恋人同士が2人で過ごすときにどんな会話をするものなのか、レイチェルはよく知らない。
理由はこれ以上ないくらいシンプルで、レイチェルには今まで恋人が居たことがなかったからだ。上級生になってからは周りにカップルが増えたと感じるけれど、レイチェルの親しい友人達に限ればそうでもない。エリザベスはモテるけれど決まった恋人は居たことがないし、逆にパメラは長く付き合っている恋人が居るけれど、もう卒業してしまっているので校内で一緒に過ごしているのを見る機会はない。アンジェリーナやアリシアも、クィディッチの練習が忙しくてボーイフレンドなんて作る暇がないと嘆いていた。クロディーヌは確か今まで何人かの男の子と付き合っていたはずだけれど、その頃のレイチェルはクロディーヌを苦手に思っていたせいで、当時のことは知るはずもない。ペネロピーはパーシーと付き合っているけれど、2人が一緒に居るところをレイチェルはほとんど見たことがなかった。つまり、そう────参考にできそうなサンプル数が、圧倒的に少ない。
もっと恋愛小説を読むべきだったのかもしれない、とレイチェルは後悔した。……が、今まで読んだ数少ない恋の物語の記憶を手繰り寄せて、すぐに考え直した。だって、小説の中の恋人たちってものすごくドラマチックだ。家名や血筋のせいで周囲に恋を反対されていたり、どちらかに呪いがかかっていて余命がわずかだったり。実は、クロゼットに死体を隠していたり……。物語にレイチェルとはあまりにも境遇が違いすぎて、とても真似できそうにない。さすがに死体を隠していることはないにしろ、ジョージのクローゼットにはレイチェルの予想もつかないものが詰まっていそうだけれど。
「えっ……もう食べ終わっちゃったの?」
「まぁ、腹減ってたしな」
そんな風に考え事をしていたせいで、レイチェルの食事のスピードがいつもより遅くなっていたと言うのもあるかもしれないけれど……それにしたって食べるのが早い。レイチェルはようやく半分食べ進めたところなのに、ジョージの目の前のお皿はもう空っぽになっている。そう言えば、ロジャーもいつもレイチェルより先に食べ終わっている気がする。セドリックと食事するときはあまり気にしたことなかったけれど、もしかしたら男の子ってこれくらいのスピードが多数派なのだろうか……?
待たせるのも申し訳ないし、もっと急いで食べた方がいいのかも。そう考えたせいか、まだよく噛んでいないまま口の中の物を飲み込んでしまい、レイチェルは軽く喉を詰まらせた。慌てて水の入ったグラスに手を伸ばそうとすると、それに気づいたジョージが手渡してくれた。
「大丈夫か?」
「……ありがとう」
「いいよ。急がなくて」
……そうは言っても、食事しているところを黙って一方的に見られるのも気まずい。と言うか、恥ずかしい。やっぱりもっと違うメニューにすればよかった、とレイチェルは再び後悔した。
「ねぇ、ジョージ……」
「ん?」
「その……ううん、やっぱり何でもない」
緊張するからじっと見ないで、と言おうとしてレイチェルはそれを飲み込んだ。伝えたら、面白がってかえってまじまじと見られるような気がした。いや、何だかんだジョージは優しいからジョージはレイチェルがそう頼めばその通りにしてくれるかもしれない。どっちだろう。
また一口、フォークを口へと運びながらレイチェルはそんなことを考えた。顔を上げたらジョージと目が合いそうな気がして、テーブルの木目ばかり見てしまう。レイチェルの口が塞がっているせいなのだけれど、周囲が騒がしいせいか妙に沈黙を意識してしまう。
……いつも、ジョージとどんな話をしてたっけ。
そう考えてみて、レイチェルはすぐにこの疑問の答えも大して参考にならないことに気がついた。去年より顔を合わせる機会が増えたから、自然と会話も増えたとは言え、そもそもレイチェルがジョージとこんな風に2人で過ごすこと自体そんなに頻繁にあることじゃないのだ。廊下ですれ違えば挨拶くらいはしていたけれど、寮が違うとそもそも行動範囲自体あまり被らないし。授業で一緒になったときに話すとか、偶然会ってほんのちょっと立ち話するくらいのことがほとんど。ついでに……思わせぶりなことを言ってからかわれたりもしたけれど。大抵はレポートのこととか、対抗試合のこととか、お互いの共通の知り合いについて。つまりは、他愛のない世間話ばかりだ。せっかくのデートなのだから、もう少しデートらしい会話をした方がいいような気がする。でも、デートらしい会話って何だろう……?
「本当は、ここの暖炉からロンドンに移動するって言うのも考えたんだけどな。君、マグルが好きだし」
と思っていたら、ジョージの方が先に口を開いた。
ジョージの口調は呑気そうだったが、告げられた内容にレイチェルはギョッとした。今まで考えたこともなかったけれど、確かに三本の箒の暖炉から煙突飛行を使えばどこにだって行くことができる。もしかして、双子は今までそれを実行したことがあるのだろうか? いや、いくらフレッドととジョージだってまさかそこまでは────。
「それは……その…………考え直してくれてよかったわ」
確かに、レイチェルは機会があればあちら側────マグルのロンドンの街にまた行きたいと思っている。けれど、いくら何でもこっそりホグワーツを抜け出して遠出するなんて無茶をするつもりはない。内緒で連れて行かれた先がロンドンの真ん中だったら、目を回していた気がする。勝手にホグワーツどころかスコットランドからすら飛び出すだなんて、一体いくつの規則を破ることになるのか検討もつかない。本当に、考え直してくれてよかった……。
何か切迫した事情があるのならともかく、自分勝手な都合で規則を破るのは良くないことだ。
少なくともレイチェルはこんな風に勝手に城を抜け出してことは入学してから1度だってなかったし、門限だって破ったことがなかった……つい、数日前までは。
でも、レイチェルだって全ての規則を厳格に守っているわけじゃない。知らなくて無意識に破ってしまっている規則だってあるだろうし、廊下での魔法使用禁止なんて律儀に守っている生徒の方が珍しい。規則違反なんて何ひとつしたことがありません、と胸を張って言える学生なんてきっとホグワーツ中探してもなかなか見つからないだろう。
だとしても、フレッドとジョージは……ちょっと度を超していると思う。とは言っても、その“武勇伝”も大抵は噂で耳にするだけで要領のいい2人は証拠を掴ませないわけだけれど。今回の件と、それから数日前の夜間外出の件で、レイチェルは確信した。やっぱり、双子は規則違反の常習犯だ。
でも……そんなジョージが、レイチェルに気を遣って譲歩してくれていると言うのもわかる。
レイチェルとジョージは、今までこんな風に2人で過ごすことはほとんどなかった、だって、寮が違うから。でも、それだけじゃない。寮が同じだったとしたら、ジョージともっと親しかったはず────とは、レイチェルには思えない。寮もだけれど、それ以前に価値観が違うからだ。
『ジョージ……って、あのジョージ!?』
ジョージにパーティーに誘われたと伝えたときに、親友のパメラですら驚いていたのがその証明かもしれない。
異性の友人の少ないレイチェルにとってはジョージは比較的「仲が良い」男の子だったけれど、ジョージにとっては違う。ジョージ────それにフレッド────と仲の良い女の子と言えば、同級生達が思い浮かべるのはアンジェリーナやアリシアだろう。他にも、フレッドやジョージの悪戯のファンと言うか……彼らの破天荒さを楽しむようなノリの良い子はたくさん居る。改めて考えると、やっぱりどうしてジョージがレイチェルを誘ってくれたのか不思議な気がする。
パーティーやデートにすっかり舞い上がって忘れていたけれど、そもそもジョージとレイチェルでは価値観が違うのだ。
「じゃあ、君も食べ終わったことだし……城に戻るか」
そう。価値観が違う。だから今、ジョージはレイチェルに合わせてくれようとしている。レイチェルが規則違反なんてダメだと言ったから。城に戻って、規則を破らず大人しくデートをする。レイチェルの希望通りだ。
でも……本当にこれでいいんだろうか?
「あ、あのね、ジョージ……」
ジョージはそれで構わないと言ってくれている。でも、それって本心なのだろうか? せっかくレイチェルを楽しませようと連れてきてくれたのに、可愛げのない反応にガッカリさせてしまったんじゃないだろうか? もし……もし、「他の女の子を誘えばもっと喜んでくれたのに」なんて思っていたらどうしよう。
レイチェルは躊躇ったものの、意を決して言葉を紡いだ。
「その……少しだけなら……。今回だけって約束してくれるなら……」
────それに、生徒は行っちゃダメって言われてるところには行かないのなら。
言いながら、段々と声がボソボソとくぐもってしまったが、それでもジョージには届いたらしい。驚いたように見開かれた目から、レイチェルは後ろめたさに視線を逸らした。自分でも、らしくない選択だとは思う。でも……せっかくレイチェルを喜ばせようとしてくれたジョージを、ガッカリさせたくない。
「了解」
そう思ったはずなのに────悪戯が成功したときみたいにニヤッとジョージの顔を見たら、やっぱり早まったかもしれないとちょっと後悔した。
いつもお化粧してる女の子達ってすごい、とレイチェルは思った。
食事をしたらリップグロスが取れてしまったので、レイチェルはマダム・ロスメルタにトイレを借りてそこで直すことにした。ついでにいつもより念入りに歯を磨いた。……もしかしたら、この後キスをするかもしれないと思ったから。
どうにかはみ出さないように塗ることができたので、何となく鏡に向かって笑いかけてみる。こうなったからには、覚悟を決めるべきた。せっかくジョージが誘ってくれたのだから、楽しいデートにしよう。ジョージにも、誘ってよかったと思ってもらいたい。今日はもう、「規則違反」と言う言葉はしまっておこう……。
「どこか行きたいところは?」
「えっと……ハニーデュークスとかかしら。ジョージは?」
「俺はゾンコかな」
「じゃあ、先にそっちに行きましょ。ここから近いもの」
いつもと同じ場所のはずなのに、隣を歩いている相手が違うだけで何だか景色まで違って見える気がする。ジョージの言っていた通り、レイチェルとジョージが歩いていても、道行く人達は誰も気にした様子がなかった。クリスマスが近いせいか、いつもより買い物客が多くて賑やかだ。レイチェルがそんな感想を言うと、ジョージは怪訝そうな表情になった。
「クリスマスじゃなくたって、こんなもんじゃないか?」
「そうなの? でも、普段のホグズミード休暇のときって、こんなに人が多くないじゃない。三本の箒は混んでるけど……」
「そりゃまあ、ホグワーツ生がウジャウジャ来るってわかってる日は、それ以外の客は避けるだろ。かなり前から学校側とスケジュール調整してるはずだぜ」
今まで考えたことがなかったけれど、言われてみれば確かにそうだ。ホグズミード休暇のときはどこに行ってもホグワーツ生ばかりだけれど、あれはほとんど貸し切りに近い状態だったのかもしれない。ホグワーツ生がありったけのお小遣いを注ぎ込んでいるとは言え、ホグズミード休暇は年にたった数回きりなのだから、他にもお客さんが来なければお店だって困るだろう。
「……貴方たちが悪戯専門店を作ったら、ホグズミードにもお店を出すの?」
「いや、実店舗を出すならダイアゴン横丁がいいな。通販って手もあるけど……やっぱり信用が違ってくるし。あそこなら、国外の観光客の需要も見込めるしな」
「ふぅん」
淡々としたジョージの返事に、レイチェルは感心した。
たとえばレイブンクローの下級生の男の子が「将来は悪戯専門店を開く」なんて言い出したとしたら、勉強が嫌になった現実逃避だろうかと疑ってしまいそうだけれど……フレッドとジョージはいたって真剣だ。真剣だし、行き当たりばったりでもない。きちんと実現に向けて、計画を立てているのだろう。実際、商品開発も進んでいるみたいだし。なりたい職業がようやく決まったところのレイチェルなんかより、よっぽどしっかりしているし、地に足がついている。レイチェルにできることがあれば、応援したいとも思う。対抗試合の賞金を開店資金にする、と言う目論見は失敗に終わってしまったけれど……魔法薬の材料くらいならともかく、1000ガリオンなんて大金は到底レイチェルには用意できない。そうだ。用意と言えば……。
そう言えば、ジョージへのクリスマスプレゼントってどうしたらいいんだろう。
クリスマス直前にホグズミード休暇はないとわかっていたから、友人達やディゴリー夫妻、それに両親へのプレゼントやカードはふくろう通販で注文した。ジョージにも……一応、以前より親しくなったと感じていたので、カードを用意してある。カードくらいなら、レイチェルだけが一方的に送ることになったとしてもそんなに気を遣わせずに済むだろうと思ったから。でも、それは友達としてだ。一応、恋人に対してカード1枚きりと言うのは……ちょっと寂しい気がする。今からでも注文すればギリギリ間に合うだろうし、今日ジョージに見つからないようこっそり買えれば用意はできる。でも、ジョージの方はどうするつもりだろう? ジョージは用意していなかったとしたら、レイチェルだけが気合いの入ったプレゼントを贈っても、かえって気まずくなりそうだ。でも、何となく直接本人には聞きにくい……。
「この花火より、こっちの方がよく飛ぶんだ」
「そうなの?」
「でも、こっちのメーカーの方が色や光が派手なんだよな。それに、模様を作るならこっちの方がやりやすい」
プレゼントなら、やっぱり本人が喜ぶもの。ジョージが喜びそうなものと言えば、悪戯グッズだけど……実際、ゾンコの店内の商品を説明してくれるジョージは楽しそうだ。でも、クリスマスプレゼントにはどうなんだろう……? ライバル店の偵察なのか、真剣に商品を物色しているジョージの横顔を眺めながら、レイチェルもまた首を捻った。
「見ろよ、レイチェル。本物そっくりだ」
「えぇ……?これ、どうやって食べるの……?」
目を輝かせるジョージの視線の先は、ハニーデュークスの新商品の棚に置いてあるガラスケースだった。中には巨大なタランチュラそっくりのお菓子が蠢いている。どうやらチョコレートらしいけれど、蛙チョコレートより一回り大きいので一口で食べるのは難しそうだ。ジョージは早速面白がって試食用の蜘蛛チョコレートを手の甲で遊ばせている。
「やっぱり、ハニーデュークスの菓子はすごいよな。見た目凝ってるだけじゃなく、味もうまいし」
「……もしかして、ここにも偵察に来たの?」
真剣な表情でそんなことを言うジョージに、レイチェルはクスクス笑ってしまった。
そう言えば、前にジョージにお礼としてクリスマスプレゼントを贈ったときはお菓子だったっけ。今回もお菓子と言う選択肢はアリかもしれない。お菓子なら、もらったところでそんなに気を遣わせることもないだろう。うん、いいかも。たくさん並んだ新商品の1つ1つにレイチェル達は感想を言い合いながら、レイチェルはのんびりと店内を見て回った。
何だか…………楽しい。
他愛のないおしゃべりだ。恋人同士の会話らしくはないかもしれない。でも、その相手がジョージだと言うだけで、何だかくすぐったい。デートだと思うと緊張したし、何かいつもとは違うことをしなきゃいけないのだろうかと────たとえば何かこう、ロマンチックな会話をするとか、腕を組んで歩くとか────身構えてしまっていたけれど……ただ同じものを見て、一緒に話しているだけでも、ジョージと2人きりだと言うだけで、新鮮に感じる。どこかふわふわするような、でも、無理に背伸びをする必要がないことに、ホッとするような。……もしかしたら、ジョージがレイチェルの緊張に気がついて、いつも通りにしてくれているからなのかもしれないけれど。
「新しいジョーク菓子を作ろうってフレッドと相談してたんだけど、味が決まらないんだよな。何がいいと思う?」
キャンディの瓶を片手にジョージがそんな質問をしてきたので、レイチェルはぱちりと瞬いた。
ストロベリーとリンゴとグレープはもうある、と補足したジョージに、レイチェルはふむと考えた。
「私の好きな味でいいの?」
「まあ、上手く作れるかは保証できないけどな」
「じゃあ……ラズベリー」
「へぇ。……そうか。そう言えば君も夏生まれだっけ」
「そうだけど……どうして?」
「ジニーと同じだなと思ったんだ。だから、ジニーの誕生日ケーキにはいつもラズベリーがたっぷり乗ってる」
まあどっちが先なのかはわかんないけど、とジョージが笑った。言われてみれば、レイチェルの誕生日ケーキもそうだ。レイチェルがラズベリーを好きだから乗せてくれているのだと思っていたけれど、もしかしたら、そもそもラズベリーを好きになったのは誕生日ケーキの印象が強いせいだろうか?
そう言えば……ジョージとは友達になってからそれなりに時間が経つけれど、ジョージのことってあまりよく知らない。好きな食べ物も、好きな季節も。
「ジョージの誕生日は、確か4月よね。趣味……は、悪戯? 」
「まあ。君の趣味は読書だよな」
「じゃあ……好きな授業は?」
「授業……あー……強いて言えば魔法史かな。内職し放題だし」
「それ、好きな授業って言わないでしょ。でも、私も魔法史の教室は好き。落ち着くもの。あっ、それに、マグル学の教室も。それに、落ち着くって言ったら、やっぱり談話室が1番だけど」
「ああ……レイブンクローの談話室も、インテリア凝ってるよな」
「……もしかして、入ったことあるの?」
「まさか」
ジョージは否定したが、この口調だとたぶんあるのだろう。まあ、こっそりホグズミードに抜け出すことに比べたら、他の寮の談話室に入るくらいは可愛いものかもしれない。特にレイブンクローの場合は、ドアノッカーの質問にさえ答えればいいのだから、規……じゃない、問題があると言うわけでもないし……。
「……ジョージは、お気に入りの場所ってある?」
「俺は、まあ……どこだろうな。よく行く場所って言うと7階の隠し部屋か? あとは厨房とか」
「厨房って、私、行ったことないの。どんなところ?」
「気になるのなら、今度連れてってやるよ」
「本当?」
通りにある色々なお店を2人で回って、色々な話をした。
ずっと前から知っている相手なのに、今更こんなことを聞くのはちょっと照れくさいような気がしたけれど、レイチェルとは違うジョージの好みを聞くのは楽しかったし、似ているところを見つけると嬉しかった。もしかしたら、今日1日だけで知った情報の方が、今までの数年間で知っていた情報よりも多いかもしれない。デートってすごい。
「待って。待って、ジョージ……」
「あ、ごめん」
ジョージはレイチェルより歩くのが早い。そのせいで、気を抜くと置いていかれそうになる。どうにか頑張って早足で歩いていたのだけれど、人にぶつかりそうになってほんのちょっと足止めされていた間に、ジョージはずっと先まで進んでしまっていた。レイチェルの姿がないことに気がついてジョージが立ち止まったので、レイチェルはようやく駆け足で追い付くことができた。
「でも、セドリックだって、いつもこんなもんじゃないか?」
「セド?」
そう言えば……セドリックはジョージよりも更に背が高いのだから、普通に考えればセドリックはジョージと同じか、ジョージより歩くのが早いはずだ。でも……急いでいるときはともかく、一緒に歩くときはあまり気にしたことがない。その理由は、きっと……レイチェルが焦らなくていいように、いつもセドリックがレイチェルのペースに合わせてくれていたから。
「あっ……」
どうやら考え事をしていたせいで、歩くスピードが落ちてしまっていたらしい。またしてもジョージとの間に距離ができてしまっていることに気がついて、レイチェルはまた小走りになった。置いていかれないようにと、ジョージの────正確にはリーのものなのだろうけれど────コートの裾を掴む。ジョージはそれを気にした様子もなく歩き続けている……ように見えたが、僅かに肩を震わせているところを見ると、どうやら笑っているようだった。
「……何?」
「いや。ジニーも昔、こうやって俺やフレッドの服に掴まってたなと思って」
「私はジニーと同じ?」
レイチェルがそんな風に自分に言い聞かせていると、ジョージが立ち止まった。突然だったので、すぐ後ろを歩いていたレイチェルはそのまま前へとつんのめりそうになった。
「何? 急にどうし……」
どうしたの、と聞こうとしてレイチェルは顔を上げた。が、最後まで言葉にすることはできなかった。何か、柔らかいものが────結論から言えば、ジョージの唇だったわけだけれど────レイチェルの唇に触れて、言葉は飲み込まれてしまったからだ。ほんの一瞬のことで、すぐに離れたけれど……またしても不意打ちでキスされて、レイチェルは動揺した。
「妹にはこんなことしない」
……いきなりはやめてって、この間も言ったのに。ああ、でも、その後、やっぱり事前に言わなくていいっていったんだっけ……?
悪戯っぽく笑ってそんなことを言ってみせるジョージに、レイチェルは赤くなった頬を見られたくなくて俯いた。
日が暮れて暗くなってくると、ジョージは村の中心部から離れた小高い丘へと連れて行ってくれた。
見晴らしのいいその場所からは、ちょうど村を一望することができる。並んだ家々の窓に灯った柔らかな灯り。それに、金色のハチミツが溶け出したような夕焼けと、ブルーベルの花のような青紫色の空のグラデーション。絵本の挿し絵から飛び出してきたようなその光景は、どれだけ眺めていても飽きないだろうと思った。
「クリスマス休暇にホグズミードに居るのって、やっぱり変な感じ」
「そうか。君、いつも休暇は家に帰ってるんだっけ」
「ええ。今年が初めてよ。……てっきり、ずっと城の中で過ごすことになるとばかり思ってたけど」
“規則違反”の文字がまたしても頭によぎり、レイチェルは首を横に振ってどうにかそれを追い出した。今更また悩んだところで時間は巻き戻せないし、無意味だ。今は考えない。ジョージだって、今回限りだと約束してくれたんだし。
「パーティーも楽しみだけど……オッタリーセントキャッチポールのクリスマスも素敵だから、帰れないってなるとちょっと寂しい」
思いがけず来ることになったホグズミードのクリスマスはやっぱりとても素敵だし、きっとパーティーもすごく華やかなのだろう。学校に残ったことに後悔はしていなけれど、少しだけ……ほんの少しだけ、家が恋しくなってしまったりもする。なんて、16歳にもなって子供っぽいだろうか。言わなければよかったかもしれないと思ったけれど、ジョージは笑わなかった。そのことが、レイチェルには何だか嬉しかった。
「……隠れ穴でのクリスマスってすごく賑やかそうよね」
「そうでもないさ。ちょっとしたクラッカー代わりにグールお化けに花火をけしかけるくらいだぜ」
「……グールお化けが居るの?」
「ああ」
ジョージが言うとどこまでが冗談でどこまでが本当なのかわからないけれど……レイチェルはその光景を想像してみて、思わずクスクス笑ってしまった。そもそもグールお化けが居なかったとしても、きっとフレッドとジョージが居れば十分すぎるくらいに賑やかだ。
「君ん家って、母親と2人暮らしなんだっけ」
「そう。パパはほとんどルーマニアから帰って来なくて……だから、クリスマスは大体セドの家族と一緒に過ごすの。おばさん……セドのママが料理上手で、たくさんのごちそうを作ってくれて……。って言っても、お酒を飲み始めると大人達だけで盛り上がっちゃうから、最後はいつも私とセドの2人で────」
そこまで言ったところで、レイチェルは言葉を切った。今話そうとしている内容に、急に不安になったからだ。
「あの……もしかして、その……デート中に他の男の子の話をするのって、ダメだった?」
「俺がフレッドの話をすると君が嫉妬するって話か? そいつはどうにか慣れてもらうしかないな」
ジョージが真面目くさった表情でそんな風に言ってみせたので、レイチェルはホッと肩の力を抜いた。
セドリックの話をすることに他意はないし、一緒に過ごす時間が多いから何か話をしようとするとどうしてもセドリックの名前が出てきてしまう。でも、そのせいでジョージに嫌な思いをさせたらどうしようと心配になったのだ。いや、まあ、セドリックにだって彼女ができたのだし、これからは一緒に過ごす時間も減るのかもしれないけれど……。
「それでね、そのときハーマイオニーが……」
並んで座って、空に広がったグラデーションが段々と濃くなっていくのを眺めながら、またたくさん話をした。休暇中にあったこと、友人達のこと、対抗試合のこと。そしてダンスパーティーのこと────。
「今日の君、いつもよりおしゃべりだよな」
「そ、そう……?」
ふいにジョージにそう言われて、レイチェルはギクッとした。
自分でも、いつもより饒舌な自覚はあった。せっかく2人で過ごす時間があるのだから、たくさん話をしたい。そう考えたのは事実だ。でも、それだけじゃない。さっき村を歩いていたときはそうだったけれど、今は違う……。
「だって……だって、こう言うの……慣れてないんだもの……」
村を歩いていたときは、周りにも人が居たけれど、今は本当に2人きりだ。緊張するし、ドキドキする。ホグズミードに着いたときからずっとドキドキしている。このドキドキが規則違反のせいなのか、それとも目の前に居るジョージが原因なのかも、もはやよくわからない。
「セド以外の男の子と2人で出掛けるなんて初めてだし……その、私……デートってどんな話をしたらいいのかもよくわからなくて……」
おしゃべりになってしまうのは、会話が途切れるのが不安だったからだ。言葉が尽きてしまったら、気まずい気がして……ううん、気まずいだけならまだいいのだけれど、何と言うか……ロマンチックな雰囲気になってしまったら、レイチェルにはどうしたらいいかわからなくなってしまうから。だから、会話が続いていると安心した。でも、もしかしたらジョージには退屈だったかもしれない。ここに居るのがレイチェルじゃなくアンジェリーナやパメラやクロディーヌだったら、もっとジョージを楽しませるような会話ができたんじゃないだろうか?
「他の女の子みたいに、駆け引きとか……そう言うのも、できないし……」
今日1日一緒に過ごして気が付いたことがある。ジョージは何と言うか、デートに慣れている雰囲気だった。実際のところはどうなのかはわからないけれど、少なくともレイチェルよりはずっと余裕がある。レイチェルがもっと経験豊富な女の子だったら、何と言うか……こんな風にジョージに一方的に振り回されるばかりじゃなく、もっと気の利いた返しができたのかもしれない、とも。
「なるほどな。慣れれば駆け引きも上手くなる、と」
「そ、……」
そう言う意味じゃない。
レイチェルは否定しようと口を開きかけたが……声に出す前に、そのまま飲み込んだ。もしかしたら、ジョージは駆け引きを楽しめるような女の子の方が好みなのだろうか……?
「が、頑張る……」
「『頑張る』って……」
「期待しておく」
馬鹿にされているのかと思ったけれど、そうやって笑うジョージの表情が柔らかいから、レイチェルは何も言えなくなってしまった。そんな風に言うってことは、やっぱりジョージは駆け引きが上手な女の子の方が好きなのだろうか……?
「っと……そろそろ戻らないとまずいな。帰ろうぜ」
「……うん」
今日はもう、キスはしないんだ……。レイチェルはホッと胸を撫で下ろし、そして恥ずかしくなった。こんなことを考えると、まるでキスされることを期待していたみたいだ。違う、だって、キスをするとなると心の準備が必要だから。それだけだ。別に、キスしてほしかったわけじゃない。……デートだし、するのかなとはちょっと思ったけど。
「抜け道は使わないの?」
「ああ。あそこから戻ると、時間がかかりすぎるからな」
「見つかったりしない……?」
「大丈夫だって」
確かに、もう頭上には星が瞬き始めている。
てっきり来たときの道を戻るのかと思ったけれど、ジョージが向かったのは村のメインストリートだった。つまりは、正面から堂々と戻るつもりらしい。でも、門は閉まっているはずなのにどうやって……?
「あっ、やべ。マクゴナガルとスプラウトだ」
「えっ」
15分ほど歩いただろうか。城の門が見えたところでジョージがそんな風に呟いたので、レイチェルはギョッとした。慌てて、木の影に身を隠す。確かに、遠く見える門の向こうにローブを着た影が2つ、歩いていくのが見えた。暗くてよく見えにくいけれど、あの三角帽子は確かにマクゴナガル教授とスプラウト教授だ。
「……行ったみたいだ。もう大丈夫だろ」
「……本当?」
ジョージに促されて、レイチェルはおっかなびっくり木の影から出た。心臓がバクバクする。忘れようと努力していたが、こうなるとまた規則違反の罪悪感と不安が、ドッと吹き出してきた。もしも今、教授達に見つかっていたとしたら一体どんな罰則だったのだろう……? 不安でいっぱいのレイチェルとは対照的に、ジョージは落ち着いていた。もしかしたら、こんなのは慣れっこなのかもしれない。いや、でもレイチェルはたとえこれを10回繰り返しても慣れる気がしない。やっぱり、ジョージとレイチェルでは価値観と言うか、精神構造が違う……。
「さて。ここをこう叩いて、と……」
予想通り門は閉まっていた。てっきり解錠呪文を試してみるつもりなのかと思ったけれど、ジョージによるとそれをすると教授達にバレてしまうらしい。代わりに、門よりも20メートルほど離れたところにある、フェンスとフェンスの間にある柱に積まれている石のいくつかを叩いた。すると────目の前のフェンスが地面へと引っ込んで、人1人が通れるくらいの隙間ができた。
「……こんなの、どうやって知ったの?」
「企業秘密さ」
漏れ鍋の裏のレンガの壁と似たような魔法なのかもしれない。何にしても、レイチェルはようやく半日ぶりにホグワーツの敷地へと足を踏み入れることができた。しかも、誰にも見つかることなく。そう安心したら、ドッと体が重くなったと言うか、力が抜けたと言うか……レイチェルはその場にへたりこんだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわ。もう……あなたと居ると、心臓がもたない……」
「へぇ?」
ジョージに手を貸してもらって、立ち上がる。
薄々そんな気がしていたけれど、たぶんレイチェルは規則違反に向ていない。バレなければ平気だと開き直ることもできそうにないし、スリルを楽しめるタイプでもない。そしてジョージが一緒だから何とかなっているだけで、規則破りをバレずにやり遂げること自体できない気がする。やっぱりフレッドとジョージってものすごく要領がいいのだ。
「あ、あのっ、でもね、その、悪い意味だけじゃなくて……」
レイチェルはハッとして言い繕った。さっきの言葉だけだと、誤解を生むかもしれない。確かに規則違反は心臓に悪いし、神経が擦り減った気がするけれど、でもそれだけじゃない。「……今日、すごく楽しかった。誘ってくれてありがとう、ジョージ」
「どういたしまして」
規則違反は良くないけれど、それを差し引いても……綺麗さっぱり差し引くのは難しいけれど……それでも、今日のデートはとても楽しかったし、ジョージがレイチェルを楽しませようと色々考えてくれたことがわかって、嬉しかった。
「それに……せっかく連れて行ってくれたのに、文句ばかり言って……ごめんなさい……」
「いや、まあ……俺が騙して連れて来たのも悪かったし。君が驚くのも当然だろ」
素直に喜ぶのは難しいにしても、それでもせっかくジョージが計画してくれたことに対して、レイチェルの反応はあまりにも可愛げがなかったんじゃないかと思う。いや、そもそもジョージが普通にホグワーツの中でのデートを計画してくれたらレイチェルもあんな態度とらずに済んだ気もするのだけれど……。
「寮の前まで送ろうか?」
「ううん、ここでいいわ。ありがとう……」
ジョージとレイチェルが付き合うことになったと言うのはきっともうバレているだろうけれど、それでも一緒に居るところを見られて冷やかされるのは遠慮したい。
「じゃあ、また……パーティーで」
「ああ」
とは言っても、まだ城の外だから向かう方向は同じだ。お別れを言うにはちょっと早すぎた。何となく気まずい沈黙を抱えたまま、城の灯りを目指して並んで歩く。玄関ホールに着いたところでジョージが一度立ち止まり、じっとレイチェルを見つめた。レイチェルもつられて足を止める。
……あ。この雰囲気って、たぶんキスされるやつだ。
なるほど、これがよく皆が話している別れ際のキスと言うやつなのだろう。レイチェルは気恥ずかしさに視線を泳がせたものの、結局は覚悟を決めて目を閉じた。が────数秒経っても、何も起こらなかった。
……………………あれ? もしかして勘違いだったのだろうか。ジョージにはそんなつもりなかったのかも。そう言えば、朝メイクしてもらってから時間が経ったけれど、しばらく鏡を見ていない。明るいところで見たらお化粧が崩れてるのか気になったとか?
いや、でも、こんなに長く目を閉じていたら、察しのいいジョージはレイチェルがキスを待っていると気がついただろう。だとしたら恥ずかしい。と言うか、やけに静かだけれど、ジョージはまだレイチェルの前に居るのだろうか? もしかして、さっきの「じゃあ」でお別れは済んだと思って、もうグリフィンドール塔に帰ってしまったとか?
考えている間に、たぶんもう10秒は経っただろう。さすがに不安になってきて、様子を伺おうとそろそろと目を開けた────まさにその瞬間にキスされた。
完全に油断したタイミングだったので、レイチェルは一瞬何が起きたのか理解できず混乱した。見開いた視界に、ジョージの目が、鼻筋が間近に迫っている。腰を引き寄せられて、深く口付けられる。この間の図書室のときと同じ、あのキスだ。今回もレイチェルはどうしていいかわからず、ギュッと瞼を閉じる。またしてもやっぱり、息継ぎのタイミングがわからない……。
「あ、あんまり意地悪しないで…………」
言いたいことはたくさんあったが、混乱して頭が上手く回らない。ようやく新鮮な酸素を取り込んで、レイチェルは切実にそう訴えた。
この間も「緊張する」と伝えたし、今日だって「慣れてない」と申告したはずだ。普通にキスするだけでもいっぱいいっぱいなのに、あまり変化球と言うか、奇をてらったことをするのはやめてほしい。心臓が爆発する。普通、付き合い始めのデートの別れ際のキスってもっとこう、挨拶としてチュッとするだけの軽いやつじゃないの?
「無理」
が、ジョージは悪びれた様子もなくそう言ってきたので、レイチェルはうぅと呻いた。初心者のレイチェルと違ってジョージは慣れているのかもしれないし、普通にキスするだけだと退屈に感じるのかもしれないけれど……でも、こればかりはレイチェルがジョージに合わせるのは無理そうなので、ジョージの方が譲歩してほしい。
「そうやって、照れて困った顔してるのが可愛いから」
項垂れるレイチェルの耳元で、ジョージの声が楽しげに囁く。照れるよう様子もなく紡がれたその言葉に、レイチェルはただでさえ熱いに、更に熱が集まるのを感じた。そう言えば、以前も似たような言葉を言われたことがあったような気がする。ジョージらしいと言えばジョージらしい理由に、レイチェルはまたしても何と言葉を返したらいいのかわからなくなってしまった。
……ああ、もう、やっぱり今日も結局ジョージのペースに振り回されてばかりだった。