思い返せば、どうしてかいつもレイチェルの人に見られたくない場面には、不思議とジョージが居合わせるのだ。この間の階段での一件や、ホグワーツ特急のときだけじゃない。泣いていたり、嫌がらせされていたり、泣いていたり、階段から落ちて足を捻ったり、泣いていたり。本当に、偶然、何故か。
「それにしても、『危なっかしい』って……ちょっと失礼だと思わない? 確かに、私、『しっかりしてる』とは言えないかもしれないけど……ジニーより3つも年上なのよ」
今回も、それ以前も。助けてくれたり、慰めてくれたことは、ジョージに感謝している。
でも、それとこれとは話が別と言うか……確かにまあ、危なっかしいかもしれないと自分でも思わなくもない。でもそれは、日常的にいつもそうなわけじゃない。レイチェルだってそんなに頻繁に泣いてばかりいるわけでも、階段から落ちかけているわけでもないのだ。ジョージの目にそんな風に映ってしまったのは、仕方ないのかもしれないけれど……あれがレイチェルのいつもの姿だと思われているのだとしたら、それは誤解だと否定したい。それに、同学年の男の子に妹みたいに扱われるのはやっぱりちょっと心外だ。……セドリックは別として。
レイチェルが眉を寄せれば、黙って聞いていたハーマイオニーは何だか難しい表情になった。
「ハーマイオニー?」
「それって、もしかして……ううん、何でもないわ」
ハーマイオニーは何か言いたげな表情だったが、結局は口に出さないと決めたらしい。ハーマイオニーが何を考えたのか気になったけれど、こうなると、何度聞いたところで教えてはくれないのだ。一体何を言うつもりだったのだろうと不思議に思っていると、ふと膝の上に重みを感じた。
「こんにちは、クルックシャンクス」
ニャア、と返事をしたハーマイオニーの愛猫は、くつろいだ様子で丸くなった。レイチェルの膝の上に自主的に乗ってくれるのは珍しいので、何だか嬉しい。ふわふわのオレンジの毛は、いつもハーマイオニーが丁寧にブラッシングしているだけあって、とても手触りがいい。気持ち良さそうに目を細める様子が可愛らしくて、レイチェルも思わず口元が緩んでしまった。
「SPEWの活動、うまく行ってるの?」
「まあまあね。少しはメンバーも増えたけど……でも、やっぱり皆あんまり乗り気じゃないわ」
ハーマイオニーが眺めている羊皮紙に並んだ名前は、以前見たときよりも増えているように思えた。その中にはレイチェルと、それからエリザベスやパメラの名前も入っているけれど────ハーマイオニーほどの熱心さはないので、活動と言えるような活動はできていない。ハーマイオニーは溜息を吐くと、くるくると羊皮紙を丸めて鞄にしまった。どことなく疲れた様子だ。よく見れば目の下に薄っすらと隈がある。寝不足なのかもしれない。
「ねぇ、レイチェル。OWLの過去問っていつくらいからやり始めた? やっぱり、5年生になってからじゃ遅いわよね? マクゴナガル教授もそう仰ってたし……」
「えっ?」
ハーマイオニーの質問に、レイチェルは目を白黒させた。てっきりSPEWのことで寝不足なのかと思ったけれど、もしかして、まさか単に勉強のしすぎで? しかも、聞き間違いでなければ、今、OWLの単語が聞こえた気がする。レイチェルの記憶が確かなら、ハーマイオニーはまだ4年生になったばかりなのに!
「OWLの過去問なんて、私、手をつけたの5年生のイースター休暇になってからよ! 周りも皆……そう! あの、セド……セドも10科目全部優だったけど、確か過去問やってたのその時期からだったもの! だから、その、今から心配しなくても……ハーマイオニーなら絶対大丈夫よ!」
「そう……?」
ハーマイオニーが勉強熱心なのは今に始まったことじゃないけれど、まさか今からOWLの心配をしているなんて。そう言えば確かに、レイチェル達も4年生になった頃、「そろそろOWLを意識しなければ」みたいなことを言われた気がするけれど……それにしたって気が早すぎる。今からOWLのことを考えていたら、本番を迎える頃には神経衰弱になってしまう。勝手にセドリックのOWLの結果を言ってしまったことは申し訳ないけれど、どうやら『全科目優』の言葉にハーマイオニーも一応納得してくれたようだ。何か、他にもっと楽しい話題はないだろうかと、レイチェルは思考を巡らせた。
「……そう言えば、ハーマイオニーのところにも届いた? ドレスローブ」
「届いたわ!レイチェルも?」
同じ日に買ったのだから、きっともう手元に送られてきているだろうと思って聞いてみれば、やっぱりだ。どうやらハーマイオニーの関心がOWLから無事逸れたらしいことに、ほっとした。それに、バタバタしていたから話せていなかったけれど、ドレスのことは言わなければと思っていたのだ。レイチェルはあの日一緒に選んだハーマイオニーのドレスのデザインを思い出す。光沢のある綺麗なベビーブルーのドレスは、ハーマイオニーの雰囲気にぴったりだった。
「アクセサリーはもう決めた? 私達はホグズミードで選ぼうって話をしてるんだけど……」
「ええ。ママが、アクセサリーや靴は任せてって、張り切っちゃって……」
ハーマイオニーが照れくさそうに言った。もしもまだ決まっていないのなら、一緒に買い物に行くのはどうかと誘うつもりだったのだけれど────パメラもエリザベスもそうしたらどうかと言っていたし────もう決まっているのならそれはそれで安心だ。ドレスのことを思い浮かべたのか、ハーマイオニーがはにかんだ。
「やっぱり素敵なドレスだったわ。ちょっと派手だし、着こなせるか自信ないけど……」
「そんなことないわ。よく似合ってたもの」
「レイチェルの友達も言ってたじゃない? シニョンにしたら、素敵なんじゃないかって。私もそう思う。……そのためには、この髪をどうにかしなきゃいけないのよね」
ハーマイオニーが深い溜息を吐いた。そう言えばいつだったか、髪を毎朝セットするのは時間がかかりすぎるから諦めたのだと言っていた。下ろしたままだと結局、夕方になればまた広がってきてしまうし、結んだりまとめたりするのもうまくいかないのだ、と。
「ハーマイオニーの髪、私はそのままでも素敵だと思うけど……」
「……ありがとう、レイチェル」
ハーマイオニーが自分の髪をコンプレックスに思っているらしいことは聞いたことがある。少し癖のある、ふわふわの栗色の髪。出会ったときからずっとそうだったから、ハーマイオニーらしくてレイチェルは好きだけれど、量が多くて広がりやすい髪質のようだから、確かにパーティーらしく結い上げるとなると少し難しいのかもしれない。
「何だっけ。クロディーヌが教えてくれたんだけど……えっと、そう……『スリーク・イージーの直毛薬』! ふくろう通販で売ってるみたい。短時間なら、どんな寝癖や癖毛も真っ直ぐになるって」
ただ、クロディーヌの話によると、強力なだけあって高価で、コストパフォーマンスはあまりよくないらしい。レイチェルも商品名を聞いて調べてみたことがあるけれど、確かに学生のお小遣いではなかなか厳しい価格設定だった。クロディーヌの場合は、たまに寝癖がついたときくらいしか使わないから問題ないとのことだったけれど。レイチェルがそう付け加えたが、ハーマイオニーは特に気にした様子もなかった。
「試してみるわ。せっかく素敵なドレスを着るんだから、髪型だってこだわりたいもの」
真剣な表情でそう言い切るハーマイオニーにレイチェルは圧倒されたが、ドレスについてあれこれと話すのはOWLの話題よりずっと楽しかった。ハーマイオニーのルームメイトのドレスもやっぱり先日届いて見せあいっこしたらしいけれど、それぞれ選んだドレスにはかなり個性が出たらしい。当日────結局まだいつかはわからないけれど────上級生の女の子達はほとんど全員ドレスアップするのだろうから、きっと色々なドレスが見られるのだろう。
おしゃべりに夢中になっていたら、レイチェルの膝の上でクルックシャンクスが退屈そうに欠伸をした。
木曜日には、ムーディ教授の防衛術の授業があった。内容は引き続き、服従の呪文の実践だ。
パメラによれば、レイチェルはまたしても教室の真ん中で無意識のうちにセレスティナ・ワーベックを歌ってしまったらしいが、セドリックは2回目の挑戦にして見事、呪いを打ち破った。
「うーん。何だろう、感覚的と言うか……説明しにくいんだよ」
授業が終わって、何かコツはあるのかと聞いてみたら、全くもって参考にならない答えが返ってきた。特に意識したわけじゃないけれど、何となくできるようになったと。これがムーディ教授の言う“素質”と言うものなのだろうか。たとえばセドリックが生まれつき黒髪なことだとか、瞳が綺麗なグレーであることとか、鼻筋が通っていることだとか、隔世遺伝で祖父に似て背が高いことと同じで。レイチェルは思わず溜息を吐いた。
「……まあ、セドが呪いに耐性があるのは何よりだけど」
羨ましい気持ちはあるけれど、まあ、逆よりはよかったのだろう。代表選手に立候補するのは、レイチェルではなくセドリックなのだから。呪いへの耐性があるとわかったのは良いことだ。闇の魔術や服従の呪文はさすがにないだろうけれど、たぶん課題には呪いへの対処なんかもあるのだろうし。
角を曲がって広い廊下へと出ると、何だか妙に騒がしかった。向こうの方で、どうやら下級生の男の子達が喧嘩をしているようだ。セドリックが困ったように眉を下げて、レイチェルを振り向いた。
「……ごめん、レイチェル。僕、あれを止めてくるから、先に行ってて」
「んー……待ってるわ。急いでるわけじゃないし。むしろ、何か手伝える?」
「ありがとう。1年生の喧嘩みたいだし、とりあえず大丈夫かな」
「わかったわ。頑張ってね」
確かに喧嘩はレイチェル達に進行方向は逆だけれど、どうせこの後図書室でレポートを一緒にやる予定だったのだから、先に行っても大して変わりはない。エリザベスもそうだけれど、監督生は大変だ。
ぼんやり立っていても仕方ないので、レイチェルは足元の段差へと座り込んだ。それにしても、だ。服従の呪文に対抗するにはどうしたらいいのだろう? 残念ながら、自分は呪いに強くない性質だと言うことがわかっただけでも大きな収穫なのだろうけれど、それだけじゃダメだ。とは言え、大人の魔法使いでも抵抗できないのに一体どうやって────? いや、体質なら年齢は関係なのだろうけれど、呪いへの耐性って一体具体的に何をすれば強くなるものなのだろう。呪いを打ち破ってみせたクラスメイト達を観察してみても、結局よくわからなかった。セドリックもフレッドもジョージも、クィディッチ選手だ。長時間箒に乗っていることと何か関係があるのだろうか。いや、でもロジャーはクィディッチ選手だけれどレイチェルと同じく服従の呪文にあまり抵抗できてないみたいだったし……。
「あの……大丈夫?」
すっかり考え事に耽っていたレイチェルは、その声が自分に話しかけられているのだと気づくまで、少し時間がかかってしまった。いや、気づいた後ですら自分に話しかけているのだと言う実感が持てなかった。俯いていた顔を上げて視線の先に居たその相手が、レイチェルにとっては予想外の人物だったからだ。
「え? ええ……少し、考え事をしていたの」
レイチェルは戸惑いながら返事をした。確かにあまり楽しいことを考えていたわけではなかったけれど、通りすがりに心配されてしまうほど、暗い顔をしていただろうか。レイチェルが不思議に思っていると、声の主────ハリー・ポッターは何だか気まずそうに眉を下げた。「アー……そうなんだ。ごめん、その……僕、勘違いしたんだ。君が、何て言うか……また、誰かに何か嫌なことを言われたのかと思って」
困ったように頬を掻くハリー・ポッターに、レイチェルはあっと声を上げそうになった。
そう言えばここって、以前セドリックを好きな女の子達に頬を叩かれて────そして、それをハリー・ポッターに見られてしまった場所だ。確かに、そのときと全く同じ場所で、そのときと同じ人物が何か思い詰めるような表情をしていたら、もう1度同じことがあったんじゃないかと考えるだろう。
ハリー・ポッターに話しかけられた理由に納得したら、思わず笑い声が漏れてしまった。勘違いがおかしかったわけじゃない。このやり取りに、何だか既視感があったからだ。ハリー・ポッターがきょとんと目を丸くする。レイチェルはクスクス笑いの発作の中、どうにか言葉を続けた。
「笑ったりしてごめんなさい。だって、まるで────」
だってまるで、初めて会ったときと同じなんだもの。あのときは、勘違いして声をかけたのはレイチェルの方だったけれど。そう続けようとして、レイチェルはハッと気が付いた。
────あの日ダイアゴン横丁で出会ったのがレイチェルだと、ハリー・ポッターは知らない。
「……何でもないわ。えっと、あのときの子達とは仲直りできたから、もう大丈夫」
「よかった」
「心配してくれて、ありがとう」
「どういたしまして。でも、僕、何もしてないよ」
ハリー・ポッターと話すのは、何だかいつも少し緊張する。
向こうもたぶん、レイチェルの顔と名前くらいは────名前はもしかしたら知らないかもしれないけれど、少なくとも顔は────覚えているのだろうけれど、彼との関係性を何と言うのが相応しいのか、正直よくわからない。友達、ではない。知り合い、と呼ぶのすら、少し距離があり過ぎるような気がする。お互い共通の友人を通して話を聞いているだけで、ほとんどしゃべったこともないのだから。顔見知り。たぶん、それ以上でもそれ以下でもない。
ボタンを掛け違ったせいで、“友達”や“知り合い”になり損なってしまった。強いて言うならば、そんな表現が近いような気がする。
特別扱いを当然だと思っている、傲慢な男の子。そう思って彼のことを嫌っていたけれど、そんな印象は結局レイチェルの思い違いだった。そうするべきだと思い込むと、どんなに危険な冒険にでも突き進んでしまう傾向はあるようだけれど、注目されたいからだとか、英雄気取りでそうしているわけじゃない。
彼は目立つから────と言うより、周りが彼の言動に興味津々で騒ぎ立ててばかりだから、そう見えてしまったのだ。トラブル体質なのは間違いないけれど、トラブルがハリー・ポッターの方に飛び込んでくるのだと言うハーマイオニーの言葉は真実なのだと、今ならわかる。
特別扱いを望んでいるのはハリー・ポッターじゃない。“生き残った男の子”には特別であってほしいと願うから、周囲が勝手に彼を特別扱いする。あの気弱そうな小さな男の子には、自分達とは違う“何か”があってほしいと、そんな風に。……まあ、今はもう“小さな男の子”ではないけれど。彼は普通じゃないと、スポットライトを浴びる側の人間なのだと、線を引く。
あの夏の日、もしもハリー・ポッターと出会わなかったら。みんなと同じに、組み分けの儀式で“生き残った男の子”としてハリー・ポッターを初めて見ていたら。もしかしたらレイチェルは、あんな風にハリー・ポッターを嫌うことはなかったのかもしれない。
周囲に合わせて、一体どんな子なんだろうと期待を膨らませて、彼の活躍や規則破りをゴシップとして無邪気に楽しんでいたかもしれない。やっぱり彼は私達とは違うねと、そんな風に。
でも────どうしてもレイチェルの中では、あの不安そうにしていた小さな男の子の印象が抜けなくて。勝手に彼を特別扱いする周囲にもやきもきして、彼がそれを受け入れているように見えたことも、無謀なことばかりすることも、その無謀にハーマイオニーまで巻き込むことも、その無謀を彼にだけ当然のように許す周囲も、何もかもに苛立ってしまった。彼の存在がセドリックの努力を踏みにじっている気がして、悔しかった。レイチェルが出会った“小さな新入生の男の子”と、周りが噂する“生き残った男の子”がかけ離れていくほど、彼がものすごく傲慢で嫌な奴に見えて。勝手に彼に期待してそれを押し付けていたのは、たぶんレイチェルも同じだった。
『僕と、ダイアゴン横丁で会いませんでしたか』
かつて、レイチェルにそう問いかけてくれたハリー・ポッターに、人違いだと答えたのはレイチェル自身だ。あのときは、そうした方が良いと思ったから。
ハリー・ポッターが何を言おうとしてレイチェルにそれを聞いたのかは今となってはわからないし、もう知る機会もないだろうけれど────嘘を吐くのはよくないことだと言うことくらいわかっていたけれど、YESと返事をするのが正しい答えだとも思えなかった。あの頃のレイチェルはハリー・ポッターのことが大嫌いで、ハリー・ポッターがダイアゴン横丁で出会った少女とはまるで別人だったから。結局、その少し後にレイチェルの中のわだかまりは溶けて、ハリー・ポッターへの悪感情はほとんどなくなったのだけれど。
あのとき、もしも「そうだ」と認めていたら。もしくは、あの質問をされたのがレイチェルがハリー・ポッターを嫌いじゃなくなってからだったとしたら。そうしたら今頃、“友達”と呼べるような関係だったのだろうか。
ううん、もっと早く。彼を嫌いになってしまう前に、あの日ダイアゴン横丁で会ったねと声をかけていたら。
でも、思わずそんな風に考えてしまうくらい、どうしてかいつも、ハリー・ポッターとレイチェルのタイミングは合わないのだ。そう言う巡り合わせなのかもしれない。
ハリー・ポッターが、何か理由があって“あの日ダイアゴン横丁で会った上級生”を探していたのなら────今からでも、あのとき会ったのは自分だと、伝えるべきなのだろうか?でも、何だかそれも今更と言うか、都合が良すぎるような気がした。
だって、何と言って伝えるのだろう? どうしてあのときは否定して、今になってやっぱりそうだと言い出すのか、ハリー・ポッターが不思議に思わないわけがない。あなたが嫌いだったから嘘を吐きましたと、正直に伝える? それとも、あのときは忘れていたけれど思い出したのだと、また嘘を重ねる?
嘘を上塗りすることはしたくない。でも、だからと言って、真実を打ち明けることが正しいとも思えない。だって、どう考えたってハリー・ポッターを嫌な気持ちにさせるだけだ。
ドラコやハーマイオニーとがそうだったみたいに、ケンカをしてしまったのなら、わだかまりが解ければ仲良くすることもできる。双子やクロディーヌとがそうだったように、相手の苦手なところよりも長所に目を向けたり、そもそもその苦手だと感じていた部分が相手の魅力なのだと考えを変えることできれば、少しずつ歩み寄ることもできる。
けれど、ハリー・ポッターの場合はそのどちらでもない。
レイチェルが一方的に嫌っていただけだけだし、そもそもたぶんハリー・ポッターは自分がレイチェルに嫌われていたことなんて知らない。嫌っていた理由だって、レイチェルの勝手な誤解と思い込みだ。真実を吐き出してしまえば、たぶん、レイチェルは今よりずっと気持ちが楽になる。嘘を吐いたままで居ることは後ろめたくて、息苦しいから。ハリー・ポッターに親切にされるたびに、居た堪れなくなるようなこともなくなるだろう。
ハリー・ポッターはそもそも怒っていないから、きっとレイチェルを責めない。優しい男の子だから、気にしないと、許すと言ってくれるだろう。……きっとそうなると予想がついてしまうから、伝えてはいけないような気がする。
だってそんなの、ハリー・ポッターへの謝罪なんかじゃない。自分の罪悪感を軽くしたいだけの、自己満足だ。彼に対して本当に罪悪感があるのなら、たぶんこのまま黙っているべきなのだろう。レイチェルさえ口を閉じてしまえば、ハリー・ポッターは何も知らないままなのだから。
気づかないうちに、誰かから理不尽に嫌われていたこと。嘘を吐かれていたこと。そんな事実を伝えたところで、困らせたり、傷つけることはあっても、相手が嬉しいと思うはずがないんだから。
「レイチェル! ごめん、遅くなって」
……そう言えば、セドリックを待っていたんだっけ。
どうやら無事に喧嘩の仲裁は終わったらしい。急ぎ足で戻ってきた幼馴染の姿に、レイチェルも立ち上がった。詰まった本と教科書のせいか、肩にかけた鞄はやけに食い込んで、何だかつられて足取りまで重くなってしまう。
「……レイチェル、何かあった?」
「ううん、何も。お疲れさま、セド」
不思議そうな顔をするセドリックに、何でもないと笑ってみせる。
そう、別に特別なことなんて何もなかった。ただ、廊下に座り込んだりしていたから、心配して親切に話しかけられただけ。客観的に見れば、それ以上でもそれ以下でもない。
「……下級生に減点するのって、未だに慣れないよ。10点は引きすぎだったかな……」
「セド、毎回それ言ってるわよね。もう監督生になって1年以上経つのに」
どことなく気落ちした様子で溜息を吐くセドリックに、レイチェルは思わず苦笑した。
まあ、セドリックらしいなとも思う。監督生になってすぐの頃は、「そのうち慣れるんじゃない?」なんて励ましたけれど、最近ではきっと卒業までこのままだろうなと考えが変わりつつあった。動揺しそうだから、本人には言わないけれど。慣れと言うよりも、たぶん性格の問題だろう。セドリックの誠実さ。誰に対しても公正でありたいと願っているから、悩んでしまう。
────“誠実”。今のレイチェルにとっては、何とも耳の痛い言葉だ。
自分が悪いとわかっているくせに、何もしないのは不誠実な気がして、落ち着かない。けれど───自分に誠実であろうとすれば、ハリー・ポッターに真実を伝えなければいけない。思い込みで嫌っておいて、気持ちを軽くするために更に彼を利用するのは、このまま黙っていること以上にハリー・ポッターに対して不誠実な気がする。自分への誠実さと、相手への誠実さ。どちらを優先するのが正しいのかはわからないけれど────少なくともレイチェルは、これ以上ハリー・ポッターへの不誠実を重ねたくはない。となると、この後ろめたさは、たぶんレイチェルがこれからも1人で抱えておくべきなのだろう。
もしもこの先、打ち明けることがあるとしたら────。レイチェルはふと、肩越しに後ろを振り返った。当然だけれど、視線の先には、もうあの黒髪の男の子の姿はない。
もしも。もしもこの先、もう1度また、あの日と同じ質問をされることがあったら。そうしたら、そのときは今度こそ正直に伝えよう。
あの日会ったのは自分だと、勝手に誤解して嫌って、嘘を吐いてごめんなさいと。そう、素直に謝ろう。