「チョウにオーケーもらえたんだ」

火曜日のマグル学の授業で、セドリックにそう報告された。はにかんだその顔を見ても、やっぱり不思議なほど感情が波立つことはなかった。……いや、波立たなかったと言うのは嘘だ。嬉しくなって本人以上にはしゃいでしまったから。

「上手く行ってよかったわ!おめでとう!」
「ありがとう」

……実際に2人が並んでいるところを見たらまた違うのだろうか?クロディーヌのときみたいに、チョウならお似合いだ、なんて周りが噂しているのを聞いたら、やっぱり嫌な気分になってしまうかもしれない。

「あっ、ごめん、セド。私、そろそろ行かなきゃ」
「あ……僕こそごめん。引き留めちゃって……何か用事だった?」
「ちょっとね」

今日の放課後には、とても重要な予定があった。
場所は2階の空き教室のはずだから、ここからだと距離がある。セドリックと別れ、レイチェルは急いで教室を出た。隙間風の吹きつける階段を下りて、廊下を曲がり、さらに進む。

「きゃっ」
「あっ」

そう、レイチェルは急いでいた。当然、いつもより注意力が散漫になっていた。その結果、何が起きたかと言えば────曲がり角から飛び出してきた相手と、レイチェルは正面衝突したらしい。らしい、と言うのは誰かとぶつかったと認識したのは肩に強い衝撃を感じた後だったからだ。どうやら、相手はレイチェル以上に急いでいたらしい。勢いでローファーの踵は宙に浮き、視界に天井が広がる。

「危ない!」

レイチェルは衝撃を覚悟してギュッと目を閉じたが、突然、移動キーにくっついたかのようにグイッと腕を引っ張られた。背中から倒れるはずだっ重心が、前に傾く。ドスンと鈍い音がしたが、レイチェルの体のどこにも予想していた衝撃は来なかった。

「イタタ……」

恐る恐る目を開けると、そこにあったのは予想外の人物の姿だった。クシャクシャの黒髪に、鮮やかな緑の瞳。痛みに顔を顰めているのはハリーだ。そして────レイチェルの体はハリーに抱きかかえられている状態だった。レイチェルは慌てて飛び退いた。

「ハリー! ごめんね、下敷きにしちゃって……大丈夫?」
「平気だよ」

ズレてしまった眼鏡をかけ直しながら、ハリーはばつが悪そうに言った。状況から考えると、ハリーがレイチェルの腕を引いて助けようとしてくれたみたいだ。そして……支えきれず一緒に倒れ込んでしまったのだろう。

「ごめん。僕、その……急いでて」
「私もよ。怪我はない?」
「うん。ぶつけただけで、何ともないみたいだ」
「本当にごめんなさい……助けてくれてありがとう」
「……全然助けられてなんかないよ。僕も一緒に転んじゃったし……」

レイチェルが差し出した手を取ってハリーが立ち上がる。ハリーも気まずそうだったが、レイチェルも気まずかった。支えきれなかった理由ははっきりしている。ぶつかったとき、かなり勢いがついていたし────あと、たぶんレイチェルの方が体重が重いせいだ。身長はハリーの方が少し高いけれど、ハリーはとても痩せている。

「……セドリックなら、きっとちゃんと支えられたんだろうな」

……それを言うのなら、レイチェルがチョウやジニーくらい小柄で華奢だったらハリーを下敷きにせず済んだ。そう思ったが、口にすることはなかった。今言うべきなのは、そんな言葉じゃないと感じたからだ。苦笑するハリーに、レイチェルはギュッとローブを握りしめた。

「どうしてセドの名前が出てくるの? 今私の前に居て、私を助けてくれたのはハリーなのに」

自嘲するようなハリーの口調に、どうしてか締め付けられるように胸が痛んだ。
ハリーの言う通り、ぶつかった相手がセドリックだったら難なくレイチェルを抱き止めたかもしれない。でも、セドリックはここには居ない。王子様みたいにスマートではなかったかもしれないけれど、ハリーはレイチェルが転ばないよう助けてくれた。庇ってくれた。

「確かに、セドはあなたより背が高いから、力もあるけど……だからって、セドと比較してあなたが落ち込んだりする必要はないでしょ。セドはあなたより3つも年上だし、何よりセドとあなたは違う人間だわ」

彼がドラゴンを見事出し抜いてみせるまで、誰もがセドリックと彼を比較していた。セドリックの方がハンサムで、優秀で、誠実で、嘘つきで卑怯なハリー・ポッターなんかより代表選手に相応しい。彼の耳にだって、きっとそれは届いてしまっていた。自分と誰かを比較して落ち込んでしまう気持ちは、レイチェルにも痛いほどわかるけれど。

「今のままでも、あなたは立派なホグワーツの代表選手よ。みんな、あなたに憧れてるわ。あなたのパートナーになりたいって思ってる女の子が、今ホグワーツに何人居ると思うの?」

……何だか、熱烈な愛の告白みたいに聞こえるかもしれない。言い終えて、レイチェルは恥ずかしくなった。つい感情的になってしまった。でも、彼がセドリックと自分を比較して劣等感を感じているのなら、そんな必要はないと伝えたかった。確かにセドリックは幼馴染の目から見ても輝かしいまでに美徳が多いけれど、ハリーだって素敵なところがたくさんある。

「……ありがとう」

ハリーが照れくさそうに微笑んだ。レイチェルは、さっきとは違う痛みが胸を締め付けるのを感じた。ハリーに笑いかけられると、いつもこうだ。ハリーが笑ってくれることにホッとするような、照れくさいような。それと、ほんの少しの後ろめたさ。何だか落ち着かない気持ちになる。

「……ごめん、僕、本当に急ぐんだ。じゃあね」

突然、ハリーはハッとしたような表情になった。そう言い残すと、慌てて廊下の向こうへと走って行ってしまう。まるで、何かから逃げているみたいに。ハリーが消えた方向をぼんやり見つめていると、背後からカツカツとヒールの足音が近づいてきた。

「お嬢ちゃん、ハリー・ポッターを見なかったざんすか?」
「えっと…………いいえ。見てません」

声に振り返ったレイチェルは、そこに居た人物に驚いた。会うのは初めてだけれど、新聞で写真を見たことがある。日刊預言者新聞の記者、リータ・スキーターだ。最近はすっかり『生き残った男の子』のゴシップにご執心で────なるほど。どうやらハリーは、彼女から逃げていたようだ。

 

 

 

……どうにか間に合った。
目的の空き教室は、既に先に来た生徒達のおしゃべりでざわついていた。扉を開け中へ入ったレイチェルは、きょろきょろと辺りを見回した。パメラやエリザベスはどこだろう?

レイチェル?」
「ペニー!」

名前を呼ばれて振り返ると、ペネロピーの姿があった。とりあえず知り合いを見つけたことにホッとして、レイチェルは彼女の下へと駆け寄った。ペネロピーも今来たところなのか、1人のようだ。そう、1人────。

「……そう言えば、ペニーはもうパートナー決まった? その……パーシーは招待できないでしょ?」
「そうなの。困っちゃって……まだ決まってないのよね。レイチェルは?」
「……私もまだなの」

レイチェルは視線を泳がせた。同じ“パートナーが見つかっていない”でも、ペネロピーとレイチェルでは条件が違う。ダンスの相手は決まっていなくても、ペネロピーには恋人が居るのだ。レイチェルとは全然違う……。しょんぼりと肩を落とすと、焦る必要はないとペネロピーが慰めてくれた。優しい。

「えー、それでは時間ですのでレイブンクローのダンスのレッスンを始めたいと思います」

チリチリとベルの音が響いたかと思うと、いつの間にか教室の真ん中にフリットウィック教授が立っていた。訂正、皆から見えるよう踏み台の上に乗っていた。そう。今日は、ダンスパーティーに向けての練習だ。おしゃべりがピタリと止み、フリットウィック教授へと視線が集まる。

「講師は、灰色のレディをお招きしております」

扉をくぐり抜けて、真珠色をしたゴーストが現れた。レイブンクローのゴーストである灰色のレディだ。ドレスの裾をつまんで優雅にお辞儀をしてみせたレディは、早速男女でペアを組むようにと言い渡した。

レイチェルでいいや。組もうぜ」
「『でいいや』って……」

近くに居たロジャーに声をかけられて、レイチェルは眉を寄せた。……まあ、レイチェルとしても、知らない男の子が相手だと緊張するし、ロジャーが組んでくれるのは助かるけれど。ロジャーの方へ足を踏み出そうとしたら、ペネロピーが心配そうに眉を下げた。

レイチェル。その……ロジャーに何かされたら、すぐに言うのよ?」
「えっ?」
「ひどいな、ペニー。友達に手を出すほど困ってないって」
「ならいいけれど……」

肩を竦めるロジャーに、ペネロピーは疑わしそうな視線を向けた。ロジャーは彼女を安心させるように────あまり効果はなかったみたいだけれど────ウインクすると、レイチェルの肩を抱いて歩き出した。

「……ペニーと何かあったの?」
「ん?まあ……ペニーとって言うか、ペニーの友達とちょっと」
「具体的には?」
「付き合ったんだけど、なんか思ってた感じと違ったんだよな。やたらと束縛したがるって言うか……まあ、結論から言うと、2週間で別れた」
「……パメラも言ってたけど、本当に……不誠実なことばかりしてると呪われるわよ」

モテるから仕方ないのかもしれないけれど、ロジャーは恋人が変わるペースが早すぎる。
全員が上手くペアに分かれると、まずはフリットウィック教授とレディがお手本を見せた。レイチェル達も真似て何度か練習する。そして、いよいよ音楽に合わせて踊ることになった。

レイチェルとクロディーヌだと、クロディーヌのが身長高いよな? 3インチくらい?」
「たぶんそれくらいだけど……どうして?」
「俺のパートナー、クロディーヌと同じくらいなんだよな」
「ロジャーのパートナーって誰なの?」
「フラー・デラクール」

驚いて思わず「えっ」と声が出てしまった。フラーとロジャー。意外だ。フラーはロジャーに興味がないと言うか……どちらかと言えば、ロジャーのことを鬱陶しがっているみたいだったのに。そう言えば、フラーが興味を示していたのって────。

「フラーはセドリックを狙ってたみたいだけどな。他に誘いたい女の子が居るって断られたらしい。俺にはラッキーだったけど。セドリックの相手って、どうせレイチェルだろ?」
「違うわ。私、セドとは行かな……ひゃっ」

腰にロジャーの手が触れて、レイチェルはビクッと肩を揺らした。振り付けだから仕方ないのだけれど、思わず悲鳴じみた声が出てしまった。何だか過剰反応な気がして恥ずかしい。レイチェルはパッと口元を手で覆った。

「ご、ごめんね……くすぐったくて……」

ロジャーには失礼だけれど、普段腰に触られることなんてないせいか、何と言うか……くすぐったくてゾワッとした。ロジャーの手が今度こそレイチェルの腰をしっかり掴んだので、レイチェルもロジャーの肩に手を置いた。そしてジャンプ────。

「あの……重くない?」
「ん? まあ、別に……普通じゃね?」

レイチェルはさっきの廊下でのできごとを思い出し、急に不安になった。
ロジャーがレイチェルを持ち上げているわけじゃなく、飛び上がったところを支えて引き上げているだけだ。とは言え、やっぱり体重はかかるだろう。あと、この振り付けウエストの太さがわかりそうでちょっと嫌だな……。
気まずくなって、レイチェルは無言になった。集中しないと、ステップの順番がわからなくなりそうなのも原因だった。それにしても……やっぱりダンスって距離が近い。歩幅が違うのに一緒に動こうとするから、付いていくだけで精一杯だ。想像していた優雅さとは程遠い。手を繋いだままなのも、背中に手を回されるのも落ち着かないし……あと、やっぱりロジャーって背が高い。それに、黙っていると整った顔をしている。

「あっ……」

危ない。ロジャーの肩越しに、近くに居たペアがバランスを崩すのがわかった。女子が転んで、男子を突き飛ばすような形になって─────そのまま後ろへよろけた男子が、ロジャーの背中にぶつかって、レイチェル達もその勢いで壁際へと倒れ込んでしまった。

「ってー……大丈夫か?」
「私は平気……ロジャーこそ、大丈夫?」

ロジャーが庇ってくれたから、レイチェルは大丈夫だ。咄嗟にロジャーにしがみついたから、壁に背中を打ちつけることもなかった。どちらかと言えば、ロジャーの方が心配だ。頭をぶつけていたみたいだれど、コブができていないだろうか?

「ロジャー?」

レイチェルはロジャーの額に触れた。ちょっと赤くなっているけれど、コブにはなってないようだ。よかった。レイチェルが安心していると、疲れたのかロジャーがレイチェルの肩へとロジャーの頭が乗せられた。

「なんか……やっぱりダンスってすげーよな。レイチェルがいつもより可愛く見える」
「それはどうも……?」

レイチェルははてと首を傾げた。褒められているのだろうか。いや、いつもは別に可愛くないと言うことだろうからむしろ貶されているのかも。確かに、ロジャーもいつもよりかっこよく見える気がしたけれど────。

「……あと、この状況が意外とエロい」

耳元で掠れた声で呟かれて、レイチェルはギョッとした。

「エっ……なっ………何考えてるのよ! バカじゃないの!?」
「しゃーねーだろ!これは男ならは皆そう思うって」
「ロジャーだけじゃないの……?」

そんなことを考える元気があるなら大丈夫そうだ。心配して損したと、レイチェルは自分に覆い被さっているロジャーを押し退けた。本当に信じられない。やっぱりロジャーと組むんじゃなかった。とは言え、ダンスの練習を諦めるわけにもいかない。不本意だけれど、レイチェルは渋々またロジャーの手を取った。

レイチェルがそんな感じなのって、どう考えてもセドリックのせいだよな」
「……そんな感じって?」
「男に慣れてないくせ、妙に距離近いときあるよな。警戒心ない猫みたいっつーか」

ロジャーが溜息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちだ。レイチェルがムッとすると、近くに来た灰色のレディに「パートナーを睨まない」と注意された。……ロジャーはパートナーじゃないから睨んでも大丈夫なはずだ。

「エリザベスみたいに潔癖って言うのとも違うし……何だろうな、純真? いや、これだといい意味か。ボーッとしてる? 純粋培養? 夢見がち?」
「失礼すぎない?」
「でも事実だろ。セドリックの奴が過保護にしすぎたせいだよなー」

過保護。確かに、レイチェルもセドリックに対してそう思うことがあるけれど。でも、それはセドリックがいつもレイチェルを5歳の小さな女の子みたいに扱うせいだ。マグルの街に行くなとか、1人で出かけるなとか────。

「もしかして、今でも赤ん坊はワイバーンが仲良しのパパとママのところに運んでくるとか思ってる?」
「そ……んなことはないけど」

レイチェルは言葉に詰まった。レイチェルにはまだ恋人どころかダンスのパートナーすら居ないけれど、同級生や上級生の女の子達の中には色々と『進んで』いる子も居ると言うのは知っている。……談話室で噂を耳にしたことも、何度かある。

「今、何か想像した?」
「し、してない!」

からかうようなロジャーの口調に、レイチェルは慌てて否定した。確かに、ロジャーは今までたくさんの女の子と付き合っていて、レイチェルよりもずっと経験豊富なのだろうけれど……頬が熱い。いくら何でも、男の子とこんな話をするのは気まずすぎる。

「……『セドなら、こんな風に意地悪言ったりしないのに』」

ぼそりと呟いたロジャーに、レイチェルは目を見開いた。たった今、頭の中に幼馴染の顔を思い浮かべていたのは事実だ。セドリックとすらこんな会話したことないのに、とは思った。「図星?」ロジャーがニヤッとした。

「セドリックだって、普通にエロいこととか考えてるって。お前の前では猫被って紳士ぶってるだけだよ。絶対そう」

間違いないと断言するロジャーに、レイチェルは眉を寄せた。そうなのだろうか? 男の子の考えることはレイチェルにはよくわからないし、そうなのかもしれない。セドリックはいつだって、他人に気を遣いすぎるくらいだし。そうかもしれないけれど────。

「……じゃあ、ロジャーも私の前ではそうして!」
「いてっ。足踏むなよ!」

だとしたら、ロジャーはもう少しセドリックを見習って『紳士ぶる』べきだとレイチェルは思う。

 

 

 

……自分はもしかしたら、ダンスが苦手かもしれない。
練習が終わり、空き教室を後にしたレイチェルはすっかり自信をなくしていた。ロジャーとギクシャクしたせいか、結局あの後も全然上手くいかなかった。
レイチェルはフラフラと城の外へ出た。何だかまだ体が回転している気がする。向かう先はいつもの温室だ。元々今日は、ドラコと会う約束をしていた。でも、約束の時刻までまだ20分もある。がらりとした温室は、1人きりだととても静かだ。

「1、2、3……1、2、3……」

ドラコはきっとまだしばらく来ないだろう。
せっかく広い空間があるので、習ったばかりのステップを練習してみることにした。スプラウト教授自慢の巨大なラッパ水仙を、今だけ蓄音器に変身させてもらった。苦手だと自覚があるなら、練習するしかない。あとでエリザベスにもコツを聞いてみよう。ここで、右足を引いて……あれ、違う。左だっけ? こんがらがって足がもつれそうになったところで、レイチェルは1度足を止めた。そして────待ち合わせの相手が、いつの間にかすぐ近くに立っていたことに気が付いた。

「ド、ドラコ……!? いつからそこに居たの……!?」

まさか見られていたなんて。約束までまだ時間があるはずなのに!
羞恥心が背筋を這い上がる。俯いて肩を震わせるドラコは笑いを押し殺そうと努力している様子だったが、完全に失敗していた。

「……そんなに笑わなくたっていいじゃない」

レイチェルは居た堪れなくなって眉を下げた。確かに、1人でワルツを踊っているところなんて、相当まぬけに見えただろうし……声をかけにくいのもわかるけれど、だからってずっと黙って見ているなんてひどい。

「いや、すまない。別に馬鹿にしてるわけじゃないんだ」

そう言いながらも、まだ笑いの発作が収まる様子はないのだから、全然説得力がない。目尻に浮かんだ涙を指で拭うドラコにレイチェルはムッとしたが、ドラコは気にする様子もなかった。弓なりに細められたアイスブルーの瞳が、レイチェルに向けられる。

「可愛いなと思って」
「かわ、」

さらりと紡がれた言葉に、レイチェルはサッと頬に熱が集まるのを感じた。

「…………からかわないで」
「からかってなんかないさ」

可愛い、なんて言われ慣れていないから動揺してしまったけれど……いくら何でも、そんなその場しのぎのお世辞で誤魔化されるほど単純じゃない。非難めいた視線を向けるレイチェルとは反対に、ドラコの表情は穏やかだった。

「君のそう言う……飾らないところが好きだったな、と考えてたんだ」

ドラコらしくない柔らかい声に、レイチェルはますます動揺した。
意識しないようにしていたけれど、そう言えばドラコはレイチェルのことを好きでいてくれたのだ。でも────微笑んだドラコの瞳や言葉は、どこか懐かしいものに向けるような雰囲気があって。もしかしたら、レイチェルのウッドへの気持ちが思い出に変わったように、ドラコにとってもレイチェルを好きだったことはもう過去なのかもしれない。

「どこで苦戦してるんだ?」
「えっ?えっと……」

ドラコはレイチェルに近づくと、恭しくその手を取った。どうやら、笑ってしまった埋め合わせに練習に付き合ってくれるつもりらしい。王子様じみていると言うか、やけに様になっているドラコの様子に、レイチェルは戸惑った。

「……スリザリンのダンスの練習って明日じゃなかった?」
「ああ。でもそんなもの受けなくても、大抵の生徒は踊れる」

さすがだ。確かに、ドラコの動作は洗練されて、板についていた。純血家系の子達にとってはダンスは教養の一環なのかもしれない。……スリザリンのダンスの練習って、やっぱりスネイプ教授がお手本を見せるんだろうか、とレイチェルはぼんやり考えた。あまり想像がつかない。

「……あのね。相手の足を踏んじゃいそうで不安なの」
「だろうな」
「……わかるの?」
「僕の足を踏まないよう意識しすぎて、爪先が外向きになってる。そうすると、体の軸も正面を向かないから踊りにくいんだ。ステップが気になるのはわかるが、視線は上に。背筋も伸ばせ。爪先は真っ直ぐ……相手の足の間に出すんだ」
「あ、足の間に?」
「ああ」

恐る恐る言われた通りにしてみると、意外にも足を踏んでしまうことはなかった。それに、ぐらついていた上半身が安定したような気がした。とは言え……これはドラコのリードのおかげもあるだろう。初心者のレイチェルですらわかる。ドラコはたぶん、すごくダンスが上手だ。

「元々、女性は足を踏まれるより踏む方が得意なんだ。男性側がリードすると、女性の方が重心の移動は後になるから」

足を踏まれるのは相手の男のリードに問題があるのだと言うのがドラコの主張だった。ストイックだ。レイチェルを慰めてくれているのはわかるし、実際今のところドラコの足は踏まずに済んでいるけれど、やっぱり普通に考えてさっきロジャーの足を踏みまくったのはレイチェルが下手だからな気がする。

「随分マシになったんじゃないか」

同じ動作を反復しているうちに、レイチェルも段々と足元を見なくてもステップが踏めるようになって来た。次の動作を考えるのに必死だったのが、ステップに気を取られなくなると、ほんの少し余裕も出てきた。

「ありがとう、ドラコ」

レイチェルはニッコリした。すっかりダンスに苦手意識を持ちそうだったのが、ドラコのおかげでちょっと楽しくなり始めていた。
足が疲れたので、レイチェル達はお茶をすることにした。元々、本来の目的はそっちなのだ。

「君のパートナーは僕より上背があるから、ヒールを履くとちょうどこれくらいの身長差じゃないか。今の感じで踊るといい」
「パートナー……」

その言葉に、レイチェルはカップを持ったまま黙り込んだ。その問題はまだ解決していない。と言うか、ドラコの口調からして、レイチェルの『パートナー』が誰だと思っているのは聞かなくても明らかだった。ドラコにまで誤解されている。

「……セドリック・ディゴリーと行くんじゃないのか?」
「セドはもう、他の子と約束してるもの。その……私の方は、まだパートナーが決まってないし……」
「そうか」

口に出すと何だかみじめな気分だったが、誘われたけれど断ったのだとわざわざ言うのも変な気がした。本当に、こんなにもセドリックと一緒に行くのだと言う誤解が蔓延していて、レイチェルをパートナーにと考えてくれる男の子は存在するのだろうか?

「……ドラコは、もう誰と行くか決まってるの?」
「ああ。パンジーと行く約束をしてる。パーティーの告知が出た翌日に誘った。グズグズしてたって仕方ないからな」

ドラコの口調は淡々としていた。ドラコにとってはダンスパーティーなんてありふれていて、大騒ぎするようなことじゃないのかもしれない。でもやっぱり、レイチェルにとっては一大イベントだ。ダンスを踊るのも、華やかなドレスを着るのも。

「母上が送って来たんだ。君もどうだ?」

ドラコが勧めてくれたショートブレッドはとてもおいしそうだった。ミセス・マルフォイの選ぶお菓子はいつだっておいしい。運動して疲れたし、甘いお菓子は魅力的だ。が────レイチェルはウエストの辺りを押さえた。たっぷりのバターと砂糖の塊だ。悪魔の誘惑だ。

「……ありがとう。でも、今はお腹いっぱいだから大丈夫」

レイチェルが言い終えたその瞬間、くぅと音を立てて胃が空腹を訴えた。子犬が悲しんでいるような高い音は、この距離ならドラコにも聞こえただろう。レイチェルはドラコの顔を見れず俯いた。恥ずかしすぎる。この場から消えたい。

「……女性は大変だな」

必要ないと思うが、と不思議そうにドラコが呟いた。……やっぱりバレてる。
結構甘いものを食べている印象なのに、ドラコは細い。そう言えば、ミセス・マルフォイも華奢だった。体質なのだろうか。羨ましい。……しばらくあのドレスを着ていないわけだけれど、どこかきつくなっていたらどうしよう。
それに何より、パートナーだ。せっかくダンスのステップを覚えても、一緒に踊ってくれる相手が居なければ意味がない。本当にどうしよう。それにそのダンスも……ドラコみたいに慣れている男の子なんてほとんど居ないだろうし、やっぱり練習が必要だ。

レイチェルははあ、と溜息を吐いた。パーティーは楽しみだけれど、心配事だらけだ。

1、2の3

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox