「3!」
屋根の向こうの空をそのまま映し出す天井には、澄み渡った夜空が広がっている。ベルベットのような濃紺の空に星が瞬くその様子はまるで宝石を散りばめたように美しかったけれど、今、大広間に居る誰もが天井を見上げている理由は他にあった。
「2!」
金色のリボンのようにも見える太い光の帯が、ほとんど天井を覆い尽くしてしまいそうなほど大きく文字を形作っている。生徒達の張り上げる声に合わせるように、その文字はするりとほどけてまた形を変えた。数字の3から、数字の2へ。
「1!」
そして、また声に合わせて数字の1へ。ゼロのタイミングになった瞬間、文字は無数の小さな花びらへと変わり、生徒達の頭上へと降り注いだ。大広間は拍手や大きな歓声で包まれ、各々が振る杖先から色とりどりの花火が上がる。
「新しい年ね!素敵な1年になりますように!」
「おめでとう! 最高の1年を祝して、乾杯!」
クリスマスカードじゃなく、直接この言葉を聞くのって不思議な感じだ。
天井ばかりに気を取られていたが、どうやらいつの間にかテーブルの方も屋敷しもべ妖精が張り切って準備をしたらしい。パーティーらしい華やかな色合いのクロスの上に、お菓子やちょっとした軽食が並んでいる。
「ホグワーツに残るとこんな感じなのね。カウントダウンイベントがあるなんて思わなかった」
「今年は特別だそうよ。7年生の一部の生徒が企画したって、フリットウィック教授が仰っていたわ」
「なるほどね。じゃあ、来年はうちの学年が企画する番ね!」
そう言うの大好き、とパメラが笑う。なるほど、とレイチェルも納得した。例年はクリスマス休暇に城に残る生徒はそれほど多くないけれど、今年は上級生はほとんどが帰宅しなかった。せっかくたくさん人が居るのだから、とイベントを企画してくれた上級生が居たようだ。
来年……レイチェル達の学年だと、そう言った企画はやっぱりフレッドとジョージの2人の得意分野だろう。2人が中心になって企画したとしたら、今回以上に派手なイベントになりそうだ。
「魔法使いの世界はニューイヤーイベントってないの?」
「んー……小さい頃におじさんが連れてってくれたような……でも、酔っ払ってケンカする人なんかも居るし、騒がしいからおばさんは苦手みたいで……」
「あー、そのへんはこっちと一緒ね。去年マークとLNYDPを見に行ったけど、とにかくすっごい混むのよね。しかも寒いし。肝心のパレードはよく見えないし、結局テレビで見た方がよかったわ」
「L……ねえパメラ、それって何の略?」
予想外に開催された真夜中のパーティーは、とても賑やかで楽しかった。たくさんあったテーブルの上のお菓子がほとんど全てなくなって、教授達が生徒達の夜更かしを心配してそろそろ寮に戻るよう言い渡すまで、なかなかお開きにならなかったほどに。談話室に戻ってからもおしゃべりは続き、ようやく部屋に戻った頃にはもう2時を回っていた。
ベッドに戻って柔らかなブランケットに包まったとき、レイチェルはとても幸福な気分だった。
新しい1年の始まりと言うのは、どこかキラキラしていて、ワクワクするような、ほんの少し背筋が伸びるような気分になる。それに────ふと立ち止まっていつもなら考えないことに思いを巡らせてしまったりする。1人でベッドのカーテンの模様を眺めていると、特に。
新しい年が始まると、どうしても少し先の未来について意識してしまう。たとえば、1年後の今頃、自分はどんな風に過ごしているか、とか。去年は確か、「来年の今頃にはもうOWLも終わっているんだわ!」なんてセドリックと話したのだけれど……レイチェル達はもう6年生だ。むしろ、来年の今頃にはNEWTを控えている。それを考えると、あまり明るい気分にはなれそうにない。それに……もう1つ、重大なことにも気が付いてしまった。今年と同じようにホグワーツに残るか、パメラやハーマイオニーにお願いしてさっき話を聞いたマグルのイベントに連れて行ってもらうかはともかく────ホグワーツ生として過ごせるクリスマス休暇は、あと1回きりしかないことに。
「……ねぇ、パメラ。パメラ。起きてる?」
「起きてるわよ。どうしたの?」
「レイチェル、眠れないの?」
小声でパメラのベッドに話しかけたつもりが、反対側からも声が返って来た。どうやらエリザベスもまだ起きていたらしい。暗がりのせいで顔は見えなくても、2人の声が聞こえると安心した。……なんて、ちょっと子供っぽくて恥ずかしい気がするけれど。
「ううん……大したことじゃないの。その……2人とも今年も1年、仲良くしてね」
「こちらこそ」
「当たり前じゃない!」
さっきのパーティーのときにも言い合ったことだけれど、レイチェルは改めて2人にそう言いたくなった。
不思議なもので、次が最後のクリスマス休暇なのだと考えると、まだまだ先だと思っていた卒業が随分と近づいて来ているように感じられた。クリスマス休暇だけじゃない。気が付いていなかっただけで、組み分けの儀式だって、ハロウィンだって、もう次が何もかも最後なのだ。こんな風に、2人とベッドを並べて眠るのも、当たり前でなくなる日は少しずつ近づいている。パメラとエリザベスだけじゃない。セドリックも、卒業したらルーマニアに行ってしまう……。そう考えると、心臓がギュッと締め付けられるような気がした。
「1年の始まりが来ると、つい考えてしまうの。来年の私は、今よりも成長できているのかしらって……来年には、いよいよNEWTがあるんだわ……」
顔を覆っているのか、エリザベスの声はくぐもっていた。静かだからもう眠ってしまったのだとばかり思っていたけれど、エリザベスも自分と似たようなことを考えていたらしいと知って、レイチェルはちょっとホッとした。
「来年には、私達7年生になるのよね」
「そりゃそうでしょ。あっ、モンタギューやワリントンあたりは来年も6年生かもしれないけど。本当、そうなればいいのに!」
「パメラったら……」
見えなくてもパメラがどんな表情をしているか想像がついて、レイチェルは思わずクスクス笑ってしまった。確かに、NEWTは心配だし、ホグワーツを卒業する日が近づいていると考えると寂しいけれど、留年してもう1度6年生をやらなければいけないと言うのも困る。
「まあ、いいことだってあるわよ! 来年の今頃は全員成人じゃない? お酒も飲めるし、どこでも好きに魔法が使えるわけでしょ? 姿現しだってできるわけだし!」
「姿現しは、成人したら誰でも使えるわけではないの。試験に合格しなければ許可が下りないんですもの」
明るいパメラの口調に、エリザベスの溜息が重なった。そう言えば、6年生の後半になると成人した生徒は姿現しの試験を受けられるようになるんだっけ。毎年、1発合格したとか3回も落ちたとか6年生が話しているのを聞く。練習もあるらしいけれど、いつ頃から始まるのだろう?
「もうクリスマス休暇が終わるなんて信じらんないわよねー」
今年はバタバタしてたしと溜息を吐くパメラに、レイチェルは全くだと頷いた。その“バタバタ”の原因ははっきりしている。去年はOWLの対策で忙しかったけれど、今年は対抗試合のせいで同じくらい慌しい。選手ではないレイチェル達はとりたてて何かしなければいけないわけではないのだけれど、他校からのゲストの存在や、いつもと違う城の雰囲気のせいだろう。
「次の課題は2月でしょう? ……セドリックの準備は進んでいるの?」
「たぶん……」
心配そうなエリザベスの問いかけに、レイチェルは半信半疑で返事をした。
少なくとも、卵のヒントはもう解けたと言っていた。詳しくは聞いていないけれど、それを話してくれたときの表情も明るかったし、きっと準備は順調なのだろう……と、思う。でもやっぱり、心配だ。ここ数日はすれ違ってしまっていたけれど、次に会ったら聞いてみよう。
「本当、開催が今年でよかったわよね! 来年だったらきっと、勉強漬けで全然楽しめなかったもの。エリザベスなんか、『こんなことしてたら試験が……!』って泣いてたんじゃない?」
「パメラ! 貴方って本当に失礼だわ!」
「だって事実でしょ!」
思わず声を出して笑いそうになったのが2人に気づかれないよう、レイチェルはブランケットの中へと潜った。エリザベスには申し訳ないけれど、パメラの言ったことが想像できてしまう。それだけでなく、2人のあまりにもいつも通りのやり取りが嬉しかった。きっと7年生になっても、ホグワーツを卒業しても、2人はこんな風にケンカしているのだろうと思えたから。
「でもきっと、対抗試合が来年だったとしてもホグワーツの代表選手はセドリックね!」
パメラの言葉に、レイチェルはぱちりと瞬いた。
もしも、対抗試合が来年だったとしたら。7年生はNEWTに集中したいからと立候補しなかった生徒も多かったみたいだけれど……セドリックならどうしただろう? ドラゴンキーパーと言う狭き門を目指しているセドリックなら、やっぱりNEWTを優先しただろうか? いや、セドリックの性格なら「せっかくのチャンスだからどっちも挑戦してみたい」なんて言いそうだ。やっぱり代表選手に立候補しただろう。それに、対抗試合が来年だったら、クラムやフラーとも知り合うことはできなかった。そう考えると、やっぱりパメラの言う通り対抗試合の開催が今年でよかった。もしも来年だったら、セドリックはともかくレイチェルはNEWTでいっぱいいっぱいで課題の調べ物までは手が回らなかっただろうし……。
そう結論付けて、レイチェルは思わず口元を緩めた。
「……そうね。私も、そう思う」
そう。セドリックは優秀だ。炎のゴブレットが選んだ、最も代表選手にふさわしいたった1人。それに、今年ならレイチェルもセドリックを手伝うことができる。まだ2つも残っている課題は心配だけれど、セドリックならきっと大丈夫だ。
そう。レイチェルは6年生。今までホグワーツ生として長い時間を過ごしてきたし、次の秋には最高学年に進級する。クリスマス休暇だって、今回でもう6回目。それなのに────今、レイチェルは入学して以来初めての事態に直面していた。
課題が終わっていない。
一体どうしてと途方に暮れたい気分だったが、残念なことに理由はわかりきっていた。単純に、家で休暇を過ごしていた去年までよりも、机に向かっている時間が少ないからだ。
イースター休暇だって学校に残っていると言う条件は同じなのだけれど、レイチェルの認識ではイースター休暇って授業が休みになっているだけであまり休暇らしくない。あと、試験が近いので割と他の生徒も勉強している。クリスマス休暇はイースター休暇ほどは課題が多くない分、ちょっと気が緩んだと言うか……パーティーのあれこれに気を取られていたし、ホグワーツで過ごすのが初めてだと言うこともあって、ペースが掴めない。結果、課題の進捗が遅れていた。いや、レイチェルの名誉のために言っておくと、間に合わないと言うほどではないのだ。これまでは1月になってもまだ課題が終わっていないなんてことがなかったから、ちょっと焦っているだけで。いつもなら、もう新学期の予習に入っているはずなのに。
認めたくないけれど、間違いなくこれは学校に残ったことが原因だ。正確に言えば、学校に残ったせいでセドリックと一緒に課題を進められないことが原因だろう。勤勉なセドリックは、いつも無理なくしっかりと計画を立てて課題を進めていて、余裕ができた分はどんどん前倒していく。レイチェルもセドリックより進捗が遅れるのは何となく悔しいし焦るので、近いペースで進める。自然と、課題は早く終わっていた。
「……セドは、もう課題は終わった?」
「え? うん。予定よりは遅れちゃったけど、どうにかね」
「そう……」
「レイチェルは?」
「……まあ、それなりにね」
図書室で会ったセドリックに尋ねてみたところ、やっぱりセドリックの方は順調に課題を進めている。
真っ直ぐなその視線から、レイチェルはそっと目を逸らした。「セドリックと一緒じゃないから課題が進まない」なんて子供じみたことは知られたくない。わかってはいたけれど、レイチェルはセドリックほどの勤勉さも自制心もない、と改めて問題を認識できただけでも進歩だ。ちょっと落ち込むけれど。一応、レイチェルの課題の方も終わりは見えているのだし。“課題”と言えば────。
「ねえ、セド……あの金の卵のヒントって何だったか聞いてもいい?」
周囲に聞かれないよう、レイチェルは声を潜めた。
クリスマスパーティーのときにレイチェルがセドリックから教えてもらったのは、あの卵のヒントが解けたこと。そして、耳を劈くような咽び泣く声はマーミッシュ語で、水の中でなら歌うこと。
「たぶん……第2の課題の会場になるのは湖だと思う」
「湖?」
「第1の課題は、ドラゴンから卵を奪うことだったけど……今度はたぶん、水中人なんだ。次の課題は、彼らが隠した何か見つけて、持ち帰ることなんだと思う」
水中人。そう聞いて、レイチェルはちょっとだけ肩の力を抜いた。ドラゴンよりはずっと小さいし、何より凶暴ではない。とは言え、水中人はとても賢いし、彼らが隠したものを見つけるとなると難題だ。今度は知性を試される課題なのかもしれない。湖はとてつもなく広いし、水中人の住処は水の底だったはずだから、姿を探すだけでも大変だろう。
「つまり、湖の底に潜って、探し物をしなきゃいけないってことね? それなら……」
レイチェルは早速思いついたことを言おうとしたのだけれど、セドリックによってそれは遮られた。レイチェルもハッとして口をつぐんだ。もしかしたら、マダム・ピンスか、そうでなければ誰か通りかかったのかもしれない。課題の話となると、聞かれるとまずいだろう。そう思って周囲を見回して確認してみたけれど、誰も居ない。レイチェルが再び言葉を続けようとすると、セドリックは困ったように苦笑した。「ごめん。今回は、僕1人で対策を考えるつもりなんだ」
その言葉に、レイチェルは驚いた。いや、確かに、本来なら選手は1人で対策を考えなければいけないとはわかっているけれど……でも、役立ちそうな呪文を一緒に調べるとか、ちょっとしたアイデアを出すくらいならルールの範囲内だろう。ハーマイオニーだってきっと、ハリー・ポッターに対してそうしている。いや、確かに、レイチェルはハーマイオニーほどの知識量はないし、レイチェルに思いつくことはセドリックだって既に考えたことばかりだろうけれど……。休暇中の課題だってまだ終わっていないような有様だし……。
「レイチェルが手伝ってくれようとしてるのは嬉しいよ。でも、今回は自分の力だけで挑戦してみたいんだ。第1の課題は何て言うか、僕……本当なら当日まで知らないはずだったのに、事前に課題の内容を聞いちゃったし。卵のヒントを解くのに、レイチェルには十分助けてもらったしね」
そんな考えが顔に出てしまっていたのか、セドリックがレイチェルの頭を撫でた。
レイチェルでは頼りにならないから協力を断っているわけではないようなのでちょっと安心したけれど、セドリックの言葉には引っかかる部分があった。
「わ、私、何もしてない……あのお茶のこと教えてくれたのはチョウだもの。手紙にも書いたでしょ……」
卵のヒント、と言うのはあのお茶のことなのだろうけれど、それに関しては何一つレイチェルの功績ではないのだ。お茶をくれたのはムーディ教授だし、飲み方を教えてくれたのはチョウだった。レイチェルはただ、ふくろうのようにもらったものそのままセドリックに渡しただけだ。
そうだ。チョウだ。チョウにだって、セドリックを手伝ってほしいと頼まれているのに。
「勿論、2人にもお礼は言ったけど。でも、僕に教えてくれたのはレイチェルだよ」
ありがとうと笑うセドリックに、レイチェルは何も言えなくなってしまった。
こうなったセドリックは頑固だから、きっと何を言っても言いくるめられてしまう。課題にの対策を直接手伝うことは諦めた方が良さそうだ。何か他の……レポートとか、授業のノートとか、そう言ったことで協力する方がいいかもしれない。セドリックが次の課題に集中できるように。
そのためには、まずレイチェル自身の抱えている“課題”を終わらせるべきだ。そう気が付いて、はぁと小さく溜息が出た。部屋に戻ったら、薬草学のレポートを終わらせよう。
結局、レイチェルがの課題が全て終わったのは、新学期が始まる前日のことだった。
机に向かっている時間が少ないせいで課題が遅れているのだから、対策は簡単だ。勉強する時間を増やせばいい。そう意気込んだものの、なかなか思った通りには行かなかった。勉強しようと思っても、それが上手く行かないのだ。部屋で課題をやっていても誰かが遊びに来てしまったり、ほんの少しの休憩のつもりで談話室に向かったら、同級生が深刻な話をしていて抜けにくい空気だったり。中でも1番困るのは、マダム・ピンスも休暇中なせいで、図書室も下級生が騒いでいて集中できる環境じゃないことだ。レイチェルがそう愚痴ると、エリザベスは同意してくれたが、パメラは意見が違らしい。
「えーっ、 絶対学校の方がいいわよ!だって、家に居るとママったら、『宿題は進んでるの?』って30分おきに言うんだもの!」
「パメラはもう少し勉強した方がいいと思うのだけれど……休暇中、貴方が占い学のレポートを書いているのを見た記憶がないわ。羊皮紙2巻きの指定なのよ」
「提出までまだ4日あるもの! あんなの適当にでっちあげとけばいいのよ、私が階段から落ちて骨折してお腹を壊すことにしておけば“良”はつくんだから!」
ついでに尻尾爆発スクリュートに襲われることにすれば完璧、とパメラはフンと鼻を鳴らした。占い学は相変わらず課題が多いらしい。その言葉を聞いたエリザベスはマクゴナガル教授そっくりな表情になったが、ベッドの上でファッション誌を広げるパメラには見えていないようだ。
「確かにまあ、勉強に集中するのが難しいって言うのはわかんないでもないけど。学校に残らなきゃダンスパーティーだって参加できなかったのよ! それに、2人は“デート”だってできないじゃない?」
楽しそうにニヤッと笑ってみせるパメラに、レイチェルとエリザベスは視線を泳がせた。
エリザベス、そしてレイチェルにとっては、学校に残っていることや、対抗試合の開催以外にも、今回のクリスマス休暇は今までと大きく違うことが他にもある。初めて“恋人”と言う存在ができたことだ。
ダンスパーティー以降、ジョージと毎日会っている。
“毎日会っている”と言えば、ハグリッドのところで世話をしているニフラーに関しても当てはまるのだけれど……ハグリッドの仕事を邪魔しないようニフラーと遊んでいるのはせいぜい15分程度なので、パメラとエリザベスを除けば、クリスマス休暇の間1番長く一緒に過ごしたのはジョージだろう。クリスマスの翌日にレイチェルが手紙で誘って以降、2人で会って過ごすのが何となく日課になった。
だって、意識的に会おうとしないと、寮が違うから本当に顔を合わせないのだ。手紙で予定を調整しようとすると返事が返って来るまでに時間がかかるし、誰かに頼んで談話室から呼んできてもらったり、今どこに居るのかと尋ねて探し回ったりするのは大変だった。別れ際に次の日の待ち合わせの時間と場所を約束しておいた方が労力も行き違いも少ない。
ジョージと過ごすのは楽しいのだけれど、夢中になってつい時間を忘れてしまうのが困る。課題が進まない1番の原因は学校に残ったことだけれど、2番目はジョージの存在だろう。男の子と遊んでいたら課題が進まなかった、なんてママに知られたら叱られるかも。
「本当に……こう言うのどうやって見つけるの?」
「まあ、色々と」
城の中も、校庭も。ホグワーツ生としてもう長い時間を過ごしてきたのに、ジョージと歩くホグワーツはまるで知らない場所のように感じられた。たくさんの隠し通路や、地下に隠された部屋。森の近くの珍しい花が咲いている場所。フリットウィック教授がこっそり蜂蜜酒を隠している秘密のキャビネットまで。今までレイチェルが気にすることがなかった石像や肖像画、それにちょっとした壁の彫刻までもが、ジョージにかかれば全て秘密の場所への入口だ。長年の謎だった厨房への入り方だけでなく、監督生専用の浴室の場所まで知っていた。
ついさっきも、ジョージが合言葉を唱えると、石像だったはずのガーゴイルはみるみるうちに本物に変わった。そうしてガーゴイルが元居た場所から1歩ずれると、何の変哲もなかった壁が割れ、その奥に螺旋階段が現れたのだ。動いている。いや、ホグワーツの階段が動くのはいつものことだけれど、そうではなくマグルのデパートで見たエスカレーターのような動き方だ。階段に運ばれるまま、上へ辿りつくと立派な樫の扉があった。
「ここは、何の部屋なの?」
「入ればわかるさ」
どうやら鍵はかかっていないらしい。慣れた様子で扉を開けるジョージに続いて、レイチェルも中へ入った。天井の高い、広々とした円形の部屋だ。誰も居ないのにあちこちから奇妙な物音がするのは、どうやらテーブルの上に置いてある魔法道具のせいらしかった。天井近くにかかったたくさんの肖像画は眠っている。壁に沿って作られた本棚には古めかしい本が並び、部屋の奥には大きな机が置かれていた。そして、その後ろの棚の上に置かれているボロボロの布のようなものは────。
「……組み分け帽子?」
「ああ」
「ってことは……ここ、校長室なの?」
「その反応を見ると、やっぱり君は来たことないよな」
「ええ……」
「ね、もう出ましょ……バレたら大変だもの」
「平気だって。バッタリ会ったところで、ダンブルドアが怒ると思うか?」
「そうかもしれないけど……」
確かにまあ、ダンブルドアなら双子が悪戯を仕掛けても面白がりそうだけれど。校長室に入るのは規則違反ではないはずだけれど、だからと言って用事もないのにダンブルドアの留守中に生徒が勝手に出入りするのは良くないだろう。呑気そうなジョージの背中を押して、早くこの場を立ち去るよう急かした。
「面白いだろ、あの部屋」
「もう……いいから、早く行かなきゃ……!お願い、ジョージ……」
呑気そうなジョージに、レイチェルはヒソヒソと囁いた。確かにすごく面白そうな部屋だったけれど、勝手に忍び込むとなると心臓に悪くてそれどころじゃない。
とは言え────あのホグズミードデート以来、一応“規則違反”になるようなことはしていないのだ。少なくとも、レイチェルと一緒に居るときは。ジョージなりに気を遣ってくれているのだろうし、さっきのだって、ジョージはレイチェルを楽しませようとしてくれたのだとわかる。……わかるから、困ってしまう。
「そう言えば、君に渡すように頼まれてたんだった」
ガーゴイル像のある廊下から遠ざかったところで、ジョージがそう言ってポケットから何か取り出した。差し出されたのは、封筒だった。しかも、かなり厚みがある。手紙だろうか? だとしたら、誰から?
不思議に思って封筒を開けてみたレイチェルは、思わず顔を綻ばせた。中には、ダンスパーティーのときの写真がぎっしりと詰まっていたからだ。
「コリンって、すごく写真が上手なのね!」
部屋に戻るまで待ち切れず、レイチェルは近くにあったベンチに座って、ジョージと一緒に写真を眺めた。どれもすごく綺麗に撮れている。レイチェルのカメラで撮った方はまだ現像できていないけれど、たぶんこんなに上手く撮れていないだろう。
「後でお礼を言わなくっちゃ。コリンってどんなお菓子が好きか知ってる?」
「あー……何だろうな。この間、カナリヤ・クリームは美味そうに食べてたけど」
「……下級生に何してるのよ、もう……」
ジョージの参考にならない返事に、レイチェルは呆れて溜息を吐いた。
写真の中に収められたダンスパーティーの様子は、やっぱりとても素敵だ。たった10日ほど前のことなのに、何だかもう懐かしい。皆すごく楽しそうだし、正装した姿が華やかだ。レイチェルも、やっぱりあのドレスは結構似合っていた気がする。モデルのようなポーズを次々に決めるアンジェリーナとアリシアに、こっちに向けて手を振るパメラとエリザベス。それに、ジョージとのツーショットもあった。ジョージに肩を抱かれて照れているレイチェルの笑顔はちょっとぎこちないものの、やっぱりこのときのジョージはすごく素敵だ。驚いたことに、セドリックと踊っていたときの写真も入っていた。どうやらコリンが気を利かせて撮ってくれていたらしい。
そう言えば、とレイチェルはふと疑問に思った。ジニーはハリーと一緒に写真は撮れたのだろうか……?
「ねえ、ジョージ。ジニーって……」
隣に座るジョージを振り向こうとしたら、肩に軽い衝撃と重みを感じた。レイチェルの肩にジョージの頭が乗っかっている。距離が近い。いや、元々2人で写真を覗きこんでいたから近かったのだけれど。写真を持っていたレイチェルの手に、ジョージの手が触れた。
「……爪、すごいキラキラしてるよな」
「あ、えっと……パメラがやってくれたの」
ストーンや花模様で華やかに装飾されたネイルアートはパメラの自信作だ。薬草学や魔法薬学の授業だと邪魔になるから、新学期が始まったら落とさなければいけないけれど。「ふぅん」と相槌を打つジョージの指が、レイチェルの指に絡む。
……これ、あれだ。キスする流れだ。
毎日会っているうちに、何となくわかるようになってきた。こう……タイミングと言うか、雰囲気と言うか。これはたぶん、来る。レイチェルは手の中の写真の束をそっと伏せて自分の脇へと置いた。いくら写真の中に居るのが本物の友人達ではないとは言え、キスを見られるのはやっぱり恥ずかしいから。肩の重みが軽くなって、ジョージがレイチェルの横顔を見つめているのがわかる。ジョージの方を向くと、伏せた睫毛から覗く瞳と視線がかち合った。その奥に映るレイチェルの影が、少しずつ近づいてくる。
……ああ、ほらね、やっぱり。
「……何か、甘い香りする」
小さくそう囁かれて、レイチェルは戸惑った。甘い香り……何だろう? さっきパメラ達とクッキーを食べたけど、ジョージに会う前に歯を磨いたから違うだろう。ハンドクリーム? そう言えば今日は、クロディーヌがくれた香水をつけてみたのだった。初めて使うから控えめにしたつもりだったのだけれど、付け過ぎていただろうか?
「女の子って、なんかいつも甘い香りするよな」
レイチェルはその言葉に、どう返事をしていいものか戸惑った。甘い香りがするのは、レイチェルがつけているシャンプーや香水であって、レイチェル自身ではない。それに、その“女の子”ってアンジェリーナやアリシアやジニーだろうか。それとも────以前、ジョージとキスをした他の誰か? そんな疑問が頭に浮かんだけれど、ジョージの手がレイチェルの髪に触れたことでハッと意識を引き戻された。「その髪飾り、よくしてるよな。似合ってる」
「ありがとう。これね……」
────このバレッタ、前にセドがクリスマスプレゼントにくれたの。
そう続けようとして、レイチェルははたと気がついた。もしかして、他の男の子にもらったものを頻繁に身につけているのって「恋人の居る女の子の振舞い」としては良くないだろうか……? 思わず言い淀んだレイチェルに、ジョージが呆れたような表情になった。
「……セドリックがくれたやつか」
「どうしてわかったの!?」
「君はすぐ顔に出るからな」
言い当てられて驚いたのと同時に、ちょっと恥ずかしくなった。そんなにわかりやすいだろうか……? それとも、ジョージの洞察力が鋭すぎるだけ?
「……セドリックが選んだやつ?」
「え? ううん。えっと、確か……私が『これが欲しい』って言ったのを、セドに買ってもらったの」
「そう」小さく呟くジョージの表情は読めなかった。お気に入りだったのだけれど、やっぱりジョージからするとは良くないのだろうか。レイチェルだって、ジョージが他の女の子からもらったものをしょっちゅう身につけていたら複雑な気分になるかもしれない。少なくとも、ジョージと会うことがわかっている日は使わない方がいいのかも。
「やっぱり、髪、綺麗だよな」
「……ありがとう」
「……前にも褒めてくれたわよね。髪型変えてるのとかもよく見てるし……長い髪が好きなの?」
レイチェルとしてはパメラやフラーのような綺麗なブロンドや、エリザベスの巻き毛が羨ましいし、誰もが振り向くような美しい髪と言うわけではないのだけれど……たまたま、レイチェルの髪質がジョージの好みに合っているのだろうか? そう思って首を傾げると、ジョージはばつが悪そうに視線を逸らした。「……好きな子が側に居たら、触りたいって思うだろ」
そう呟くジョージの頬はちょっと赤かった。予想外のその言葉に、レイチェルも赤くなった。心臓が誰かにギュッと握りしめられたかのように縮こまって苦しくて、喉が詰まって、それなのに頬はとても熱い。
「……私、ジョージの“好きな子”なの?」
「今更だろ……逆に何だと思ってたんだよ」
「だって……直接言葉にしてもらうのって初めてだもの」
アンジェリーナ達の前で「恋人」と言ってくれたし、キスだってもう何度したのか数えられなくなってしまった。ジョージの行動からも、レイチェルのことを好きでいてくれているのだとわかっていたけれど、やっぱりはっきりと言葉にしてもらえると嬉しい。
「……何?」
「もう1回言って欲しいなって思って……ダメ?」
「……また今度な」
ジョージのセーターの袖を引っ張ってそうお願いしてみたものの、返事は素っ気なかった。照れているのか、視線が合わない。まるで小さな子供をなだめるようにジョージの手がレイチェルの頭を撫でたけれど、あいにくレイチェルはそれで素直に納得できるほど幼くない。
「……それって明日?」
きっと、今を逃したら“今度”はしばらく来ないだろうことはレイチェルにもわかる。男の子ってはっきり言ってくれない、って同級生達はいつも不満を言っているし。たぶん、ものすごく貴重な機会なのだ。逃してはいけない。さっきは突然だったから、今度はしっかり心の準備をしてから聞きたい。噛みしめたい。あと、ジョージが困っているのがレアなのでちょっと楽しい。
レイチェルが期待を込めてジョージを見上げると、ジョージは目を閉じて深く息を吐いた。どうやら、言ってくれるらしい。やった。レイチェルがワクワクしていると、ジョージの瞼が開いた。
「……好きだよ」
低く掠れた声が、レイチェルの鼓膜を揺らす。いつものレイチェルをからかう調子とは違う、落ち着いた響き。ジョージの柔らかな茶色の瞳が、真っ直ぐにレイチェルを見つめている。ほんの少し困ったような表情で言われたその言葉に、レイチェルの心臓が大きく跳ねた。
「……自分が言えって言ったんだから、照れるなよ。こっちまで恥ずかしくなるだろ」
「ご……ごめんなさい」
心の準備はしたつもりだったのだけれど、何と言うか、想像していたよりも破壊力があった。自分の表情がふにゃふにゃと緩んでいるのがわかったので、思わず口元を押さえて俯いた。
「あのね……」今なら言えるかもしれない、とレイチェルは思った。ジョージだってきっと恥ずかしかったのに、勇気を出して言葉にしてくれた。だから、レイチェルも。
「……私も、ジョージが好き」
「知ってる」
言葉にするのは、やっぱり照れくさくて。言い終えたレイチェルが瞼を伏せると、熱くなった頬にジョージの手が触れる。そうしてまた、今度はさっきよりも深く口づけられた。無意識のうちに手が当たってしまったらしく、置いてあった写真の束が崩れて何枚かが床へと落ちる。どうか写真の中の彼らが床の方を向いていますように、とレイチェルはこっそり願った。
写真の中に閉じ込められたクリスマスの夜は、やっぱり夢のように綺麗で、華やかで。ほんのひとときの出来事だったけれど、きっと何年経っても、何十年経っても色褪せない。今日、ジョージがレイチェルにくれた言葉も。
あとほんの少しで、休暇も終わってしまう。次のクリスマス休暇のことはまだわからないけれど────もしもまたダンスパーティーがあったら、そのときもジョージと行けたらいいなと思う。