パーティーは真夜中まで続いた。
三大魔法学校対抗試合伝統の、格式ある舞踏会だ。いつもと違って豪華に飾り付けられた大広間や、正装しているのも相まって、パーティーが始まる前は誰もが────パーティーに慣れている純血家系の子は別として────ソワソワしていて、緊張している様子だったけれど、今ではすっかり和やかでくつろいだ空気へと変わっていた。
「オグワーツのクリスマスも美しいですがー、ボーバトンのクリスマスはもっと美しいでーす」
「マダム・マクシームは花が好きですからー、城の中に、氷でできた花、たくさん飾ります。とてもたくさん」
仲の良い友人同士。同じ寮の生徒同士。ホグワーツ生同士。そんな風に固まっていたのが、今では会場のあちこちで3校の生徒達が混ざり合っていた。レイチェルも、偶然近くに座っていたボーバトンとダームストラングの女の子達とおしゃべりをした。偶然きっかけがあったクラムやフラーはともかく、他校生達はちょっと近寄りがたい印象だったので何だか嬉しい。ジョージの方は、フレッドと一緒にダームストラングの男の子達と悪戯グッズについて盛り上がっているようだった。
「いいなあ。見てみたい」
「ジニーは、代表選手に立候補すれば見られるんじゃない?」
「あ、そっか」
羨ましそうに言うジニーにレイチェルがそう言ってみると、ジニーは目をキラキラと輝かせた。次の対抗試合は4年後のはずだから、ちょうど7年生になるジニーは17歳になっているはずだ。もっとも、次の試合が行われるのがボーバトンだとは限らないだろうけれど。
「ダームストラングのクリスマスはいつも、妖精の光を集めたランプ、城に何百個も飾ります。とても綺麗ですよ」
そんなレイチェルの考えを見透かしたかのように、ダームストラングの黒髪の女の子がニッコリした。想像してみると、それも素敵だ。ホグワーツのクリスマスも勿論大好きだけれど、他の学校で過ごすクリスマスもきっと違った魅力があるだろう。そう考えると、それができるかもしれないジニーがちょっと羨ましい。1年間もの期間を外国の魔法学校で過ごす、と言うのは何だか想像がつかないけれど、きっと素晴らしい経験になるだろうから。
「その……ホグワーツの生活は慣れたかしら? 何か困っていることか……?」
とは言え、違う文化の中で生活すると言うのは、新鮮で楽しいことばかり、と言うわけにはいかないかもしれない。彼女達はほとんどは馬車や船の中で過ごしているし、授業はそれぞれの校長から受けているはずだから、ホグワーツ城の中で過ごす時間はそう多くはないだろうけれど……レイチェルがそんな疑問を口にすると、ボーバトンの巻き毛の女の子はキッと目尻を吊り上げた。
「あの、いどい階段でーす! 食事に行きたいとき、図書室に行きたいとき……いつも違う場所に行きまーす! オグワーツの生徒は、どうして迷わないですかー?」
「あー……えっと……みんな迷うわ。入学してすぐの頃は、特に」
他のボーバトン生やダームストラング生達も全くだと同調する。言われてみれば、あの動く階段はずっと城の中で生活しているホグワーツの生徒ですら慣れるまでにはかなり時間がかかるのだ。1日の大半を城の外で過ごしている彼女達が戸惑うのも無理はない。レイチェルが苦笑すると、ダームストラングの背の高い女の子が考え深げに呟いた。
「困ったこと、違いますが……昼がとても明るい。驚きますね」
「えっ……そうかしら? 最近は曇りの日が多かったと思うけど……」
「いいえ。天気、違います。ダームストラングでは、冬の間、昼間も太陽ありません」
「えっ?」
太陽がない……日食みたいなことだろうか? それとも、レイチェルの聞き間違いだろうか? ちらっとジニーの様子を窺ってみても、やっぱりよくわからなかったのか不思議そうな顔をしている。一体どう言うことなのだろうとレイチェルが首を傾げていると、彼女は更に言葉を続けた。
「それに、Nordstjernenの位置も違うので……授業のとき、まだ慣れません」
「ノール……ごめんなさい、何かしら?」
「アー……ンー……星……北……動かない……」
「あっ、わかった! 北極星?」
閃いた、と言いたげな口調でジニーが言った。
なるほど、とレイチェルも頷いた。ダームストラングはここよりもずっと北にあるはずだから、星の見え方がホグワーツとは違うのかもしれない。意図が伝わったことに安心したのか、ダームストラングの女の子がジニーに向かって微笑んだ。
「そうです。北極星。ダームストラングでは、もっと高いところにあります」
「わかりまーす! ボーバトンでは、もっと低い位置なのでー、いつもと違う、探せない……とても困りまーす」
確かに……いつもと星の見え方が変わっていると、星座図を書くときにかなり戸惑いそうだ。レイチェル自身、もうすっかりホグワーツから見える星座の位置に慣れてしまっているし。考えてみれば当然なのだけれど、言われるまで全然気が付かなかった。
レイチェルが当たり前だと思っていることが、彼女達にとっては全然当たり前じゃない。ほんの少しおしゃべりをしただけでもそのことを改めて実感して、何だか不思議な気分になる。もしも対抗試合がなかったとしたら、彼女達とはこの先も出会うことさえなかったかもしれない。
でも、今彼女達はレイチェルの目の前に居て、おしゃべりすることができる。それはきっと、出会わないまま、知らないままで居るよりも、ずっと素敵なことだとも思う。外国からのお客様達との会話は、レイチェルには新鮮なことばかりだった。
オーケストラによって最後の1曲が奏でられたのは、時計の針が12時を指し示そうとしている頃だった。
すっかりおしゃべりに夢中だった生徒達も、このときばかりはまたダンスをしようと立ち上がった。勿論、レイチェルも。最初のダンスと同じく、恭しくエスコートしてくれるパートナー────ジョージの手をとってフロアへと進む。あのときほどはもう緊張しなかったけれど、美しいワルツの音色のせいか、やっぱり改めてダンスを踊るのはほんの少しだけ照れくさい。
「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズは外国にも展開するの?」
「まあ、行く行くはそうしたいと思ってるけどな。少しなら向こうのメーカーの悪戯グッズを持ってきてるって言うから、今度見せてもらうって約束したんだ」
「……研究のため? 悪戯のことになると、本当熱心よね」
「まあな。『その情熱の100分の1でも勉強に充てればいいのに』ってよく言われる」
真面目くさった表情でそんなことを言うジョージに、レイチェルは思わずクスクス笑ってしまった。
ジョージにリードされるまま、くるりとターンする。ドレスのスカートが膝下の高さでふんわりと風を受けて広がるのが、何だか華やいだ気分になる。まるで、お姫様になったみたいだから。
「きゃっ……」
「大丈夫か?」
「大丈夫。ありがとう」
やっぱりまだハイヒールを履きこなせないせいか、それとも何曲も踊って体力を消耗したせいか────たぶん両方だ────着地した瞬間、カクンと膝が折れそうになってしまったレイチェルをジョージがフォローしてくれた。これだけ踊っても足が痛くならないのは、やっぱりエリザベスに貸してもらった靴のおかげなのだろうけれど。
「……ジョージは疲れてないの?」
「まあ、そんなには」
クィディッチ選手の体力ってすごい、とレイチェルは感心した。ジョージの方が、レイチェルよりもたくさん踊っていたはずなのに。しかも、昼間には元気いっぱい雪合戦をして遊んでいたはずなのに……。
オーケストラが最後の1小節を演奏し終えると、どこからともなく拍手が湧き起こった。これで、いよいよパーティーもお開きだ。レイチェルも、手が痛くなるほどに拍手した。
授業を受けたり、レポートを書いたりしていると、ほんの少しの時間が途方もなく長く感じるのに、どうして楽しい時間ってこんなにもあっけなく過ぎてしまうんだろう?
これ以上ないと思えるくらい満喫したし、ダンスだってもう踊れそうにないけれど……何だかひどくあっと言う間の出来事だったように感じた。あんなに待ち遠しかったのに、もう終わってしまうんだと思うと寂しい。
この場に居る誰もがそう感じているのか、名残惜しむようにざわざわとおしゃべりの声が広がった。レイチェルも、改めて隣に立つジョージを、キラキラと光るランプの灯りの1つ1つを、そして美しく飾られた大広間を見渡した。今目の前に広がる光景を、しっかりと焼き付けておきたかったから。
人垣はやがて、少しずつ動き出した。教授達に促されて、扉の近くに居た生徒達から順番に段々と生徒達が大広間の外へと出て行く。
「寮まで送るよ」
「ありがとう。あ、でも、私、まだ寮には戻れなくて……」
「それに、レイブンクロー塔からグリフィンドール塔って遠いし……1人で戻れるから大丈夫」
控室から急いで荷物だけを取ってきたら、寮の前まで送ってもらうこともできなくはないだろうけれど……ジョージはそんなに疲れていないとは言っていたけれど、レイチェルを送るとすると、ジョージが寮に戻るのが遅くなってしまうだろう。
「さっきマクゴナガルに聞いたんだけど、あそこに置いてあった荷物はそれぞれの部屋に運んでくれるんだって。そのまま寮に戻っちゃっていいみたい」
「だそうだ。ちゃんとパートナーを送り届けろよ、相棒」
ニヤニヤ笑うフレッドにジョージはちょっと嫌そうな顔をしたけれど、結局レイチェルをレイブンクロー塔まで送り届けてくれることになった。
「あの……ごめんね、わざわざ」
「いや、まあ……君、見るからにフラフラしてるから、倒れられると困るし」
確かにもう足がかなり限界に近いけれど、そこまでじゃない。そう思ったものの、レイチェルはそれを口に出すことはしなかった。口調は素っ気ないけれど、ジョージがレイチェルが歩きやすいように腕を貸してくれていることも、さっきからゆっくり歩いてくれていることもわかっていたから。
「じゃあ……ここで」
「ええ……送ってくれてありがとう」
他愛ないおしゃべりをしていたら、すぐにレイブンクロー塔の入り口へと辿り着いてしまった。やっぱり、寮の前まで送ってもらうカップルと言うのは少ないようだ。そもそも、違う寮同士で組んでいるカップル自体がそれほど多くないと言うのもあるだろうけれど。行き交う生徒達の視線を感じて、ちょっと恥ずかしい。
……もしかしたら、この間のデートのときのように、また“別れ際のキス”があるかもしれない。その可能性に思い至ってしまったせいで、レイチェルはちょっと落ち着かなくなってしまったけれど、意外にもジョージはあっさりとしていた。レイチェルはホッとしたような、ちょっと肩透かしを食らったような気分になった。……いや、人目もあるし、実際されたらすごく困るのだけれど。
「あの……」
レイチェルを送り届けると言うタスクは完了したわけだし、ジョージももうこの後は寮に戻るのだろう。もう真夜中なのだ。ジョージだってきっともう眠いだろうし、そもそもここまで送ってくれたこと自体が想定外なのだから、レイチェルも「じゃあね」と返して、1秒でも早くジョージを解放した方がいい。「今日はありがとう……本当に、本当に楽しかった」
「……そりゃよかった」
頭ではそうわかっているのに。どうしてかレイチェルの手は、ジョージのローブの袖の肘のあたりを握ってしまっていた。ほとんど無意識のうちに前へと踏み出した1歩の分だけ、ジョージとの距離が近くなる。ジョージが驚いたように瞬いたので、レイチェルは頬に熱が集まるのを感じた。らしくない行動だと思われたのかもしれない。
でも、ちゃんとお礼を言いたかった。だって、今日はジョージのおかげで、本当に、とても楽しかったから。……ジョージの方は、どうだったのだろう? レイチェルの目には、ジョージも楽しんでるように見えたけれど…… レイチェルをパートナーにして良かった、と思ってもらえただろうか?
「おやすみ」
そんな不安が首をもたげたものの────そう言って笑うジョージの顔を見たら、聞かなくても答えはわかる気がした。ランプの灯りに柔らかく照らされたその表情がやけに大人びて見えて、レイチェルの心臓がきゅうと締め付けられる。今日だけでもう何度も思ったことではあるけれど、やっぱり正装しているせいか今日のジョージはいつもとは雰囲気が違う……。
「……おやすみなさい、ジョージ」
見惚れてしまいそうになったのを悟られないよう、レイチェルも精一杯微笑んだ。
レイブンクロー寮生達がほとんど一斉に戻ってきたせいで、寮の入口へと続く螺旋階段はひどく混雑していた。疲れているせいか、はたまた真夜中で辺りが暗いせいか、いつもと変わらないはずの階段は、どこまでも果てしなく続いているように見えた。今こそマグルのデパートにあったあの動く階段があればいいのに、とレイチェルは思わず溜息が出そうになった。
「ねぇねぇ、何人と踊った!? あたし7人!」
「勝った!私8人!」
「えー、2人ともすごい……私なんてパートナー除いたら誘われたの1人だけだよ……」
「でもやっぱり、クラムとは踊りたかったぁー」
「ねー。でも、無理でしょあれは。ずーっとグレンジャーと一緒なんだもん」
はしゃぎながら前を歩く4年生らしき女の子達のドレスを────そしてもちろん自分のドレスもだ────踏まないよう気を付けながら、レイチェルもどうにか階段を上りきる。そうしてようやく談話室へと辿りついたと思ったら、そこもまあ予想以上に混雑していた。
「ねえねえ、パーティーってどんなだった!?」
「クラムのパートナーって誰だったの!?」
「妖女シスターズが来てたんでしょ!?本物ってどんな感じ!?」
「ごめん……着替えたいから、また後でな」
「えーっ! 」
「せっかく待ってたのに!」
どうやら、一部の下級生達はずっと起きて待っていたらしい。戻ってきた上級生を囲んで質問責めにしているその様子は元気いっぱいで微笑ましい。その脇を通り過ぎると、ソファの近くで5年生の女の子達が集まっていた。
「えっ、嘘!? スカート汚れてる!? さっき階段登ったとき!?」
「あー……本当だ。裾のところ黒くなっちゃってる。白いドレスだから目立つね」
「呪文試してみる? でも、失敗するとかえって落ちにくくなるよね……」
「染み抜きの魔法薬の方が確実かも。部屋にあったはずだから取って来るね。ちょっと待ってて」
そんな会話を耳にして、レイチェルもちょっと不安になった。レイチェルのドレスは大丈夫だろうか? さっき階段を登ったとき、ドレスの裾に注意してはいたけれど……踏まないようにするので精一杯で、後ろはあまり気にしていなかった。一応汚れないよう呪文はかけておいたけれど、後で確認した方がいいかもしれない。何にしても、早く部屋に戻って着替えてしまわないと。
「信じられない!パートナーの前で、他の女の子にデレデレしちゃって」
「彼女がよろけたのを支えてただけだよ……」
「あれ、わざと転んだフリしたのよ!あの勝ち誇った顔、本当ムカつく!」
寝室へと続く階段の前に人集りができていると思ったら、その中心では7年生のカップルがそんな風に言い合っていた。2人が階段の入り口のところに立っていて道が塞がっているせいで、他の生徒達が通れなくなってしまっているようだ。
「あのフラーって子のこともずーっとチラチラ見てたでしょ。気づかないと思った? そんなに胸が大きい子が好きなら、最初からそう言う子を誘えばいいじゃない」
「そんなぁ……誤解だよ……俺が好きなのは君だけだって……信じて……」
「もう知らない! あーあ、私もあの誘ってくれたダームストラングの男の子と付き合っちゃおうかなぁ」
深刻なケンカ……かと思ったけれど、どうやら違うらしい。少なくともたぶん、女の子の方は本気で怒っているわけじゃなさそうだ。結局、監督生であるペネロピーが仲裁に入るまで、2人は自分達が周囲の注目を集めていることに全く気づいていなかったらしく、周りの視線に気づいて頬を赤らめていた。
「ああ、もう……。談話室があんまりうるさいと、せっかく眠ってる下級生が起きちゃうわ……」
「お疲れさま、ペニー……」
確かに、こんなに夜遅くに談話室がこうも騒がしいと言うのはめったにないことだ。ぐるりと談話室を見回してみると、まだまだ寝室に戻らなさそうな生徒達がたくさん居る。ペネロピーもそのことに気づいているらしく、困ったような溜息が漏れた。監督生って、本当に大変だ。
でも、こんな風に落ち着きをなくしてしまうのも、無理はないのかもしれない。あんなに素敵なパーティーの後なのだ。パーティーは終わったとわかっていても、すぐにその余韻は抜けないだろう。
「あ、お帰りレイチェル」
「パメラ」
「レイチェルだけ? エリザベスは?」
「まだ談話室から抜けられないみたい」
寝室に戻ると、既にパメラは戻っていた。パジャマ姿で、すっかりお化粧も落としている。さっき談話室を出るときに揉めている下級生をとりなしているエリザベスを見かけたのだとレイチェルが言うと、パメラは気の毒そうな表情になった。が、すぐにレイチェルを見てニヤッと笑みを浮かべた。
「こんなに帰りが遅くなったってことは、ジョージがなかなか離してくれなかったとか?」
「違うわ。階段を塞いでる上級生が居て、通れなかっただけ」
「なーんだ」
パメラがガッカリしたような表情になったので、レイチェルはちょっと気まずくなった。どちらかと言えば、相手を「離さなかった」のはジョージよりもレイチェルの方だった……。でもそれを、パメラに言うのはやめておいた方がいいだろう。絶対またからかわれる。
「まあ、でも、パーティーでの2人の様子見てたら上手く行ってるのはよくわかったわ。レイチェル、楽しそうだったもの」
「……そう見えた?」
「違うの?」
「ううん……すごく楽しかった……本当に、すごく……」
パメラの目にも楽しそうに見えていたのならよかった、とレイチェルはちょっと安心した。ジョージにもそう見えていたらいいな、と思う。言葉では伝えたつもりだけれど、ずっとつまらなさそうな顔をしていたら社交辞令に聞こえてしまったかもしれないし。
「私もよ!あーあ、次は4年後だなんて!来年もやってくれればいいのに」
パメラがそう言って、勢いよくベッドに倒れ込んだ。アンジェリーナやアリシアの意見とは逆だ。2人は、対抗試合は今年限りじゃないと困る、なんて、言っていたから。いや、でも、パーティーだけなら2人も話は別だと言うだろうか?
レイチェルは……レイチェルはどうだろう?楽しかったけれど、同じくらい準備も大変だった。 うーん、と首を捻っていると、パメラが「あれ?」と声を上げた。
「 レイチェル、確かネックレスしてなかったっけ? 外したの?」
「え?」
言われて、レイチェルは自分の首元を手で探った。本当だ。そこにあるはずのチェーンの感触がない。どうやら、どこかで落としてしまったようだ。全然気がつかなかった。
「いつ落としたのかしら……」
踊っているときに落としてしまったのかもしれない。最後に鏡で見たのはいつだっけ。パウダールームに行って口紅を直したとき……? あのときはまだつけていたっけ? よく覚えていない。お化粧が崩れていないかばかり気にしていたせいで、首元にまで意識が行っていなかった。
「気に入ってたのに……」
「明日になったら探してみれば? 誰か拾って届けてくれてるかも」
「ええ。そうする……」
ホグズミードのアクセサリーショップで買ったからそんなに高いものじゃないけれど、シンプルだから使いやすくてお気に入りだったのに。シンプルだからこそ、落としても気づけなかったのだろう。見つかるといいけれど、小さな物だし難しいかもしれない。イヤリング……は、無事のようだ。レイチェルがホッと息を吐いていると、コンコンと硬い音が響いた。誰かが訪ねてきたようだ。扉を開けると、そこには泣きそうな顔をした同級生が立っていた。
「パメラ居る!?」
「居るけど。どうしたの?」
「手伝ってほしくて……髪、絡まって取れなくなっちゃった……」
「あらら。ちょっと待って!今行くから」
「ごめんね。ルームメイトがまだ誰も帰って来なくて……」
どうやら細いヘアゴムが髪に絡まってとれなくなってしまったらしい。既に自分でどうにかしようと努力した後らしく、綺麗に整えられていた髪はすっかりもつれてボサボサになってしまっている。泣きそうな友人の姿を見て、パメラは慌ただしく部屋を出て行った。バタンと勢いよくドアが閉まる────かと思ったら、またすぐにドアが開き、隙間からパメラの顔が覗いた。
「レイチェル!疲れてるだろうけど、ベッドには座っちゃダメ!絶対そのまま寝ちゃうから!先に着替えて、お化粧落とすこと!」
パメラの足音が遠ざかっていく。レイチェル1人きりになった部屋には、しんとした静寂が満ちる。レイチェルはわずかに開いたままになっているドアを閉めると、そのまま自分のベッドへと向かい、重力に引っ張られるままに倒れ込んだ。
わかっている。パメラの言う通り早く着替えた方がいい。うっかりこのまま寝てしまったら、せっかくのドレスが皺だらけになってしまうし、肌にも良くない。でも、ひんやりしたシーツの感触がが火照った肌に心地いいし、疲れているからほんの少しだけ休みたい。それに、あと少し。ほんの少しだけ、今夜の余韻に浸っていたかった。今ドレスを脱いでしまったら、このクリスマスと言う魔法まで一緒に解けてしまいそうな気がしたから。
何だか本当に……夢のように素敵な夜だった。
まるで宝石箱か、美しい物語の中に入り込んだみたいで、まだ気分が高揚している。あれは本当に現実だったのだろうか? 実は全部レイチェルの頭の中だけにある幻で、写真を現像してみたら何も映っていなかったらどうしよう。そんな馬鹿げた不安がよぎってしまうくらい、本当に……本当に楽しかった。
きっと楽しい1日になると信じていたし、そうしたいと願ってもいた。でも、そんな風に期待していた何倍も。肺の中から指先までが心地いい陶酔感で満たされていて、今にもレイチェルの体の中から溢れ出しそうだ。フレッドの冗談じゃないけれど、今朝飲んだ紅茶にフェリックス・フェリシスが入っていたのだと言われたら信じてしまう。きっと、何年経っても今日のことは忘れないだろう。
クリスマスの夜はいつも特別だけれど、これ以上なんてもう想像もつかない。それくらい、夢みたいにロマンチックで楽しいひとときだった。でも、夢なんかじゃない。現実だ。だって────写真はまだカメラの中にしかなくても、レイチェルのバッグの中にはあの幻想的な光景が閉じ込められているから。
「綺麗……」
柔らかな灯りに翳してみると、小さなガラス玉はさっき見たときは少し違った色合いに見えた。でも、あの美しい光景はそのままだ。目を凝らせば薔薇の花びらや、生垣の向こうに広がる星の瞬きまでもが鮮明に見えそうな気がして、レイチェルはじっとその中を覗き込んだ。
別れ際に、これについてももう1度お礼を言えばよかった。
レイチェルはガラス玉を手のひらの中へと握り込んだ。そこに映し出される光景が見えなくなってしまっても、目を閉じればを瞼の裏に咲き誇る薔薇を思い浮かべることができる。妖精の光で照らされた庭園は、本当に美しかった。庭園だけじゃない。華やかに飾り付けられた大広間も、代表選手達のダンスも、友人達の普段とは違うドレスアップした姿も。今日目にした何もかもが素晴らしくて、新鮮で、きらめいていた。
でも。こんなにも楽しい夜を過ごすことができたのは、きっと────その相手がジョージだったからだ。
ほんの1週間と少し前まで、レイチェルとジョージはただの友達だった。
ジョージのことが好きなのかどうか、レイチェルには自分でもよくわからなかった。男の子として、意識してしまっていることは自覚していたけれど。だって……ジョージが思わせぶりなことばかりするから。あんな風にからかわれても平然としていられるほど、レイチェルは男の子に慣れていない。
わからなかったのは、自分の気持ちだけじゃない。ジョージが、レイチェルのことをどう思っているのかもだった。ただからかっているのか、それともレイチェルのことを女の子として好きなのか。
知りたいけれど、知りたくなかった。答えを知ることを躊躇っていた。ジョージがレイチェルのことを何とも思っていないのに、レイチェルだけが勘違いしてジョージに恋をしてしまったら……きっと、今まで通りではいられなくなってしまうから。その逆に、ジョージがレイチェルを好きだとしても、やっぱりレイチェルは戸惑ってしまっただろう。ジョージとはずっと友達だったから、だから、もしそれが“恋”に変わってしまったらどうしたらいいのかわからなくて、不安だった。
実際、わからないことだらけだ。ジョージがレイチェルを誘ってくれて恋人になった後も、レイチェルはジョージに振り回されてばかりだ。だって、レイチェルにとっては男の子と付き合うのも、デートするのも、キスするのも、何もかも慣れないことばかりだったから。気持ちが追いつかないまま関係だけが先に変化して、レイチェルはすっかり戸惑ってしまった。
同じ2人きりでも、恋人して過ごすのと友達として過ごすのって全然違う。友達だったときは、デートに誘われることなんてなかったし、手を繋ぐこともなかった。勿論、キスなんてするはずもなかった。ジョージが好きなのかどうかさえはっきりしていないのにキスをするのは、もしかしたらあまりよくないことだったのかもしれない。でも、ジョージはキスがしたかったんだろうし……レイチェルも、それを頑なに拒絶するほど、嫌なわけじゃなかったから。
『ジョージとのキスは、好き』
自分が言ったことだけれど、思い出すと恥ずかしくて頬が熱くなる。
でも、嘘だったわけじゃない。まだ慣れないけれど、ジョージとのキスはドキドキするし……フワフワして、気持ちいい。それってやっぱり、レイチェルがジョージに恋をしていたからなのだろうか? 自覚がないだけでジョージのことが好きだから、キスしても嫌じゃなかっただけ?
「好きな男の子とじゃなきゃ、キスなんて気持ち悪くてとてもできない」なんて同級生の子達が言っていたのを聞いたことがあるけど……でも、レイチェルの場合は当てはまらないような気がする。前にセドリックとしたときだって別に気持ち悪いとは思わなかったし。“恋人”であるジョージとのキスですらいっぱいいっぱいなのだから、たとえばその日初めて会った男の子とキスをすると言うのはレイチェルにはとても無理だろうけれど。でも、恋をしているたった1人でなければキスができないと言うわけでもない……気がする。そうでなければ、セドリックとジョージ、2人の男の子とキスができたことの説明がつかない。そもそも、セドリックとキスをしたとき、レイチェルが好きだったのはセドリックでもジョージでもない、別の男の子だったわけだし。
セドリックに対して感じている「特別」とは違うけれど────ジョージもやっぱり、レイチェルにとっては特別な男の子だった。
同じ「男の子の友達」でも、ロジャーやドラコとジョージは違う。もちろん、フレッドとも違う。結局行き違いがあって誘えなかったとは言え、自分からパートナーに誘ってみようと考えたのなんて、ジョージだけだった。その「特別」が、あのときからもう「恋」だったのか、レイチェルには結局よくわからない。自覚がなかっただけかもしれない、とも考えてみたけれど。でも、やっぱりそうじゃないような気がする。
自分でも単純だと思うけれど……たぶん、ジョージがレイチェルに好意があるような素振りを見せるから、レイチェルの方も意識してしまっていただけ。ジョージがレイチェルをからかうから、まんまと動揺した。ジョージがレイチェルを好きなら、パートナーになってもいいと思える、それくらいの好意はあったけれど、でもやっぱりきっとまだ「恋」じゃなかった。まだ「恋」になるよりもずっと手前の、ほんの小さな欠片みたいな。他の女の子をパートナーにしたのだと思ったら、簡単に諦めて手放せてしまう程度。もしもあのままジュリアンとパートナーになっていたら、きっとこんな風にジョージのことを考えることはなかっただろう。何となくだけれど、そう思う。
そう。つい難しく考えすぎてしまうけれど、きっともっと単純でシンプルなことなのだ。優しくされるとレイチェルも優しくしたいと思うし、褒められると嬉しい。「可愛い」なんて言われると舞い上がってしまう。キスをしたらドキドキする。
関係が変わることを不安に思っていたけれど、変わったからこそ見えたこともある。
「ただの友達」だった頃からジョージは────時々意地悪な部分はあったけれど────優しかったし、ジョージが魅力的な男の子だと言うことだってわかっていたつもりだった。けれど……たぶん、“友達”のままだったとしたら、きっとこのまま知らなかったこと、気づかなかったこともたくさんあった。“友達”として過ごした数年間より、この1週間で知ったことの方がずっと多いんじゃないか、なんて思ってしまうくらい。
『なんだ。てっきり、君は俺とパーティーに行ってくれると思ってたんだけどな』
いつも飄々としたジョージらしくない、不器用な誘い方が嬉しかった。赤くなったその頬に、ジョージも勇気を出してくれたことがわかったから。たった1人しか選べないパートナーに、ジョージがレイチェルを選んでくれたことが嬉しかった。
『ちょっと、君に見せたいものがあって』
頭上に広がる満天の星。真っ白に積もった雪の下で、妖精草の花が淡く銀色に光る。幻想的なまでに美しい、レイチェルの知らない夜のホグワーツ。規則違反にはハラハラしたけれど、とっておきの秘密の場所を、レイチェルにも見せてくれたことは嬉しかった。セドリック以外の男の子と2人で箒に乗るのも初めてで、ドキドキした。
『君にとっては、セドリックは家族みたいなものなんだろ』
そのセドリックのことについても。他の人には誤解されやすいレイチェルとセドリックの関係を、ジョージは理解してくれている。いや、違う。きっとジョージにだってわからないはずなのに、理解しようと歩み寄ってくれているのがわかる。
『お礼のつもりで誘ったんだ。だから、君が楽しめないなら意味ないし』
ホグズミードデートのときだってそうだった。強引なところもあるけれど、ジョージは自分勝手なわけでも、傲慢なわけでもない。悪戯好きなのは相変らずなせいでレイチェルは驚かされてばかりだけれど、それでも精一杯レイチェルを喜ばせようとしてくれているのがわかる。2人で過ごす時間を楽しいものにしようとしてくれていることも。
『いや、可愛いけど……だって君、元々可愛い方だろ』
この1週間で、気が付いた。もしかしたら、自意識過剰かもしれないけれど……たぶん、ジョージはレイチェルが思っていたよりもずっと、レイチェルのことを見てくれているし……レイチェルのことを好きでいてくれている。
『前に君、アリシア達と話してただろ。イタリアで見た海が綺麗だったのに、写真じゃ上手く撮れなかったって』
ジョージがいつからレイチェルのことを“友達以上”に見てくれていたのかはわからない。でも、そこにあった感情が何だったとしても、レイチェルの些細な一言をジョージが覚えていてくれたことが嬉しかった。クラムに見惚れていたことに嫉妬してくれたことも。皆の前で「恋人」なのだと言ってくれたことも。
「好き」とはっきり直接言わなくても、視線や言葉から、ジョージにとって自分が「特別な女の子」であることがわかってしまう。
1週間前と今で、変わったのは2人の関係を指す言葉だけじゃない。レイチェル自身の気持ちもだ。
だって、無理。あんな風に夢みたいな時間を過ごしたら、きっと誰だって恋に落ちる。どんな女の子だって惹かれてしまう。まだ熟れていない林檎や、すみれの花びらだって、ハチミツやお砂糖に浸したら甘くなるのと同じだ。ジョージの“恋人”として過ごす時間が、“恋人”に向けるジョージの瞳や声が、レイチェルを柔らかく溶かしていくのがわかる。
一体どれがきっかけだったのだろう? やっぱり、パーティーに誘ってもらったこと? もしくは、ホグズミードでデートしたことだろうか?それとも、今日のパーティー? ……いや、もしかしたら、はっきりとしたきっかけなんてないのかも。しんしんと降り積もっていく雪や、花の蕾が開いていくみたいに。そうやって、少しずつ気持ちが育っていくこともあるのかもしれない。
……恋なんて、しばらくしなくていいと思っていたのに。
ウッドに対して感じていた気持ちと、ジョージに対する気持ちは違う。
ウッドを好きになったことを後悔はしていないけれど、ウッドへの恋は「楽しい」と同じくらい「苦しい」が強かった。それはもしかしたら、気づいたときにはもう叶わないことがわかっていたせいもあったかもしれないけれど。だから、恋をしてキラキラしている同級生達を羨ましく思うことはあっても、まだ自分自身の次の恋のことは考えられなかった。
あんな風に、顔を見るだけで息が苦しくなって、声を聞くだけで泣きたくなるような。頭の中も心臓も全部その人で埋め尽くされて、自分が自分でなくなってしまうような。たったひとひらの言葉で感情がぐちゃぐちゃになって、1人で抱えているのは苦しいのに、手放そうとしてもやっぱり苦しくて。恋って、そう言うものなのだと思っていた。だから、ジョージに向けているこれが「恋」なのかわからなかった。
でも、そうじゃない「恋」だってあるのかもしれない。
『おやすみ』
さっき、ジョージにそう言われた瞬間。いつもとは違う別れの挨拶が、何だか少しくすぐったくて。まだもう少しだけ一緒に居たいな、と思った。また、明日もジョージの顔が見れたらいいのにな、なんて。
友達だった頃には、そんな風に考えたりしなかった。“恋人”としてジョージと2人で過ごすときのレイチェルは、やっぱりいつものレイチェルとは違う。ジョージと一緒でなければ、レイチェルはきっと夜に寮を抜け出すことも、ホグズミードで過ごすこともなかっただろう。けれど、そうして踏みだしたからこそ────1人でなく2人だから見ることができる素敵なものや、楽しい時間があることも、レイチェルは知ってしまった。
ジョージと過ごす時間は楽しい。それはきっと、ジョージが悪戯好きで、ユーモアに溢れた性格だと言うのも理由ではあるけれど。それ以上にきっと、ジョージがレイチェルをよく見てくれているからだ。レイチェルが何を好きで、何が嫌いか。何を大切にしているのか。ジョージがレイチェルの気持ちや価値観を尊重して、理解しようとしてくれているのがわかるから。だから、レイチェルもジョージを知りたいし、大切にしたいと思う。
1週間前は、ただの友達だった。でも、今は違う。ジョージはレイチェルの恋人だ。そして、レイチェルがジョージに向ける感情も、今はもう“ただの友達”に対するものとは違う。
ジョージのことが好きだ。