ドラゴンキーパー達の働きによって、会場はまるで時間を高速で巻き戻したかのように元通りになった。
チャーリーは観客席の警備が担当らしい。つまり、何か異常が起きない限りはこのまま試合を観戦していても問題ないのだと、チャーリーはニヤッと笑ってみせた。一緒に観戦できるのは嬉しいけれど、仕事中のはずなのにいいのだろうか。
「あれ? チャーリー、それ……」
ふと、隣に座ったチャーリーの耳にキラッと何かが光ったのが見えた。小さな銀色をしたシンプルな細工は、ピアスのように見える。以前はピアスは空けていなかったと思ったけれど、よく似合っていて素敵だ。そう伝えようとしたレイチェルの言葉は、そのまま喉の奥へと引っ込んだ。周囲の歓声も、水を打ったように静まり返った。さっきとは違う緑色の箱────つまり2匹目のドラゴンが競技場の真ん中へと運びこまれてきたところだったからだ。箱に巻きつけられた鎖が解かれ、またしても中からドラゴンが飛び出してきた。
「2匹目のドラゴンは、ウェールズ・グリーン種!」
キョロキョロと辺りを見回しているドラゴンは、鮮やかな緑色をしている。大きさは、さっきセドリックが戦ったドラゴンよりも一回り小さいだろうか。けれど、さっきのドラゴンよりもずっと機嫌が悪そうだ。神経質そうに地面を引っ掻く鋭い鉤爪で競技場の砂を撒き散らし、咆哮を上げている。苛立ちを表すかのように振り回した尻尾が岩にぶつかってその破片が観客席へと飛び散ったので、1階席の生徒達が悲鳴を上げた。
「そして────対するのは、ボーバトン・アカデミー代表、ミス・デラクール!どうぞ!」
バグマン氏の陽気な声に、観衆がサッと競技場の端へと視線を向けた。甲高いホイッスルの音が響き、さっきセドリックが退場した岩の洞窟のような通路の向こうから、華奢な人影がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。さっきのセドリックと違うのは、その影が淡く銀色に光っていることだった。
「あの子やっぱり、絶対ハリウッドデビューした方がいいわよ! これだけ遠目で見てもオーラがすっごいもの」
足が長すぎる、とパメラが感心したように言った。
確かに、この距離で見てもフラーの見事なシルバーブロンドと、彼女のファッションモデルのようなプロポーションははっきりとわかる。こんな時に抱く感想としては場違いかもしれないけれど、何だか羨ましい。そう言えば、この間ホグワーツでセドリックと歩いていたのを見たときも、そんなに身長が変わらないように見えた。レイチェルより3インチは高いんじゃないだろうか。
フラーが暗がりから姿を現した。そして、競技場へと足を踏み入れる────はずが、それは出来なかった。いつの間にかドラゴンが近づいていて、フラーの居る洞窟に向けて炎を吐き出したからだ。
「おー、これはどうもよくない!」
バグマン氏が興奮したように言った。フラーはサッと身を翻し、洞窟の中へ戻った。これでは、フラーは競技場へ入って来ることができない。それに、あの岩場もそれほど頑丈に強化されているようには見えない。ドラゴンの高熱の炎を浴び続ければ、岩が崩れてしまうだろう。
「おっと! デラクール選手、ドラゴンを前に強行突破の構え!」
フラーの呪文だろうか。ドラゴンの炎がサッと方向を変え、僅かにできた空間にフラーが体を滑り込ませた。どうやら、上手く行ったようだ。ドラゴンの炎を避け、競技場へ出ることができた。ドラゴンはまだフラーが洞窟の中に居ると思っているのか、炎を吐き出し続けている。今なら、卵はガラ空きだ。フラーは走り出した。が、そこでドラゴンが気が付いてしまった。
「おー……危うく!さあ、慎重に……」
ドラゴンがフラーの背中に向かって炎を吐き出した。フラーは走りながら肩越しに杖を振り、炎の軌道を逸らしてみせた。思わず会場のそこかしこから拍手が起こった。が、それによってドラゴンはどうやら炎は通用しないと学んでしまったらしい。その骨ばった翼をはためかせ、地面を蹴った。
「危ない!」
レイチェルは思わず悲鳴を上げた。瞬く間に距離を詰めたドラゴンは、鋭い鉤爪でフラーの体を引き裂こうとした。が、間一髪のところで空振りに終わった。フラーが近くにあった大きな岩の隙間に飛び込んだので、その目論見は失敗したのだ。しかし、安心はできなかった。ドラゴンは岩の隙間に向かって巨大な鉤爪を伸ばし、何とかフラーを中から引きずり出せないかと躍起になっていた。レイチェルはギュッと拳を握りしめた。あんなの、ほんのちょっと掠っただけでも大怪我だ。見ているだけでもハラハラするのに、中に居るフラーにしたらどんなに恐怖だろう。「ああ、なんと、今度こそやられてしまったかと思ったのですが!デラクール選手は無事のようです!」
ドラゴンはどうやらこれ以上は無駄だと思ったのか、フラーの居る岩場から離れた。そして、卵のある巣まで戻ると、どっかりとその上に座り込んだ。それを見計らって、フラーがそっと姿を現した。どうやら、怪我はないようだ。レイチェルはホッとして肩の力を抜いた。
「デラクール選手、ドラゴンの死角から回り込む! が、ドラゴンは卵を抱え込んで離れない! 一体ここからどうするつもりなのか!?」
フラーは息を切らし、青ざめ、震えているように見えた。けれど、その表情は気丈で誇り高い。
ドラゴンに見つからないよう、フラーは背後から回り込むことにしたようだ。そろそろと慎重に、ドラゴンの巣へと近づいていく。が、バグマン氏の言うとおり、ドラゴンが巣を守っているからここから卵は奪うのは難しいだろう。観衆が固唾を飲んで見守る中、フラーがわざと石を投げて音を立てた。気づいたドラゴンが立ち上がり、フラーの方を振り向く。その瞬間、フラーは向かって杖を振り、淡い紫色の光線がドラゴンの鼻先にヒットした。
「これは……? 魅惑呪文のようです! 普通なら、ドラゴンを酩酊させるのは難しいはずですが……デラクール選手の呪文は、どうやらかなり強力だ!」
観客席のレイチェルから見て、ドラゴンの目がトロンと夢見心地になったように見えた。そして、まるでお酒に酔ったかのように、ドラゴンの足取りがフラフラと覚束なくなる。そして────まるで糸が切れたかのようにその場にドシンと倒れ込み、スヤスヤと寝息を立て始めた。
「これは素晴らしい! デラクール選手の呪文が、見事ドラゴンを昏倒させました!」
バグマン氏の朗々とした声が響き、観客席がワアッと歓声を上げ、拍手をした。勿論、レイチェルも。が、それを向けられるフラーはギョッとしたように見えた。……考えてみれば当然だ。せっかくドラゴンを眠らせることができたのに、これで起きてしまったら作戦が台無しになってしまう。バグマン氏もそのことに思い至ったのか、シーッと観客席に向けて静かにするよう促した。興奮し叫んでいた観客が静まり返り、歓声はヒソヒソとしたざわめきに変わった。レイチェルもパチンと口を押さえた。すると、隣で難しい表情をしていたチャーリーが、レイチェルを振り向いた。
「あの子、もしかしてヴィーラか何かの血が入ってたりする?」
「えっと……確か、お祖母さまがヴィーラだって。どうして?」
「なるほど。杖の材質にヴィーラの体の一部を使ってると、魅惑呪文の威力が倍増するって聞いたことあるけど……本人にヴィーラの素養があるなら、杖芯なんかよりよっぽど効くはずだ」
納得したような表情になったチャーリーに、レイチェルもふむふむと頷いた。何だかとてもスムーズだったので、効果的な呪文に見えたけれど────つまり、フラーだからこそこの作戦を成功させられたと言うことだろう。バグマン氏も言っていたけれど、レイチェルがドラゴン相手に魅惑呪文を打ったところで、ドラゴンを昏倒させるのは難しいのかもしれない。
「さあ、ドラゴンは眠っている……あとはもう、卵を取るだけです。デラクール選手も余裕の表情!」
バグマン氏がさっきよりも声を抑えて言った。観衆のおしゃべりも止み、静かに競技の行く末を見守った。
ドラゴンはぐっすり眠っている。あとはもう、金の卵を取るだけだ。倒れ込んだドラゴンの体は、上手く巣の上を避けていた。フラーは優雅な足取りで進み、金の卵へと手を伸ばした。
「いやはや、最初はどうなるかと思いましたが、実に優雅!実に華麗!見事、ボーバトン代表も課題をやり遂げました!」
フラーはニッコリと見惚れるような美しい笑みを浮かべ、卵を片手に抱えたまま、優雅に観衆に向けて一礼してみせた。まだ眠っているドラゴンを起こさないよう、観衆は控えめな拍手を送る。そして、次の瞬間、誰にとっても予想外のことが起こった。
「おっと! これはこれは……最後の最後で! 何たる不運! デラクール選手、無事でしょうか!?」
眠っていたドラゴンの鼻息が────正確に言うと鼻から飛び出した火の粉が、フラーのスカートに燃え移ったのだ。瞬く間に燃え上がったスカートに驚いたフラーは叫び声を上げ、持っていた金の卵を取り落としてしまった。そして、フラーだけでなく観衆もあっと息を飲んだ。フラーの悲鳴と、卵を落としたその鈍い音で、眠っていたはずのドラゴンの瞼がピクリと動いたのだ。
「えー、何はともあれ課題は終了していますので…… ドラゴンキーパー達が救出に入るようです!」
フラーは慌てて水を出して、スカートの火を消している。すっかり目を覚ましてしまったドラゴンが怒り狂って暴れ始めたので、バグマン氏の声と共にフィールドの外で待機していたドラゴンキーパー達が競技場になだれ込んだ。
フラーが無事に安全な場所へと避難したところで、得点の発表があった。
フラーの得点は37点だった。マダム・マクシームが8点、ダンブルドアが8点、クラウチ氏が7点、バグマン氏が7点、カルカロフ校長が7点。セドリックとは1点差だ。
終わってみれば、フラーの方がセドリックよりも課題の時間が短かったし、最後にスカートが燃えた以外は────途中かなり危なかったとは言え────ほとんど無傷だったし、そもそもあのアクシデントも卵を取った後だった。だから、もしかしたらセドリックよりも高い得点が出るのではないかと覚悟したのだけれど、意外にもそうはならなかったのだ。
「“勇敢さ”を試す課題だからかもしれないわ」
エリザベスが考え深げに呟いた。確かに、フラーはドラゴンの背後から回り込んでしまったので、そこがあまり評価されなかったのかもしれない。それに、どうやら最後に金の卵を取り落とした時に別の卵にぶつかってヒビが入ってしまったので、それも減点の対象となってしまったようだ。
「でもあのフラーって子、すごかったわよね!」
「ね! あの、岩場に隠れたときなんて、ハラハラしちゃった」
「あんなに美人で、その上アクションもできるなんて、やっぱり今すぐにでもハリウッドに行くべきよ!」
パメラは興奮を隠しきれない様子だ。さっきからパメラが言っている、そのハリウッドって一体どこだろう? マグルの間では有名な地名なのだろうか? レイチェルが不思議に思って首を傾げていると、じっとフィールドを眺めていたチャーリーが呟いた。
「サディーの奴、荒れてるなー」
「それ、あのドラゴンの名前?」
眠っている間に大事な卵がなくなっていたからか、フラーの試合のドラゴンの怒りはセドリックのときよりも深いように見えた。空中に浮かび、巨大な翼をバタつかせてドラゴンキーパー達を威嚇している。呪文を打っても、硬い翼に弾き返されてしまって、上手く効果が出ていないようだ。
「そう言えば、ドラゴンが飛んだらどうなるの? 観客席に来ちゃうんじゃ……」
セドリックと戦ったドラゴンは飛ばなかったし、フラーと戦ったドラゴンも1度飛んだと言うよりほんの少しの距離を滑空しただけだった。今も、人間の頭の高さよりも少し高いところで浮いているだけだけれど……ドラゴンがその気になったら、競技場の外まで飛んで行ってしまうんじゃないだろうか?
「そうならないよう、鎖で繋がってる。ほら、あれ。あの鎖、伸び縮みするんだ。ちょうど、競技場に張った保護呪文の中だけ動けるように僕たちが調整した」
チャーリーの言葉に、レイチェルは改めてドラゴンをじっくりと見た。競技の最中は、ドラゴンの足まで見ている余裕がなかったけれど、ドラゴンの足には頑丈そうな鎖が繋がれていた。ちょうど、岩と同じ色の鈍い灰色なので、目立たなかっただけのようだ。
「まあ、とは言え実はあの鎖って、ドラゴンが本気を出したら千切れる強度なんだけどな」
チャーリーがあっけらかんと言った。あんな太い鎖で繋がれているなら大丈夫だろうと安心しかけたレイチェルは、その言葉にギョッとした。強く引っ張ると千切れてしまうなんて、それってあまり鎖としての意味はないんじゃないだろうか?
「ドラゴンの力にも負けないような鎖って、作るの難しいの……?」
「いや、できるよ。でも、そうすると無理に鎖を引っ張ろうとして足を骨折するだろ。ドラゴンは鎧みたいに頑丈な皮膚で傷つきにくい分、怪我は治りにくいんだ」
なるほど。鎖があまりに頑丈すぎると、確かにそれはそれで問題があるのだろう。ドラゴンがあの巨体……何百キロか、もしかしたら何トンかもしれないけれど……で全力で鎖を引っ張ったとしたら、その反動もすごそうだ。チャーリーの言う通り、確かに足に鎖を繋いでいたとしたら骨が折れてしまうのだろう。
「輸送中とか、鎖が切れて逃げちゃったりしないの?」
「そうならないように、細心の注意を払ってる。万が一のときのために、足輪には発信器もついてるし。移動ルートは魔法省にも報告するよう法律で義務付けられてる」
しかし、鎖が切れてしまうと言うことは、うっかりするとドラゴンが野放しになってしまうと言うことでもある。今回のように、ドラゴンキーパー達が周りでたくさん見守っていたらその前に捕まえられるかもしれないけれど……輸送中はそうも行かないだろう。思わず心配になって質問すると、チャーリーは心配ないと笑ってみせた。
「そもそも、卵泥棒かもしれない人間が目の前に居るのに、母親ドラゴンが卵をほっぽってどこかにフラフラ飛んでいこうとするなんてありえないよ。もし飛んで鎖が切れたとしても、せいぜい競技場の上空までだ。すぐ戻ってくる」
ウェールズ・グリーン種のドラゴン、改めサディーはようやくドラゴンキーパー達の失神呪文によって大人しくなろうとしていた。チャーリーによれば、「元々は雌のドラゴンの割には大人しい性格」らしい。
確かに。セドリックの試合でも、フラーの試合でも、ドラゴン達は自分の卵を守ろうと必死だった。選手を攻撃したのだって、卵を盗まれるんじゃないかと警戒したからだろう。確か、魔法生物飼育学の教科書にもドラゴンは卵や子供をすごく大事に育てると書かれていたっけ。そうなると、大切な卵を放って遠くに飛び去ってしまうと言うのは、ドラゴンの習性上考えにくいのかもしれない。専門家のチャーリーがそう言うのだから、きっと間違いないはずだ。
再び競技場が整えられ、また別のドラゴンがフィールドに解き放たれた。
今度は、艶やかな真紅の鱗を持つドラゴンだった。顔の周りに金色の模様のように見える毛が生えていて、鼻からキノコ型の炎が噴き出している。中国火の玉種だ。
「ベイリーはのんびり屋で臆病なんだけど、寒いのが苦手なんだよな。だからこっちに連れて来てからずっと機嫌が悪い。焚火で温めたりはしてみたんだけど」
「……チャーリーの言葉だけ聞いてると、何だかちっちゃなフワフワのウサギか何かの話に聞こえるわ」
「そして、いよいよ登場! ミスター・クラム!」
バグマン氏が陽気に言い、観客席が歓声に沸いた。
ホイッスルの音がまた響き、岩場からクラムが姿を現した。緊張していないのか、堂々としている。少なくとも、レイチェルにはそう見えた。クィディッチの試合で、慣れているからだろうか。それとも、ただ単に緊張が顔に出ないだけなのだろうか?
「ほら、やっぱりのんびりしてるだろ」
チャーリーがそう言って肩を竦めてみせた。ドラゴンはクラムが現れたことに気が付いていないようだった。ここが一体どこなのかが気になるのか、地面に伏せて辺りの匂いを嗅いでいる。これは、クラムにとっては好都合に思えた。今なら、ドラゴンの関心はクラムからも卵からも逸れている。
「クラム選手、これは幸運だ!ドラゴンは何と、クラム選手の存在に気が付いていない様子! 今ならどんな呪文もクリーンヒットでしょう! さあ、どう手を打つ?」
ドラゴンの死角を選んで静かに、慎重に近づけば、難なく卵を取れるかもしれない。少なくとも、レイチェルならそうする。が、クラムはそうしなかった。
堂々とした足取りでドラゴンに近づいていったクラムは、素早い動作で杖を振った。てっきりドラゴンに対して何か仕掛けるのだと、恐らく観衆の誰もがそう思っていた。
「なんと大胆な!」
しかし、違った。クラムの杖先からは出たのは、花火のような眩しい閃光と、爆発音だけだった。攻撃ではない。目くらましや、注意を逸らすためでもないだろう。その逆だ。ドラゴンの隙を突くどころか、自分に注意を向けるためにわざとやったのだろう。幸運にも油断しているドラゴンから卵を盗むのではなく、正々堂々と正面からドラゴンと立ち向かうことを選んだのだ。
「これは……予想外の展開! クラム選手、わざとドラゴンに自分の存在をアピール! 代表選手としてのプライドがそうさせたのでしょうか? しかし、これでドラゴンを真正面から出し抜かなければなりません。後悔しなければいいのですが……」
バグマン氏が何か解説を続けていたが、レイチェルの耳には最後まで聞き取ることができなかった。クラムに気が付いたドラゴンはけたたましい声で鳴き、翼をはためかせ、太い尻尾を地面に打ち付けたので、その音でかき消されてしまったのだ。
「ベイリーの奴、怯えきってるなあ。後でストレスで鱗が抜けないといいんだけど」
「あれ、怯えてるの!?」
困ったような口調で溜息を吐いたチャーリーに、レイチェルは思わずギョッとした。
レイチェルの目から見ると、ドラゴンはただただ怒り狂っているように見えるし、どう考えてもクラムよりもドラゴンの方が恐ろしいのだけれど……。普段からドラゴンをよく見ているチャーリーが言うのだから、そうなのだろうか。
「おっと、危ない! クラム選手、絶体絶命か!?」
そうこうしているうちに、ドラゴンがクラムに向かって突進していた。巨大な体からは信じられないようなスピードで、みるみるクラムとの距離が縮まっていく。観衆の半分が悲鳴を上げた。
ドラゴンは今や滑空し、クラムめがけて炎を吐き出していていた。が、さすがプロのクィディッチ選手の反射神経と言うべきか、クラムは機敏に動き、向かってくる炎を避けている。クラムがやっているといかにも簡単そうに見えるけれど、たぶんクラムだからこそできるのだろう。レイチェルはワールドカップの決勝で見たクアッフルのパス回しの早さを思い出した。クラムはチェイサーではないとは言え、あんなスピード感の試合を普段から見ていたら、ドラゴンの動きもゆっくりに感じるのかもしれない。
「インカーセラス!」
クラムが岩場の影に飛び込み、ドラゴンから身を隠した。杖先から縄が飛び出し、ドラゴンの翼の付け根へと巻き付いた。難しい呪文ではないけれど、タイミングが絶妙だ。止まっている相手ならともかく、相手はドラゴンで、しかも自分の頭上を不規則に飛んでいたのに。翼を動かせなくなってしまったことで地面に落ち、混乱したドラゴンが、ギャーッと狂ったように鳴き声を上げた。隣でチャーリーが「ああ……」と悲しげな声を上げたような気がしたけれど、レイチェルは聞かなかったことにした。まさに今、フィールドの様子から目が離せなかったからだ。
「これは上手い動きです! いやはや、飛んでいるドラゴンの翼に呪文を当てるとは! タイミングと狙いがこれ以上なく完璧でした!ドラゴンは動けない!」
バグマン氏がドラゴンの咆哮にも負けないくらい声を張り上げた。混乱のせいで、ドラゴンはますます激しく暴れている。ドラゴンはどうにかフラフラと立ち上がり、地面が揺れそうなほどの勢いでクラムに向かってまた突進していく。岩場からパッと飛び出し、クラムがドラゴンを正面から待ち構える。そして、落ち着いた様子でもう1度杖を振った。
「ああ、結膜炎の呪いだ。さすがだな。効果的だよ」
チャーリーが感心したように呟いた。ドラゴンは痛みに叫び声を上げていた。巨大な体は再び地面に転がり、尻尾を棍棒のように振り回しながらのた打ち回っている。耳を劈くようなその悲鳴に、レイチェル達観客は思わず耳を塞いだ。しかし、クラムはそんな悲鳴など気にも留めないかのようにじっとドラゴンを油断なく見下ろしていた。じりじりと、卵の入った巣に向けて距離を詰めていく────。
「あっ!」
観客の何人かが叫んだ。ドラゴンが振り回した尻尾が巣を薙ぎ払い、巣が競技場の向こう側まで吹き飛んでしまったのだ。卵が入ったままで。綺麗な放物線を描いて宙を舞った卵に、しん、と沈黙が落ちた。ドラゴンの卵は、ニワトリの卵に比べればずっと頑丈だけれど……さすがに、あの高さから落ちたら無事ではないだろう。
「おおっと!卵が潰れてしまったか!?クラム選手、ここまでは万事上手く行っていましたが、これは痛い! ルール上、卵が潰れてしまうと減点の対象となります!」
予想外の出来事に、クラムも驚いているようだった。何が起きたか受け入れがたいのか、ポカンとしている。危険な課題の最中でも落ち着き払っているように見えたクラムのそんな表情を見て、レイチェルは思わず口元が緩むのを感じた。遠い存在だとばかり思っていたクラムに、何だか親近感が湧いたからだ。
「しかし、良い度胸を見せました。そして────やった!卵を取りました!」
クラムは飛んで行った巣へと近づいて行き、その中から金の卵を手に取った。競技場が爆発したかのように歓声に沸いた。ほんの少しだけ誇らしそうな表情で卵を高く掲げ、クラムは観衆の声援へ応えた。レイチェルも喉が痛くなるほどにクラムの名前を叫び、拍手を送った────が、1つ気になることがあった。
「チャーリー。卵……あれ、大丈夫なの? 金の卵以外は、本物の卵なのよね?」
セドリックの課題のときは卵はすべて無事だったけれど、フラーのときはヒビが入ってしまったものがあったようだったし、今のクラムに至っては全滅だ。ドラゴンが保護対象になっているのは、マグルに見つかったときの危険性もあるけれど、数だって減っている。だから、卵はものすごく希少なはずなのに……課題であんなに卵がダメになってしまったら、大変なんじゃないだろうか?
「いーや、偽物だよ。母親ドラゴンにバレないように、こっそりすり替えたんだ。大変だったけどね」
チャーリーがウインクしてみせたので、レイチェルはホッと胸を撫で下ろした。
ドラゴンは怖いし、セドリックやチャーリーほど愛情を注げそうにないけれど、大切な卵が潰れてしまったら母親ドラゴンは可哀相だ。偽物でよかった。
「……結膜炎の呪いも、万能じゃないのね」
熱狂的なクラムコールに観衆が湧く中、レイチェルはポツリと呟いた。
セドリックに是非にと勧めてしまったけれど、結膜炎の呪いを受けたドラゴンはその痛みにのた打ち回る。クラムと同じように卵が潰れてしまっていたかもしれない。だとすれば、セドリックのとったあの作戦がやっぱり最善だったのだろうか。歓声に混ざって手が痛くなるほど拍手を送っていたレイチェルは、クラムがフィールドから退場したところで、ふとあることに気が付いた。いや、気が付いたと言うよりも思い出したと言う方が正しいかもしれない。
代表選手は全部で4人。ここまで、3人の選手が課題を終えた。残る代表選手とドラゴンは、それぞれ1人と1頭しか居ない。
ハリー・ポッターが────最年少の代表選手が挑まなければいけないのは、あの最も凶暴なハンガリー・ホーンテールだ。