「あのね、レイチェル。言いにくいんだけど……それだと、ちょっとチーク濃いかも」
「嘘!?」
「たぶん、単純に量つけすぎ。最初にちゃんと調節しないと……ああ、もう、ちょっと貸して」
クリスマス休暇のときほどではないけれど、“デート”の朝と言うのは何だか慌ただしい。週末のホグズミード休暇の日、鏡を前に格闘していたレイチェルはパメラの冷静な指摘に青ざめた。今回もコーディネートに関してはパメラとクロディーヌに意見を聞いたものの、お化粧は自分でやってみようと思ったのだけれど……前にパメラ達にやってもらったときを思い出して真似してみたはずなのに、どうしてか上手く行かなかった。ここのところだいぶ慣れて来たつもりだったのだけれど、デートだと意識したせいで濃くなりすぎてしまったのかもしれない。お化粧ってやっぱり難しい。
「はい。これでどう?」
「ありがとう、パメラ!」
難しいけれど、やっぱり鏡の中のいつもより少し大人びた自分を見るとほんの少しだけ気分が高揚する。今日はセーターが薄紫色なので、アイシャドウも合わせて同じ薄紫色。ほんの少しラメが入っているので、角度によってキラキラ光るのが素敵だ。髪はポニーテールにしてみたけれど、やっぱり下ろした方がよかっただろうか? でも、せっかく大きめのイヤリングをつけたのだし髪に隠れてしまうのはもったいない……。
「レイチェル達は、約束までまだ少し時間があるでしょう? 私、先に出るわね」
エリザベスの声に、レイチェルは手鏡から顔を上げた。艶やかな黒髪を櫛で梳かしているエリザベスも、今日はトムとデートの約束をしている。エリザベスのコーディネートについても、パメラとクロディーヌは大いに盛り上がっていた。白とピンクベージュの淡い色合いを身に付けたエリザベスは、いつもよりずっと雰囲気が柔らかく見える。ただしエリザベスの場合、レイチェルとは違って首から上はほんの少し色が付くリップグロスを塗っただけで完成だった。ゆるやかに波打つ巻き毛はおろしているだけで華やかな印象だし、元々上を向いた長い睫毛や薄く色付いた頬には、マスカラもチークも必要ないからだ。……美人っていいなあ、とレイチェルは思わず溜息が出た。
「せっかくのホグズミード休暇だって言うのに、天気悪すぎ!」
「って言うか、寒すぎない!? 昨日はこんなに寒くなかったのに!」
10分後、レイチェルとパメラもレイブンクロー塔から降りた。おしゃべりで騒がしい生徒達の群れに混ざって、校門へと向かって進む。前を歩く3年生の女の子達の叫びには、レイチェルも同感だ。雪は止んでいるけれど、空は灰色の雲に覆われている。吹きつける風の冷たさに、レイチェルはマフラーへと顔を埋めた。もっとも、この寒さの理由は今歩いているのが湖の近くなせいもあるだろうけれど。
分厚い雲の切れ間からわずかに差し込む日差しが、湖に浮かんだダームストラングの船を照らしている。風を受けてゆらゆらと湖面が波立つその様子をレイチェルはしばらくぼんやりと眺めながら歩いていたが────視界の端へと映った光景に、その場に立ち止まった。
「……ヴィクトール?」
湖の畔に立っていた人物に、レイチェルは目を疑った。いや、ダームストラングの船の近くなのだから、クラムがここに居ることはおかしくはない。問題は、クラムが頭までびしょ濡れで、水泳パンツ1枚なことだった。どうやら、湖を泳いでいたらしい。まだ1月の、氷のように冷たい水の中を。
「大丈夫? 早く乾かさないと……」
「平気です。ヴぉく達は、寒いのには慣れていますから」
平然とした様子のクラムに、レイチェルは思わず顔を引きつらせた。確かにその通りなのだろうけれど、見ているこっちが凍えそうだ。こんな寒い日に、湖で泳ぐなんて。ダームストラングだと、冬でも水泳をするのが普通なのだろうか? そう考えて、レイチェルはハッとした。そうだ。湖。湖だ。
「あの、ヴィクトール……もしかして……」
もしかして、クラムは第2の課題の予行演習をしているのかもしれない。
セドリックの予想が正しければ、第2の課題の舞台は湖のはずだ。えっと、そうだ。湖の底に潜って、水中人が隠した何かを探し出すこと。確か、セドリックはそう言っていた。セドリックは自分1人で対策したいと言っていたけれど……この極寒の湖を泳ぐと言うのは、呼吸の問題だけではなく防寒対策も必要だろうか? それに、湖の中がどうなっているのかだってよくわからない。もしかしたら、既にクラムも卵のヒントを解いていて、課題を突破する糸口を探しているのかもしれない。
「はい。どうしましたか?」
そんな考えが頭を巡ったものの────レイチェルは開きかけた口をそのまま閉じた。レイチェルが課題の内容を知っていることが、ルール上問題ないかどうかがわからない。
それに、もしこの推測が当たっていたとしても、たぶんクラムが「そうだ」と肯定することはないだろう。そもそも、レイチェルの勘違いだと言う可能性もある。何より、レイチェルを信頼して打ち明けてくれたセドリックのことを考えると、課題の内容について誰かに話すのは良くないような気もした。たとえ、相手がセドリックと同じく代表選手であるクラムだとしても。
「ううん。何でもないの……ヴィクトールは、ホグズミードに行かないの?」
「はい。今日は、城の中に居ようと思っています」
「せっかくだから、ホグズミードに行けばいいのに! 今日を逃したら、また2ヶ月も先なのよ!」
よかったら一緒にどうかとパメラが提案したが、クラムは静かに首を振った。
「実は、午後、箒に乗るつもりです。今日なら競技場に誰も居ないと、教えてもらいました。練習は、静かな方が集中できますから」
声を潜めて教えてくれたクラムは、ほんの少し微笑んでいるように見えた。休日の競技場はいつもクィディッチをする生徒達で賑わっているけれど、確かに今日ならホグズミード休暇で生徒達が出払っている。プロのクィディッチ選手であるクラムにとっては、ホグズミード休暇よりも練習の方が優先順位がずっと高いのだろう。
「……忘れそうになるけど、そう言えばクラムって世界一のシーカーって言われてるのよね」
ロマーリオやジダンがホグワーツに居るようなものってことでしょと、パメラが感慨深げに呟く。聞き覚えのない名前に、レイチェルは首を傾げた。響きから想像するに、たぶん外国人だろうけれど……レイチェルは心当たりがない名前だ。マグルの世界では有名人なのだろうか?
パメラが案内すると約束した留学生達とは、校門の外で待ち合わせをしていた。
「お菓子のお店があると、オグワーツの子達に聞きました。弟に送りたいでーす」
「アー……叫びの屋敷? 行ってみたい。中に入れますか?」
「bièraubeurre、飲みたいです! どこに売ってますか?」
前回のホグズミード観光では、どこを回ればいいかわからずあまり楽しめなかったと言う彼女達は、期待に目をキラキラさせていた。ボーバトンの女の子が3人、ダームストラングの男の子が3人だ。そして、レイチェルとパメラ、アンジェリーナとアリシアの全部で10人。アンジェリーナもレイチェル同様、午後からはフレッドと約束をしているらしい。新商品が売り切れてしまう前にと、レイチェル達はまずはハニーデュークスへと向かうことにした。
「ねえ、アリシア。アリシアは、その……今日、私達と一緒でよかったの?」
おしゃべりが重なり合う店内で、レイチェルは待ち合わせのときから気になっていた疑問をとうとう口にした。確か、アリシアはダンスパーティーのパートナーだったマイルズ・ブレッチリーと一緒に回る、と噂を聞いた気がしたのだ。まあ、本人から直接聞いたわけじゃないので、その情報が間違っていた可能性もあるけれど。でも、新商品の棚を眺めるアリシアは、どこかいつもより元気がないように見える。レイチェルが心配になって尋ねると、アンジェリーナが肩を竦めた。
「あー……それね、聞いちゃダメだよ、レイチェル。面倒くさいから」
「ちょっと、アンジェリーナ! 面倒くさいって何!?」
「“面倒くさい”以外にどう言えばいいの? アリシアってば、誘われたのに断っちゃったんだよ」
アンジェリーナの説明によれば、アリシアとマイルズは元々は次のホグズミードは2人で回ろうと約束をしていた。けれど、先週の木曜日に喧嘩してしまい、以降ほとんど口を利いていないらしい。それでもマイルズは約束通りアリシアと一緒に行くつもりだったようなのだけれど、アリシアは「喧嘩中なのだから一緒に行くわけがない」と突っぱねたのだと言う。
「だって……アンジェリーナもあの態度はおかしいって思ったでしょ!? 『明日の待ち合わせ、どうする?』じゃないわよ! まず、『ごめん』が先でしょ!?」
「マイルズなりの仲直りのつもりだったんじゃない? 知らないけど」
「私、そうやって有耶無耶にされるのってすっごい嫌!」
「わかるけどね。でも、マイルズの性格じゃ『ごめん』なんて言わないでしょ。せっかくのホグズミード休暇なんだから仲直りしたらって、私は何度も言ったよ。アリシア、デートすっごく楽しみにしてたじゃない」
「楽しみにしてたわよ! 私だって、本当はデートしたかったけど……」
こんな気持ちでデートしたって絶対楽しめないと大きな瞳を潤ませるアリシアに、レイチェルは同情した。アリシアの気持ちもわかる気がする。ギクシャクした雰囲気のままデートしたとしても、余計気まずくなりそうだ。
「レイチェルだったらどうする……? やっぱり、私が折れるべきだったって思う……?」
「えっと……それは、喧嘩の理由によるかも……?」
「理由は……その、ちょっと……言いにくいんだけど」
何か思い出したかのように頬を染めたアリシアに、レイチェルはうーんと首を捻った。「ごめん」の一言がなくても許せるかどうかは、喧嘩の経緯とか、相手の態度によっても変わる気がする。レイチェルもジョージとちょくちょく喧嘩……と言うほどではないのかもしれないけれど、まあ、意見が食い違うことはある。この間、こっそりホグズミードに来たときだってそうだった。あれは、レイチェルが折れたことになるのだろうか……? いや、でも、その前にジョージがレイチェルの意見を尊重する姿勢を見せてくれたからこそ、レイチェルも意見を変えたのだ。となると、折れてくれたのはジョージの方だろうか?
「レイチェルに聞くのはやめた方がいいわよ、アリシア。ジョージはともかく、レイチェルってあれほどベッタリなセドリックとさえ、ほとんど喧嘩ってしないんだもの」
「セドとだって、喧嘩することくらいあるわ」
確かに、ホグワーツに入学して以降は、セドリックとはあまり喧嘩と言うような喧嘩はしたことがない。温厚なセドリックはよほどのことでなければ怒らないし、レイチェルが怒るようなことをしない。去年の今頃はセドリックとギクシャクしていたのが、何だか遠い出来事のように思える。「それに」とレイチェルは付け加えた。
「パメラ達とだって、下級生の頃は喧嘩したし……」
「あー、『パメラの大事にしてるピアス壊しちゃった』って泣いてたよね。あのとき、レイチェルが寮に戻れないって言うから私達の部屋に呼んだんだっけ」
「今ならレパロで終わるのにね」
どこか懐かしそうなアンジェリーナとアリシアの言葉に、レイチェルとパメラは気まずくなった。その頃のレイチェル達にとっては深刻な喧嘩だったはずなのだけれど、改めて言われるとあまりに些細な出来事だ。何だかちょっと恥ずかしい。そう言えば、レイチェルがアンジェリーナ達と友達になったのはそのときの出来事がきっかけだった。
「本当、1年生の頃ってくっだらない理由で喧嘩してたよねー、私達」
「『どっちの方が猫の鳴き真似が上手いか』とかね」
「あと、『どっちの方がピンクが似合う?』とかも」
感慨深げに呟くアンジェリーナ達に釣られて、レイチェル達も思わずクスクス笑った。いつも溌溂としていているアンジェリーナとアリシア。気の合う親友同士で、クィディッチチームでも息がぴったりの2人だけれど、そう言えば彼女達も1年生の頃はよく喧嘩していた。
「あの頃はまさか、アリシアとマイルズが付き合うことになるなんて思わなかったな。髪に蛙の脳みそ引っ付けられたって泣いてるアリシアに付き添って医務室行ったの覚えてるもん、私」
「あったわね、そんなこと……スネイプの奴、絶対一部始終見てたくせに『いつもと変わらない』とか言ってくれたのよね」
「うわっ、最悪!! でも絶対言う! なんかもう、言ったときの顔まで想像つくもの」
当時のことを思い出したのか、苦い表情になったアリシアにパメラが顔思い切りを顰めた。レイチェルも思わず顔を引きつらせた。数年前の出来事だろうから、アリシアの記憶が曖昧なところもあるかもしれないけれど、事実だとしたらひどい。
「確かに、あの頃に比べたらマイルズもかなり紳士になったのよね。……いいわ、今回は許してあげることにする」
「不本意だけどね」なんて言いながらも、アリシアがようやくいつもの笑顔を見せたので、レイチェルはホッとした。アリシアは結局今回の喧嘩の原因を言いたがらなかったけれど、さすがに「蛙の脳みそをわざとぶつけてきた」よりはずっとマシなものだったようだ。
「すみません、教えてください。このチョコレート、これは何の味ですか?」
「あ、それなら……」
声がして振り返ると、ダームストラングの男の子が立っていた。その手に抱えられたバスケットには色とり年のお菓子が溢れんばかりに詰めこまれている。そう言えば、レイチェルも初めてのホグズミード休暇のときはこんな風だったな、なんて懐かしさに頬が緩んだ。対して、レイチェルは自分の手に持ったバスケットの中がまだほとんど空っぽだと言うことに気が付いた。せっかく比較的空いている時間にハニーデュークスに来たのに、これではいけない。混み始める前に買い物を済ませておかなければ。
「それ、もしかしてジョージに買うの?」
「……ジョージ?」
新商品の棚に並んだカラフルなチョコレートの包みを眺めていたレイチェルは、パメラの言葉に首を傾げた。確かに、新商品だからジョージもきっとまだ食べたことはないだろうけれど……ジョージって、チョコレートが好物だっただろうか? レイチェルが頭を捻っていると、パメラが呆れたように言った。
「だって、もうすぐバレンタインでしょ」
バレンタイン。ついこの間、クリスマスが終わったばかりな気がするのに。と言うか、実際バレンタインはまだ1ヶ月も先だ。棚に近づきすぎていて気が付かなかったけれど、良く見れば天井付近には「ハッピーバレンタイン!」の文字と共にリボンや薔薇が舞い踊っている。なるほど。新商品にやけにチョコレートがたくさんあると感じたのはそのせいだったようだ。
「ジョージって元々サプライズとか好きじゃない。バレンタインなんて、張り切って色々やってくれそう」
レイチェルの方も何か用意するなら今日のうちの方がいいんじゃないかと言うのが、パメラのアドバイスだった。確かに、次のホグズミード休暇は2ヶ月先だ。バレンタインのための贈り物をホグズミードで買うなら今日しかないのだろう。「こっちからって何を贈ればいいの? カードだけで大丈夫……?」
「人によるんじゃない? 私は一応、毎年カードの他にも何か贈るようにしてるけど。アンジェリーナは?」
「私、一応カードとチョコレートかなあ。今日買っておくつもり。そんなに豪華な奴じゃないけど……って言うか、バレンタインって何でチョコ贈るんだろうね?」
「ママはキャドバリー社の戦略だって言ってただけど……確かに魔法界でも普通にチョコ売ってるわよね」
結局、ジョージへの贈り物をどうするかは決められなかった。のんびりしているうちにハニーデュークスの店内はホグワーツ生で混雑してきていたし、留学生達も無事に買い物を終えたようだったので、レイチェル達は店を出た。回るべき場所はまだまだ他にもたくさんあった。村の中心にある大きな郵便局や、叫びの屋敷。アンジェリーナとアリシアがダームストラング生達にクィディッチ用品店やゾンコを案内している間、レイチェルとパメラはボーバトン生達をコスメショップや雑貨屋へと案内した。こんなにも大勢でホグミズードを回るのも、ホグズミードを誰かに案内をすると言うのも初めてのことで、レイチェルにとっても新鮮であっと言う間に時間は過ぎて行った。
「バレンタインですねー? 贈り物します。男の子から、女の子に。赤い薔薇の花束、人気ですね」
「あ、そこは同じなんだね」
「ヴぉく達も同じです。今年は、バレンタイン、彼女と会えない。とても寂しいです」
三本の箒は、今日も大繁盛だ。マダム・ロスメルタは外国からのお客様達を歓迎してくれて、こっそりとバタービールを振舞ってくれた。おいしいパイやシチューを味わいながら、レイチェル達は留学生達とたくさんおしゃべりをした。
「ボーバトンも、友達も恋しいですがー、ここに来れてよかった、思いまーす。この村も、とても美しいですねー」
彼らがホグズミードを気に入ってくれたらしいことが、レイチェルには何だか誇らしかった。レイチェルがホグワーツを好きなように、きっと彼らにとっても自分達の通っている学校に対しての愛着は強いだろう。それでもやっぱり、ホグワーツに居る間、少しでも楽しく過ごしてもらえたら嬉しいから。
昼食を食べ終えると、ジョージとの約束の時間が近づいていた。
驚いたのは、マイルズ・ブレッチリーがアリシアを迎えに来たことだった。渋々と言った表情ではあったけれど、マイルズの謝罪────レイチェル達からは離れたところで話していたので詳細な会話はわからないけれど、たぶんそうだろう────をアリシアは受け入れて、2人は仲直りすることにしたらしい。午後はマイルズと2人で回ることになったのだと、アリシアが嬉しそうに打ち明けてくれた。
「ごめんなさい。待った?」
「いや。そんなには」
友人達と別れて待ち合わせに向かうと、そこには既にジョージが立っていた。
ジョージとの待ち合わせにはもう慣れて来たはずなのだけれど、やっぱり“デート”となるとちょっと緊張すると言うか、くすぐったいような気分になる。
「ジョージ達は、午前中どこに行ったの?」
「ん? まあ……いつも通りかな。ゾンコに、ハニーデュークスだろ。それに、三本の箒……」
「そうなの? 私達も同じようなルートだったわ。ちょうどすれ違いだったのね」
すれ違いと言えば────レイチェルはさっきの昼食前の出来事を思い出した。レイチェル達が三本の箒に向かっていたとき、ちょうど扉からハーマイオニーが出て行くところだった。ハーマイオニーにハリー、それにロン。いつもの3人組だった。何だかひどく急いでいる様子だったので、声はかけられなかったのだけれど。もしかしたら、何か急ぎの用事でも思い出したのかもしれない。
「あのね、小さめでシンプルなデザインの……制服にでもつけられるようなものが欲しいの」
レイチェルにとっての今日の1番大事な“用事”は新しいネックレスを買うことだ。この前のホグズミード休暇のときもパメラ達と一緒に来た、街外れのアクセサリーショップ。棚の上に所狭しと並んだネックレスを前に、レイチェルはジョージにそう説明した。
「なくしたって言ってたやつって、どんなのだったっけ?」
「えっと……これが近いわ。でも、せっかく新しいのを買うんだし、少し違うデザインにしたくて……」
結局、あれから何度か落し物を見に行ってはみたのだけれど、なくしたネックレスは出て来なかった。気に入っていたから、よく似たものを買い直す、と言うのも考えたのだけれど。せっかくジョージが選んでくれるのなら、全く同じデザインにしてしまうのはもったいないような気もする。
「えっと……だから……私がいくつか候補を選ぶから、その中から選んでもらう……で、いい?」
「了解」
恋人にアクセサリーを選んでもらうときはどうすればスムーズなのか友人達に聞いておけばよかった、とレイチェルはちょっと反省した。普通はどうするものなのかよくわからない。けれど、こんなにもたくさん選択肢があると、いきなり「じゃあ私に似合いそうなものを選んで」と言われてもジョージも困るだろう。たぶん、レイチェルがジョージから「悪戯グッズを選んでほしい」なんて言われてもよくわからないのと同じで。セドリックに買い物に付き合ってもらうときも、「どっちも似合うよ」なんて困ったような反応が返って来たりするし。何にしても、あまり長く付き合わせてしまうのは申し訳ない。女の子で混雑した店内は、ジョージにとってはあまり居心地のいいものではないだろうし。
頭ではそう思うのに────パーティーのアクセサリーを選んだときもそうだったけれど、たくさんあると目移りしてしまう。
制服のときでも使えるような、小ぶりでシンプルなもの。ある程度選ぶ基準を決めたつもりなのに、それでもあまりにもたくさんある。色とりどりにキラキラと光るアクセサリーは、どれも素敵だ。同じデザインでも、チェーンの色やストーンの色でがらりと印象が違う 。花やハートや星のデザインは、子供っぽく見えそうだから避けた方がいいだろうか? オレンジや黄色は見ていると可愛いけれど、レイチェルには似合わない。あ、でもこのネックレス、ジニーに似合いそう。
「あれ? レイチェル?」
そんなことを考えていたら、目の前にジニー本人が居た。「ごめん、先に行ってて!」そう誰かに声をかけたところを見ると、どうやら友人達と回っているところだったらしい。お会計の途中だったのか、店員の女性から紙袋を受け取ったジニーはそのままレイチェルの元へと駆け寄って来てくれて、隣に居るジョージをしげしげと眺めた。
「レイチェルと一緒ってことは、そこに居るのはジョージね」
「おいおい、お嬢さん。兄貴への認識がちょっとばかり雑すぎないか?」
「だって、たくさん居るんだもの」
ジョージが呆れたように溜息を吐いたが、ジニーは全く悪びれない。しれっとそんなことを言って肩を竦めてみせるジニーに、レイチェルはクスクス笑ってしまった。こう言うとき、ジニーってフレッドとジョージの妹だと実感する。
「ジニーは何を買ったの?」
「ヘアピンでしょ、あとヘアゴムとバレッタと……ブレスレットも。あっちのワゴンが1個買うと1個おまけになってたから、いっぱい買っちゃった!」
ニコニコと笑みを浮かべるジニーは、どうやら今回もホグズミード休暇を満喫しているようだ。今度見せてね、とジニーに微笑みかけると、何だかうずうずした様子のジニーに腕を引かれた。そうして、そのまま棚の影へと引っ張っられる。どうやら、ジョージには聞かれたくない話らしい。
「レイチェルは何買うの?」
「ネックレスを買うつもりなの」
「もしかして、ジョージに選んでもらうとか?」
期待にキラキラと輝く瞳に見つめられて、レイチェルは頷いた。「いいなあ」羨ましそうに呟くジニーの姿に、レイチェルはくすぐったいような、どこか懐かしいような気分になった。レイチェルもジニーくらいの頃は、上級生の恋人とのデートの話を聞くときはそんな反応をしていた気がする。
「でも……ネックレスだと、服に隠れちゃうからもったいなくない? 自分で付けてるのが見えるやつにしたら? ブレスレットか、指輪とか……」
そう言えば、ボーバトンの女の子達にも同じことを言われた。その考えもわかる気はする。ネックレスは鏡を見ないと自分では確認できないし、制服のときはシャツの下に隠れてしまうから。でも、その代わり。
「だって……ネックレスなら、毎日付けられるでしょ?」
ブレスレットや指輪だと、魔法薬学や薬草学の授業のときは邪魔にならないよう外さなければいけない。恥ずかしいからジョージには内緒ねとレイチェルが声を潜めると、ジニーが驚いたように大きな目を見開く。そして、次の瞬間、ふわっとシャンプーのような甘い香りがした。ジニーがレイチェルに抱きついてきたからだ。
「レイチェルが私のお姉さんになってくれたらいいのにな」
ジニーの言葉に、レイチェルは戸惑った。それは……何と言うか、ものすごく気が早い。でも、ジョージと付き合うと言うことは、ゆくゆくはそう言う可能性もゼロではないのだろうか? とは言え、まだ付き合い始めたばかりだし、少なくともあと何年も先の話だ。
「……私も、ジニーみたいな妹が居たらいいのにって思うわ」
でも、ジニーがそう言ってくれること自体はとても光栄なことだと思う。明るくて、おしゃまで可愛いジニー。レイチェルはジニーのことが大好きだし、妹のようにも思っている。ジニーはジョージの妹だけれど、レイチェルにとっても大切な友人だ。
「あ、いけない! そろそろ行かなきゃ。じゃあね、レイチェル!」
そう言えば、ジニーは友人達と回っている途中だったのだ。急いで店から出て行くジニーを見送って、レイチェルの方も慌ててジョージの元へと戻った。女の子だらけの店内で1人にされてジョージが居心地の悪い思いをしていないかと心配だったけれど、ジョージはあまり気にしていない様子だった。もしかしたら、ジニーとの買い物で慣れているのかもしれない。
「ジニーと何話してたんだ?」
「えっと……大したことじゃないの。その、女の子同士の話」
直接的ではないとは言え、『結婚すればいいのに』なんてジョージの家族に言われたことは、本人にはちょっと打ち明けにくい。
『フレッドとジョージのどっちかと結婚すれば、本当の意味でも妹になるけど』
そう言えば、昔、チャーリーにも似たようなことを言われた記憶がある。あれは、チャーリーにとっても思いつきと言うか、ただの冗談だっただろうけれど。いつか、チャーリーやジニーが本当の兄妹になる日が来たとしたら。まだわからないけれど、そうなったとしたらきっとすごく素敵だ。
「あのね。これとこれ……あと、これがいいかなって……」
店の中を一通り見て回って、レイチェルはいくつかの候補を選んだ。
小さな雫型と、正方形。どちらもシンプルだけれど、複雑なカットが光を取りこんで輝くのが華やかだ。金色の丸い縁の中に、シャボン玉のように光る滑らかなガラスがはめ込まれているものも、少し変わっていていいかもしれない。小さな馬蹄の中心に一粒のガラスがキラキラと光るデザインも可愛い。
「……ジョージはどれがいいと思う?」
「うーん……この中なら、これかな」
ジョージが選んでくれたのは、シンプルな雫型のものだった。せっかくなので、ジョージの意見は参考にしたい。デザインはこれに決めるとして、色はどうしよう?クリアカラーならどんな服にも合いそうだけれど、淡いピンクや薄紫も綺麗だ。どれも素敵だけれど、だからこそ迷ってしまう。
「ねぇ、ジョージ……この色とこの色なら……」
再び意見を聞いて見ようと振り返ると、そこにジョージは居なかった。
どうやらレイチェルが悩んでいる間に、どこかに行ってしまったらしい。誰か知り合いでも見つけたのだろうか? もしかしたら、レイチェルがなかなか決められないせいでうんざりしたのかもしれない。だとしたらどうしよう……。レイチェルが不安になりかけていると、ジョージが戻って来た。
「あー……その、君の趣味じゃないかもだけど……これなんかはどうだい?」
ジョージの言葉に、レイチェルは目を見開いた。どうやらレイチェルの買い物に退屈したわけではなかったらしいことにホッとして、レイチェルはジョージの顔からその手元へと視線を落とした。
ジョージの手の中にあるのは、レイチェルには見覚えのないネックレスだった。淡い金色の華奢なチェーンの先には、レイチェルの指先くらいの大きさの、小さな花をデザインしたモチーフが揺れている。花びらにあたる部分には淡い澄んだ青いガラスが4つはめ込まれ、チェーンと同じ淡い金色で縁取られていた。
「……これにするわ」
「別に、俺に気を遣わなくていいんだぜ。君が気に入ったものでないと……」
「だって、せっかくジョージが選んでくれたし……私もこれ、すごく素敵だと思うもの」
照れくさそうにそう言うジョージに、レイチェルは微笑んだ。
ネックレス自体が気に入ったと言うのもあるけれど、何よりも、ジョージがレイチェルのために選んでくれたことが嬉しかったから。ダンスパーティーのドレスを選んだときと同じ。もうこれしか考えられないと思ったのだ。
「ジョージは、どこか行きたいお店ってある?」
「んー……ゾンコは午前中行ったしな。君に付き合うよ」
「じゃあ、文房具を見に行ってもいい? インクが無くなりそうなの」
アクセサリーショップを出た後もまだ時間はあったので、メインストリートを歩き、のんびりとあちこちの店を見て回った。この間来たときと違って、どこもかしもホグワーツの生徒達でいっぱいだ。ホグワーツ生だけでなく、ボーバトンやダームストラングの生徒達も来ているので、いつもより更に賑やかだ。
「あ、フレッドだ!……んー、ジョージ? どっち?」
「待って、当てるから……フレッドでしょ!」
「よ、ジョージ」
「今日は相棒とは一緒じゃないんだな」
「痴話喧嘩でもしたのかい?」
でも、予想は違っていたこともあった。声をかけて来た人のほとんどは、レイチェルとジョージを見てもからかってきたりしなかったことだ。全くなかったとは言い切れないけれど、想像していたようにひどくはなかった。こうして手を繋いで歩いていても、すれ違うグリフィンドール生達の反応はあっさりしたものだ。
……どうして、ジョージと2人で居たら冷やかされると思いこんでしまったんだっけ?
そうだ。以前、セドリックと2人でホグズミードを回ったときは、デートだと誤解されて大変なことになって……だから、ジョージと2人で歩いていたら、からかわれるだろうと思ってしまった。考えてみれば、レイチェル達ももう6年生なのだ。カップルなんて珍しくもないのだから、デートくらいでそんなに大騒ぎするようなこともないのだろう。
「ね、見て見て!」
「やっぱりあの人、めちゃくちゃ綺麗だよね」
「本当、すっごい美人!モデルみたい」
……まあ、中には歩いているだけで視線を集めてしまうカップルも居るみたいだけれど。
頬を紅潮させてはしゃいでいる女の子達の視線の先では、フラーとロジャーが歩いていた。どうやら、2人もデート中なのだろう。2人とも背が高いので、遠目にも目立つ。
ドレスも素敵だったけれど、シンプルな服装でもそれはそれでフラーのスタイルが引き立つ。それに、フラーと並んでいるロジャーはお洒落だし、ハンサムだ。客観的に見てハンサムなのだとわかっているのだけれど……ロジャーに関しては1年生の頃から────つまり、ロジャーがローブのポケットを蛙の卵でいっぱいにしていた頃から知っているせいで、澄ました顔でフラーをエスコートしているのを見ると、何だか不思議な気分になる。……まあ、1年生の頃ローブを蛙の卵でパンパンにしていたのは、ロジャーだけではないのだけれど。
「どうかしたのかい?」
「ううん。あのね……貴方のコートのポケットに蛙の卵が入ってなくてよかったな、と思って」
「……さすがにデートの前は確認するさ」
「そうよね」憮然とした表情で返すジョージに、レイチェルは思わずクスクス笑った。
さすがに蛙の脳みそをぶつけてきたりはしなかったけれど、ジョージも1年生の頃はポケットにあれこれ詰め込んでいるタイプの男の子だった。あの頃のレイチェルに、自分は数年後ジョージと恋人になるのだと教えたとしても、きっと信じないだろう。でも、1年生の頃のジョージと、今のジョージは全然違う。悪戯好きなのは相変わらずだけれど、それでもあの頃と比べればジョージはかなり落ち着いたし、無茶もしなくなった。ずっと背が伸びたし、ずっと紳士的で────素敵な男の子だとも思う。
ジョージって、いつからレイチェルのことを好きでいてくれたんだろう?
もう何度目になるかわからない疑問が、また頭に浮かぶ。少なくとも、出会ったときからではないはずだ。2年生の頃までは、ジョージとレイチェルはほとんど話もしなかったのだから。ようやく友人と呼べる関係になったのだって、3年生になってからだ。それからは少しずつ話すようになったけれど、それでも、特別親しいわけじゃなかった。思わせぶりなことをされることはあっても、からかわれているだけだと思っていた。実際のところ、どうだったのだろう? からかわれているだけだと言うのは、レイチェルの思い違いだったのだろうか? それとも、ジョージにとっても、何かきっかけがあって変わったのだろうか? だとしたら、それは何だったのだろう。 どうして、ホグワーツに何百人も居る女の子の中から、レイチェルを誘ってくれたのだろう?
……いつか、ジョージの口から聞ける日が来るだろうか?
「今日は付き合ってくれてありがとう、ジョージ。すごく楽しかった」
「どういたしまして」
あっという間に、城に戻る時間がやって来た。
ホグワーツ生で混んでいるせいで前回来たときほどたくさんのお店を見て回ることはできなかったけれど、それでもレイチェルは満足だった。ネックレスも素敵なものが買えたし、何より“規則違反をしている”と言う罪悪感がないので、安心してホグズミード休暇を満喫できたからだ。
「……次のホグズミード休暇は、1日空けておくようにするから」
別れ際、ジョージが言ってくれた言葉に、レイチェルは胸が温かくなるのを感じた。
ジョージにだって予定があるのはわかっているから、元々それに関しては気にしていなかった。直前に無理に誘ってしまったのはレイチェルの方だし、午後だけでも時間を作ってくれただけで十分すぎるほどだ。せっかくなので一緒に過ごせたら楽しいけれど、別に恋人同士は必ずホグズミード休暇を2人で回らなければいけないと言う規則があるわけではないのだし。もし、次も何か他に予定ができて一緒に行けなかったとしても、きっとまたレイチェルも他の誰かと一緒に回って楽しめると思う。でも、そう言ってくれるジョージの気持ちが、次もレイチェルと過ごそうと考えてくれていることがとても嬉しかった。
「また明日ね、ジョージ」
「ああ、また明日」
ジョージの背中が廊下の角へと消えていくのを見送って、レイチェルも寮へと続く階段を上る。
「また明日」────意識しなくても自分の口からその言葉が出て来たことに気がついて、レイチェルはくすぐったいような気持ちになった。最近ではすっかり当たり前になったこのやり取りも、ほんの1ヶ月前までなら考えられなかったことだ。それに、この言葉を伝えるとき、ほんの少しだけ寂しい気持ちになってしまうことも。……まだもう少しだけ、一緒に居たいと思ってしまうから。
「次のホグズミードっていつだっけ?」
「ゾンコもっとじっくり見たかったよなー。レジ並び過ぎて何も買えなかったし」
「まさか、三本の箒であんな待つなんて思わなかったもんな」
「次はもっと早く行こうぜ」
「俺、今度は冷たい方のバタービールにしよっと」
談話室の中は、先に戻って来た生徒達でいっぱいで、楽しげなおしゃべりで溢れていた。暖炉の前で3年生の男の子達がそんな気の早い相談をしているのが聞こえて、レイチェルはクスクス笑ってしまった。たった今帰って来たばかりなのに、もう彼らの頭の中は次の休暇のことでいっぱいらしい。
次のホグズミード休暇は、2ヶ月後。まだまだ先のことに思えて、何だか待ち遠しい。でも、うっかりジョージの前では口に出さないようにしなければいけない、とレイチェルは思った。だって、ジョージなら「じゃあ、またこっそり抜け出すか?」なんて言いそうだから。ホグズミードは大好きだけれど、レイチェルはやっぱり規則違反することなく安心して楽しむ方が性に合っている。
ホグズミードには2ヶ月先まで行けないけれど、ジョージとは明日も会える。
それに、ホグズミード休暇よりも前に、バレンタインデーがある。恋人が居るバレンタインと言うのは、レイチェルにとっては初めてだ。レイチェルからは、ジョージに何を贈ろう? いつもレイチェルの方がジョージに驚かされてばかりだから、レイチェルも何かジョージを喜ばせるような贈り物がしたい。
「あ、お帰りレイチェル。ネックレス、いいの買えた?」
「ええ、勿論! パメラは、あの後どうだった?」
「楽しかったわよ!ね、どんなの買ったの? 見せて見せて!」
それに、今は遠く感じていても、きっと2ヶ月なんて気付けば経ってしまうだろう。いつだって、楽しい時間ほど、瞬く間に過ぎ去ってしまうから。