「ほら、起きて、レイチェル!もう6時半よ!」

木曜日の朝、レイチェルはパメラに勢いよく肩を揺すられたことによって目を覚ました。
ブランケットを引き剥がされたせいで、朝の冷たい空気が肌を刺す。レイチェルは寒さに体を震わせ、身を縮こまらせた。6時半って、いつもより30分も早い。パメラはどうしてこんなに張りきってるんだっけ? 何にしてもレイチェルはまだ眠い……。

「ん……もうちょっと寝かせてパメラ。昨日、遅かったの……」
「ダメ。今日、例の『マスタードの君』に会うんでしょ!髪、やったげるって約束したじゃない!」

そうだった……。レイチェルは瞼を擦り、柔らかなマットレスに吸い込まれそうな体をどうにか起こした。
ふあ、とあくびをかみ殺す。昨日、結局あの後レポートは全然進まなくて────集中力を欠いた状態でスネイプ教授の出した課題が終わるはずもなかった────レイチェルはレポートを完成させられないまま、夕食に向かったのだった。そこで、パメラ達にジュリアンにパートナーに誘われたことを打ち明けた。と言うか、向こうが手を振ってきたことでバレた。それで……すっかりまたパーティーのことで頭がいっぱいになってしまって、レイチェルはベッドに入るまでレポートの存在を忘れていたのだった。どうにか書き上げたけれど、完全に寝不足だ。ゴルバロットの第3の法則についての理論がまだ頭に詰まっている気がする。

「あっ、身支度終わった? ハーフアップがいい? それとも巻いてみる?」
「えっと……パメラに任せてもいい?」
「オッケー! うーん……授業もあるし、あんまり派手すぎないやつがいいわよねー」

まだ寝ぼけ眼のレイチェルとは反対に、パメラはウキウキと楽しそうだ。昨夜ジュリアンのことを打ち明けたときも、パメラやエリザベスは自分のことのように喜んでくれた。レイチェルよりも、2人の方がはしゃいでいたくらい。今もこうして、朝が弱いパメラがレイチェルのために早起きしてくれている。それには感謝しているのだけれど……。

「なーんか浮かない顔ね。寝不足のせい? スネイプの奴、相変らず馬鹿みたいな量の課題出してるんでしょ」

ほら笑顔、とパメラがレイチェルの頬をつまんで引っ張った。パメラの言う通り、鏡の中に映る自分は不安そうな表情をしている。確かに、朦朧とした状態で書き上げた課題の出来も、ついでに次の授業でやる予定の小テストも心配ではあるけれど────。

『まあ、レイチェルって、黙ってればおしとやかで控えめな女子に見えなくもないもんな』

昨夜、ロジャーが言っていた言葉が、妙に頭に引っかかってしまっていた。
レイチェルを誘ってくれる男の子が居たのは嬉しい。これでもう、パートナーの心配はなくなるから。でも、その相手がほとんど話したことがない人だと言うのは、やっぱり不安だった。だって、レイチェルは彼、ジュリアンのことをほとんど知らない。

……思ってたのと違う、ってガッカリされたらどうしよう。

相手のことをよく知らないのは、レイチェルだけじゃない。向こうも、レイチェルのことなんてほとんど知らないはずだ。もしかしたらレイチェルのことを誤解していて────もっと大人しくて思慮深い、知的な女の子だと期待しているかもしれない。

「はい、できた! うん、可愛い可愛い」

会心の出来だと満足げなパメラに、レイチェルはハッとして鏡を見た。
確かに、そこに映っている姿は……可愛い。もちろん、髪型が。いつものレイチェルじゃないみたいだ。いつもよりずっと……上品で、お嬢様っぽいと言うか……素敵な女の子に見える。
わかっている。パートナーが決まらないかもしれない、と言う昨日までの不安に比べれば、こんなのは贅沢な悩みだ。わかっているけれど……やっぱり、ちょっと不安だ。

「あのね、聞いて! 私、パーティーに行けることになったの!」

どうやら、昨日のうちにパートナーの申し込みを受けたのは、レイチェルだけではなかったらしい。
朝食に向かった大広間でバッタリ会った友人からそう打ち明けられたことによって、レイチェルの憂鬱は吹き飛んだ。

「本当に? おめでとう、ジニー!」

溌溂とした笑顔を浮かべるジニーに、レイチェルもニッコリした。ジニーは3年生だから、上級生に招待されないとパーティーには行けない。決まりとは言え寂しく思っていたので、ジニーも参加できるのならとても嬉しい。

「えっと、相手って……?」
「ネビルよ。ネビル・ロングボトム。知ってる?」

あっけらかんと言うジニーに、レイチェルはまた驚いた。てっきり、ハリー・ポッターを誘って上手く行ったのかと思ったのだけれど……レイチェルは戸惑ったが、ジニーに落ち込んだ様子はない。頬は薔薇色で、瞳はキラキラしている。

「勿論、友達としてだけどね。ネビルはハーマイオニーと行きたかったの。でも、ハーマイオニーはもう約束してる人が居るって断って……それで、一緒に居た私を誘ったの」

ニッコリ笑うジニーは、とにかくパーティーに行けることが嬉しくて仕方ないと言った様子だ。ジニーが気にしていないなら、変に気遣って慰めるのも失礼だろう。レイチェルがそう納得していると、ジニーは表情を曇らせた。

「ただ……問題もあって」
「問題?」
「うん……あたし、ドレスがないの」

レイチェルはあっと声を上げた。そうだ。ドレスローブを用意するよう言われていたのは4年生以上だけだから、ジニーは準備していないはずだ。でも、パーティーに参加するならドレスは必要だ。ドレスだけじゃなく、靴やアクセサリーなんかも。

「ホグズミード休暇……は来月だし……ご両親に頼んでダイアゴン横丁で……今からだと難しいかしら?」
「あ、うん……時間がないのもそうなんだけど……その、うちって、経済的にちょっと……」

ジニーがサッと赤くなった。ロンに贈られてきたローブも酷かったし、とジニーが歯切れ悪く言った。なるほど。確かに、ドレスローブって高価だ。しかも1回きりしか着ない。来週急に必要になった、と言い出すのは躊躇ってしまうものかもしれない。

「ハーマイオニーは、手持ちの服を改造してみるのはどうかって言うんだけど……レイチェル、手伝ってくれる?」
「うーん……それ、素人には難しい気がするわ……」

生地の色とか、ボタンのデザインを変えるくらいならできるだろうけれど……ドレスじゃない服を作り変える、と言うのは厳しい気がする。魔法の技術と言うよりも、服飾の知識の面で。レイチェルがそう言うと、ジニーはガッカリしたように溜息を吐いた。

「そっかあ。ドレスのことは心配だけど……パーティーに行けるのは楽しみ! レイチェルは誰と行くの?」

せっかく忘れていたのに、またパートナーの問題を思い出してしまった。
パーティーに参加できることにこんなに喜んでいるジニーと比べると、やっぱり自分の悩みは贅沢な気がする。無邪気なジニーの笑顔から、レイチェルは思わず視線を逸らした。

「あの……ボーバトンの人に誘われて……まだ返事はしてないんだけど……」
「えっ? ボーバトンの人に!?すごい!」

いいなあと目を輝かせるジニーに、レイチェルは力なく微笑んだ。

 

 

 

そもそも、悩んだところで意味がないことはわかっている。
レイチェルには他に選択肢がないのだから、ジュリアンの誘いを受けることはほぼ確定なのだ。今日の放課後には……遅くても夕食の後には……最悪でも今日中には、彼にオーケーと返事をする。それしかない。他に自分から誘ってみたい男の子も居ないし、勿論1人でパーティーに行けるほどの度胸もない。
……昨日誘ってもらったときはすごく嬉しかったのに、どうして1晩経っただけでこんなに不安になってしまうんだろう? そんな風に悩みの種が増えかけて、思わず小さく溜息が出た。

「ねえ。レイチェルって、ボーバトンの男子に誘われたんでしょ?」

呪文学の授業の後、レイチェルは同級生の女の子達にそんな風に話しかけられた。
一体どこから話が漏れたのだろうとレイチェルは驚いた。が、そう言えば昨日の夕食の席や談話室でもパメラ達とその話をしていたのだった。会話が聞こえていたのかもしれない。

「しかも、ハンサムなんでしょ?」
「もうオーケーしたの?」
「彼、何て言う名前?」

矢継ぎ早にまくしたてられて、レイチェルは目を白黒させた。セドリックとのことでこうやって質問攻めにされるのは慣れているつもりだけれど、自分のこととなると初めてだ。自分に向けられる数対の視線に気後れしてしまって、レイチェルはたじろいだ。

「えっと……今日返事をするつもりなの」

レイチェルは俯いて、躊躇いがちに返事をした。実際そのつもりだし、さっきジニーにも同じことを言ったわけだけれど、言葉にすると逃げ道が塞がれていくような気分だ。レイチェルはまた不安が膨らむのを感じた。

「ねえ、どうやって知り合ったの?」
「……あの人達が来た日に、近くのテーブルに座ってたの。それで、少し話して……」

そう。本当に、ただそれだけなのだ。マスタードの瓶を渡しただけ。そんな些細なきっかけでパーティーに誘ってもらえるだなんて、話が上手くできすぎている気がする。やっぱり、彼はレイチェルのことを誤解しているんじゃないだろうか……?レイチェルはそう考えてまた落ち込みかけたが、彼女達の反応は違っていた。

「いいなあー! 素敵!」
「ねーっ!羨ましい!ボーバトンの男の子って皆かっこいいもんね!」
「何て言うか、洗練されてるよね!」
「私もせっかくだから他校生と行きたかったぁー」

その方がロマンチックだと力説されて、レイチェルは圧倒された。
そう言うものなのか……。レイチェルにとっては、相手が他校生であることは1番の心配事だったのだけれど、彼女達にとってはそんなのは些細なことと言うか、むしろメリットらしい。レイチェルはどちらかと言えば、ほとんど話したこともない人よりも知っている人と行きたいと思ってしまったのだけれど。……いや、よく考えたらホグワーツ生だって知り合いじゃない人がほとんどだった。

「まあ、言葉の壁はあるけどねー。あと文化?」
「でも、向こうもちょっとは英語話せるんでしょ? 問題ないじゃん」
「外国語覚えるのに、恋人作ると上達するって言うよね」

確かに、ジュリアンは英語が上手だ。クラムやフラーもだけれど、ほんの少し発音に癖はあるものの、特に会話をするのに困ったことはない。むしろ、もったいつけた言い回しを使わない分、彼らの言葉はストレートで、意志疎通しやすいくらいだ。そう考えてたら頭の中に、パッとジョージの顔が浮かんで、レイチェルは思わず眉を寄せた。そう。英語が話せるからって、考えがわかるわけじゃない……。

「フランス語って愛を囁くための言葉って言うしね! パートナーにはめちゃくちゃよくない? ボーバトンの男子って、なんかすごいエスコートとかも上手そう」
「ボーバトンと言えばさ、クロディーヌの従兄見た?」
「見た見た!似てるよね!」
「ダームストラングの人達もかっこいいけど、やっぱりボーバトンの男の子達の方が優しそうだよね」
「あっでもなんか1人、ダームストラングもすっごいチャラそうな人居ない?」
「居る居る! あの背の高い人でしょ? 色気すごいよね!」
「結構イケメンだよね。セクシーって言うか」
「まあねー。でも私、イケメンでもあの髭はなしだなー。だってキスするときさあ……」
「ちょっと! 気が早すぎでしょ!」
「そんな心配、まず誘われてからにしなって」

すっかり自分を抜きにして盛り上がっている会話を、レイチェルはぼんやりと聞いていた。楽しそうな彼女達の様子を見ていると、何だか自分が悩んでいたことがすごくちっぽけなことに思えてきた。レイチェルはまた重く考えすぎていたのかもしれない。もっとこう、「ハンサムで素敵な男の子に誘ってもらってラッキー」くらい気楽に受け止めるべきなのかも。

「ダームストラングって言えば、クラムのパートナーって誰か知ってる? レイチェル、何度か話してたよね?」
「し、知らない」

再び話を振られて、レイチェルはギクッとした。本当は知っている。クラムのパートナーはハーマイオニーだ。でも、ハーマイオニーはそれを秘密にしたがっている。当日になればわかることけれど、それまではレイチェルも頑張ってその秘密を守るつもりだ。

「もう決まってるらしいけど、誰だかわかんないんだよね」
「やっぱり、ダームストラングの子じゃない?」
「だよねぇ……。元々断られるとは思ってたけどさあ……1曲くらい踊ってもらえると思う?」
「無理でしょ。そう考えてる子100人は居るよ」

そう。よく考えれば、他校の男の子とパーティーに行く女の子は他にも居る。ハーマイオニーもそうだし、パメラもクロディーヌもそうだ。レイチェルだけが特別じゃない。いや、でも、レイチェルにはパメラやクロディーヌほどの恋愛経験値はないし……ああ、でも、それはハーマイオニーも同じだ。レイチェルから見て、ハーマイオニーとクラムは上手くいきそうに見える。なら、レイチェルもそんなに身構えなくたって大丈夫……なのだろうか?

 

 

そんなやり取りが、今日1日の間に何回かあった。つまり、ほとんど休み時間のたび、レイチェルは『ボーバトン生に誘われた』件について質問攻めにされた。自分が話題の中心になるのは恥ずかしかったけれど、おかげで放課後になる頃には随分と前向きな気持ちになっていた。
「年上」「ハンサム」それに「他校生」────同級生の女の子達が羨ましがっているのはそんな条件なのだろうとわかってはいるけれど、レイチェルの不安を軽くするには充分だった。みんなが羨ましがると言うことは、これはやっぱり「素敵なこと」なのだ。こんな風にくよくよ悩む必要なんてなかったのかもしれない。昨日申し込まれたときに、さっさと返事をしてしまうべきだったのかも。
ジュリアンが誘ってくれたことは、レイチェルにとっては幸運だった。このチャンスを掴まなければ、本当に誰もパートナーが見つからなくなってしまう。ルーマニアでのクリスマス休暇も悪くはないけれど、やっぱりレイチェルだってダンスパーティーに参加したい。
彼についてほとんど知らないことに、やっぱり不安はあるけれど……楽しく過ごせるかわからないのは、誰がパートナーだったとしても同じだ。たとえセドリックと行ったとしても、些細なことでケンカしてしまったかもしれない。大事なのは、楽しく過ごせるよう相手を気遣うことだ。ほんの少し話しただけだけれど、彼はいい人そうだった。……いい人かどうかわかるほど会話してないけれど、少なくとも嫌な感じはしなかった。あと、何となくレイチェルの初恋のマグルの郵便配達の青年に雰囲気が似ている。……つまり、割と好きなタイプの顔だった。
うん。レイチェルは彼と一緒にパーティーに行こう。せっかくの3校合同のイベントなのだ。他校生と参加できるなんて、きっといい思い出になる。ダンスは……緊張するかもしれないけれど、頑張ろう。

そうと決まれば、彼に返事をしに行こう。

急がないとは言われていても、やっぱり返事は早い方がいいだろうから。今頃はきっと、ボーバトンの馬車に居るはずだ。1人で行くのはちょっと心細いけれど……だからと言って、パメラ達について来てもらうと言うのも恥ずかしい。名前はわかっているのだから、呼んでもらおう。ジュリアンと入れ違いになったとしても、フラーが居るかもしれない。そうしたら、どこかで待っていると伝言を頼もう。
そう、ジュリアンに会って……何て言えばいいんだろう? 『一緒にパーティーに行きたい』? これだとちょっと直接的すぎるだろうか。『喜んで』ってフランス語だと何て言うんだろう。エリザベスに聞いておけばよかった。『ありがとう』は確か『Merci』だったはず……。

「ひゃっ」

そんな風に悶々と考えていたら、後ろから誰かの手が肩に触れたので、レイチェルは驚いた。一体誰だろうと振り返ると、そこには見慣れた人物の姿があった。赤と黄色のストライプのネクタイに、それに負けないくらいに鮮やかな赤毛────。

「……ジョージ?」
「あんまりボンヤリしてると、また階段から落っこちるぞ」
「……今は、そこまでボーッとしてなかったわ」

考え事はしていたけれど、目の前の階段が動き出したことにはちゃんと気が付いていた。とは言え、ジョージは心配してくれたのだろう。……レイチェルがあまりに危なっかしいから。実際、以前階段から落ちかけてジョージに助けてもらったから、強くは言えない。
こう言うところに勘違いしそうになってしまうけれど、きっとジョージは誰にでもこうなのだ。セドリックと違ってちょっとわかりにくいけれど、面倒見が良くて親切。

「……でも、ありがとう」
「どういたしまして」

それなのに、レイチェルは自分だけ特別なのかと勘違いしてしまった。ジョージにとってはたぶん、レイチェルはただの友達でしかないのに。でも、もう大丈夫だ。それは昨日までで終わり。今日からはもう、勘違いしたりしない。
偶然通りかかっただけなのかと思ったが、ジョージはそのままレイチェルの隣に並んだ。

「俺も図書室に行くところなんだ」
「そう」

珍しい。確かに、図書室ならこの方向だ。いつもなら、レイチェルも放課後は図書室に行く。けれど今日は違う。でも、別にジョージにわざわざそれを言う必要もないだろうし……。ようやく止まった階段を、2人して無言で降りる。昨日の出来事のせいか、沈黙が妙に気まずく感じた。

「ボーバトンの奴に誘われたんだって?」
「……そうだけど」

沈黙が気まずいとは思ったけれど、だからと言ってこの話題も気まずい。
どうしてわざわざこんなこと質問してくるんだろう……。そんな、モヤモヤとした感情が胸に広がりかけたが、いやと思い直した。気にしすぎかもしれない。レイチェルだって、ロジャーやジニーに『パートナーは誰?』なんて質問したし。ジョージにとってはただの世間話だろう。たぶん、どこかから噂を聞いて興味を持っただけだ。友達同士なら普通だ。レイチェルが変に意識しすぎなのだ。

「オーケーするのかい?」
「ええ、まあ……そのつもり」

レイチェルはちょっと躊躇ったが、素直にそう返事をした。
そう。ただの世間話だ。だから……レイチェルも気まずく思う必要なんてない。ジョージがレイチェルのことを好きかもとか、パーティーに誘ってくれるかもなんて言うのは、ただのひとりよがりな勘違いだったわけだし。……あ、ダメ。思い出したら、また居た堪れなくなってきた。

「これから、返事をしに行くところなの」

レイチェルは微笑み、意識して明るい声を出した。
ジョージのことは、ただの友人としか思っていないのだと────もう変に意識したり期待したりはしないから大丈夫だと、伝わればいいなと願った。……今更手遅れのような気もするけれど。
とにかく、今はジョージよりもジュリアンと話すべきだろう。こうやってレイチェルが彼に返事を待たせている間に、誰か他の女の子が彼を誘わないとも限らない。そのせいで彼の気が変わってしまったら、レイチェルだって困るのだから。

「そう言うわけで、またね」

レイチェルはジョージに手を振り、進行方向を変えた。本当は、このままもう少しならジョージと同じ方向に行ったとしても問題ないのだけれど……今はジョージとおしゃべりするより1人で考えたい。ええと……そう、何だっけ。ジュリアンに会ったら何て言うか。先に考えておかないと、本人を前にすると緊張しそうだし……。
そう。レイチェルはこれから、ジュリアンに会いに行く。そして、彼のパートナーになると約束をする。そのはずだった。そのつもりで、前へと足を踏み出した。

「なんだ。てっきり、君は俺とパーティーに行ってくれると思ってたんだけどな」

それなのに────背中からかけられたそんな言葉に、ピタリと足が止まってしまった。
背中を向けているレイチェルには、ジョージの表情は見えない。でも、いつもの冗談めかした口調ではないことは、わかってしまった。
自分の耳で聞いたはずの言葉が信じられない。それを言ったのが、本当にジョージなのかさえも。でも……振り返った先に居るのはやっぱりジョージだ。そして……その頬が少し赤いことにも気が付いてしまった。

「な、何で……?」

どうにか絞り出せた言葉はそれだけだった。
ジョージが照れたように視線を泳がせるから、レイチェルも動揺した。頭がひどく混乱している。だって、今の言葉ってまるで……いや、そんなはずない。やっぱり、さっきのはレイチェルの聞き違いじゃないだろうか?

「……意外で悪かったな。君が嫌なら、別に無理にとは────」
「ち、違うの。ごめんなさい。そうじゃなくて……」

ジョージのぶっきらぼうな口調に、レイチェルは慌てて首を振った。
言うべき言葉を間違えた。嫌じゃない。嫌じゃないけれど……どうして? ジョージが何を考えているのかわからない。だって、ジョージはもうパートナーが居るはずなのに。これじゃまるで、レイチェルをダンスパーティーに誘いたいみたいだ。これもまた、レイチェルの勘違いなのだろうか?

「だって……誘われてたじゃない。それで……『ありがとう』って……」

レイチェルは確かに、その現場を見たのだ。すごく可愛い子だった。ジョージだって満更じゃなさそうだった。レイチェルが男の子なら、あんな子に誘われたら嬉しい。だから、てっきりあの子と行くのだろうと思ったのに。レイチェルがしどろもどろにそう言うと、ジョージは怪訝そうに眉を顰めた。

「君が何を見たのか知らないけど、俺は自分を誘ってくれた子に『一昨日おいで』なんて言うほど人でなしじゃないぞ」

昨日の出来事を思い出してみる。確かに……レイチェルが聞いたのは『ありがとう』だけだった気がする。返事はどうあれ、パートナーにと誘いを受けたら、それに対してお礼を言うかもしれない。レイチェルだってそうだったじゃないか。ジュリアンにも、それにセドリックにも『ありがとう』と言ったはずだ。

「そう……そうね……」

つまり……ジョージはあの女の子の誘いを断ったと言うことなのだろう。2人がパートナーだと言うのは、レイチェルの早とちりだった。あれ、じゃあ、と言うことは……どう言うことだろう? 頭が上手く回らない。ジョージはさっき何て言っていたたっけ?

『てっきり、君は俺とパーティーに行ってくれると思ってたんだけどな』

レイチェルの勘違いだと思った。ジョージが自分を好きかもしれないと思ったのは、気のせいだったのだろうと。レイチェルが勝手に期待しただけで、ジョージにはレイチェルを誘うつもりはなかったのだろうと。でも、今────ジョージはこうして、レイチェルをパートナーにしたいと言ってくれている。

「………くわ」

ジョージは別に、レイチェルのことを好きなわけじゃないかもしれない。単に、友達として誘ってくれただけで……あまり親しくない女の子と行くよりは、レイチェルの方がいいと、そんな風に考えただけかもしれない。レイチェルだって、たぶんジョージに恋をしているわけじゃない。
ジョージがレイチェルのことをどう思っているのか。それどころか、自分の気持ちすらよくわからない。けれど、今────胸の奥から湧き出してくる、嬉しいと言う感情だけは確かだ。

「貴方と、行く」

レイチェルはギュッとローブの裾を握りしめた。たった一言なのに、緊張のせいか声が震える。先にレイチェルを誘ってくれたジュリアンの存在を忘れたわけじゃない。彼が誘ってくれたことも、嬉しかった。つい、10分前までは、彼のパートナーになるつもりだった。でも────考えなくても、答えは出てしまった。ジョージが誘ってくれるなら、ジョージと行きたい。
頬が燃えるように熱い。レイチェルは両手で顔を覆って俯いた。なんかもう、恥ずかしすぎて泣きそう。

「あー……」

指の隙間からジョージを見ると、困ったような、照れたような表情で頬を掻いた。
レイチェルはいよいよどうしたらいいかわからなかった。「じゃあ」って解散するのも変な気がするけど、かと言って会話も続きそうにない。どうしよう。レイチェルが戸惑っていると、ジョージが小さく咳払いをした。

「俺とパーティーに行ってくれますか? お嬢さん」

ジョージが悪戯っぽく笑って手を差し出す。騎士のような恭しいその仕草に、レイチェルはぱちりと瞬きをした。
仕切り直しのつもりなのかもしれない。そう言えば、はっきりとパートナーになってほしいと言われたわけではなかった。ちょっと遠回しと言うか……もしかしたら、ジョージも緊張していたのだろうか?

「ええ、ジョージ。喜んで」

そう考えたら、ちょっと肩の力が抜けて────レイチェルも、その手をとってはにかんだ。

あなたと握手

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