翌朝は、よく晴れて気持ちの良い天気だった。1週間分の疲れが溜まっていたからか、それともパメラのカモミールティーのおかげか。せっかくの休日なので朝寝坊したレイチェル達は、遅い朝食をとるために大広間へ向かうことにした。
「あ、見て。あれ、ボーバトンの馬車じゃない?」
「本当だわ。……ダームストラングの人達は、やっぱり湖に居るのかしら?」
窓の外を見下ろすと、遠くハグリッドの小屋が見える。その傍には、パステルブルーの巨大な馬車。陽光の下で見る馬車や、金や銀に光る毛並みの天馬達は幻想的だ。しばらくその光景を眺めていると、パメラがあっと声を上げた。
「そう言えば、エリザベス! 昨夜ボーバトンの子達と話してたじゃない。すっごい美少女と!」
「ああ、フラーね? 彼女、お祖母様がヴィーラなんですって」
「ヴィーラって、ブルガリアの応援で出てきたアレ? 今すぐハリウッドデビューできそうよね!私も今度話しかけてみよっと。あ、あとブロンドの男の子も居たわよね?あの子もハンサムじゃなかった?」
「彼はクロディーヌの従兄よ」
「あー、確かに!雰囲気似てる!」
エリザベスによると、フラーは英語も話せるらしい。それなら、レイチェルでもおしゃべりできるだろうか。キャンプ場で会ったことを覚えているだろうか?……でも、あのときは皆パニックだったし、忘れているかもしれない。そもそも、レイチェルの容姿はフラーほど印象に残らないだろうし。
3階の廊下に差しかかったところで、向こうから見知った友人達が歩いてくるのが見えた。
「おはよう、アリシア!アンジェリーナも」
「おはよう、パメラ。エリザベス。それにレイチェルも」
パメラの挨拶に、アリシアがニッコリした。方向から考えると、どうやら2人はグリフィンドール塔から降りてきたようだ。もしかしたら、レイチェル達と同じで休日だからと朝寝坊したのかもしれない。だとしたら────。
「2人も今から朝食?」
もしそうなら、大広間でなく外で朝食をとるのもいいかもしれない、とレイチェルは思った。今日は授業がないから時間にも余裕がある。スコーンやサンドイッチを持ち出して、湖のそばで皆でおしゃべりをしながら食べたら楽しいだろう。
「うん。そうなんだけど……あ、でも……」
レイチェルの質問に、アンジェリーナは困ったように視線を泳がせた。いつも明るくハキハキしたアンジェリーナにしては珍しいことだ。どうしたのだろうとレイチェルが不思議に思っていると、アリシアがクスクス笑ってみせた。「アンジェリーナ、これからゴブレットに名前入れに行くとこなのよ!」
だから緊張してるみたい、と肩を竦めるアリシアに、レイチェルはぱちりと瞬きをした。そう言えば、アンジェリーナは先週誕生日を迎えて17歳になった。レイチェルもプレゼントとバースデーカードを贈ったので、間違いない。
「立候補するの? わあ、すごい!」
「アンジェリーナが代表選手になったら、全力で応援するわよ!」
「よかったら、私達も一緒に行っても構わないかしら? ゴブレットに名前を入れるところ、見てみたくて……」
思わずはしゃいだレイチェル達の言葉に、アンジェリーナがニッコリしてくれたので、5人で大広間、改めその手前の玄関ホールへと向かうことにした。
対抗試合への関心の高さを物語るように、玄関ホールには生徒達が集まっていた。彼らの目当ては、ホールの真ん中にあった。いつもはない丸椅子が置かれ、その上に昨夜見たあのゴブレットが鎮座している。周りの床には、大きな金色の輪が描かれていた。ダンブルドアが引いた年齢線だろう。
「あれ、レイチェル?」
「セド?」
名前を呼ばれて振り返ると、声から予想した通り、そこには幼馴染の姿があった。友人達と一緒だ。その手には、何か小さな羊皮紙のようなものが握られているのが見える。そして、ここに居ると言うことは────。
「もしかして、セドも今から名前入れるの?」
「うん」
「ほら、セド!早く入れろよ!」
「やっちゃえよ、セド!」
友人達に急かされたセドリックは、緊張した表情で年齢線の輪へと足を踏み入れた。近くに居るハッフルパフの生徒達が、わあっと歓声を上げる。そして、炎が赤く色を変え、セドリックが差し入れた羊皮紙がその中へと消えていくと、どこからともなく拍手が湧き起こった。もちろんレイチェルも手が痛くなるほど拍手した。ホッとしたように笑みを浮かべるセドリックと目が合って、レイチェルもニッコリした。
「アンジェリーナ。頑張って!」
セドリックが年齢線の外へ出ると、今度はアンジェリーナの番だ。アリシアとパメラが背中を押して、アンジェリーナも意を決したように前へと進み出る。今度はグリフィンドール生が中心に負けじと歓声を上げ、アンジェリーナも緊張した表情で炎の中へ羊皮紙を投げ入れた。神秘的な青白い炎は、今度も羊皮紙を呑みこむと一瞬赤く燃え上がり、パチパチと火花を散らした。
「……カメラ、持ってくればよかった」
レイチェルは思わず溜息を吐いた。セドリックが────それにアンジェリーナも────ゴブレットに名前を入れるところが見られるとわかっていたら、持ってきたのに。本人達にとっても記念になるだろうし、おじさん達にも送ってあげたかった。「カメラクラブの生徒とか、そうじゃなくても誰か1人くらい撮ってるかもよ。あとで聞いてみましょ!」
パメラがそう言ってウインクした。そう言えば、カメラクラブの生徒はイベントのときには生徒達の写真を撮っていると聞いたことがある。100年以上ぶりに開催される対抗試合なんて、これ以上ないくらい大きなイベントなのだし、誰かが撮影していたら頼めば焼き増ししてもらえるかもしれない。
「お待たせ、皆! 私、やったわ!」
晴々とした表情で戻ってきたアンジェリーナを待って、レイチェル達はようやく大広間へと足を踏み入れた。そしてテーブルからベーグルサンドやスコーンやショートブレッドなんかを失敬して、湖の側でのんびりブランチすることにした。話題はやっぱり、対抗試合に関してだ。
「さっきスリザリン生が話してたけど、ワリントンが立候補したんだって」
「ワリントンが? へー、自分の名前書けたのね。びっくり」
「パメラったら!いくら何でも失礼だわ……」
「何よ、エリザベス! ワリントンの私への普段の態度の方がよっぽど失礼でしょ!」
親友達の言い合いはいつものことなので聞き流すことにして、レイチェルはスコーンを一口齧った。セドリックにアンジェリーナ、それにワリントン。他には誰が立候補したのだろう。きっとレイチェルの知らない7年生や、皆に見られないよう夜中や明け方に名前を入れた人も居るはずだ。
「それにしてもやっぱり、セドリックやアンジェリーナには髭は生えなかったわね!」
「……髭?」
クスクス笑うアリシアに、レイチェルははてと首を傾げた。髭って何だろう。アンジェリーナもつられたように笑い出した。わけがわからないと顔を見合わせるレイチェル達に、ようやくクスクス笑いの発作が治まったらしいアリシアが教えてくれた。
「私達もリーから聞いたんだけど。あのね、ダンブルドアが年齢線を張ったって言ってたでしょ。それで、フレッドとジョージが……」
悔しいけれど、ジョージの魔法薬学の調合のセンスはレイチェルよりも上だ。
だから、彼らがそれほど難しくない老け薬の調合に失敗したと言うのは、考えにくいように思えた。となると、レイチェルが渡した材料に問題があったのかもしれないが────アリシアの話によると、双子は1度年齢線を突破したあと、外へ弾き出されたらしい。となると、恐らく老け薬自体は正しく作用していたのだろう。ただ、やっぱりダンブルドアは生徒達の策略くらいお見通しで、1枚上手だったと言うだけで。
何にしても、材料提供者として責任の一端を感じたレイチェルは、アンジェリーナ達と別れた後、医務室へ向かった。
「薬を塗ったから、1時間もすれば抜け落ちるとさ」
憮然とした表情で呟くフレッドの顔には、アリシアの言っていた通り立派な髭が生えていた。ダンブルドアにも負けず劣らずの、長い顎鬚だ。隣に座るジョージも同じだった。ゴブレットに名前を入れようとして、年齢線から弾き出された結果こうなったらしい。
「老け薬自体は上手く行ってたはずだろ?何がいけなかったんだ?」
「予想だけど……たぶん、2重に年齢線を張ってあったんじゃないかしら。OWLの過去問で、似たのを見たことがあるわ」
わかりやすく引かれていた金色の輪は外側の年齢線。そしてもう1本、目に見えない年齢線が内側に引かれていた。加えて、外側の年齢線には、呪文流しをかけてあったのだろう。そうすれば、そもそも17歳以下の生徒は外側の年齢線に弾かれて入ることができない。そして、何らかの“小細工”を使って年を取った生徒も、外側の年齢線を突破したとき、一緒に作用する呪文流しの効果で元の年齢に戻り、内側の年齢線によって弾き出される。
わざわざ髭が生えるようにしたのは……たぶん、ダンブルドアのちょっとしたおちゃめな悪戯だ。
「あの……」
レイチェルは何か言おうとして、口ごもった。何だか、罪悪感でチクチクと胸が痛んだ。やっぱり中途半端に協力なんかせず、無謀だと、先生達の決めたことに従うよう止めるべきだったのかもしれない。2人の計画を聞いて、力になりたいと思ったけれど、結局失敗してしまったし、かえって迷惑だったのかも────。
「責任なんか感じるなよ。俺達が決めたことだし、後悔もしてない。それに、君の協力がなくてもどうにかして材料を調達してたさ」
「もし後悔するとしたら、他にもっといい方法があったんじゃないかってことだけだな。しかしまあ、過ぎたことはクヨクヨしても仕方ない」
ジョージが素っ気なく言い、フレッドが頷いた。
さっぱりとしたその言い草に、レイチェルはぽかんとした。……やっぱり、この2人はすごいな、と思う。いつだってはっきりした目的を持っていて、そして自分達の軸を持っている。
今回のことだって、単にゴブレットに名前を入れるのならば、老け薬を使うよりも、年齢線を問題なく超えられる誰かに頼んだ方が簡単だし確実だ。2人だってきっとそんなことはわかっているけれど、自分達の力で年齢制限を突破してこそ意味があると考えたのだろう。
「対抗試合に関しては残念だったけど……貴方達ならきっと、素敵な悪戯専門店を開けると思うわ」
1000ガリオンの賞金は、彼らの計画にとってはまたとないチャンスだったのだろう。言うならば、突然目の前に開けた一本道。通れたら、一気に目的地まで近道ができたことは間違いないのだろうけれど────たとえ遠回りになったとしても、この2人ならきっと夢を叶えるだろう。
「ああ、そう思うよ」
「全く同感だね」
自信たっぷりな返事が2人らしくて、レイチェルは思わずクスクス笑ってしまった。2人がいつもの調子を取り戻しつつあることに、ホッとした。何と言うか、双子に元気がないと調子が狂ってしまう。……元気すぎると、それはそれで困ることもあるけれど。
「「ありがとな、レイチェル」」
声を揃えてニッコリする2人に何だか照れくさくなって、レイチェルは目を逸らした。思ったことを言っただけだから、お礼を言われるのも変な気分だ。だって本当に、フレッドとジョージならどんな障害だって乗り越えてしまえそうだと思うから。
「ワリントンが立候補? あいつが代表選手になったとしたら、悪夢だぜ」
「ダームストラングはやっぱり、クラムかな? 代表選手にならなかったとしたら、帰っちまうのか?」
「んー……残るんじゃないかしら。だって、誰も応援が居ないって言うのも気の毒じゃない? ホグワーツ生はやっぱり皆、ホグワーツの選手を応援しちゃうし……」
それからフレッドとジョージの髭が抜け落ちて元通りになるまで、おしゃべりをして過ごした。
ジョージの顔を見てもあまり意識せずに済んだのは、サンタクロースのような髭のおかげだろう。とは言え、ジョージの方もあまりにいつも通りなので、レイチェルは何だか肩すかしを食らった気分だった。おかしい。レイチェルの顔には、髭は生えていないはずなのに。
……やっぱり、昨日のあれは、ジョージも寝ぼけていたのだろう。寝ぼけていて、何が起きたかよく覚えていないかもしれない。きっとそうだ。
だとすれば、レイチェルも気にしないようにした方がいいのだろう、たぶん。
ハロウィーン・パーティーは、ホグワーツ生にとって最も楽しみなイベントの1つだ。
大広間は何百と言うジャック・オ・ランタンで飾られ、生きたコウモリが天井の近くを飛び交っている。そして、テーブルの上には屋敷しもべ妖精たちが腕をふるった特別なごちそうが所狭しと並んでいた。
「ほら、レイチェルったら。食べないの?パンプキンプディング、好きだったでしょ?」
もちろんレイチェルも、ハロウィーン・パーティーは大好きだ。けれど、今日ばかりはあまり食欲をそそられなかった。もう皿の上はメインディッシュからデザートに変わったと言うのに、夕食が始まってからパンプキンスープとサラダ以外ほとんど喉を通っていない。目の前のごちそうより、気がかりなものがあるせいだった。
「せっかくのパーティーなんだから、楽しまなきゃ。レイチェルが緊張したって仕方ないじゃない。ちょっとは食べないと夜中にお腹空いちゃうわよ」
「うん……」
パメラが取り分けてくれたパンプキンプディングを掬って、レイチェルはのろのろと口へ運んだ。滑らかな舌触りの優しい甘さが、瞬く間に溶けていく。……やっぱり、ものすごくおいしい。思わずもう1口、とスプーンを伸ばしながらも、レイチェルの視線はつい教職員テーブルの方へと吸い寄せられてしまう。正確には、教職員テーブルの真ん中。ダンブルドアの正面に置かれたゴブレットへと。
炎のゴブレット────“公正なる選者”は、一体誰を選ぶのだろう。
長い時を経て復活した3大魔法学校対抗試合。ホグワーツの代表選手は一体誰になるのか。新学期が始まって以来生徒達の関心の的だったその結果が、いよいよ今夜決まろうとしている。
レイチェルはハッフルパフのテーブルへを振り向いた。セドリックは、何か熱心に話している下級生の男の子に微笑んで相槌を打っているようだった。それほど緊張しているようには見えない。……少なくとも、レイチェルよりずっとリラックスしている。その様子を見たら、何だか少し肩の力が抜けた。
セドリックなのか、アンジェリーナなのか、ワリントンなのか。それとも、他の誰かなのか。たった1人が選ばれると言うことは、選ばれない誰かが居ると言うことだ。代表選手の栄誉が与えられるのはただ1人だけ。“次”のチャンスがない人だって多い。選ばれなかった人達や、立候補したくてもできなかった人達は悔しい思いや、悲しい思いをするかもしれない。でも、できれば皆が選ばれた1人を祝福して、ホグワーツ生が一丸となって応援できるような、楽しいイベントになればいいなと思う。いや、きっとそうなるはずだ。
レイチェルは気を取り直してパーティーを楽しむことにした。
「そう言えば、良い知らせよレイチェル。やっぱり、カメラクラブの子が写真撮ってたって。現像したら見せてってお願いしておいた」
「本当? ありがとう、パメラ!」
「セドリックの写真なら、欲しいって子いっぱい居そうよねー。あとはクラムも」
おしゃべりに夢中になっているうちに、いつの間にか金の皿はすっかり空になっていた。パーティーの終わりが近づいている。いよいよ何か起きるはずだと、大広間の誰もがゴブレットに注目していた。素朴な木のゴブレットは、相変わらず静かに青白い炎を湛えている。
「ねえ、レイチェル。あのゴブレットの使い道って、対抗試合だけなの? 」
「んー……たぶんそのはず……本には、他にも何かに使われてるとは書かれてなかったと思うわ」
「ふーん。監督生とかクィディッチのキャプテンもあれで選べば便利そうなのにね! ってことは、100年以上もずっとひたすらあのまま燃え続けてたってこと? 燃料どうなってるわけ?」
「ゴブレットの炎は、強力な魔法契約ですもの。よほどのことでなければ使えないわ。それに、ゴブレットの炎は選手を選び終えたら……」
エリザベスがハッとしたように突然言葉を切った。ちょうど、ダンブルドアが立ち上がったところだった。レイチェルは心臓が跳ねるのを感じた。おしゃべりで満たされていた大広間は水を打ったように静まり返り、コウモリの羽音以外は何も聞こえなくなった。
「さて」
ダンブルドアは生徒達の期待に満ちた顔を見回し、微笑んだ。そして、あと1分ほどでゴブレットが代表選手を決定するだろうと告げた。たった1分────。レイチェルは膝の上でスカートを握りしめた。誰もが、ダンブルドアの言葉を一言たりとも聞き逃さないよう耳を澄ませていた。
「名前を呼ばれた者は、前に来なさい。教職員テーブルの後ろに、扉が見えるじゃろう。あの部屋で、代表選手として最初の指示が与えられる」
ダンブルドアが杖を振った。何百と言う蝋燭の炎は全て消え、ジャック・オ・ランタンの仄かな灯りだけが残った。暗がりの中だと、ゴブレットの炎はさっきよりもより明るく、より美しく神秘的に見えた。
ふいに、炎が鮮やかな赤へと変わり、火花を散らした。勢いを増し、高く燃え上がる。そして、炎の中から1枚の羊皮紙が吐き出され、ひらひらと宙を舞った。ダンブルドアがそれを手にし、読み上げる。
「ダームストラングの代表選手は────ビクトール・クラム!」
大広間中から歓声が上がった。レイチェルも精一杯拍手を送った。クラムらしき人影が大広間を横切り、隣の部屋へ続く扉の向こうへ消えるまで、割れんばかりの拍手と歓声は続いた。
けれどまた、すぐに静寂が訪れた。再び炎が赤く染まり、火花を散らしていたからだ。
「ボーバトンの代表選手は、フラー・デラクール!」
フラー────あの美少女だ。レイブンクローのテーブルの少し離れたところで、フラーが優雅に立ち上がった。暗がりの中でもやっぱり目を引く美しさだ。フラーが堂々とした足取りで前方へ進むのを眺めながら、レイチェルはいよいよ心臓の鼓動が早くなるのを感じた。炎がまた赤く燃え上がり始めている。残るはとうとう、ホグワーツの代表選手だ。
レイチェルは祈るように胸の前で両手を組み、ギュッと目を閉じた。怖くて見ていられない。ゴブレットはもう羊皮紙を吐き出しただろうか? ダンブルドアはもう、それを手に取っただろうか?
セドリックの名前が呼ばれますように。セドリックなら大丈夫。きっと選ばれる。セドリックでなければ、アンジェリーナ。セドリック。アンジェリーナ。セドリック。アンジェリーナ。セドリック……アンジェリーナ……。
「ホグワーツの代表選手は」
ああ、どうしよう。聞きたいけれど聞きたくない。自分の鼓動がうるさい。このままじゃたぶん心臓が破裂する。聞いて楽になってしまいたいけれど、聞くのが怖い。早く言ってほしい。嘘、やっぱりもう少しだけ待ってほしい。どうしよう、ああ、ダメ────。
「セドリック・ディゴリー!」
レイチェルはぱち、と目を開けた。そろそろと恐る恐る顔を上げる。周囲は大広間が揺れそうなほどの拍手と歓声が沸き起こっていた。聞き間違いでなければ、今、セドリックの名前が呼ばれた気がする。────セドリックが、代表選手?「レイチェル!レイチェル!聞いたでしょう? セドリックよ!」
「すごいわ! やった!セドリックが代表選手よ!」
ぼんやりしているレイチェルの肩を、パメラとエリザベスが両側から揺さぶる。
ようやく実感が湧いてきて、知らず頬が緩んだ。今テーブルの間の通路を歩いている、ゴブレットの炎に照らされてた顔は、確かにセドリックだ。セドリックが────レイチェルの自慢の幼馴染が、ホグワーツの代表選手!
「まさに人徳って感じね!ワリントンじゃこうはいかないわよ」
「パメラったら」
セドリックの姿が扉の向こうに消えても、拍手と歓声はは一向に鳴りやまなかった。レイチェルもすっかり手が痺れていたが、この嬉しさを表現するにはあと1000回拍手しても足りないだろうと思った。
もう遅いから今夜は無理だけれど、明日になったらおじさんとおばさんに手紙を出そう。セドリックにも……いや、セドリックには直接お祝いを言おう。
興奮とざわめきはまだ続いていたが、ダンブルドアが再び杖を振って大広間の灯りを戻したことで、ようやく生徒達は少し落ち着きを取り戻した。そのはずだった。
異変が起こったのはその直後だった。
大広間の誰も、恐らくはダンブルドアさえ予想しなかった、奇妙なことが起こっていた。ゴブレットは役目を終えたはずなのに、何故かまたその炎の色が変わったのだ。
一体、何が起きるのだろう?誰もが固唾を飲んで見守る中で、炎のゴブレットはさっきまでと同じ、1枚の焼け焦げた羊皮紙を吐き出した。羊皮紙を手にしたダンブルドアは、険しい表情でそこに書かれた文字を読み上げた。
「ハリー・ポッター」
静寂の中に響き渡った名前に、レイチェルは思わずぽかんとした。
どうして、ハリー・ポッターの名前が呼ばれるのだろう? だって、代表選手は各校1人ずつのはずで、もうセドリックが選ばれている。ホグワーツだけ2人では不公平だし、そもそもハリー・ポッターは年齢制限に引っ掛かるはずなのに。
「ハリー・ポッター!ここへ」
困惑したようなざわめきが広がる中、ダンブルドアが声を張り上げた。
レイチェルは────そしておそらく恐らく大広間中の誰もが────サッとグリフィンドールのテーブルへ視線を向けた。ハリー・ポッターは、この場に居る誰より戸惑っているように見えた。ふらふらと、覚束ない足取りでテーブルの間の通路を歩いていく。血の気が引いた顔色は蝋のように白く、驚愕した表情だ。そして、ダンブルドアに示されるまま、ハリー・ポッターは大広間の隣へ続く扉の向こうに消えた。代表選手達の居る部屋へ。
「どう言うこと? 選手ってそれぞれの学校から1人ずつじゃないの?」
「そのはずだけど……」
「しかも、ハリー・ポッターって17歳以上でもないし」
「わからないわ……先生方も困惑されているように見えたけれど……」
大広間はますます騒然としていた。声を張り上げなければ、隣に居るパメラやエリザベスとの会話すら一苦労だ。喜びに湧くグリフィンドールのテーブルと対照的に、ハッフルパフやスリザリンのテーブルは険悪な雰囲気だ。あまりに予想外の出来事に、誰もが事態を受け止めきれずにいた。
「どうやったのかしらね? 誰か上級生に頼んだのかしら? どう思う、エリザベス?」
「そうだとしても、2人選ばれる理由にはならないわ。だって、それなら、ゴブレットが選ぶのはハリーかセドリック、どちらか1人のはずでしょう?」
混乱はしばらく続いたが、教授達によって生徒は寮に戻るよう言い渡された。廊下を歩き、階段を上り、自室に戻るまでの間、すれ違う誰もがハリー・ポッターの話で持ちきりだった。
あの部屋に入って行ったと言うことは、ハリー・ポッターも代表選手として戦うのだろうか? 17歳以上の選手達に混ざって、まだ4年生の彼が? ……いや、でももしかしたら事情を聞くために呼ばれただけかもしれない。だって、ハリー・ポッターは年齢制限を満たしていないのだし。
気になることは山ほどあったけれど────レイチェルはふあ、と欠伸を噛み殺した。緊張が解けたからか、パジャマに着替えたら急に眠気が襲ってきた。柔らかなベッドに寝転び、天井を仰ぐ。ダメだ。今日はもう眠ろう。そもそも、考えたところで今のレイチェルにわかることはたぶんほとんどないだろう。セドリックなら、もしかしたら何か知っているかもしれないけれど。
セドリック。そう、セドリックだ。よくわからないことだらけだけれど、セドリックが代表選手に選ばれたのは間違いない。とても素敵で、とても嬉しいことだ。
明日の朝になったら、おめでとうを言いに行こう。そう決意して、レイチェルは睡魔に誘われるままに瞼を閉じた。