土曜日の朝、レイチェルは昼近くになってようやく目を覚ました。
ふあ、と欠伸を噛み殺す。久々にぐっすり眠れた気がする。ここのところ心配事や夜更かしが続いたせいで、寝不足だったのだろう。

「やっぱり、荷造りがないとのんびりできていいわよね!」
「そうね。いつもなら、今頃忘れ物はないかってバタバタしてるもの」

下級生達はもう汽車に乗り込み始めているのか、大広間は人が少ない。レイチェル達はいよいよ華やかになったクリスマスの飾り付けを眺めながら、のんびり優雅に朝食を楽しんだ。
そんなわけで、レイチェルはすっきりした気分だったが────談話室に戻ると、そんな気分は吹き飛んだ。

「今更そんなこと言われたって、素直に『ああ、わかった』なんて言うはずないだろ!?」
「だから、さっきから何度も謝ってるでしょ!?」

暖炉の側で言い争う2人を、寮生達が遠巻きに見守っている。揉めているのは、4年生のパドマ・パチルとマイケル・コーナーだ。……あれ、とレイチェルは不思議に思った。確か2人って一緒にダンスパーティーに行く約束をしていたんじゃなかったんだっけ?

「仕方ないじゃない、 事情が変わったの!パーバティがどうしてもって言うんだもの!」
「それがおかしいって言ってるんだよ! 断ればいいだろ!? 」

レイチェルは、すぐ近くに心配そうに2人を見ている女の子が居ることに気が付いた。パドマの友人のリサだ。リサが教えてくれたところによると、どうやらパドマは今日になってマイケルではなく他の男子と行くと言い出したらしい。……確かに、今このタイミングでそう言われたら、マイケルは納得できないだろう。もう、ほとんどの生徒はパートナーが決まっているのだ。

「あら、だって、貴方がそんなに私と行きたがってるとは思わなかったわ。“他にも誘われてた”とか、“別にどうしても君じゃなきゃダメだってわけじゃない”なんて言ってたじゃない。そっちと行けば?」
「あれは……! その、わかるだろ……本心じゃない」
「そう。でも、本心じゃなくても私はムカついたわ。別にお姫様扱いしろとは言わないけど、自分から誘ったくせにどうして私が傷つくようなことばかり言うわけ?」

マイケルは泣きそうだったが、パドマは反対に落ち着き払っていた。マイケルの言葉はたぶん、照れ隠しだったのだろうけれど……確かに、パートナーにそんなことを言われたら悲しい。パドマが怒るのも無理はない。

「約束したのに破ることになったのはごめんなさい。でも、もうパーバティにオーケーしちゃったから。パートナーは他を当たって」
「今から探すなんて、無理に決まってるだろ!?」

悲痛に叫ぶマイケルには、恐らく談話室に居る誰もが同情していた。が、パドマの表情の冷たさに、誰も口を挟むことはできなかった。結局、2人の友人達が仲裁に入ったが、談話室の空気はこれ以上ない程に冷えていた。

「やっぱりパートナー決めは揉めるわよねー」

自室へと戻る階段を上りながら、パメラがやれやれと溜息を吐いた。パドマ達の喧嘩は収まったようだったが、レイチェルはまだ落ち着かない気分だった。タイミングが悪かったら、レイチェルもジョージの誘いを断って気まずくなっていたかもと思うと、他人事とは思えない。

「知ってる? リックとメーガンも別れちゃったのよ」
「えっ……? 2人って確か、付き合い始めたばかりだったわよね?」
「そうなんだけどね。リックが1つ下のスリザリンの子に誘われて、心変わりしちゃったみたい。メーガンにしたら最悪よね」

パメラが心底同情した口調で言った。レイチェルの周りはダンスパーティーをきっかけに上手く行ったカップルばかりだったから考えてもみなかったけれど……確かに、既に恋人がある相手に申し込もうと考えた人だって居るだろう。パーティーがきっかけで別れてしまったカップルが居てもおかしくない。

「それにしても、びっくりよ!ハリーのパートナーってパーバティなのね!彼女確か、グリフィンドールだっけ」
「えっ?」

どうして今の流れで、彼の名前が出てくるのだろう?
レイチェルが不思議に思って見返すと、パメラはキラキラと目を輝かせた。

「リサが言ってたのよ。パドマが他の男子と行くって言い出した理由はそれだって!ハリーの友達のロン? あの子のパートナーになるよう頼まれたらしいわ!」

『たぶん、ハリー、好きな人が居るのよ』

レイチェルは以前のジニーの言葉を思い出した。
そうか。ハリーの好きな女の子は、パーバティだったんだ……。パドマの双子のお姉さんで、パドマにそっくりの可愛い子だ。彼女はグリフィンドール生で、ハリーと同じ学年で……つまり彼と関わりも多い。たぶん、ジニーよりもずっと。
彼だってパーティーに行くのだからパートナーが居るに決まっている。けれど、実際にそれを聞かされると何だか胸がざわつくような、奇妙な気分だった。

……ジニーはもう、このことを知っているのだろうか?

 

 

 

クリスマス休暇をホグワーツで過ごすのは、入学して以来初めてのことだ。
今年は上級生のほとんどは学校に残っているとは言え、下級生は大半が帰宅した。その分いつもより人気のない城の中は、何だか新鮮だ。
ちょうど、汽車の発車時刻を過ぎたところだったらしい。ロンドンへと出発したホグワーツ特急の姿を、レイチェルは渡り廊下から見下ろした。辺り一面が雪で白く染まった中、真紅の汽車は鮮やかで目を引いた。そう言えば、ホグワーツ特急をこんな風に眺めるのも初めてだ。
汽車が遠ざかっていく。どんどん小さくなり、やがて山の向こうへ隠れて見えなくなった。が、レイチェルはそこに立ち止まったまま動かずにいた。
吐き出した息が白く曇る。誰も居ない廊下は静かだ。その静けさが今のレイチェルには心地よかった。空から舞い落ちる雪が、悪戯に風に踊っては積もる様子を、レイチェルはぼんやりと眺めていた。

今日からもうクリスマス休暇だなんて、何だか信じられない。

カレンダーは毎日見ていたし、課題もたっぷり出されたから休暇が来ることはわかっていた。今だって、ホグワーツ特急が出発した。間違いなく、今日からクリスマス休暇だ。でも、実感が湧かない。それくらい、秋学期はあっという間に終わってしまった。
この数ヶ月のホグワーツは、平穏とは程遠かった。夏休み前のレイチェルに言ったら、信じないだろうことばかりだ。200年ぶりの3大魔法学校対抗試合の復活。他校から選手団が来て、ダームストラングの代表に選ばれたのはあのヴィクトール・クラム! しかも、そのクラムと友人になった。クラムだけじゃない。ボーバトンの代表選手であるフラーとも。セドリックに選手に立候補すると打ち明けられたり、フレッドとジョージが調合する老け薬の材料の調達に協力することになったり……結局彼らの作戦は失敗してしまったけれど、セドリックは代表選手に選ばれた。それに、ハリー・ポッターも。あの、ゴブレットの神秘的な青い炎によって。
4人目の代表選手の存在には、誰もが戸惑っていた。不正を疑う人も居れば、面白がる人も、怒る人も居た。レイチェルはまだ4年生の彼が課題に挑むなんてと心配になった。もっとも、そんなレイチェルの不安をよそに、ハリーは見事課題をクリアして、彼への疑惑を反発を吹き飛ばしてみせたのだけれど。
ハリーだけでなく他の選手達もそれぞれのやり方で健闘し、課題をクリアした。どの選手も素晴らしい戦いぶりだったけれど、思い出すとやっぱりゾッとする。まさかドラゴンと1対1で戦わせるなんて! 誰にも大きな怪我がなくて本当によかった。次の課題は一体何だろう? セドリックはもうあの金の卵のヒントを解いたのだろうか? 第1の課題が終わって安心していたけれど、課題はまだ2つもあるのだ。きっとますます難しく、危険になっていくのだろう。
卵。そう、卵だ。あれにはどんな意味があるのだろう? レイチェルも協力するつもりだったのに、別のことで頭がいっぱいだったせいですっかり忘れていた。第2の課題よりも先に、レイチェルにとっても関係がある、重大なイベントが迫っていたから。

ダンスパーティーがあると知らされたのが、たった10日前のことだなんて嘘みたいだ。

何だかとても…………目まぐるしい日々だった。本当に、ものすごく。OWL試験の期間だって、こんなに慌しくはなかった気がする。OWL試験と違って、どんな“対策”をすればいいのかもわからなかったし、自分の力だけではどうにもならない分、試験より神経が擦り減ったかもしれない。
つい数日前まで誰にも誘ってもらえないんじゃないかと不安で、ルーマニアでクリスマス休暇を過ごさなければいけないかもなんて思い詰めていたのが遠い昔のことのように思える。でも、こんな風に思うのも、きっと無事にパートナーが決まったからこそだ。そうでなければ、今頃はホグワーツ特急の中で泣いていたかもしれない。そう考えたら、ジョージの顔が頭に浮かんだ。

一昨日までは“ただの友達”だったのに、“恋人”になった途端、もう3回もキスをした。

嫌だったわけじゃない。……むしろ、ドキドキした。だって、あの“秘密の場所”は本当に素敵だったし、初めてのキス────セドリックは除いて────のシュチュエーションとしては、とてもロマンチックだったと思う。でも、何と言うか……ちょっと、急展開すぎて戸惑ってしまう。友達から恋人って、もっとこう、少しずつ変化していくものかと思っていた。と言うか、今まで通り友達みたいな関係がいいからこそ、レイチェルを選んだのかな、なんて思っていた。だって、ジョージはいつも飄々としていて、レイチェルのことを好きなのか、それともからかっているだけなのか、よくわからなかったから。“好きな人”を前にしたときって、いつも通りに振舞うのは難しいだろうし────少なくとも、レイチェルはそうだった────だから、ジョージのレイチェルに対する感情は、“他の女の子より気になる”程度なのかと思っていた。
でも、実際は“恋人”になった途端、急にすごく恋人っぽい距離感や雰囲気になったと言うか……明らかに友達だったときとは違う。パートナーに誘ったからにはそれらしくしよう、と気負っているわけではなさそうだし、もしかしてジョージはずっとああ言う……その、キスやスキンシップがしたかったのだろうか? 今まではただの友達同士だから、しなかっただけ?

だとしたら……やっぱり、レイチェルが思っていたより、ジョージはレイチェルのことが好きなのかもしれない。

そんな疑問が浮かんだら、やっぱり自意識過剰な気がして恥ずかしくなった。それとも、レイチェルが慣れていないから戸惑うだけで、恋人同士になったら皆こんなものなのだろうか?
もしかしたら、単にジョージはキスやハグが好きなだけかもしれない。だって、デートのエスコートもキスも、慣れてる感じだったし。レイチェルにとってはジョージが初めての恋人だけれど、ジョージにとっては違うのかも。
とは言え、仮にキスが好きだったとしても、相手は誰でもいいわけではないはずだ。……たぶん。だって、他の女の子の誘いを断ってまで、レイチェルを誘ってくれたわけだし……。

「あれ、レイチェル?」
「……セド?」

慣れ親しんだ声が鼓膜を揺らしたことで、レイチェルは思考の海から引き戻された。どうやら、物思いに耽っていたせいで、足音に気が付かなかったらしい。振り返ると、不思議そうな表情のセドリックが立っていた。

「どうしたの? こんなところで。風邪引くよ」
「あ……えっと、ちょっと寮を抜け出して来たの。……あっ、喧嘩したとかじゃないのよ。何て言うか、ちょっと1人になりたくなって」

セドリックの顔が心配そうに曇ったので、レイチェルは慌てて言い繕った。確かに、こんなところで1人居るのを見たら、奇妙に思うだろう。でも、別に寮に居づらくて出歩いているわけじゃない。静かに景色を見ていたら、何だか色々と考え込んでしまっただけだ。

「……じゃあ、僕が居たら邪魔かな?」
「まさか。セドならいいわ」

困ったように微笑むセドリックに、レイチェルも笑い返した。
そう言えば、授業の合間や図書室以外でセドリックと話すのは久しぶりだ。ダンスパーティーがあるとわかってから特に、セドリックはいつも人に囲まれていたから。

「ふくろう小屋に行くところ?」
「うん。父さん達へのクリスマスプレゼントを注文しようと思って。レイチェルはもう決めた?」
「この間注文したわ。おばさんには新しいエプロンで……ママにはお揃いの柄のブランケット。パパにはマグカップ。チャーリーが、パパはまだ私が10歳のときにあげたやつを使ってるって言うんだもの。それから、おじさんには、チョコレート。ワインに合うらしいの。セド、ワインを送るって言ってたでしょ?」

本来なら自分の成人祝いでワインを開けるはずだったのに夏休みまで先延ばしになってしまったからと、セドリックが両親に代わりのワインを贈るつもりだと聞いていた。せっかくだからレイチェルも便乗させてもらった。成人のお祝いは皆でやるけれど、今年のクリスマスは久々にディゴリー夫妻2人きりだ。きっといつもと違って、大人達だけでロマンチックに過ごすのだろう。

「セドへのクリスマスプレゼントも用意してあるから、楽しみにしててね」

セドリックへのプレゼントも、とっておきのものを用意してある。クラムのサイン入りのゴーグルなんて、きっと驚くだろう。当日までのお楽しみだとレイチェルが笑うと、セドリックも笑った。

 

 

 

セドリックの声をこんなに聞くのは、久しぶりな気がした。
図書室でも話はしていたけれど、やっぱり本来は静かに勉強するための場所だから、おしゃべりばかりしているわけにもいかないし、会話の内容や声のトーンにも気を遣う。こんな風にお腹を抱えて笑ったりはできない。セドリックは人気者だから、最近は2人で話していても他の誰かに話しかけられてしまったりする。授業や友達の話、クリスマスカードやプレゼントの話。時間を気にせず他愛ない話をするのは楽しかった。楽しくて、ホッとする。

「そう言えば、金の卵のヒントは解けた?」
「ううん、まだなんだ。そろそろ調べなきゃとは思ってるんだけど……あれ、ヒントを解こうにもその……1度夜に開けたら、上の階や隣の部屋まで響いちゃって……」
「あー……あれ、すごい音だったものね」

レイチェルはテントで金の卵を開けてもらったときの様子を思い出した。卵が出す咽び泣くような音はけたたましく、耳を塞ぎたくなるようなものだった。あれを寮の自室で開けるとなると、確かにかなり気を遣うだろう。

「僕、考えたんだけど、あれって……」

セドリックは何か言いかけたけれど、言葉はそこで一度途切れた。向こうから下級生の女の子達の笑い声が近づいてきたので、そっちに気をとられたらしい。レイチェルもつられて声の方を振り返った。楽しそうにはしゃいでいた女の子達は、恐らく渡り廊下の向こう側に行くつもりだったのだろう。が、急におしゃべりをやめて元来た道を引き返してしまった。

「…… あの子達、どうしたんだろう?」

セドリックが不思議そうに首を傾げたが、レイチェルは彼女達の行動の理由に思い当たった。
たぶん、彼女達が進行方向を変えた理由は、セドリックとレイチェルの存在が原因だ。レイチェル達に気づいた瞬間、気まずそうな表情になったから。

「あー……えっとね、私、セドに振られたことになってるみたいなの。だから、それで変に思ったのかも」
「えっ?」

ジョージが信じていなかったことに安心して忘れていたけれど、そんな噂があったのだった。噂の当人達が2人きりで話している状況は、通りがかった側からすると気まずいだろう。何か深刻な話をしていると誤解した可能性もある。

「えっと……どっちかって言うと、振られたのって僕の方だよね?」
「……それ、他の人の前は言わないでね」

戸惑った様子のセドリックに、レイチェルは溜息を吐いた。
セドリックが誘ってくれたのにレイチェルは断った────事実関係から考えるとそうなるだろうけれど、事情を知らない人に聞かれたら厄介なことになる。ジョージと三角関係だなんて噂が立つのは遠慮したい。いや、チョウも含めたら四角関係だろうか。何にしろ、面倒なことになるのは確かだ。

「……あのね、セド」

レイチェルはそこでまた、ジョージのことを思い出した。
結局まだ、セドリックにはジョージのパートナーになったことを言っていない。セドリックからはチョウを誘うつもりだと言うことも、オーケーをもらったことも教えてもらった。レイチェルも言うべきだろう。当日になればわかってしまうし、隠すようなことでもない。

「その…………き、今日は寒いわね!」
「え? ……うん。そうだね」

きょとんとした顔で見返すセドリックに、レイチェルは赤くなった。
違う。確かに寒いけれど、天気の話がしたかったわけじゃない。隠すようなことではないはずなのに────改まって話そうとすると緊張する。パメラやエリザベスに言うのも恥ずかしかったけれど、セドリックが相手だとどうしてか尚更恥ずかしい。

「ああ、もう。違うの。そうじゃなくて……」

レイチェルは言葉に詰まった。セドリックがレイチェルの言葉を待ってくれているのがわかるから、余計に照れくさい。照れくさいけれど、時間が経てばきっともっと言い出しにくくなる。レイチェルは意を決して、すうっと息を吸った。

「その……私も、パートナーが決まったの。ジョージと、ダンスパーティーに行くことになったわ」

それほど大きな声を出したつもりはないのに、しんとした空気には妙に響いた気がして、レイチェルは俯いた。どうしてこんなに恥ずかしいんだろう? セドリックはレイチェルのパートナーが誰だとしても、たとえパートナーが居ないと打ち明けたって、馬鹿にしたり笑ったりするはずないのに。

「聞いたよ。ジョージから申し込んだって。それに、ボーバトンにも、レイチェルを誘った人が居たって……合ってる?」
「何でセドまで知ってるの!?」

あっさりしたセドリックの反応に、レイチェルは頭を抱えた。たぶん、レイチェルの知らないところで噂になっているだろうとは思っていたけれど────ジョージも何だかんだ人気があるし────まさか、セドリックの耳にまで届いていたなんて。ジョージだけならともかく、ジュリアンのことまで。

「『おめでとう』……でいいのかな」
「……うん」

レイチェルは小さく頷いた。そう、たぶん、これはレイチェルの望んでいた結果だった。誘ってほしいと思っていた相手に誘ってもらえた。しかも、ただパーティーのパートナーが必要だったからじゃなくて、たぶん“恋人”として。そう、“恋人”だ。パートナーのことばかりで頭がいっぱいだったけれど、恋人ができたのだ。レイチェルだけじゃない。セドリックにも。

「……今日、本当に寒いね」

そう言って微笑むセドリックの声は穏やかだった。ガラス玉のように透き通った灰色の瞳は、雪によく似た色なのに、冷たい印象はない。いつもと同じ、温かな優しい光を湛えている。
雪はさっきより強くなっているのに、レイチェルは不思議と寒さを感じなかった。いや、さっきまでは寒かったはずなのだけれど、緊張したり焦ったりせいで、すっかり頬が火照ってしまっている。むしろ暑いくらいだったけれど、セドリックがレイチェルの緩んだマフラーを巻き直してくれていたから、それを口に出すことはしなかった。

「セドは……」

────セドは、チョウともうキスした?
そんな疑問が頭に浮かんだけれど、言葉にするのは躊躇った。たぶん答えは知らない方がいいと、自分でもわかったから。肯定されても、否定されても、きっとレイチェルは複雑な気分になってしまう。だからきっと、最初から聞かない方がいい。

「僕がどうかした?」
「……ううん、何でもない」

自分はジョージとキスしておいて、セドリックがチョウとキスするのは嫌、なんて。それはただの理不尽で、わがままだ。恋人同士になったのだから、きっとキスだってするだろう。でも、セドリックの口からは聞きたくないし、レイチェルもセドリックには言いたくない。

「何て言うか……ジョージとはずっと友達だったから……急に、その、恋人ってなると……どうしたらいいか、よくわからなくて。ちょっとだけ戸惑ってるけど、あの……たぶん、『おめでとう』で合ってるわ」

自分がジョージに恋をしているのかどうか、結局レイチェルにはまだよくわからない。
さっき、以前ジョージに恋人が居たと言う可能性に思い至っても、特に悲しいと思うことはなかった。好きだとしたら、きっとこんな風に冷静ではいられないだろう。

“ジョージはレイチェルのことが好きなわけじゃないし、レイチェルもジョージが好きなわけじゃない”。

気持ちが追いつかなくて戸惑うのは、1度そんな風に結論を出してしまったせいなのかもしれない。
好きなのかはわからないけれど、ジョージが誘ってくれて嬉しかった。だから、オーケーした。深く考えていなかったけれど、それはつまりジョージの恋人になると言うことで────たぶん、ジョージはそのつもりだ。友達のままで居たいのなら、そう伝えるべきだった。……レイチェルは、ジョージと友達のままで居たかったのだろうか? それもよくわからない。
気持ちがついていかないとは言っても、無理矢理キスされたわけじゃないし────この間の図書室での一件はちょっと騙された気がするけれど────我慢して嫌々キスしているわけでもない。抱きしめられたら、ドキドキもする。デートに誘ってくれたのだって、嬉しかった。

ただ……“恋人”になった途端、急にどんどん進んでいくようで、ちょっとだけ怖い。

気持ちが曖昧なままなのに、先に関係が変わってしまったから落ち着かないのかもしれない。でも、パートナーは決めなければいけなかったし、「もっと考える時間が欲しい」なんて言っている場合じゃなかった。
1歩ずつ階段を上っていたつもりが、いつの間にか階段が勝手に動き出して、思っていたのとは違う場所に辿りついてしまったような気分だ。マグルのデパートにあった、エスカレーターみたいに。

「そっか」

セドリックの声は静かだった。レイチェルからは横顔しか見えないから、その表情はよくわからない。でも────こうしてセドリックが隣に居て、レイチェルの話に耳を傾けてくれているだけで、レイチェルは気持ちが軽くなるような気がした。

「……セドとこう言う話するのって、変な感じ」
「そうだね。僕もだ」

レイチェルが呟くと、セドリックも苦笑した。
思っていたのと違うとか、唐突過ぎるとか。考えてみれば、そう感じるのは当然かもしれない。
自分がジョージを好きなのか、ジョージが自分を好きなのか────そこばかり悩んでいて、“恋人になった後”のことについては、全然考えていなかった。両想いになったら、そこがゴールなわけじゃないのに。

恋人って何だろう。いつも、セドリックと恋人だと誤解されてしまうけれど……確かにセドリックは特別だし、大切で、一緒に居ると安心する。でも、ジョージにセドリックみたいになってほしいとは思わない。

だってセドリックとジョージは違う人間で、性格も全然似ていない。セドリックはセドリックだし、ジョージはジョージだ。……ああ、でも、心配症で面倒見のいいところはちょっと似ているかもしれない。そう気付いて、レイチェルはくすくす笑ってしまった。

「上手く行くといいね」
「セドもね」

もしかしたら、皆こんな風に不安なのかもしれない。
相手が自分を好きだとわかっても、それがどれくらいの大きさで、相手が何を望んでいるのかまでわかるわけじゃないから。一目見た瞬間、運命の恋に落ちる────なんて、そんなのはきっとおとぎ話の中くらいだ。レイチェルから見ると仲睦まじい恋人同士だって、きっと最初から全てが噛み合っていたわけじゃない。
まだ、付き合い始めたばかりだ。レイチェルにとってはジョージが初めての恋人だし、不安に思うのは当たり前かもしれない。セドリックとの今の距離感がレイチェルにとって落ち着くように、ジョージとだって、きっとお互いにしっくり来る距離感が見つかるはずだ。セドリックに自分の気持ちを聞いてもらったら、そんな気がしてきた。
今はまだ、胸を張ってジョージを好きだとは言えない。でも、一昨日より昨日、昨日より今日の方が、ジョージのことを考える時間が増えている。

今はまだ、恋でなくても────ジョージならきっと、好きになれると思う。

2人の形

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