当日のコーディネートも、髪型も、メイクも決まった。パートナーも居る。ダンスのときにジョージの足を踏んでしまうんじゃないかとか、慣れないハイヒールで転ぶんじゃないかとか、せっかくのドレスだから汚さないよう気をつけなくちゃとか、心配なことを挙げればキリはないけれど、とりあえず今できるパーティーの準備で思いつくものはなくなった。何か忘れていることはないかと、パメラ達と何度も確認した。準備は順調に進んでいる。だからそう、ダンスパーティーに関しては一安心だ。後はもう、明日の本番を待つばかり。しかし、レイチェルには安心できないことが1つ残っていた。

課題である。

ロジャーよりは進んでいるけれど、レイチェルの課題の進捗状況もあまり芳しくない。はっきり言えば、予定よりかなり遅れていた。一体どうしてなのか────考えるまでもなく、理由はわかりきっていた。ジョージから急にデートに誘われたり、何時間もそのコーディネートに悩んだり、疲れて寝落ちしたりしていた結果だ。そろそろ休暇も折り返しが近いと言うのに、レイチェルの課題はまだ3分の1程しか終わっていなかった。端的に言ってヤバい。
そんなわけで、今日は朝から図書室に行こうとレイチェルは心に決めていた。明日はダンスパーティーだ。パーティーの開始は夜だけれど、身支度にも時間がかかるだろうし、ソワソワしてしまって勉強どころじゃないだろう。巻き返すなら今日しかない。
……本当は、金の卵のことももっと調べたいのだけれど……レイチェルは頭にセドリックの顔を思い浮かべて申し訳なくなった。今はとにかく課題をやらないとまずい。第2の課題はまだ先だし、課題が落ち着いたら卵のことを調べよう……。

『OWLの前に恋人を作ると試験に失敗する』なんて上級生に脅かされたことがあるけれど、もしかしたらこう言うことなのかもしれない。

レイチェルはここ1週間の自分とジョージとの間にあったやり取りを思い返した。ルームメイトからの誘いと違って、恋人からの誘いは何と言うか……断りにくい。せっかく2人で過ごしたいと言ってくれているのに、『課題やらないといけないから今度ね』なんて返すのは、良くない気がして。今は休暇中だからこうやって取り返せるけれど、学期が始まったら時間のやりくりが大変そうだ。特に、レイチェルとジョージは寮が違うし。
いや、でも、1日デートしようと言う話になったのも休暇だからこそで、たぶん学期が始まったら勉強優先……だよね? よく図書室で一緒に勉強してるカップルを見かけるし、レイチェルもちょっと憧れていた。あんな感じで2人で過ごす時間を作ればいいのかも。……もしかして、今日も誘ってみるべきだっただろうか? いや、でも、急すぎるしきっとジョージにだって予定があるだろう。それに、ジョージってじっと座って勉強しているイメージが全然ない。
一緒に勉強と言えば、セドリックのことも気がかりだ。今までは大体……週2回。まあ、きっちり決めたわけではなかったけれど、セドリックと一緒に勉強することが多かった。“特別な関係”だと噂されているのは知っていたけれど、誤解されないために距離を置くのはやめようと決めて、噂をそのままにしてきた。だって、その噂をしている人たちって、レイチェルの言葉よりも自分の見たものを信じるから、違うと否定しても信じてくれないのだ。お互い誤解されたくない特定の相手も居なかったし、仕方ないと諦めていたのだけれど……これからはそうも行かない。無関係の人達はともかく、チョウに誤解されたら困る。ジョージは気にしないと言ってくれたけれど、あれはたぶん特殊な例で、普通は恋人が特定の異性と2人きりで仲良くなったら不安になるだろう。不誠実だとも思う。少なくとも自分の身に置き換えてみたらいい気分はしないだろうから、自分がされて嫌なことはやめるべきだ。セドリックとこれまで通り過ごせなくなるのは寂しいけれど、だからってチョウを傷つけることになるのは嫌だ。2人の邪魔をしてまで、セドリックと一緒に居たいわけじゃない。セドリックと一緒に勉強するときはチョウも一緒に────3人で過ごせば、誤解されることはないだろうか? ……いや、でも、その状況を想像するとどう考えてもレイチェルは邪魔な気がする。

どうして異性だと言うだけで、こんなに面倒なことになってしまうのだろう。

ジニーがジョージと2人で勉強していたところで、誰も何も疑わないし噂しない。妹だからだ。いや、あまりに仲が良かったらシスコンだと言う噂はされるかもしれない。それに、何もかも自分よりジニーを優先されたり、ジニーと比較ばかりされたら、やっぱり嫌かも。でも、ジョージの家族想いなところは好きだなと思う。別に、恋人だからって他の誰を差し置いても優先されるべきだ……とは、少なくともレイチェルは思わないし。
わからない。レイチェルの周りを見ても、燃え上がっている恋人達ほど一緒に居られない時間を名残惜しんでいる気がする。単にレイチェルの性格の問題なのだろうか。それとも、ジョージともっとこう……相思相愛のカップルになったら変わるのだろうか? 廊下の真ん中で2人の世界に入り込んで熱烈にキスをしたり、ジョージと一瞬だって離れたくないと談話室で急に泣き出すようになるのだろうか? 恋人ができた途端に頭のネジが外れ……じゃなくて、人が変わってしまった同級生は、何人も見てきた。レイチェルもジョージと付き合い出した途端に規則違反に手を染めるようになってしまったし、その傾向が全くないとは言えない。恋は人を狂わせるのだ。もしもそうなったら止めてくれるよう、今からパメラやエリザベスに頼んでおいた方がいいかもしれない……。

「んー……」

ダメ、集中。レイチェルはふるふると頭を振って余計な考えを追い出した。
今はとにかく課題を進めないと。そう思い直して、羽根ペンを握り直したものの────結局はそのまま羊皮紙の上に文字を書くことなく、ペンが止まってしまった。

「……全然わかんない……」

最近の魔法薬学のレポートは難解すぎる。
NEWTクラスだからある程度は覚悟していたつもりだったけれど、予想以上だ。それに、量も多い。どんどん難しくなっているのは他の教科も同じなのだけれど、魔法薬学以外は受講している知り合いも多いからわからなかったところが聞きやすい。いや、魔法薬学も一応は知り合いは居るのだけれど。それに、わからないのなら素直にスネイプ教授に聞きに行くべきなのだろうけれど、毎回聞くのはさすがに何と言うか……呆れられそうで不安だ。それに、今は休暇中だし。わざわざスネイプ教授を訪ねて行って質問するのはハードルが高すぎる。かと言って、課題を白紙のまま提出するわけにもいかない。後で、クロディーヌに聞いてみるしかないだろうか。

……やっぱり、魔法薬学を履修するのは無謀だったかもしれない。

NEWTになると、授業内容の難易度が上がるのはわかっていたことだ。受講の足切りが“良”以上だったクラスでさえ、最近は予習復習をしっかりやらないと置いて行かれそうになる。魔法薬学は“優”の生徒しか受講できないのだから、とびきりハードなのは予想がついていたことで────受講資格があるからって浮かれていないで、もう少しよく考えるべきだった。そもそも、レイチェルの希望している進路に魔法薬学って必要ないし。魔法薬学を続けるのなら、もう1科目くらい何か受講をやめるべきだったかも。例えばルーン文字とか? でも、ルーン文字は皆と同じ授業で楽しいからやめたくない……。それに、魔法薬学の授業をとっていなかったら、こんな風にジョージと親しくなることもなかっただろう。今頃は別の男の子とパーティーに行くことになっていたかもしれない。
進まない課題を前に、レイチェルは悶々とそんな考えを巡らせた。自覚はしている。現実逃避だ。だって本当にわからない。まず、参考文献の内容からして理解できない。去年までは魔法薬学を得意科目だと思っていたのに、すっかり自信をなくしそうだ。
確か、レイチェルの父親は魔法薬学のNEWTで優を取っている……レイチェルは夏休みに会ったきりの父親を思い出し、小さく溜息を吐いた。全然そんな風に見えないけど、パパって意外とすごい人だったのかも。

 

 

 

数時間後、レイチェルはフラフラと図書室を後にした。そろそろ昼食に向かわないと食べ損ねてしまう。
出来に不安はあるけれど、1番の難関だったスネイプ教授の課題はどうにか終わった。集中してやればできる。……嘘。正確には、通りがかったペネロピーが参考になりそうな本を教えてくれた。何にしても、遅れは取り戻せた。やればできる。長時間レポートを書いたせいで首が痛い。やっぱり、焦らないためにも課題は計画的に進めるべきだ。

「上級生って本当に課題多いんだね」

疲れ切ったレイチェルの様子を見て、ジニーが気の毒そうに言った。ジニーも同じく、レポートの進捗状況に危機感を感じて図書室に来ていたらしく、偶然ばったり会ったのだ。せっかくだから一緒に勉強したのだけれど、レイチェルの課題の量にジニーは驚いたようだった。

「さっきの話だけど、古代ルーン文字なら試験の過去問あげられると思うわ。結構書きこみしちゃってた気がするけど、それでもいいなら……」
「本当? ありがとう!『ジニーはお兄さんが多いんだし』って、皆にノートや過去問を期待されるのよね。でも、フレッドやジョージがそんなの残してると思う?」

ジニーが溜息を吐いた。3年生であるジニーは今年から選択科目が増えているので、去年と比べていきなり増えた課題に苦戦しているらしい。もう随分と前のことに思えるけれど、レイチェルも3年生のときはそう感じた記憶がある。

「今でもこんなに大変なのに、OWLやNEWTなんて絶対無理……」
「私もそう思ったわ。でもまあ……とりあえずOWLは何とかなったし、ジニーもきっと大丈夫よ」

憂鬱そうな表情になったらジニーに、レイチェルは慰めを口にした。
NEWTに関しては、レイチェルも不安だ。でも、3年生のときも、4年生のときも、そしてOWLも。こんなの無理だと挫けそうになったけれど結果的にはどうにかなった。となると、NEWTも今まで通りやっていれば乗りきれる……のだろうか? そう信じたい。

「パーシーを見てると、OWLもNEWTもすっごく大変なんだろうなって思ったけど……フレッド達って余裕そうなのよね。あの人たち、いつ課題やってるんだろうっていつも思うもの。家でも悪戯ばっかりだし」

確かに。履修科目を極端に減らした今年や、OWLの対策を自主的に省力化していたらしい去年はともかく、3年生や4年生の頃はレイチェルと同じ量の課題をやっていたはずなのに、どうしてかあの2人はいつも余裕そうに見えた。あの規模の悪戯をしようと思ったら、準備だけでも相当な時間がかかりそうなのに。

「こっそり逆転時計を隠し持ってるとか?」
「まさか! でも、確かにフレッド達があんなに秘密の通路や隠し部屋に詳しいのって不思議なのよね。何かあるんじゃないかとは思うのよ。あの2人ったら、こっそり何かするのがやたらと上手いんだから」

ジニーの言葉に、この間使ったホグズミードへの抜け道や妖精草の群生地が頭に浮かんだ。言われてみれば、あの2人ってどうやってあんなに城の中に詳しくなったのだろう? 偶然見つけたり、同級生や仲の良い上級生に教えてもらうこともあるけれど、普通に学校生活を送っているとそれほどたくさん隠し通路は見つけられない。やっぱり、しょっちゅう夜に抜け出して探検しているとか? それとも、ジニーの言う通り何か秘密の道具か何かを持っているのかもしれない。たとえば、壁にかけると隠し通路が現れるようなインクとか? そうだ、魔法道具と言えば────。

「わぁっ、可愛い!」

レイチェルの腕の中に居る生き物を見て、ジニーがキラキラと目を輝かせた。
ジョージとのデートで頭がいっぱいですっかり忘れていたが、『魔法道具』の単語にレイチェルはこの間玄関ホールで見つけたニフラーのことを思い出した。それで昼食のとき、あの子はどうしたのかとハグリッドに尋ねてみたら、まだハグリッドの小屋に居ると教えてもらったのだ。そして、気になるならこの後様子を見に来ればいいとも言ってくれたので、その言葉に甘えてジニーと一緒にハグリッドの小屋を訪ねてきた次第だ。
レイチェルは胸に抱いたニフラーの毛並みをそっと撫でた。温かい。ふわふわ。ビーズのような黒い目が不思議そうにレイチェルを見上げてくるのがあまりにも可愛らしくて、思わずギュッと抱きしめた。癒される。

「ねえレイチェル、私にも抱っこさせて!」

うずうずした様子のジニーにそう懇願されて、レイチェルは名残惜しくニフラーをジニーに渡した。2人がすっかりニフラーに夢中になっている間に、ハグリッドが紅茶を淹れてくれていた。ジニーの膝の上に乗せられたニフラーは、ティースプーンが気になるのか小さな前足を伸ばしている。そんな姿も可愛い。

「怪我の具合はどうなの?」
「順調に回復しとる。あとはこいつの飼い主さえ引き取りにくりゃあええんだが」

このニフラーの飼い主はわかったのだけれど、クリスマス休暇で留守にしていて、しばらくホグズミードには戻れないと連絡があったらしい。どうやら、休暇で家族に会いに行こうと荷造りをしているときに、こっそり1匹だけケージから逃げ出したんじゃないかとのことだった。「悪戯っ子ね」とジニーがニフラーの顎の下をくすぐると、ニフラーがくすぐったそうに身を捩った。可愛い。

「ねぇハグリッド、イチゴを欲しがってるみたいだけど、あげて平気?」
「ちぃっとだけならな。ついさっきエサをやったとこだ」

ニフラーはハグリッドがお皿に注いであげたミルクをおいしそうに飲んでいたが、レイチェル達の前に出されたトライフルに入ったイチゴをキラキラした目で見つめていた。小さく切ったイチゴを与えると、幸せそうにイチゴを食べ始める────。

「可愛い。飼いたい……」
「こいつを飼うんはな、専門家でないとちぃと難しい。お前さん達の部屋の床が穴だらけになるぞ」
「それってハグリッドの学生時代の実体験?」

ジニーがクスクス笑うと、ハグリッドは急に耳が聞こえなくなったようだった。
小さくてふわふわのニフラーはペットとして人気が出たこともあるらしいけれど、キラキラしたものが大好きなその性質から室内で飼うのは大変だと聞いたことがある。残念だとレイチェルは溜息を吐いた。だって本当に可愛い。ニフラーの愛らしい姿だけでも何時間も眺めていられそうなのに……。

「そうだ。あたし、友達と約束があるんだった!」

それからしばらく2人はニフラーと一緒に遊ばせてもらったが、ジニーが用事を思い出したのでレイチェルも一緒に城に戻ることにした。ニフラーの可愛さには充分癒やされたし、気づけばハグリッドの小屋に来てからそれなりに時間が経ってしまっていたからだ。これ以上長居するのは迷惑になってしまうだろう。

「ねえハグリッド、またこの子に会いに来てもいい?」
「構わんが、お前さん達だけの秘密にしてくれ。こいつが懐っこくてな、人が来るとはしゃぎすぎて疲れっちまう」
「わかったわ」

レイチェルは、ハグリッドの言葉に素直に頷いた。確かに、ニフラーはよく人に慣れていて、猫じゃらしやボールにも興味津々だった。パメラやエリザベスにも教えてあげたかったので残念な気はしたが、確かにニフラーが居ることが知れ渡ったら、生徒達が押し掛けてくるだろう。

「じゃあまたね、レイチェル
「ええ、ジニー。またね」

ジニーと別れ、レイチェルは城に向かって歩いていた。
レポートで疲れていたのが嘘のように、気分が軽い。ふわふわの生き物は偉大だ。レイチェルは、今はどこに居るかわからない愛犬を思った。去年、辛いOWL試験を乗り切れたのも、もしかしたらシャールのおかげもあったのかもしれない。今頃は飼い主に可愛がられて、温かい暖炉の前でローストチキンの切れ端でも食べているのだろうか?
そんなことを考えながら歩いていると、レイチェルは視線の先に見知った人物が歩いていることに気が付いた。

「ハーマイオニー?」

あのふわふわの栗色の髪は間違いない。ハーマイオニーだ。何だか深刻そうな表情をしている。ハーマイオニーはこちらには気づいていないようだったが、誰かに呼ばれたことはわかったらしい。立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回してレイチェルの存在に気付くと、ひどく驚いた顔をした。

レイチェル……」
「どうしたの? 何だか難しい顔してたけど」

何と言うか……今から決闘にでも行くかのような表情だった。誰かと喧嘩でもしたのだろうか? そうでなくても、悩み事があるのかもしれない。レイチェルが心配になって尋ねると、ハーマイオニーは何かを閃いたようなハッとしたような表情になり、勢いよくレイチェルの両肩を掴んだ。

「お願いよ、レイチェル!何も言わず私と一緒に来て!」

 

 

 

しっかり者のハーマイオニーがレイチェルに頼み事をするのは珍しい。
何か緊急事態でも起きたのだろうかと身構えたが、話を聞いてみれば何と言うことはなかった。
今朝、パートナーであるクラムから手紙が届いて、ダームストラングの船を見に来ないかと誘われたらしい。いや、まあ、ハーマイオニーにとってはまぎれもなく緊急事態なのだろうけれど。

「それって……その……ヴィクトールはデートのつもりなんじゃない……?」

だとしたら、レイチェルが一緒に居たら邪魔だろう。2人きりだと思っていたのにレイチェルが引っ付いてきたら、クラムは期待が外れてガッカリする気がする。レイチェルを連れて行くのはやめた方がいいんじゃないかと提案すると、ハーマイオニーは「そんなことないわ!」と食い気味に否定した。

「友達を連れてきても構わないって書いてあったもの。ね? レイチェルだってあの船の中には興味あるでしょう?」
「興味はあるけど……」

そうは言っても、やっぱり2人はパートナーなのだし、クラムの方はハーマイオニーとデートしたいと考えているんじゃないだろうか? 本音を言えば、レイチェルだってあの船の中は気になっていた。とは言え、2人の邪魔をするのも避けたい。

「お願いよ、レイチェル。急に2人きりだなんて、何を話したらいいかわからないもの……」
「えっと……でも……図書室では何度か会ってるのよね?」
「そうだけど……でも、図書室以外では会ったことないのよ」

その気持ちは、レイチェルにも痛いほどわかる。
元々友人ではあったジョージ相手ですら、デートとなると緊張した。クラムとハーマイオニーは知り合って間もないし、確かに心配かもしれない。でも、せっかくのデートのお誘いなのに……。

「えっと……こんにちは、ヴィクトール。ハーマイオニーが誘ってくれて、その……私も一緒に案内してもらってもいい?」

結局ハーマイオニーの誘いを断りきれず、レイチェルは待ち合わせ場所である湖へと来てしまった。先に来ていたクラムはハーマイオニーの隣に居るレイチェルを見て驚いた顔をしたものの、すぐに微笑んでくれた。やっぱり、クラムってすごく良い人だ。

「喜んで。ヴぉくたちの船を見てください」

何度か近くを通りかかったことはあったけれど、いざ目の前で見るとダームストラングの船はやはり見上げるほどに大きかった。淡い色合いだったボーバトンの馬車とは反対に、船体も、マストも、黒檀のような深い漆黒の木で造られている。夜に見たときは少し不気味にも感じたが、重厚で艶やかな黒はどこか荘厳な雰囲気があった。

「どうぞ。アー……足元、気をつけて」

タラップを上り、レイチェル達はとうとう乗船した。船に乗る機会なんて今までなかったから、何だかワクワクする。甲板から眺めてみると、視界が高いせいで見慣れた湖の景色がいつもとは随分と違って見えた。甲板では何人かのダームストラング生が談笑していたので、クラムは先に船の中を案内すると言ってくれた。

「わあ、素敵!」

階段を下りて船の中へと降りて行くと、そこは船の見た目から想像していたのとは印象が違っていた。どうやら談話室のようだ。床には赤いベルベットの絨毯が敷き詰められ、ダークグレーの壁紙が洗練された印象だ。円形の窓は、どこかアンティークな雰囲気の金色で縁取られている。壁に沿って、黒い革張りのソファと丸いテーブルがいくつも並べられている。それに、とても温かい。大きな暖炉の中で赤々と炎が燃えているからだ。レイチェルは思わず歓声を上げたが、ハーマイオニーは困惑したような表情になった。

「……見た目は古い帆船なのに、どうして中は豪華客船みたいになってるの?」

外からの見た目より中の方が広いのは、ダームストラングの船も同じだった。
船の中は3層構造になっているらしい。今居る1番上の層は、共有スペースになっているようだ。談話室を進んでいくと、奥にいくつか部屋があった。授業をするための部屋。それに食堂。薬草の鉢が並べられた小さな温室。

「当たり前だけど、読めないわ……」
「うーん、たぶん魔法薬の本だってことはわかるけど……」

図書室もあった。壁一面に並んだ本の数々にレイチェルとハーマイオニーは相当興味を惹かれたが、外国語で書かれているので内容はさっぱり理解できなかった。フラスコや薬草の図解があるから、たぶん内容は魔法薬学についての本なのだろうけれど……。

「ヴィクトールって、ダームストラングに留学してるってことは……普段は母国語じゃない言葉で授業を受けてるのよね?」

ワールドカップで、クラムはブルガリアの選手だった。つまり、ブルガリアが彼の祖国なのだ。ダームストラングの場所は詳しくは知らないけれど、確か北欧のはず。授業は当然ブルガリア語ではないだろう。それなのに、代表選手に選ばれるくらい優秀だなんてすごい。しかも彼は、世界で1番と言われる優秀なシーカーでもある。レイチェルとほとんど歳も変わらないのに。いや、世界的なシーカーと自分を比べても仕方ないけれど……。

「下に行きましょう」

2層目へ階段を降りて行くと、さっきとは打って変わって、細長い廊下が伸びていて、その両脇にはたくさんのドアが並んでいた。生徒達の寝室のようだ。その中の1つ、クラムは自分の部屋を見せてくれた。ベッドやテーブルなどの家具はやっぱり黒。けれど壁はすっきりと白く、カーペットの色は濃いグレー。椅子やカーテンなどは鮮やかな赤だ。クラムのベッドサイドテーブルにも、やっぱり家族やチームメイトの写真が飾られていた。

「わあ、見て、ハーマイオニー!湖が見える!」
「……そう言えばここ、船の中だったのよね。すっかり忘れそうだったわ……」

何より素敵だったのは、ベッドの枕元にある丸い窓から湖が見えることだ。レイチェルが歓声を上げたが、ハーマイオニーは何だか疲れたように微笑んだ。小さな窓から覗くと、凪いだ湖の水面だけが見えるので、まるで海の中に居るように錯覚しそうだ。

「気に入りましたか?」
「ええ、とっても!」
「それなら、1番下に行ってみますか?」

そう言ってクラムが連れて行ってくれたのは、更に下の層だった。レイチェルは、ここは本来あまり人が出入りする場所ではなさそうだと言う印象を受けた。幅の狭い薄暗い廊下を進んで行くと、1番奥に小さなドアがあるのが見えた。

「どうぞ。中に入って」

言われるままに中に入ると、そこは小さな部屋だった。どうしてクラムがここを案内しようと思ったのか、レイチェルにはわからなかった。三角形に近い形をしているので、位置的には船の舳先の下なのかもしれない。床も壁も白いので広さの割に狭苦しい感じはしないけれど、すごく寂しい印象の部屋だ。装飾らしい装飾は何もないし、家具も背もたれのない長椅子がいくつか並んでいるだけ。窓がないせいで、部屋と言うより倉庫のように見える。ハーマイオニーも同じ感想なのか、困惑した表情だった。が────クラムがドア付近にある何かの装置を動かした瞬間、その印象は一変した。

「わあ……」

湖だ。
湖面ではなく、湖の中が見える。まるでレイチェル自身が湖の中に潜っているかのような、不思議な光景が目の前に広がっていた。囲んでいた部屋の壁がパッと消えてしまった。いや、正確には消えたのでなくガラスのように透明になって見えなくなったのだろう。だって、問題なく息ができているから。
足元のすぐ下を、銀色の光る魚の群れが泳いでいく。遠くに、絡み合った水草のような影が見えた。

「ホグワーツの天井と同じ仕組みかしら?」

ハーマイオニーも驚いているようだった。レイチェルは透明になった壁へと近づき、興味深く周囲を眺めた。ずっとホグワーツで生活しているけれど、湖の中なんて潜ったことがないから不思議な気分だ。大イカや水魔が居て危ないらしいし、あまり入りたいと思ったこともなかったけれど。

「グラスボートみたいだわ」
「ハーマイオニー、グラスボートって何?ガラスでできてるの?」
「えっとね……家族でオーストラリアに行ったときに乗ったんだけど……」

ハーマイオニーが話してくれる家族旅行の思い出を聞きながら、レイチェル達は湖を眺めた。レイチェルはつい────いつもの癖で、マグルの文化について色々とハーマイオニーに質問してしまったので、クラムとハーマイオニーが会話する機会を奪ってしまったのではと心配になった。が、クラムはどこか微笑ましそうな柔らかい眼差しでハーマイオニーをじっと見つめていた。

「ハーモンニニーは物知りですね」

ハーマイオニーは気づいていないようだったが、その表情だけでクラムはハーマイオニーのことが可愛くて仕方がないと言うのが伝わって来て、見ているだけのレイチェルが照れてしまった。
最後にクラムは、甲板を案内してくれた。巨木のようにそびえ立つマストの中でも1番高いものに上って、レイチェル達はそこからの景色を楽しんだ。空はすっかりオレンジ色に染まっていて、夕日が森の向こうへと沈んでいくのを眺めた後、レイチェル達は城に戻ることにした。

「……やっぱり、私、すごく邪魔じゃなかった……?」
「そんなことないわ。レイチェルが居てくれて、本当に助かったもの……」

クラムと別れて、レイチェルはずっと思っていた疑問を口にした。
ハーマイオニーは強く否定してくれたし、レイチェル自身すっかり楽しんでしまったが、自分が居なければ2人は素敵なデートが出来たのではと言う気持ちが拭えない。やっぱり、もしもチョウが構わないと言ってくれたとしても、セドリックとチョウとレイチェル、3人で過ごすと言うのは難しい気がする……。

「2人きりでも大丈夫だったと思うわ。ヴィクトールってすごくいい人だもの」
「……ええ。いい人よ。わかってるわ」

ハーマイオニーがボソボソと呟いた。困ったように眉を下げて頬を染めるハーマイオニーの姿は可愛らしい。デートの邪魔をしてしまったのではと言う不安は残るものの、いつも大人びていてレイチェルよりもよっぽどしっかりしているハーマイオニーに頼ってもらえたことはレイチェルには嬉しいことだった。

「たぶん……私が、あの人のパートナーだって知られてやっかまれるのを嫌がってるってわかってるから……今日も、船を案内するって言ってくれたのよ。あそこなら、他のホグワーツ生に見られる心配がないもの」

なるほど。確かに、未だにクラムのパートナーがハーマイオニーだと言うことは噂になっていない。代表選手であるクラムはいつも人に囲まれているので、たぶん相当気をつけているのだろう。それはたぶん、ハーマイオニーを気遣ってのことだ。やっぱり、クラムはとても良い人だ。

「ハーマイオニーって、ヴィクトールのこと、『あの人』とか『彼』って呼ぶのね」

船の中を案内されているときから、気になっていたことだった。ただの友人であるレイチェルが「ヴィクトール」と呼んでいるのに、パートナーであるハーマイオニーがそんな風に呼ぶのは何だかちょっと他人行儀な気がする。

「名前で呼んでみたら? きっと喜んでくれると思うもの」
「……それもわかってるわ」

ハーマイオニーが頭を抱えたので、レイチェルはそれ以上何か言うのはやめにした。
口出ししすぎてしまった。ハーマイオニーにはハーマイオニーのペースがあるのに。それに、人の恋愛のことならこんな風に簡単に言えるけれど、自分のことになるとわかっていても難しいと言うのはレイチェル自身もよく知っている。そもそも、ハーマイオニーにアドバイスできるほど、レイチェルは恋愛上級者でもないのだ。人の心配をしている場合じゃない。それでも────やっぱり、ハーマイオニーがクラムと上手く行ってほしいと願ってしまう。

「明日はきっと、2人でも楽しく過ごせるわ。大丈夫よ」

そう。明日はとうとうダンスパーティーだ。こんな風に大掛かりなパーティーなんて初めて。ドレスやハイヒールを身に着けるのも、男の子と一緒にダンスを踊るのも。何もかも初めてのことだらけ。
ジョージとの関係も、パーティーのことも。色々と不安に思うこともあるけれど……でも、レイチェルが一緒にパーティーに行きたいと思ったのはジョージだった。せっかく、そう願った相手とパートナーになれたのだ。楽しい1日になるといいなと思う。

楽しい1日にしたいなと思う。

スプーンと湖

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