ジョージはどうやら、大広間の出口へ向かっているようだった。
ここは騒がしいから、どこか静かな場所で話をするつもりなのかもしれない。人が居る場所ではできない、2人きりの場所の方がいい話────それってどんな? 別れ話……と言う可能性はさすがにないとは思うけれど。だって、今日だって……可愛いって言ってくれたし。別れようと考えている相手に対して、あんな風に褒めるなんてしないだろう……たぶん。それに、さっきバグマン氏のところに行くジョージを見送るまでは、楽しく過ごせていたし。
もしかしたら、ジョージにとってはドラコと踊ることは────いや、ドラコと友人であると言うことは、急に気持ちが冷めてしまうほど許しがたいことだっただろうか? 絶対ない、とは言い切れない。ジョージはグリフィンドール生の中でも目立つから大抵のスリザリン生とは険悪だし、スリザリン生はほとんどが純血主義で嫌な奴だと考えている傾向がある。いや、ドラコに関しては実際ジョージと同じ印象を持っている人の方が多数派なのだろうとはレイチェルだってわかっているけれど。ドラコと友人なら、レイチェルも純血主義的な価値観に抵抗がないのだ、なんて思ったのかもしれない……。

「ねえ、ジョージ……怒ってる?」
「君には怒ってない」

その言葉にひとまず安心したものの、胸の中に薄く広がった靄を全て消すことはできなかった。
レイチェルには────と言うことは、やっぱりドラコに対しては怒っているのだろうか。レイチェルは何か言おうと口を開いたものの、結局はそのまま言葉を飲み込んだ。ドラコに対してレイチェルがどう弁解したところで、2人の間にある溝を埋めることはできない気がした。きっとたまたまレイチェルが目にする機会がなかっただけで、ドラコとジョージの間にはこれまでもああ言った諍いは何度もあったのだろう。2人のことが好きだからと言って、歩み寄ってほしいなんて望むのはレイチェルの自己満足で、ともすれば傲慢かもしれない。
熱気のこもった大広間から出ると、冷えた空気が肌を刺す。けれど、ダンスですっかり温まった体には心地よく感じた。パーティーが始まる前は人で溢れていた玄関ホールは、今は閑散としている。さっきはじっくり眺める余裕がなかったけれど、どうやら教授達はここにも最後の仕上げをしたようだ。大理石の床には大きな雪の結晶の模様が描かれ、天井からシャンデリアのように垂れ下がった氷柱がキラキラと輝いている。

「そう言えばこの間ね、ここでニフラーを見つけたの」
「ニフラー?」

歩いているうちに、大広間の喧騒はすっかり遠ざかっていた。妙に重たく感じる沈黙が気まずくて口にした話題に、ジョージの瞳が見開かれる。興味を持ってくれたようだ。レイチェルはホッとして、意識して明るい声で言葉を続けた。可愛らしいニフラーの姿を思い出すと、自然と笑みが浮かんでしまう。

「えぇ。あそこの……端から2番目のツリーのところ。オーナメントに悪戯してたところをセドが捕まえたの。怪我してたから、今はハグリッドの小屋で手当てしてて……人懐っこくて、すごく可愛いの」
「へぇ」

かと思えば、やっぱりジョージの返事は素っ気なかった。もしかしたら、ニフラーにはそんなに興味がないのかもしれない。もっと、牙や毒があるような、危険な生き物の方が好きなのかも。再び落ちた沈黙に、レイチェルは頭を巡らせた。何か、何かジョージの関心を引けそうなものは────。

「あ……ねえ、ジョージ。馬車があるわ。乗ってみない?」

玄関ホールを抜けたところに、小さな馬車が数台停まっていた。馬も御者もなしに勝手に動いているので馬車と呼んでいいのかはわからないけれど。いつも新学期に乗る馬車と同じく、セストラルが引いているのかもしれない。でも、デザインはいつものシンプルな馬車とは大きく違っていた。銀色と白が基調になっていて、ボーバトンの馬車をそのまま小さくしたような雰囲気の、華やかな装飾の馬車だ。絵本に出て来るお姫様が乗っている馬車みたいだ、とレイチェルはほうと息を吐いた。パッと目に入ったから思いつきで口にしただけだったけれど、せっかくならちょっと乗ってみたい。

「あっ……でも、ジョージが気が進まなかったら……」
「いいよ。乗ろうぜ」

男の子にとっては、このデザインの馬車はロマンチックすぎて抵抗があるかもしれない。レイチェルはそう気づいてて言い繕ったが、ジョージは特に気にしていないようだ。ジョージが手を貸してくれたので、レイチェルが先に馬車へと乗り込む。当たり前だけれど、中はボーバトンの馬車とは違ってごく普通の馬車だった。とは言え、天井から下がったランプは凝った銀細工の彫刻が入っていたし、座席はふかふかの銀色のベルベットで居心地がいい。見た目からは2人乗りかと思ったけれど、中が少し魔法で拡張されているので、詰めればギリギリ4人まで乗れるかもしれない。

「あの……狭くない?」
「別に」

そう、どうやらギリギリ4人乗りのようなので、一応2人並んで座れるのだけれど……後から乗って来たジョージが隣に座ったので、レイチェルは思わずそんな疑問を口にした。今はレイチェルとジョージと2人なのだから、向かい合わせになればもっと広々と座れるし、その方が顔も見えるから会話もしやすいのに。
仕方ないので、レイチェルが向かい側の座席に移動しようと立ち上がりかけたのだが────馬車が動き出してしまったので、大人しくそのまま元の位置に座った。

……やっぱり、怒ってるのかな。

狭い馬車の中には車輪ががたつく音が響くばかりで、相変わらず沈黙が続いている。ジョージが頬杖を突いて窓の外を眺めていたので、レイチェルもまた同じように反対側の窓から外を眺めた。
てっきり何か話があるから2人になろうとしたのだと思ったのに、ジョージは一向に話し出す気配がない。と言うか、さっきからずっと、ジョージにしては妙に会話が少ない気がする。口数が減っているだけで、それほど雰囲気や表情が硬いわけではないのだけれど……今は横に居るせいでそれもよくわからない。
さっきはああ言っていたけれど、やっぱりレイチェルに対しても怒っているのだろうか? ドラコに対してだけ怒っているのなら、ジョージの性格なら悪態の2つ3つ吐き出してすぐに気持ちを切り替えてしまいそうなのに。でも、怒っているとしたら、どうして今、レイチェルの手はジョージの膝の上に置かれていて、しかもジョージの手と繋がれているのだろう?

ジョージが何を考えているのか、よくわからない。

 

 

 

馬車はひとりでに走っていた。行き先もわからないまま、レイチェルはただ流れていく窓の外を眺めていたのだが、今はそれも叶わなかった。ジョージがレイチェルの肩を抱き寄せて、自分の方へと寄りかからせていたからだ。レイチェルの視線は自然とジョージの膝から爪先のあたりになる。やっぱり別れ話ではなさそうだけれど……ピカピカに磨かれた革靴を、レイチェルはぼんやり眺めていた。セドリックもそうだけれど、男の子の靴って大きい。それに、手も。繋いだ手をまじまじと見たことってあまりなかったけれど、今はジョージの膝の上で固定されているからそれがよくわかる。絡めた指はレイチェルよりも長いし、骨張っている。爪の形もレイチェルとは違う。ビーターの練習のせいか、ジョージの手の平はマメが潰れて固くなっていた。手を繋ぐのは初めてじゃないのに、セドリックの手とは違う、と意識すると何だか急にそこに神経が集中してしまう。

「着いたみたいだぜ」

馬車の速度は段々と遅くなり、やがて完全に停止した。ジョージに手を引かれるままに、レイチェルもドレスの裾を踏まないよう気をつけながらそっと馬車から降りた。雪で滑ってしまうんじゃないかと心配だったけれど、どうやらこのあたりは魔法で雪が溶かされているようだ。ハイヒールでも歩きやすいようにか、地面には滑らかに白いタイルが敷き詰められ、クッションのように柔らかくなっている。足元が安定したことでようやく視線を上げたレイチェルは、目の前に広がった光景に歓声を上げた。

「わぁ……素敵……」

どうやらここは、広い庭園の一角らしい。たった一晩の間に教授達はどうやってこんな大掛かりなものを作り上げたのだろう、とレイチェルは感嘆するばかりだった。見渡す限り、一面がバラの生垣だ。魔法で色を変えたのか、その花びらのどれもが紫がかった青に染まっている。花から花の間を妖精がひらひらと羽ばたいているので、その軌跡が銀色に淡く光って、幻想的なまでの美しさだ。

「寒くないか?」
「大丈夫」

温度が調整されているのか、ショールも羽織っていないのに不思議と寒くはなかった。一体どれくらいの広さなのか、ここからだと庭園の端は見えない。美しく整えられたアーチをくぐり、レイチェル達は奥へと進んだ。美しく咲き誇るバラはそれだけでも十分に目を楽しませてくれたけれど、所々にユニコーンを模った美しい彫像や、小さな噴水もあった。更に歩いていくと、少し開けた場所があり、バラの蔦が絡んだ白い東屋が建っていた。どうやら先客は居ないようだったので、レイチェル達はそこに座って休憩することにした。

「さっきはごめん……ちょっと……その、考え事してた」
「え? ううん」

何だか自己嫌悪した様子のジョージに、レイチェルは気にしていないと首を振った。実際、綺麗なバラを夢中になって眺めていたらすっかり忘れかけていたので、本当に気にしてなかった。別にレイチェルを無視したり不機嫌だったりしたわけではないのだから、謝られるほどのことじゃない。ジョージはいつも飄々していると言うか、余裕綽々と言うか、話しかけても反応が薄いことなんてめったにないから、ちょっと戸惑ってしまったけれど。

「君のおかげで、バグマンと話せた……ありがとな」
「本当? よかった」

そう言って笑った顔はすっかりいつものジョージに見えたので、レイチェルはホッとした。別にレイチェルが何かしたわけではないのに感謝されるのも何だかむず痒いけれど、ようやくバグマン氏に事情を把握してもらえたのなら何よりだ。

「……お金、ちゃんと戻ってきそう?」
「いや。俺達があれはレプラコーンの金貨だったって言っても、そんなはずはないって言い張ってた……けど、目が泳いでたから、あれは白を切ってるんだろうな」
「……わざとレプラコーンの金貨を渡したってこと? ひどい……」
「本人は絶対認めないだろうけどな。少なくとも、俺とフレッドはそう睨んでる」

そんな人には見えなかったのに。しかも、レイチェルは全盛期を知らないけれど、バグマン氏は元々は有名なクィディッチ選手だ。地位も名誉もある人なのに、どうしてそんな詐欺みたいなことをしてしまうのだろう? わからない、と首を捻っているとジョージが小さく溜息を吐いた。

「バグマンには結局逃げられるし、パースはしつこいし……」
「パース……パーシー? あ……パーティーに招待されてるのよね。審査員のクラウチさんの代理……で合ってる?」

そう言えば、パーシーが参加することはペネロピーからも話を聞いたのだった。結局ペネロピーは約束していたパートナーと行くことに決めたみたいだったけれど、2人は会えたのだろうか? 仲直り……と言うか、信頼を回復できていたらいいのだけれど。あんな風に泣くペネロピーは見たくない……。

「パーシーの奴、最近前にも増して俺達に対してうるさいんだ。どうやら俺達が自分の出世を邪魔するんじゃないかって心配してるらしい。おまけに口を開けば『クラウチさんが……』と来た」
「クラウチさんの秘書……?なのよね。やっぱり、仕事すごく忙しいの?」
「どうなんだろうな。まあでも、役所勤めは俺達には向いてないって、あいつを見てるとそう思うね」

パーシーに言われた小言でも思い出したのか、ジョージが眉を顰めた。レイチェルはどう返事をしていいものかわからず、苦笑を返した。お兄さんに疑われるのが鬱陶しいと言うジョージの気持ちもわかるけれど、双子の普段の素行を知っているとレイチェルには疑うパーシーの気持ちもわかってしまう……。それに、今はこんな風に言っていても、ジョージが家族を大切に思っていることは、レイチェルもよく知っている。

「兄弟が多いって、やっぱり楽しそうで羨ましい」

ジニーに言わせれば「兄弟が多すぎるのっていいことばっかりじゃない」らしいけれど、レイチェルは1人っ子だからやっぱりジョージやジニーが家族の話をするのを聞くと、賑やかそうで羨ましいなと思ってしまう。しっかり者で頼りになるお兄さんがたくさん居るのも、可愛い弟や妹が居るのも。そうだ、弟────。

「ねぇ。あなたの弟の……ロンってどんな子?」
「ロン?」

不思議そうな顔をするジョージに、レイチェルは小さく頷いた。ウィーズリー家の子供たちの鮮やかな赤毛は遠目でも目立つし、彼はハリーといつも一緒なので、ロンの顔は知っている。でも、彼と直接話したことはほとんどないのだ。

「さっき、ハリーと会ったの。そのときロンとも挨拶したんだけど……よく考えたら、私、ロンとは全然話したことなくって。ハーマイオニやーハリーと仲良しなのは知ってるんだけど……」

確か、マクゴナガル教授の巨大チェスを破ってしまうくらいチェスが上手で、ペットにネズミを飼っていて……そのネズミを食べちゃったと言う疑いがクルックシャンクスにかかっていたんだっけ。友人であるハーマイオニーの憔悴ぶりもあってレイチェルはつい彼女の肩を持ってしまったけれど、可愛がっていたペットが居なくなってしまったのは気の毒だ。あの話って、結局どうなったんだろう……?

「あー……ロニー坊やと君は、ちょっとタイプが合わないかもな……その……何て言うか君、割とハーマイオニーと似てるし……」
「そう……?」

何だか歯切れの悪い様子のジョージに、レイチェルは首を傾げた。レイチェルとハーマイオニー。似ているだろうか? 確かに2人とも本が好きだけれど、レイチェルはハーマイオニーほど勉強は好きじゃない。それに、ロンとハーマイオニーは仲良しなのに。あ、でも、そう言えば1年生のときは絶対に仲良くなれないと思った、なんてハーマイオニーが言っていたっけ。

「……君って確か、前はハリーのこと嫌ってたよな」
「……ええ」

自分でも後ろめたく思っていた過去の言動を改めて指摘されて、レイチェルは気まずくなった。ハリーだけじゃなく、あの頃はフレッドとジョージのこともちょっと苦手に思っていたから、感じの悪い態度ばかり取っていたかもしれない。それを思い出すと余計に心臓をちくちくと棘が刺すようで、レイチェルは視線を泳がせた。

「でも……その……私が彼のことよく知らなくて……色々と誤解してたって気づいたから……。その……勝手だって自分でも思うんだけど……今は、優しい男の子だってわかったし……」
「いや、別に……君を責めるつもりで言ったわけじゃないけど……」

ボソボソと言い訳するレイチェルに、ジョージは戸惑ったような表情になった。わかっている。ジョージがそんなつもりで言ったわけじゃないことくらい。でも、責められているような気分になってしまう。あんなに嫌っていたのに今は友達、なんて、自分でも都合が良いと思うから。友達になったからって、レイチェルがハリーを嫌っていた過去は事実で、その記憶も後ろめたさもパッと消えてくれはしない。

「いつの間にかハリーと友達になってたってのも驚いたけど……意外と交友関係広いよな」

その言葉に、レイチェルはぱちぱちと瞬きをした。交友関係が広い────自分ではピンと来ないその言葉に、ポカンとしてしまう。むしろ、レイチェルはどちらかと言えば友達は少ない方だと思う。人気者のセドリックやフレッドやジョージの方が、レイチェルよりずっと交友関係は広いはずだ。

「ドラコのこと? ドラコは、元々はナルシッサおばさま……ドラコのお母さんがママの小説のファンで……あ、それともフラーのこと言ってる?」
「いや……まあ、フラーやマルフォイもだけど……クラムも」
「ヴィクトール? ヴィクトールとは別に、そこまで親しいってわけじゃ……」

続けようとしていた言葉を最後まで言い切れなかったのは、ジョージがキスをしようとしていることに気がついたせいだった。レイチェルを見つめるときの雰囲気と……あと、頬にそっと触れた手で。耳朶に指が掠ったせいで、イヤリングが揺れた。そんなわずかな音さえ、意識してしまう。真っ直ぐに向けられる瞳の奥にいつもとは違う熱がこもっているのがわかるから、どうしていいかわからなくなる。瞼を伏せると、ジョージの顔が近づいてくるのがわかった。

唇を喰むような、軽く触れて離すだけのキスを、何度も繰り返した。

唇が熱くて、柔らかくて、フワフワする。
あまりにもたくさんキスを落とされるから、空気が抜けるみたいに体の力が入らなくなる。たぶん10回を超えたあたりでそっと薄く目を開けてみたら、ジョージと目が合ってしまった。ジョージの瞳がほんの少し細められたのがわかって、レイチェルは居た堪れなくなってまた目を閉じた。もしかして、キスのときって目を開けてた方がジョージは嬉しいのかな……。いや、でも、まだ無理。
わざとなのか、自然とそうなってしまうものなのかレイチェルにはわからないけれど、周囲が静かなせいで時折音が立つのが響いて恥ずかしい。……何となくわざとのような気がする。でも、もしわざとじゃなかったとしたら、「恥ずかしいからやめて」なんて言われたらジョージも困るだろう……。

「……やっぱり今日、いつもとは雰囲気違うよな」

まだ鼻先が触れ合いそうな距離のままそう囁かれて、レイチェルは頬に熱が集まるのを感じた。「ありがとう」フラーみたいに悠然と微笑み返したいと思うのに、どうしてもぎこちない返答になってしまう。

「ジョージだって……いつもとは違うわ」
「へぇ。どう違うんだい?」
「いつもより、大人っぽくて……その……かっこいいし……」
「……それはどうも」

言葉にするのは照れ臭いけれど、ジョージだってそれはきっと同じだ。褒めてもらったからお返しに言ったわけじゃなく、事実そう思っていた。いつも制服を着崩しているからそのギャップもあるかもしれないけれど、正装しているとかっこいい。それに、何だか今のってすごく恋人同士っぽいやりとりな気がして、くすぐったいような、フワフワした気分になる。

「……キスしても良い?」

なんて思っていたら、急にジョージが掠れた声でそう囁いてきたのでレイチェルは息を詰めてうろたえた。いや、確かに、恋人っぽい会話だとレイチェルですら思ったのだから、そうなるのは自然な流れなのかもしれないけれど。

「さ、さっきからもう何度もしてる……」
「またしたくなったから。ダメ?」
「……ダメじゃないけど……」

ダメじゃないけど、改めて聞かれると恥ずかしい。ちょっと甘えたような口調で首を傾げてみせるジョージは、わかっていてやっているような気がする。事前に確認をとられると言うことは、またあの……舌を入れる深いキスだろうか。レイチェルはうぅと喉の奥で小さく呻いて、瞼を伏せた。ダメじゃないけど、ダメなわけではないんだけど……。あのキスって、何度くらいしたら慣れるものなんだろう?

「そうやって赤くなってると、いつもの君だよな」

からかうようにジョージが笑う。促すようにレイチェルの名前を呼ぶその声があまりにも甘く響くせいで、レイチェルも観念してそっと目を閉じた。

 

 

 

何だかひどく優しいキスだと感じたのは、やっぱり雰囲気に酔っているせいだろうか。
それとも、ジョージがそう意図してくれたからだろうか。どっちもかもしれない、とレイチェルはぼんやりとした思考の片隅でそんなことを考えた。いつもこう言うキスだったらいいな、と思う。でも、そんな風に思うのもやっぱり今日が特別だからかもしれない。ダンスパーティーの高揚感か、それともこのシュチュエーションの雰囲気のせいか。さっきからずっと、体も気持ちもフワフワしている。どこか現実味がないと言うか、夢の中に居るみたいだ。

「……そう言えば、クリスマスカードをありがとう」

顔を合わせたのが夕方だったからまだお礼を言っていなかったことを思い出して、レイチェルは照れ臭さを隠して微笑みかけた。

「君も……プレゼント、ありがとう」
「大した物じゃないけど……使ってくれたら嬉しいわ」

レイチェルからジョージに贈ったものは、カードと、それからペンケースだ。魔法薬学の授業で一緒のとき、ジョージのペンケースは随分古そうに見えたから。それに、ペンケースくらいなら一方的に贈ったとしてもそれほど気負わせずに済む気がしたから。

「俺からも。これ、君に」
「えっ……」

そう言って、ジョージがポケットから小さな箱を取り出したので、レイチェルは驚いた。カードが送ってもらえただけで十分嬉しかったのに、まさか他にも何かあるなんて。

「……開けてもいい?」
「どうぞ」

ジョージが渡してくれたのは、手の平に乗るほどの小さな箱だ。綺麗に結ばれたリボンをほどいて、レイチェルはそっと蓋を開けた。そして────その中身を見て首を傾げた。

「……思い出し玉?」
「いや、ただのガラス」

箱の中には、透き通った球体が鎮座していた。直径がガリオン金貨よりひと回り大きいくらいだろうか。綺麗だけれど……用途がわからない。金具はついていないからアクセサリーではなさそうだ。ペーパーウェイトか、インテリアだろうか? もしくは、何かメッセージが刻まれているとか?

「ちょっと仕掛けがあるんだ。翳してみて」

言われた通り、レイチェルはガラス玉を指で摘んで、目の高さへと持ち上げてみた。やっぱりメッセージだろうかと予想したけれど、何の文字も浮かばなかった。ガラス玉の向こう側の景色が小さくなってそのまま映り込んでいるだけだ。この後はどうしたらいいのだろうと思っていると、ジョージがガラス玉に杖先を向けて何か呪文を唱えた。

「これで完成」

そう言って、ジョージが悪戯っぽく笑ってみせた。レイチェルの手からガラス玉を取ると、同じように覗き込んでみせる。レイチェルがわけがわからずそれを眺めていると、「ほら」とジョージがレイチェルの手の平の上にガラス玉を乗せた。さっきまでと何か違うのだろうか。もう1度見てみると、その変化はすぐにわかった。

「あっ……」

レイチェルは目を見開き、息を呑んだ。レイチェルの手の中に包まれているのに、ガラス玉の中にはさっきと同じに周囲の景色が映り込んでいる。美しい薔薇も、妖精の光も。まるで夢のようなこの景色を、そのままガラス玉の中に閉じ込めてしまったみたいに。

「綺麗……」
「その感じだと、気に入ってもらえたみたいだな」
「ええ、とっても!これって……時間が経っても消えたりしないの?」
「一応は」

ジョージの答えに、レイチェルはますます嬉しくなった。写真と似た魔法なのだろうか。星のように瞬く妖精の光も、幻想的な花びらの色も、全て本物とそっくり同じだ。目の前の光景は一夜限りのものだろうけれど、このガラス玉の中の小さな庭園はずっと残しておけるのだと思うと、とても贅沢に感じた。

「今のところ、このサイズが限界なんだよな」
「えっ……もしかして、これ、ジョージが作ったの?」
「俺だけじゃないけどな。俺とフレッド」

何でもないことのように言うけれど、1人じゃなかったとしたって十分すごい。フレッドとジョージって、本当に才能溢れる魔法使いなのだ。もしも2人の関心の矛先が悪戯グッズでなかったとしたら、魔法省大臣にだってなれるかもしれない。

「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの試作品なんだ。悪戯グッズ以外にも展開した方がターゲット層を広げられるんじゃないかって考えてて……」

だから女の子向けの、悪戯とはあまり関連がないようなものを開発を進めるつもりなのだ、と説明されてレイチェルはなるほどと頷いた。確かに、ホグズミードでもダイアゴン横丁でも、悪戯専門店を賑やかしているのはほとんどが男子だ。

「最終的には、もっと大きくしたいんだよな。今はただのガラス玉だけど、スノードームなんかにできたらいいんじゃないかってフレッドと話してたんだ。ただ、穴を開けると呪文の効果が消えちまうんだよな……」
「それ、実現できたらすごく素敵だと思うわ。そんな素敵なものが売ってたら、絶対欲しくなるもの」
「やっぱり、女の子は特に好きだよな。そう言うの」
「だって……世界に1つしかないってことでしょ? それってすごく特別じゃない?」

レイチェルはこの間のホグズミードで見た夕焼けや、マグルの街で見たイルミネーションを頭に思い浮かべた。レイチェルが今まで見た、目に焼き付けておきたいと願ったような素晴らしい景色。写真に撮っても思い出として残すことはできるけれど、写真って失くさないようにアルバムにしまって、懐かしくなったときにしか眺めなかったりもする。こんな風にポケットに入れて持ち歩けたり、スノードームとしていつでも目に入る場所に置いておけるのはとても素敵なことに思えた。

「あとは、量産が難しいのもネックなんだよな。20個以上試して、成功したのはたったの3個きりだ」
「でもそれって、すごく希少価値があるってことよね。特別な日だけ売るのはどう? たとえば……毎月、第3水曜日を“ウィーズリー・ウィザード・ウィーズデー”にするとか」
「なるほどね。いいかもな、それ」

それから、ジョージは今考えている商品のアイデアについて話してくれた。食べると気絶してしまうキャンディや、高熱が出るヌガー。どれもレイチェルには到底考えつかないものばかりで、目をキラキラさせて話すジョージは楽しそうだ。でも、とレイチェルは指先で光るガラス玉を転がした。やっぱり、ジョージがプレゼントしてくれたこれが1番素敵だ。

「……本当にいいの? これ、私がもらっちゃって……せっかく成功したんでしょ?」
「ああ。元々、アイデアをくれたのは君だし」
「……私が?」
「前に君、アリシア達と話してただろ。イタリアで見た海が綺麗だったのに、写真じゃ上手く撮れなかったって」

そんなこと言ったっけ。言ったかもしれない。レイチェルは驚いたあと、また嬉しさが胸に広がるのを感じた。レイチェル本人すらも忘れてしまったような言葉を、ジョージが偶然聞いていて、しかも覚えてくれたなんて。

「ありがとう……大切にするわ」

もしかして、ジョージが2人きりになろうとしたのはこれを渡すためだったのだろうか。それで……さっき口数が少なかったのは、どう渡そうか考えて緊張していたとか?
だったら嬉しいな、とレイチェルは思った。それと同時に、ちょっと寂しくもなった。何だかさっきから、驚いているのも、喜ばせてもらっているのもレイチェルばかりだ。ちょっと悔しいと言うか、申し訳ないと言うか……。レイチェルの方も、ジョージを驚かせるようなことができたらいいのに。そう考えて、レイチェルの頭に閃くものがあった。

「ねえ、ジョージ。あの……ちょっとだけ耳貸して?」
「ん?」
「あのね……」

自分がそうされたときのことを思い出して、レイチェルはジョージに聞き取れないようわざと声を潜めた。そうすると、ジョージが屈むようにしてレイチェルが届くよう耳を寄せてくれたので────レイチェルはその頬にそっと唇を押し当てた。

「……メリークリスマス」

振り向いたジョージの驚いた表情に、レイチェルは微笑んだ。悪戯が成功したみたいで、ちょっと楽しい。唇にキスするのは無理でも頬なら頑張れそうだと思ったけれど、やっぱりちょっと照れくさい。ジョージに対して頬にキスするなんて、今までもしたことないし。あと、黙られると居た堪れなくなるから何か言ってほしい。

「ジョージ? あの…………んぅ、」

レイチェルは何か言おうと口を開きかけたが、急にジョージに肩を掴まれた。そして、突然キスされた。あまりにも突然だったから、鼻がちょっとぶつかった。痛い。あと、後頭部まで押さえこまれてるから髪型が崩れるかもしれない。

「ジョージ……待っ……」

確かに、いきなり不意打ちでキスをしたのはレイチェルも同じだけれど。
肩を押し返そうと腕を突っ張ろうとしたのに、びくともしない。触れるだけのキスでもなければ、優しく探るようなキスでもない。「ふあ、」何か変な声出た。
本当は、待ってと声に出したいのに、くぐもった音として飲み込まれてしまう。レイチェルが逃れようとしても、ジョージの舌に絡め取られてしまって、飲み込めない唾液が顎を伝う。途中からはもう逃げようと抗うことすらできなくなって、ただジョージにされるがままだった。頭の芯が痺れて上手く考えられないだけなのに、これだとまるでジョージのキスを喜んで受け入れてるみたいだ。わずかな酸素を取り込もうと喘ぐ側からジョージに奪われるせいで、どんどん頭が朦朧とする。舌を強く吸われるたび、背筋からゾクゾクしたものが這い上がる。
ジョージが満足したのか、それとジョージの方も息が続かなくなってきたのか、はたまたぐったりしかけているレイチェルに気がついてまずいと思ったのかはわからないけれど、とにかくレイチェルがヒトとしての通常の呼吸法を許されるまでには、果てしない時間が過ぎたように思えた。その原因を作った当人は、さすがにばつの悪そうな表情をしている。レイチェルはどうにか乱れた息を整えようと努力しながら、口元を押さえて俯いた。絶対、今ので口紅全部取れた。

「今の……」

────今の何。これまでのキスと違う。
そんな言葉が反射的に口から出そうになったものの、レイチェルはどうにかそれを飲み込んだ。どこが違うのか、と言うのが自分でも上手く認識できていないのだ。これまでより────強引で、遠慮がなくて、激しくて。口の中、喉の奥まで、全部埋め尽くしてしまうような。

「あー……ごめん…………嫌だった……よな?」

『男の子だって、不安なんだから。意外と繊細なのよ』
頭の中にそんな声が響いた気がして、レイチェルはハッとした。今の態度って、もしかしたらジョージを傷つけてしまったかもしれない。レイチェルは俯いていた顔を上げ、勢いよく首を横に振った。

「いっ、嫌じゃないわ!」

びっくりしたし、やっぱり不意打ちはやめてほしいけど、嫌だったわけじゃない。慣れていないだけだ。だから、どうしていいかわからなくて戸惑ってるし、緊張するし、困っているし……積極的にもなれないけれど。だから、もしかしたら嫌がっているように見えたかもしれないけれど……でも嫌なわけじゃない。ああ、でも、『嫌なわけじゃない』なんて言うと『できればしたくない』みたいに聞こえてしまうだろうか?

「ジョ、ジョージとのキスは……好き……」

「ダメじゃない」とか、「嫌じゃない」とか。恥ずかしくてついそんな言い方ばかりしてしまうけれど、ジョージからすればそれって可愛げがないかもしれない。だって、ジョージははっきり「したい」と意思表示してくれてるのに。だから、レイチェルも照れていないでもっとわかりやすく……わかりやすく言葉にしようとしたら、とんでもないことを口走ってしまった気がする。いや、でも、撤回したらやっぱりキスは嫌なのだと言う意味になってしまう。

「君さぁ……」

ジョージは困ったような、呆れたような、途方に暮れたような、何とも言えない表情になった。その顔を見て、そう言えば「駆け引きが上手な女の子になる」と言う目標を立てたのだったとレイチェルは思い出した。駆け引きと言う意味では、今のは0点の回答だったかもしれない。もっとこう、挑戦的な感じ……?のことを言った方が、ジョージの好みだったかも。でも無理。レイチェルがすっかり熱くなった頬を押さえていると、ジョージが俯いて溜息を吐いた。

「……そろそろ戻ろうぜ」
「えっ?」

唐突な提案に、レイチェルは驚いた。さっきまでは何と言うか……いい雰囲気だったと思ったのに、どうして急に? またしてもジョージらしくない態度に困惑している間に、ジョージはベンチから立ち上がった。そして、そのまま歩き出してしまう。レイチェルも立ち上がり、慌ててその背中を追った。

「……もう少し、ゆっくりして行かない?まだ向こう側は見れてないし……」
「馬車から見た感じ左右対称っぽかったし、たぶん似たような感じだろ。戻ってバタービールでも飲もうぜ」

レイチェルは薄着だし風邪を引くから、とジョージが呟いた。確かにまあ、レイチェルのドレスはジョージのローブと比べたら薄着だろうけれど……でも、別に寒いのを我慢しているわけじゃない。気遣ってくれるのは嬉しいけど、こんなに綺麗な庭園なのにもう戻ってしまうのはもったいない気がする。急に自分と目を合わせようとしなくなったジョージに、レイチェルは戸惑った。

「……やっぱり、まだ怒ってるの……?」
「違う」

もうすっかり気分は持ち直したらしいと思ったのだけれど、さっきのドラコとの諍いが尾を引いているのだろうか?そう考えてレイチェルが尋ねてみても、ジョージは否定した。じゃあ、どうして?
やっぱり何かレイチェルの言動が良くなかったのだろうかと考えを巡らせていると、ジョージが再び溜息を吐いた。

「いいから、戻ろう。……ああ、くそ、俺が紳士だったことに感謝してほしいね」

やっぱり、男の子ってよくわからないとレイチェルは思った。さっきまではすごくロマンチックで、情熱的にレイチェルを見つめていてくれていたのに。あんなキスをした後で、どうしてこんな風に素っ気なくなってしまうのだろう?
あんな────さっきのキスをうっかり反芻してしまって、レイチェルは頬が火照るのを感じた。
ジョージにも伝えた通り、嫌だったわけじゃない。気持ち悪いとか、怖いとか……そんなんじゃない。けれど、びっくりしたし、ちょっとだけ……ほんの少しだけ、怖気付いてしまった。だって、レイチェルの知っている────想像していたキスは、あんな風じゃなかったから。心臓がまだドキドキしている。

食べられてしまうかと思った。

ビードロの夜

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