見知った顔が新聞に載ることは、これまでにも何度かあった。
たとえば、母親の小説の新刊が発売されたとき。たとえば、父親の職場のドラゴン研究所が取り上げられたとき。他にもグリンゴッツに勤めている親戚だとか、魔法省に就職した卒業生、他にもいろいろ。白黒写真に印刷されたよそゆきの表情は新鮮で、レイチェルまで何だかくすぐったいような、誇らしいような気持ちになる。
だから、セドリックが新聞に載ると聞いて、レイチェルはとても楽しみにしていた。せっかくだから切り抜いて日記に貼ろうと、日刊預言者新聞もこの機会に購読することに決めた。お小遣いが減ってしまうのはちょっと痛いけれど、レイチェルももうNEWT学年だし、少しは社会情勢にもアンテナを張るべきだろうかとも考え始めていたから、ちょうど良いきっかけだった。
セドリックが杖調べの儀式のために授業を抜けた翌朝の朝食の席。レイチェルは意気揚々と配達のふくろうから新聞を受け取った。しかし、そこに掲載されていた記事はレイチェルが予想していたものとは違っていた。
「……どう言うこと?」
一面記事には確かに、レイチェルのよく知っている顔の写真が大きく載っている。しかし、その人物とはセドリックではなかった。セドリックだけでなく、クラムやフラーの写真もない。一面の半分近くは、4人目の代表選手、ハリー・ポッターの写真で埋め尽くされていた。
『200年ぶりに開催 三大魔法学校対抗試合 生き残った男の子が代表選手に』
タイトルからして、この記事の主役がハリー・ポッターであることは明らかだ。確かに嘘は言っていない。対抗試合が200年ぶりに行われるのも、彼が代表選手に選ばれたのも事実だ。事実だけれど────レイチェルはムッとして眉を寄せた。
「なんだかこれだと、ホグワーツの代表選手がハリー・ポッター1人だけみたい」
同じように新聞を読んだ生徒達も驚いたようで、大広間のそこかしこがざわついている。
……まあ、ハリー・ポッターは有名人だし、大きく扱われるのは仕方ないのかもしれない。彼の名前出した方が読者が食いつくことは、レイチェルにも想像がつく。一面こそこうだけれど、記事は他の紙面にも続いているようだし、きっとセドリックのことも書いてあるはずだ。気を取り直して、レイチェルは文章を読み進めた。
────が、その予想はまたしても外れた。書き出しこそ、対抗試合の概要や再開される経緯について書かれていたけれど、そのあとはやっぱりハリー・ポッターのことばかりだ。彼の生い立ちや、例のあの人とのこと。何だかこの記事だと、ハリー・ポッターが自分から進んで立候補したみたいに読める。直接インタビューした記者が書いたのだから、ハリー・ポッターが自分でそう言ったのだろうか?
自分ではほとんど覚えていない両親のことに話題がうつると、驚くほど深い緑の瞳には涙があふれた。『僕の力は、両親から受け継いだものだと思います。今、僕を見たら、両親はきっと僕を誇りに思うでしょう。……ええ、ときどき夜になると、僕は今でも両親を思って泣きます。それを恥ずかしいとは思いません……。試合では、絶対ケガをしたりしないって、僕にはわかっています。だって、両親が僕を見守ってくれていますから……』
そんな文面を読んで、レイチェルはハッと息を飲んだ。
そうだ。ハリー・ポッターは両親を亡くしていて────記事にも書かれていた通り、まだたったの12歳で────12歳? いや、4年生だから14歳のはずだけれど────とにかく、レイチェルより年下で、そして彼が例のあの人に両親を奪われたのは、まだたった1歳の頃なのだ。寂しくないはずがない。もう16歳になったレイチェルだって、去年進路を決めるときは両親を頼って相談したし、夏休みには甘えてしまった。明るく振舞っていても、ハリー・ポッターにだって心細いときがあるに決まっている。目頭がじわ、と熱を帯びる。行儀よく並んだ文字の列が、涙で滲む。
「Ça va? アー……大丈夫ですか? 」
そんな風に話しかけられていることに気がついて、レイチェルは新聞から顔を上げた。エリザべスともパメラとも違う。男の子の声だ。誰だろうと視線を彷徨わせると、斜め向かいに座っていたボーバトンの男の子と目が合った。レイチェルはその顔に見覚えがあった。ハロウィンの夜の、マスタードの瓶の男の子だ。
「あ……えっと、大丈夫。ありがとう。その……Merci」
レイチェルがぎこちなく微笑むと、男の子も安心したように笑い返してくれた。レイチェルは目元を指で拭って、スンと鼻を啜った。ほとんど話したことがない相手にまで心配されてしまったのが、何だか恥ずかしい。気持ちを落ち着かせようとレイチェルがティーカップを傾けていると、隣で同じく新聞を読んでいたエリザベスが困ったように微笑んだ。「レイチェル。その……とても刺激的で、感動的な内容だけれど……記事の署名も、見た方がいいかもしれないわ」
「署名?」
さっき読んでいた箇所はまだ記事の途中で、その先も文章は続いている。記者の署名は大体記事の最後にしか書いていないから、まだずっと先だ。レイチェルがガサガサと新聞を捲っていると、エリザベスが溜息を小さく吐いた。
「……また、スキーター女史の記事ですもの」
その言葉に、レイチェルの涙は一瞬で引っ込んだ。
日刊預言者新聞の辛口お騒がせ記者、リータ・スキーター。
独自スクープの多さや、権力側へも臆さず鋭い批判をする姿勢から読者からの支持は厚いらしいけれど、記事を面白くするためならあることないこと書き立てるとも言われている人だ。あの記事を書いたのが彼女なら、その内容の信憑性も少し怪しくなってくる。実際に読んでみても、公平で中立とは言い難い記事だったし、ハリー・ポッターの年齢だけでなく、クラムやフラーの名前も綴りが間違っていた。そして信じられないことに、結局、記事を最後まで読んでも、セドリックの名前は見つからなかった。
「なーんか最近、ギスギスしてるわよね! 空気悪ーい」
とは言え、やはり『新聞記事』となると、その影響は絶大だ。あの記事が出てからと言うものの、廊下を歩けばそこかしこからその話題が聞こえてくる。それも、大抵は不穏な雰囲気で。パメラの言う通り、城の中の空気は険悪なものに変わっていた。
「ねえドラコ。そのバッジ、流行ってるの?」
あの記事がきっかけなのだろうか。この数日、廊下ですれ違う生徒達が同じものをローブの胸につけているのを何度か見かけた。鮮やかなオレンジ色は黒いローブによく映えるのでパッと目を引く。ドラコがつけていたことで、レイチェルは初めてじっくりとそのバッジを見ることができた。『セドリック・ディゴリーを応援しよう』────対抗試合に向けての応援グッズのようだ。
「ドラコも、セドを応援してくれるの?」
レイチェルはニッコリした。こう言っては失礼かもしれないけれど、ドラコがセドリックを応援しているというのは何だか意外な気がした。何となく、身内意識が強いドラコは代表選手がスリザリンから選ばれなかったことに不満を持っているかと思っていたから。日頃ダンブルドアやホグワーツについて文句を言っても、ドラコにもやっぱり愛校心があるのだと、何だか微笑ましい気持ちになったのだけれど。「まあね。それにこれ、仕掛けがあるんだ。ほら」
ドラコがそう言ってバッジを指で押してみせた。すると、鮮やかなオレンジ色はぐるぐると高速で渦を巻いて、深い緑色へと変わった。黄緑色の蛍光色がチカチカと光って、さっきとは別な文字を描く────『汚いぞ、ポッター』。
「君もいるかい?」
どうやら、ローブのポケットにたくさん入っていたらしい。ドラコが取り出したバッジが手の平の上で擦れ合って、ジャラジャラと音を立てた。鮮やかに点滅する文字を眺めながら、レイチェルはこのバッジとハーマイオニーもらったバッジ、2つを並べてローブにつけたところを想像してみた。『反吐』────頭の中でハーマイオニーが「S、P、E、W!」と叫んだ────『汚いぞ、ポッター』。フリットウィック教授が見たら感激のあまり涙を流してもおかしくない、知性に溢れた姿だ。レイチェルは静かに首を振った。
「……遠慮しておくわ」
「そうかい?」
「ええ。でも……そうね、ドラコ。それ、ちょっとだけ借りてもいい?」
ドラコが胸から外して渡してくれたバッジを摘まみ、レイチェルはそれをじっくりと観察した。誰が作ったのかわからないけれど────下級生だとしたら、よくできている。OWLレベルの魔法じゃないだろうか。
「少し、文字を変えてもいい?」
「え? ああ、別に……」
「ドラコがセドを応援してくれるのは、ハリー・ポッターへの当てつけ?」
レイチェルが溜息を吐くと、ドラコは図星だったのかばつが悪そうな表情になった。誰かが好意で作って広めている応援グッズかと思ったら────それならレイチェルも是非1つ欲しかったのに────どうやら、セドリックを応援すると同時にハリー・ポッターをホグワーツ代表とは認めない意思を表明しようと言う趣旨のものらしい。ドラコと別れて寮へと戻ったレイチェルは、談話室に居る生徒の何人かもあのバッジをつけているのを見て、何だか複雑な気分になった。
「レイチェル、ほら、見ろよこのバッジ。ヴィクトリアにもらったんだ」
「ロジャー……あのね、それ、押すと文字が変わるって知っててつけてる?」
「えっ? マジで? そうなの? あっ、本当じゃん!何だこれ、ウケる」
……もしかしたら、中には今バッジを押してはしゃいでいるロジャーみたいに、このギミックを知らないままバッジをつけている生徒も居るのかもしれないけれど。ロジャーの胸で何度もチカチカと色を変えるバッジを見て、レイチェルは思わず額を押さえた。
レイチェルの知る限り、生徒達のハリー・ポッターへの風当たりは日に日に強くなっている。あの記事で、彼が力を試したいばかりに規則を無視してエントリーしたように書かれていたことが決定打になったのだろう。ハッフルパフ生は自分達の代表選手がないがしろにされたことに怒っていたし、レイブンクロー生のハリーポッターへの不信感も強まり、疑惑も確信に変わったようだった。スリザリン生にとっても、あの記事は彼を非難する格好の材料になってしまっている。確かに文面通りに受け取ると、ハリー・ポッターは傲慢で鼻持ちならない、悲劇に酔った命知らずのヒーローだったから、無理もないのかもしれないけれど。
バッジの流行は下級生が中心だったけれど、今では上級生にも広まって来ている。水曜日の夕方、レイチェルは談話室の暖炉の上に木箱が置かれ、その中に大量のバッジが入っているのを目にした。パメラの言う通り、何だか嫌な空気だ。唯一の救いは、レイチェルの親しい人達の胸には、あのバッジがついていないことだった。
「経緯はどうあれ、どちらも正式に選手として認められたんですもの。在校生として、2人ともを平等に応援すべきだと思うわ」
その考えは、あまりにもエリザベスらしいとレイチェルは思った。エリザベスにとっては、あのバッジは軽薄で品性に欠けていて受け入れがたいものらしい。バッジは違反品に含まれないので、禁止ができないことに気を揉んでいる。
「まあハッフルパフ生が怒るのは気持ちわかるけどねー。だからって、うちの寮までそんなにハリーを目の敵にしなくったっていいのに。ホグワーツだけ代表選手が2人って、勝率アップで得じゃない?」
パメラの意見も、やっぱり彼女らしい。元々イベント好きなパメラにとっては、選手が増えて対抗試合がますます盛り上がるだろうことが嬉しいらしく、ハリー・ポッターに対しても割と好意的だ。どんな試合を見せてくれるか楽しみらしい。
「私、たとえ流行でも自分の美意識にそぐわないものは身につけないことにしてるの」
そう言って艶やかに微笑んでみせたのは、クロディーヌだ。夕食の席で、自分の胸であんなスラングを点滅させて喜んでいる人の感性が理解不能だと肩を竦めた彼女に、近くの席に座っていた何人かの1年生がそっとバッジを外すのが見えた。
「セドを応援することって、別にハリー・ポッターを敵視することとセットじゃなくて良いと思うんだけど……」
そしてレイチェルもやっぱり、そんな理由からあのバッジをつける気にはなれない。……セドリックの幼馴染だと言うことは周囲にも知られているせいで、何度か勧められはしたけれど。
ホグワーツの皆がセドリックを応援してくれるのは嬉しい。でもそれが、ハリー・ポッターへの嫌がらせや当てつけのためなのだとしたら、セドリックに対しても不誠実な気がする。
もちろん、あの記事が全て真実なのだとしたら────自分から喜んで代表選手に立候補したのだとしたら、レイチェルもハリー・ポッターを応援できそうにないし、軽蔑する。とは言え、やっぱりあれほど公平性を欠いた記事に書かれていることが全て真実だと言うのは、考えにくいような気がするのだ。
秘密のはずの噂でさえ、いつの間にか当人の耳に入ってしまうものだ。バッジは誰の目にもはっきりと見えるし、あの鮮やかな色は黒いローブの上では目立つ。だから当然────セドリックも、この校内の様子に気が付いていないはずがない。
木曜日の午後、マグル学の授業で顔を合わせたセドリックはレイチェルのローブを見るとホッとしたように息を吐いた。
「……レイチェルがあのバッジをつけてたらどうしようかと思った」
「16年も一緒に居るんだから、今更ローブに点滅させておかなくってセドの名前の綴りくらい覚えてるわよ」
「そうだね。ごめん」
何だかその笑顔が疲れているような気がして気になったけれど、すぐに予鈴が鳴ったせいで、会話はそれきりになってしまった。ノートを取るセドリックの横顔がやっぱり元気がないように見えて、レイチェルは少し心配になった。
「頑張ってね、セドリック!」
「応援してるわ。本当の代表選手が誰か、ポッターに見せつけてやってね!」
……確かに、これは疲れるかもしれない。
授業が終わり、次の薬草学に向かうそのたった10分ほどの間だけで、セドリックは3回も話しかけられていた。そしてその3回とも、声をかけてきた人達の胸にはやっぱりあのバッジがついていた。セドリックは愛想よく微笑んでいたけれど、バッジを見るたび一瞬困ったような表情になったのがわかった。
「代表選手として認めてもらえたのは嬉しいけど……僕だけが皆に応援してもらうのって、何だか居心地が悪いな」
そう言って小さく溜息を吐いたセドリックに、レイチェルはぱちりと瞬いた。
毎度のことながら、レイチェルは幼馴染の善良さには感心してしまう。本来なら、セドリックは誰よりもあの新聞記事やハリー・ポッターに腹を立ててもおかしくないのに。
「……セド、怒ってないの? 記事のこと」
「怒る……うーん。正直、ちょっとガッカリはしたかな。でも、別にあれはハリーのせいじゃないよ。リータ・スキーターは最初からハリーにしか興味がない感じだったんだ……皆にもそう言ったんだけどな」
「ジョン達もあのバッジをつけてるんだよ。外すように言ったんだけど」
「……外すように言った“から”かもね」
セドリックがこの状況を何とかしたいと思う気持ちはわかるけれど、今セドリックがバッジを外すように言うのはたぶん逆効果だ。きちんと年齢制限を満たして代表選手に選ばれたセドリックが謙虚で紳士的に振舞うほど、ますますハリー・ポッターへの反発は強まりそうな気がする。
「時間が解決してくれるのを待つしかないのかも。そのうち、皆きっと飽きると思うわ。皆がつけてるからつけてる、って人も多いだろうし。それに、今だってホグワーツ生全員がつけてるってわけじゃないもの。バッジをつけてない人だって居るでしょ? チョウも言ってたわ。こう言う応援の仕方は、選手だって嬉しくないだろうって」
「チョウって……チョウ・チャン?レイブンクローのシーカーの」
セドリックが不思議そうに首を傾げたので、レイチェルは頷いた。
チョウと言えば、何かと噂になるほど目を引く美少女なのだけれど────セドリックにとっては“可愛い”とか“アジア系”のよりも“シーカーの”の方が重要な情報らしい。
「最近、時々会うんだよ。クィディッチの競技場で」
「……ああ、なるほどね。自主練で?」
「うん。乗らないと感覚忘れそうだから。気分転換にもなるしね」
対抗試合の影響で今年はクィディッチリーグは中止だ。だからチームでの練習はないけれど、寮チームの選手は個人的に練習しているようだ。チームごとに競技場を予約して交代で使っているわけではないから、いつもと違って別の寮の選手とも顔を合わせやすいのだろう。
「ディゴリー!頑張れよ!」
そんな話をしている間にも、7年生のグリフィンドールの男子生徒達がすれ違いざまにセドリックの背中をバシンと叩いて通り過ぎて行った。その力が思いのほか強かったらしく、セドリックは前につんのめって、軽く咳き込んだ。
「……人気者も大変ね」
セドリックの背中を擦って、レイチェルはしみじみと呟いた。
やっぱり、皆に注目されるのって大変そうだ。少なくとも、廊下を歩くだけでこんな風にたくさんの人に話しかけられるなんて、レイチェルなら気疲れしてしまう。
「僕はいいんだけど……ハリー・ポッターの方が心配だな」
自分に対しては好意的に声をかけてくれているとわかるから、と。セドリックは苦笑してみせた。
確かに、今のホグワーツでは、ハリー・ポッターの選抜に否定的な生徒の方が多いのは明らかだ。ハロウィンの夜以降ずっとだけれど、あの記事でさらにエスカレートした。この分だと、ハリー・ポッター本人の周りも穏やかではないかもしれない。
そんな会話をしたのが昨日のこと。そして今、レイチェルは正にその現場に遭遇していた。
バラバラと、教科書や羽根ペンが床へと散乱する。ハリー・ポッターの鞄からだ。その原因となった大柄なスリザリン生は、明らかにわざと彼にぶつかっていた。ひどい。
ハリー・ポッターはどうやら1人のようだ。黙って地面へ蹲り、散らばったものを拾い集めている。周囲にはたくさんの人が居るけれど、クスクス笑いが響くばかりで、誰も彼に手を貸そうとはしない。やっぱりひどい。
「あの……大丈夫?」
「ああ。僕に構わないでくれ」
「……誰がゴブレットに名前を入れたのか、心当たりはないの?」
そう問いかけると、ピタ、とハリー・ポッターの手が教科書へと伸ばしたまま止まる。意外と指が長いんだな、とレイチェルはぼんやり思った。奇妙に長い沈黙を不思議に思って顔を上げると、ハリー・ポッターは驚いた表情でレイチェルを見つめていた。
「何で…………僕じゃないって……」
「え? だって……4年生にあんなことできないでしょ?」
「それとも、あなたが自分で名前を入れたの?新聞に書かれてたみたいに」
「違うよ!」
「うん……僕は名前を入れてない」
さっきまでの頑なな雰囲気が嘘のように、その声は柔らかい。澄んだ緑の瞳が、薄いレンズ越しに真っ直ぐにレイチェルに向けられている。ふいにその瞳が弓なりに細められて、どこか肩の力が抜けたような、はにかんだ笑みが浮かんだ。
「信じてくれて、ありがとう」
嬉しそうなその声に、レイチェルは何だか落ち着かない気持ちになった。感謝されることなんて、何もしていないのに。レイチェルはただ、自分の考えを言っただけだ。むしろ以前のレイチェルは.今のホグワーツ生達よりハリー・ポッターのことを毛嫌いしていたのに────。レイチェルが言葉に詰まっているうちに、ハリー・ポッターはまた黙って持ち物を拾い始めていた。その姿を見ていたらふと、あの記事の文章が頭をよぎった。
『ときどき夜になると、僕は今でも両親を思って泣きます』
記事に嘘や誇張がが混ざっていたとしても、あれは彼自身の言葉なのだろうか。そう考えると、ギュッと心臓が締めつけられた。そのせいだろうか。俯いたその姿が、何だかひどく心細そうに見えて。どうしてか、出会った日のあの小さな男の子の姿が重なった。そして、ほとんど無意識のうちに、レイチェルの手はそのつむじに触れていた。
「あの……?」
ハリー・ポッターの戸惑ったような声に、今度はレイチェルがハッとする番だった。
何をやっているんだろう。犬や猫じゃないのだから、勝手に頭を撫でるなんて失礼だ。それに、ハリー・ポッターはもう12歳、じゃなかった、14歳で、小さな男の子なんかじゃない。もう背だってレイチェルよりも高いのに────。
「ご、ごめんなさい……つい……えっと……」
「ううん。その、嫌だったわけじゃないよ。……僕、女の子に頭を撫でられるのって初めてだ」
自分でも、どうしていきなりこんなことをしたのかわからない。うろたえるレイチェルに、ハリー・ポッターはそう言って微笑んでみせた。ちょっと照れくさそうなその表情に、レイチェルは頬に熱が集まるのを感じた。
「その、対抗試合の課題、すごく危険だって話だから……無理しないでね」
あの記事のどこまでが脚色やデタラメで、どこまでが真実なのかはわからない。わからなくても、レイチェルは今目の前に居る少年を応援したいと思うし、それを伝えたいとも思う。うまく行ってほしいし、怪我をしてほしくない。
「うん。ありがとう」
ようやく全て拾い終わった。お互い次の授業へ向かうため、レイチェルはハリー・ポッターとそこで別れた。……別れるはずだったのだけれど、途中まで同じ方向だったせいで、何だかちょっと気まずかった。
並んで歩いたほんの少しの時間だけでも、今の彼に向けられている視線がどんなものか知るには十分だった。クスクス笑いや、軽蔑するような視線。近くに居ただけのレイチェルですら、胃のあたりが重くなってしまうような。中にはさっきみたいな直接的な嫌がらせもあるのだろう。時間が解決してくれる、なんて言うのは楽観的過ぎたかもしれないと、レイチェルは何だか申し訳なく思った。
どうせなら、皆で楽しめるようなイベントになってほしいと思うのだけれど……。2人のホグワーツの代表選手、どちらも応援することって、難しいのだろうか。