翌日の朝食の席は騒がしかった。
正確に言えば、昨夜の夕食もいつもと違うお客様達が居たので賑やかだったのだけれど────今朝の理由はまた違っていた。昨夜の第1の課題のことを書いた記事が、新聞に載ったからだ。前回と同じく、1面記事の写真はハリー・ポッターの写真で埋め尽くされていたけれど、今回は他の選手達の名前も間違えずに全員載っていた。
「セドリック、写真映りイマイチじゃない? 実物の方がハンサムよ」
「んー……セド、昔からそうなのよね」
写真を見たパメラはちょっと不満げだった。セドリックの写真は、大岩に向かって呼び寄せ呪文を使っているところだ。確かに写真映りはあまり良くないし、ドラゴンと一緒に写真に収まっているせいで小さいけれど、ハッキリとセドリックの顔が映っている。これならきっと、おじさんやおばさんにもセドリックの活躍が伝わるだろう。レイチェルは思わずニッコリした。後で、切り抜いて日記に貼ろう。
幼馴染の雄姿が無事に写真に収められていた満足して、レイチェルは1面記事へとページを戻した。10枚以上もある写真の中では、ファイアボルトに乗ったハリー・ポッターがビュンビュンと彗星のように写真を出入りしている。相変わらず、ハリー・ポッターは型破りのお騒がせヒーローとして好き勝手に書き立てられていたけれど、記事を読み進めてみても、ホーンテールがハリー・ポッターを追って場外へと逃げ出してしまったことは書かれていなかった。何だか意外だ。リータ・スキーターなら絶対に派手に脚色して記事にするだろうと思ったのに。……もしかしたら、魔法省が検閲したのだろうか?
「ねえ、フラーはやっぱり絶対ハリウッドに行くべきよ! ほら見てよこの写真! 」
1面を読み終えたレイチェルが再びスポーツ面を開くと、一緒に記事を覗きこんでいたパメラが急に叫んだ。別の写真────クラムがドラゴンに結膜炎の呪いをかけた瞬間だ────を見ていたレイチェルは、パメラの言葉に視線を彷徨わせた。
「わあ……すごくよく撮れてる」
「でしょ!?」
「どうして貴方が誇らしげなの、パメラ」
興奮気味に写真を指差すパメラに、エリザベスが呆れたように溜息を吐いた。
フラーの写真は、彼女が呪文を使ってドラゴンの炎の軌道を逸らしているところだった。視線の先に居ただろうドラゴンを強く見据え、緊張で引きしまった表情は、溜息が出そうなくらい絵になっている。ローブの裾がはためく角度すらも優美だ。
「彼女、すごかったわよね? チャーリーが言ってたけど、あの魅惑呪文って彼女以外がやったらあんなには効果はなかっただろうって」
容姿があまりにも人並み外れて美しいせいで、ついその話ばかりになってしまいがちだけれど、彼女もまた代表選手に選ばれるだけあってとても才能豊かな魔女だ。特に、あの魅惑呪文でドラゴンを酩酊させるなんて言うのは、フラーにしかできないことだろう。……彼ら、ハリー・ポッター以外の代表選手がどうやってドラゴンを倒したかは、ごくごく簡単にしか書いていないけれど。
レイチェルが記事を眺めながらそんな感想を呟いていると、ふいに何だか視線を感じて新聞から視線を上げた。隣に座っているパメラ……ではない。向かいに座っているエリザベスやロジャー……でもない。
不思議に思ってきょろきょろと辺りを見回してみると、テーブルの向こうに居たボーバトンの制服を着た男の子とパチ、と目が合った。
少しウエーブのかかった長めの薄茶の髪に、青い瞳。見覚えのある顔だ。えっと……そうだ。ハロウィーンの前の夜の、あのマスタードの瓶の男の子だ。明らかに視線が合ったのにいきなり逸らすのも変な気がして、どうしたものかとそのまま見返していると、男の子がニコッと笑った。レイチェルも思わずつられて微笑み返した。……何だったんだろう?
「ふぅん。やるわね、レイチェル」
「……何が?」
「ホグワーツには居ないタイプよね、彼。結構ハンサムだし」
「目が合っただけよ。ママレードジャムの瓶が気になったのかも」
「でも、そうじゃないかもしれないじゃない?」
パメラは楽しげだった。……期待に沿えなくて残念だけれど、たぶんパメラが想像しているようなことはたぶん起きない。確かに、まあ……パメラの言う通り、ハンサムだなとは思う。代表選手に選ばれたクラムとフラーが注目されがちだけれど、ダームストラングもボーバトンも、選手団は男女問わず魅力的な人が多い気がする。見慣れない制服が新鮮なせいで、そう見えると言うのもあるのかもしれないけれど。
「国際交流って奴だよ。せっかくの貴重な機会なんだから、親交を深めないと、だ」
ロジャーまでがそんなことを言い出したので、レイチェルはいよいよ渋い顔になった。
ロジャーがボーバトンの綺麗な女の子達と“親交を深めている”ことはレイチェルも知っている。けれど、今のレイチェルに関して言えばロジャーとは全く違う。同じテーブルについていたら視線が合うことくらいあるし、そもそもほとんど会話もしたことがないどころか、名前すら知らないのだ。ロマンスに発展しようもないだろう。目が合っただけでそんな風に話を飛躍させるのは、相手にも失礼だ。
「……ロジャー。お願いだから、貴方はもう少し自重して頂戴。私、ボーバトンの女の子達から、貴方の本命は一体誰なのかって、相談を受けたのよ」
エリザベスが頭痛を耐えるように額を手で押さえ、深く深く溜息を吐いた。
マスタードの瓶の男の子のことは抜きにしても、城の中の空気が変わったような気がする。
昨日までは、世紀のイベントを前にして盛り上がってはいたけれど、同時にどこかピリピリしてした。それはたぶん、セドリックとハリー・ポッター、2人のホグワーツの代表選手を取り巻く対立……と言うのも原因ではあったけれど、ダームストラングやボーバトンの生徒達に関しても同じだったように思う。対抗試合で戦う敵同士。そんなどこかギスギスした雰囲気だったのが、実際に試合を見たら、そんな敵対心はすっかりどこかへ消えてしまったようだった。どこの学校の代表かなんて言うのは関係なく、ドラゴンにたった1人で立ち向かう選手には誰もがハラハラしたし、息を呑んだし、応援したくなった。
代表選手達は、敵同士として戦うわけじゃない。クィディッチのように、勝敗があるわけでもない。彼らは共に危険な課題に立ち向かい、技を競って切磋琢磨し合うライバル同士だ。ちょっとした点数の差で順位はついたけれど、どの選手も素晴らしい戦いぶりを見せてくれた。そんな彼らへの憧れと賞賛からか、城の中の雰囲気は刺々しさが消えて、明るいものに変わっていた。
セドリックもやっぱり朝から大勢の人に囲まれていたけれど、その中にはホグワーツ以外の生徒の姿もあった。……ボーバトンの綺麗な女の子達に囲まれていたせいで、友人達には冷やかされてしまったみたいだったけど。
「じゃあ、レイチェルもあの卵のヒントを聞いたの?」
「ほんのちょっとだけ。……だって、ずっと聞いてるなんて無理だもの、あんなの。耳がおかしくなっちゃう」
「そう思うわ。あれ、きっと、何かの魔法生物の鳴き声よね……」
第1の課題がつい昨日終わったばかりだと言うのに、ハーマイオニーの関心はもう次の課題へと移っていた。いつものことながら、彼女の勤勉さと冷静さは、見習うべきものだ。第2の課題はまだ3ヶ月も先だけれど、ハーマイオニーに言わせれば、“たった3ヶ月”だ。確かにそうかもしれない。レイチェルも、ちょっとだけ考えてみようと思う。……この課題が終わったら。
「あ……」
レポートに必要な本を探しに席を立ったら、目的の本棚の前には先客が居た。しかもその先客は、レイチェルも知っている相手だった。パッと目を引く、鮮やかな真紅のローブ。ダームストラングの制服を着た彼は、ヴィクトール・クラムだ。
「こんにちは。レイチェル……合ってますか?」
「ええ。こんにちは……えっと……」
「ヴィクトールでいいです。彼……セドリックもそう呼びます」
「こんにちは、ヴィクトール」
……自分で口にした言葉に、何だか不思議な気分になった。あのクラムと、こんな風に友達みたいに話しているなんて。とは言え、クラムもここには学生として来ているわけだから、有名人だからと変に距離をとるのもそれはそれで良くないのだろうか?
「あなたの試合、素晴らしかった。とっても勇敢だったわ」
「ありがとう」
偶然とは言え、セドリック以上にいつも人に囲まれているクラムとこうして話す機会なんてもうないかもしれない。せっかくなので伝えておこうとレイチェルがそう言うと、クラムは微かに微笑んだ。そうだ。伝えたいことは他にもあった。
「それと……この間のホグズミードでは、ありがとう。おかげで私達、たくさん買い物ができたの。とっても助かったわ」
「よかった。ヴぉくも、とても楽しかったです」
「私達ホグワーツ生も、ホグズミード休暇って大好き。いつもすごく楽しみなの。素敵なところでしょ? 」
「はい。そう思います」
ホグワーツでの生活を楽しんでくれているのなら何よりだ。レイチェルは思わずニッコリした。寡黙だし、表情があまり変わらないせいで、ちょっとぶっきらぼうな印象を与えるけれど、話してみるとクラムはとても良い人だ。……無口なのは、母国語じゃないせいかもしれないけれど。
「1つ質問、あります。聞いて構わないですか」
「えっと……私にわかることなら」
急にクラムが真剣な顔でそんなことを言い出したので、レイチェルはちょっと驚いた。
クラムがレイチェルに聞きたいこと……。何だろう。セドリックはクラムと仲良くなったように見えたけれど、ライバルであるセドリックには聞きにくいことだろうか?
「前に会った、君の友達。名前……」
「ああ……パメラかしら。それともエリザベス?」
「違います。君といつも、ここ……アー……図書室。一緒に、勉強……」
「あっ……ハーマイオニーのこと?」
「ハーモン……ニニー?」
ちょっと響きが違う気がしたけれど、レイチェルはその通りだと頷いた。クラムには発音しにくい名前なのかもしれない。ハーマイオニーと何かあったのだろうか? クラムとハーマイオニーの間に、接点はなかったような気がするけれど……。
「彼女は、ヴぉくが嫌いですか?」
「えっと……」
あまりにもストレートなその質問に、レイチェルは言葉に詰まった。クラムの瞳が真っ直ぐにレイチェルを見るので、レイチェルは気まずくなって視線を泳がせた。レイチェルが何と答えるべきかと必死に言葉を探している間も、クラムは淡々と言葉を続けた。
「初めて会った日、彼女、とても怒ってました。君が、『僕達がうるさいだから、怒ってるだけ』、言いました。僕もそう考えました。でも、ここでヴぉくが見る彼女、いつも怒ってます。怖い女の子。ヴぉく、そう思いました」
「あー…………」
「あのね……友達だから、庇ってるとかじゃなくて……彼女、いつもは本当に……とっても賢くて、優しい女の子なの」
「はい。僕もそう思います」
しどろもどろにそう言えば、クラムがやっぱり淡々とそう言ったので、レイチェルはぱちりと瞬いた。今の会話の流れから言って、てっきりクラムはハーマイオニーに怒っているのかと思ったのに。どうやらそうではないらしい。
「昨日、試合終わった後、テントで彼女を見ました。友達のこと、とても心配してました。それに、友達が無事、喜んで、泣いてました」
それを聞いて、レイチェルはどうして昨日ハーマイオニーがレイチェルを呼びに来てくれたのか納得が行った。きっとハーマイオニーも、ハリー・ポッターに会うためにあの治療用のテントに行ったのだ。そして、そのときそこにクラムも居たのだろう。
「考え、変わりました。彼女、きっと優しい女の子です。君が言っていたこと、正しい。そう思いました」
そう言うクラムの表情は、どこか柔らかいものだった。レイチェルは何だか、胸が温かくなるのを感じた。やっぱり、友達が褒められると言うのは嬉しい。そう、ハーマイオニーはとても優しい女の子だ。レイチェルの自慢の友達。思わず、頬が緩んだ。
「ヴィクトールも、ハーマイオニーのことを知ったらきっと好きになるわ」
ハーマイオニーから見たクラムの印象が悪かったように、クラムから見たハーマイオニーの印象だって、あまり良くなかったはずだ。それなのに、クラムはハーマイオニーのことを誤解しなかった。ちゃんと、彼女の優しさに気づいてくれた。何だか、それってとっても素敵なことだ。
「今一緒に居たのって、クラムよね?」
「ええ」
「レイチェル、いつの間にあの人と知り合ったの?」
「えっと、この間ホグズミードで……話せば長くなるんだけど、ほら、セドが代表選手だから、彼……ヴィクトールと仲良くなったみたいで、その繋がりって言うか……」
「ふぅん」
クラムも自分の席に戻り、本を読み始めていた。周りにいつもの女の子達が居なくて静かだからか、その様子を見るハーマイオニーの視線もいつもよりずっと穏やかだ。ハーマイオニーは本が好きだし、クラムも以前本が好きだと言っていた。ちょっと年齢は離れているけれど、直接話をしてみたら、意外といい友達になれるんじゃないだろうか? そんなことを考えて、レイチェルはニッコリした。
「彼、きっとハーマイオニーが思ってるよりずっといい人よ」
「そこのあなた。少し話したい、いいですか?」
ハーマイオニーと別れて、レイブンクロー寮に戻ろうと廊下を歩いていたレイチェルは、ふいに後ろからそんな風に話しかけられた。声に気づいて振り返った後も、レイチェルはどうして自分が呼び止められたのかわからなかった。その相手が、レイチェルにとっては予想外の人物だったからだ。
「私、あなたに聞きたいことありまーす。あなた、彼のー……セドリックの恋人ですかー?」
続けられた言葉に、レイチェルはいよいよポカンとした。
その質問自体は、今まで何度となく聞かれたことがある。けれど、まさか彼女から聞かれるとは思わなかったのだ。輝くようなシルバーブロンドに、深いブルーの瞳。優美な淡いパステルブルーのローブ。今、レイチェルの目の前に立って、美しい顔でじっとこちらを見つめているのは、ボーバトンの代表選手である、フラー・デラクールだった。
「違うわ。私とセドは幼馴染で……えっと、小さい頃から隣の家に住んでるの」
とは言え、質問してきた相手が誰だったとしても、レイチェルの答えは同じだ。つい1週間前も、3年生の女の子に聞かれたばかりだった。2人で居ることが多いから、誤解されることが多いけれど……レイチェルとセドリックは恋人同士じゃないし、今のところそうなる予定もない。
「セドのこと、気になるの?その……男の子として?」
「はい。気になります。彼、背が高くて、美しいでーす。それに、とても親切。素敵な男の子でーす」
フラーから見てもセドリックってハンサムなんだなあ、とレイチェルは何だか不思議な気分だった。
そう言えば、以前パメラがホグズミードで言っていたっけ。「彼女にとっては、“セドリックと”回るのが重要なんだと思うわよ」────どうやら、その予想は当たりだったらしい。……やっぱり、レイチェルはちょっとぼんやりしすぎなんだろうか? それはそうと。
「えっと……セドとの仲を取り持つ……その……あなたがセドと仲良くなれるように協力してほしいとか、そう言う話……で、合ってる?」
セドリックが代表選手に選ばれてから、またちょくちょくこの質問を受ける機会は増えてきていた。そして、違うと答えた後に言われることは大体同じだ。手紙やプレゼントを渡してほしいとか、どんな女の子が好みか聞いてほしいとか。申し訳ないけれど、キリがないので全て丁重にお断りしている。レイチェルがそう尋ねると、フラーは不思議そうに首を傾げた。
「助け?なぜ貴方の助けいりますかー?」
「えっ?」
「私、あなたが彼の恋人かどうか、聞きたかっただけでーす」
シルバーブロンドを肩から払いながらそう言い放ったフラーに、レイチェルはまたしてもポカンとした。気になる男の子に、既に恋人が居るかもしれないと思ったら、確かめたくなる。それはわかる。わかるけれど……。
「それって、セドに直接聞いた方がいいんじゃ……? たとえば、その、私がセドを好きだったとしたら、嘘をつくかもしれないじゃない……? あなたのこと、諦めさせたくて」
もしもレイチェルがセドリックに恋をしていたとして、フラーみたいな綺麗な子がライバルになるかもしれないと思ったら、ついまだ付き合っていなくても「恋人だ」と嘘を言ってしまうかもしれない。それにペネロピーとパーシーみたいに周りには隠してこっそり付き合っている場合だってあるし、結局恋人が居るかどうかって本人に聞かないと確実ではない気がする。もしかしたら、レイチェルがまだ知らないだけでセドリックに今朝恋人ができている可能性だってあるわけだし。レイチェルが不思議に思って尋ねると、フラーはわかっていないと言いたげに首を振った。
「私、恋人居るいとには、興味ありませーん。私はとても美しいですがー、私が美しい、魅力的、だから言ってー、恋人居るのに裏切るようないとはー、アー……」
「えっと……『軽蔑』?……『見損なう』?」
「それでーす」
……何だか、レイチェルには全然ピンと来ない悩みだ。でも、間近で見るとやっぱりフラーはものすごく可愛い。こんな美少女が自分を好きになってくれたとしたら、恋人が居たとしても別れてフラーと付き合いたいと思うものなのだろうか?
「恋人同士かどうか、男の子も女の子も、嘘言いまーす。でも、男の子の嘘の方がいどいでーす。恋人は居ない、そう言いますから、信じました。でも、いつも後から、私が騙した、盗んだ、悪い女、言われまーす」
「あー……」
……何だか、わかる気がする。
だだでさえフラーはものすごい美人だけれど、それだけでなく、ヴィーラの血のせいで男の子を陶酔状態にさせてしまっている。ワールドカップの会場で見たヴィーラに魅了された人達の様子を思い出すと、フラーの気を引くために「恋人は居ない」と言ってしまうと言うのは、いかにもありそうなことに思えた。そして、正気に戻ると男の子の方も「あれは本心じゃなかった」と青ざめることになるのかもしれない。
「私が違う、恋人居る知らなかった、言ってもー、女の子も、私より嘘吐きの彼、信じまーす。とてもとても面倒!」
フラーがウンザリにしたように溜息を吐いた。
確かにその状況は、レイチェルが恋人の立場だったら「気の迷い」だと思いたくなってしまいそうな気がする。フラーは何も悪くないのだろうけれど……何と言うか、ヴィーラの魅了が呼ぶ不幸な事故なのかもしれない。
何にしろ、付き合っていないのにライバルに「恋人同士だ」と嘘を吐かれるより、本当は恋人が居るのに「誰とも付き合ってない」と意中の男の子に嘘を吐かれる方が、フラーにとっては厄介なことになるのだろう。レイチェルがなるほどと頷いていると、フラーが小さく咳払いをした。
「では、セドリックとあなた、恋人ではない。いいですね?私が彼と一緒にbalに行く、問題ない。そうですね?」
「ええ」
バルって何だろう。わからないけど、話の流れから想像すると、デート的な意味のような気がする。もしかして、次のホグズミード休暇のことだろうか。街、とかそんな意味かもしれない。レイチェルが頷くと、フラーはふっと優しげな表情を見せた。
「夏に、私とあなた、会いました。Coupe du mondeのとき」
クープ……? やっぱり知らない言葉だけれど、たぶんワールドカップな気がする。レイチェルは驚いた。あのときは暗かったし、フラーとレイチェルが顔を合わせたのはほとんど一瞬だったからだ。それに、レイチェルはフラーと違って、一目見たら記憶に焼きつくような美少女と言うわけでもないのに。
「えっと……そうね。会ったわ。覚えてたの?」
「勿論でーす。私の妹、ガブリエル……アー……迷子? とても困ってました。優しい女の子と男の子、妹、助けてくれました。私も、ガブリエルも、とても感謝してまーす」
「そんな……改めてお礼を言われるようなことじゃないわ。大したことは、何もしてないもの……」
「すみません、何ですか? もう1度」
「あ……えっと、気にしないで。どういたしまして」
照れくささから、つい早口になってしまったらしい。怪訝そうな表情になったフラーに、レイチェルは何でもないと首を振った。でも、本当に、そんな風に改めて感謝されてしまうと何だか気恥かしい。小さな女の子が1人きりで迷子になっていたら、きっと誰だって同じことをしたはずだ。たまたま、居合わせたのがレイチェルとセドリックだっただけ。特別なことなんかじゃないのに……。
レイチェルが視線を彷徨わせていると、フラーの宝石のような青い目がじっとレイチェルを見つめた。
「あなた、名前……アー……レイチェル?ですか?」
「ええ。レイチェルよ。レイチェル・グラント。フラー……って呼んでもいい?」
「Bien sûr」
……フラーが何と言ったのかはわからないけれど、表情や声の調子から言って、たぶんこれはオーケーと言うことだろう。レイチェルははにかんだ。それに、フラーがレイチェルの名前を覚えていてくれたことにも驚いた。三本の箒で会ったときは、興味がなさそうに見えたのに。
「あなたの試合、とっても素晴らしかったわ。次の課題も、応援してる」
「Merci」
この言葉は、レイチェルにもわかる。確か、「ありがとう」だ。
白い歯を見せて笑うフラーは、まるで大輪の薔薇のようで、やっぱりものすごく美しかった。黙っているとちょっと高慢そうな、冷たそうな印象だったのが、一気に親しみのある雰囲気になる。レイチェルは思わず見惚れてしまった。
「À bientôt!」
そう言ってフラーは手を振ると、また優雅な足取りで廊下を歩いて行った。その背中が角を曲がるのを見送って、レイチェルもまた廊下を進んだ。いきなり話しかけられて驚いたけれど……でも、嬉しいことだった。
ボーバトンの代表選手であるフラーもまた、クラムと同じく注目の的で、いつも大勢の人に囲まれている。それに、ちょっと近寄りがたいと言うか、何か用でもない限り自分からは話しかけにくい雰囲気だった。……これはもしかしたら、以前ロジャーが迷惑そうな表情をされているのを見たせいで、そんな印象になってしまったのかもしれないけれど。
でも、実際に話してみたら、かなり印象が違った。三本の箒で会ったときの印象とも違う。意外と話しやすいし、表情がくるくる変わる。でも、こうやってフラーから話しかけてもらわなければ、そもそもそのことを知る機会もなかったかもしれない。
フラーも、それにクラムも。……友達になれたと、思ってもいいのだろうか。
国際交流、と言うと何だか堅苦しくて、難しいことのような気がするけれど。たぶん、ロジャーも言っていたみたいに、実際はもっとシンプルなことなのかもしれない。言葉の壁や、文化の違いはあるけれど、目の前の相手をよく見て、よく知ろうとすること。ローブの色や学んできた呪文は違っても、彼らもまだ学生で、そして話してみたら意外とレイチェル達と変わらない。
夏が来ればそれぞれの母国へと帰ってしまう、1年限りのお客様。レイチェルと同じ年頃の魔法使いたち。きっと、レイチェルの見たことのないものや、聞いたことのないものをたくさん知っている。そしてきっとまた、彼らが知らなくて、レイチェルが教えてあげられることだってある。
できるなら、たくさん話をして、もっと仲良くなれたらいいなと思う。