新学期が始まる朝は、何だか妙に慌ただしかった。
理由はいくつかあったが、まず1つ目は父親が急にルーマニアに戻らなければいけなくなってしまったことだ。昨夜の休暇最後のちょっとした晩餐のときに、勤め先であるドラゴン研究所から突然連絡が入った。何でも飼育しているドラゴンが病気になったらしく、急いで魔法薬を調合してほしいとのことだった。慌てて移動キーのチケットを押さえて、今朝1番早い便でイギリスを経つことになったのだ。
朝早く出掛けていったのは、エイモスおじさんも同じだった。どうやら大急ぎでふくろう便を出す必要があるらしく、まだ薄暗いうちから魔法省に出勤していった。これが2つ目。そして、3つ目は降り続く雨の中を飛んだせいで、ディゴリー家のふくろうが体調を崩してしまったことだった。
「2人とも、ごめんなさいね。見送りに行けなくて……」
「大丈夫だよ、母さん」
「キングズクロスまでの道は慣れてるもの。2人でも迷ったりしないわ」
そんなわけで、おばさんはふくろうを聖マンゴに連れて行かなければいけない。レイチェルの母親は今日〆切の原稿があるせいでそっちにかかりきり。本当ならレイチェルの父親とディゴリー夫妻、3人でキングズクロスまで見送りに来てくれる予定だったが、全員都合が悪くなってしまったのだ。3人だけになってしまった朝食の席で、おばさんは心配そうに表情を曇らせていた。
「今年は特に賑やかだったから、貴方達が学校に行ってしまうと寂しくなるわね。次に帰って来るのは、また夏休みでしょうし……」
「まだわからないわ、おばさん。去年までも、結局いつもクリスマス休暇は帰って来てたし」
寂しげに微笑むおばさんに、レイチェルは慰めの言葉をかけた。
毎年、1度くらいは学校でクリスマス休暇を過ごしてみたいねと言っているものの、何だかんだとレイチェルもセドリックも帰宅している。去年と一昨年に関しては、継承者や吸魂鬼とあまり嬉しくない理由だったし、今年こそはと思うものの、こればかりは実際に休暇が近づいてみないとわからない。
「ええ、そうね。でもきっと、2人とも今年こそは学校に残りたくなるでしょうから」
おばさんお手製の焼き立てのスコーン────これもしばらく食べられないのだと思うと名残惜しい────にクロテッドクリームを塗っていたレイチェルは、その言葉におや、と思った。まるで、今年のクリスマスはいつもとは違う特別な“何か”が起こると言いたげだ。
「母さん、またそれ? 一体、今年はホグワーツで何が起こるの?」
「あら、何のことかしら?」
セドリックがじれったそうに言ったが、おばさんは取り合わない。ワールドカップの会場で会った大人達と言い、それにレイチェルの父親やエイモスおじさんと言い……何だか皆、今年のホグワーツに関しては妙に含みのある言い方をする。けれど、どう言うことかと尋ねれば誤魔化されてしまうのだ。
「もう……そうやって皆、思わせぶりに笑うばっかりで、ちっとも詳しく教えてくれないんだもの」
「ふふ、今日の夜にはきっと、ダンブルドアが発表されるわ。それまで、あともう少しのお楽しみ」
……やっぱり、ものすごくおいしい。
「2人とも、忘れ物はない? 雨で滑りやすくなっているから、気を付けてね。手紙を楽しみにしているわ。それじゃあ、セド、レイチェル。楽しい新学期を」
おばさんに愛情たっぷりのハグとキスで見送られ、2人は煙突飛行で漏れ鍋へと向かった。大人が居ないといつもより時間がかかるかもしれないと、たっぷり余裕を持って。が────その甲斐もなく、2人はそのまま漏れ鍋の店内から一歩も動けずにいた。
「うーん。ちょっと待てばマシになるかと思ってたけど、ダメみたい」
「だね。むしろひどくなってる気がする」
窓の外を眺めて溜息を吐いたレイチェルに、セドリックも同意する。
降り注ぐ雨は、バケツを引っ繰り返したような勢いだ。トランクにはおばさんが防水魔法をかけてくれたけれど、あいにくレイチェルとセドリックは耐水性ではない。これだけ雨足が強いと、傘を差してもあまり意味はないだろう。キングズクロスまでは結構距離があるし、どう考えても風邪を引きそうだ。できれば新学期すぐに医務室のお世話になるのは避けたいけれど……もう頼んだアイスティーのグラスもすっかり空になってしまった。まだ時間には余裕があるけれど、どうやらこれ以上ここに居ても悪戯に時間が過ぎていくだけだ。
「仕方ない。行こう」
セドリックが言い、レイチェルも渋々重い腰を上げ、漏れ鍋の店内を出た。
姿くらましさえ覚えればこんな雨くらい何とでもなるのに……。そんな風にないものねだりをしたところで、レイチェル達はまだ未成年なのだからどうしようもない。
大粒の雨が容赦なく叩きつける中、レイチェルとセドリックは無言のままチャリングクロス通りを歩き出した。喋ると口の中に雨粒が入るからだ。そうして50メートルほど進んだところで、レイチェルはふとあることに気がついた。
「レイチェル。どうかした?」
「何だか……誰かに引っ張られてるみたいなんだけど……」
さっきから、後ろから誰かに服の裾を引っ張られているような、奇妙な感覚がある。
きょろきょろと辺りを見回してみるが、誰も居ない。魔法動物か何かの悪戯だろうか? 不思議だと首を傾げていると、向こうから誰かがこちらへと駆け寄って来るのが見えた。傘に隠れてしまって、顔が見えづらいけれど、あれは────。
「ペニー?」
「レイチェル。久しぶり」
1学年上のレイブンクロー生、ペネロピー・クリアウォーター。レイチェルと仲良しの上級生だ。傘とは反対の手には杖を持っているところを見ると、どうやらレイチェルに足止め呪文をかけていたのはペネロピーだったらしい。レイチェル達の近くまでやって来ると、ペネロピーは申し訳なさそうに苦笑してみせた。
「ごめんね、びっくりしたでしょ? この雨だし、名前を呼んでも気づかないかなと思って……ちょうど通りかかったら2人の姿が見えたの。駅に向かうところよね?よかったら、一緒に乗って行きましょ」
「いいの? ありがとう、とっても助かるわ。でも、ご迷惑じゃない?」
「大丈夫よ。ほら、2人とも、びしょ濡れになっちゃう前に乗って乗って」
願ってもない申し出だ。ペネロピーに促されるまま、レイチェルとセドリックは近くに停めてあった黒い車に乗り込んだ。当たり前だがマグルの車なので、中に入っても外から見た通りの大きさだ。トランクを抱えたままどうにか後部座席に3人収まると、レイチェルはようやく車内を見渡した。運転席と助手席にはそれぞれ、優しそうな初老の男性とペネロピーとよく似た女性が座っている。
「こんにちは。レイチェル・グラントです。彼はセドリック・ディゴリー。ペニーにはいつも学校でお世話になっています。乗せてくださってどうもありがとうございます」
レイチェルは愛想よくそう挨拶した。バックミラー越しに、運転席の男性とは確かに目が合ったと思ったのだが、何だか怪訝そうな表情になって視線を逸らされてしまった。何か失礼なことをしてしまっただろうかと不安に思っていると、ペネロピーがクスクスと笑ってレイチェルに耳打ちした。「あのね、レイチェル。助手席に座ってるのは私のママだけど……そっちは、タクシーの運転手さん。えっとね、つまり、私も今日会ったばかりの人。家から車で移動するのは大変だから、代わりに運転してもらってるの」
「えっ」
「どうしよう……私、てっきりペニーのお父さんだと思って……」
「大丈夫じゃないかしら。そうね、ちょっと奇妙に思われたかもしれないけど……たぶん、ママに向かって言ったんだろうって思ってると思うわ」
ペネロピーの言葉にそっと運転席を見てみると、さっきのレイチェルのことなど気にしていない様子だったのでホッとした。マグルの車の運転は神経を使うと聞くし、集中しているのだろう。
レイチェルは興味深く車内を観察した。空間の狭さ以外は、プライス家の自家用車とあまり変わらないように見える。運転席にあるハンドルやレバーやボタンのようなものが気になってうずうずしたが、さすがに走行中に触らせてもらうのは無理だろう。赤と緑にチカチカ光るランプの光を名残惜しく見つめながら、レイチェルは溜息を吐いた。
車はいつの間にか、大通りを走っていた。ラジオを拾っているのか、車内にはマグルのポップソングが流れている。これなら少しくらいおしゃべりしても大丈夫だろう。久々の再会なのだ。話すことはいくらでもある。
「レイチェルはワールドカップには観戦に行ったの?」
「行ったわ!エイモスおじさん……セドのお父さんが一緒にチケットを手配してくれたから。ペニーは?」
「それが行けなかったの。友達にチケットを頼んでたんだけど、手に入らなかったみたいで。……だから私は新聞でしか知らないんだけど……大変だったみたいね?」
「ええ。まあ……とは言っても、私達は特に危ない目にあったわけじゃないんだけど」
心配そうな表情のペネロピーに、レイチェルは肩を竦めた。
死喰い人達の襲撃は今思い出しても恐怖だし、ゾッとする。が、結果的に見ればレイチェル達は何か被害を受けたわけではないし、ただでさえ新聞で騒がれているのだから、不必要にマグル生まれのペニーの不安を煽るのも良くないだろう。
「でも、ワールドカップ自体はとっても楽しかったわ。試合はとっても迫力あったし、知り合いも結構来てたし。ね、セド」
「そうだね。卒業生も見かけたよ」
「そうだ、卒業生と言えば……ペニー、知ってる?グリフィンドールのキャプテンだったオリバー、パドルミア・ユナイテッドに入ったんですって!」
確か、ペネロピーもかなりのクィディッチファンだ。だから、この話題には興味を示してくれると思ったのだけれど……ペネロピーはやっぱり、表情を曇らせたままだ。小さく溜息を吐くと、ペネロピーはレイチェルを振り返った。
「ねえ、レイチェル。会場で、ウィーズリー家の人達には会った?」
「え? ええ、会ったわ。家族みんなで一緒に来ていたみたいだったから」
「パーシーにも?」
「パーシー? ううん、パーシーとは……全員と会ったわけじゃなくって」
「そう……」
質問していいものかと迷っていると、ペネロピーが自分から話してくれた。
「パーシー、すごく仕事が忙しいみたいなの。まあ、今までも割と忙しい人だったけど……それでも、同じ校内に居たし、監督生の仕事なんかもあったし……2人きりの時間はとれなくても、顔を合わせる機会はたくさんあったの。でも、もう卒業しちゃったからそれもなくなるし……本当は、夏休みも会う約束をしてたんだけど、ワールドカップの一件があって、『休みが取れなくなった』って言われちゃって……」
それってつまり、夏休みの2ヶ月間、1度も会えなかったと言うことだろうか。
レイチェルはペネロピーに同情した。レイチェルには恋人が居ないからわからないけれど……これから学生と社会人で必然的に遠距離になってしまうことがわかっていたのだから、ペネロピーはきっとこれまで通り上手くやっていけるか不安だっただろう。会ってたくさん話をしたかったはずだ。それなのに、1度も会えないなんて!
「僕の父さんも魔法省勤めだけど、ここのところ毎日忙しそうだよ」
「セドの言う通りよ。本当に、色々と対応があって大変みたい。パーシーもそうなんじゃないかしら。彼だって、ペニーに会えてなくて寂しいと思うわ」
とは言え、レイチェルは魔法省の人達がワールドカップの一件のせいでどんなに忙殺されていたかも、この目で見て知っている。マグル生まれのペネロピーにとっては、ピンと来ないのも無理はないけれど……今日だっておじさんは早朝出勤だった。そして毎日帰宅は深夜で、目に見えて疲れきっている。比較的、ワールドカップの警備とは無関係な部署なのにも関わらず、だ。
「ん……そうよね。楽しみにしてたから、ダメになってちょっと悪い方に考え過ぎちゃってたのかも。パーシーだって、仕事が始まったばかりで大変なのよね」
レイチェルは勢いよく首を縦に振った。普段なら、「ペネロピーみたいな素敵な恋人を放ったらかすなんて!」と憤慨するところだけれど……たぶん、そう。ペネロピーへの愛情が足りないわけではなく、本当に、尋常じゃなく、仕事以外のことは手につかないくらい忙しかったのだろう。これが原因でぎくしゃくしてしまったら、あまりにもパーシー・ウィーズリーが気の毒だ。「ありがとう、2人とも。ちょっと気持ちが楽になったわ。私からまた、手紙出してみる」
ペネロピーが微笑んでくれたので、レイチェルは胸を撫で下ろした。
道が混雑していたせいで、キングズクロスに着くまでに思ったより時間がかかってしまった。タクシーの料金を、レイチェルとセドリックも払うと言ったのだけれど、クリアウォーター夫人は受け取ってくれなかった。何でも、移動距離を基準に計算されるので、人数が増えても料金は変わらないらしい。マグルの文化はつくづくレイチェルの想像を超えている。レイチェルはいたく感銘を受けた。
「車の運転って、やっぱり大変なの?」
「うーん……どうかしら。私もやったことないから……」
「あっ、そうよね。マグ……そっちの基準で成人しないとできないんだっけ」
「簡単ではないかもしれないけど、特別な才能がないとできないってわけでもないと思うわ。んー、でも、魔法使いだと勝手が違ったりするのかしら……」
とは言えこれも、新入生のときは緊張した。レイチェルは今のところ失敗したことはないが、ある程度勢いがないと通り抜けられず柵にぶつかってしまうし、勢いが良すぎると今度はホームへ入った時にカートごと周りに激突してしまったりもする。おまけに、今日は雨で混雑しているせいでマグルに見られないようにするのが一苦労だ。そんなおしゃべりをしながらスルリと柵に寄りかかると、途端に目の前に真紅のホグワーツ特急が現れた。続いて、後ろからセドリック────と、新入生の男の子も現れた。さっき9と4分の3番線の場所がわからず困っていたので、セドリックが手助けをしたのだ。男の子は何度もお礼を言うと、慌てた様子でホグワーツ特急へと乗りこんで行った。
「ペニー、本当にありがとう。ペニーのおかげで風邪を引かずに済みそうよ。また学校でね!」
「ええ。またね、レイチェル。……セドリックは、この後またすぐ会うわね」
「そうだね。僕達は先頭車両に行かないと」
そう言えば、セドリックもペネロピーも汽車の中から早速監督生の仕事があるのだから大変だ。しかし、その代わりに先頭車両に座席が確保されている2人とは違って、レイチェルは自分のコンパートメントを探さなければいけない。
「レイチェル!こっちよ!」
「パメラ!」
が、どうやらその必要はないらしい。2人と別れて汽車に乗りこんでしばらく歩いていると、通路の向こうからパメラが手を振っているのが見えた。どうやら、先に到着してコンパートメントを確保しておいてくれたようだ。
「レイチェル、久しぶり!」
「元気だった?」
「アンジェリーナにアリシアも。ワールドカップ以来ね!」
それに、アンジェリーナとアリシアも居る。エリザベスはどうやら、既に監督生の車両に行ってしまった後らしい。少し残念に思ったが、ホグワーツに到着すればすぐに会えるだろう。元気そうな友人達の姿に、レイチェルは思わずニッコリした。
「ワールドカップって言えばさ、びっくりしたよね」
「クラムの試合? スニッチ取ったのに負けちゃうなんてね!」
「すごかったわよね。私、すっかりファンになっちゃった」
「そうじゃなくて! いや、そっちも勿論すごかったけど! 夜にほら、色々あったでしょ」
「ああ……本当突然だったし、まさかって感じだったよね。しかもまだ誰も捕まってないんでしょ?」
「うーん。おじさんは、何か意図があったわけじゃなくて、同窓会感覚なんじゃないかって言ってたわ………」
「待ってレイチェル、懐かしくなって人を逆さづりにするってありえるの?」
「……私も信じられないけど。実際、あれ以来似たような襲撃事件もないみたいだもの」
「でも、実際、何の意図もないのにあの……“あの印”が上がるってありえるのかな?パパはおかしいって言ってたけど」
ああでもないこうでもないと言い合っているうちに、いつの間にかホグワーツ特急の発車時間が迫っていた。警笛が鳴り響き、滑るように汽車が動き出したことで、そんな会話は中断された。少しずつプラットホームから遠ざかっていき、見送りに来た家族達の姿が見えなくなるまで、レイチェル達は何度も手を振った。そうして再びおしゃべりが始まる頃には、皆すっかりワールドカップの話題のことは忘れてしまっていた。
「魔法史って選択続ける?」
「私は絶対取らないわ!」
「パメラはそうだと思った。レイチェルは?」
「うーん……一応、OWLの結果で言うと選択できるんだけど……魔法史、レポート課題が多いから……他の科目も課題増えるって聞くし、迷ってるの」
「やっぱりそうよね。興味ないのにわざわざ取っても……でも、魔法史のNEWTとっておかないとダメな職業結構多いのよね」
「私も、一応進路希望出したけど、まだこれ!ってハッキリ決まったわけじゃなくいし……とりあえず履修登録だけしておいた方が無難かなあ……教科書は今からでもふくろう通販で買えるし……」
「でも、魔法史のNEWTの教科書、すっごい高いよね。買っておいて途中で辞めましたは親に怒られそう」
「魔法史だけじゃないわよ!NEWTの教科書何であんなに高いの?ロックハート並じゃない?」
「1冊で5ロックハートくらいするよね」
「ちょっとアリシア、変な単位作るのやめて」
夏休みの思い出に学校のこと、友人のこと、ペットの猫、欲しい靴やバッグ。
車内販売のワゴンで買ったお菓子を片手に、4人は久々のおしゃべりに花を咲かせた。
「そろそろ着替えた方がいいかもね」
アリシアの言葉に、レイチェルは窓の外へと視線を向けた。楽しいおしゃべりにすっかり夢中になっているうちに、いつの間にかもうそんな時間になっていたらしい。相変わらず雨の勢いが強く、外が薄暗いせいでわかりづらいけれど、確かにあと30分もすればホグズミードに着きそうな雰囲気だ。
「……あ」
「どうかした、レイチェル? 何か忘れ物しちゃったとか?」
「ううん……そう言うわけじゃないんだけど……私、ちょっと用事を思い出したわ」
制服のローブを出そうとトランクを開けたレイチェルは“ある物”の存在を思い出した。茶色い紙で包まれて、その上から紐でぐるぐる巻きに縛り、さらにその上からタオルを巻いてある。急いで身支度を整えると、レイチェルはその包みを持ってコンパートメントを出た。
────昨日の夜までは覚えていたのに。
無意識のうちに、小さく溜息が出た。ホグワーツ特急に乗ったらすぐに取り出せるようにと、わかりやすく荷物の1番上に詰めておいたのに。朝から何だかバタバタしていたせいですっかり忘れていた。憂鬱な足取りでしばらく通路を歩いていると、思ったよりも早く目当ての人物は見つかった。
「やあ、レイチェルじゃないか。久しぶり」
「久しぶり。そっちがジョージ……でいいのよね?」
「まあ、大体そんな感じだな」
コンパートメントの扉をノックすると、中に居た3人────双子のウィーズリーとリー・ジョーダン────がこちらを振り向く。3人はどうやらまだ制服には着替えていないようだ。レイチェルは双子の胸に書かれたイニシャルを見比べた。どうやら今日は入れ替わってないらしい。レイチェルは扉を背にしたまま、目当ての人物────ジョージへと向き直った。
「俺に用事か? どうかしたのかい? 座ったら?」
「いいわ、すぐ済むから」
と言うか、そもそも座ろうにも場所がない。コンパートメント中に爆発スナップの残骸らしきものや悪戯グッズ、そして悪戯の計画書らしきものが広げられている。それに実際、レイチェルの用事は長居するようなものではないのだ。
「はい、これ。預かってた物」
不思議そうな顔をするジョージに、レイチェルは持ってきた包みを差し出した。一刻も早く、持ち主に返してしまって手放したかった。だって、結局何が入っているかもわからないのだ。いや、まあ知らない方がいい気がして深く追及しなかったのはレイチェルだけれど……だって、ジョージもあまり言いたくなさそうだったし。
「そうだった。まさか、君が預かってくれるとはなあ。ジョージから聞いたときは驚いたぜ。今、色々あって手持ちが随分少なくなっちまったから、助かったよ」
フレッドがそう言って笑ったが、レイチェルは力なく微笑み返した。フレッドの言うことは正しい。ジョージに色々と助けられた経緯がなければ、間違いなくレイチェルはこれを預かってほしいと言われても断っていただろう。実際、夏休み中やっぱり預からなければよかったと頭を抱えたのは1度や2度じゃない。
「言った通り、爆発しなかっただろ?」
「そうね。かろうじてね」
結果的には爆発しなかったけれど、刺激を与えないよう相当丁重に扱っていたので、それはあくまでも結果論な気がする。少しでも爆発する可能性があると言うだけで、十分に危険物だ。心臓に悪い。たまたま近所に住んでいると言うだけで、夏休み中まで双子のトラブルに巻き込まれるのは遠慮したい。
「ありがとな、レイチェル」
「……どういたしまして」
ニッコリ笑うジョージから、レイチェルはふいと視線を逸らした。
そう、たまたま近所に住んでいたから────ジョージがレイチェルに頼んだのなんて、きっとそれだけだ。これを安全に預かってくれさえすれば、誰だって良かったに違いない。
「……結局これ、中身は何なの?」
「そうだな。今度話すよ」
もう手元を離れてしまったからたとえ爆弾だろうと関係ないし、預かっていたものの中身が何か知る権利はあるだろう。そう思って興味本位で質問してみたものの────返ってきた答えにレイチェルは顔を引きつらせた。それってつまり、今この場では言えない程度に厄介な品物だと言うことだろうか。まさか、いくらこの2人でも、法律に触れているようなものではないだろうけれど。
「やっぱりいいわ。知らない方が幸せな気がするし……じゃあ、私はこれ、で……っ!?」
レイチェルがコンパートメントを出ようと踵を返そうとしたその瞬間、ガタンと汽車が揺れた。足元がふらついたレイチェルは、バランスを崩した。そのまま、膝から床に打ちつけて転ぶ────と覚悟して目を閉じたが、そうはならなかった。「大丈夫か?」
「……あ、ありがとう」
頭の上から声が降って来る。鼻の先に、シャツのイニシャルのGの文字が迫っていた。後頭部と、腰のあたりに、ジョージの腕らしきものの感覚がある。どうやら、倒れ込んだレイチェルをジョージが抱きとめて支えてくれたらしい。そう理解したものの、レイチェルはしばらく呆然としていたが────フレッドが冷やかすように口笛を吹いたのがわかって、慌ててジョージから飛びのいた。勢いをつけすぎたのか、背中と頭をコンパートメントの扉にぶつけた。痛い。
「……じゃあっ、私の用はそれだけだから!」
「ああ。本当に助かったよレイチェル。また学校で!」
急ぎ足でコンパートメントを後にするレイチェルの背中を、ジョージの声が追いかけて来る。打ちつけた背中が痛いのと、今さっきの出来事が恥ずかしいのとで、何だか頭がひどく混乱していた。どうしてよりによって、あのタイミングで汽車が揺れるの。時間を巻き戻してやり直したい。意味がわからない。
「ああ、もう、何なの一体……」
どうしていつもいつも、ジョージにはみっともないところばかり見られてしまうのだろう。