夜のホグワーツ城って、こんなに綺麗だったっけ。
昼間から降り続いていた雪は、いつの間にか止んだようだった。空を覆っていた雲は晴れて、宝石を散りばめたような星空が広がっている。慣れない2人乗りには緊張したけれど、箒が空高く上昇するとレイチェルはすぐそこから見える景色に夢中になった。

「私、夜にホグワーツで空を飛ぶのって初めて!」

上空から見下ろすホグワーツ城は、言いようもなく素晴らしかった。
オレンジ色の柔らかな光がそこかしこの窓に灯り、荘厳なのにどこか温かみがある。誰も居ない渡り廊下も、静かなクィディッチ競技場も、昼間とは全く違って見えた。何より、湖の凪いだ水面が鏡のようになり、ホグワーツ城の影と月を映しているのは息を呑むほどに美しかった。

「これを見せてくれようとしてたの?」
「いや。楽しんでくれたのは何よりだけどな」

見せたいものはあっち、とジョージが指差したのは禁じられた森の方角だった。
時間は大丈夫だろうか、とレイチェルは心配になった。いや、ジョージだって消灯時間はわかっているはずだ。いつもクィディッチの練習をしているわけだし、箒に乗っているときの時間感覚はレイチェルよりジョージの方が信頼できるだろう。
箒が進路を変え速度を上げたので、レイチェルは振り落とされないようさっきまでよりしっかりとジョージの腰に腕を回した。

……やっぱり、これってデートだと思っていいんだろうか。

2人きりで抜け出して、夜景を見ている。これはデートと呼んでいい気がする。
いや、友達同士だって出かけることはあるけれど……でも、ただの友達として誘ったのなら2人乗りする必要はない。レイチェルの分の箒を用意してくれたような気がする。いくらジョージだって、しょっちゅう女の子と2人乗りをしているなんてことはないはずだし……ないよね? レイチェルは薄っすら不安になった。

そう。たぶん、これはデートだ。レイチェルにとって、初めてのデート。

そう考えたら、急にジョージの腰に回した手が気になり始めてしまった。やっぱりレイチェルに比べるとがっしりしている気がする。肩幅や背中が広い。ビーターの棍棒は重いし、鍛えているのだろう。……でも、腰は細い。と言うか、脂肪がない。あんなに食べてるのになんで?ずるい。やっぱり、ダンスパーティーに向けてお菓子を少し控えよう……。
空気が冷えているせいで、ローブ越しに伝わる体温を意識してしまう。レイチェルは気持ちを落ち着かせようと瞼を閉じた。背中に寄せた耳から、ジョージの心臓の音がする。トクトクと規則正しい音が心地よくて、ほんの少しだけ肩の力が抜けるのがわかった。

「……ジョージは、どうして私のこと誘ってくれたの?」
「え?」

小さく漏れた疑問は、風の音に紛れたようだった。不思議そうなジョージの反応に、レイチェルはハッとした。
何だかすごく恥ずかしいことを聞いてしまった気がする。今の質問って、捉えようによっては『私のこと好き?』と聞いたのと変わらないんじゃないだろうか?

「……あの、違うの。ごめんね、今のなし。お願い、忘れて」

レイチェルは慌てて前言を撤回した。
違う、そんなことが聞きたかったんじゃない。いや、それもすごく気にはなるけれど。気になるけれど、今ジョージに言いたかったのはそうじゃなくて────。

「その……私が、セドとパーティーに行きたがってるって……思ってた人が多いみたいだったから」

レイチェルはセドリックのパートナーになるのだろう」「でもセドリックは他にパートナーが決まったらしい」「つまりレイチェルは振られたのだ」────根も葉もない噂だけれど、ジョージの耳にも入ったかもしれない。だとしたら、ジョージも誤解してしまっている可能性がある。

「もし……私が、本当はセドと行きたかったけど、それができなかったからあなたと行くんだって……そんな風に考えてるとしたら、違うって知ってほしくて」

もしも、ジョージがレイチェルに好意を持ってくれているのなら。そうでなくても、セドリックの代わりだと言う誤解は、気分の良いものではないはずだ。もしもレイチェルが逆の立場なら悲しくなる。
パートナーに選ばれるのはたった1人だ。たとえ2番手だとしたって、一緒にパーティーに行けることはそれだけで大きな意味があるのだろうけれど……でも、誰かの代わりに選ばれたと思うより、一緒に行きたがってくれていると思えた方がきっとずっと嬉しい。

「ジョージが誘ってくれて、すごく嬉しかった」

レイチェルは頬に熱が集まるのを感じて俯いた。ちょっとストレートに言葉にし過ぎた気がする。でも、口に出して言わないと伝わらない。さっき誘われたときのレイチェルはすっかり混乱していて、きっとあまり嬉しそうには見えなかっただろう。
ジョージの顔が見えなくてよかった。顔が見えていたとしたら、こんなことはとても言えなかっただろうから。

「………ジョージ?」

ジョージは黙り込んだまま、何も返事はなかった。
結構勇気を出して言ったのに……無反応だとさすがに不安になる。聞こえなかったのだろうか?いや、でも、今は静かだしそんなはずはないだろう。

「……いや、まあ。そんな風には考えてなかったけど……確かに、そう誤解する奴は多いかもな。君がセドリックと仲が良いのは事実だし」

しばらくの沈黙の後、ジョージからそんな言葉が返ってきたので、レイチェルはホッとした。よかった。もしジョージが聞いていなかったとしたらどうしようかと思った。きちんと言葉にして伝えなければとは思ったけれど、もう1度繰り返すのは、さすがに恥ずかしい……。

「……もしかして、ジョージも知ってたの? あの噂」
「ああ。でも、噂なんていい加減だろ。ハリーだって散々好き勝手言われてたし」

ジョージの言う“噂”を思い出して、レイチェルは眉間に皺を寄せた。そう、噂って本当にいい加減だ。でも、レイチェルも時々は噂に惑わされてしまったりする。
それに、もしかしたら噂より中途半端に自分で見聞きしたことの方が厄介かもしれない。レイチェルだって、ジョージはあの女の子と行くと思い込んでしまった。確かなことが知りたいのなら、本人に聞くべきだったのに。

「君にとっては、セドリックは家族みたいなものなんだろ」
「……うん」

ジョージの口調は素っ気なかったが、その言葉にレイチェルは胸の奥に温かなものが染み出すのを感じた。ジョージは噂を知っていたのに、それを信じていなかったんだ……。
セドリックはレイチェルにとって大切だ。でも、男の子としてと言うより家族と言う感覚の方が強い。他の人には納得してもらいにくいこの関係をジョージはわかってくれているのだと思うと、何だかすごく嬉しい。

「……君がボーバトンの奴に誘われたって話も、最初はただの噂かと思ってた」
「えっ?」

ジョージがぽつりと呟いた。どこか淡々とした、素っ気ない口調だ。

「なのに、君は『これから彼に返事をするの!』なんてニコニコしてるし」
「あ、あのときは……だって、その、彼にオーケーしなかったら、他には誰にも誘ってもらえないって思ってたんだもの」

レイチェルは気まずくなった。あのときは本当に、それしかないと思っていたのだ。ジョージはきっと、他の女の子とパーティーに行くのだろうと思ったから。レイチェルが言い訳すると、ジョージが長い溜息を吐き出した。

「……俺は結構わかりやすく態度に示してたと思うけどな。君の中での俺は、一体どんなイメージなんだ?」

怒らせてしまっただろうか、とレイチェルは戸惑った。確かに、「他の女の子にもこうなんだろう」なんて思うのはジョージには失礼だったかもしれない。
ジョージの表情は見えない。けれど、その耳が少し赤いことに気が付いて、レイチェルは自然と頬が緩んだ。

「じゃあ……ジョージは最初から、私のこと誘ってくれるつもりだったの?」
「…………だったら、何だよ」
「そうだとしたら、嬉しいなって……。だって……その、ジョージはいつも通りって言うか……そんな風に見えなかったから。他に誘いたい女の子が居るのかもって……」

ジョージと一緒の授業は多くはないけれど、それでも何度も顔を合わせていた。それなのに、全然話しかけられたりもしないから……てっきり、レイチェルはジョージにそのつもりはないのだろうと思ってしまったのだ。

「……あのなあ。君、ほとんどいつもセドリックか友達の誰かと一緒だろ。こっちだって、気を遣うんだぜ。エリザベス嬢はともかく、アンジェリーナやうちのジニーお嬢さんなんかに知られたらどうなると思う?」

ジョージの呆れたような口調に、レイチェルはハッとした。確かに、事後報告ですらあれだけからかわれたのに、もしもパメラや他の女の子達の前でジョージに誘われていたら……大変な騒ぎになっていたかもしれない。

「本当は、この間の日曜日に会ったとき、君を誘おうかと思ったんだ。でも……」

そう言えばあのとき、レイチェルもジョージに誘われるのかもしれない、と思った。どうやらあれは気のせいではなかったらしい。ジョージが言い淀んで言葉を切ったので、レイチェルはその続きを促した。

「でも、何?」
「……服からふくろうの匂させてる奴から誘われるなんて嫌だろ」
「えっ……そんな理由?」

確かにあのとき、ジョージはふくろう小屋から戻って来たところみたいだったけれど────意外な理由がおかしくて、レイチェルはくすくす笑ってしまった。

「そんなの、気にしないのに」

まあ、でも、ふくろう小屋で誘われたとしたらちょっと残念に思ったかもしれない。あそこはあまりロマンチックな場所じゃないし。やっぱり、雰囲気って大事だ。
そう言う意味で、今このシュチュエーションはすごくロマンチックだと思う。星空の中、たった2人きり。見渡す限り森が広がるばかりで、とても静かだ。そう、森────。

「ねえ、そろそろ戻らないとまずいんじゃない……?」

レイチェルはいよいよ、口に出さずにいられなかった。後ろを振り返ると、ホグワーツ城はすっかり小さくなっていた。ジョージとの会話に夢中になっている間に、随分と城から離れてしまっている。

「もうすぐ消灯時間でしょ? 急がないと、間に合わなくなっちゃう」

消灯時間後に1歩でも寮から出るのは規則違反だ。もちろん、それ以前に寮に戻っていないのも。遅れてしまったら大変だ。寮から締め出されてしまうかもしれない。
「実を言うと」焦るレイチェルと反対に、ジョージの口調は落ち着いていた。

「消灯時間はもう10分前に過ぎてる」
「えっ!?」

レイチェルは驚いて、ジョージの背中から体を離した。急に動いたせいでバランスが崩れ、箒が斜めに傾く。危うく振り落とされそうになり、レイチェルは慌ててギュッとジョージにしがみついた。

「そんな……今すぐ戻らなきゃ! 減点……罰則!? どうしよう、私……」
「まあ、落ち着けよレイチェル
「落ち着いていられるわけないでしょ!?」

夜間外出って見つかった場合どうなるんだったっけ?
確か……以前ハーマイオニー達が抜け出したときは1人50点の減点だった。50点。レイチェルたった1人のせいで、レイブンクローがそんなに減点されるなんて……レイチェルは青ざめた。

「君、やっぱり優等生だよなあ。もしかして、今まで夜に寮を抜け出したことない? 入学してからたったの1度も?」
「当たり前でしょ!」
「『当たり前』か。まあ、君にとってはそうなんだろうな」

クツクツと笑うジョージに、レイチェルは眉を寄せた。どうしてそんなに呑気で居られるのか不思議だ。……いや、理由はわかっている。慣れているからなのだろう。双子だけでなく、上級生の中にはこっそり抜け出している人も居るとは聞いたことがある。いや、レイチェルももう充分上級生だろうけれど……。

「まあ、聞けよレイチェル。城からここまで、もう15分くらい飛び続けてる」
「……ええ。だから今すぐ……」
「つまりだ。今すぐ引き返したところで、どうせもう消灯時間には30分近くオーバーだ」

30分も。消灯時間までには戻るつもりだったのに……規則違反をしてしまったと言う事実が、背中に重くのしかかる。きちんと確認するべきだった。いや、最初からついて来るべきじゃなかったのかも。でも、あの状況で「消灯時間だしまた今度ね」なんて断るのもどうなんだろう……?

「幸いにも目的地はすぐそこだ。たったの数分ならともかく、30分も1時間も変わらないだろ? どうせなら、目的を果たしてから戻った方が有意義なんじゃないか?」
「……それって、詭弁じゃない?」

レイチェルが疑い深く言うと、「そうかもな」とジョージが笑った。
箒はまだ城とは逆方向へ飛び続けている。……ダメ。やっぱり、今からでも引き返すべきだ。どうにかジョージを説得しないと。レイチェルはそう考えて口を開きかけたが、ジョージの大げさな溜息に遮られた。

「あーあ。君はきっと、気に入ると思ったんだけどな」

芝居がかったその口調に、レイチェルは言葉に詰まった。
そんな言い方はずるい。レイチェルだって、ジョージの「見せたいもの」が何なのかは気になるのに。あんな綺麗な夜景よりも素敵なものなんて、レイチェルには想像がつかない。
確かにジョージの言う通り、今更慌てたところで手遅れなのだ。どんなに急いでも、もう消灯時間は過ぎている。箒の操縦をしているのはジョージだし、いくら杖を持っているからって飛び降りるわけにもいかない。結論から言うと、レイチェルにはどうしようもない……。

「……最初から、このつもりだったの?」
「何のことだか。いやあ、君が珍しく素直なもんだから、驚いてすっかり道を間違えちまったな」
「ずっと真っ直ぐ飛んでたじゃない……」

そうだっけ、ととぼけるジョージにレイチェルは非難がましい視線を向けた。が、ジョージはマッドアイじゃないから見えないだろう。レイチェルは小さく溜息を吐き出した。ジョージがあまりに落ち着いているから、何だか1人で焦っているのが馬鹿みたいに思えてきた。

 

 

 

数分後、ジョージは箒を降下させた。
木立の真ん中に開けた場所があった。本来なら、花畑か原っぱなのかもしれない。でも、今は薄い雪が地面を覆い隠している。まっさらな雪へと降り立って、レイチェルは頭上に広がる空を見上げた。

「こんな場所があったのね」

満天の星空に思わず溜息が出た。ホグワーツ城は山に囲まれているけれど、ここには視界を遮るものが何もない。天文台塔に負けないくらい、星が近く見える。あそこに見えるのがオリオン座の三連星。あっちはこいぬ座。いっかくじゅう座。星の位置からして、やっぱりもう真夜中に近い。レイチェルはまた消灯時間のことを思い出し、ちょっと胃のあたりが重くなった。でも、確かにこの星空はとても綺麗だ。ジョージがわざわざ見に行こうと思ったのも頷ける。

「まあ、これだけでも悪くはないけどな」
「えっ? まだ何かあるの?」
「そうだな。たぶん、あと少し待てば」

空を見上げながら、ジョージが言った。レイチェルも隣に並んで、その視線の先を追った。
雲間から、白い月が僅かに顔を覗かせていた。雲が流れ、月が姿を見せる。星よりも明るいその光に、レイチェル目を細めた。が────変化があったのは、頭上よりも足元の方だった。

「これ……どうなってるの?」

さっきまでは何の変哲もなかった雪が、淡く銀色に輝き出していた。
まるで誰かが次々にランプを灯しているかのように、小さな丸い銀色の光が広がっていく。雪の下に、宝石でも埋まっているのだろうか? でも、さっきまでただの雪だったのに……。不可思議な現象に、レイチェルは説明を求めてジョージを見つめた。
「企業秘密、と言いたいところだが」ジョージがもったいぶるように言った。

「このあたりは、妖精草の群生地だからな」
「あ……ここ、もしかして前に薬草学の授業で採集に来たところ?」

妖精草は、レイチェル達が3年生のときに学んだ薬草だ。昼間は他の草花と見分けがつかないけれど、真夜中にその蕾が花開く。太陽より月の光を好んで、白い花びらにその光を溜めこむので、ユニコーンの毛並みのような淡い銀色の光を放つのだ。雲に隠れていた月が出たことで、雪の下のたくさんの妖精草が咲き出したのだろう。

「まあ、こうなるのはこの時期だけだな」

なるほど。雪が積もっていて、晴れた空に明るい月が出ている日。そして、妖精草が咲く真夜中。条件が揃わないと、この光景は見られないのだろう。だから消灯時間ギリギリに抜け出さなければならなかったのかと、レイチェルは納得した。納得したけれど……。

「あなた達って、いつもこんな風に城の外に抜け出してるの?」
「まさか。これが初めてさ。規則違反なんて恐ろしい悪事を仕出かしたことに、ハラハラしちまって気が気じゃないね」

肩を竦めるジョージに、レイチェルは小さく溜息を吐いた。
絶対嘘だ。じゃなきゃ、こんな場所知っているはずがない。偶然だったとしても、少なくとも1度や2度の“夜間外出”で見つかるようなものではないはずだ。

「あなたとフレッドって、普通の生徒の5倍くらいホグワーツを満喫してそう」

悪戯に必要だからか抜け道や空き教室にも詳しいし、きっとこれだけじゃなく、レイチェルの知らないことを他にも山ほど知っているのだろう。その過程で、2人が一体どれほど規則違反をしたのだろうかと想像すると────現に今だって、夜間外出の最中なわけだし────レイチェルには真似できないし、あまり褒められたことではないのだろうけれど。

「……連れてきてくれてありがとう。本当に、すごく綺麗」

でも、そのおかげでレイチェルもこうして素敵な景色を見せてもらうことができたのだから、今はジョージに感謝すべきなのかもしれない。きっととっておきの秘密だっただろうこの場所を、ジョージがレイチェルに見せたいと思ってくれたことが、何だかくすぐったくて、嬉しい。
淡く銀色に光る雪は美しく、どこか幻想的だ。前にマグルの本屋で買った絵本の挿絵みたい。氷の城に住む女王様がパーティーを開く、うっとりするほど美しい雪の夜。あの絵本だと、確か木の陰に白いウサギやキツネが居るんだっけ。そんなことを思い出して木立の方へと視線を向けたレイチェルは、そこに動く影を見つけた。白いキツネ────ではなかった。もう少し大きい。それにあの銀色に光る毛並みは……レイチェルはジョージを振り返った。

「ねえ、見て、ジョージ。あそこ。木の陰に……」

ユニコーンが居る────続けようとした言葉は声になることはなかった。レイチェルの思考も呼吸も、そこで1度途切れた。唇に、柔らかなものが触れる感覚があった。何か柔らかくて、温かなもの。ジョージの瞳が、睫毛が触れ合いそうなほどに近く迫っている。

キスをされたのだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

「ここから戻れば、見つからないはずだ」

ようやく城に戻って来ると、レイチェルはジョージの手を借りて慎重に箒から降りた。窓枠をまたいで、廊下へと着地する。お行儀は良くないけれど、この際仕方がない。気をつけたつもりでも、静かな廊下には足音が響く。レイチェルはギクッとしたが、ジョージは焦る様子もなく言った。

「大丈夫さ。このあたりの肖像画は、ちょっとやそっとじゃ起きないからな」
「……本当、手慣れてるわよね。今は助かるけど……あなたの方は大丈夫?」
「ああ。これくらい朝飯前さ」
「……気をつけてね。本当に……見つかったら大変なことになるんだから」

レイチェルは声を抑えて囁いた。ジョージにとっては無用な心配なのかもしれないけれど、いつもと違って真っ暗な廊下を目の当たりにすると、また焦りが浮かんできた。あまりにも美しい景色にすっかりレイチェルも夢中になってしまっていたけれど、一体今何時なのだろう?

「……じゃあ、えっと……また明日」
「ああ」

本当ならきっと、こんな風に呑気に話している場合じゃないのだろう。
恐らくはわざと消灯時間を過ぎたことを怒らなければと思うのに……どうしてか、怒る気分になれなかった。綺麗なものばかりを見た後だからか、怒りなんて感情が湧いてこない。それに、ジョージに丸めこまれたとは言え、レイチェルも一緒に楽しんでしまった。自分だけ潔白のようにジョージを責めるのは身勝手な気がする。何にしろ、とにかく今は少しでも早く寮に戻った方がいい。

レイチェル

レイチェルが寮へ向かおうとすると、ジョージに呼び止められた。振り返ると、レイチェルの額を、ジョージの唇が掠めていった。驚いて目を見開いたレイチェルに、ジョージが笑う。まるで悪戯が成功したみたいな表情で。

「おやすみ」

そう言うジョージの声が、何だかいつもより優しい気がして────レイチェルは息が詰まったように、急に呼吸が苦しくなった。心臓がきゅうと押し潰される。金縛り呪文のように固まったレイチェルをよそに、ジョージはそのままグリフィンドール塔の方へ飛んで行った。影が小さくなって、見えなくなる。今更に、心臓がバクバクとうるさく音を立てる。レイチェルはずるずるとその場へ崩れ落ちた。ジョージの姿が見えなくなったら、体の力が抜けてしまった。

何だかすごく……ものすごく、素敵なデートだった。

いや、消灯時間を過ぎてしまったのは良くないのだけれど。そこだけは本当に良くないとわかっているのだけれど……ジョージの言った通り、あそこで引き返さなくてよかった。あんな素敵な場所があるなんて、たぶんホグワーツ生のほとんどは知らない。それに────レイチェルは思わず自分の唇に指で触れた。まださっきの感触が残っている気がする。思い出してしまって、心臓がまたきゅうっと縮こまった。落ち着こうと深呼吸を繰り返して、レイチェルはフラフラと立ち上がった。

こんなところでうずくまっている場合じゃない。早く寮に戻ろう。

のんびりしていると、見回りが来るかもしれない。減点や罰則は遠慮したい。
レイチェルは廊下を慎重に進んだ。真っ暗なせいで、消灯時間を過ぎていることを実感させられてソワソワする。杖灯りがないと歩きにくい。でも、灯りをつけたらせっかく眠っている肖像画が起きてしまうだろうし……。ふあ、と欠伸を噛み殺す。眠い。部屋に戻ってベッドに入ろう。エリザベス達は心配しているかもしれない……。

レイチェル!一体どこに行っていたの!?」

心配どころではなかった。
眠っていたところを起こされたドアノッカーは不機嫌だったが、どうにかレイチェルは誰にも見つからず寮の中に入ることができた。が、問題は部屋に戻ってからだった。ドアを開けた瞬間、エリザベスのそんな声が飛んできて、レイチェルの眠気は吹き飛んだ。

「まあまあ、エリザベス。落ち着いて。ちゃんと帰って来たんだし……こんな夜中に大声出したら、隣の部屋の子達まで起きちゃうわよ」
「あのね、パメラ、エリザベス。その……」
レイチェルはシャワー浴びてきたら。そのまま寝たら風邪引くもの」

レイチェルは説明しようとしたが、その前にパメラにバスルームへと追い立てられた。
エリザベスに見えないようパメラがパチンとウインクしたので、レイチェルは大人しくそれに従った。ドアの向こうから、まだ2人の話す声が聞こえている。パメラがエリザベスを宥めてくれているようだ。

「2人とも、まだ起きてる……?」

30分後、レイチェルが恐る恐るバスルームから戻ると、2人はもう眠ってしまったようだった。ホッと息を吐いて、起こさないようレイチェルもそっと自分のベッドに入った。
心配をかけてしまったと、レイチェルは反省した。エリザベスが怒っていたのは心配してくれたからだ。レイチェルだってきっと、ルームメイトが夜中まで戻って来なかったら心配する。書き置きか何か残しておくべきだったかもしれない。でも、消灯時間までに戻るつもりだったのだ。結果的に無断で門限を破ることになってしまったけれど……明日になったら2人に謝ろう。

ベッドに横になると、またトロトロと眠気がやってきた。

目を閉じると、さっき見た光景が瞼の裏に浮かぶ。満天の星空に、湖に浮かんだホグワーツ城。妖精草の光で淡く光る雪。それに……ジョージの笑った顔。夢だったんじゃないかと思うほど、素敵な夜だった。
でも、現実だ。2人で箒に乗ってデートしたのも────キスをされたのも。突然だったから驚いたけれど……嫌じゃなかった。ロジャーの言っていた通りだ。友達として誘われたわけじゃなかった。ジョージの彼女になったんだ……。

温かなバスタブに浸かっているときのような安心感が肺を満たしている。柔らかなシーツの上で寝返りを打つと、今度こそレイチェルの意識はまどろんでいった。

なんて1日

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