火曜日の朝は慌ただしかった。
正確に言えば昨日の夜から……いや、午後からずっと慌ただしかったのだ。理由はもちろん、ジョージとの約束が決まったせいだった。デート……そう、デートである。男の子からデートに誘われるなんて、レイチェルにとってはもちろん初めてだ。……もしかしたら、ジョージにとっては違うかもしれないけれど。
ジョージと別れて談話室に戻ったレイチェルは、ティータイムを楽しんでいた友人達に相談することにしたのだった。隠そうとしたところでルームメイトにはどうせバレるので、どの道冷やかされるのなら自分からさっさと打ち明けてしまった方がいいと思ったからだ。
「あの、それで……何か、準備しておいた方がいいこととかってある?」
そして、予想通りやたらと盛り上がる友人達に、レイチェルはそう質問したのだった。
この間の夜間外出もデートと呼んでいいものだっただろうけれど、あれは急だったし、突発的だった。でも、今回は前もってデートだと伝えられている。となれば……何か、デートに向けて必要なものとか、考えておいた方がいいことがあるかもしれない。つまるところ、予習だ。でも、行き先もわからなければ、デートの経験もないレイチェルにはさっぱり見当がつかなかったのだ。
「勿論、まずはコーディネートでしょ! 何着てくか決めた?」
「あっ……ううん、まだ……」
「うんうん!悩むわよね!任せて!見立ててあげる!」
まるで自分のことのように張り切るパメラによって、のんびりおしゃべりをするはずだったお茶会はそこで切り上げられた。自室へと階段を上り、そうしてトランクやワードローブの中か手当たり次第に洋服を引っ張り出して、あれでもないこれでもないと言い合った。訂正、言い合っていた。最初は勿論レイチェルも参加していたのだけれど、途中からはどうしてかレイチェル以上に熱中してしまっったパメラと、部屋に訪ねて来て途中から加わったクロディーヌが。窓の外がすっかり暗くなり、夕食を食べ終えて部屋にまた戻り、すっかり夜が更けるまで────。
「うん、いいじゃない!可愛い可愛い!」
昨夜のうちにコーディネートをあらかじめ決めておいたから、今朝はそれを着るだけ────ではなかった。
ジョージとの待ち合わせは10時だったが、レイチェルが起きたのはその4時間も前だった。朝食をそこそこに済ませると、シャワーを浴びたり、顔にベタベタするジェルを塗ったり、髪を編み込みにセットしたり、それにメイクも。ここでもやはり、髪型やアイシャドウの色をどうするか決めるのにすったもんだしたせいで、たっぷりと時間には余裕があったはずが、一通り準備が終わった頃には待ち合わせの30分前になってしまっていたし、レイチェルはすっかり疲れてぐったりしてしまった。着せ替え人形って、こんな気持ちなのかもしれない。
友人達が協力的で、こんなにも手厚く世話を焼いてくれることにはとても感謝している。レイチェル1人ではきっと何を着て行けばいいか決められずに迷ってしまっただろうし、こんなに凝った髪型もできないし、お化粧だって自分じゃこんな風に上手くいかない。本当に、とても感謝しているのだ。鏡の中に映る自分は、間違いなくいつもよりずっと素敵だとも思う。とても素敵なのは、間違いないのだけれど……。
「……やっぱり、これだと……ちょっと張り切りすぎって思われない?」
せっかくのデートなのだから、いつもよりおしゃれしたい気持ちはレイチェルにだってある。お気に入りの服を着て行こうかな、と思ったりもした。とは言え、これは何と言うか……ちょっと、気合いが入りすぎじゃないだろうか?レイチェルが口にした不安は、自分達の”作品”の出来映えに満足しているらしいパメラによって一蹴された。
「何言ってるのよ。自分のためにオシャレして来てくれたのを笑うような人なんて居るはずないでしょ? それともジョージってそんな無神経な男の子なの?」
「そ、んなことは……ないけど……」
そんな相手ならデートなんてすっぽかしてしまっていいと腰に手を当てるパメラに、レイチェルは言葉に詰まった。
友人達の見立てに不満があるわけじゃない。レイチェルだって、このコーディネート自体は素敵だと思うのだ。鏡に映る自分の頭のてっぺんから爪先までを確かめてみても、何だかいつものレイチェルじゃないみたいで────だからこそ、戸惑う。
黒いシンプルなタートルネックのセーター。それに、膝下までの黒い革のブーツと、ゆるく編んでサイドに流した髪を結んだ黒いベルベットのリボンはレイチェルの私物だ。でも、大きな黒いボタンがアクセントのチャコールグレーのウールのスカートや、華奢な作りのイヤリングやネックレスはエリザベスから借りたものだし、その下から覗く黒い小花柄のタイツとラズベリーみたいな色のマフラーはパメラのものだ。こんな風に体のラインにピッタリ沿ったスカートも、鮮やかな色のマフラーも何だか落ち着かない。そして、白地に黒のチェック柄が入ったコートはクロディーヌのものだった。あと、香水も。
最初はもちろん、レイチェルの手持ちの洋服の中から組み合わせを考えていたのだけれど……ファッションにこだわりの強いクロディーヌとパメラがタッグを組んだ結果、最終的にこ言うことになってしまった。
「レイチェルがそう言うから、あっちの水色のコートはやめたでしょ。似合ってたのに!……まあ、確かにちょっとロイヤルファミリーみたいだったけど」
今着ているコーディネートはモノトーンが基調だけれど、もう1パターンの最終候補はもっと淡い色だった。綺麗なパステルブルーのコートは、持ち主であるエリザベスが着ていると素敵なのだけれど、レイチェルが着るとちょっと上品すぎるような気がした。簡潔に言うのなら、「家族でお祝いのディナーにでも行くの?」と聞かれてしまいそうな。だからせめてカジュアルに見えるこっちを選んだのだけれど……それでも、やっぱりちょっと気合いが入り過ぎているような気がする。レイチェルよりずっとおしゃれな2人が「最高の組み合わせ」を追求した結果が遺憾なく発揮されすぎていて、すっかり普段のレイチェルからはかけ離れた仕上がりになってしまった。『デートが楽しみで仕方ありません!』と全身で主張しているようで、ちょっと恥ずかしい。……いや、楽しみにしているのは間違いじゃないのだけれど。デートがホグズミードやダイアゴン横丁ならこれくらいでも素敵かもしれないけれど、ホグワーツの中でこんなにおしゃれしていたら、ジョージにも奇妙に思われてしまったりしないだろうか……?
「大丈夫よ。とても素敵ですもの。よく似合っているし……自信を持って」
「ほら、そろそろ時間でしょ? 行ってらっしゃい!」
微笑んだエリザベスに襟の角度を整えられ、楽しんでねと満面の笑みを浮かべるパメラに背中を押されて、レイチェルは部屋の外へと追い立てられた。確かに、気づけば約束の時間まであと10分ちょっとしかない。せっかくのデートに遅刻したくはないし、急いで走ったらパメラが頑張ってくれた髪だって崩れてしまう。とは言え、できるだけ他の寮生たちとは顔を合わせたくなかったので────特にロジャーあたりに見つかったら絶対からかわれそうだから────レイチェルは階段から談話室、そして寮の入り口までをできるだけ早足で通り抜け、待ち合わせ場所へと向かった。
「……おはよう、ジョージ」
意外なことに、ジョージは既に待ち合わせ場所────廊下の少し先の角を曲がったところの石像の前に居た。本当は寮の入り口まで迎えに来てくれると言ってくれたのだけれど、それだと人目につくから場所を変えてもらったのだ。とは言え、グリフィンドール塔からよりもレイブンクロー塔からの方がずっと近いし、まだ約束の時間までは余裕があるから、きっとレイチェルの方が早く着くだろうと思ったのに。
「ああ。おはよう」
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
「ん? いや、そんなには」
どうしてかジョージと目を合わせるのが恥ずかしくて、レイチェルは視線を泳がせた。何てことない会話のはずが、これからデートだと思うと妙に緊張する。いや、むしろデートなのだからもっとデートっぽい会話をした方がいいのだろうか? でも、デートらしい会話って何だろう。ええと、確か、パパがいつもママに言ってるのは……。
「えっと……そのコート、素敵ね。よく似合ってる」
「それはどうも。実は、リーのやつを借りたんだけどな。そのせいでちょっと肩がキツイ」
シンプルなグレーのコートは、すっきりとした印象で、ジョージによく似合っている。その下に着た白いセーターや、首に巻いた濃い水色のマフラーとも合っていて素敵だ。でも、言われてみれば確かに、この間リーがこんな感じのコートを着ていたのを見かけた気がする。
もしかして、ジョージも昨夜はレイチェルと似たような感じだったろうだろうか。想像してみて、レイチェルはクスクス笑ってしまった。いや、きっと、レイチェル達ほどワードローブを何もかも引っくり返してはしていないだろうけれど。だとしても、ジョージもいつもよりおしゃれしてくれたのかもしれないと考えると、レイチェルは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。待ち合わせ場所にも早く来てくれていたし、ジョージも今日を楽しみにしてくれていたのかもしれない。……なんて、これはレイチェルが都合よく考えすぎているかもしれないけれど。
「あの、それで……どこに行くの?」
緩みそうになる頬を誤魔化すように、レイチェルはそんな問いかけを口にした。
レイチェルもあまり詳しくはないけれど、周囲から聞き齧った話を思い返してみても、ホグワーツの中でできる“デート”の選択肢はそう多くはないはずだ。図書室や空き教室や隠し部屋なんかの、どこか2人きりになれる────タイミングが悪いと他のカップルとかち合ったりもするらしいけど────場所で過ごすか、城の中をあちこち探検するか。もしくは、湖なんかの城の外を散歩したり、箒に乗って少し遠出するか。同じ寮のカップルだと部屋で過ごすこともあるみたいだけれど、レイチェル達にはそれは無理だ。箒は使わないと言っていたから、きっと城の中を探検するか城の外を散歩するかのどちらかだろう。ジョージはレイチェルよりもずっとたくさん秘密の場所を知ってくれるだろうから、そのどれかを教えてくれるつもりなのかな。なんて、思っていたのだけれど。
「さあね」
そんな風にとぼけてみせるジョージに、レイチェルは驚いた。双子のサプライズ好きは今に始まったことではないけれど、まさか当日になっても行き先を教えてもらえないとは思わなかったからだ。レイチェルは困惑した視線を向けたが、ジョージは気にした様子もない。
「そうだな……。到着するまで秘密にしたいから、目を瞑って」
「……私、目を閉じたまま歩けるほど器用じゃないわ」
「手を繋けば平気だろ」
ほら、とジョージが手を差し出す。躊躇ったものの、どうやらそうしないとここから動く気はないのだろうと察して、レイチェルもその手に自分の手を重ねた。言われた通り瞼を閉じて、ジョージに誘導されるままにゆっくりと進んでいく。……何だか、迷子になった子供みたいな気分だ。この間の夜に寮に帰るときもそうだったけれど、歩き慣れているいつもの廊下でも、目の前が見えないとなるとすごく不安だ。今どこを進んでいるのか、距離感や方向がわからなくなってしまう。それに、時間も。……今日はこの間と違ってジョージが手を引いてくれているから、あのときよりはマシかもしれないけれど。
「足元に気を付けろよ、レイチェル。ここからちょっと凸凹してるから」
「……それなら、普通に前を見て歩かせてほしいんだけど」
フッと閉じた瞼の向こう側が暗くなる。言われた通り、踏み出したときの足音もさっきまでの廊下とは変わった。どうやら、どこかの隠し通路に入ったらしい。やっぱり、レイチェルの知らない隠し部屋を教えてくれるつもりなのかもしれない。でも、こんな風に行き方さえ知られたがらないなんて、よっぽどとっておきの場所なのだろうか? 一体どこに向かっているのだろう。もしかしたら、噂で聞いたことのある必要の部屋かもしれない。そうでなければ、厨房とか。もしくは……そんな風に考えて、レイチェルは少し不安になった。
「これから行く場所って、その……危険な場所じゃないわよね?」
「どうかな。君も気に入るとは思うけど」
ジョージの口調は呑気そうだったけれど、レイチェルの不安は消えてはくれなかった。
この間の夜に連れて行ってもらった場所は、レイチェルの目から見てもとても素敵だった。でも、ジョージの感性がレイチェルとは少し違うことは────具体的に言えばドラゴンや尻尾爆発スクリュートを面白がったりすることは────よくよく知っている。驚かせようとして、狂暴な魔法生物の生息地に行くつもりだったりしたらどうしよう……。
そんなことを考えながら歩いていると、進行方向からわずかに光が差し込んで来ているのがわかった。そのまま進むと、光はどんどん強くなり、瞼の向こうが眩しいほどに明るくなる。どこか、広い場所に出たようだ。生き物の匂いや気配がしないことに、レイチェルはホッとした。やっぱり、どこかの隠し部屋だろうか?でも、頬に冷たい空気を感じるから屋外かもしれない。足元も、雪を踏みしめているような音がする。何にしても、きっと、ここが目的地だろう。
「ねぇ、もう目を開けてもいい?」
「まだ。もうすぐだ。あと少しだけ我慢して」
「はぁい」
ゴールが近いとわかると、急に気持ちが軽くなる。そのせいか、今の自分達の状況についても俯瞰する余裕が出てきた。つまり、そう……ジョージとしっかり手を繋いでいることだとか。男の子とデートしていて、手を繋いでいるのに、こんなにロマンチックじゃないシュチュエーションってあるだろうか? そう考えると、レイチェルは何だかおかしくなってきて、クスクス笑ってしまった。
「どうかしたかい?」
「ううん、何でもない」
サクサクと、雪を踏みしめる感覚。レイチェルが転んだりしないよう、ジョージが気遣って進んでくれているのがわかる。それにしても、ここはどこなのだろう? レイチェルはジョージにバレないようこっそり目を開けたい誘惑に駆られたが、どうにか耐えた。ジョージが目を閉じるように言ったのは、きっと何か意味があるはずだろうと思ったから。
「ようやく到着だ」
ジョージが立ち止まったことに気がついて、レイチェルも立ち止まった。
結局、どれくらい歩いたのだろう?結構長い時間が経った気がする。ゆっくり進んでいたから、たぶん思ったほどの距離ではないのだろうけれど……繋いでいた手のひらの熱が離れていく。「どうぞ、お姫様」なんて冗談めかしてみせるジョージに、レイチェルはまたクスクス笑ってしまった。
そっと瞼を開く。城の中よりもずっと明るい、しばらくぶりの太陽の眩しさに、レイチェルは思わず目を細めた。
「ここって……」
雲の間から差し込む日差しに、昨夜のうちに積もった雪がキラキラと輝いている。てっきり校庭のはずれかどこかだろうかと思っていたが、足元に伸びていたのはしっかりと石畳で舗装された道だった。その先を追っていくと、道の脇には小さな家がいくつも並んでいる。そのどれもが、屋根には雪が降り積もり、ドアや柱にはクリスマスの飾り付けがされていた。絵本からそっくりそのまま出てきたようなこの風景に、レイチェルは見覚えがあった。知らない場所なんかじゃない。ここは────。
「……ホグズミード?」
レイチェルは今目の前に広がる光景が信じられず、パチパチと瞬きを繰り返した。遠くに叫びの屋敷や、見慣れた建物がいくつも見える。レイチェルはそこでようやく確信を持つことができた。間違いない。フラーがボーバトンの馬車の中で見せてくれた噴水のような特別な魔法でなければ、ここはレイチェルもよく知るホグズミード村のはずれだ。「城の中に抜け道があったの?」
「最近新しく見つけたんだ」
ジョージは何でもなさそうな口調だった。状況的に、それしか考えられない。確かに、ホグワーツ城の中にはホグズミードに繋がる抜け道がいくつかあるらしいと聞いたことがあったし、フレッドやジョージならそのどれかを知っていても不思議じゃないけれど……レイチェルはサッと血の気が引いた。ホグズミード休暇でもないのに、生徒が勝手に城を抜け出したらまずいんじゃないだろうか?
「規則違反だって言いたそうだな」
ジョージがからかうように笑ってみせた。まさにたった今考えていたことを言い当てられて、レイチェルはばつの悪い気分になった。だって、実際その通りだ。レイチェル達上級生はホグズミードに行くこと自体は許されているけれど、その機会は年にたったの数回だけだ。いつでも好きなときにホグズミードに出掛けていいわけじゃない。
「だって……もし見つかったら、大変なことになるでしょ!?」
「まあ、そうだな。俺だけならともかく、君は規則違反に慣れてないし」
ヘマしたことがないからどの程度の罰則になるかはわからないけど、とジョージが肩を竦めた。もしもこの”無断外出”が教授達の誰かに見つかってしまったらと思うと、レイチェルは恐ろしくなった。デートに浮かれていて行き先を確認しなかった自分も迂闊だったけれど、だって、まさかホグズミードに行くつもりだなんて思わなかったのだ。誰にも知られないうちに、急いで城に引き返さないと
「しかしだ。考えてみろよ、レイチェル。今はクリスマス休暇だ」
「そうだけど……それが?」
「つまりだ。俺達を見たところで、みんな『休暇中のホグワーツ生が遊びに来てる』としか思わないってことさ」
確かに、休暇中なのだから未成年が城の外に居ること自体は不自然じゃないのかもしれない。実際、家がホグズミードにホグワーツ生はクリスマスにはホグズミードに帰ることになる。そうでなくても、休暇中に約束をしてホグズミードやダイアゴン横丁に遊びに行く場合だってある。とは言え、レイチェル達はそうじゃない。だからやっぱり、これは規則違反なんじゃないだろうか。いや、クリスマス休暇に学校に残るのは初めてだし、そんなことしようとも思わなかったから、「休暇中に城の敷地の外に出てはいけない」と言う規則があるのかどうかはわからないけれど……。
「でも……」
「それに。城に戻ろうにも君は帰り道がわからない。だろ?」
ニヤッと笑うジョージに、レイチェルはハッとした。確かに、ここはいつもの村の入り口とは反対側だ。それに、ずっと目を閉じて歩いていたせいで、レイチェルにはここまで来た道をそのまま引き返すことができない。いや、ジョージは帰り道を知っているはずなのけれど、大人しく教えてくれるつもりなら、そもそもこんな風に行き先を内緒にしたりしないだろう。先にホグズミードに行くつもりだと伝えたら、レイチェルは反対するに決まっているから。この間の箒のときと同じだ。ああもう、2度と夜間外出はしないとエリザベスと約束したばかりなのに……ジョージにだってその話はしたのに……いや、確かに今は夜間ではないけど……。
またしてもすっかりジョージのペースに乗せられたと、レイチェルは頭を抱えたくなった。
「とりあえず歩こうぜ。こんなところで立ち話してたら、風邪引いちまう」
ジョージがそんな風に言い出したので、レイチェル達はとりあえずあの場を離れて村の中心部へと向かった。このままホグズミードで過ごすとしても、城に戻るとしても、どちらにしろ行くべき方向は同じだからだ。レイチェルとしては、せっかくデートのはずだったのに喧嘩はしたくないし、どうにかジョージを説得して”規則違反”ではない場所でデートの仕切り直しをしたかったのだけれど……。
「落ち着かないって顔だな」
「……だって、落ち着かないもの」
そのはずだったのに、どうしてか今、2人は三本の箒の店内に居る。
いや、理由はわかっている。とりあえず昼食を食べながら話そう、と言うジョージの提案をレイチェルが断りきれなかったからだ。ソワソワしているレイチェルが面白いのか、ジョージがクツクツと笑う。レイチェルは居心地の悪さを誤魔化すように、バタービールを一口含んだ。ホッとするような温かさに、少しだけ肩の力が抜けるのがわかる。すっかり体が冷えてしまったせいか、いつも以上においしく感じた。そのせいで何だか、余計に悪いことをしているような気分になる。
レイチェルだって、「ホグズミード休暇が年にたった数回きりなんて少なすぎる」とか「こっそりホグズミードに行けたらいいのに」なんてパメラ達と言い合ったことがないわけじゃない。でも、いざその状況になってみると……嬉しいよりも、戸惑いが大きい。
やっぱり断るべきだっただろうか、とレイチェルは眉を下げた。ジョージを置いてレイチェルだけでも城に戻るべきだろうかとも考えたけれど……ダンスパーティーはもう3日後なのに、今このタイミングで険悪になるのは避けたかった。だから、つい……。
……それにしても、お財布を持ってきていてよかった。
このコーディネートなら鞄があった方がいい、と主張したのはパメラだった。それに、お化粧を直すためにポーチは持っていた方がいいから、とも。邪魔にならない程度の、小さな革のショルダーバッグだ。ポーチとハンカチだけだと何となく荷物が少ない気がしたので、ついでにお財布も。……いや、でも、お財布を持ってなかったらそれを口実に帰ろうと強く言えただろうか。
「大丈夫だって。周りの連中を見てみろよ。みんな酔っ払ってて、誰も俺達のことなんて気にしちゃいないぜ」
「そうかもしれないけど……」
周りが気にしていなかったとしても、レイチェルが気になるのだ。今この瞬間にも規則違反の最中なのだと考えると、とてもジョージみたいに堂々とはしていられない。性格の問題なのか、単に慣れなのかはわからないけれど……フレッドとジョージって、いつもこんな風に学校を抜け出しているんだろうか? そんなことを考えながらじっとジョージを眺めていると、視線に気づかれたのかジョージが顔を上げた。今度はレイチェルがじっと見つめられて、レイチェル気恥ずかしさに視線をテーブルへと落とした。
「さっきから気になってたんだけど……今日、化粧してる?」
そんなジョージの質問に、レイチェルはバタービールのジョッキを握る手に思わず力が入ってしまった。レイチェル自身もすっかり忘れていたけれど、そう言えばそうだった。ほんの少しだけ、自然に見えるよう薄くメイクしてもらったし、待ち合わせのときに何も言われなかったから気づかれてないかと思ったのに。改めて指摘されて、レイチェルは頬が熱くなるのを感じた。
「……へ、変?」
「いや、似合ってる。可愛いよ」
「……あ、ありがとう……」
気合いが入りすぎだと思われたんじゃないかと言う心配は不要だったみたいだけれど、ジョージがあまりにもサラッとそんなことを言うから、そのせいでまた心臓がキュッとなった。今朝からずっと、ジョージのせいでレイチェルの頭の中は大忙しだと言うのに、ジョージは全くもっていつも通りに見えて何だか悔しい。
「はい、お待ちどうさま。フィッシュアンドチップスとミートパイ、1つずつね」
レイチェルにとっては気まずい沈黙の中、マダム・ロスメルタが料理を運んできてくれた。チーズの焦げた匂いがふんわりと漂ってくる。ニッコリと笑みを浮かべたマダムは杖を振ってお皿をレイチェル達の前に着地させると、ジョージを振り返った。「また抜け出してきたのね。今日は相棒さんとは一緒じゃないの?」
「そんなにいつもいつも一緒ってわけじゃないぜ」
「あら、そうだったかしら?」
クスクスと笑うマダムの言葉に、ジョージが肩を竦める。そんなやり取りに、レイチェルは眉を寄せた。今日“は”……つまり、やっぱりフレッドとジョージは頻繁にこっそりホグズミードに来ているのだろう。
「この人達以外にも、その……抜け出してくる生徒って居るんですか?」
「まさか。こっそり村に来てる子は居るかもしれないけど、こんな風に堂々と過ごす生徒さんは珍しいもの。でも、そうね。昔、同じように抜け道を見つけて遊びに来ていた悪戯っ子達は居たわね」
マダムの懐かしそうな口調を聞く限り、ここ1、2年の話と言うわけではなさそうだ。聞かなければよかったかもしれない、とレイチェルはちょっと後悔した。もしも他にも勝手に城を抜け出している生徒がたくさん居るのならば、多少は罪悪感が薄れるだろうかと思ったのだけれど、どうやらそう都合よくはいかないらしい。
「せっかくだから、冷めないうちに食べようぜ」
ジョージはどうしてこうも余裕で居られるのだろう。確かに、せっかくマダムが作ってくれたおいしい食事を台無しにしてしまうのはもったいない。レイチェルはナイフとフォークを手に取り、切り分けた一口をモタモタと口へ運んだ。三本の箒のミートパイは好物だし、お腹だって空いているはずなのに、やっぱり規則違反のことが気がかりで何だか味がしない。一方、ジョージは揚げたてのチップスをおいしそうに食べ進めている────。
「……それ、好物なの?」
「ん? まあ。でも、いつもこれってわけでもないな。ここ、何でもうまいし」
「ふぅん」
そう言えば、ジョージの好きな食べ物ってよく知らない。と言うか、考えてみたら一緒に食事をすること自体が初めてかもしれない。寮が違うと、なかなかそんな機会がなかったせいだ。そう考えると、レイチェルは何だかちょっと緊張してしまった。もう少し一口分は小さく切り分けた方がよかったかもしれない。いや、そもそもパイはお皿の上が散らかるから、シチューにしておいた方がよかったかも……。店の中は話し声で騒がしいはずなのに、自分の動かすカトラリーの音が妙に耳について、レイチェルはなおさら落ち着かない気分になった。
「……どうして、ここに連れて来てくれたの?」
沈黙に耐えきれなくなって、レイチェルはそんな疑問を口にした。
いや、答えはわかっているのだ。さっきは色々と驚きすぎたせいで非難めいたことばかりを言ってしまったけれど、ジョージはきっとレイチェルを喜ばせようとしてホグズミードに連れてきてくれたことは。その気持ち自体は、素直に嬉しいと思う。でもやっぱり、規則違反だと思うと後ろめたい。ジョージのことだから、レイチェルが手放しに喜ぶ可能性は低いことくらい、きっとわかっていたはずなのに。
「……私、セドやエリザベスに言うかもしれないのに。せっかく見つけた抜け道が先生達に塞がれたら、困るでしょ」
「言いつけてやろうと思ってる人間は、そんな質問はしないだろ」
ジョージにそう返されて、レイチェルはどう返事をすべきかわからなくなった。確かに……たぶん、城に戻ったとしても、このことを誰かに打ち明けることはないような気がした。規則違反はやっぱり良くないことだと思うけれど……フレッドとジョージはさっきの抜け道────とは言ってもレイチェルはどこにあるのかすらよくわかってないけれど────の存在自体を2人の秘密のままにしておくこともできたのに、レイチェルにも教えてくれた。2人の”外出”にも賛成はできないけれど……それでも、レイチェルを喜ばせようとして抜け道を使ってくれたのだから、その気持ちを無下にはしたくない……。
「さっきの質問だけど……君と一緒にここに来たら、楽しいだろうと思った」
それだけ、とジョージは淡々と言った。
ずるい、とレイチェルは俯いた。聞かなくてもわかっていたことだけれど、そんな風に素直に言葉にされてしまうと怒れなくなってしまう。いや、騙し討ちみたいにして連れてきたことに対しては、やっぱり文句が言いたいけれど……。
「……そんなに気が進まないなら、城に戻るか?」
「えっ……いいの?」
どうにかしてジョージに城に戻るよう説得しなければと考えていたら、ジョージの方からそう提案されて驚いた。レイチェルはホッと胸を撫で下ろしたあと、あまりにもあっさりとしすぎているその態度に、ハッとして気を引き締めた。また何か企んでいるのかもしれない……。
「昨日も言ったけど、お礼のつもりで誘ったんだ。だから、君が楽しめないなら意味ないし」
と思ったけれど、どうやら他意はないらしい。急に気が変わったのだろうか? レイチェルは何だか肩透かしをくらったような気分になった。正直に言えば、その方がレイチェルも助かる。でも……。
「……どうして、ホグズミードにしようって思ったの?」
でも、あんな風に手の込んだやり方をしてまでホグズミードに連れて来たからには、本当は何かここでないといけない理由があったんじゃないんだろうか? 何と言うか、ジョージならホグズミードでなくても……わざわざ規則違反をしてまで城の外に抜け出さなくても、他にも“とっておきの場所”を知っていそうなのに。
「アリシアから聞いたんだ。今年はクリスマスの時期にホグズミードに来れないことを残念がってたって。だから、ここなら喜んでくれるかと思ったんだけど」
「喜んでない……わけじゃないわ」
ずるい、とまたしてもレイチェルは思った。そんな理由を聞いてしまったら、「じゃあこれを食べ終わったらすぐに城に戻りましょう」なんて言い出しにくくなってしまう。
そう言えば、ホグズミードに着いてからの自分はずっと困った顔ばかりしていたかもしれない。やり方はともかく、ジョージはせっかく喜ばせようと連れてきてくれたのに……レイチェルの反応に、ジョージはガッカリしただろうか?
「……だから、困ってるの」
ホグズミード村に着いてからずっと落ち着かなく後ろめたいのは、今ここでこうしているのが“いけないこと”だからだ。レイチェルは自分に言い聞かせて、そう思い込もうとした。でも、たぶん……それだけじゃない。
たぶんとっておきの秘密だったはずなのに、それをレイチェルにも教えてくれたこと。レイチェルを喜ばせようと考えてくれたこと。そんなジョージの気持ちが、気遣いが、嬉しいと感じてしまっている。だから、困る。
「……こんなの、本当はダメなのに……。わかってるのに、今、すごくドキドキしてる……あなた達、いつもこんなことしてるの……?」
信じられないとレイチェルが顔を覆って俯くと、ジョージが声を立てて笑ってみせた。