朝になっても、エリザベスの怒りは全く鎮まっていなかった。むしろ、1度噴火するタイミングを逃した分、昨夜よりも怒りは深いのではないかと思うほどだった。
「昨夜は心配かけてごめんなさい」と。レイチェルが話しかけた瞬間、振り返ったエリザベスはキッと目を吊り上げた。
「夜中に寮を抜け出すなんて────絶対にダメ!たとえ、どんな理由があったとしても────規則なのよ! しかも、男の子と2人きりだなんて!信じられないわ!もしも何かあったら────」
そのあまりの剣幕に、レイチェルは針金のようにピッと背筋を真っ直ぐ伸ばした。続くはずだった言葉は、喉の奥で小さな悲鳴に変わってしまう。怖い。エリザベスがこんなに怒っているところなんて、初めて見た。いや、何度も見たことはあるのだけれど大抵その矛先はパメラであって、レイチェルじゃなかった。怖い。
「レイブンクロー、20点減……」
「ちょっと待った、エリザベス! それはさすがに職権濫用でしょ!?」
監督生であるエリザベスは、他の生徒から減点する権限を与えられている。レイチェルはギョッとしたが、エリザベスが言い終える前にパメラがそれを静止した。レイチェルとエリザベスの間に割って入り、溜息を吐く。
「エリザベスもちょっと頭を冷やすべきよ。今怒ってるのはレイチェルの友達として? それとも監督生として?」
「それは……!」
エリザベスは言葉を切り、何かを考え込むかのように押し黙った。言いかけていたことを無理に飲み込んだせいか、眉間に深く皺が刻まれている。そして────ローブを翻すと、部屋を出て行ってしまった。エリザベスらしくもなく、バタンと乱暴にドアが閉まる。
「あーあ、行っちゃった。まあ、デートで規則違反なんて、エリザベスは怒るわよね」
パメラの口調は呑気そうだったが、レイチェルは青ざめた。
どうしよう。エリザベスは本気で怒っている。こんなの初めてだ。謝って許してもらえるだろうか? あの様子だと、3日間は口を利いてくれないかもしれない……。
エリザベスのこともものすごく心配だ。けれど、気がかりなことは他にもあった。
「なんで……エリザベスもパメラも知ってるの?」
昨夜レイチェルが寮を抜け出して何をしていたかに関しては、2人にはまだ話していないのに。『男の子と2人っきり』『デート』。2人とも、どうしてか既にその理由を知っている。わけがわからないとレイチェルが尋ねると、パメラが悪戯っぽく目を細めた。
「勿論知ってるわよ。ジョージとデートしてたんでしょ?」
「そうだけど……何で……?」
「だって、ジョージがメモを残してたもの。じゃなきゃ、もっと大騒ぎになってたと思うわよ。『レイチェルが規則違反なんてするはずない』『どこかで倒れてるのかも』『行方不明だー!』って」
パメラがそう言って、チェストの上に置かれていた羊皮紙の切れ端を見せてくれた。殴り書きだけれど、確かにジョージの筆跡だ。『君達のルームメイトは借りてく』────用意周到すぎる。レイチェルは驚けばいいのか感心すればいいのかわからなかった。いや、このメモがなければ寮生やフリットウィック教授に探されていただろうことを考えると、ジョージには感謝すべきなのだろうけれど……。
「だからまあ、そのうち帰って来るだろうとは思ってたんだけど。エリザベスはそれでも気が気じゃなかったみたい。まあ、あの子は監督生だしね」
レイチェルの胸が、罪悪感に軋んだ。パメラのフォローがなくたってわかる。たぶん、エリザベスは本当に心配してくれていたのだ。それなのに、レイチェルはすっかりジョージとのデートを満喫していた。信頼を裏切った。そこに関しては、本当に申し訳ないことをしてしまった。でも────。「消灯時間までには、戻るつもりだったの……」
でも、レイチェルだってデートだからと浮かれて嬉々として規則違反をしたわけじゃない。結果的には無断で寮を抜け出してしまったけれど、わざとじゃない。黙って部屋を出たのは、消灯時間までに帰って来るつもりだったからだ。でも、よく考えたら2人は談話室に居たのだから、一言声をかけるべきだったかもしれない。
「あー……まあね、エリザベスはそれも怒ってるだろうけど。あのね、レイチェル。一応言っておくけど、私も結構怒ってるからね」
「えっ? そうなの?」
てっきり、パメラは怒っていないのかと思った。いや、心配してくれたことはわかっているけれど……パメラはどちらかと言えば、規則違反をしてもバレなければ問題ないと考えるタイプだ。夜間外出なんて、むしろ面白がりそうなのに。
「エリザベスがあの調子だから、私は味方してあげるけど。怒ってるって言うか、心配してる。夜中に2人っきりなんて危ないでしょ。本当、何かあったらどうするつもりだったわけ?」
楽観的なパメラにまで溜息を吐かれたことに、レイチェルは戸惑った。
もしかしたら、昨夜の出来事は、自分で思っている以上に軽率だったのかもしれない。そう言えば、消灯時間のことばかり気にしていたけれど、昨夜は森にも入ったのだ。禁じられた森からは離れていたから、一応規則違反でないはずだけれど……。
「……私もジョージも、杖は持ってたわ。確かに、アクロマンチュラやトロールと遭遇したら対処できなかったかもしれないけど……」
月が明るかったし、ジョージも一緒だったからあまり怖いと感じなかったけれど、夜の森は危険だ。凶暴な魔法生物と遭遇する可能性もある。確かに、未成年2人だけなんて危ない。親友達が心配するのも当然だ。考えが足りなかったとレイチェルが眉を下げると、パメラは頭痛を耐えるかのように額を押さえた。
「あー……そうじゃなくてね、私が言いたいのは……うーん、口で言ってもわかんないか」
わからないって何がだろう。
パメラがじっとレイチェルを見つめた。そして、近づいてきたかと思うと────突然抱きついてきた。いきなりのことに驚いたが、元々パメラはスキンシップが好きだし、ハグされるのは珍しいことではない。これで何かわかるのだろうか? レイチェルはとりあえずされるがままにしていたが、パメラは何も言わず、じっと動かなかった。
「あの……パメラ……?」
いつもと様子が違う。不審に思ったレイチェルは、その腕の中から抜け出そうとした。が、パメラが力を込めているので、中々難しい。押し返したいのに、密着しているせいで腕が突っ張れない。おまけにパメラがどんどん体重をかけてくるので、上手く力が入れられない。2人分の体重を支えられなくなって、足がふらっと1歩下がる。が、パメラはますますレイチェルにのしかかってくる。
よろけてバランスを崩し、レイチェルはそのままパメラと一緒に後ろにあったベッドへと倒れ込んだ。背中がぼふんとマットレスの上を跳ね返ったところで、パメラはようやくレイチェルから体を離した。
「突然だと避けられないし、意外と振り解けないでしょ」
「えっ? えっと……そうね」
「男の子の力って、もっと強いのよ」
それは勿論そうだろう。パメラはレイチェルよりも背が高いけれど、ジョージは更に高い。それに、パメラと比べたらジョージの方がずっと体格もいい。あまりにもわかりきっていることだ。パメラの意図がわからず困惑していると、仕方ないなと言いたげな苦笑が返ってきた。
「つまりね、ジョージになら何されてもいい、って覚悟して付いて行ったんならいいんだけど。それか、ジョージならそんなことしないって信用したんでもいいわ。でも、たぶん違うでしょ? 夜に男子と2人っきりなんて危ないかも、って。ほんの一瞬でもちゃんと考えた?」
…………あ。
ようやくパメラの言おうとしていることを理解して、レイチェルは赤くなった。そうか。2人が心配していたのは、アクロマンチュラやトロールじゃなくて────いやそれも心配していたかもしれないけれど────もっとその、何と言うか、別の“危険”についてだ。
『もしかして、今でも赤ん坊はワイバーンが仲良しのパパとママのところに運んでくるとか思ってる?』
ベッドから起き上がって乱れた髪を直していたら、ロジャーにからかわれた言葉を思い出してしまった。
“それ”について、知識としては知っていた。同級生の女の子達が話しているのだって聞いたことがあった。でも、どこか外国の出来事みたいと言うか……自分には関係のないことだと思っていた。だって、そう言うのはその“行為”の相手が、つまり恋人が居るのが大前提で────レイチェルに恋人は居ないから。そう言うのはもっと大人になってからで、今のレイチェルにとっては他人事だと、そんな風に。
「まぁ、私もジョージはそんなつもりじゃなかったって言うのはわかってるけど。それにしたって、レイチェルはちょっと危機感なさすぎ。みんながみんな、セドリックやジョージみたいに紳士なわけじゃないのよ」
確かに、夜に男の子と────しかも自分に好意を持ってくれているかもしれない相手と2人きりになるのは、軽率だったかもしれない。
ジョージはものすごく紳士だったけれど……もしも、相手がジョージじゃなかったら? もしもパートナーになったのがジュリアンで、彼にデートしようと誘われたら……やっぱり断るのを躊躇って、付いて行ってしまった気がする。いや、ジュリアンだって良い人だったから、そんなことしないと思うけれど……。
「心配かけてごめんなさい……」
呟いた声は、自分でも驚くほど弱弱しくなってしまった。
パメラの言った通り、レイチェルは何も考えていなかった。レイチェルが心配していたことと言えば、消灯時間のことばかりだ。レイチェルがもっとしっかりした女の子だったら、エリザベスだってあそこまで怒らなかったかもしれない。
「レイチェルの能天気って言うか、素直なとこは長所だと思うけどね。男の子の前であんまり無防備すぎると、勘違いさせちゃうわよ」
「無防備……それ、セドにも……」
「言われたことがある? じゃあやっぱりそうなのよ」
パメラのキッパリとした口調に、レイチェルは戸惑った。いつだったか忘れたけれど、以前セドリックにもそう言われた記憶がある。そうだ。確か、対抗試合の課題が終わった後に、セドリックが治療を受けていたテントの中で────。
『もう、小さな5歳の女の子じゃないんだよ』
レイチェルはふと、そのときのセドリックの言葉を思い出した。でっきり、レイチェルがベソベソ泣き出してしまったから呆れられたのだと思ったけれど……もしかして、 レイチェルがあまりにも────その、年頃の女の子としてはボンヤリしているから、セドリックもパメラと同じように心配していたのだろうか?
「レイチェルは何て言うか……しっかりしてそうに見えて結構抜けてるし……押しに弱いって言うか、絆されやすいって言うか……その場の雰囲気に流されそうだから心配」
「その…………気をつけるわ」
パメラの言葉が耳に痛い。認めたくはないけれどたぶん、その推測は正しいのだろう。昨夜の時点で既にかなり“雰囲気に流されて”しまったような気がする。いや、雰囲気に流されたと言うより、ジョージの口が上手いから丸めこまれたと言う方が正しいのかもしれないけれど……でも、初めてのデートと言うシュチュエーションや、綺麗な夜景に浮かれていたのも確かだ。
「わかったなら、小言はこれくらいにしときましょ。デートは楽しかった?」
「……うん」
パメラの質問に、レイチェルは小さく頷いた。
エリザベスの前で口に出したら怒りに火を注ぐだろうけれど……昨夜のデートは、夢のように素敵だった。勿論、反省することはたくさんある。でもやっぱり、行ってよかったと思ってしまう。思い出したら頬が緩みかけて、レイチェルはハッとして顔を引き締めた。パメラには絶対にからかわれる────。
「何があったか詳しく聞かせて!……って言いたいとこだけど。初めてのデートなんて、2人だけの秘密にしておきたいわよね。レイチェルが話したくなったら教えて」
私達も朝食に行きましょ、とパメラが立ち上がった。確かに、そろそろ行かないと食べ損ねてしまう。
意外な反応にレイチェルは驚いたが、同時にホッとした。せっかくジョージが秘密の場所を教えてくれたのだ。できるのなら、レイチェルも秘密にしておきたい。
「1つだけアドバイス。どうしても夜中にデートしたい時はね、ルームメイトが全員寝静まってから!」
エリザベスには内緒ね、とパメラが歯を見せて笑った。
朝食の席には、既にエリザベスは居なかった。それどころか、1時限目の授業からエリザベスはレイチェルとパメラを徹底的に避け続けていた。その次の授業も、またその次の授業も、昼休みになっても。
一緒に居ると衝突してしまうから、あえて距離を置いているのだとわかっている。パメラと喧嘩したときも、大抵エリザベスはそうするから。わかっているけれど、レイチェルとしては少しでも早く仲直りしたいと思ってしまう。
「珍しいね。喧嘩したの?」
「うん……」
マグル学の授業で会ったセドリックにそう聞かれて、レイチェルはしょんぼりと肩を落とした。
レイチェルが全面的に悪いのだから、エリザベスがレイチェルと会話してもいいと思ってくれるまで────謝ることを許してくれるまで待つしかないのだけれど、寂しい。
「その、ちょっと色々あって、エリザベスを怒らせちゃって……」
「レイチェルが?」
セドリックが不思議そうに瞬いた。
そう、セドリックに相談するときも大抵は「パメラとエリザベスが喧嘩した」だ。レイチェルとエリザベスが喧嘩すると言うのは、下級生のとき以来かもしれない。「でも」セドリックは戸惑った様子だった。
「でも、彼女、理不尽に怒ったりはしないだろう?」
「うん。あのね……」
あのね、昨日ジョージとダンスパーティーに行くことになって、それで夜ジョージに呼び出されて、消灯時間までには寮に戻ろうと思ってたからエリザベス達には何も言ってなくて、そのままジョージと箒に乗ってたら気づいたときにはうっかり消灯時間を過ぎちゃってて、色々あって結局部屋に戻ったのは真夜中だったせいで、エリザベスを心配させて、すっごく怒らせちゃったの─────。
レイチェルは開きかけた口をそのまま閉じた。さっきパメラに言われた“危機感のなさ”については省略したとしても、とてもセドリックには言えない。お説教の相手が増えるだけだ。危なかった。ジョージとダンスパーティーに行くことになったことも含めて、セドリックに言うのはまた今度にしよう。改めて経緯を振り返ると、やっぱりどう考えてもレイチェルが悪い。本当に軽率だった。レイチェルは深く反省した。
「なるほどね。だから今日、フレッドがエリザベス嬢に睨まれてる気がするって言ってたのか」
「笑いごとじゃないわよ、もう……」
大変だったんだからね、とレイチェルはジョージを軽く睨んだ。
結局、レイチェルがエリザベスに謝ってどうにか許してもらうことができたのは放課後になってからだった。消灯時間は守るつもりだったこと、とても反省していること、それにパメラに言われて自分の危機感のなさを自覚したことなど────切々とエリザベスに訴えて、どうにか怒りを解くことができたのだ。
「書き置きを残しておけば大丈夫だと思ったんだけどな。次はもっと工夫しないとダメか」
「無理よ。“次”なんてあったとしたら、私、今度こそエリザベスに絶交されそう……」
「あ、あった。これだわ」
「それ、スネイプが言ってた本だろ?まさか、借りる気じゃないよな」
「あのね、知らなかった? 図書室って本を借りるところよ」
ジョージと普通に話せていることに、レイチェルはホッとした。昨夜の出来事の後だと、顔を合わせたらギクシャクするんじゃないかとちょっと心配だったのだけれど……少し照れくささはあるけれど、ほとんどいつも通りだ。
「じゃあまたね、ジョージ」
レイチェルは本を胸に抱き、ジョージに微笑みかけた。そろそろハーマイオニーと待ち合わせの時間だ。荷物も置いたままだし、あまり長く席を空けるのも良くない。ジョージの脇を通り抜けようとしたら、急にぐっと腕を引かれた。それほど強い力ではなかったけれど、レイチェルの体がジョージの胸へ抱き寄せられる。驚いてジョージを見上げたら、その顔が近づいてきて────キスされる、と思った瞬間、レイチェルは反射的に手の中にあった本を顔の前にかざしていた。
「ご、ごめんね!大丈夫!?」
舞い散った埃にジョージが軽く咳き込む。その姿に罪悪感が芽生えたけれど、レイチェルもほとんど無意識の行動だった。だって、驚いたのだ。ついさっきまで普通に話していたし、まさか急にキスしようとするとは思わなかったから。いや、恋人同士になったのなら、そう言うものなのかもしれないけれど……。
「……いきなりはやめて。びっくりするから」
昨夜もそうだったけれど、不意打ちでキスされるのは心臓に悪い。毎回こうだと困る。レイチェルは慣れていないので、もうちょっと何と言うか、心の準備をさせてほしい。
本で顔を隠したまま、レイチェルがボソボソと呟くと、ジョージはふぅん、と口端を持ち上げた。
「じゃあ、キスしていい?」
「えっ……」
口頭で許可を求めてほしいと言う意味で言ったわけじゃない。
今、ここで……? レイチェルは視線を泳がせた。昨日、初めてキスしたばかりなのに。恋人同士ってこんな付き合い始めてすぐにキスするものなのだろうか。でも、もう既に1回したんだし、断るのも変な気がする。何か理由があれば別なのだろうけれど……。
そもそも、ここは図書室だ、今この通路にはたまたまレイチェル達以外誰も居ないけれど、誰か通りかかる可能性もある。と言うか、荷物を置いてあるからハーマイオニーがレイチェルを探しに来る可能性がある。うん。これは充分断る理由になるだろう。昨日は2人きりだったけど、今は図書室だから無理。それでいこう。
「……嫌?」
そう思ったのに────ジョージが眉を下げて首を傾げてみせたせいで、レイチェルは思わず首を横に振ってしまった。猫のように目を細めるジョージを見て、ハッと我に返った。また丸めこまれた気がする。
ジョージの手が頬に触れる。長い指がレイチェルの顔にかかった髪を払って、耳へかける。レイチェルは覚悟を決めて目を閉じた。これからキスをするのだと思うと、緊張してしまう。昼食は何だったっけ? 歯は磨いたけど……あ、そう言えばさっきミントタブレットを食べたんだった。よかった。
唇に、ジョージの唇が押し当てられる。……いや、目を閉じてるから正直よくわからないけれど、たぶん唇だろう。柔らかいし。何度も触れては離して、軽く食まれる。時間にしたら1分にも満たないのだろうけれど、レイチェルにはひどく長く感じた。心臓の鼓動がどんどん早く大きくなっていく。
「……そんなに緊張する?」
「するに決まってるでしょ……」
唇を離した後、ジョージがそんな風に聞いて来るので、レイチェルはジョージから目を逸らした。
昨夜は不意打ちで何も考える暇がなかったから、緊張もできなかっただけだ。あと、昨夜は何と言うか……やっぱりたぶん、雰囲気に酔っていた。いつもの図書室だと、何だか悪いことをしているような気分になる。
「もう1回しても?」
えっと声を上げそうになったけれど、どうにか飲み込んだ。ジョージが照れる様子もなく真顔で聞いて来るから、レイチェルはうろたえた。いや、真顔だろうと笑顔だろうと同じかもしれない。不意打ちで一方的にキスされるのも困るけれど、許可を求められるのもやっぱり恥ずかしい。
「ごめんなさい……やっぱり、聞かな……んぅ、」
聞かなくていい、と。言い終える前に口づけられた。
てっきり、さっきと同じ唇を押し当てるだけのキスだと思ったのに────開いた唇の隙間からぬるりと舌が入って来たせいで、ビクッと肩が跳ねる。至近距離で視線が合うのが恥ずかしくて、ギュッと目を閉じた。どうしたらいいかわからず固まったレイチェルを安心させようとするかのように、ジョージの手がレイチェルの髪を撫でた。驚いて奥に引っ込めようとした舌に、ジョージの舌が絡められる。ざらついた舌の感触に肌が粟立つ。体の力が抜けて後ろの本棚へと体を預けたら、更に上を向くことになったせいか、キスはますます深くなった。
詐欺だ、とレイチェルは思った。こんなキスをするとわかっていたらオーケーしなかった。これは図書室でしていいキスじゃない。
「ジョ……」
抗議しようと思ったのに、言葉はそのまま飲み込まれてしまう。
息継ぎってどのタイミングでするの。口を塞がれているから、上手く息ができない。でも、これ、鼻で息したらジョージにかかるよね?
頭がボーッっとする。ジョージの胸を押し返そうと思ったはずなのに、上手く力が入らない。縋るようにジョージのローブを握りこんでしまっている。首の角度も辛くなってきた。唾液がうまく飲み込めない。あと、唾液が音を立てるのも恥ずかしい。
……あれ、キスってこんなだったっけ?
朦朧とする頭で、レイチェルはどうにか半年前の記憶を引っ張り出そうと試みた。そう言えば、あのときは雨が降ってたんだった。それに、レイチェルもセドリックも床に座っていたから上を向かずに済んだっけ……。あと、ここまでは長くなかったような気がする。
頬が熱い。と言うか、顔が熱い。唇も熱いし、口の中はもっと熱い。舌を吸われるたび、ゾワッとする。いい加減、頭がクラクラしてきた。ジョージに支えられないと立っていられない────。
「何で顔逸らすんだよ」
「だって、やだ……今、絶対……変な顔、してるもの」
ようやくキスが終わった後、レイチェルはまともにジョージの顔が見られなかった。
鏡を見なくても、顔は真っ赤だろうことは間違いないし、たぶんふにゃふにゃした間抜けな表情をしている。見られたら絶対からかわれる。
「こうすれば見えない」
ジョージがニヤッと笑って、レイチェルを抱き寄せた。
確かに、顔は見えなくなったけれど……これはこれで落ち着かない。レイチェルはまだ呼吸が整わないままなのに、ジョージは大して息を乱していないのが不思議だ。肺活量はどうなっているんだろう……?
口の周りがベタベタする。レイチェルはジョージに見えないようそっと袖で口元を拭った。こう言うときって、ハンカチを出して拭いていいものなんだろうか……? レイチェルが強く握ったせいで、ジョージのローブに皺が寄ってるのに気づいて居た堪れない。
「心臓の音すごいな」
冷静に指摘されて、レイチェルは俯いた。自分でもわかる。さっきからずっと、心臓が破裂しそうにうるさい。ジョージは落ち着いているのに……レイチェルばっかり緊張して動揺しているのが恥ずかしい。
遠くから下級生らしき女の子達の笑い声が聞こえて、レイチェルはギクッとした。
「も、無理だから……離して……誰か来たら……」
「やだ」
やだ、じゃない。甘えるような言い方をするのはずるい。
腰に回された腕は、強くレイチェルを引き寄せている。でもたぶん、本気じゃない。だって、今朝のパメラに抱きしめられたときよりも弱いから。その気になれば逃げ出せるのに────どうしてレイチェルは、そうしないのだろう? 恥ずかしいのも、誰か来たら困るのも、本当なのに。
「かわいい」
耳元でジョージが笑うから、また背筋がゾクッとした。心臓がきゅうと締めつけられる。
やっぱり、図書室でキスなんてするべきじゃなかった。断ろうと思ったのに、どうしてこうなったんだっけ。またしても、すっかりジョージのペースだ。不本意だったはずなのに、怒るべきなのに……どうしてか、ジョージが嬉しそうに笑っていると本気で怒れなくなってしまう。
……ああ、流されるって、こう言うことなのかもしれない。