その日のスネイプ教授は機嫌が良くなかった。
ホグワーツの教授のほとんどがそうであるように、スネイプ教授は独自のカリキュラムを組むタイプで、必ずしも教科書のページの数字に合わせて授業が進むとは限らない。とは言え、教科書通りの順番よりも生徒が理解しやすいように計算されているし、次回の授業は何をやるかも説明してくれるので、予習などにも特に困ったりはしない。時々は教科書の内容を飛ばして、その分の授業時間をスネイプ教授が重点的に学ぶ必要があると判断したことにあてたり、スネイプ教授お手製のプリントが教材として配られたりすることもある。しかし一方で、ホグワーツが公的な教育機関である以上、魔法省によって定められている学習指導要領と言うものがまた存在する。

「アモルテンシア、魅惑万能薬。世界一強力な愛の妙薬です」

スリザリン生の1人が挙手して答えた薬の名称にスネイプ教授は5点を与えたけれど、その表情はいつにも増して苦々しそうだ。教卓の上に置かれた錫製の小さな鍋の中には、淡い薄紫色をした、とろりと艶やかな液体が静かに沸騰している。レイチェルからは少し距離があるけれど、それでもその魔法薬の香りが鼻腔をくすぐった。薔薇や紅茶、焼き立てのスコーンのバターとお砂糖の香り、それに新鮮なベリー。レイチェルの好きな香りばかりを集めてちょうどよく溶け合った、夢のような香りにうっとりしそうになる。が、スネイプ教授の視線がこちらへ向けられたのを感じて、レイチェルは思わず背筋を伸ばした。

「では、ミス・グラント。この薬を見分ける際の注意点について、答えたまえ」
「はい。まず見た目の特徴としては、湯気が螺旋を描くことが上げられます。また、薬液に真珠貝のような独特の光沢があります。材料に含まれている、ムーンストーンと真珠の粉末によるものです。これらはあらゆる種類の愛の妙薬に共通する特徴ですが、アモルテンシアの場合、薬液の香りがその人が何に惹かれるかによって変わるため、香りによって区別することができます」
「左様。レイブンクローに3点」

スネイプ教授の視線が自分から外れたので、レイチェルはほっと肩の力を抜いた。当てられるときちんと答えられるか不安になるのはどの授業も同じだけれど、マクゴナガル教授とスネイプ教授の授業は特に緊張する。特に、こんな風にあまり機嫌が良くなさそうなときには。
スネイプ教授は鍋の中に薬匙を差しこむと、2、3度かき混ぜた。ふわりと、薬液の芳香がより強く周囲に広がる。

「さて、ミスター・ディゴリー。君には一体何の香りがするかね」
「僕は……石鹸の香りと、ミントの香りがします。あとは、箒の柄の香りと、刈りたての芝と、それから……」
「結構。次。ミスター・ステビンズ」
「えっと……僕も、石鹸の香りと、ミントの香りが。それに……オレンジの香り? あっ、あとチョコレートファッジの香りも……」
「左様。人それぞれ香りが違うとは言っても、凡庸な諸君の場合、結果はさして変わらん」

そう言い放つスネイプ教授の口調は氷のように冷たい。
じゃあ、わざわざ聞かなければいいのに……。到底口には出せないけれど、たぶんクラスのほとんどの生徒が同じことを思っただろう。シン、と教室に重たい沈黙が流れるなか、白い手が挙がった。

「教授。質問してもいいでしょうか」
「……何だね、ミス・ボーヴォワール」
「今の私には、彼のコロンの香りがするんですけれど、これってやっぱり、その時惹かれるものによって香りも変わるんですよね? どの程度左右されるものなんでしょう? たとえば彼に魅力を感じなくなったら香りも変わると言うのはわかるんですけど、空腹のときには好きな食べ物の香りを強く感じたりするんでしょうか?」

今のスネイプ教授相手でも物怖じしないのか、クロディーヌがニッコリした。教授の眉間の皺が深くなったのを見て、レイチェルはハラハラした。
アモルテンシアの入った鍋からはうっとりするような素敵な香りが漂ってくるのに、教室の空気が重すぎて、陶酔や恍惚感は感じられない。レイチェルは目を閉じて、早く調合の時間になるよう祈った。

「『彼氏のコロン』って聞いたときの、スネイプのあの顔。フレッドにも見せてやりたかったな」
「もう……笑ってるのがバレたら減点されても知らないわよ」

大鍋にヤマアラシの針を入れながら楽しげに言うジョージに、レイチェルは眉を下げた。
今日の調合はアモルテンシア────ではない。アモルテンシアは、調合がものすごく複雑なのだ。そして、短い授業時間だけで調合できるような魔法薬でもない。今学んでいる単元が『ヒトの精神に作用する魔法薬』なので、その最も特徴的かつ強力な魔法薬として見本に説明されただけだ。今日の調合はそれよりもずっと調合が簡単な陶酔薬だ。ずっと簡単、なはずなのだけれど。

「………最近、全然魔法薬の調合が成功しない……」

自分の鍋の中で煮立っているものを覗いて、レイチェルは落ち込んだ。教科書通りなら今頃澄んだオレンジ色になっていなければいけないのに、鍋の中身は山吹色にくすんでいる。NEWTクラスになってからと言うもの、満足のいく調合ができたのはたったの2、3回だ。それ以外は、ぼんやりした効果しか出なかったり、1度は明らかな失敗作だったこともあった。NEWTの調合が難しいとは聞いていたけれど、ここまでだなんて。得意科目だと思っていたのに、自信を失くしそうだ。

「えっと……このタイミングでハッカの葉を入れて……あ、待って、ジョージ。催眠豆の汁は刻むんじゃなくて、平らな面で叩かないと」
「いっけね。そうだった」

レイチェルは板書を写した書き込みを読み上げた。教科書の手順には書いていない、スネイプ教授による補足だ。ハッカの葉を加えることで副作用を抑えられるし、催眠豆はその方がたくさんの汁が採取できるらしい。実際その通りで、ジョージが催眠豆を小刀で叩くと、催眠豆から汁が噴き出すのが見えた。スネイプ教授の魔法薬学の知識はやっぱりすごい。

「愛の妙薬かあ。あれ、女の子にはウケそうだよな。あんまり効果が強いものだとマズイけど、薄めれば……」
「薄めても惚れ薬は惚れ薬だと思うけど……それってジョークで済むものなの?」

レイチェルは首を傾げた。そう言えば、下級生の頃にセドリックも一服盛られて様子がおかしくなったので、医務室に連れて行ったことがある。それ以降、贈り主のわからない食べ物は気をつけていると言っていたっけ。あのときも思ったけれど、薬のせいで誰か────本当なら全然好きじゃない人に惹かれてしまうなんて、自分がやられたとしたら何だかちょっと嫌だ。

「誰か飲ませたい相手が居るなら、安くしておくけど」

からかうようなジョージの言葉に、レイチェルはぱちりと瞬いた。
……そうか。言われてみれば、自分が誰かに飲ませると言う選択肢もあるのか。そう考えたら、頭の中にパッとウッドの顔が浮かんできて、レイチェルは慌ててそのイメージを追い出した。

「そっ、そんな人居ないし……居たとしても、飲ませたりしないわ。だって……だって、フェアじゃないもの」

頬に熱が集まってくるのがわかって、レイチェルはジョージに気づかれないよう顔を背けた。
愛の妙薬は、その名前とは裏腹に本物の愛を作り出せるわけじゃないし、1度服用したくらいじゃ効果は長く続かない。それは、最も強力と言われるアモルテンシアでも同じだ。どんなに薬の効果が強くても、本当に人の心を手に入れることはできない。ただ、相手の意志を無視して、強烈な執着心を植え付けるだけ。だからそう。惚れ薬なんかに頼るなんて、よくないことだ。
レイチェルはそこで会話を打ち切って、薬の調合に集中しているフリをした。実際、スネイプ教授がすぐ近くまで巡回に来ていたので、それ以上おしゃべりを続けるのは難しかった。

「調合した薬は……薬の形を成していない場合も、全て提出するよう。1滴たりとも、教室の外に持ち出すことは許さん。見つけた場合は、処罰の対象とする」

授業の終わり、スネイプ教授に言い渡された言葉に、やっぱりなと思った。ちょっとした傷薬なんかの無害なものだと、調合したものを持って帰ってもいいと言われたりするのだけれど────勿論、教授に提出しても余りがある場合だけれど────今日はダメみたいだ。アモルテンシアほど強力ではないとは言え、陶酔薬も使い方を考えないとそこそこ危険なものだから仕方ないのだろうけれど。
結局、レイチェルの薬は教科書通りのハチミツのような黄金色にはならず、ほんの少し色が淡く仕上がった。周りには、鍋底の焦げを剥がしているような同級生も居るようなので、そこそこ上手くいった方なのだろうけれど……悔しいけれどたぶん、ジョージの方が完成度は上だ。ジョージの調合したものは、ほとんど教科書通りの色になったから。そう思ってジョージの大鍋の方へと視線を向けて、レイチェルは思わず眉を寄せた。

「ねえ……その……ちゃんと全部、提出用の瓶に入れた?」

思わずそう尋ねてしまったのは、ジョージの持っている小瓶の中身が、さっき見た大鍋の中身と比べて妙に少ないような気がしたからだ。最後に煮詰めなければいけなかったせいで、元々ほんの少しの量しか精製されないけれど、レイチェルと同じくらいはあったはずだ。だから提出用の小瓶に詰めたらほとんどいっぱいになるはずなのに、ジョージの瓶の中身は半分くらいしかない。それに、ローブのポケットが妙に膨らんでいる気がする。

「当たり前だろ? 持ち帰ったら処罰だって、聞いてなかったのかい?」

ジョージがそう言って肩を竦めた。
そうしてジョージは小瓶を教卓の上の提出用の木箱に入れると、授業の鐘の音と同時にさっさと教室を出て行ってしまった。……何だか、ますます怪しい。
まあ、たぶん、例のウィーズリー・ウィザード・ウィーズに役立てるつもりなんだろう。ちょっと注意が必要とは言え、毒薬と言うわけではないし、ジョージなら何だかんだまあ上手く使うのだろうけれど。
そんなことを考えながら調合に使った鍋や秤を片付けていると、机の下に羽根ペンが1本落ちていることに気がついた。レイチェルの物ではない。と言うことはたぶん、ジョージの忘れものだろう。

 

 

 

昼休みと、それから向こうは受講していない古代ルーン文字と薬草学の授業を挟んだせいで、次にジョージと顔を合わせたのは放課後になってからだった。アンジェリーナが教えてくれたとおり、双子は中庭に居た。木陰のベンチで何やら話しこんでいるところに近付いて、レイチェルは2人に声をかけた。

「こっちがジョージ……で、合ってる?」

自分を見返す2人の顔をしばらく見比べて、レイチェルは躊躇いがちに向かって右側に居た方に話しかけた。理由は、何となくそんな気がしたから。ぱちぱちと驚いたように瞬きするのを見て、レイチェルはあれ、と不安に思った。……間違えてしまっただろうか?

「へぇ。俺達の見分け付くようになったんだな」

もう1人の方────どうやらフレッドが興味深そうに呟いた。よかった。当たっていたらしい。レイチェルはホッと胸を撫で下ろして────それからはてと首を傾げた。

「……そうなのかしら?」
「おいおい、今、はっきり見分けただろ?」

確かに、結果だけ見ればそうなるのかもしれないけれど、はっきりとこっちがジョージだと確信を持って言ったわけじゃない。勘、と言うのとも違う気がする。雰囲気や表情で、こっちかなと思ったのだ。はっきりと違いを言葉にすることはできないのだけれど……本当に何となく。たまたま今回は正解しただけかもしれないし、次以降も間違えない、と自信を持って宣言するのは無理だ。

「でも、たぶん、貴方達が1人で居るときは、まだ見分けられない気がするわ」
「まあ、家族でも間違えちまうからな」

フレッドがあっけらかんと言った。アンジェリーナやアリシアは慣れれば見分けがつくと言っていたけれど、レイチェルは2人ほど双子といつも一緒に過ごしているわけじゃないし、そのレベルに達するまではまだ時間がかかりそうな気がする。とは言え、いくらそっくりだからと言って、いつまでも友人の見分けがつかないと言うのも何だか申し訳ないし、2人の違いがわかるようになればいいな、とは思うけれど。

「俺に何か用かい?」
「あ、そうだったわ。はい、これ。魔法薬学の教室に忘れて行ったから。たぶん貴方のでしょ?」
「ああ。どこかで落としたのかと探してたんだ。ありがとな」
「どういたしまして。あっ、そうだわ……やっぱりさっき、陶酔薬を持ち帰ったでしょう? スネイプ教授も怪しんでたわよ」
「何の話だい?さっぱりわからないな」

とぼけるジョージに、レイチェルは全くもう、と溜息を吐いた。
ジョージが瓶を提出したとき、スネイプ教授はちょうど焦げ付いた薬ごと鍋底を溶かしてしまった同級生に注意をしていたせいで目が離れていたのだ。ジョージの名前のラベルが付いた瓶を見るスネイプ教授の目つきはとても恐ろしかったけれど────たぶんジョージのことだから、もう瓶ごとどこかに隠してしまっているのだろう。証拠が見つからなければ、減点も処罰も無理だ。

レイチェル。ちょっと良いかな」
「セド?」

渡り廊下からこちらへと向かってくる幼馴染の姿に、レイチェルは目を見開いた。息を切らしているセドリックは、どこか急いだ様子だ。何か困ったことでもあったのだろうか? レイチェルは双子に別れを告げて、セドリックの元へと駆け寄った。

「セド、どうしたの?」
「探してたんだ。僕、今日は急に監督生の仕事が入って……約束、明日に変えてもらってもいいかな」
「……それ言うために探してくれたの?セド忙しいんだし、誰かに伝言してくれても良かったのに」

そうでなければ、別にふくろう便でも構わなかったのに。律義なのは相変わらずだ。確かに、マグル学のレポートを一緒にやろうと話してはいたけれど、締め切りまではまだ時間があるから、どうしても今日でなければいけない理由はないのだ。

「明日……って、水曜日よね。えっと、私は大丈夫」
「助かるよ。いつもごめん」
「謝らなくていいわよ。怒ってないもの」

そもそも、別にセドリックが悪いわけでもないのだし。教授達の都合によっては、監督生の仕事は急に決まることもあるし、こればかりは仕方のないことだ。
そんな会話の間に、ふとセドリックの肩越しにフレッドとジョージがベンチから立ち上がって移動するのが見えた。視線が合ったせいか、こっちに向かってひらひらと手を振る2人に、レイチェルも小さく振り返す。その動作を不思議に思ってか、肩越しに後ろを振り返ったセドリックが、「ああ」と納得したように頷いた。

「ごめん。もしかして、彼らと話の途中だった?」
「ううん、大丈夫。ちょうど終わったところだったから」

申し訳なさそうに表情を曇らせたセドリックに、レイチェルは首を横に振った。確かにまあ話の途中と言えば途中だったけれど、忘れ物を届けると言う用事は終わっていたので別に問題はない。セドリックはほっとしたような表情になると、レイチェルを見つめて小さく呟いた。

「最近、ウィーズリーと仲が良いよね」
「……そう?」

確かに、6年生になってから2人と顔を合わせる機会が増えた。特にジョージとは、老け薬のことなんかもあったせいか、去年よりよく話すようになった気がする。今までグリフィンドールとの合同授業か選択科目でしか会う機会がなかったのが、NEWTになって全科目合同になったせいだ。もっとも、フレッドとジョージはそれぞれ履修している授業の数が少ないから、それを言うならセドリックと顔を合わせる機会だって増えているのだけれど。

 

 

 

1人で向かった図書室で、レイチェルは本棚の間にある、奥まった静かな席を選んだ。魔法薬学のレポートを進めようと羊皮紙を広げてはいるものの、あまり順調とは言い難かった。単純に課題が難しいのもあるけれど、さっきのセドリックの言葉が妙に頭に引っかかっていたせいだ。
ウィーズリーと仲が良い……セドリックの目には、そう見えているのだろうか。フレッドとはそんなに親しく会話をした記憶がないので、セドリックの言うウィーズリーとはたぶんジョージのことだろう。前から一応、ジョージとは友達のつもりだけれど……そんなに、他人から見てわかるほど変化があっただろうか?
そんなことを考えていたら、本棚の陰から当の本人が現れたので、レイチェルは思わず叫び声を上げそうになってしまった。

「びっくりした……えっと……ジョージ?」
「当たり」

レイチェルが躊躇いがちに聞けば、ジョージがニヤッとした。ジョージには申し訳ないけれど、やっぱり今回も見分けられたかと言われるとそうでもない。単純に、最近レイチェルによく話しかけてくるのはジョージだから、そうかなと思ったのだ。

「老け薬の調合、成功しそうだぜ。君のおかげかな」
「それはよかったわ」

わざわざそれを伝えに来てくれたらしい。老け薬は以前授業でも調合したことがあるし、元々そんなに調合が複雑な薬と言うわけでもないので、双子ならば難なく成功させるだろうとあまり心配していなかった。用件はそれで終わりなのかと思ったけれど、ジョージがそのまま隣の椅子に座ったので、レイチェルは少し驚いた。

「それ、魔法薬学の課題かい?」
「そう。先週出されたの、木曜日まででしょ。……もう終わった?」
「いや。俺はまだ手つかずだ。スネイプの奴、どんどん課題が陰湿になるよなあ」

手つかずだと言う割に、ジョージの口調は呑気そうだった。ジョージの言い方には問題があるけれど、それは事実だった。魔法薬学は授業で扱う調合の手順がどんんどん複雑になるばかりでなく、課題もまたとんでもなく難しくなってきていた。しかも厄介なことに、魔法薬学は受講している人数が少ないので、聞ける相手が限られる。受講者の中にはセドリックも居るけれど、魔法薬学は唯一セドリックに勝てる科目なので、何となくセドリックには聞きたくないのだ。

「……ねえ、ジョージ。これ、どう言う意味かわかる?」
「ん? ああ、これは……」

その点、ジョージには聞きやすい。今までずっと魔法薬学はハッフルパフとの合同授業だから知らなかったけれど、ジョージの魔法薬学のセンスはずば抜けている。ヒントをもらって、レイチェルが再び羽根ペンを片手に参考書とにらめっこしていると、ジョージは大きなあくびを噛み殺していた。思わず視線を向けると、ジョージは苦笑して頬をかいた。

「昨日の夜、新しい悪戯グッズのアイデアを思いついてさ。あんまり寝てないんだ」
「……夕食まで寝た方がいいんじゃない?」

今日はこの後天文学の授業があるし────確かジョージも受講していたはずだ────この様子だと夜中まで意識を保っているのは難しいだろう。夕食の時間まで、まだ1時間ちょっとあるし、少しの時間でも眠った方が良さそうな気がする。

「そうする」

ふあ、ともう1度あくびをしたジョージがそのまま机にうつぶせになったので、レイチェルは驚いた。

「えっ……ここで寝るの?」
「君が今言ったんじゃないか。夕食まで寝たら、って」
「言ったけど……」

寮まで戻って自分の部屋で、と言う意味だった。どうせ短い時間なら、絶対ベッドに横になった方がよく眠れそうなのに。寮まで戻るのすら億劫なほど眠気がひどいんだろうか?だとしたら余計ベッドで寝た方が良い気がするけれど。レイチェルの困惑をよそに、ジョージはもうすっかりここで眠るつもりのようだった。

「……夕食の時間が来たら、起こせばいいの?」

ジョージに向かって囁いてみても、返事は返って来なかった。代わりに、小さく規則正しい寝息が聞こえてくる。レポートに目処がついたら、一度寮に戻ろうと思っていたのに……これじゃあ無理だ。レイチェルは溜息を吐いた。何だか元通り課題をやる気にもなれなくて、何とはなしに目の前で眠るジョージを観察する。腕に隠れてしまって半分見えないけれど、寝顔はどこかあどけなくて、いつものジョージよりも少し幼く見える。
……ちょっと可愛い。思わずそんなことを考えて、レイチェルは動揺した。

セドリックの言う通りかもしれない。何だか最近、急にジョージとの距離が縮まっている気がする。

とは言え、その原因が主に老け薬の一件や魔法薬学の授業にあることは間違いないし、ただ単純に顔を合わせる機会が増えているからそう思うだけのような気もする。あと、レイチェルには元々異性の友人はあまり多くないから意識してしまうだけで────ジョージにとっては、これくらい別に普通のことなのかもしれない。誰に対しても、こんな感じの距離感なのかも。アンジェリーナやアリシアとだってかなり仲が良いし……。
レイチェルは無意識のうちに、自分の髪に触れていた。図書室に2人きりと言う状況が似ているせいか、ふとこの間図書室でのジョージの言動が浮かんだせいだ。あれはやっぱり、思わせぶりだなと思ったけれど……アンジェリーナやアリシアに対しても、あんな風にからかったりするんだろうか。

「あら、レイチェルじゃない」

ふいに背中から声をかけられて、思わず肩が跳ねる。驚いて振り向くと、クロディーヌだった。どうやら、クロディーヌはレイチェルが1人で勉強していると思ったらしい。こちらへと近づいてきたことでジョージの存在に気づいたらしいクロディーヌは、「あら」と目を細めた。

「もしかして、貴方達、付き合ってるの?」
「そんなわけないでしょ……」
「ふぅん?」

クロディーヌが可愛らしく小首を傾げてみせた。悪気のなさそうな口調だったけれど、わかっていてわざと聞いているんじゃないかと思ってしまう。ジョージとレイチェルが恋人同士だなんて、一体どうしてそんな勘違いができるのだ。

「でも、気を許してなきゃ貴方の前で眠ったりしないと思うけど」

クロディーヌが続けた言葉に、レイチェルは目を瞬いた。確かに、眠っているときと言うのはかなり無防備だし、あまり親しくない人には見られたくない姿だろうけれど……。楽しげに微笑むクロディーヌに、レイチェルはゆるゆると首を振った。

「……ただ単に、女の子として意識してないだけだと思うわ」

レイチェルも以前、図書室で眠ってセドリックに起こしてもらったことがある。自分の身に置き換えてみると、『気を許している』のは確かだろうけれど────それは、クロディーヌが期待しているような方向性とは違う気がする。

「この間も、『危なっかしい』なんて言われたし……」

好きな相手の前だったら────そうでなくても少しでも異性として意識している相手の前だったら、こんな風に眠るなんて逆にできないだろう。少なくともレイチェルは、ウッドの前で寝るなんてできそうにない。緊張するし、寝顔を見られるのも恥ずかしいし。そう考えてみると、やっぱり、ジョージのこの行動は単にレイチェルのことをただの友人としか思っていないからな気がする。
この間の階段での一件を思い出して、レイチェルが思わず眉を寄せると、クロディーヌがクスクス笑ってみせた。

「それって、『放っておけない』とか『守ってあげたくなる』って意味かもしれないわよ?」

そう言って、クロディーヌはローブを翻して通路の向こう側へと行ってしまった。言いたいことだけ言ったら満足して会話を切り上げてしまうのは相変わらずだ。
たぶんそんな意味じゃない。レイチェルはそう言いたかったが、クロディーヌに届くような声量を出せばマダム・ピンスが飛んできそうだし、ジョージを置き去りにして追いかけるわけにもいかない。何だか行き場のないモヤモヤを抱えたまま、ハッとしてジョージへと視線を向けた。……よかった、寝ている。今の会話が聞かれてしまった心配はなさそうだ。気持ち良さそうにスヤスヤと眠っているジョージを見下ろして、レイチェルは途方に暮れた。さっきのクロディーヌの言葉が、頭から離れない。
守ってあげたくなる?まさか、そんなはず────ない、はずだ。でも、クロディーヌはレイチェルよりずっと恋愛経験が豊富だし、もしかしてクロディーヌの言うことの方が当たっている可能性もあるのだろうか?いや、でも、ジョージは友達だし、そんなはず────。

ぐるぐると考えていたら、ジョージを起こす時間になるまで、結局レポートは1行も進まなかった。

愛の妙薬

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