2曲、3曲と続けて踊るうちに、段々と緊張もほぐれてきた。
慣れないハイヒールに振り回されてしまうんじゃないかと言う心配は、どうやら杞憂に終わりそうだった。勿論、レイチェルがすっかりハイヒールを履きこなしているから────ではない。理由を考えてみると思い当たることは1つあって、たぶんこれがエリザベスに貸してもらった靴だからだ。レイチェルには詳しいことはわからないけれど、靴自体に何らかの呪文がかけてあるのだろう。腕のいい職人が作る靴は、履いた人の足にピッタリとフィットするだけでなく、転んだり足が痛くなったりしないよう魔法がかかっていると聞いたことがある。……そう言う靴はものすごく高価だとも、おばさんが言っていた記憶があるけれど。靴だけじゃなく、もしかしたら大広間の床に何か呪文がかけてあるのかもしれない。寮の部屋で練習したときよりも、ずっと踊りやすい。蝶のように軽やかに……とまでは行かないかもしれないけれど、そこそこ踊れているような気がする。そのおかげで、レイチェルにも少し周りの様子を観察する余裕が出てきた。
代表選手達のダンスも素敵だったけれど、やっぱり人数が増えるとずっと華やかだ。
エリザベスの言っていた通り、やっぱり下級生が参加できないのは会場の広さの問題なのだろう。フロアに居る全員が踊っていると、参加者の多さに圧倒される。こんなにたくさんの人が踊っていて、ぶつからないのが不思議なくらいだ。練習のときはあちこちで衝突事故が起きてしまっていたのが嘘のように、皆優雅にダンスを踊っている。やっぱり、大広間にかけられた呪文の効果と─────それに、皆が上達したからなのだろうか? ……いや、よく見ると他のペアにぶつかりそうになっているペアも居た。上手なペアが回避することで事故を防いでいるのかもしれない。今は制服のローブを着ていないから見分けがつきにくいけれど、スリザリンの子達は慣れているのか、上手な子が多いようだ。
全員。そう、参加しているほぼ全員だ。つまり、教授達も。あの厳格なマクゴナガル教授やムーディ教授。それにスネイプ教授まで。おちゃめな一面もあるマクゴナガル教授はともかく、あのムーディ教授が楽しそうなのは意外だった。スネイプ教授がパーティーよりもお葬式に参加しているような表情なのは、何と言うか、イメージ通りだけれど。
遠目にも目を引くのは、やっぱり周囲より頭ひとつ……いや頭5つほど大きいハグリッドとマダム・マクシームのペアだ。
スパンコールがキラキラ輝く濃い紫色のドレスを纏ったマダム・マクシームはさすがの優雅さだったけれど、ハグリッドはダンスに慣れていないせいかステップがぎこちないので、周りで踊る生徒達はうっかり踏んづけられないよう緊張しているように見えた。
彼らの次に目立つのは、フラーとロジャーのペアだろう。いつにも増して光り輝くような美しさのフラーは、思わず視線が引きつけられる。そして、その軽やかなステップでパートナーのロジャーだけでなく周囲の男子生徒達までも魅了してしまうせいで、近くに居るペアの女子達はフラフラと彼女に吸い寄せられていきそうになっているペアの男子にやきもきしているようだった。
……今は距離が離れているから影響はないみたいだけれど、ジョージもやっぱりフラーが近くに来たらあんなふうに魅了されてしまうのだろうか?
フラーのあれはヴィーラの遺伝子による体質と言うか、彼女の意志とは無関係に自然とそうなってしまうものなのだろうし、実際同性のレイチェルでも溜息が出るほど美人だ。プロポーションも抜群で羨ましい。だから、まあ、仕方ないのだろうけれど……それでも、パートナーが他の女の子に夢中になってしまうのはちょっと悲しい。いや、レイチェルだってクラムにちょっと見惚れてしまったから、ジョージに文句を言える立場ではないのだけれど……。
「……ジョージ? どうかしたの?」
ちらっとジョージを見上げると、ジョージは余所見をしていた。誰かを気にしているような素振りだ。でも、視線の先はフラーが居るのとは違う方向だった。何だかその表情が強張っているように見えて、レイチェルは思わず声をかけた。
「あー……いや、何でもない」
「そう……?」
ジョージがそんな風に誤魔化したので、かえって気になってしまう。でも、どこかばつの悪そうなその様子に、これ以上追及するのも躊躇った。誰かを見ていたような気がしたけれど、パートナーであるレイチェルには言いたくない相手なのかもしれない。フラーじゃなくても、他にも綺麗な子はたくさん居るし。たとえば、すごくジョージの好みのセクシーな子が居たとか……。
「……何か誤解してるだろ。別に、他の女子に見惚れてたわけじゃないぞ」
「べ、別に、誤解なんて……」
ちょっとしたけど。頭の中を見透かされたようで恥ずかしい。ムッとしたような表情でそう言ったジョージに、レイチェルは慌てて言い繕った。が、そんな嘘はジョージにはお見通しらしい。呆れたように小さく溜息を吐くと、ジョージは声を潜めてみせた。
「……バグマンが来てる」
「バグマン……って、あのバグマンさんよね?審査員の」
ジョージの口から出てきた名前があまりにも予想外で、レイチェルはぱちぱちと瞬いた。バグマン氏。確かに、関係者である彼もこのパーティーには招待されているはずだ。でも、どうしてジョージがバグマン氏の存在を気にするのだろう? そんな疑問が浮かんだところで、レイチェルの頭に何か引っかかるものがあった。ええと、そうだ。確か……。
「結局、お金返してもらえ……んー……えっと……正しい金額を受け取れたの?」
「まだ」
フレッドとジョージはクィディッチのワールドカップでバグマン氏と決勝戦の勝敗を賭けた結果、レプラコーンの偽金貨を掴まされたのだと言っていた。バグマン氏が意図的にやったことなのか、単なる行き違いなのかはわからないけれど、どちらにしても全財産を賭けたと言う2人にとっては一大事だ。
「……話してきたら?」
確かそのとき、手紙を何通も送ったのに連絡がつかないのだとも聞いた気がする。だとしたら、ジョージはバグマン氏と話がしたいんじゃないだろうか? レイチェルが提案すると、ジョージは驚いたように目を見開いた。
「いや、でも……」
「だって……次に会えるの、いつになるかわからないでしょ?」
「でも……君が1人になるだろ」
どうやら、レイチェルを残してバグマン氏のところに行っていいものかと、ジョージは躊躇っているらしい。確かに、逆の立場だったらレイチェルもそう考えるだろう。もしジョージの方からそうしたいと提案されたら、ちょっとムッとしてしまったかもしれない。でも、ジョージが今、レイチェルのことを気遣ってくれているのがわかったから、かえってジョージにバグマン氏と話をさせてあげたい、と思ってしまう。
「私も、ちょっと休憩できたら嬉しいし。その……ヒールって慣れないから、足が疲れてきちゃったの」
嘘だった。でも、今度の嘘はきっとジョージにはわからないだろう。
だからむしろ助かるのだ、と笑ってみせたらジョージも「ありがとう」と困ったように微笑んでみせた。
オーケストラの演奏は妖女シスターズのバンド演奏へと変わり、さっきよりもずっとアップテンポな曲に代わっていた。激しい曲調に合わせて踊る生徒達の隙間を縫うようにして、レイチェルとジョージは何とか壁際へと辿り着いた。
「ごめんな。すぐ戻るから」
そう言って、ジョージはフレッドを探しに再びダンスフロアへと戻って行った。その背中をぼんやりと見送って、レイチェルはううんと首を捻った。
……やっぱり、さっきのも嘘だとバレているのだろうか? 確かに、パメラやエリザベス、それにセドリックには嘘が下手だと言われるけれど、ジョージとは3人ほど付き合いが長いわけじゃないのに。自分ばかり見透かされてしまって悔しいような、レイチェルのことをよく見てくれているのが嬉しいような……ちょっと複雑だ。
ジョージは無事フレッドと合流できたようだ。2人して、バグマン氏のところへ向かっている。ジョージはすぐ戻るとは言っていたけれど、話題から言って誤解にしてもそうでないにしてもそこそこ時間はかかるだろう。どこか目印になるようなわかりやすい場所で待っていた方がいいかもしれない。
「きゃ……」
「「ごめんなさい!」」
壁際を歩いていたレイチェルは、元気いっぱいに踊りすぎたせいで目の前に飛び出してきた下級生のペアにぶつかりそうになった。どうにかギリギリ衝突はせずに済んだけれど、急に立ち止ろうとしたせいで足がもつれてふらついてしまった。
「大丈夫?」
「ええ……どうもありがとう」
が、バランスを崩したところを近くに居た男子生徒の誰かが支えてくれたおかげで転ばずに済んだ。すぐ鼻先に真っ白なシャツと蝶ネクタイがあって、レイチェルはひやりとした。あとたったの1センチ近かったら、べったり口紅がついてしまっていたかもしれない……。
「あれ? もしかして……レイチェル?」
「……ハリー?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはハリーが居た。ハイヒールのせいか、目の前のごく至近距離にハリーの顔があったので、レイチェルは慌てて1歩後ろに下がろうとして────「危ない!」 またふらついて、またハリーに支えられた。恥ずかしい。やっぱりハイヒールって慣れない。
「今度はちゃんと支えられた」
レイチェルは何とも言えず気まずくなったが、ハリーがそんな風に屈託なく笑ってみせたので、ぎこちなく微笑み返した。ハリーが言っているのは、この間の廊下での一件だろう。あのときほどは勢いがついていなかったのもあるだろうけれど、ハリーを押し潰さずに済んでよかった……。そこでようやく、レイチェルはハリーをしっかりと見ることができた。ジョージもそうだったけれど、やっぱり男の子も正装すると大人びて見える気がする。深緑色のタキシードはハリーの瞳の色とよく合っていて、その姿はレイチェルの知るハリーとは別の男の子のように見えた。
てっきりパーバティと一緒なのだろうと思ったけれど、彼女の姿は見当たらない。代わりに、親友であるロンと一緒だった。遠目に見たときはわからなかったけれど、随分と……クラシックな装いだ。そう言えば彼のパートナーはパドマだったはずだから、2人で飲み物か何か取りに行くところなのかもしれない。
「……こんばんは、ハリー。それに……ロン? 楽しんでる?」
「アー……ウン。まあね。……最初のダンスの話はしないで」
まさにその感想を続けようとしていたところだったので、レイチェルは言葉を飲み込んだ。確かに、『代表選手としての栄誉』にハリーが乗り気ではなさそうなのは見て取れたけれど、そつなく踊れていたのに。でもまあ、人気者のハリーは皆から同じことを言われているのだろうし、うんざりしてしまったのかもしれない。
「セドリックと喧嘩してるの?」
「え?」
そんなことを考えていたらハリーにそう質問されたので、レイチェルは不思議に思って首を傾げた。セドリックと喧嘩────確かに休暇に入ってからはあまり会えていないけれど、喧嘩……はしていないはずだ。たぶん。レイチェルが知らないうちに、セドリックを怒らせてしまったのでなければ。
「そんなことないけど……どうして?」
「その……2人とも、別の人をパートナーにしてるから」
「ええ……そうだけど……」
ハリーが続けた言葉に、レイチェルはますます戸惑った。その言い方だとまるで、レイチェルとセドリックが2人でパーティーに行くと考えていたみたいだ。もしかして、図書室でセドリックに誘われたところを聞かれていたのだろうか? そうでなかったとしたら────。
「君達って、恋人同士なんじゃないの?」
やっぱり。どうやら、ハリーも噂を信じてしまった1人らしい。確かに友人になったとは言え、ハリーにセドリックの話をする機会はほとんどなかった。ドラゴンの件ではお礼を言ったけれど……恋人だからこそセドリックから秘密を打ち明けられたのだと、ハリーはそう考えたのかもしれない。何にしても、誤解だ。
「違うわ。その……よく聞かれるんだけど、照れ隠しとかじゃなくて……本当に違うの」
「そうなんだ……」
ハリーの表情はどこか納得していないようにも見えたし、ホッとしているようにも、ガッカリしているようにも見えた。もしかしたらハリーにとっては、セドリックとレイチェルが恋人同士の方がよかったのかもしれない、とレイチェルは気が付いた。だって……そうしたら、ハリーにもまだチョウを振り向かせるチャンスがあるから。やっぱりハリーの想い人がチョウであることは確かなのだと実感して、レイチェルはまた心臓がギュッと締め付けられるのを感じた。
「瞼がキラキラしてる」
が、ポツリとハリーが呟いた言葉のせいで、そんな感傷は長くは続かなかった。たぶん、ハリーが言っているのは、アイシャドウのラメのことだろう。やっぱり少し派手すぎただろうかと、レイチェルは急に恥ずかしくなった。
「……似合ってない?」
「ううん、そんなことないよ!」
「アー……その……僕には化粧とかはよくわかんないけど……綺麗だと思う」
そう自分に言い聞かせていたが────ハリーが続けた言葉に、レイチェルはポカンとした。社交辞令でそう言ってくれたのだろうかとも思ったけれど……ハリーの頬がほんの少し赤いから、レイチェルまで照れてしまう。
「……ありがとう。ハリーも、そのローブ、すごく素敵よ。あっ、えっと……ロンも」
「どうも。……もう行こうぜ、ハリー」
「あ……引き留めてごめんね」
2人は何か深刻な表情で話しながら歩いて行った。どうやら、大広間の出口へと向かっているようだ。そう言えば、庭園の飾りつけも教授達が気合いを入れたらしいとさっき誰かが話していた。パーバティ達と待ち合わせをしているのかもしれない。ジョージは……どうやらバグマン氏との話は終わったようだけれど、今度はフレッドと何事か話しこんでいる様子だ。
飲み物を取りに行こう。頬が火照って熱い。
ハーマイオニーが知ったら、きっとSPEWの必要性を熱弁するに違いない、とレイチェルは思った。
これまでになく盛大なパーティーだけあって、飲み物も屋敷しもべ妖精が1つ1つ用意してくれることになっているようだった。ラインナップも豪華で手が込んでいる。レイチェルが用意してもらったのは、キラキラした華奢なグラスの中に海のような綺麗なブルーの液体がグラデーションになっている。グラスの淵には、輪切りにしたレモンが飾られていた。ジュースみたいだけれど、パッションフルーツとレモネードのカクテルらしい。もちろん、お酒ではない。そこは名簿を手にした屋敷しもべ妖精に厳しく確認された。あの様子だと、成人していればお酒も出してもらえるのかもしれない。
「どうして君はまた、こんなところで壁の花になってるんだ?」
冷えた飲み物で喉を潤しながらパーティーの様子を眺めていると、誰かに声をかけられた。
振り向くと、そこには見知った友人の姿があった。すっきりとしたシンプルな黒いドレスローブ。一筋の乱れもなくきっちりとセットされたプラチナブロンドは、見間違いようもない。
「ドラコ」
「君のパートナーは確か、あのうるさい双子の片割れだろう」
うるさい双子────あんまりな言い草に、レイチェルはつい苦笑してしまった。まあ、ドラコの毒舌は今に始まったことではないし、確かにフレッドとジョージよりも賑やかな双子はイギリス中を探してもなかなか居ないだろうけれど。
「……喧嘩でもしたのか?」
「え? ううん」
「だったら理由は何だ? まだパーティーは始まったばかりなのに、パートナーを放ったらかすだなんて……あいつ、一体どう言う教育を受けてるんだ?」
「あ、えっと……ジョージは急用ができたの。それに、私も構わないって言ったから……」
「急用? 急用だって? 糞爆弾の実が生るヤドリギでも見つけたのか?」
ドラコがフンと鼻を鳴らした。どんな理由があれパーティーの最中にパートナーのエスコートを放棄するだなんてとんでもない、と言うのがドラコの主張のようだ。その言葉を聞いてレイチェルはあれ、と思った。その主張に反してドラコもまたパートナーを連れていないからだ。
「ドラコの方こそ、あの子……えっと、パンジーは?」
「僕はパートナーを置いてきたわけじゃない。パンジーは今、ダームストラングの奴らに誘われて相手をしてる……彼女の遠縁の親戚なんだ」
ドラコが示した方向に視線を向けると、確かにパンジーは背の高いダームストラングの男子生徒と踊っているところだった。スカート部分が贅沢にフリルを重ねたデザインになったドレスは、生地が色合いの違う2色のピンクを使っていて、キャンディのような華やかな色合いがとても可愛い。
「もしかして……心配して来てくれたの?」
レイチェルはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。違ったら恥ずかしい。単に手持ち無沙汰だったところに、たまたまレイチェルが居たから声をかけただけかもしれないけれど……どうしてかそんな気がしたのだ。ドラコが視線を逸らしたところを見ると、意外とその予想は当たっているのかもしれない。だってドラコの性格なら、レイチェルの勘違いだとしたらいつもの毒舌で否定するような気がするから。「とにかく……せっかくのパーティーで女性が1人退屈してるのを見過ごせるほど、僕は間抜けじゃない」
結局ドラコはレイチェルの質問には答えてくれなかったが、代わりにそんな言葉が返って来た。小さく咳払いをしたドラコは、さっきまでの不機嫌そうな様子が嘘のように柔らかい微笑を浮かべる。そして、レイチェルの手を取ると優雅に一礼した。
「踊って頂けますか? レディ」
その声もいつもよりずっと穏やかな響きをしていて、何だかレイチェルの知っているドラコじゃないみたいだ。王子様然としたその様子にレイチェルはすっかり戸惑ってしまって、言葉の内容を理解するまでにしばらく時間がかかった。予想もしなかったことなので驚いたけれど……でもこれは、嬉しい方の予想外だ。ジョージが戻って来るまではまだ時間がかかりそうだし……1曲くらいなら大丈夫だろうか?
「ええ、ドラコ。喜んで」
この間教えてもらったときも思ったけれど、ドラコってすごくダンスが上手だ。
レイチェルもあのときよりは多少上達したので、尚更それがよくわかる。すごく踊りやすい。次にこっちに進もうとしている、こう動こうとしている。そう言うサインがわかりやすいのだ。ドラコと踊っていると、自分がダンスが上手になったんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。「……やっぱり、ジョージが戻って来たとき、困らないかしら」
「大丈夫じゃないか。あの赤毛は目立つし、気をつけて見ていればこっちからはすぐわかるだろう」
まさかドラコに誘ってもらえるとは思わなかったからつい承諾してしまったけれど、ジョージはレイチェルが待っていると思っているはずだ。勝手にあの場所を離れてしまったのはよくなかったかもしれない。レイチェルは軽率だったと反省したが、事もなげなドラコの口調にそれもそうかと安心した。
「……ドラコ、また背が伸びた?」
「ああ。成長期だからな。君と違って」
一言余計な気もしたけれど、事実だ。ハリーもそうだったけれど、ドラコだって出会った頃はレイチェルよりも頭一つ小さくて可愛らしい少年だったのに。今ではすっかり背が伸びて、とっくにレイチェルを追い越してしまった。
レイチェルの目から見ても大人びたと思うし、下級生の子達の中にはファンが居ると噂も聞いたことがあるけれど、ドラコ相手だとあまり緊張せずに済む────「男の子」だと強く意識せずにいられるのは、やっぱりドラコの顔立ちがミセス・マルフォイに似ているからだろうか。繊細さのある整った顔立ちは、どこか作りもののような雰囲気があって、美術品を見ている感覚に近いせいかもしれない。
「そうだわ、ドラコ。クリスマスプレゼントをどうもありがとう」
「ああ。君も」
「ナルシッサおばさまにも髪飾りを頂いたの。すごく素敵で……ドラコからもらったものと一緒に使えそうだから、楽しみ」
今朝受け取ったクリスマスプレゼントを思い出して、レイチェルはニッコリした。やっぱり、手紙じゃなくこうして直接お礼が言えるのは嬉しいことだ。レイチェルは今年もお菓子を贈った。去年までは手作りだったけれど、今年は無理なので既製品だ。ミセス・マルフォイは毎年お礼の手紙をくれていたけれど、半分は社交辞令なのではないかとも思う。あの貴婦人の口に合うようなものを自分が作れているとは到底思えない。
「ドラコってやっぱり、こう言うパーティーに慣れてるのね」
「まあ、それなりには」
ミセス・マルフォイもそうだけれど、ドラコもやっぱりあのマルフォイ家の嫡男なのだと、こう言う機会になると実感させられる。
さっきも、レイチェルは飲みきったグラスをどうしたらいいものかと戸惑ってしまったのだけれど、ドラコはパチンと指を鳴らして屋敷しもべ妖精を呼んでしまった。板についたその仕草に、頭の中に『奴隷労働!』と言うハーマイオニーの声が響いた気がしたものの、こう言った場所ではきっとドラコのような振舞いがスマートなのだろう。
「君もなかなか様になってるじゃないか。そのドレスも君の雰囲気に合ってるし……そうしていれば、名家の令嬢に見える」
「あ……ありがとう」
唐突に褒められて、レイチェルは動揺した。たぶん、皮肉屋のドラコにとってはこれ以上ない賛辞だろう。何となく照れてしまって俯くと、ドラコにそれを軽く注意された。厳しい。でも、だって、今たぶん表情が緩んでしまっているから見られたくない。
「どうやら、君のパートナーがようやく戻ってきたらしい」
「ジョージが?」
ドラコに言われて振り向いてみると、確かに視線の先にジョージの姿があった。レイチェルを探している。ちょうど今の曲が終わるところだったので、レイチェル達はそっと人の間を通り抜けてジョージの元へと向かった。
「ごめんなさい、ジョ……」
「なんでマルフォイがレイチェルと踊ってるんだ?」
勝手に居なくなってしまったことを謝ろうとしたのだけれど、最後まで言い切ることはできなかった。ジョージが不審感むき出しの表情をドラコに向けたので、レイチェルは驚いた。が、驚いたのはレイチェルだけで、ドラコは気にも留めていない様子だったので、レイチェルはますます困惑した。
「愚鈍なパートナーのせいで退屈してる女性をもてなすのは、紳士としての当然のマナーだろう? むしろ、感謝してほしいくらいだね」
「愚鈍だって?」
「あの、ジョージ……?聞いて……?」
バチバチと火花が散りそうな勢いで睨み合う2人に、レイチェルはうろたえるばかりだった。そう言えば、この2人ってグリフィンドールとスリザリンだった。ドラコとハリー、それにハーマイオニーが不仲なのは知っていたけれど、まさかジョージとドラコまでこんなに仲が悪かったなんて。そう言えば、それぞれの父親であるマルフォイ氏とウィーズリー氏も相当に険悪だとおじさんが言っていた気がする。
「オー!シュラバですかー? レイチェルを巡って戦うですねー?」
どうしていいかわからずオロオロしていると、そんな声が響いた。ざわざわと騒がしい中でも自然と耳が拾ってしまう、鈴の音のような美しい声だ。振り向かなくて確かめなくてもわかる。1度聞いたらまず忘れないだろうこの声の主は────。
「……こんばんは、フラー」
「Bonsoir」
微笑むフラーは、近くで見ると圧倒されるほどの美しさだ。頭の先から爪先まで全てが完璧で、堂々として自信に満ち溢れている。できるなら、あまり隣に並びたくない。フラーはジョージとドラコの顔を交互に見比べると、困ったものだと言いたげに肩を竦めてみせた。
「素敵な女の子巡って戦う、よくありまーす。でも、今日はみんな楽しいパーティーですからー、ケンカは悪いでーす。とても悪い……レイチェルも困ってまーす。わかりますか?」
どうやらフラーは大きな誤解をしている。
別に、2人はレイチェルを取り合って争っているわけではないのだけれど……他校生であるフラーに『この2人の所属寮はライバル関係で仲が悪く、廊下で顔を合わせるだけで悪質な呪いをかけ合うのが日常なのだ』と説明するのは、ホグワーツの名誉を考えると躊躇われる。レイチェルが言葉を探していると、ドラコが溜息を吐いた。
「馬鹿馬鹿しい。僕はもう行く」
「ドラコ! あの……ありがとう!」
フラーの登場によって、ドラコはすっかり毒気を抜かれたらしい。踵を返して去っていくドラコの背中に、レイチェルはお礼を言った。しかし、ドラコが振り向くことはなかったので、ちゃんと届いたかはわからない。レイチェルがオロオロとその背中を見送っていると、ジョージが怪訝そうな表情になった。
「何であいつに礼なんて……」
「だって、その……気を遣ってくれたのは本当だもの。確かに、ジョージへの態度は失礼だったかもしれないけど……」
そもそも、ドラコは1人だったレイチェルをダンスに誘ってくれただけで、何も悪くないのだ。どちらかと言えばジョージが戻って来るとわかっていたのに付いて行ったレイチェルが悪い。レイチェルがしどろもどろにそう言うと、「ちょっと待て」とジョージが眉を寄せた。
「……何か、あいつに嫌なこと言われたりは……」
「してないわ。あっ……そうよね。えっと、ドラコは元々友達なの……私が1人だったから、心配して様子を身に来てくれたみたいで……」
「友達……? 心配? マルフォイが?」
そう言えば、ドラコとの友人関係は限られた人にしか打ち明けていなかったのだ。その事実を、レイチェルはようやく思い出した。理解できないと言いたげな表情のジョージに、レイチェルは眉を下げた。レイチェルの前では比較的紳士に振舞ってくれるからつい忘れてしまいそうになるけれど、やっぱりドラコの────特にマグル生まれの生徒やグリフィンドール生からの────評判はものすごく悪いのだ。寂しいけれど、さっきみたいなドラコの態度しか知らなければ無理もない。
「あの……ごめんね、ドラコが……」
「……いいよ。別に君が謝ることじゃないだろ。あいつの言う通り、1人にした俺が悪い……」
実際、さっきのドラコの態度もジョージに対しては失礼だった。ジョージが怒るのも無理はないと思うほどに。ジョージもたぶん、レイチェルが嫌な思いをしたんじゃないかと心配してくれたのだろう。レイチェルが俯くと、ジョージも小さく溜息を吐いた。会話が早口だったせいで聞き取れなかったらしく、フラーはきょとんとしている。
「フラー! 探したよ。その子は友達? ……って、あれ? レイチェル?」
「ロジャー……」
気まずい沈黙が落ちる中、そんな朗らかな声が響いた。ロジャーだった。パートナーであるフラーのために飲み物を取って来たのか、その手にはグラスが握られている。どうやらフラーと離れていたからか、今は正気を取り戻しているようだ。
「へー、化けたなあ。化粧ってやっぱすげー」
「……それ、褒めてるの?」
「褒めてる褒めてる。可愛いじゃん。俺はもうちょい体のライン出るドレスのが好きだけど」
「……ああ、そう」
まじまじとレイチェルの顔を見て呑気にそんなコメントをくれるロジャーに、レイチェルは何だか肩の力が抜けた。それに、まさかロジャーが褒めてくれるとは思っていなかったから────褒め方はともかく────ちょっと照れてしまう。今日のロジャーは特にフラー以外の女の子は目に入っていなさそうだったから、褒めてくれるだけでもすごいことだ。
「って言うか、なんでフラーがレイチェル達と一緒に?」
「あの……ちょっとトラブルが起きそうだったから、フラーが心配して声をかけてくれたの。ね?」
フラーはやっぱりまだ状況が飲み込めないのか不思議そうな顔をしていたが、レイチェルが笑いかけると、どうやら“トラブル”は解決したらしいと納得したようだ。実際、フラーのおかげで解決したようなものだった。レイチェルは今度は、フラーにも伝わるようできるだけゆっくりと言葉を紡いだ。
「フラー、そのドレスすごく似合ってる。とっても綺麗……それに、最初のダンスもすごく素敵だったわ」
「Merci」
フラーが白い歯を見せて笑ってみせた。やっぱりものすごく可愛い。これくらいの賛辞は言われ慣れているのだろう。あっさりとしたフラーの態度に、レイチェルは見習いたいなと羨ましくなった。今日はドレスアップしたからたくさんの人が褒めてくれるけれど、レイチェルは慣れていないからその度に動揺してしまう。
「今日も私が1番美しいですがー、レイチェルも盛れてて超いい感じでーす!」
そんなフラーに褒めてもらえると言うのは、とても光栄なことだと思う。光栄だとは思うのだけれど────妖精のように美しいフラーの唇から出て来たその言葉に、レイチェルは呑気そうにグラスを傾けているロジャーを振り向いた。
「ちょっとロジャー、あんまりフラーに変な言葉ばっかり教えないでよ!?」
「俺のせいかよ!? パメラじゃねぇの!?」
真っ当なロジャーの反論に、レイチェルは言葉に詰まった。確かに、その可能性は大いにある。どちらが原因にしても、あまり妙な言い回しばかり覚えてしまうようだとフラーが困るかもしれない。
レイチェルとロジャーがしばらく言い合っていると、ジョージの手が肩に触れて引き寄せられた。
「もういいだろ。行こうぜ」
「あ、うん……またね、フラー。ロジャーも、楽しんで」
ジョージに促されるままに、レイチェルもその場を後にした。
確かに、フラーも言っていたけれどせっかくのパーティーの最中に喧嘩はよくなかった。それに、フラーだけでなくジョージのこともすっかり会話から置いてきぼりにしてしまっていた。退屈させてしまっただろうか? それともやっぱりまだ、さっきのことを怒っているのだろうか? ジョージの顔を見上げたけれど、横顔からはその表情はよく見えない。疲れてるから休みたい、なんて言ったくせに他の人と踊っていたなんて、ジョージにしたら気分を悪くしても当然だ。ドラコに言われたみたいに、本当にジョージと喧嘩になってしまったらどうしよう。
軽快な音楽とおしゃべりが重なり合う。周囲の楽しげな空気とは反対に、レイチェルの胸には小さな不安が広がっていくのを感じた。