腕を掴む力が緩む。もしかして、エリザベスはカルカロフ校長とも知り合いだったのだろうか? でも、知り合いならきっとエリザベスは挨拶をするだろうし……こんな風にホッとした表情をするのも不思議な気がする。

「お願いよ、レイチェル。あの人……カルカロフ校長とはできるだけ関わらないと約束して頂戴。貴方自身もだけれど……特に……パメラと一緒に居るときは」
「え? どうして?」

また険しい表情になったエリザベスに、レイチェルは驚いた。
確かに……ダームストラング校には以前からあまり良くない噂がある。闇の魔術を教えているとか、学校の方針自体が純血主義だとか。他校生だと言うこともあってレイチェルも最初は緊張したけれど、クラムも他のダームストラング生達も、話してみたら皆いい人だ。エリザベスだって彼らと楽しそうに話していたのに、どうしてカルカロフ校長に対してだけそんなことを言うのだろう?

「寮に戻ったら話しましょう」

わけがわからないとレイチェルは困惑したが、エリザベスは静かにそう言ったきり、何も話そうとはしなかった。肖像画達がおしゃべりをする廊下を進み、レイブンクロー寮に戻って、騒がしい談話室を抜け、螺旋階段を上がり、部屋に戻るまで、たったの一言も。

レイチェル。パメラ。2人とも、ワールドカップの決勝の夜に起きた襲撃事件は覚えているでしょう?」

そうしてようやくエリザベスが紡いだのは、そんな言葉だった。
真剣そのもののその様子に、小さく頷く。どうしてエリザベスがそんな質問をするかはわからないが、あの事件のことは忘れるはずがなかった。だって、レイチェル自身もあの場に居合わせたのだから。

「夏休みの終わりに、バーティおじさまを我が家のディナーに招待したの。その日、お父様達が話しているのを聞いたわ。……死喰い人の活動が活発になっているって」
「死喰い人ってアレよね? “例のあの人”の手下だって言う……それはまあ、こっちの世界的には大変だろうけど……何だって急にそんな話をするわけ?」

マニキュアを塗っている途中だったらしく、パメラは爪から視線を上げないままそう返した。いかにも興味がなさそうなその口調に、エリザベスがムッとしたように眉を寄せる。レイチェルはハラハラしたが、しばらくしてエリザベスは深く溜息を吐き出した。

「そうね。貴方達にとっては急かもしれないわ。2人とも知らないみたいだったから、このまま黙っているべきなのかどうか……ずっと迷っていたの」

黙っていたって、何をだろう? レイチェルは静かにエリザベスを見つめ、次の言葉を待った。
エリザベスが長い睫毛を伏せ、不安げに瞳を揺らす。しかし、ややもして何かを決心するかのように目を閉じ、すぅっと息を吸った。

「あの人は……ダームストラングのカルカロフ校長は、元死喰い人よ。いいえ……もしかしたら、今も」
「えっ?」

────死喰い人。カルカロフ校長が?
信じられない。つい数分前、レイチェルの目の前に居て、クラムと笑って話していた、あの人が? 驚いたけれど、さっきのエリザベスの様子と、そしてどうして今この話をしたのかに合点がいった。レイチェルがカルカロフ校長と話しているように見えたから、エリザベスは心配してくれたのだろう。

「でも……死喰い人だって証明された人は、皆アズカバンに居るはずでしょ?」

エリザベスの言葉を疑うつもりはないけれど、疑問もあった。カルカロフ校長が死喰い人なら、どうして逮捕されていないのだろう? おじさんが言っていたように、操られていたと主張して逮捕を逃れたのだろうか? でも、それならエリザベスがこんな風にはっきり死喰い人だと断言するとは思えない。

「カルカロフ校長の場合は魔法省と司法取引をして、減刑されたの。他の死喰い人についての情報を魔法省に渡すことを条件に」
「つまり、仲間を売ったってことね?」

パメラはもはや、マニキュアよりもこの話題に興味が移ったようだった。
なるほど。死喰い人だと言う確実な証拠があって、本人もそれを認めていて────そして、死喰い人だからこそ持っている情報と引き換えに、自由を手に入れたと言うことなのだろう。

「でも、その、昔はそうだったかもしれないけど……今は、ダームストラングの校長でしょ? ダンブルドアやマダム・マクシームだって、あの人と普通に話してるし……」

ダンブルドアは偉大な魔法使いだ。そのダンブルドアが普通に接していると言うことは、カルカロフは昔のことを反省して、改心して……何と言うか、今は善良な魔法使いになっていると言う可能性もあるんじゃないだろうか? 仲間の情報を渡したのだって、もしかしたら自分のしてきたことを後悔したからかもしれない。

「死喰い人が全員逮捕されたわけじゃないのは知ってるけど……おじさんが言ってたわ。ワールドカップのあの襲撃は……あの人達にとっては皆を怖がらせようとしただけの……悪ふざけで、計画的なものじゃなくって……今はもう“例のあの人”への忠誠心なんてないだろうって……」

つまり、確かにワールドカップでは死喰い人達は活発に活動していたかもしれないけれど……それは一時的な、あの場限りのもので、あそこに居た人達は何食わぬ顔でまた日常に戻ってしまうだろう、と。おじさんはそう言っていた。

「ワールドカップの件だけではないの。死喰い人の証である、左腕の闇の印……夏以降、あのタトゥーが以前よりも濃く浮かび上がってきたと言う相談が闇祓い当局に何件も寄せられているそうよ。それに……バーサ・ジョーキンズの件は知っているでしょう?」
「誰よそれ?知り合い?」
「…………パメラ。貴方、少しは新聞を……」
「えっと、魔法省の人よね? 何ヶ月も前から行方不明になってるって言う……」

エリザベスのお説教が始まりそうなのを察して、レイチェルは慌てて代わりに答えた。
確か、夏休みに読んだ……リータ・スキーターの記事だった。バーサ・ジョーキンズはずっと行方不明で、少し前の新聞にようやく捜索が開始されたと書かれていた。けれど、手掛かりは見つかっていないらしい。レイチェルがそう説明すると、パメラが怪訝そうに眉を寄せた。

「魔法使いが行方不明って、そんなに珍しいことなの? 姿現しとか……移動キーだっけ? あれで、パッと遠くに行けちゃうんだから、どこに行ったかわからないって、しょっちゅう起こりそうだけど」
「んー……確かに、ママも急に取材が必要だってオーストラリアに行っちゃったりするけど……でも、そのまま何週間も帰って来なかったら、やっぱり“行方不明だ”って大騒ぎになると思うわ」

パメラの言葉を借りるのなら、“パッと遠くに行ける”と言うことは、“パッと遠くから帰って来れる”と言うことでもある。それに、何か事情があって帰れなくなったとしても、暖炉を使えば連絡は取れるのだ。ずっと連絡もなしに仕事を休むと言うのは考えにくい。

「自分の意志で居なくなったのなら、探されないように仕事を辞めるとか……長期休暇を取ってから姿を消すだろうし……何か、事件や事故に巻き込まれたんじゃないかって書かれてたわ」
レイチェルの言う通りよ。それに……彼女が失踪した場所が問題なの」

エリザベスの溜息に、レイチェルは記憶を手繰り寄せた。バーサ・ジョーキンズが姿を消した場所。どこだったっけ? それも、新聞記事に書かれていたはずだ。確か────。

「……アルバニア?」
「ええ」

どうやら正解だったらしい。神妙な表情で頷くエリザベスに、レイチェルはホッと胸を撫で下ろした。見慣れない地名だったので気になって地図で調べたおかげで、印象に残っていた。一緒に載っていた海辺の風景写真が綺麗で、セドリックと「行ってみたいね」なんて話した記憶がある。

「アルバニア? ってどこ?」
「えっと……ギリシャの隣だったはず」

不思議そうに首を傾げるパメラにエリザベスが頭痛を耐えるように額を押さえたので、レイチェルはヒソヒソとパメラに耳打ちした。が、正直なところ、彼女が姿を消した場所がアルバニアだと何がまずいのかはレイチェルにもよくわからない。

「アルバニアが地図上でどこに位置しているかは問題ではないの。新聞にははっきりと書かれていなかったけれど……重要なのは、“例のあの人”が潜伏していると噂される場所だと言うこと」

エリザベスの説明に、レイチェルはハッと息を呑んだ。
それってつまり────バーサ・ジョーキンズの失踪は、例のあの人が原因の可能性もあると言うことだろうか? レイチェルは不安になったが、パメラはそう考えてはいないようだった。

「考え過ぎじゃないの? だって、“例のあの人”って確か、賢者の石を手に入れようとホグワーツの周りでコソコソしてたのを、1年生だった頃のハリー・ポッターが退治したんでしょ?」

そんな、大人達が名前を呼ぶことさえ恐れる闇の魔法使いをネズミか何かみたいに────呑気なパメラの口調に、レイチェルは思わず頬を引きつらせた。エリザベスも一瞬、呆気にとられたようにポカンとしていた。が、気を取り直すかのように小さくコホンと咳払いしてみせた。

「バーサ・ジョーキンズの件はともかく……カルカロフ校長が更生したのかは、一流の開心術士でないとわからないわ。もしかしたら今も……マグルを排斥すべきだと考えているかもしれないし……ダームストラングでは今も闇の魔術に力を入れているそうよ」

もし、カルカロフ校長が今も死喰い人だったとしたら。
継承者がそうだったように、ホグワーツが出自に関わらず生徒を受け入れることを苦々しく思っているのだろうか?あの夜、マグルの家族を宙吊りにしていたあの集団の中に、カルカロフ校長も居たのだろうか? 今は改心したとしても、かつてはあんなひどいことができる人達の仲間だったなんて。そう考えるとゾッとして、レイチェルは思わず自分の腕を擦った。たった今も、こんなに身近に、“例のあの人”の信奉者が居ただなんて。

「ダンブルドア校長が防衛術の教授としてムーディ教授を呼んだのも……カルカロフ校長を警戒してのことじゃないかしら。死喰い人だったカルカロフ校長を逮捕したのは、当時闇祓いだったムーディ教授ですもの」
「……ムーディ教授が?」

レイチェルは目を見開いた。
もしかして……ムーディ教授が服従の呪文への抵抗の仕方を教えようとしたり、闇の魔法使いが今もすぐそこで生徒達を狙っているかのような口ぶりは────てっきり、長年闇祓いとして過ごすうちに用心深くなりすぎてしまったのかと思っていたけれど────カルカロフ校長を警戒してのことだったのだろうか?

「要するに“油断大敵”ってことね」

肩を竦めたパメラの軽口に、エリザベスがまた深く溜息を吐いた。

 

 

「……せっかく魔法史やめたのに、まるで魔法史の授業だったわ」

夕食の後レイチェルが図書室から戻ってくると、パメラが疲れた様子でそうぼやいていた。
どうやら『マグルの世界で育ったから仕方ない部分もあるとは言え、もうすぐ成人するのだからある程度は知っていないとパメラ自身が困る』と────そんなエリザベスの考えによって、『例のあの人の過去の活動と現状』についての講義が行われていたらしい。

「エリザベスって先生に向いてそうよね。教えるの上手だし……熱心だもの」
「まあ、ビンズ教授の説明よりはわかりやすかったけど! でもあの教え方はマクゴナガルとかスネイプ寄りよ!」

要するに生徒役だったパメラにとっては、かなり緊張感がある授業だったらしい。そのエリザベスは、今は監督生の見回りに行っているようだ。げっそりしているパメラには申し訳ないけれど、レイチェルも聞いておきたかったな、なんてちょっと羨ましく思ってしまう。

「たぶん、本や教科書よりエリザベスの話の方がずっとわかりやすいと思うわ。“例のあの人”のことって、まだ詳しく書かれてる本も少ないから」
「ああ、それで……レイチェルって魔法界育ちなのに、“例のあの人”とかそのへんのことってエリザベスほどは知らないわよね。あの子が特別詳しいだけ?」
「うっ……その……どっちもだと思うわ」

パメラはレイチェルを責めているわけではないのだろうけれど、レイチェルは視線を逸らして俯いた。
名家出身のエリザベスが事情通だと言うのはあるだろうけれど、レイチェルレイチェルでたぶん知らなさすぎる。だって、こう言う話題って友人とのおしゃべりで出ることはないし……身近な大人にも何となく聞きにくい。例のあの人や死喰い人が原因で、友人や親しい人を亡くした人も多いから。それに、裁判記録を読んでいて自分の親戚や友達の近しい人の名前が出てきたらと思うと、むしろ知らないままで居た方がいいんじゃないかと避けていた……かもしれない。

「そう言えば、シリウス・ブラックって結局まだ捕まってないわけ?」
「そうね。きっと、闇祓いの人達は動いているんだと思うけど……」

少なくとも新聞で大きく報じられるような動きはないはずだ、とレイチェルは頷いてみせた。
そう。脱獄したシリウス・ブラックだって今も逃亡中だ。たくさんのマグルの命を奪った恐ろしい殺人鬼。例のあの人の腹心だったと噂される死喰い人。もうイギリス国内には居ないと言う噂だけれど……それが事実なのかどうか、実際のところレイチェルにはわからない。

『シリウス・ブラックはハリー・ポッターを狙っていると言う話があるわ。そのために脱獄したんじゃないかって……』

ブラックは今、どこに居るのだろう? もうハリーの命を狙うことは諦めたのだろうか? もしかしたら密かにイギリスに戻って来ていて、今もどこかでホグワーツに近づく機会を窺っているのだろうか? それとも、今は何か……別の目的のために動いているのだろうか。エリザベスが言っていたように、死喰い人の活動が活発になっているとしたら、やっぱり主導しているのはブラックと考えるのは自然だろう。脱獄してすぐのころと違って、もう誰もブラックの話はしない。けれど、事態はあの頃と何ひとつ変わっていない。

ワールドカップの夜の事件のことだって、忘れていたわけじゃない。

ブラックだけじゃない。今も捕まっていない死喰い人はたくさん居る。生徒達名前から姿を消した後で知らされたせいで実感がなかったけれど……クィレル教授だって死喰い人だった。例のあの人のために、城の中で守られていた賢者の石を狙っていた。普通に授業をして、他の教授達と話して、レイチェルのよく知る教室を、廊下を歩いていた。授業でわからないかったところを質問をすれば、答えてくれた。死喰い人だったなんて……何か恐ろしいことを企んでいるだなんて。ハリーの、生徒の命を奪おうとしていただなんて、全然わからなかった。

『ムーディ教授の考えでは……ハリーの名前をゴブレットに入れた誰かは、危険な課題で彼が死ぬことを望んでるんじゃないかって』

カルカロフ校長がもし今も死喰い人だとしたら……やっぱり、例のあの人を失脚させたハリーを憎んでいるのだろうか?炎のゴブレットにハリーの名前を入れたのは、カルカロフ校長なのだろうか? 少なくとも、きっとムーディ教授はそう疑っているのだろう。
あと2週間後には、もう次の課題が迫っている。代表選手達はまた、恐ろしい試練に立ち向かわなければいけない。あの、暗く冷たい湖の底で、たった1人きりで。ハーマイオニーは、課題に有効な呪文は見つけられただろうか? やっぱり、パパに鰓昆布を送ってほしいと手紙を送ってみるべきだったのかも。
……ああ、ダメだ。また、ハリーのことを考えてしまっている。いや、でも、これは単に、ハリーの身の危険を心配しているだけだ。友達を心配するのは当たり前だ。
大丈夫。ハリーはきっと大丈夫だ。ダンブルドアが居るし、ムーディ教授が居る。今のホグワーツはきっと、イギリス中のどこよりも安全だ。ダンブルドア以外にも、今回の対抗試合を成功させたいと、たくさんの優秀な魔法使い達が力を尽くしている。危険なことなんて、何ひとつ起きるはずがない。もしもカルカロフ校長が何か企んでいたとしても、ダンブルドア達がハリーを守ってくれる。ハリーも、セドリックも絶対大丈夫だ。そう、大丈夫────。

わかっている。レイチェルが知っていたところで、できることなんてきっと何もない。それでも────何も知らず、何も考えずに過ごしていた自分が恥ずかしい。

“例のあの人”は力を失ったとしても、今もアズカバンにはたくさんの死喰い人が収監されている。ホグワーツの生徒にだって、家族が“例のあの人”に抵抗して殺されてしまった人が居る。もしかしたら、レイチェルが気付かなかっただけで、今までダイアゴン横丁を歩くときにだって死喰い人とすれ違っていたかもしれない。パメラと違ってずってマグルの世界で育ったわけじゃないのに、どうしてレイチェルはこんなにも何も知らないのだろう? 知ろうとしなかったのだろう?例のあの人も、死喰い人も、たった十数年前に現実に起きたことだと知っていたのに。まだちっとも、風化した教科書の中の“歴史”なんかじゃないのに。
純血主義のこと。屋敷しもべ妖精や、巨人への差別のこと。知っていたはずなのに無関心で居た自分を反省したはずだった。もっと広く、たくさんのことを見て、考えたいと思うのに。結局いつも、レイチェルの頭の中は自分の杖灯りが照らせる範囲のことでいっぱいになってしまう。

「……大丈夫かい? なんか、元気ないように見えるけど」

隣に座るジョージがレイチェルの顔を覗きこんでそんなことを言うので、つい言葉に詰まってしまった。自分ではいつも通りに振舞っているつもりだったのに、ジョージの目は誤魔化せなかったらしい。ジョージと2人で会えるのは金曜日以来なのに────ついまた、あれこれと考え込んでしまっていた。

「あー……もしかして、まだ体調悪い? どこか痛いとか?」
「……ううん」

何もない、と答えれば嘘になる。頭の中はぐちゃぐちゃにこんがらがっているし、ジョージに言ってないことはたくさんあった。カルカロフ校長が昔死喰い人だったと知ったこと。セドリックから聞いたムーディ教授の言葉。第2の課題のこと。失くしたと思っていたネックレスを、ハリーが届けてくれたこと。それがきっかけで、自分はハリーが男の子として気になっているんじゃないかと考えたこと。でも、結局それは勘違いと言う結論になったから、これに関してはジョージには言う必要がないだろう。あとは……ネックレスが見付かったことさえジョージに言う気になれないのは、やっぱりどこか後ろめたいからなんじゃないか、とか。
自分のことも、自分以外のことも。わからないことや知らないことが多すぎて────落ち込むと言うか、ちょっと、かなり、自己嫌悪に陥ってしまっている。落ち込んだところで何も解決しないことくらい、頭ではわかっているのに。

「大丈夫……」
「ならいいけど」

肩を竦めてみせるジョージは、たぶんレイチェルの言葉を信じたわけではないのだろうけれど、それ以上追及しないことにしてくれたらしい。代わりに、肩を抱いた腕がレイチェルを抱き寄せた。安心させようとするように、その手がレイチェルの背中に軽く触れる。その手つきがどこかセドリックと似ていて、レイチェルは知らず入っていた肩の力が抜けていくのを感じた。

「やっぱり……ジョージって、“お兄ちゃん”よね」
「あのな……君の考える兄と妹ってどうなってるんだ? 言っとくけどジニーにだってこんな風に慰めるなんてしたことないぞ」

君とセドリックはどうだか知らないけど、なんてジョージが呟く。
拗ねたようなその口調に、思わずクスクス笑ってしまった。言葉とは裏腹に、困ったように笑うジョージの顔も、レイチェルを見る瞳も、いつもと変わらず優しいことに気付いてしまったから。

「ね、ジョージ……お見舞いのお花、ありがとう」
「どういたしまして。気に入った?」
「ええ。とっても」

……ああ、大丈夫だ。やっぱり、ジョージのことが好き。
優しいところ。悪戯っぽい笑い方。ジョージが編み出す魔法も好き。ジョージが好き。ローブ越しに伝わる体温に、匂いにホッと息を吐いて────ふと、以前言われた言葉が頭によぎった。

『……“みたい”じゃなくて、大事にしてるだろ』

大事にされている、と思う。視線も、レイチェルに触れる指も、名前を呼ぶ響きも。ジョージがレイチェルを好きで居てくれているとわかる。ジョージがいつもと変わらず優しいから、罪悪感が胸を締め付ける。セドリックと一緒に居ることで、ジョージを不安にさせていることかもしれないこと。……無意識のうちに、ハリーを視線を追ってしまっていること。ジョージがそうしてくれるほど、レイチェルはジョージを大切にできていない気がして。

「今日はもう、寮に戻るか?」
「ううん……もう少し、一緒に居たい」

指先に、柔らかなローブを握りこむ。
ジョージのことを大切にしたい。こんな風に、一緒に過ごせる時間も。ジョージのことが好き。1週間前より、昨日より、今日の方がもっと。だからきっと、大丈夫。
大丈夫だと、そう言い聞かせるのに────小さなインクの染みのように、胸に落ちた不安が消えてくれない。

今はただ、何も考えずに。ジョージの胸に頬を寄せて、その心臓の­音に耳を澄ませていたかった。

イミテーション

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